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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
3章.ありのままの彼女を愛して
87/321

33. 限界を超えて

(注意)本日2回目の投稿です。













   33



「あれは『わたしたち』がどうにかする」


 宣言したリリィは、唇をきゅっと引き結んで高屋純を睨み付けた。


「……」


 どうしたわけか、そんな彼女の姿はどこか普段と違って見えて、おれはリリィの横顔を、まじまじと見詰めてしまった。


 凛とした表情。

 おれの心を惹き付ける、芯のあるその在り方。


 そこにいるのは、見慣れたいつものリリィだった。


 おかしなところなど、どこにもない。

 気のせいだったのだろうか?


 そう思うが、なにか引っ掛かる。


 単なる勘違いで片付けてしまうのも、おれにはなにか違うように思えたのだ。


「行くよ!」


 眦を決したリリィは、自分自身を鼓舞するように勇ましく叫んだ。


「グラァアアア!」


 対峙する狂獣もまた、獣性を剥き出しにした雄叫びをあげて、こちらに突進してくる。


 おれを背にしたリリィは、臆さず前に出た。

 その手に愛用の槍はない。


 互いに徒手空拳。


 しかし、狂獣の巨腕は、人ひとり原形なく叩き潰せる凶器である。

 武器なしに対抗できるものではない。


「グルァアアア!」


 相手が何者であるか判別付けることさえなく、狂獣は凶器そのものの腕を大きく薙ぎ払った。


 ここでリリィには、回避を試みるという選択肢もあったはずだ。

 武器のひとつも持たないとなれば、注意を引き付けつつも逃げ回る以外に手はない。


 おれ自身、先程はそうしていた。

 だから、当然彼女もそうするものだと思っていた。


 思い込んでいた、というべきか。


 けれど、彼女はおれの予想外の行動を取った。

 その場で足をとめると、ほっそりとした腕を伸ばしたのだ。


 ずんと重々しい音が響いた。


「グラアァア!?」


 狂獣が驚愕の悲鳴をあげた。

 おれもまた、絶句して、その光景を見詰めていた。


 振り下ろされた狂獣の一撃が、水平に伸ばされたリリィの片腕に受け止められていたのだ。


 ありえないことだった。

 リリィの膂力は見た目に反してかなり強いが、傷付きこそすれ桁外れの腕力を誇る狂獣に、力で対抗できるほどではない。


 それなのに、リリィは正面から高屋の一撃を受け止めていた。


 にわかには信じがたい目の前の現実であり……しかし、おれが驚いた理由は、そこではなかった。


 それ以上に、驚くべき光景が目に飛び込んできたからだ。


 水平に伸ばされて、薙ぎ払われた狂獣の腕を受け止めるリリィの片腕。


 本来ならほっそりと女の子らしい曲線を描いているはずの肘から先が、高屋と同じく獣のものに変わっていたのだ。


 リリィの体のサイズとは合わない大型獣のものである腕に、おれは見覚えがあった。

 あれは樹海深部のモンスター、ラフ・ラビットのものに違いなかった。


 そしてラフ・ラビットの腕の先端では、手首から先が巨大な亀の甲羅となって、高屋の一撃を受け止めていた。


 地面に据えられた重量感のある甲羅は壁盾としての役割を完璧に果たしている。

 リリィの体よりも大きなあの甲羅は恐らく、チリア砦で食べた大量のモンスターのうちの一体、巨大な陸亀、アーマード・トータスのものだろう。


 なにが起きているのか。

 答えに辿り着いたおれは、呆然としてつぶやいた。


「あれは……まさか部分擬態か?」


 リリィは普段、水島美穂の姿のままで各種の擬態能力を使っている。

 しかし、本来の姿ではない場合、擬態した能力は大幅に劣化したものになってしまう。


 部分擬態は、それを解決するための方策のひとつだった。


 しかし、部分擬態は未完の技能だったはずだ。

 ミミック・スライムの種族としての能力の限界が、ずっとリリィの前に立ち塞がっていた。


 そのことについてリリィが悩み苦しんでいたことは知っている。


「……成功したのか?」


 目の前の現実が、その答えだった。


 考えてもみれば、どうやってリリィは、一度嵌ればガーベラクラスでもない限り逃げられないはずの魔法道具『罪科の縛鎖』から解放されたのか。


 こうして自由を取り戻していることこそが、彼女が壁を越えたことの証拠にほかならなかったのだ。


「ぐるぅあぁああ!」


 甲羅の表面が波打ったかと思うと、そこから咆哮とともにファイア・ファングの狼頭が飛び出した。

 腰から上だけが整形された灰色狼は、狂獣の肘に噛みついた。


 頑丈な牙が皮膚に突き刺さる。


「ガァアアア!」


 大きく顔を歪めた狂獣は、無理矢理に狼を振り払った。


 噛みついていた狼頭が砕けて、わずかに飛び散った肉片が、スライムの体組織に変化して地面に落ちる。


 拘束を逃れた狂獣が、追撃を放とうとする。

 その顔面に、六本の蛇が襲い掛かった。


「シャアァアアア!」


 いつのまにか、リリィの左腕が蛇に変じていたのだ。

 レッサー・ヒュドラー。樹海表層部のモンスターだった。


 不意を突かれた狂獣が、堪らず後退する。

 後退りながら振り回された腕によって、毒牙を突き立てようとする蛇が砕かれた。


「んっ」


 怒涛の追い込みを見せたリリィだが、そこで攻撃はストップする。


 その間に、狂獣は崩れ気味だった体勢を整えてしまった。


 眉をしかめたリリィが、ぽつりとつぶやく。


「……『助け』があるとはいえ、いまのわたしじゃ同時に制御できるのは四体が限界か」


 リリィが得た部分擬態は強力な能力だ。


 擬態するモンスターの一体一体は、総合力では強大な敵に及ばずとも、得意分野だけなら対抗できる部分がある。

 それを繋ぎ合わせたいまのリリィの戦闘能力は、あるいは、あのガーベラにさえ届くかもしれない。


 ただ、それも制限なしとはいかないらしい。 


「グルゥゥアァアア!」


 退行した知性の代わりに発達した本能は、そこに勝機を見出したのか。

 狂獣は雄叫びをあげてリリィに突貫した。


 同時に切れる手札に限りがあるのなら、対処しきれないほどの攻撃を一気呵成に叩き付ければいい。


 知性のない狂獣がそこまで考えていたかどうかはわからないが、狙ったのはそんなところだろう。


「リリィ!」

「大丈夫だよ」


 動かない体に歯噛みしながら叫んだおれに、リリィは背中越しに声を寄越した。


 そして、迫りくる狂獣を前にして、すっと手を突き出す。

 開いた手の向こうにいる高屋純を見据えて、強く笑った。


「いまの『わたしたち』なら、どんな限界だって越えられるはずだもの」


 奇しくも、それはおれが選択したのと同じ決断だった。


 ほんの一瞬だけの全力運動。

 後先を考えない、必殺の一撃だ。


 リリィの全身から、恐ろしいほどの魔力が吹き上がる。


「これまでわたしが積み上げてきたすべて……受け止められるものなら、受け止めてみなさい!」


 ぎりぎりまで狂獣を引き付けたところで、リリィは攻撃を解放した。


 次の瞬間、リリィの手首から先が吹き飛んで魑魅魍魎が溢れ出した。

 それは、まるで玩具箱を引っ繰り返したかのような光景だった。


 これまでリリィが呑み込んできたありとあらゆる怪物たちが狂獣に襲い掛かる。


 黄色い眼を見開いた狂獣が足を止めるが、もはや激突は避けられなかった。


 振り下ろされた巨腕が、先頭のモンスターを破砕した。

 だが、それは所詮、無数の魑魅魍魎のうちの一体でしかない。


 そのうしろから押し寄せるモンスターが巨体に激突した。

 強靭な獣の体は、それだけでは倒れなかった。


 だが、次から次へと魍魎は押し寄せた。


 たとえ重機でも動かせないような巨大な大岩でも、洪水の濁流の前には押し流されてしまうものだ。


 起こったことは、それとまったく同じ現象だった。


「ガッ、ガァアアアア!?」


 ただ圧倒的な物量差が、怒れる狂獣を叩きのめし、打ちのめし、ひき潰す。


 そうして最後には、その巨体を木っ端のように吹き飛ばした。


   ***


 魑魅魍魎の大群は、ほんのわずかな時間で姿を消した。

 一斉に形を失い、半液体状の組織に変わると、リリィの手首に引き戻されていったのだ。


 目にしたもののもたらした衝撃に息を呑むおれが見守る先、リリィは突き出していた手を下げた。


 さすがに消耗が激しいのか、リリィは肩で息をしていた。

 戦いの喧騒に包まれていた山は、いまやとても静かで、囁くような木々の葉が擦れ合う音のなかに、彼女の少し荒くなった吐息が聞こえた。


 終わったのだと思った。


 その直後、吹き飛ばされて離れた場所に倒れていた狂獣が、かっと黄色い目を見開いた。


「ガアァァアアア!」


 咆哮とともに、狂獣がその身を持ち上げる。

 おれは目を見開いた。


「……まだ、立ち上がれるのか!?」


 唖然とするほかない。

 いまの狂獣の状態は、まさに襤褸雑巾のような有り様だった。

 先程のリリィの攻撃を喰らったことで、右腕に至ってはついに千切れて地面に転がっているくらいなのだ。


 元から、狂獣化によって無理矢理に体を動かしていたようなものなのだ。

 もはや戦えるような状態ではない。


 立ち上がれるのが、むしろ不思議だった。


「ガアァアアア!」


 それでも、獣は猛り狂うことをやめなかった。


 全身の傷口から、びちゃびちゃと血液が地面に飛び散った。

 明らかに自殺行為だった。


 このまま暴れていたら、こちらがなにかする前に、死んでしまいそうなくらいだった。


 高屋純の手にした固有能力は、なによりまず彼自身を損なうものだったのかもしれない。

 最初は理性を、次に自我を……最後には、命を破壊するまでとまらない。


 歯を剥き出しにして吼える狂獣に、リリィはどこか哀しげな瞳を向けていた。


「無駄だよ」


 リリィは告げた。


「わたしは、あなたのものにはならない」


 戦いの最中とは思えないような、静かで物悲しげな声だった。 


 そこには、なにか特別な感情が込められていて――。


「……」


 不意に狂獣が、唸り声を潜めた。


 黄色く濁り切った瞳が、リリィの姿を見詰めた。

 それは、まるでなにかを確かめようとするかのような仕草だった。


 その目を見返したリリィが、ふとおれに顔を向けた。

 見慣れた彼女の――どこか違った眼差し。


 薄い唇が開かれる。


「……わたしは、彼と一緒に行く」


 はっきりとした口調で言うと、少女は再び狂獣へと向き直った。


「だから、純。あなたとは一緒にいられない」

「……」


 狂獣は反応しなかった。

 当然だ。意味ある反応を返すだけの知性が、もはや彼にはないのだから。


 あれはもはや高屋純ではなく、単なる一匹の獣、モンスターに過ぎない。


 ただ……反応こそしなかったものの、知性なき獣は目の前の少女のことを見詰めていた。


 その姿からは、さっきまであったはずの敵意や害意の類が、すっぽりと抜け落ちている。


 不思議なことに、いまの獣の巨体は、まるでハリボテのように空虚なものに見えた。


 そんな獣の姿を見て、おれは今度こそ決着がついたのだと悟った。


 ずっと逆立っていた毛が収まる。

 一回り小さくなった獣は、低く唸ると地面を蹴った。


 こちらに飛びかかってきたのではない。

 背後に跳んだのだ。


 狂獣はリリィとおれとに交互に目をやってから、くるりとこちらに背を向けた。


 そして、一声だけ啼いた。

 それが最後だった。


 かつて高屋純だった獣の姿は、木立の向こう側に消えた。


   ***


「ご主人様」


 声をかけられて、獣の去った木々の奥を眺めていたおれは振り返った。


 こちらに歩み寄ってきたリリィは、眉を下げた笑みを作った。


「ごめん。仕留められなかった」

「気にするな」


 おれはかぶりを振った。


「あれでよかったんだと思うよ」


 明らかにリリィは消耗している様子だし、あのまま戦っていて、無事で済んだかどうかはわからない。


 戦いになれば、いずれ狂獣は自滅しただろうが、おれたちのどちらか、あるいは両方が道連れにされていたかもしれない。


 おれはみんなが無事でいればそれでいいのだ。

 このあたりは飯野にも言った通りだった。


 飯野との約束だってある。おれたちに害を及ぼさないのであれば、逃げ去ってもかまわなかった。


 なんとなく感じられたことだが、これから先、狂獣がおれたちに牙を剥くことはないように思える。


 あれはもうただの獣だ。高屋純に戻ることさえあるかどうか。

 どこにでもいるモンスターと同じように、どこかで生きて、どこかで死ぬだけだ。

 心配する必要はないだろう。


 それに……おれのなかには、どこかほっとした気持ちのようなものもあった。


 いまのリリィに、あの狂獣を殺させてはいけないような気がしていた。

 どうしてそんなふうに思うのか、理由はよくわからないけれど……。


「なぁに、ご主人様?」

「……いや。なんでもない」


 おれの向けた視線に気付いて、不思議そうな顔をしたリリィに、おれは首を横に振ってみせた。


 とにかく、災難は去ったのだ。

 だったら、いまはそれでいい。


 深く考えるには、ちょっと疲れ過ぎていたというのもあった。

 気が抜けてしまったせいで、正直、このまま座り込んでしまいたい気持ちだった。


 そうは言っていられないのが辛いところだ。


 まずは傷付いた仲間たちの様子を確認して、治療してやらなければならない。

 命に関わるような重傷は負っていないはずだが、それでも、傷付いたままにはしておけない。


「なあ、リリィ。回復魔法をかけるだけの魔力は……」


 残っているか、と声をかけようとしたおれの胸に、リリィが倒れ込んできた。


「……え?」


 おれは思考を凍り付かせた。


「ごめん、ご主人様」


 服越しに感じるリリィの体は、異常な熱を持っていた。


「ちょっと、限界かも」


 おれに抱きとめられたリリィは、半ば喘ぐような調子で言った。


「リ、リリィ……?」

「安心、して」


 リリィはおれのことを見上げると、疲弊しきって熱を持った顔に、精一杯の笑みを浮かべてみせた。


「ちょっと、休む、だけ……だか、ら……」


 最後にそう言い残して、その身はびしゃりと崩れ落ちた。

◆事件は終着しましたが、第3章はもうちょっとだけ続きます。

あと少しお付き合いください。

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