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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
3章.ありのままの彼女を愛して
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27. 消耗戦

前話のあらすじ:

飯野優奈参戦。

   27   ~リリィ視点~



「なんでっ、どうして……!?」


 鎖で拘束されたわたしを片腕で抱えて、高屋純は山を駆けていた。


 敵を見据えての後退ではなく、我武者羅な全力疾走だった。


 背後には、追いすがるベルタの気配がある。

 正面切っての戦闘ではなく、単なる足比べなら、狼であるベルタは高屋純とほぼ互角のようだ。時折、炎を吐きつつも、付かず離れずの距離を保っている。


 ベルタに追いつかれてしまえば、終わりだ。

 それがわかっているから、高屋純は必死だった。


 もちろん、恐れているのはベルタに追いつかれることではない。

 追いつかれて、戦いになって――結果として、足止めされることだ。


「なんでっ、なんでっ、なんでっ、なんでっ」

「うく……っ」


 抱えたわたしに対する配慮もできない全力の逃走。


「ありえない! なんで飯野さんが、真島に協力してるんだよ!?」


 飯野さんに遭遇したあとの、高屋純の判断は迅速だった。

 目晦ましに土の柱を生み出すと、即座にその場を逃げ出したのだ。


 見事なまでの即断即決だった。

 それだけ、彼は飯野さんの存在を恐れていたのだろう。


 彼我の戦力差からすれば当然といえば当然の判断だし、思い返してみれば、これまでの行動にも、そうしたふしはあった。


 たとえば、わたしが意識を失ったとき、ご主人様は高屋純と遭遇しながら無事でいた。


 やろうと思えば、その場でご主人様を亡き者にすることもできたはずなのに、高屋純はそうしなかった。

 わたしの身柄を確保した時点で、深追いせずにその場を去った。


 これまでに見せた高屋純の振る舞いを考えてみれば、道徳心や倫理観、ましてや同情から、ご主人様を見逃したとは考えづらい。


 ご主人様と一緒にいた飯野優奈を……『韋駄天』を恐れていたから、彼は深追いすることなく、その場を離脱することを優先したのだ。


 そして、いまもそうしている。


「と、とにかく、距離を取らないと……!」

「逃がさないよ」

「ひぃっ!?」


 進行方向右方に現れた飯野さんの姿に、高屋純は泡を食って方向転換した。


 あれだけ必死に逃げていたというのに、回り込まれてしまったらしい。


 だけど、それも当然だった。

 いくら必死になったところで、相手は『韋駄天』なのだから。


 探索隊の最速。

 世界最速の、正義の断罪者。


 奇跡でも起こらない限り、彼女から逃げ切ることは難しい。


 それがわかっていても、高屋純は逃げ続けるしかない。


 彼は狂っているが、計算ができないわけではない。

 自分では飯野優奈に敵わないと判断できてしまう。


 戦いになったら一方的に蹂躙されるだけしかない。それがわかっていれば、奇跡が起きると信じて逃走するしかないのだ。


「ひぃっ」


 飯野さんが姿を現す度に、高屋純は方向を変えて逃げる。


「ひいぃい!」


 わたしのなかに見出した水島美穂を――自分の存在意義を奪われる恐怖に駆られて、走り続ける。


 高屋純の精神は、水島美穂の存在を必要としている。

 いまの状況は、彼にとって絶望そのものに違いなかった。


 だから全身全霊を以って、身に纏わりつく絶望を振り払おうとする。


 ……ひとつまずいのは、彼が自分の抱えている『水島美穂』に対する配慮を失ってしまっていることだった。


「うっ……ぅう……ぁぐっ」


 身体能力が落ちたわたしにとって、この逃走劇は負担が大きい。


 人からかけ離れた筋力で地を蹴る反動が、内臓に響く。

 突き破った茂みが、柔肌を傷付ける。

 振動で吐きそうだ。


 というか……ちょっと。これは、まずいかもしれない。

 少しずつ、意識が遠のいてきている。


 この状況があんまり長く続くと、本気で意識を失いかねなかった。


 いったい、いつまで……。

 と、考えたところで、わたしは眉を寄せた。


「……あ、れ?」


 この状況に、違和感を覚えたのだ。


 なにかがおかしい。

 ……でも、なにが?


 普段より回転の悪くなった頭で、しばらくわたしは考える。

 高屋純に抱えられてなにもできない現状、そのための時間はたっぷりとあった。


 そう。たっぷりと。


「あ」


 そうしてわたしは、自分がなにに引っかかったのか、その一端に辿り着いた。


 いつまでも続いている、この逃走劇。

 これが、おかしいのだ。


「嫌だ。嫌だ! 美穂姉ちゃんは渡さない! もう二度と失ってたまるもんか!」


 必死の高屋純だが、彼はもう詰んでいる。


 なにせ、ただのウォーリアと、二つ名持ちだ。

 戦力差は歴然と言っていい。


 互いの相性による一発逆転も、両者ともに魔法を得意としない近接戦闘タイプであることを考えれば、まずありえないだろう。


 さっさと終わらせてしまえばいいのだ。

 それだけの力が、飯野さんにはあるのだから。


 こんなの、まるでいたぶるみたいだ。

 いまの状況は、なんだか彼女らしくなかった。


「ひっ!」


 わたしがそんなことを考えるうちにも、少年の逃走は続いている。


 これで何度目だろうか。

 また、飯野さんに回り込まれた。


 どこまで逃げ続けても、少年の望む奇跡は起きず――起きないままに、逃走劇そのものが終わりを告げた。


 もつれそうになる足で飛びのいた高屋純が、ついに捕まったのだ。


「なっ……なんだよ、これぇ!?」


 彼の体に纏わりついているのは、張り巡らされた白い蜘蛛の糸だった。


 無論、こんなものが自然に待ち構えているはずもなく――けれど、高屋純には、そこまで思考を巡らせる余裕がない。


 そもそも、蜘蛛の巣が張り巡らされた一帯に自分から突っ込んでしまったこと自体、先を確認もせずに移動せざるをえないほど、追い詰められていたことが原因なのだから。


「く、くそっ」


 絶大な膂力を誇るウォーリアを拘束することは難しい。


 蜘蛛糸を固定していた木々が、力任せにへし折られる。

 あるいは、根っこから引っこ抜ける。


 あと数秒もあれば、蜘蛛糸を引き千切ってしまうこともできるだろう。


 けれど、この状況では、その数秒こそが致命傷だった。

 もう逃げられない。


「あ……ああっ、あぁああああ――ッ!」


 絶望に押し潰された少年が、断末魔じみた悲鳴をあげた。


 そのとき、多分、彼のなかでなにかが振り切れたのだろう。

 もともと箍が外れていた精神が、正常な判断力さえ失った。


「ああああああ!」


 やらないほうがまだましなくらいの、意味のない悪あがき。

 ウォーリアたる高屋純の渾身の魔力が、宝剣に込められる。


「喰らえぇえええ――ッ!」


 生み出された土の柱が、細剣を構えた飯野さんに襲い掛かり――彼女の胴体を、あっさりとへし折った。


「……は?」


 高屋純は、呆気に取られた声をあげた。


「なんだ、それ?」


 拉げた飯野さんの体が、その視線の先で真っ黒な影絵に変わった。


 きっと高屋純も、話には聞いているはずの現象。

 けれど、目の前で起きたことを、ぱっと知識と結びつけることは難しい。


 わたしがすぐにそれがなんなのかわかったのは、以前に見たことがあったからだ。


 ――ドッペル・ゲンガーの、コピー能力。


 そういえば……ご主人様は、あの工藤陸に手を借りていたのだったか。


 彼の眷属には、数多のドッペル・ゲンガーを生み出すことのできるクイーン・モンスター、アントンがいる。

 あれは、その一体に違いなかった。


 ここまでくれば、なにがどうなっているのか、わたしにも把握できた。


 姿を現した飯野さんが、らしくもなくいたぶるような追いかけっこに終始していたのは、彼女が中身の伴わないハリボテだったから。


 逃げる高屋純の前に、その都度、飯野さんが回り込んでいたのではなく、もともと伏せておいたドッペル・ゲンガーのいる場所に、ベルタがうまく追い立てていたのだろう。


 これは狩りの手管で、ベルタは狼だ。

 こうしたことは、お手のものに違いなかった。


 明かされたあとで思い返してみれば、納得のいくこともあった。


 即座に意識を奪われたので記憶は曖昧だが、確かわたしが最後に見た飯野さんは、足を怪我していたはずだ。


 走れるようになるには、優れた回復魔法の使い手が必要だ。


 もちろん、工藤の眷属に回復魔法を使えるモンスターがいないとは断言できない。しかし、仮に回復魔法が使えたのなら、今度はご主人様が小さな怪我をしたままでいる理由がなかった。


 それに考えてもみれば、飯野さんはあれほどの敵意をご主人様に向けていた。


 高屋純もさっき「ありえない」と口走っていたが、それは確かにその通りで、余程のことがない限り、飯野さんがご主人様に力を貸すとは考えづらい。


 全ては仕込まれていたことだった。


 だから……ここからが、本命の一撃だ。


「――よく来たの、高屋とやら」


 背後からの声。


「妾の姉殿、返してもらうぞ」


 眷属最強の白い蜘蛛ガーベラが、誘い込まれた高屋純に牙を剥いた。


 飯野さんとの戦いで傷ついた彼女は、自慢の機動力を失っていた。

 だが、相手のほうから懐に飛び込んできたのなら、それはハンデにはなりえない。


「こ、の野郎――ッ!?」


 振り返りざま、高屋純は剣を薙ぎ払おうとする。


「シャアァアア――ッ!」


 しかし、それに先んじて繰り出されたガーベラの蜘蛛足が、剣を握った高屋純の右腕を穿ち、二の腕をへし折っていた。


「ぎゃあぁああああ!?」


 少年の悲鳴が、山々に響き渡る。

 魔法の力を秘めた宝剣が高屋純の手を離れて、どこかに飛んでいくのを、わたしは息を呑んで見送った。


 ……すごい。

 すごい。本当にすごい。


 まさかチート持ちを、ここまで追い詰めるなんて。


 これなら……と、思ったわたしの鼓膜を、獣のような叫び声がつんざいたのは、その直後のことだった。


「まだだァ!」

「な……っ!?」


 ガーベラが赤い目を見開く。

 高屋純はまだ、諦めてなどいなかったのだ。


「ぐふ……っ!?」


 ガーベラの胸元に、正面から蹴りが入った。

 あっという間に彼女の白い姿は、細い木々をへし折って木立のなかに消える。


「う……そ」


 一瞬の凶行だった。


 凄まじきは、高屋純を突き動かしたその執念だろう。

 蜘蛛足が刺さったままだった右腕は、無理な挙動の結果、半ば引き千切れていた。


 その執念こそが、ガーベラの不意を突き、ここまで温存してきたご主人様の切り札を弾き返したものだった。


「ぐるぅぅあぁあ!」


 間髪入れず、ベルタが迫撃をかけた。

 けれど……駄目だ。一拍、遅い。


「邪魔だァア!」

「ぎゃん!?」


 炎を吐き出そうとしたベルタが、回し蹴りを喰らって地面に叩き付けられる。


「うっ、お!?」


 その結果、背中に乗っていたご主人様と工藤が、ベルタの背中から投げ出された。

 アサリナで繋がれたふたりは、ひと塊になって地面に転がる。


 そんな彼らに、高屋純が振り向いた。


「てこずらせ、やがって……」


 喜悦を含んだ声色は、残虐な予感に震えている。

 わたしの全身に怖気が走った。


 精神的に消耗させられ、武器を失い、片腕を潰されたところで、高屋純がご主人様と工藤陸を纏めて蹴り殺すのに支障はない。


 これからなにが起こるのか想像してしまったわたしは、気が遠くなるような無力感に、胸をいっぱいに埋め尽くされた。


 わたしはなにをしているのだろうか。

 ご主人様をこんな危険に晒しておきながら、なにもできずにただ見ているだけなんて。


 なんて無力。

 なんて無様。


 なにがご主人様の、一番目の眷属だ。


 けれど、そんなふうに自分を罵ったところで、目の前の無慈悲な現実は変わらない。

 どれだけ自分の無力を呪ったところで、わたしにはこの拘束を、どうすることもできなかった。


「だめぇえええ!」

「死ねぇええ――ッ!」


 響いた悲鳴さえ心地良いとでも言いたげに、高屋純は勝利を叫んで地面を蹴った。


 頼るべき眷族を失ったふたりのモンスター使いに抵抗の術などない。

 それが常識的な判断というもので――だからこそ、わたしも高屋純も、理解が追いつかなかったのだ。


「……え?」


 次の瞬間、高屋純の右の胸が、縦に切り裂かれていた。

 目にも鮮やかな血液が噴き出す。


 蹴りを繰り出すこともできず、高屋純は地面に膝をついた。


「なに、が……?」


 呆然とつぶやく彼が見上げた先にあったのは、ご主人様にうしろから抱きかかえられたまま、剣を振り抜いた『工藤』の姿だった。


 鋭い斬撃の動作で、着込んでいた外套は大きくまくれあがって――その下に隠されていた少女の肢体が露になっている。


 膝立ちになった左のふとももに巻かれた包帯が視界に入って……ああ、だからベルタを使ったのかと、わたしは納得してしまった。


「飯野……さん? ほん、ものの……?」

「悪いけどね、高屋くん。ここでは誰も死なせないわ」


 深くかぶっていたフードを取り去った下から現れた飯野さんの顔は、どこか悲しげな目で、変わり果てた高屋純を見詰めていた。


◆飯野優奈参戦

→かと思ったら違った

→かと思ったらやっぱり参戦してた


と、ちょっとめまぐるしい展開でした。


今回は予想できてた人がそこそこいたかも。

あからさま物語的に怪しい格好だとか、状況証拠があったりとかしますが、一番大きなヒントは、一度ぼそっと喋ったときの口調が工藤と違うことでした。気付きましたでしょうか?


◆人物紹介を第二章前半まで追加しました。

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