28. 駆け引きとその顛末
前話のあらすじ:
【朗報】主人公、工藤とのタンデムを回避。
28
――工藤が手助けを申し出た、そのすぐあとのこと。
おれが一度ローズたちのいるところに戻ることを思いついたのは、『ベルタに乗って移動すればいい』という工藤の言葉を聞いたときのことだった。
もともと、おれは自分の足で高屋純を追いかけるつもりでいた。
おれより足が速く体力のあるベルタに乗ることができるのなら、移動時間は大幅に短縮される。
そのうえ、工藤が追っ手として先行させたというモンスターのこともあった。
飯野が言うには、高屋は探索隊でもそれほど強いほうではないということだし、最低でも足留め程度はできるはずだった。
さすがにシランたちの待つ場所まで行って帰ってくるのは時間がかかりすぎるし、あまり距離が離れ過ぎるとパスが切れてしまう危険性があるものの、ローズたちを残したところに戻るくらいの余裕はあった。
おれは一度、来た道を引き返すことにした。
……もちろん、ひと悶着あるのは、覚悟のうえでのことだった。
***
おれがベルタに乗って現れると、案の定、飯野は激怒した。
「どういうこと!?」
詰め寄ってくる飯野は足を怪我していて、その動きは見る影もなく鈍い。
けれど、膝立ちになってにじり寄ってくる彼女から、おれはあえて逃げなかった。
胸倉を掴まれて、引き寄せられて膝をつく。
かなり息苦しい。さすが戦闘向けのチート持ち。腕力はおれなんかとは比べものにならなかった。
「ご主人様……っ」
座り込んだ加藤さんの膝の上で抱きしめられたローズが、上半身だけの姿ながら戦意も露わに斧に手を伸ばすのを、おれは目配せをしてとめた。
左手の甲から飛び出したアサリナが飯野の耳に噛みつこうとしていたので、これも抑える。
改めて、おれは飯野に向き直った。
「話を聞け、飯野」
「へえ。なにをどう弁明するつもりよ」
強烈な眼光が、おれのことを見返した。
「やっぱり、あんた、工藤と結託してたんでしょう」
「……」
まあ、勘違いをされても仕方のないシチュエーションではあった。
ちなみに、工藤はこの場に連れてきていない。
彼が飯野と顔を合わせればどうなるのかなんて、火を見るより明らかだったからだ。
ベルタとツェーザー、あとはアントンの分体を数体借り受けると、おれはあの場で彼と別れた。
とはいえ、マクローリン辺境伯の部下だというルイスから、チリア砦を襲った双頭の狼のことは飯野も聞いていたらしく、一目でベルタが工藤の眷属だということは見破られてしまったようだった。
もっとも、最初から隠すつもりはなかったし、これは予想された展開でもあった。
ある意味では話が早い。ポジティブに考えることにして、おれは話を進めた。
「いいから聞け。お前がそう思うのも無理はないが、早合点をするな。工藤には、リリィを助けるために手を借りているだけだ」
「信じられるわけないでしょ!」
「だろうな。だが、本当のことだ。だからこそ、おれはここに戻ってきた」
「……なにそれ。どういう意味?」
詰め寄られても動揺を見せないおれに、不審なものを感じ取ったのだろうか。
やや警戒しつつ怪訝そうな顔をした飯野に、おれは告げた。
「率直に言う。飯野。おれは、お前にも協力を求めたい」
「はぁ!?」
飯野は素っ頓狂な声をあげた。
余程、驚いたのだろう。丸められた目が、徐々に半眼に変わっていく。
「ねえ、ちょっと。あんた、正気?」
飯野の表情と声は、半ば本気でおれの頭を疑っていた。
もちろん、こちらも伊達や酔狂でこの場に戻ってきたわけではない。
「ああ。本気だよ」
「わたしは正気かって聞いたのよ。でも、そっか。本気でそう言ってるのなら、あんた、やっぱり正気じゃないのかもしれないわね」
「酷い言われようだな。どうしてそう思う?」
「どうしてって、当然じゃない。わたしがあんたのことを助けると思うの?」
「まさか」
おれは肩をすくめた。
「もちろん、そんなこと思っていない。工藤には手を借りることになったが、お前はあいつとは違う。おれに手を貸す義理はない。それくらいわかってるさ」
言いながら、胸元を掴む飯野の手首を、こちらから掴み返す。
飯野の肩が、びくんと跳ねた。
「わかっていないのは、飯野、お前のほうだ。おれは別に、助けてくれと泣きついているわけじゃない」
「……わけわかんない。あんた、なにが言いたいの?」
わずかに怯んだ様子を見せた飯野は、直後に負けん気を発揮して眉の間に皺を寄せた。
「そもそも、協力って、なにをさせるつもりなのよ?」
「なにをさせるつもりか……っていうのは、ちょっと人聞きが悪いな。おれはただ、お前にひとつ、提案をしに来ただけだ」
「提案……?」
訝しげな顔をする飯野に、おれは頷いた。
「ああ。飯野には、おれと一緒に戦ってほしいんだ」
飯野の目が、大きく見開かれた。
「お前にとっても、これは悪い話じゃないはずだ。『モンスターなんかを取り戻すために、他の誰かと殺し合おうっていうのか』って、お前、そう言っていたな。おれたちに殺し合いをさせたくないんだろう? だったら、自分でなんとかすればいい。違うか?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい、真島!」
飯野は焦った声をあげた。
「わたしに、あんたたちの殺し合いをとめろっていうの?」
「お前だって、暴走しているいまの高屋をその手でとめることができるなら、それに越したことはないだろう?」
「た、確かに、それができるんだったらいいけど、いまのわたしは……」
飯野は一度、自分の足を見下ろした。
左のふとももには包帯が巻かれ、右の足首は固定されている。
こちらに視線を戻した飯野に、おれは頷いてみせた。
「そうだな。お前は自慢の足を失ってる。だから、こんなところで、らしくもなく燻っているわけだ」
「そ、そうよ」
「だけどな、飯野。いまは状況が変わってるんだよ」
ここまでおれのことを連れてきてくれた双頭の狼に、おれは視線を投げた。
「ベルタに乗れば、いまのお前でも戦えるだろう?」
「あいつに……?」
飯野もベルタに視線を向ける。
数秒経って、はっと息を呑んだ彼女が、こちらに向き直った。
「って、わたしにチリア砦を襲ったモンスターの背中に乗れっていうの!?」
「嫌か? だったら、ここでなにもできずにうずくまったままでいればいい」
「う……そ、それは」
口ごもった飯野に、おれは畳み掛けた。
「お前が戦えば、誰も死なずに済ませられるかもしれない。お前が戦わないのなら、誰かは確実に死ぬだろう。よく考えて、どうするか決めるといい」
飯野は声にならない呻き声をあげた。
「そんなの……そんなの、ずるいわ」
抗議の声は、幾分弱々しいものだった。
「こんな、自分の命を……ううん。『自分の敵の命さえ人質に取る』ような真似をするなんて」
「どう受け取るのかは、お前の勝手だ」
おれは肩をすくめた。
「ただ、さっきも言ったことだが、これはお前にとって悪い話じゃないはずだ」
「それはそう、だけど……」
おれは別に、飯野の弱みに付け込んで、彼女がやりたがらないことを強要しているわけではない。
どちらかといえば、彼女がしたいことに関して助言をしているというほうが実情には近かった。
飯野もそこはわかっているらしい。
それなのに、色よい返事をしないのは……残念ながら、提案したのがこのおれであるからだろう。
人生は巡り合わせというが、そういう意味では、おれたちは出会いが悪過ぎたのだ。
飯野は唇を噛むと、おれのことをきっと睨み付けた。
「……言っておくけど、わたしはあんたが高屋くんを殺そうとすれば、すぐにでも敵に回るわよ?」
「裏切ったら承知しないってことだろう? だったら安心していい。おれとしては、リリィさえ戻ってくるなら、そのあと高屋がどうなろうとかまわないからな」
「あっさりしてるのね。あの子のこと、なんとも思っていないとでも言うつもり?」
疑いがありありと伝わってくる口調だった。
飯野にしてみれば、おれの言動は意図の読めない不審なものなのだろう。
もっとも、根本のところに大きな誤解があるのだが。
おれは半眼になって言葉を返した。
「なんとも思っていないなんて誰が言った。そんなわけないだろう」
「……え?」
飯野は面食らった様子を見せた。
「なにを驚いてるんだ。おれだって人間だ。腹も立てれば、恨みもする。当たり前だろう。忘れているかもしれないから言っておくが、お前に殴られたことだって、ちゃんと根に持っているからな?」
「うっ……で、でも、だったら、どうして……?」
「そんなの、簡単だ」
おれはかぶりを振った。
「リリィを取り戻すほうが、おれにとって百倍大事なことだからだよ」
現状の戦力でも、ただのウォーリア相手の戦いなら、戦術の組み立て次第でいい線までいくだろう。
うまくやれば倒せるかもしれない。
だが、ことはリリィの奪還に関わることだ。
なにがあるかわからない以上、『韋駄天』の協力は取り付けておきたい。
禍根がどうこう言っている余裕なんて、弱いおれにはなかった。
そして、そんな自分だからこそ、飯野に言えることがあるのではないかと思ったから、いまのおれはここにいるのだった。
「おれは、自分にとって大事なものを見失うつもりはない。……飯野、お前はどうだ?」
こちらを見上げる飯野に、おれは問いを落とした。
「え? わ、わたし……?」
ここで尋ねられるとは思っていなかったらしい。
戸惑う飯野を見下ろして、おれは頷いた。
「お前はどうしたい? きちんと考えて、答えを出すといい」
これ以上、言葉を重ねるつもりはなかった。
さっきも言った通り、おれはここに提案をしにきたのだ。
言葉を尽くしたところで、結局、決めるのは飯野だ。
なにが自分にとって大事なのか。
あとは、彼女のなかで決められるべきことだった。
「わたしは……」
飯野はおれの胸元を掴んでいた手を離した。
自分の胸の裡を探るかのように、その目が伏せられる。
そうして彼女が考えていた時間は、ほんの短いものだった。
「……わたしは、高屋くんに死んでほしくないし、殺してほしくもない」
確かめるようにつぶやきながら、飯野は顔を上げた。
勝気な顔だ。意思の強い瞳だった。
変な話だが、そのとき初めて、おれは飯野と目が合った気がした。
「わたしは誰も殺させない。譲れないのは、わたしだって同じよ」
ぐっと手を胸の前で握ると、飯野は毅然とした声で言った。
「わかったわ、真島。手を組みましょう」
***
「決まりだな」
おれはリリィを助けるために。
飯野は高屋をとめるために。
お互いの目的は違うし、仲間になったわけでも決してないが、進むべき道のりが同じなら、手を取り合うことはできる。
共同戦線は成立した。
「それじゃあ、段取りを打ち合わせよう」
「うん」
早速、おれは切り出した。
飯野も異存はないらしく、素直に頷く。
「あ。……ねえ。真島」
しかし、ふと彼女の顔に疑問が宿った。
「その前に、ひとつだけ。いい?」
共闘関係を築けた以上、ここで話をすることにあまり意味はない。
とはいえ、引っ掛かりを残したまま高屋に挑むのも、不安が残るか。
「言いたいことがあるなら言っていい。ただし、手短にしてくれると助かる」
「うん、わかった」
飯野は了承して、口を開いた。
「あのさ、あんたは、自分の提案にわたしが首を縦に振ると思ったから、ここに来たのよね」
「ここに戻ってきたのは『そのためだけじゃない』が……まあ、お前が提案を受けるだろうと踏んではいたのは確かだな」
「どうしてそんなふうに確信が持てたの?」
さっきまでと違って、敵意や疑念のない、純粋に不思議そうな口調だった。
だからこそ、その疑問の言葉はおれの不意を突いたのかもしれなかった。
「あー……それは」
「それは?」
首を傾げる飯野を前にして、おれは頭を掻いた。
本音を言えば、あまり言いたくない。
とはいえ、言いたいことがあるなら言えと許可を出したのは、おれだ。
ここで答えないのは、不誠実だろう。
大きく溜め息をついたあとで、おれは答えた。
「誰も死なせたくないってお前の想いは、絶対に正しい」
「……」
「その想いを、お前は裏切れない。そう思っただけだ」
結局のところ、飯野優奈は善意の人間で、正義感の塊だ。
こんな辺鄙な場所まで、なんの見返りもなく駆けつけてしまうくらいの、お人好しなのだ。
その人格が善性のものであることは、それだけは、疑いようがない。
それが、おれが彼女に共闘を持ちかけた理由だった。
「いろいろと足りないところはあるが、お前は正しい人間だ。だから、おれは……って、どうした」
ふとおれは眉をひそめた。
「え。いや、だって」
飯野は淡く染まった頬を、両手で挟んでいた。
ますます、おれの顔は苦いものになっていったが、それに飯野は気付かない。
「と、突然、そんなことを言われると、ちょっと照れるっていうか。わたしのこと、嫌いなんじゃなかったの?」
「嫌いだが」
「……へ?」
「言っておくが、おれは別に、褒めてないからな」
飯野はぽかんとした。
「いろいろと足りないところはあるが、とも言っただろう。丁度良い機会だから、おれも言いたいことを言わせてもらうが、お前はもう少し考えて行動しろ。この馬鹿」
「ばっ、馬鹿って言った!?」
「言わなければわからないだろう、お前は。ただでさえ、お前のスピードには誰もついていけないんだ。たまには立ち止まって、よく考えろ。馬鹿」
「二度も言った!?」
飯野は酷く心外そうだったが、逆におれは、言いたいことを言い切ったおかげで、なんだかちょっとすっきりしていた。
やっぱり大事な局面の前には、引っ掛かりを残さないほうがいいものらしい。
内心で頷きつつ、なにやら抗議をしている飯野の言葉を右から左に聞き流していると、傍らから声をかけられた。
「あの……すみません、先輩」
「ん。どうした、加藤さん」
ローズの上半身を支えるようにして座る加藤さんは、ちらっと飯野を一瞥してから、おれと目を合わせた。
「お話をしている最中に、申し訳ないんですけれど」
「かまわない。もうお互いに言いたいことは言ったからな」
「わたしはまだ言いたいことあるんだけど……」
抗議の声をあげた飯野のことは黙殺する。
おれは加藤さんに先を促した。
「それで、なんだ?」
「リリィさんの奪還についてなんですけど、えっと……」
「ああ。作戦を組み立てなくちゃいけないな」
少し遠慮がちに切り出した加藤さんに、おれは頷いた。
「相談に乗ってくれるか、加藤さん」
おれが頼むと、加藤さんはちょっとだけびっくりした顔をした。
だが、すぐに彼女は嬉しそうに笑った。
「っ、はい! もちろんです」
「ありがとう、助かる」
「え? ちょっと真島。この子に相談するの?」
疑問の声をあげたのは、飯野だった。
おれは、彼女にちらりと視線をやる。
「聞いての通り、そのつもりだが……ここに戻ってきたのは、『お前に共闘を持ちかけるためだけじゃない』と言っただろう。この場にいる人間だけだと、リリィを取り戻し、高屋の身柄を確保するのはやっぱり難しい。加藤さんの助けが必要だ」
「ずいぶんと信頼してるのね。……まさか、この子もモンスターだったりしないわよね?」
「言いたいことはわかるが、違う。加藤さんは、紛れもなく人間だ。リリィたちと同じくらい、頼りにしているのは確かだけどな」
「先輩……」
加藤さんが小さく息を呑んだ。
頬が上気して、こちらに向けられた目は熱を帯びて少し潤んでいる。
ちょっと大袈裟ではあるが、喜んでくれているらしい。
そんな彼女の反応を嬉しく思いつつ、おれは飯野に話しかけた。
「能力的な面も保証する。もっとも、これについては飯野も身を以って知っているはずだな?」
「……まあね」
飯野は怪我をした自分の足を擦った。
「だからこそ、ちょっと不安なんだけど……」
ちょっと嫌そうな顔だった。
そんな飯野を横目で見て、加藤さんがぼそっとつぶやく。
「……高屋くんの土魔法を正面から防げるのは飯野さんだけですし、彼女を盾にして突っ込むのはありですよね」
「わたしになにさせるつもり!?」
「冗談です」
加藤さんはあっさりと言って、かぶりを振った。
「まあ、発想自体は悪くないように思うんですけど、もったいないですよね。高屋くんを下せる飯野さんの力は、やっぱり、ここぞというところで切るべきカードでしょうから」
「発想としてはアリなんだ。……ねえ、真島。本当に大丈夫?」
無言でおれは肩をすくめた。
加藤さんが必要だと言えば、おれとしては『韋駄天の盾』作戦を決行するのにやぶさかではないのだが、それは言わないでおいてやるのが優しさだろう。
***
それから、全員で情報を共有した。
傷ついたおれの眷属たちの現有戦力の確認。
援軍である工藤の眷属たちの能力の把握。
そして、敵対者である高屋純に対する考察。
それらをもとにして、手早く作戦を組み立てる。
大体の作戦は、おれと加藤さんとで話し合った。
結局、『韋駄天の盾』は使わず仕舞いで済んだのは、飯野としては胸を撫で下ろす気持ちだったかもしれない。
その後、全員ですぐに高屋純を追いかけた。
幸い、彼がキトルス山脈を出る前に追いつくことはできた。
とはいえ、すぐに仕掛けるわけにはいかない。
ガーベラや、アントンの分体が配置につくまで待つ必要があった。
休憩を取っている高屋に気付かれないように十分な距離を取って、おれはじりじりとした時間に堪えた。
「……先行していた王の手勢は、どうやら襲撃に失敗したらしい」
そうして待っている間に、ぽつりとベルタが報告をくれた。
「残念だが、高屋純に手傷はないな」
「わかるのか? ここからだと高屋の姿は見えないが」
「……風下だからな」
擬態によってリリィが獲得したものより鋭敏だろう、本物の狼の嗅覚で嗅ぎ付けたらしい。
工藤が先行させていたモンスターは、およそ三十体。
工藤の言い分が正しければ、奇襲に成功すれば、高屋純を殺せてしまえるくらいの戦力ということだった。
蓋を開けてみれば、怪我もさせられなかったわけだが……。
最悪に近い形で襲撃に失敗したのか。
それとも、ウォーリアの戦力に対する、工藤の見込みが甘かったのかもしれない。
「……濃い血の臭いがする」
ベルタがつぶやいた。
「先行していた王の眷属に生き残りはいないようだ」
「ベルタ……」
「気にするな、もうひとりの王よ。我らに仲間意識はない」
ベルタの双頭の一方が、おれに向けられた。
確かに、朴訥とした喋り方からは、仲間が死んだことに対する感慨のようなものは感じ取れなかった。
「あれは意志なき駒だ。仲間意識など持ちようがない。そして……意志があろうと、わたしも等しく我らが王の手駒であることには変わりない」
ゆったりと尾が振られる。
「王命だ。遠慮なく使い潰せばいい」
「……ねえ、真島。なんかわたし、聞いてられないんだけど」
ベルタの背中にまたがった飯野が顔をしかめた。
足を怪我している彼女だけは、こうして待っている間もベルタの背中に乗ったままでいた。
「虐待されても飼い主に尻尾を振ってる、ペットのわんちゃん見てる気分」
「犬好きなのか?」
「まあね。友達の家がたくさん飼ってたから、よく遊びに行かせてもらったなぁ。あの子が、ベルタのこと見たらキレてるかもね」
「……おい、女」
ベルタが顔を上向けて、飯野に視線を向けた。
「ペットというのはなんだ?」
意外なことに、こちらの会話に興味を惹かれたらしい。
ベルタの質問に飯野が答えているうちに、おれは近くにいる加藤さんやローズと、もしものときの対応について、もう一度話をした。
ちなみに、ふたりともベルタに相乗りでここまで来たが、戦闘には参加しない予定だった。
ここまで連れてきたのも、万が一のことを考えると戦闘能力のないふたりをあの場に置いていくのが危険だったから、というのが大きかった。
そうこうするうちに時間は過ぎた。
アントンの分体の一体が戻ってくると、準備の完了を告げた。
「ご主人様。どうかご武運を」
おれはローズの言葉に見送られて、ベルタに跨って移動を始めた。
なんとしてでもリリィを助けると、心に強く想いを燃やして――。
***
――そして、いま。
おれたちの切り札が、高屋純を撃破した。
「悪いけどね、高屋くん。ここでは誰も死なせないわ」
飯野が口にしたのは、誓いの言葉だった。
高屋純を死なせない。彼におれを殺させない。
そのためにここに来たのだという、宣言だった。
振り上げた細剣の切っ先を、ゆるゆると飯野は下ろした。
その動きは酷く緩慢で、切っ先に付着した赤い命の重みに堪えかねたようにも見えた。
モンスターなら何十と斬っているはずの飯野だが、相手が人間というのは、多分、初めての経験だったのだろう。
殴ったり蹴ったりといった行為が単なる喧嘩の延長上にあるのに対して、刃物で他人の血を流させるというのは、行為に伴う生々しさが違っている。
心理的な抵抗は大きいし、飯野のようなタイプなら尚更だろう。
けれど、いまの高屋をとめるのには殴るだけでは済まなかった。
うしろから飯野の体を支えながら、おれは地面に膝を突いた高屋純の姿を眺めた。
彼の右胸に刻まれた裂傷は深い。
地面には大きな血だまりができている。
致命傷でこそないものの、戦闘続行は不可能だ。
そもそも、通常のウォーリアなら、ガーベラの攻撃を受けて右腕を潰された時点で終わっていてもおかしくない。
そこを切り抜けたのは、彼の執念が為せる業にほかならなかった。
飯野の協力を取り付けていなければ、今頃、おれは拉げた肉塊に成り果てていたかもしれない。
本当にぎりぎりの戦いだった。
おれは支えていた飯野から手を放した。
座り込んだ飯野は置いて、立ち上がる。
「……リリィ」
リリィは地面に転がって、呻き声をあげていた。
高屋が斬られたときに、抱えられていたリリィは硬い地面に投げ出されていたのだ。
普段ならどうってことのない衝撃だろうが、全身を縛り付ける『罪科の縛鎖』で身体能力が落ちているらしい。
早く解放してやらなければ。
逸る気持ちに押し出されるようにして、おれは一歩踏み出す。
「……め」
そのときだった。
リリィが絞り出すような声を出した。
「……だ、め」
「え?」
一歩踏み出した状態で、おれは体を硬直させた。
なにを言われたのか理解できたわけではない。
ただ、不吉な予感が体を縛り付けた。
必死のリリィの声が、耳朶を叩く。
「まだ……終わって、ない……っ!」
……終わっていない?
なにが?
と、思ったおれの背筋に冷たいものが走った。
「ぐ、ぎげっ」
それは、不気味な声。
意味をなさない音の連なり。
「ぎ、ぎぎ、ぎぐ……」
その発生源は、もう戦える状態ではないはずの高屋だった。
顔を俯けた彼は、瘧にかかったようにぶるぶると震えていた。
「が、ぎ、ぎ、ぎ……」
太い血管が浮き出たこめかみを覆うように、左手が頭部を掴んだ。
突き立てられた爪先が皮膚を抉る。その痛みさえ、高屋は感じていないようだった。
「ぐ、ぎぐ、ぐぐっ、ぐぉおぉおおお……ッ!」
高屋は大地に向けて、人のものとは思えないような声で叫んだ。
理性を欠いたその絶叫が、呼び水だったのだろうか。
その体から、ごうと莫大な魔力が噴き出した。
魔力はどす黒い血色の光に変わり、襤褸を纏った少年の体を覆い尽くしていく。
まるでそれは、高屋純が光に喰われたかのような光景だった。
それが、ある意味で的を射た感想であったことを、おれはこの直後に知ることになる。
ほんの一秒ほどで光は消えた。
高屋純の姿も消えていた。
代わりにそこにいたのは、一頭の獣だった。
体高は、二メートルほど。
全身を剛毛が覆っており、毛色は燃え盛るような赤色をしていた。
凶暴そのものの顔は類人猿のものに近い。
飛び出し気味の瞳は、濁った黄色。
口腔からは、サイズが不揃いな牙が上下に乱雑に飛び出して、粘っこい涎を垂らしていた。
醜悪な獣人は、発達した胸筋を逸らすと、理性の欠片もない咆哮をあげた。
びりびりと皮膚が引き攣れた。
臓腑を押し潰さんばかりの圧迫感は、あの樹海でさえ経験したことのないものだった。
「高屋……くん?」
呆然自失としていたおれの意識を我に返らせたのは、飯野のこぼした呻き声だった。
「高屋くんなの?」
よく見てみれば、獣人は高屋の着ていた襤褸の制服を纏っていた。
毛皮が赤いのでわかりづらいが、右胸と右腕には深い傷があり、いまだに血を零している。
あれは高屋純で間違いないらしい。
しかし、なぜ。
いいや、現象自体はありえないというほどのことではないのか。
かつてのコロニーでは、探索隊の二つ名持ちのなかに、己の姿を変化させる能力者がいた。
その名も『竜人』の神宮司智也。
竜に変化する固有能力に目覚めたチート持ちだった。
彼は巨大で神々しい竜へと自分の姿を変えることができたと聞いている。
この姿を見る限り、高屋純の能力は『狂獣化』とでも呼ぶべきか。
ここまでは能力を発動させる素振りも見せなかったところを見ると、制御が自分の意思ではできないタイプの能力なのかもしれない。
言うなれば、おれが常時発動型であるのなら、緊急時発動型。
どうしようもない危難に直面したとき、知性を失う代わりに力を得る。
……考えてみると、高屋の服がほとんど襤褸も同然にずたずたになっていたのは、この『狂獣化』によって体が肥大化したことが原因だったのだろう。
こんな隠し玉を持っていたのなら、工藤が先行させた三十体を超えるモンスターが壊滅させられたのも無理はない。
工藤の言っていた『襲撃がうまくいけば、追い付く必要さえないかもしれない』という言葉を、もっと真剣に考えるべきだった。
これは、直接その言葉を彼から聞いていた、おれのミスだった。
満を持して送り出した工藤の手勢が、高屋の身に傷ひとつ残すこともできなかった原因は、工藤の見込み違いでもなければ、襲撃で下手を打ったことでもなかったのだ。
どちらかといえば、上手くやり過ぎてしまったのかもしれない。
その結果、高屋純から獣を引き出し、壊滅させられることになった。
そして、おれたちもまた、同じ轍を踏んでしまったのだった。
……だが、おかしい。
高屋純は二つ名持ちではなく、ただのウォーリアのはずだ。
少なくとも、誰もがそのように認識していた。
ということは、コロニーで過ごした約一カ月の間、彼はウォーリアとして振る舞っていたはずだった。
能力を隠していたという可能性もあるが……現実問題として、まだ水島美穂が生きていた頃の高屋純に、そんなことをする理由はないように思える。
とすると、コロニー崩壊よりもあとになって、この能力を手に入れたと考えるほうが自然だろう。
おれだって、工藤だって、転移後しばらくしてから、モンスター使いとしての能力を得た。
ウォーリアとしてすでに力を得ている者でも、あとから固有の能力を得ることが可能なのだとしても、不思議はなかった。
無論、相応の切っ掛けさえあれば、だが。
固有能力持ち自体の数が少ないことを考えれば、これは相当のレア・ケースではあるのだろう。
おれや工藤と同じレベルの『切っ掛け』。
高屋の場合、それは恐らく、幼馴染である水島美穂の死を知ったことだ。
そして、だとすれば、納得のいくこともある。
おれたち転移者が手に入れる力は、魂の奥底からの望みを反映したものになる。
だとすれば、高屋純は望んだのだ。
こんな醜悪な獣の姿を。
知性をなくした、獣としての自分を。
命を懸けて守ろうとした幼馴染を惨殺されて。
ただただ力を望み。
それと同じくらい、きっとなにもかもわからなくなることを望んだ。
だったら、これこそが高屋純の絶望の具現だ。
「グオォオォオオオ!」
次の瞬間、知性なき獣が大きく振りかぶった太い腕が、おれに目掛けて、容赦なく薙ぎ払われた。
◆Twitter 始めてみました。
http://twitter.com/higure_mint
活動報告でも、ちょっと触れてます。
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/316835/blogkey/1157884/
更新報告なんかをしていこうと思います。
これまで通り活動報告でもしますが、こちらのほうが便利というか手軽な部分がありますね。






