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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
3章.ありのままの彼女を愛して
80/321

26. 高屋純攻略戦

前話のあらすじ:

わたしはだぁれ?

   26



「……ご主人様」


 攫われてしまったわたしの前に、姿を現したご主人様。


 その姿は泥だらけで、細かい怪我だらけだった。

 とはいえ、狂気に駆られた高屋純に一度は遭遇していることを考えれば、五体満足であるだけでももっけの幸いと言うべきだろう。


 本来は守られるべき存在である彼が、守る側のわたしを救いに来てくれるなんて、あべこべで悪い冗談みたいだけれど。


 やっぱり彼は来てくれた。

 あるいは……来てしまった。


 ご主人様の姿を目にしたわたしの胸に去来したのは、偽りようのない歓喜と、彼を危地に呼び込んでしまった後悔と恐怖――そして、思いがけない困惑だった。


 だけど、それも仕方のないことだと思うのだ。


 どういうわけか、いまのご主人様は、物理的に離れられないアサリナを除いて、自分の眷属をひとりも連れていなかった。


 わたしが意識を失ったそのときまでは、ご主人様の近くにローズがいたはずなのに……。


 彼女はどうしたのだろうか。

 可能性があるとしたら、やはり高屋純との接触の際に、彼女の身になにかがあったというところだろうか。


 大事な妹のことだ。心配になる。

 しかし、体を縛っている鎖の効果か、パスがいまひとつ有効に働いていないため、ローズを含めた妹たちの現状は、目の届く範囲にいるアサリナ以外わからなかった。


 そんなわたしを最も困惑させたのが、姿の見えない眷属たちの代わりにご主人様のまたがる、王者の風格さえ漂う巨狼だった。


 猛々しい頭はふたつあり、腰から五本の触手を伸ばした、異形の狼である。


 姿形こそ変わっているものの、それがベルタと呼ばれる個体であることはすぐにわかった。


 しかし、ベルタはご主人様の眷属ではない。

 もうひとりのモンスター使い――工藤陸の眷属だ。


 そんなベルタが、どういう経緯があって、ご主人様と一緒にいるのか。

 その答えは、どうやらご主人様の前に座っている人物にあるようだった。


「双頭の狼……名前はなんて言ったっけ? あー。ちょっと覚えてないけど」


 わたしと同じ疑問を抱いたらしい高屋が、ご主人様の前に座る『フード付きの外套で全身を隠した人物』を見て、納得したように言った。


「まあいいや。そいつがいるってことは、お前がもう一人のモンスター使い……工藤陸だな?」

「……」


 フードの人物は答えない。……答えられないのか。


 とすると、本当にあれは工藤らしい。

 どうしてここに工藤がいるのかはわからないが、ご主人様はわたしを助け出すために、彼の手を借りたらしかった。


 黙り込んでいる工藤を見て、高屋純は肩をすくめた。


「まさかここで出てくるとは思わなかったな。久しぶり、工藤。……って言っても、これまで話したことはなかったけどさ」


 高屋純と工藤陸は同級生だ。

 この口ぶりからすると、学校内で接点はなかったようだが、それでも顔くらいは知っていたらしい。


 なるほど。だから、工藤はああして顔を隠しているわけだ。

 この分だと、どうやらそれは無駄だったようだが。


「顔を隠して黙り込んでいれば、自分の正体がわからないとでも思った? そうすれば、おれの不意を突けるかもって? だったら残念。おれはいまのお前のことを知ってるよ。多分、そっちにいる真島より、よく知ってる」

「どういうことだ?」


 尋ねたのは、工藤ではなくご主人様だった。


「お前が工藤のことを知ったのは、チリア砦でおれが工藤とやり合ったっていう情報が、エベヌス砦まで伝わったからだろう? それ以上のことを知っているはずがない」

「確かにエベヌスには飯野さんが情報を届けたし、おれ自身もセラッタで合流したときに飯野さんから同じ情報をもらったけどね。おれが工藤のことを知ったのは、それより前だよ」

「そんなはずが……」

「ない? そんなことないさ」


 高屋純は酷く攻撃的な笑みを浮かべた。


「『天からの声』が教えてくれたからね」

「……『天からの声』? なんだ、それは」

「あんたには、こう言ったほうがわかりやすいかな? ……『チリア砦襲撃の協力者』ってさ」


 ふたりの話を聞いていたわたしは、思わず目を瞠った。


「まさか……」


 チリア砦襲撃の影には、第一次遠征隊に参加してエベヌス砦にいた十文字達也と、樹海深部に取り残されていた坂上剛太や工藤陸との間を繋いでいた協力者の存在があった。


 結局、あの場にいなかった協力者が誰なのかはわからなかったものの、それが遠距離通信能力を持ったチート持ちであり、エベヌス砦に向かった第一次遠征隊のひとりであることだけはわかっていた。


 それが今回も裏で動いていたとは。


 わたしは酷く驚いたが、その一方でご主人様の反応はわたしのものと少し違っていた。


 驚きはしたものの、最小限。高屋の言葉に納得したように、苦い表情で舌打ちをしたのだ。


「道理で……リリィの意識を、ああも的確に飛ばせたわけだ。変だとは思っていたんだ。あれは、知っていなければ不可能な手際だったからな」


 どういうことだろうかとわたしは一瞬考えてから、ご主人様の言いたいことに思い当たった。


 わたし自身は意識を失った瞬間のことは覚えていないが、高屋純本人の口から、頭部に剣で一撃を喰らわされたのだと聞いている。


 最短の手順。最適な方法。

 それを為すためには、適切な知識が必要だ。


 だが、どうやって高屋はそれを知ったのか。


 わたしたちの情報は、あまり外部に出回っていない。


 わたしたち自身、なるべく身元を隠さなければならないモンスターの集団であることを考えれば、これは当然のことだった。

 ましてや、わたしが意識を失う条件なんて、あえて吹聴するようなことでもない。


 とすれば、実際にそれを見ていた人間から、情報が伝わったとしか考えられなかった。


 わたしが意識を失った回数は、そう多くない。

 その一回が、チリア砦での十文字との一戦だ。


 あのとき、わたしは十文字に正面から切り捨てられたあと、擬態した頭部を拳の一撃で粉砕されて意識を失った。


 重要なのは、あの場にいた人間のひとりに、高屋が言うところの『天からの声』と通じていた人物がいたということだ。


「……坂上剛太」

「あ。姉ちゃんも気付いたんだ?」


 わたしのつぶやきを耳聡く聞きつけて、高屋純がにこりと笑った。

 そう。モンスター使い工藤陸の、隠れ蓑にされていた少年が、あの場にはいたのだった。


 彼はあのあと、怪我の痛みで気を失って、同盟騎士団によって移送される途中で身柄をベルタに奪還され、最後には工藤の命令により喰い殺された。


 それまでの間、彼が協力者である『天からの声』に、目の当たりにした情報を伝える時間は十分にあった。


 穿って考えてみると、坂上があの場面で逃亡を選ばず、ご主人様に復讐するために砦の近くに留まったことも、『天からの声』とやらとのやりとりでそそのかされたからだという可能性もある。


 どちらかといえば、そうした在り方は『天からの声』というより、『悪魔の囁き』というほうが相応しい。


 以前のチリア砦襲撃の件といい、今回の件といい、その在り方はわたしの背筋を寒くさせるような、悪意あるものだった。


 いったい、何者なのだろうか。

 そう考えたのは、ご主人様も同じだったらしい。彼は険しい表情になって口を開いた。


「高屋。お前は『天からの声』の正体を知っているのか?」

「さあ? 名前を尋ねたときに返ってきたのが、『天からの声』っていう、あからさまにいい加減な名前だったからね。まともに答えるつもりがないのはすぐわかったし。おれとしては、姉ちゃんの情報さえもらえれば他のことには興味なかったから、別にそれでかまわなかったんだよね。だから、本名はおろか、男か女かもわからないよ」

「……話しかけてきたのに、か?」

「『天からの声』っていうのは、あくまであいつがそう言っていただけのことで、電話みたいに声が聞こえるわけじゃなかったからね。頭に直接語りかけてくるみたいな……テレパシーって言えばいいの? ああいう感じだった。あいつ、自分のことはなにも話さなかったし。まあ、その割には、他人のことはベラベラとよく喋ってたんだけどさ。たとえば――」


 高屋純は、ご主人様の前に座る工藤に視線を向けた。


「――工藤。きみと轟美弥のこととかね」


 轟美弥?


 突然出てきた名前に、わたしは戸惑った。

 どこかで聞いたことがあるような気がしたが、咄嗟には思い出せない。

 ご主人様も怪訝そうな顔をしている。


 しかし、他の者の反応は違っていた。


 フードをかぶったままの工藤は、ぴくりと肩を揺らした。

 ベルタはもっとあからさまだった。


「……貴様。我らが王を嘲弄するか」


 狼の唸り声には、明確な敵意と怒気が込められていた。

 すぐにでも襲いかかってしまいそうなくらいに、殺気立っている。


 同じ眷属であればこそ、伝わるものがある。

 それは、主の聖域に土足で踏み入られたことに対する、堪えようのない激情だった。


 そんな反応を見て、少しだけわたしは意外に思った。


 工藤陸の能力は眷属を強制的に従わせる。

 彼にとっては全てが道具。それは、意思持つモンスターが相手であっても変わらないはずだった。


 けれど、いまのベルタは主であり王である工藤のために怒っている。

 それはつまり、両者がただ従わされているだけの関係ではない、ということを意味していた。


 いまは、それが裏目に出ているようだったが。


「落ち着け、ベルタ」


 いまにも暴発しそうだったベルタに声をかけたのは、唯一冷静さを保っていたご主人様だった。


「それに、お前もだ」


 続けて、前に座る工藤の肩をぽんと叩く。


「揺さぶりをかけてきてるだけだ。お前が動揺してどうする」

「……わかってる」


 ぼそぼそと聞き取りづらい声。

 フードをかぶっているのでわかりづらかったが、工藤は頷いたようだった。


 そんなご主人様たちのやりとりを見て、高屋純はつまらなそうに鼻を鳴らした。


 ご主人様がこの会話のなかで少しでも情報を得ようとしていたように、高屋純もまた、あわよくばこのやりとりを通じて工藤を動揺させようとしていたらしい。


 現状、ご主人様の傍にいるのは、わたしたち心通わせた眷属ではなく急造のチームだ。

 ちょっとしたことで、戦闘能力がガタガタになりかねない。


 そこを狙ってくるあたり、狂っているとはいえ、高屋純はきちんと判断力を保っている。


 厄介だった。


 いまのような冷静な判断ができる以上、隙を突くことでご主人様が高屋純との隔絶した実力差を覆すことは難しいだろう。わたしの存在が足枷になるにせよ、それでどこまで差が詰まるものか。


 どうにかして勝機を探ってほしいところだが……当初の目論見が外れた以上、高屋純にこれ以上会話を続ける理由はなかった。


「逆上して襲いかかってきてくれたら楽だったんだけどなぁ。まあいっか。それで……なんだっけ?」


 殺意を込めた声で、高屋純はご主人様に尋ねた。


「美穂姉ちゃんを返せ、だったっけ? なあ、真島ぁあ」


 大事なものに手を出される――そう感じたのだろう少年の体から、憎悪がどろりと溢れ出した。


 まるで煮え立つ魔女の釜だ。

 掻き混ぜられた感情はどろどろになって、沸騰した激情が空間を侵していく。


 けれど、ご主人様は怯まなかった。

 この場に来た時点で、覚悟なんて決まっているとでも言うように、泰然とした態度で返す。


「ああ。返してもらう。そのために、おれはここに来たんだ」

「こいつ……」


 高屋純は表情を歪めた。

 ぎりぎりと歯軋りの音が響く。


「……勘違いするな。姉ちゃんはお前のものじゃない」

「いいや」


 ご主人様は、軽くかぶりを振った。


「リリィはおれのだ」

「……!」


 言い切られたことに、不覚にもどきりとした。


「リリィはおれの眷属で、おれはリリィのご主人様だ。他の誰にも、ごちゃごちゃ言われる筋はない」


 ご主人様らしくもなく、ちょっと強引な物言い。

 それだけ強い覚悟を胸に、彼はこの場に臨んでいるのだろう。


 それは嬉しい。

 嬉しいけれど……。


 けれど、相手はウォーリア。チート持ちだ。

 いまのご主人様が相手にするのは、あまりに無謀な敵であるように思える。


 現在のご主人様の傍にいるのは、工藤の眷属だ。


 能力の性質上、工藤が従えるモンスターの個々の力には上限がある。

 ベルタは以前に会ったときより強化されているようだが、それでも、戦闘能力はわたし以下だろう。


 それに加えて、ご主人様とアサリナが加わったところで、ウォーリアを相手にするには厳しい。


 せめてガーベラが……それも、万全な状態での彼女がいれば、互角にも戦えるかもしれないけれど。


 ……駄目だ。やっぱり無謀過ぎる。

 当たり前の結論に至り、わたしは唇を噛んだ。


 現状をどうにか打破する方法はないだろうか。

 高屋に片腕で抱えられたまま、わたしは目まぐるしく思考する。


 ご主人様を守る方法。

 いまのわたしにも手伝えるような方法。


 この身がどうなったってかまわない。それが見付からないと、ご主人様は……だったら、わたしなんて……。


「リリィ」


 と、名前を呼ばれた。


 顔を上げる。ご主人様と目が合った。

 わたしの顔は、きっと酷く強張っていたのだと思う。


 それを不安の表れと解釈したのか、ご主人様が微笑みを向けてくれた。


「大丈夫だから、もうちょっと待っててくれ」

「あ……」


 わたしは言葉を返そうとする。


 けれど、その前に――少年の怒りと狂気が爆発した。


「ふざ……けんな。ふざけんなぁあ!」


 叫ぶ高屋純の形相は、酷く歪んだものだった。

 わたしたちが一言でも言葉を交わすのが、堪えがたい苦痛だとでも言うように。


 それも当然のことだろうか。

 見たいものしか見えない。正しい事実なんて認識したくない。


 そう願う少年にしてみれば、わたしたちが交わす会話の一言一言が、自身の幻想に罅を入れる、楔の一打ちに他ならないのだから。


「姉ちゃんはもう誰にも渡さない! 誰にも! 誰にも――ッ!」


 高屋純は咆哮する。

 そうすることで、目の前の現実を否定する。


 宝剣が光を発して――煌びやかに、死を呼び寄せた。


「避けろ!」


 ご主人様が警告を発した。

 その直後、彼を背負うベルタの直下の地面から、吹き出すように土の柱が生える。


 打ち上げられる一突きを、ベルタは身を捩って避けた。

 だが、攻撃はそれで終わらない。


「くるぞ、ベルタ!」

「……わかっている。掴まっていろ」


 ご主人様に応じたベルタが駆け出す。あっという間に、その姿は灰色の風となった。

 常人ではまるで追いきれない速度。通常のファイア・ファングより一回り大きい体躯ながら、数割増しの速度で異形の狼は森を走る。


 しかし、それはウォーリアの動体視力を超えるものではなかった。


「おれの前から! 消えろ、真島ァア――ッ!」


 チート持ちの膨大な魔力が、宝剣に注ぎ込まれる。


 地中から突き上がる土柱が、駆けるベルタに襲いかかった。

 次から次へと土の柱が乱立する光景は、まるで高屋純の嚇怒と狂気がない交ぜになって、凶悪なまでの質量として具現化しているかのようだった。


「ぐるるる……」


 三メートルを超える巨体を翻して、ベルタが土柱を避けて疾走する。


 その背中で、ご主人様は工藤をうしろから抱えるようにして、必死でしがみついていた。

 ベルタの触手はふたりの腰に巻き付いて、彼らを背中に固定している。そのうえで、アサリナがご主人様と工藤の体を結んでいた。


 それくらいしなければ、振り落とされてしまいかねないのだ。

 地を駆け続けるベルタの影を追いかけて生え続ける土の柱が、ありふれた山の景色を異界のそれへと変えていく。


 ベルタはどうにかしてこちらに近付こうとしているようだが、高屋純の攻撃はそれを許さない。

 ありあまる魔力を投入した魔法による遠距離攻撃。一見、消極的なようにも思えるが、こうすることで高屋純は、一方的に攻撃可能な状況を保ち続けている。


 ベルタもいずれ避けきれなくなる。このままでは、じり貧だった。


「ぐぅるあぁああ!」


 ベルタ自身も埒があかないと判断したのか、双頭の一方がこちらに向けて口を開いた。


 口腔から炎が溢れ出し、一直線にこちらに迫る。

 このままではわたしも巻き込まれてしまうコースだが、十分に距離がある以上、この程度の攻撃を通す高屋純ではなかった。


「はっ! この程度!」


 炎の行く手を遮って、土柱が生み出される。

 いとも容易く、ベルタの吐き出した火炎は防がれてしまった。


 これがチート持ちとの実力の差。残酷な現実だった。


 むしろこの攻撃が好機とばかりに、高屋純は嗤った。


「喰らえ!」


 地面から斜めに飛び出した土柱が、ベルタの死角から襲い掛かる。

 火炎を吐き出したばかりだったベルタは、ほんの一瞬、反応が遅れた。


 巨狼の土手っ腹に、土柱が直撃して――


「なっ……!?」


 ――緑色をした防御膜が、その一撃を喰い止めていた。


 土柱とぶつかり合い、相殺し、緑の汚泥が飛び散る。


「よくやった、ツェーザー!」


 稼げた時間は一瞬。けれど、その一瞬の間に、ベルタは駆け抜けていた。


 絶対の一撃を喰らわせたと、そう確信していたのだろう高屋純は凍り付いた。

 その隙に、みるみるベルタは距離を詰める。


 我に返ったときには、もう遅い。

 ――それが常人であったのなら、遅かったはずだ。


「くそっ」


 ウォーリアの身体能力を以ってすれば、そう易々と敵に接近を許すことはない。


 側面から襲い掛かろうとするベルタから、高屋純は大きく飛び退って距離を取った。


 そのまま、戦闘は山を移動しながらの目まぐるしいものに移行した。


「ぐぅるるぅおぉおお!」


 ベルタの炎が森を舐める。


 土柱を利用して、あるいは木々を盾にして、高屋純は炎を避け続ける。

 わたしを小脇に抱えているとは思えない、悪魔のような身のこなしで、ベルタを寄せ付けない。


「こんなものが当たるか!」


 この距離を保っていられるなら、いつまでだって避けていられるだろう。


「それは、わたしも同じだ」


 対するベルタも、高屋純の繰り出す土柱の直撃を喰らわない。


 高屋純の持つ宝剣は、同時に二本以上の土柱を作り出せないようだったが、ウォーリアの膨大な魔力を注ぎ込まれた宝剣は、回避された次の瞬間には、間髪入れずに次の土柱を形成していく。


 ベルタはこれを避けきれない。

 だが、たまに喰らう一撃を、狼の体に纏わりつく緑の汚泥が防御する。


 ツェーザーと呼ばれていたあれも、工藤の眷属なのだろう。

 緑の防御膜は攻撃を喰らうたびに土の圧力に負けて飛び散っているが、ベルタが避けるだけの時間を稼ぐのには、それで十分だった。


 戦いは、互いに決め手を持たない膠着状態に陥っている。

 この距離を保っている限り、いつまで経っても状況は変わるまい。


 それは、戦っている高屋純自身が一番よくわかっているのだろう。

 さっきよりもいっそう腹立たしげに、がりがりと歯軋りの音を響かせた。


「……鬱陶しい」


 低い声でうめく。


「鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい……っ!」

「うくっ!?」


 突然、慣性が襲い掛かってきて、わたしは肺を潰された。

 焦れた高屋純が、前に出たのだ。


「……殺す」


 これまでの安全を最優先した戦い方から、ほんのスプーン一匙分のリスクを冒した戦いに。

 たったそれだけで、ここまで吊り合っていた天秤が、大きく死に傾く。


「ぐるおぉおおぁああっ!」


 後退一択だったこれまでとは一転して、向かってくる高屋純を、ベルタは双頭から吐き出す炎のブレスで迎撃した。


 際どいタイミングながら、高屋純は目の前に土の柱を生み出すことで、これを防御する。


「うらぁあ!」


 更には、自分で生み出した柱を、真っ直ぐ蹴り倒した。


「ぐるるっ……!?」


 正面にいたベルタは、炎のブレス攻撃では倒れてくる土柱を焦がすことしかできないと気付いたのか、押し潰される寸前に、横っ飛びにこれを回避する。


 そのときには、高屋純は『倒れつつある柱の上を真っ直ぐに走り抜けて』、逃げるベルタのすぐ傍にまで迫っていた。


「……死ねよ」


 それは既に、剣の間合いだった。

 本来魔法を得意としないウォーリア高屋純の、必殺の間合いと言い換えてもいい。


 わたしは為す術もなく、目の前の出来事を見ていることしかできなかった。


 襲いかかる高屋純。

 迎撃をするベルタが足をとめて、ずらりと牙の並んだ大口を開く。


 その背中で、ご主人様は高屋純を睨み付けている。

 絶体絶命の状況に強張った顔。けれど、彼の目は諦めていない。いいや。それどころか、引き攣った口元が強気に吊り上がっていて――


「……なッ!?」


 ――ベルタが足をとめた脇に立つ木の影から、新たな人影が飛び出したのは、まさにその瞬間だった。


 その姿を見て、高屋純が大きく息を呑んだ。


 プリーツ・スカートの裾が翻る。

 片手に握るのは、美しい細剣。

 黒く艶やかな長髪がたなびいて、まっすぐな瞳が、堕ちた少年の姿を映し出す。


「うっ、おぉぉおお!?」


 悲鳴をあげて、高屋純は全力全霊で飛び退った。


「う、そだっ。なんであんたが!?」


 狼狽し切った高屋純を、凛とした眼差しが睨み付ける。

 形勢が一瞬で覆る。それも当然。戦局の天秤の片皿に載せられたのは、それだけの重みを持った存在だったのだ。


「なんであんたがここにいるんだよ、飯野さん!?」


 ――『韋駄天』、飯野優奈。

 この世界でも最強クラスの戦士が、狂気に堕ちた少年の前に姿を現していた。

◆下部に登場人物紹介を追加してみました。


登場人物紹介の活動報告ページに飛べます。



活動報告はすぐ流れてしまってアクセスが悪いので、

とりあえず、こういうかたちにしてみました。


まだ一章までですが、そのうち時期を見て追加する予定です。

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