25. 狂気が導くひとつの答え
(注意)二日前にも投稿しています。
25 ~リリィ視点~
――そうして、わたしは目を覚ました。
「ん、ぅ……うう」
意味のない呻き声が出た。
意識が混濁している。
覚えのある感覚だった。
これは、そう。擬態した脳髄を破壊されたときに特有の、意識の途絶――……。
「あ、起きたんだね。美穂姉ちゃん」
「……っ!?」
わたしは跳び起き――ようとして、バランスを崩した。
「わっ!?」
がちゃりと硬いものが擦れる音。なぜか腕が動かない。
思いもよらず体の動きが阻害されて、体勢が崩れてしまい――
「っと、危ないなぁ」
――転倒の寸前、わたしは誰かに抱き留められた。
「まったく。気をつけなよ。おれだって姉ちゃんのことはきちんと見守ってるつもりだけどさ。それでも、万が一ってことはあるんだから」
気遣いに満ちた少年の声が、耳朶を打つ。
為されるがままに、もう一度、わたしは地面に座らされた。
「えっと」
寝起きのハプニングに混乱する。
そんなわたしの頭に最初に思い浮かんだのは――転びそうになったところを助けられたことに、まずはお礼を言わなくちゃ、という極々常識的な発想だった。
「あ、ありがと……」
しかし、わたしはお礼の言葉を最後まで言い切ることができなかった。
「……なに、これ?」
腕の上から何重にも鎖が巻きつけられた、いまの自分の状態に気付いたからだった。
反射的に、わたしは腕に力を込めた。
鎖の環状の部品が、じゃぎっと耳障りな音を立てた。
それだけだった。
壊れもしなければ、歪みもせず、緩みさえしない。
「な、なら……!」
擬態を解いて不定形なスライムの体に戻ることで、鎖の戒めから逃れようとする。
できなかった。
「ど、どうして?」
普段当たり前にできていることが、なぜかできない。
それで、遅ればせながらわたしは気付いた。
「この鎖……魔法道具?」
恐らく効果は、巻きつけた対象の拘束・弱体化といったところだろうか。
思い返してみれば、鎖を引き千切ろうとしたときも、妙に力が入らなかった。
血の気が引く思いがした。
いまの自分がただの小娘同然だということが、体感的に理解できてしまったからだ。
「あなたは……」
わたしは全ての原因であろう人物へと、怖々と目をやった。
「ん? どうしたの、美穂姉ちゃん」
びりびりに破けて擦り切れた制服を着た少年が、こちらを見下ろしていた。
一見すると浮浪児のようだが、不潔さはない。
襤褸切れのような制服も小奇麗で、腰に下がった剣などは明らかに高価なものだとわかるだけに、どうにもちぐはぐな格好だった。
さすがに普段はこの上から外套を着込んでいるらしいが、いまはその外套は、座り込んだわたしのお尻の下に広げて置いてあった。
「変な顔してるね。まさか、おれのこと忘れちゃった?」
冗談めかした調子で少年は言った。
実際、知った顔ではあった。
正確には、わたしの保持する水島美穂の記憶のなかにある顔だった。
「……高屋、純」
水島美穂の幼馴染にして、チート持ちのウォーリア。
第一次遠征隊に助けを求めるために、森を単身踏破して、エベヌス砦に辿り着いた少年が、そこにいた。
「あなた、どうして……?」
「嫌だな、姉ちゃん。そんな他人行儀な」
頬を掻いて、高屋が言った。
「いつもみたいに、純って呼んでくれよ」
「……」
もちろん、呼べるわけがなかった。
正直、状況がまったく掴めなかった。
意識の混濁は、既に収まっている。それなのに、わたしが思い出せたのは、山を歩いてご主人様と合流した瞬間までのことだった。
それ以降はわからない。気付けば、ここで拘束されていた。
いったい、あの場でなにがあったのか。
わたしの身に、なにが起きたのか。
なにより、ご主人様は無事なのか……。
「あ! ひょっとして、姉ちゃん。あの山小屋にほったらかしにされたのを怒ってるのか?」
混乱するわたしに気付いた様子もなく、高屋は話しかけてくる。
「不安な思いをさせたのは悪かったと思うけどさ。これでもおれ、頑張ったんだぜ」
この会話を楽しむような声色で。
親しさに裏打ちされた、ほんの少しの拗ねを混ぜて。
鎖で拘束されたわたしの状態なんて、まるで見えてすらいないかのように。
「……」
相変わらず、状況はさっぱりわからないが……。
この反応、この発言、この態度。
ひょっとして高屋は、わたしが水島美穂ではないことに気付いていないのだろうか?
だとすれば……これはチャンスかもしれない。
わたしはごくりと喉を鳴らした。
意識を失っている間のことについて、うまくすれば高屋純から情報を引き出せるかもしれない。
わたしは内心の動揺を抑え込んで、乾いた唇を開いた。
「……ちょっと訊きたいんだけれど」
「ん。なに?」
高屋は笑顔で首を傾げた。
話しかけられただけで嬉しいとでもいうような、あけすけな態度だった。
「……」
迂闊なことに、わたしは一瞬、そこから続けるべき言葉を見失ってしまった。
「なんでも訊いてよ、美穂姉ちゃん」
高屋純の示す温かみのある好意は、わたしに向けられたものではなかった。
それは、既にこの世にない少女に向けられたものだった。
彼が嬉しそうであればあるほど、楽しげであればあるほどに、向かう先をなくした好意が失われるその感触は虚しいものに感じられて、わたしは言葉を失ってしまったのだった。
「姉ちゃん?」
「――ぁ」
不思議そうな顔をした高屋の呼びかけに、わたしは我に返った。
いけない。いまは、余計なことを考えている場合ではなかった。
確かめなければいけないことは、たくさんあるのだ。
目の前のことに、集中しなければ。
感傷を振り払って、わたしは頭を切り替えた。
改めて尋ねる。
「……わたしは、どうしてここにいるの?」
「あ。それ? まあそうか、気になるよね」
高屋純は、変わらぬ笑顔で返答した。
「おれが姉ちゃんの頭に剣を叩き込んだからだよ」
「なっ……」
なんでもないことのように口にされた犯行の告白に、わたしは絶句した。
「痛かった? でも、ごめんね。そうでもしなくちゃ、いまの姉ちゃんは気絶しないみたいだからさ」
目を覚ましたそのときに、拘束されたわたしの目の前にいたのは、ここにいる高屋純だ。
その時点で、彼がわたしを拘束した犯人か、あるいはその一味であることは、まず確実なことだった。
そして、ミミック・スライムであるわたしが気を失っていたということは、意識を保てなくなるような大きなダメージを受けた可能性が高い。
素直に考えるなら、高屋純から不意打ちを受けたということになる。
けれど、わたしはむしろ、彼がなにか特殊な拘束の魔法道具でも使ったのだろうと考えていた。
咄嗟にそう考えるくらいに、わたしに対する彼の態度は親愛に満ちたものだったのだ。
「あなた、知ってるの……?」
混乱のままに、わたしは尋ねた。
「知ってるよ、もちろん」
あくまで軽い口調で、高屋は答えた。
「姉ちゃん、スライムに喰われたんだよな。でもって、その体はスライムのものだ」
目の前の少年を見詰めたまま、わたしは二の句を継げなくなった。
――水島美穂が死んだことも。
――彼女の遺体をわたしが取り込んだことも。
――わたしが水島美穂の姿を借りたモンスターであることも。
全てを高屋純は知っている。
それでいて、彼はわたしのことを水島美穂として扱っているのだ。
そんなの矛盾している。
……壊れている。
どうしてこんなふうになってしまったのか……とは、思わなかった。
むしろそれは、きっといまこの世界に生きている誰よりも、わたしが理解できることだったからだ。
わたしのなかには、亡くなった水島美穂の記憶がある。
幼馴染である高屋純との思い出だって、当然、そこには含まれている。
記憶のアルバムは、わたしの擬態能力の限界から酷く劣化していて、色は滲んで輪郭は曖昧になって、ページの数割は欠落してしまっている。
それでも、高屋純という名の幼馴染を水島美穂が好ましく思っていたことは知っていた。
それは、成長するにつれて少年が抱くようになった淡く甘い感情とは違うものだった。
けれど、幼い頃から時間を重ねた者に対する、特別な親しみがそこにはあった。
思うに、水島美穂は賢明な少女だったのだろう。
高屋純が胸に抱いている淡い感情が、幼馴染への特別な親しさと、年上の女性への憧れが入り混じったものでしかないことを悟っていた。
高屋純が告白には踏み切らなかったのは、ある意味、彼女の推測が当たっていた証拠とも言える。
高屋の初恋は、幼馴染としての関係を崩してでも……と思えるほどの質量を持っていなかった。そのままの生活が続いていれば、それはいずれほろ苦い初恋の思い出に変わったかもしれない。
だが、そうはならなかった。
異世界への転移が、他の多くの者たちと同様に、彼らの未来を捻じ曲げた。
二度と家には帰れない。
家族に会うこともできない。
それどころか襲いかかってくる化け物に殺されて、明日の命があるかどうかも定かではない。
程度の差こそあれ、誰も彼もが追い詰められていた。
高屋純も、そのひとりだった。
水島美穂の知る高屋純は、子供っぽくやんちゃで、だからこそ、幼い脆さを持った少年だった。
結局、彼は自分の精神の支柱を、淡い初恋に求めることになる。
水島美穂はそんな彼の変化に気付きつつも、なにも言えなかった。
それが彼にとって必要なことだと、理解していたからだ。
他の誰かのためになら頑張れる。
そうすることしか、まともではいられない。
好きな人のためだったからこそ、高屋純はたったひとりで樹海を横断するという孤独と苦痛にも堪えられた。
だから、その対象である水島美穂が無残な死を迎えたときに、彼の心もまた、呆気なく支えの全てを失ったのだ。
彼の目にはもう、見たいものしか見えていない。
「美穂姉ちゃんは渡さない。もう二度と、誰にもだ」
独り言のようなつぶやきには、暗い熱がこもっていた。
「喜んでよ、姉ちゃん。それだけの力が、いまのおれにはあるんだ」
かちゃりと、高屋の腰にある剣が音を立てる。
そこで、わたしはふと鼻先にかすかな鉄錆の臭いを感じた。
普段のわたしなら、ファイア・ファングの嗅覚によってすぐに気付いたはずの異臭。
血液と臓物の臭い。
振り返ったわたしは、息を呑んだ。
「なっ……嘘」
わたしたちがいる場所から少し離れたところにあったのは、まさに屍山血河というべき光景だった。
たくさんのモンスターの死骸が散らばっている。
何十匹いるのだろうか。確かにキトルス山脈は人里離れてモンスターの多い土地ではあるが、それにしても異常な数が死んでいた。
見る限り、高屋純には目立った怪我もない。
いくらチート持ちのウォーリアにしても、それは異常なことに感じられた。
……ひょっとして、あの剣だろうか。
あれがなにか特別な魔法道具であるのなら、可能性はあるが……。
「おれは強くなった」
向き直ったわたしに、高屋純は語り掛けてくる。
たったひとりに対する温かさと、それ以外のものに対する絶対零度の酷薄さが、背中合わせになった微笑みを浮かべて。
「だから、姉ちゃんは安心していいんだよ。たとえ、誰がやってきても、姉ちゃんのことは渡さないから」
殺意を込めた声を聞いて、わたしは戦慄を覚えた。
……ご主人様が危ない。
直前に『韋駄天』との戦闘があったせいで、ご主人様の戦力は大幅に目減りしている。それでもご主人様なら、どうにかして勝算を立てて、捕まったわたしのことを追いかけてきてくれるに違いない。
しかし、高屋純の戦力をきちんと見積もることができていなければ、その勝算も破綻する。たとえば、あの剣のことを知らなければ、ご主人様が返り討ちにされてしまう可能性は高いだろう。
「待ちなさい。高屋純」
そんなこと、許すわけにはいかない。
微笑む少年を、わたしはきっと睨み付けた。
「わたしは、水島美穂じゃないわ。わたしはリリィ。あなたの幼馴染の水島美穂は、もう死んでる」
これが危険な発言だということは自覚していた。
まず高屋が、水島美穂の死を認めることができるかどうかがわからない。
そして、仮に認めたとしても、今度は高屋にとってわたしは、彼の大事な人間の姿を奪ったモンスターだ。なにをされてもおかしくない。
そうでなくても、精神の均衡を欠いているいまの彼には、なにが導火線になって爆発するかわからないのだ。
自分の身の安全だけを考えるなら、これは迂闊な発言だった。
それでも、ご主人様が危険に晒されるより、ずっとずっとマシだった。
「死んだ? 姉ちゃんが?」
高屋純は笑顔を消して、わたしをじっと見詰めた。
感情のなくなった蝋人形めいた視線に肌が粟立つが……かまわない。続けた。
「ええ。水島美穂はもういないの。いくら想ったところで、彼女を守りたいっていう、あなたの願いは叶わない」
もう二度と、永遠に。
高屋純という名の少年が報われることはない。
「……」
残酷な事実を前に、彼はなにを感じたのか。
あるいは、感じなかったのか。
無言の時間は長く感じられたが、実際のところは、せいぜい十秒ほどのものだったのだろう。
「……そうだ。美穂姉ちゃんはもう死んだ」
ぽつりと高屋純はつぶやいた。
「ここにいるのは、姉ちゃんの遺体を喰べたモンスターだ」
背筋が冷たくなるような、虚ろな声だった。
目の前の少年のなかで水島美穂ではなくなった瞬間、わたしは首を刎ねられるのだろう。
そう確信したわたしに対して、高屋純は告げた。
「だけど、それがどうしたっていうのさ?」
覚悟していた死刑宣告――ではなかった。
かといって、わたしの話が通じていないわけでもなかった。
「あんたは、美穂姉ちゃんだろ」
「……え?」
わたしは間の抜けた声をあげて、高屋を見上げた。
そこには、再びの笑顔があった。
無条件の好意があった。
そして、透き通るほどに純粋な確信があったのだ。
「……ぁ」
悲鳴のように、吐息が漏れた。
この瞬間、わたしは初めて目の前の少年に――その目に宿る狂気に、悲しみや憐れみではなく、明確な恐怖を覚えた。
「どんな姿になったって、おれにはわかるよ」
こちらを見下ろした高屋の目は、わたしの姿を映しているにもかかわらず、焦点がわたしという存在に合っていない。
けれど、だからといって、彼がなにも見ていないのかといえば、そうではなかった。
見たいものしか見ない狂人の瞳は、だからこそ、普通なら見えないものを捉えたのか。
もっともっとわたしの奥を、その本質を、確かに高屋純は見透かしていたのだ。
「死んだ? 喰われた? だからどうしたのさ。ここに確かに、美穂姉ちゃんはいる。おれには、それがわかるんだ」
「ち、違う。わたしは……」
「否定する? だったら、答えてみせてよ。ここにいるのが美穂姉ちゃんじゃなくちゃ、なんだって言うのさ?」
高屋純が投げかけた問いは、とてもシンプルなものだった。
けれど、それを聞いたわたしの唇は、思いがけず凍り付いた。
わたしが、なんなのか。
これまで考えたこともなかったが。
それはあまりにも、わたしという存在の本質を突いた問いかけだったのだ。
***
ミミック・スライムであるわたしの擬態能力は、対象の全てを再現する。
劣化はあるにせよ、それはほとんど対象の存在そのものの剥奪に等しい。
そんなわたしの能力の行使に、ご主人様は制限をかけた。
同時にそれは、わたしそのものに対する侵食をも意味していたからだ。
しかし、であるならば……そこで侵食される『わたし』とは、いったい、なんだろうか?
わたしは既に、意志ある他者を喰らっている。
もちろん、他でもない水島美穂のことだ。
その影響は、そこかしこに表れている。
たとえば、わたしは昔からずっと、ご主人様たちのために食事を用意してきた。
魔法道具の作製能力を持つローズは他にいくらでもやることがあったし、加藤さんのことを疑っていた頃には、彼女に料理を任せるわけにはいかなかったからだ。
けれど、樹海を抜けて人間世界に足を踏み入れたいまになっても、わたしは旅の間、自ら望んで食事を担当し続けている。
ご主人様に美味しいものを食べてもらいたいと思うからだ。
料理という仕事に楽しさを感じているからだ。
けれど、そんな少女らしい感性は……果たして、誰のものだろうか?
他にもたとえば、飯野優奈が襲来する直前の会話だってそうだ。
わたしたち眷族にとって、ご主人様はみんなのご主人様。ご主人様がなにを気にしているのかは理解できるけれど、ひとりだけの伴侶として選ばれたいとは思わない。
……けれど、これを逆に言えば。
眷族としての感覚は持っているとはいえ、本来眷族が理解できないご主人様の恋愛観を、他ならぬわたしだけは理解できてしまっている、ということでもあるのだ。
わたしのなかには、確かに水島美穂の部分がある。
けれど、だったら、わたし自身はどこにいるのだろうか?
そもそも、わたし自身とは、なんだ?
……わからない。
わたしがなんなのか、わたしにはわからなかった。
***
「……休憩は終わりみたいだね」
高屋純がなにかをつぶやいた。
と、思ったときには、彼はわたしのことを小脇に抱えていた。
「きゃっ」
「追ってくるとは思ってた。姉ちゃんは渡さねえ」
思わず目を閉じたわたしの耳に、敵意を剥き出しにした高屋純の声が聞こえてくる。
目を開けると、累々と転がるモンスターの屍の向こうの光景が、視界に入った。
「……ぁ」
そこにいたのは、双頭の狼だった。
そして、その背中にまたがる、泥と血に汚れた少年だった。
「リリィは返してもらうぞ」
宣言した少年の鋭い眼光が、わたしに移った瞬間だけ優しく緩んだ。
「……ご主人様」
震える唇が、心が、愛しい彼を呼んだ。
◆前回に引き続き、リリィ回です。
他の人には何気ない疑問でも突き刺さることはある、みたいな。
◆書籍版『モンスターのご主人様』の3巻は、明日発売となります。
皆様の応援のおかげです。
Web版ともども、書籍のほうも応援いただけると励みになります。
ローズやケイ、幹彦のラフも公開してますので、興味おありのかたは活動報告をご覧ください。
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