31. 託されぬ想い(真)
(注意)本日2回目の投稿です。
31 ~リリィ視点~
「……え?」
小さなつぶやきが、唇から零れた。
「え?」
更に、もう一度。
内心の動揺がそのまま素直に声に出て、暗闇の世界を震わせる。
そんなわたしを、目の前の少女はじっと観察するように見詰めていた。
「ちょ、ちょっと待って」
自分はいま、なにを言われたのか。
一度、思い返してみて、聞き間違いかどうかを確認する。
どう考えてもそうではない。
確かに彼女は「お断り」と言っていた。
「どうして?」
わたしは途方に暮れてしまった。
自分の存在と引き換えにして、水島美穂を現世に舞い戻らせる。
彼女にとって、悪い取引ではないはずだ。
断る理由なんてない。
そう判断していたわたしにとって、この状況は想定外もいいところだったのだ。
覚悟を決めていただけに、茫然自失としてしまう。
「どうしてって言われてもね」
そんなわたしを見て、『水島美穂』は困ったような笑みを浮かべた。
そして、それこそ大前提を覆す言葉を口にしたのだった。
「そもそもなんだけど……わたしは、水島美穂なんかじゃないもの」
「え……?」
わたしは再び頭を真っ白にされてしまった。
そんなわたしに、平然とした調子で少女は言う。
「なにを驚いてるの? 水島美穂はもうとっくに死んでるんだよ。どこにもいないのは、当然のことじゃない」
「だ、だけど……だけど!」
なんとか自失から立ち直って、わたしは彼女に言い返した。
「確かにあなたは、ここにいるじゃない!」
「うーん。この際、わたしのことは気にしなくてもいいんだよ」
わたしの訴えを聞いた少女は、青白い炎を揺らしながら、こくんと首を傾げてみせた。
「わたしは……そうね。ただの残骸みたいなものなんだから」
「ざ、残骸って……」
「残骸は残骸だよ。なにかの間違いで残ってしまっただけの、原型なんて留めていないモノ。そんなの、水島美穂とは別物でしょう」
自分のことだというのに、あっさりと言ってのける。
興味の薄い表情。素っ気ない口調。
彼女が本気でそう言っていることは明らかだった。
「それに……」
一転して、少女は唇にどこか意地の悪い笑みを浮かべた。
「あなたの想いをもらえば転移者としての能力が使えるというのも、どうなのかな? ねえ、水島美穂の偽物でしかない、スライムさん?」
どことなくからかうような口調だった。
「あなたのすべては、偽物なんだよね? だったら、あなたの想いをもらったところで、能力を発現することはできないんじゃないかな? だって、あなたの大事なご主人様に捧げる想いも、どうせ薄っぺらい偽物なんでしょう?」
「そ……」
ほとんど反射的に、言葉が口をついで出た。
「そんなことない!」
「だよね」
そんなわたしに、にっこりと少女は微笑みかけた。
「だったら、あなたは消えてしまうべきじゃないよ」
それはとても綺麗な優しい表情で、わたしから反論を奪い去ってしまう力を持っていた。
「あなたは、水島美穂の劣化コピーなんかじゃないんだよ。だって、あなただけのものが、ちゃんとそこにあるんだから」
すっと突き出された指先が、わたしの胸の中央を指し示した。
「自分はいったい、なんなのか。自分はどこにいるのか。そんなことを、あなたは疑問に思っていたけどさ。その感情こそが、あなたが確かにそこにいるっていう証明だよ」
だから、と。
溌剌とした調子で、少女は言った。
「ただの残骸でしかないわたしが、あなたを食べるなんてありえない。むしろ……あなたがわたしを食べないといけないんだよ。真島くんを助けたいのならね」
「ご主人様を助けたいなら……?」
「うん」
疑問の視線を向けるわたしに、屈託のない笑顔を返して、少女は告げた。
「だって、そうすることで、あなたは水島美穂が転移者として持っていた力を手に入れることができるんだから」
「な……っ」
わたしは言葉を失った。
それは、とっくの昔に諦めていた可能性。
諦めきれずに試し続けてきた徒労の果てに、結局、今日まで得られなかったものだった。
それが実現すると言われたところで、そう簡単に信じられるはずもない。
「ど、どういうこと? そもそも、わたしは……」
「偽物だから、固有能力を扱えない? ……ううん。そんなことはないんだよ」
少女は首を横に振った。
「もっとも、これは前に真菜ちゃんにも指摘されていることのはずなんだけど」
「加藤さんに?」
思いがけない言葉をかけられて戸惑うわたしに、少女は頷いてみせた。
「『ミミック・スライムの擬態能力は劣化を伴うけれど、この場合の劣化っていうのは、『できない』んじゃなくて『できるけれど不完全』になるはずだ』って。覚えてるよね?」
「それは……」
確かに、それはすでに言われていたことだった。
口ごもるわたしの顔を、少女は覗き込んだ。
「まさか忘れてた?」
「そんなことはない、けど……」
「あまりちゃんと考えたこともなかった?」
「……」
否定は、できなかった。
ミミック・スライムとしての擬態能力の限界ではなく、それ以外の原因がある可能性。
言われてみれば、その可能性について真剣に検討したことはなかった。
そんな自分自身に、わたしはこのとき、初めて気付いたのだった。
迂闊としか言いようがなかった。
その可能性を見落としていたのだろうか?
いや。さっきも言ったように、忘れていたわけではなかった。現に今日だって、ちらっと思い出したこともあったのだ。
ただ、思い出しただけでやめてしまっていた。
それ以上、考えを深めることはなかった。
考えようとさえ、しなかった。
だとすれば、それは……。
「……無意識のうちに、考えるのを放棄していた?」
「まあ、仕方のないことではあるんじゃないかな」
愕然としたわたしに、青白い炎を纏う残骸の少女はかぶりを振ってみせた。
「あなたにとって、自分が偽物だっていう事実は、なにより重いものなんだし。原因をそこに求めるのも無理はないことだよ」
慰めるように言われてしまう。
「劣等感は、簡単に克服できるようなものじゃないしね」
「……だったら、本当の原因はなんだっていうの?」
わたしは眉を下げた。
「転移者として水島美穂が備えていた『チート能力を発現させる素質』そのものを擬態できるはずだっていうのが、加藤さんの言い分だった。けど、実際、わたしにはできなかった」
情けない気持ちになって尋ねる。
「なにか他に原因があるっていうのなら、それはなんだっていうの?」
「だから、劣等感だよ」
「え……?」
わたしは虚を突かれた気持ちになって、青白い灯火と二重写しになった少女の顔を凝視した。
いともあっさり答えが返されてしまったせいで、言葉がうまく認識に馴染まない。
「れ、劣等感……?」
「そう。簡単には克服できず、無意識のうちに心を縛り付けてしまうもの」
噛んで含めるような口調で、残骸の少女は言った。
「ある意味、これほど強い感情もないんじゃないかな」
「じゃあ、あなたは、劣等感が無意識のうちに能力の発動を妨げていたっていうの?」
「ほら。ウォーリアだって、『自分は特別なんだ』っていう根拠のない確信を、無意識のうちに抱いている人間がなるものでしょう? それと同じことなんだよ」
「……根拠のない自信が力に繋がるなら、根拠のある不信が力を押さえつけてしまっても、おかしくない?」
「そういうこと」
少女はこくりと頷いた。
「根拠のない自信っていうのは、一概に悪いものじゃないよね。そうした無鉄砲さが、子供の特権みたいなものなんだし。逆に、分を弁えるって言えば聞こえはいいけれど、それも行き過ぎれば可能性を取りこぼすことにもなりかねない」
「それが……いまのわたし?」
紛い物でしかないモンスターとしての自分に対する、劣等感。
ああ。確かに彼女の言う通り、わたしの胸には、自分はご主人様の隣には相応しくないんじゃないかという想いが、ずっとずっとわだかまっていた。
いつかチリア砦で過ごした夜、いずれご主人様の傍にいられなくなるのではないかという不安を克服したところで、自分自身に対するコンプレックスを拭い去ることまではできなかった。
それが、ここに来てついに障害となって立ち塞がった。
これはそういうことなのだ。
「残骸でしかないわたしがここにいるのだって、半分はあなたのそうした部分に原因があるんだよ?」
少女の声に、わたしは知らず落としていた視線を上げた。
「あなたは、本物の水島美穂に劣等感を抱いていた。なぜなら、彼女は人間だったから。真島くんの隣にいるべきなのは、モンスターの自分じゃないって思っていたから。羨ましくて、妬ましくて、そんな相手を好けるわけなんてなくて……だから、無意識のうちに、あなたは水島美穂という存在を拒絶した。その結果、こうして残ってしまったのが、わたしっていう残骸なの」
残骸を自称した少女は、自分の胸に手を当てた。
「そうでなければ、わたしもまた他の魂と同じように、形も残さず、あなたのなかに溶けていたことでしょうね。いうなれば、わたしは『食べ残し』みたいなものなのよ」
冗談めかして、くすりと彼女は笑ってみせた。
「あなたが水島美穂の固有能力を擬態できなかったのも、同じ理由なんだよ。あなたはどうにかして水島美穂に近付こうと試行錯誤していた。けれど、それと同時に、自分でも把握できない心の奥底では水島美穂という存在を拒絶していた。そんなことじゃ、彼女の能力を使えなくても当然だとは思わない?」
そう言って、今度は胸に当てていた手を、こちらに伸ばしてくる。
「だからね、あなたは『食べ残し』であるわたしを食べなきゃいけないんだよ。言ってしまえば、残骸であるわたしは、あなたが拒絶してしまった水島美穂っていう存在の象徴みたいなものだから」
「……」
告げられた言葉に嘘は感じられない。
わたしの本能的な部分もまた、彼女の言葉を肯定していた。
「難しく考えることはないよ。本来あるべきものを、あるべき場所に戻すだけ。わたしがあなたのなかに溶けて消えてしまうことで、あなたの擬態は完成する」
伸ばされた手に、わたしは目を落とした。
この手を取れば、ご主人様を助けるための手段が手に入る。
たったそれだけで、あれだけ望んだものが手に入る。
躊躇する理由はなかった。
「……わかった」
わたしもまた、彼女に向かって手を伸ばした。
わたしの腕に纏いついた赤い炎が、暗闇にひと筋伸びる。
残骸だという少女そのものである青白い炎が、わたしの行き先を照らす灯火だった。
静かに揺れるその青白い炎は、ただただ、呑み込まれるときを待っていて……。
「……どうしたの?」
不思議そうな声が、暗闇を震わせた。
「……」
わたしは、伸ばした手を停めていたのだった。
自分でも理由はわからない。
躊躇うことなんてなにもないはずなのに、わたしの手は凍り付いたように動かなかった。
なにかを……なにかを、見逃しているような気がした。
見逃してはならない、なにかを。
その確信が、わたしの体をすんでのところでとめていたのだった。
落としていた視線をあげて、わたしは目の前の少女の顔を見た。
そこにあったのは、穏やかな笑顔だった。
なんらかの覚悟を心に深く刻んだ者の表情だった。
「あ」
わたしは小さく声をあげていた。
頭の奥で、かちりとパズルのピースが嵌る音がした。
気付けばわたしは、伸ばしていた手をひいていた。
少女がこちらの動きに少し驚いた様子を見せる。
わたしは胸の前で、引き戻した手をきゅっと小さく握りしめた。
確かめなければならないことができていた。
「……ひとつだけ、訊かせてほしいんだけど」
ゆっくりと口を開く。
「さっきあなたは、『自分がこうして残っているのは、半分はわたしの劣等感に原因がある』って言ったよね?」
「それがどうかしたの?」
首を傾げた少女に、わたしは尋ねた。
「じゃあ、『残りの半分』は?」
「――」
虚を突かれた様子で、少女が固まる。
その反応に確信を得て、わたしは続けた。
「わたしが抱いていた本物の水島美穂への劣等感が、彼女の存在を拒絶させた。そのせいで、あなたっていう残骸が……『食べ残し』が、こうして残った。あなたは、そう言ったよね?」
「う、うん。そうだけど」
「だけど、それだけだと、ちょっとおかしいんじゃないかな。だって、わたしの擬態能力は、なによりも前に、まず食べなくちゃいけない。水島美穂を食べて、擬態して、ご主人様を愛して……それからやっと、わたしは彼女に嫉妬できる」
わかりやすく一言でいうのなら……時系列がおかしいのだ。
「食べた時点では、嫉妬できない。だったら、水島美穂を拒絶することはない。あなたっていう『食べ残し』が生まれることもない」
「……」
「そこには、なにかまた別の理由がないとおかしいんだよ」
あえて彼女が語ることのなかった『別の理由』。
それこそが、先程、目の前の少女がうっかり口にした『もう半分の理由』に違いなかった。
「そのあたり、聞かせてもらえないかな?」
わたしは踏み込んで尋ねた。
すると、少女はこちらに伸ばしていた手を引っ込めた。
「うーん」
小さく、慨嘆の呻き声があがった。
「これはちょっと、口が滑ったかな」
むうと唇を尖らせた少女の表情は、どことなく決まり悪そうに見えた。
引っ込めた手で頬を掻いたのは、ひょっとして、気恥ずかしさを誤魔化す仕草だったのかもしれない。
「あのさ。それって、言わなきゃ駄目?」
「必要なことだから」
わたしは真っ直ぐ彼女の目を見詰め返した。
「……」
わたしと同じ顔が横を向いて、目が逸らされる。
わたしは目を逸らさない。
そうして、数秒。
「……あなたのご主人様が、そう望んだからだよ」
このままでは埒があかないと悟ったのか、諦めたように溜め息をついて、少女は答えを返した。
「真島くんはね、『水島美穂の無念を晴らしたい』って願ってた。だから、すぐに消えてしまうこともなかった。それだけのことなんだよ」
そう語った少女の横顔には、はにかんだ笑みが浮かんでいた。
「そっか」
そんな彼女の横顔を眺めつつ、わたしもまた吐息をついた。
「やっぱり」
それは、わたしが予想した通りの答えだったからだ。
ここで予想ができたのは、当然の話でもあった。
なぜなら、そもそも『水島美穂の無念を晴らしたい』というご主人様の無意識の願いを叶えたのは、他ならぬこのわたしなのだから。
わたしは、水島美穂の遺体を喰らったその日の出来事を、鮮明に思い出すことができた。
忘れもしない、あの山小屋で過ごした夜のことだ。
わたしはご主人様と結ばれた。
彼を初めて受け入れて、愛し合った。
けれど、あのとき彼と結ばれたのは、わたしだけではなかった。
だからこそ、彼女はここにこうして残留している。
そして、彼女がここでこうして消滅しようとしているのもまた、同じ理由なのだった。
そう気付いたとき、自ずとわたしの心は決まっていた。
「わたしは、あなたを食べない」
「へ……?」
残骸を名乗る少女が振り返って、わたしを見た。
「な、なんで……?」
呆然とした様子の彼女を見返して、わたしは答えた。
「あなたが、わたしと同じことをしようとしているから」
一度気付いてしまえば、簡単にわかる程度のことだった。
これまで、わたしが自分のなかに水島美穂を感じることはほとんどなかった。
とはいえ、それは彼女が消えていなくなってしまったからではなく、わたしの裡に引っ込んでいただけのことだったのだろう。
そうして考えてみれば、思い当たる節もないでもない。
これまでもずっと、彼女はわたしのなかにいたのだ。
そんな彼女がわざわざ、こうして顔を出したのはなぜなのか。
そんなの、決まっていた。
「ご主人様を守るために、あなたはこうしてわたしの前に姿を現したんだよね?」
かつて結ばれて、救われて、愛し合った彼のために、彼女は消えていってしまおうとしているのだ。
そう。なにもかも、わたしと同じなのだった。
だから、その内心も理解できた。
「あなたのなかにも、ご主人様に向ける想いがあるんでしょう?」
「……っ」
「その想いのために、消えていってしまってもかまわないと思えるのなら、たとえあなたが残骸に過ぎないものだったとしても、その想いは残骸なんかじゃ決してないよ」
息を呑んだ少女が、口元を両手で覆った。
暗闇の空間のなか、青白い炎と化した彼女の顔色は判別がつけられないけれど、多分、酷く赤面したのだろうと思う。
そんな彼女の態度を可愛いらしいものに感じながら、わたしは続けた。
「あなたが残骸でしかないからといって、消えてしまってかまわないなんてことはないんだよ」
わたしと同じことをしようとしている彼女に、彼女自身から送られた言葉をほとんどそのまま返してやる。
「……なにそれ。仕返しのつもり?」
「どうなんだろうね」
眉を下げて、拗ねたように言う彼女に少し笑って、ふと思う。
そもそも、目の前にいる彼女は、本当に、水島美穂の残骸でしかないモノなのだろうか?
ひょっとしたらと思うが、本当のところはわからない。
今更、そんなこと、どうだってよかった。
「あなたのおかげで、大事なことを思い出したよ。わたしはご主人様の眷属で、彼のことを愛していて、だったら、彼に誇れる自分でいないと駄目なんだってこと」
目の前の彼女が指摘してくれたことだった。
自分はいったい、なんなのか。自分はどこにいるのか。
そんなふうに自分を見失っていたけれど、わたしが自分のものだと誇れるものは、確かにこの胸のなかにあったのだ。
「わたしはね、ずっと、ご主人様を一番傍で見てきたの。弱いところも、苦しんでいるところも、それを乗り越える姿だって」
ただ思い浮かべるだけで、口に出して語るだけで、心がときめく。
それくらいに、わたしは彼が好きだ。
恋をしている。愛している。
だから、そんな彼に相応しい自分でありたいと強く願うのだ。
「わたしはどこまで行っても醜い怪物でしかない。人間にはなれない。そんな自分自身に、わたしはコンプレックスを抱いていて、それがいま障害として立ち塞がっている。だったら、わたしはちゃんと、それを克服しなくちゃいけないんだよ」
かつてトラウマを乗り越えたご主人様のように。
それこそが、ご主人様に相応しい自分であるということだった。
そのために、安易な選択を採るなんてもってのほかだ。
「わたしはあなたを食べてしまわない」
改めて、わたしは宣言した。
偽物のわたしにとって劣等感の対象である、本物の彼女。あるいは、その残骸。
彼女が消えてしまうことで、確かに問題もまた消失するだろう。
だけど、それはコンプレックスを乗り越えたことと、本質的にイコールではない。
「かといって、わたしが食べられるのも違ってる」
自分は醜い偽物でしかないという劣等感にがんじがらめになったわたし自身が消えても、やはり問題は抹消されるだろう。
だが、これもまた本質からは程遠い。
「どちらかが消失するんじゃない。ふたりとも残ったうえで、わたしはあなたの存在を受け入れなくちゃいけなかったんだ」
消えずにいてくれた彼女に、彼女が消えないように願ったご主人様に、心の底から感謝しよう。
おかげでわたしは、自分の劣等感を乗り越えることができる。
本物である彼女とこうして向き合うことができなければ、わたしは生涯、劣等感を抱えたままだったかもしれない。
ご主人様に相応しい自分になれなかったかもしれない。
彼女の存在を正面から受け入れること。
それは醜い怪物である自分自身を、認めてあげることでもあったのだ。
「これがわたしの選択だよ」
わたしは、目の前の少女に手を差し伸べた。
「……本当にいいの?」
ぽつりと少女はつぶやいた。
自分自身を残骸と評していた彼女のことだ。
こんなことになるとは、夢にも思っていなかったに違いなかった。
揺れる瞳が、わたしのことを映し出していた。
その目には、赤い炎と化したわたしのことが、自分を導く灯火にでも見えているのかもしれない。
そうした姿は、本当にわたしとよく似ていた。
違った。わたしのほうが、彼女に似ているのか。
そんなことは、やっぱりもう、どうでもよいことだった。
「わたしが一緒でも、いいの?」
恐る恐る尋ねながら、そろりと手が上げられた。
その手に、わたしは自分の手を合わせた。
指と指が絡み合う。
青と赤の炎が混じり合う。
距離を詰めて、わたしは彼女と額を合わせた。
「あ……」
「一緒に行こう。ご主人様が待ってるよ」
魂と魂が絡み合う。
それはきっと、本来ならありえるはずのない混交だった。
赤と青の灯火が、互いに喰らい合うことなく交わった。
そうして新たに生まれた紫炎は、どこまでも果てのない暗闇を、これまでにない強い輝きで照らし始めた。
◆二話更新の二つ目になります。
 






