30. 託される想い(偽)
前話のあらすじ:
仲間たちの奮戦によりリリィ奪還に成功するも、絶体絶命の危機。
一方、その頃……?
30 ~リリィ視点~
……わたしは、なにをしているんだろうか。
どこまでも広がる暗闇のなか、ひとり膝を抱えて浮遊しながら、わたしは自問自答した。
わたしを攫った高屋純を相手にして、ご主人様は決死の戦いを繰り広げている。
本当なら、わたしがご主人様を守らなければならないのに、むしろわたしのせいで、彼は危険に身を晒す羽目になっている。
大事な妹たちも、その身が傷つくことも厭わずに、わたしを取り戻そうとしてくれている。
そうした状況で、わたしだけが、なにもできずにいた。
そんな自分を、どうしようもなかった。
わたしを縛り付けている魔法道具は、わたしの力でどうにかできるようなものではなかったからだ。
一度嵌ったら最後、あの戒めを解くためには、相当の力が必要だった。
ガーベラクラスならともかく、わたしでは逃れようがなかったのだ。
わたしには、なにもできなかった。
なにも……。
そうして、どれだけの間、思考に沈んでいただろうか。
ここではきっと、時間の概念が意味を持たない。
いまのわたしにとっては、ひとりで悩み、苦しみ、無力感を噛み締めるためにあるような場所だった。
「どうしたの?」
他に誰もいないはずの、そんな空間に、唐突に気配が現れた。
わたしは俯けていた顔をあげた。
目の前にいたのは、ひとりの少女だった。
さっきまでわたし以外誰もいなかった暗闇のなか、彼女は水中を漂うかのように亜麻色の髪を靡かせて、わたしと同じ顔をこちらに向けている。
わたしはそんな彼女の顔を見て……やっと来たのかと、唇の端に乾いた笑みを乗せたのだった。
「……遅かったのね」
「あれ? 驚かないんだ?」
「来るだろうとは、思っていたもの」
意外そうな声で言う彼女に、わたしは簡潔に答えた。
「予想していたってこと?」
「ええ、まあ」
これが、ちょっと前に見た奇妙な夢とひと繋ぎのものであることは明らかだった。
同時に、これがただの夢ではないことも、簡単に察しがつくことだった。
「以前にご主人様から、グールになってしまったシランさんの心を取り戻したときの出来事については聞いていたから」
シランさんの心を救おうとしたとき、ご主人様は不可思議な空間を見たのだという。
わたしが体験しているものは、まさにご主人様から聞いていたそのままの現象だった。
どうしてこんなことになっているのかも、大体のところは想像がついた。
わたしと彼の間には、魔法的な繋がりであるパスがある。
多分、それが原因だろう。
パスを通じて、ご主人様固有の能力に由来するのだろうこの空間に、わたしが紛れ込んでしまったか。
あるいは、この空間こそがパスとわたしたちが呼んでいるものなのか。
厳密なところはわからないものの……いずれにせよ、この場所がただの無意味な夢でないことだけは、間違いなかった。
であれば、目の前にいる彼女もまた、夢のなかの幻などではありえない。
「あなた……水島美穂さんね?」
確信を持って、わたしは問いかけた。
それが、切っ掛けだった。
「……っ!?」
ごうっと音を立てて、わたしの体が燃え上がった。
それと同時に、目の前の少女の体もまた炎と化した。
あっという間に、わたしたちは、暗闇に浮かぶふたつの灯火となっていたのだった。
ただ、わたしたちそのものである炎には、決定的な違いがあった。
わたしの身を包んだのが赤い炎だったのに対して、『水島美穂』の体から生じているのは青白い炎だったのだ。
それが、わたしと彼女が決定的に違った存在であることを示しているようで、わたしは胸の奥で、昏い感情が身じろぎするのを感じていた。
「ふうん」
両手を目の前にかざし、青白く揺れる炎と二重写しになった自分の体をまじまじ見下ろしてから、『水島美穂』は改めてわたしに視線を向けた。
「わたしが、水島美穂ね。どうして、そう思ったの?」
屈託のない笑顔が向けられる
わたしの姿を映し出した瞳に浮かんでいるのは、純粋な興味だ。
そういう性質の少女なのだ。
好奇心旺盛で、明るく、誰にでも好かれる少女。
そんな彼女の性質を、彼女の皮を被ってきたわたしは、よく知っていた。
「ここは本来、あなたのご主人様と、彼の眷属しか訪れることのできない空間でしょう? そこに、あなたのいうところの『水島美穂』がいるのは、おかしいんじゃないのかな?」
「そんなことはないよ」
わたしはかぶりを振った。
「高屋純だって、言ってたでしょう? 水島美穂は、わたしのなかにいるんだって。わたしがここに来れるのなら、わたしのなかにいるあなただって、ここに来れてもおかしくないわ」
あのときの高屋純の言葉を、わたしは否定することができなかった。
狂っていればこそ、彼は真実を見抜いていたからだ。
わたしのなかには、確かに水島美穂が存続している。
実際、こうして目の前に現れたのがその証拠だった。
だとすれば、それはどういうわけなのか。
それにはきっと、ミミック・スライムとしての、わたしの特異能力が関係していた。
「疑問には思ってたんだ。わたしの擬態能力は、対象のすべてを再現する。たとえば、ファイア・ファングの火炎のブレス攻撃だって、わたしは擬態することができる。だけど、これは普通じゃありえないことなんだよ」
チリア砦から交易都市セラッタへと向かう旅路のなか、いつか開拓村で過ごした夜に、シランさんがご主人様に言っていたことを思い出す。
「モンスターの特異能力っていうのは、そのモンスターに固有の魔力によって生み出されるもの。魔力を持つどんな生き物も、種に固有の魔力の流れを持っていて、それをそのモンスター以外が再現することはできない。だから、モンスターの特異能力を別のモンスターや人間が再現することもできない」
人間から変じるグールでさえ、元の人間とは異なった魔力のパターンを持っている。
だから、ご主人様の魔力がガーベラのものと同じであることに関して、シランさんは危惧の念を抱いていたわけだけれど……そのとき、ふたりが見落としていた事実がある。
その話を傍で聞いていたわたしが、その例外だということだ。
「本来なら使えないはずの他のモンスターの能力を、わたしは使うことができる。それって、他のモンスターに固有の魔力の流れを、再現できているってことなんだよ。だけど、そんなことは普通ありえない。だったらどうして、わたしにはそんなことができるのか……」
それがモンスターとしての特性だから、で片付けてしまうには、ちょっと不可思議なことではあった。
とはいえ、今日この日まで、わたしはこの疑問に答えを持たなかった。
人間だって、死体のお腹を開いて詳しく調べてみるまでは、自分たちの体の仕組みがどうなっているのかなんてわからなかった。
それと同じことだった。
こうして自分の裡にある『水島美穂』の存在に触れたことで、わたしは初めて、自分がどういった生き物なのか理解することができたのだ。
「魔力は魂に宿るもの。魂から溢れ出し、流れるもの。モンスターには、それぞれ独自の魂のかたちがあって、だから、そこから流れ出す魔力も固有のものになっている。とすると、自分の魔力を変える方法はふたつ。グールみたいに『魂の在り方そのものを変える』か……あるいは、ガーベラの魔力を得たご主人様のように『他所から魔力を持ってくる』か」
ご主人様の場合、その特異な固有能力であるパスを介して、ガーベラの魂から魔力が流れ込んでいた。
だったら、わたしの場合はどうなのか。
目の前にいる『水島美穂』が、その答えだった。
「わたしの能力の本質はね……『魂を蒐集すること』なんだよ」
恐らく、わたしたちが魂と呼んでいるものは、死後もすぐに空間に霧散することなく、しばらく肉体に残留する。
魔力が濃い土地では、この残留した魂が変質させられて、肉体に定着し、グールというモンスターが発生しもするのだろう。
以前、ご主人様がグールとなったシランさんの肉体に触れて、理性をなくした彼女の心を取り戻すことができたのも、その肉体に宿っていた魂がシランさんのものであったからに他ならない。
また、だからこそ、モンスター同士の喰らい合いは、ただ倒すだけより大きな魔力の増強をもたらすのだろう。
あれは、肉体に残留していた魂を取り込むことで、本来ならそのまま霧散するはずだった魔力を、直接吸収しているために起こる現象なのだ。
ただし、ミミック・スライムであるわたしの場合は、少し話が違っている。
捕食した魂を魔力として吸収するのではなく、その一部をそのまま自分の裡に保存しているのだ。
それこそが、ミミック・スライムの種族特性。
わたしが擬態したことで扱える特異能力とは、こうして自身の裡に保存した魂から流れる魔力を利用したものなのだ。
だとすれば、本来なら種族に固有のものである魔力のパターンを、わたしが再現できることにも理屈が通る。
なにより、目の前にいる少女の存在にも説明がつけられた。
紛れもなく、彼女は水島美穂本人に他ならない。
そして、その事実はわたしにとって、福音でもあったのだ。
「水島美穂さん」
わたしは、青白く燃える『水島美穂』に語りかけた。
「わたしはきっと、あなたにごめんなさいを言わなくちゃいけないんだと思う。だって、わたしはあなたの存在を剥奪したに等しいんだから」
「……」
「だから、こんなことを頼むのは筋違いだってわかってる。だけどね、どうしてもあなたにひとつ、お願いしたいことがあるの」
「お願い?」
首を傾げる彼女に、わたしは頷いた。
「ご主人様をね、助けてほしいんだ」
わたしの言葉を聞いて、『水島美穂』は目を丸めた。
「真島くんを?」
「うん。ご主人様はいま高屋純と戦ってるでしょ?」
「それは知ってるけど……」
どうやら『水島美穂』は、ある程度、わたしたちの置かれた状況を把握しているようだ。
話が早くて助かる。わたしは話を続けた。
「高屋純はもともと戦闘能力に優れたウォーリアで、そのうえ、固有能力にまで目覚めてる。どういうわけか、ご主人様は『韋駄天』を味方につけていたけど、追い詰められてからの高屋純の底力は明らかに手に余るものだった。このままだと、遠からずご主人様は殺されちゃう」
いまでこそどうにか喰らいついているが、あんな綱渡りの状況はいつ決壊してもおかしくない。
「だから、真島くんを助けてほしいって?」
青白く燃える少女の口元に、苦笑が浮かんだ。
「それはまた、ずいぶんと無茶なことを言うんだね」
「無茶なんかじゃないよ」
「無茶だよ。だいいち、死んでしまった水島美穂に、いったい、なにができるっていうの?」
「できるよ」
断言する。
訝しげな顔をする『水島美穂』を相手にして、わたしはゆっくりと口を開いた。
「わたしのなかには、たくさんの魂がある。わたし自身も含めてね。ただ、姿が見えないところを見ると、こうして形を保っていて、ましてやわたしとは別個の意思を持つのは、相当なレア・ケースみたいだけれど……それでも、ゼロじゃない」
「それがどうかしたの?」
「わからない? わたしのなかにある、意思持つ魂はふたつ。だったら、わたしがわたしである必要はないでしょう?」
少女の可憐な顔立ちに、理解と驚きの感情が広がった。
「……あなた、まさか」
「うん」
頷いて、わたしは告げた。
「あなたに、わたしの全部をあげる。そうすることで、あなたはあの世界に戻ることができるよ」
わたしという存在を使って、水島美穂という転移者を現世に舞い戻らせる。
それこそが、わたしが彼女という存在に見出した『希望』だった。
「どうかな? あなたにとっても、これは悪い話ではないと思うんだけど」
「あなた……」
これは、さすがに予想していなかったのだろう。
しばしの沈黙のあと、『水島美穂』は口を開いた。
「……そんなことができるのだとして、あなたは水島美穂という存在に、なにをさせたいの?」
「さっきも言った通りだよ。ご主人様を助けてほしい」
「そんなの無理よ。忘れたの? 水島美穂は、なんの力も持たなかったからこそ、死ななくちゃならなかったのよ。戻ったところで、真島くんを助けることなんてできないわ」
「ううん。そんなことはないよ」
わたしは首を横に振った。
「だって、あなたは転移者だもの。その身には、莫大な力が秘められている」
「そんなの、秘められたままじゃ意味がないでしょう。いい? 水島美穂は転移者としての能力を覚醒させていなかった。……ううん、そうすることができなかったの」
「そのために必要な、魂の奥底からの願いがなかったから?」
「なんだ、わかっているんじゃない」
小さく吐息をついて、『水島美穂』は肩をすくめた。
「そもそも、常人が簡単に覚醒できるような力なら、誰もが固有能力に目覚めていたはずなんだよ。はっきり言っちゃえば、最初から目覚めていた人間は、単なる馬鹿か、英雄か、あるいは化け物。途中で目覚めた人間は、絶望からの逃避を望んだのが大半ってところでしょうね」
更に、先程より大きな溜め息。
ひょっとしたら、彼女は誰かのことを思い浮かべたのかもしれない。
少女の周りの青白い炎が、内心を表すかのように、ちろちろと揺らめいていた。
「ほんの一握りの人間は、希望を求めて力を手に入れたのかもしれないけれど……そんなのは、本当に強い人間だけだよ。水島美穂は、そうじゃなかった。だから死んだ。それこそ、真島くんのために自分の存在を全部投げ出してもかまわないなんて、あなたみたいに強い感情があれば別だったんだろうけどね」
彼女の声には、どこか羨望の響きがあって……わたしは、思わず笑ってしまった。
「はは。わたしじゃ駄目だよ」
かぶりを振る。
「駄目だったって、過去形で言うべきなのかな」
「あなた……」
「努力は、してきたつもりなんだけどね」
人の体は単なる偽装でしかなく、もとより眠る必要のない体だ。
ご主人様が眠ったあと、夜を徹して延々と試行錯誤したことが、何度あったかわからない。
数えきれないほど試して、同じ数だけ失敗した。
それでも試し続けて、今日まで為し遂げることはできなかった。
だから、悟らざるをえなかったのだ。
「所詮、偽物のわたしには、届かないものがあるんだよ」
わたしは、自分の手を目の前にかざした。
自分のものではない、自分の手だった。
手だけじゃない。
この顔も、体も、髪も、足も、なにもかもが擬態された偽物でしかなかった。
「どれだけ想いを傾けたところで、わたしにはその資格がなかった。あはは。そんなの、最初からわかっていたことではあったんだけどね」
自分じゃ駄目だとわかっていたけれど、ご主人様のためになら頑張れた。
頑張ってみたけれど、やっぱり駄目だった。
これはただそれだけの、当たり前にどこにでもある、残酷な話でしかなかったのだ。
「だからね、本物に託すの」
「託す?」
わたしの言葉に、『水島美穂』は疑問の声をあげた。
「だけど、さっきも言った通り……」
「水島美穂には戦う力がない? ううん。そんなことないよ」
わたしはゆるりと首を振った。
「だって、わたしがあなたの力を秘められたままになんてしないもの」
「それは、どういう……?」
「言ったでしょう? 『わたしの全部をあなたにあげる』って」
わたしは、微笑みを浮かべた。
「当然、わたしの感情だって、全部持っていってもらうわ」
胸を焦がす恋しさも、どうしようもないくらいの愛おしさも。
狂おしいこの感情のすべてを、本物に託すのだ。
「こっちは自分の存在と引き換えにしてるのよ。これで想いが足りないなんて言わせないんだから」
本物の水島美穂には想いが足りない。
偽物のわたしには資格がない。
だったら、そのふたつを合わせればいい。
理屈は至極簡単で、必要なのは覚悟だけだ。
これで、ご主人様を助けるための条件がすべて揃う。
「……そこまでしてでも、真島くんを助けたいの?」
目の前の『水島美穂』が確認するように尋ねてきた。
「あなたはすべてを失うことになるのよ? それでも……」
「かまわない」
躊躇いなく、わたしは答えた。
「そんなの、当たり前じゃない」
わたしの存在を生贄にして、水島美穂は現世に舞い戻る。
唯一残されたわたしの想いを鍵にして、転移者としての彼女の能力は解放される。
わたしはわたし自身のすべてを失うけれど、自分自身より大事なご主人様だけは失わずに済む。
なにもできない偽物にできる、これが唯一のことだ。
後悔なんて、あるはずがなかった。
「だから、お願い。ご主人様を助けて」
「……」
青白い灯火と二重写しになった『水島美穂』は、口元に指を押し当てて、しばし考え込んでいた。
けれど、これは彼女にとって、はなから選択の余地などあってないような提案だ。
「……話はわかったわ」
結局のところ、彼女はひとつ頷いた。
こちらを安心させるような笑顔が向けられる。
ああ。これでわたしの覚悟は報われたのだと悟った。
ご主人様は救われるのだと確信して、これ以上なく安堵した。
「さあ、わたしを食べて」
だからわたしは、穏やかな気持ちで彼女を促して――
「お断りよ」
――告げられた『水島美穂』の言葉に、思考を凍り付かせたのだった。
◆灯火の色に関しては、第2章31話あたりでちらっと出てました。
感想欄で気付いてる方もいらっしゃいましたね。
◆二回更新しています。






