23. ふたつの可能性
前話のあらすじ:
ガーベラ「で、出歯亀!?」
工藤に全部見られてた件。
23
互いにモンスターを引き連れて、おれと工藤は顔を合わせた。
工藤とは、いつかまた出会うことになるだろうと思っていた。
だが、それがまさかこのようなタイミングになるとは、想像できるはずもない。
「お久しぶりです」
細面に微笑みを浮かべて、工藤は親しげに挨拶をしてくる。
おれは返す言葉を持たなかった。
おれたちの関係は、笑って挨拶を交わすことができるようなものではない。
もうひとりのモンスター使い。
起源を同じくして、道を違えた少年。
能力によって心を通わせたモンスターを率いるおれに対して、能力によって首輪をつけたモンスターを従えることを選んだ彼は、紛れもない敵だった。
弱り目に祟り目とは、まさにこのことだった。
現状でさえ手に余るというのに、こんなところでお前が出てくるのか。
いや。こんなときだからこそ、現れたのか。
弱みに付け込みに来たのか。
「……主殿」
そのとき、ガーベラがおれの手を握りしめた。
無遠慮なくらいに、ぎゅっと。ともすると痛いくらいに。
それは、女の子らしくはないかもしれないけれど、とても彼女らしい力強さだ。
「……ありがとう、ガーベラ」
それで、体から余計な力が抜けてくれた。
「もう大丈夫だ」
「うむ」
余裕ができたことで、おれも頭が回り始めていた。
こうして話しかけてきたということは、工藤はすぐさま襲いかかってくるつもりはないらしい。
だったら、どうにかしてやり過ごすこともできるかもしれない。
手を繋いだおれたちのことを、どことなく楽しげに工藤は眺めている。
おれは正面から彼のことを見返した。
「久しぶりだな、工藤」
二ヶ月ぶりになるのか。
別れたときと変わりなく……いや。少し痩せただろうか。それとも、服が現地のものに変わっているから、印象が違っているだけか。
当たり前のことだが、二ヶ月という時間は工藤にも平等に流れている。おれは、工藤に付き従うモンスターに視線を向けた。
彼らも少なからず様子が変わっていた。
影絵の軍団のなかに、彼らを生み出すクイーンたるアントンの巨体はなかったため、彼女についてはわからないが、双頭の狼ベルタのほうは、以前と違って腰のあたりから五本の触手を伸ばしていた。
もともとベルタは、樹海深部のモンスターであるファイア・ファングの奇形だ。
異形の度合いが深まっているのは、モンスターとしての特質か。それとも、多数のモンスターを互いに喰らわせ合うという、蟲毒に近い方法で見出された出自ゆえのことだろうか。
「……ずいぶんと精力的に活動していたみたいだな」
おれの言葉に、工藤は笑って頷いた。
「ええ、まあ。ぼくには目的がありますからね」
「……目的、か」
相槌を打った舌に、ざらりとした苦みが残った。
――ぼくは『魔王』です。人間は救うものじゃない。滅ぼすものだ。
虐げられて、痛めつけられて、尊厳を失い、挙句の果てには命さえ奪われそうになって……。
モンスターを操る自分は、魔王だ。人間に仇為す存在だ。そういうふうに考えることで、自分を辛うじて保った少年は、もうそのようにしか生きられなくなってしまっている。
ある意味では真っ直ぐに、ここ二ヶ月の間、そのための活動を彼は続けてきたのだろう。
その成果の一部が、目の前にあった。
すなわち、ベルタをはじめとした、選りすぐりの眷属というかたちで。
「先輩には会ったことのないものもいますね。紹介します。こちらは、『ダーティ・スラッジ』のツェーザーです」
工藤の着ている服の袖口から、どろりとした緑色の泥のようなものが現れた。
おれの見たことのないモンスターだ。このあたりに生息しているモンスターではないのだろう。わざわざ名前まで付けているということは、恐らくレア・モンスター以上か。
「そして、こちらは『ナイトメア・ストーカー』のドーラ」
続く工藤の言葉に促されて、彼の傍らにいた少女が前に出た。
「お初にお目にかかります。もうひとりの王」
挨拶とともに頭を下げる。
影絵のように髪も肌も目の色も黒い……しかし、工藤の背後に付き従うドッペル・ゲンガーの軍団とは違って、影絵そのものというわけではない少女だった。
明らかに容姿が人間離れしているが、それでも工藤の眷属のなかでは人間に近い部類と言える。
「ドーラは、おれの分体の突然変異体だ」
ドッペル・ゲンガーのうち一体の姿が、少年のものに変わって口を利いた。
背が高く、がっしりとした体格の少年は十文字達也――その姿を、モンスターとしての特性でコピーした、ドッペル・クイーンのアントンの意思を反映する分体だった。
本物の十文字とは違い、精悍な顔立ちに機械のような無機質さを漂わせたアントンは、黒い少女の肩に手を置いた。
「分体としての能力は、なにひとつ備えていない。おれの端末としては不良品だ。だが、その代わりに戦闘能力に長けている。……ひょっとしたら、怪我で弱ったいまのあんたくらいなら殺せるかもしれないな、白い蜘蛛」
「ご丁寧な挨拶痛み入る。それでは、お近付きのしるしに、ひとつ試してみるかの?」
牽制し合う両者の間に、ぴりぴりとした空気が流れる。
そんなふたりを見て、ベルタが狼の頭のひとつをもたげた。
「……やめろ、アントン。王の御前だぞ」
「わかっている」
十文字の姿をしたアントンの分体は、肩をすくめて引き下がった。
ガーベラは鼻を鳴らし、ドーラは黒瞳を伏せる。
「挨拶も終わったようですね」
お互いの眷属同士の小競り合いに一瞥をくれてから、工藤はおれに顔を向けてきた。
「先輩の危機だというのに、すぐに顔を出せなくて申し訳ありませんでした。なにしろ、ここには『韋駄天』飯野優奈がいましたから」
おれのことを工藤の共犯者だと思って、こんなところまで追いかけてきた飯野のことだ。工藤の存在を知れば、容赦なく叩きのめしたことだろう。
その飯野が動けなくなったから、工藤はこうして接触してきたというわけだ。
「……いや、待て。どうしてお前が、おれの現状を知ることができた?」
納得しかけたおれだったが、ふとおかしなことに気付いた。
「そもそも、どうやってここにやってきた? まさか、配下のモンスターに、おれのことをずっとつけさせていた、というわけでもないんだろう?」
「そんなストーカーみたいな真似しませんよ」
「どうだかの」
ぼそっとガーベラがつぶやいたが、工藤は気にせずに続けた。
「ぼくが先輩の危機を知ったのは、セラッタの町ですよ。そこで情報収集をしていたら、きな臭い話が入ってきましてね。折よく『韋駄天』の情報も得られたので、彼女のあとを追いかけさせたというわけです。幸い、彼女は自分の足ではなく、馬を使っていましたから、追いかけること自体はそう難しくありませんでした」
「なるほど。そういう経緯か」
と、納得すると同時に、工藤の口にした単語のひとつが引っかかった。
情報収集。
それもまた、ここ二ヶ月で彼が行っていた活動のひとつなのだろうか。
おれと同じく、モンスターを率いる工藤は人間世界で動きが取りづらいが、彼にもまた人間社会に容易に紛れ込むことのできる眷属がいる。
数多の分体を操るドッペル・クイーンのアントン。
彼女の分体は人間の姿をコピーすることができる。ミミック・スライムのリリィのように、コピーする対象を捕食する必要もない。遠隔操作が可能であることまで考えると、その能力を諜報活動に用いたときの利便性は、計り知れないものがある。
ひょっとすると、アントンの本体がこの場にいないのは、そうした活動の最中だからかもしれない。
いくら遠隔操作可能とはいえ、距離に限界はあるだろうし、本体がここまで足を延ばせなかったというのは、十分にありうる話だ。
あるいは、この場にベルタ、ツェーザー、ドーラという選りすぐりの眷属以外の姿が見えないことを考えると、アントンはそれ以外のモンスターと一緒に、なにかしら別の作戦行動でも取っているのかもしれなかった。
「経緯については理解した」
状況が大体把握できたところで、おれは本題に踏み込むことにした。
「それで、どうしてお前は、わざわざおれのことを追いかけてきたんだ?」
「おや。それについては、さっき言ったと思いますが」
工藤の返答に、おれは眉を寄せた。
確かに、おれの目の前に姿を現した時点で、工藤は自分がこの場にやってきた理由を口にしている。
「……リリィを助けるために手を貸す、と言っていたか」
「ええ。ぼくは、先輩を助けるために、ここに来たんですよ」
疑いを隠さないおれの態度を気にした様子もなく、にこりと工藤は笑った。
「状況は聞いています。先輩の大事なスライムを、高屋に浚われてしまったんですよね? 先輩さえよろしければ、ここにいるぼくの眷属をお貸ししましょう」
「……それがどういうことかわかっているのか?」
相手はチート持ち、ウォーリアの高屋純だ。戦闘には、命の危険が伴う。
ぽん、と簡単に自分の眷属を貸してしまっていいような状況ではない。
だが、あっさりと工藤は首肯した。
「もちろん。高屋との戦いで、先輩の手足として扱ってくださってかまいません」
欠片も躊躇いのない様子だった。
「なんなら、使い潰してもらってもけっこうですよ」
その口調は、まるで消耗品について語るようで……いや。
工藤にとっては従えたモンスターなんて、真実、消耗品でしかないのだろう。
おれとは、眷属に対する意識が違うのだ。
チリア砦でだって、工藤は数百というモンスターを使い捨てた。
あのときは、その全てが意思を持たないノーマル・モンスターだったが、それが意思持つ特別な眷属であったとしても、彼のスタンスは変わらないのだろう。
おれにとってリリィたち眷属が宝石なら、工藤にとっては石ころだ。
投げつけて、相手を傷つけられればそれでいい。わざわざ拾いに行かなくても、そこら中に石は転がっている。
そう考えると、工藤に付き従う眷属たちも哀れだった。
とはいえ、現状、おれには彼女たちに同情を抱いている余裕はない。
おれは軽くかぶりを振った。
「……それで、工藤。お前はその見返りに、なにを望むんだ?」
工藤にとって石ころとはいえ、拾い集める手間はかかっている。
無償でそれを渡してやる義理などないだろうし、なにか見返りを求めるのは当然のことだ。
となれば、それは恐らく……。
「そうですね」
どろどろとした粘液質のツェーザーを服の裾のなかに戻しながら、工藤は一拍の間をあけて尋ねてきた。
「先輩は以前に、ぼくがした提案のことを覚えていますか?」
……やっぱり、そうきたか。
予想できたことではあったが、おれは顔をしかめずにはいられなかった。
「お前が求める見返りは、おれがお前と手を組むことか?」
それは以前、チリア砦からの去り際に、工藤が持ちかけてきた提案だった。
モンスターを率いるおれと、従える工藤。
スタンスこそ違えど……いいや。違うからこそか。おれと工藤の能力は、抜群に相性がいい。互いの穴を埋め合える。
それはすなわち、数多のモンスターが跋扈する樹海を抱えたこの世界を、救うことも、あるいは滅ぼすこともできる可能性だ。
工藤がおれに執着するのも、当然というものだった。
そして、この場合、工藤の提案そのものは法外というわけではない。
手を貸してやるから、自分と手を組め。実にまっとうな取引ではあるのだ。
工藤の能力が強力であることは、おれもよく知るところだ。ここでその手を借りることができれば、リリィ奪還に成功する可能性は高まるだろう。
だが、工藤と手を組むということは、同時に人間世界との決別をも意味する。
到底、呑めるような話ではなかった。
しかし、そんなおれの内心を読んだかのように、工藤は先んじて口を開いた。
「先輩にとっても、悪い話ではないと思うんですけどね」
言い聞かせるような、ゆっくりとした口調だった。
「この世界の人間の社会と接触してから、もうかれこれ二ヶ月ですか。そろそろ先輩もわかっているんじゃないですか? 本当は、どちらと手を組むべきか」
「……」
――モンスターなんかを取り戻すために、他の誰かと殺し合おうっていうの!?
おれの脳裏には、飯野からぶつけられた言葉が思い出されていた。
おれからすれば、酷いと感じられる言葉だった。
しかし、本当の問題は、ああした考えは、なにも彼女だけのものではないということだ。
たとえばだ。ここに、ふたりの人間がいるとしよう。
ひとりは捕えられていて、放っておけば命はない。
だが、もう一方の命を差し出せば、捕えられた人間は助かる。
そんなシチュエーションを仮定しよう。
捕えられた人間の知人が、こうした状況を知ったとして、まともな神経をしていたら、まさかもう一方の人間に「命を捨てろ」とは言わないだろうし、言えないだろう。
命を捨てないのは非人道的だなんて意見は、そうそう出てこない。
だが、これが人間ではなかったら、どうだろうか?
モンスターの、人間ではないなにかの命を差し出せという条件であるのなら、結論は違ってきてしまうのではないか?
ましてや、この世界は常にモンスターの脅威に晒されている。
おれたちが生きていこうとしているのは、そういう世界なのだ。
いまの状況にしたところで、そうだ。
大事にしていたペットを奪われて、奪った犯人を殺し合い覚悟で武器を持って追いかけたと聞けば、眉をしかめる者も多いのではないか?
誰かにとっての宝石が、他の誰かにとってもそうだとは限らない。
モンスターと一緒に生きるというのは、こうした無数のズレや、それに伴う不理解と摩擦とを抱えて生きるということなのだ。
遅かれ早かれ、ああした出来事は起こっていた。
相手が正義感の強い飯野であったことは、むしろ幸運な部類でさえあったかもしれない。
「眷属である彼女たちのことを思えばこそ、先輩はぼくと手を組むべきなんじゃないですか?」
工藤の言い分には、一定の説得力があった。
それは間違いない。
「――話にならんな」
だからこそ、ガーベラの即答は、おれにとって胸のすくものに感じられたのだった。
「貴様が進むのは修羅の道だ。敵を殺し、味方を殺し、己を殺す」
ガーベラは、工藤を強く睨み付けていた。
「主殿に、お主のようになれと言うのか。妾たちのことを石くれのように扱えと?」
「……そのほうが楽なのは、確かだと思いますけどね」
思わぬ横槍であったはずだが、工藤はすぐに立て直した。
「あなたも先輩の眷属であるのなら、彼のために喜んで殉ずるべきなのでは?」
「戯けが。それは楽であっても、幸せな道ではないわ」
ガーベラは、ばっさりと言ってのけた。
「あまり舐めてくれるな。妾が惚れた男は、困難を理由に幸せから背を向けるような腰抜けではない」
「……そうは言うがな、白い蜘蛛」
傲然と顎をあげたガーベラに、アントンが虫のように無機質な目を向けた。
「いくらあんたでも、その惨めな状態でチート持ちと戦うのは荷が重いだろう。ひとりではなにもできない主とふたりきりでは、あのスライムは助けられないのではないのか?」
「ふん。惨めか。貴様の目からは、そう見えるのかもしれんな」
数を減らした脚にちらりと目を落として、ガーベラは鼻を鳴らした。
「だがな、それは大きな間違いだ」
言い切った直後、細身の少女の体から、粘度の高い殺意の奔流が溢れ出した。
さながらそれは蜘蛛の糸。絡めとられたアントンが、たまらず体を強張らせる。
「いまの妾は、強いぞ?」
嫣然とした笑みを浮かべて言ってのけたガーベラは、たとえ最大の武器である蜘蛛脚を数本失っていたところで、アントンが挑発混じりに言ったような惨めさとは無縁だった。
「なにせ念願叶ったばかりだからの。これ以上はない最高の状態だとも。そして、主殿がいるからこそ、妾は力が出せるのだ。ひとりではなにもできぬなどと、知ったような口を叩くな。そんなところに主殿の価値はないわ」
「……」
「口だけは達者ですね」
黙り込んだアントンに代わって口を開いたのは、彼女の分体の突然変異体だという、黒い少女ドーラだった。
「白い大蜘蛛の武器は、鉤爪ではなく、その口先なのですか?」
ガーベラの殺気に反応して、その両手はふた振りの漆黒の剣に変わっている。ドッペル・ゲンガーとしての容姿のコピー能力を持たないというドーラだが、どうやらある程度は体の形を自由に変えることはできるらしかった。
戦意十分なドーラの姿を見て、ほうとガーベラが吐息をついた。
「妾にびびってばかりの三下が生んだにしては、お主、なかなか出来がいいではないか」
「わ、わたしの母を愚弄しますか!」
「むしろ妾としては、出来損ない扱いされていたお主を褒めてやったつもりだったのだがの。こういうのを、主殿たちの世界では鳶が鷹を生むというらしいぞ?」
「貴様……!」
おれのことを馬鹿にされたことで好戦的になったガーベラと、アントンの分体であるドーラの間で、見えない火花が散る。
このままでは話が進まない。結局、主ふたりで止めに入ることになった。
「やめなさい、ドーラ。誰が戦っていいと言いましたか?」
「ガーベラもよせ」
窘めたおれを振り返って、ガーベラは肩をすくめる。一方のドーラは、喉を押さえて膝をつく。工藤が能力を行使したのだろう。
「……妙に殺気立った展開になってしまいましたね」
うずくまったドーラに落としていた視線を、工藤がこちらに向けた。
「仕切り直しといきましょうか」
「そうだな」
おれは頷きを返した。
ふっと笑みが出た。
「もっとも、おれが言いたかったことは、全部ガーベラに言われてしまった感があるが」
「……ということは、先輩も?」
小さく目を瞠った工藤に、おれははっきりと宣言した。
「ああ。ガーベラと同じ意見だよ」
なんだか清々しい気持ちだった。
ガーベラの言い分は、どうもおれを買いかぶり過ぎている部分がちらほらあるが、その根底にあるのは信頼だ。
である以上、それに応えるのは主として……いいや。違うな。彼女に想いを寄せられている男として、当然のことだ。
「そもそも、前にも言っていたはずだ。おれは『魔王』じゃない。リリィたちの『ご主人様』なんだって」
工藤と同じ道を歩むことはできない。
それは、おれの進むべき道ではない。
工藤と手を組むことができない以上、彼の申し出を断るのは決定事項だった。ある意味、最初からこうなることは決まっていたとも言える。
だから、問題はここからだった。
「できれば、ここは穏便に通してくれると助かるんだがな」
リリィを奪還しようとすれば、高屋と戦いになる可能性が高い。
となれば、無用な消耗はないほうがいい。
ここで工藤と戦いになるのは、なるべくなら避けたかった。
幸いなことに、ガーベラのお陰で、傷つきこそすれおれたちに十分な戦力があることは示せている。
戦いになれば相応の被害が免れない、戦ったところでなにも得られないとなれば、工藤としてもおれたちと争う理由はないはずだ。
損得だけで考えるなら、工藤は引き下がる以外にない。
……あとは、感情の問題だった。
「はい。そうですか。……と、大人しく引き下がるわけにはいきませんね」
工藤の言葉に反応して、これまで大人しくしていたベルタが唸り声をあげ始めた。
十文字の姿をコピーしたアントンは腰の剣を抜き、緑の汚泥ツェーザーは工藤の服の裾から滲み出る。ドーラは少しよろめきながら立ち上がると、再び両手を剣に変えた。
完全に戦闘態勢に入った彼らを見て、おれは溜め息をついた。
「……そうか。残念だ」
おれが剣をかまえると、左の手の甲に収まっていたアサリナが、長く伸びて牙を剥いた。
ガーベラは両手の指を鳴らすと、脚を折りたたんで跳躍の力を溜める。
避けられるものなら避けたい戦いだったが、こうなってしまっては仕方ない。
戦って切り抜ける。それしかなかった。
相手を全滅させる必要はない。というより、消耗を避ける意味でも、ガーベラに蹴散らしてもらった隙に、力づくで逃亡してしまうのが最善だろう。
大丈夫。できるはずだ。
さっきのガーベラの台詞ではないが、さっきまでへばっていたとは思えないくらい、おれ自身も調子はいい。
絶好調と言ってもいいかもしれない。
体中を循環する魔力が普段より活性化しているような気さえする。
ガーベラと想い通わせた高揚からくる、仮初めの万能感かもしれないが、こうした精神的なものは意外と馬鹿にできないものだ。
士気は上々。ここにいる工藤の眷属を突破して、そのままリリィの追跡に移る。
おれは正面に立ち塞がる障害を睨み付けて――そこで、ふと工藤の表情が目にとまった。
「……?」
おれのことを見詰める工藤は、口元の微笑みを浅くして、わずかに眉を寄せていた。
それは、いつも浮かべている微笑みとは、ちょっと違ったものに見えた。
悲しむような。哀れむような。
それでいて、羨むような。
それら全てが綯い交ぜになったような、複雑な表情。
なにが彼にそんな顔をさせたのか、おれにはわからなかった。
瞬きをしたときにはもう、工藤の顔は普段の貼りついたような微笑みに変わっていたからだ。
「ふ、ふふ。勘違いしないでください」
内面を見通せない笑顔を浮かべた工藤は、両手を胸の前に持ち上げると、対峙するおれたちへと掌を向けた。
「なにもぼくは、先輩と戦おうというわけではありません」
「……なんだと?」
発言の意図がわからず戸惑うおれをしり目に、工藤は自分の眷属に声をかけた。
「ベルタたちも。やめなさい。先輩は敵ではありません」
「王よ。なにを言っている……?」
いまにもこちらに飛びかかってこようとしていたベルタが、困惑した様子で双頭の一方を振り返らせた。他の眷属も似たり寄ったりで、戸惑いを隠せていない。
おれも気持ちは同じだった。
「どういうつもりだ?」
「そう難しい話ではありませんよ」
工藤は肩をすくめると、あっけらかんとした調子で言った。
「別に、手を組まないからと言って、手を貸さないとは言っていない、というだけのことです」
おれは、ぽかんとしてしまった。
「仲間になってくれないのは残念ですが、それならそれでかまいません。さっきも言った通り、ここにいるぼくの手勢をお貸ししましょう」
さすがに、これは予想外だった。
あのガーベラでさえ、鼻白んだ様子でいた。工藤がなにを考えてこんなことを言い出したのか、全く意図が掴めない。
そんなおれの内心は、そのまま顔に出ていたのだろう。工藤はくすりと笑った。
「そう疑わないでください。裏なんてないんですから」
「じゃあ、お前はなんの見返りもなく、おれに力を貸そうっていうのか?」
「信じられませんか?」
「……率直に言えば、そうだ」
「ふふ。まあ、先輩にとって、ぼくは敵ですからね。疑いを抱くのも無理はありません」
疑われていると正面から言われても、工藤には特に気にした様子もなかった。
おれにこんなふうに言われることは、もとより折り込み済みだったのか、マイペースに続ける。
「ですが、ぼくにとって先輩は、敵ではありません」
「工藤。お前……」
「ぼくとしては、先輩がつまらないことで死んでしまっては困るんですよ」
工藤は、にっこりと笑った。
「これは前に言ったと思いますが、ぼくが手を組みたいと思うのは、同じ場所、同じ時間、同じ境遇で、同じ力に目覚めた先輩だけです」
工藤の声は、かすかな熱を帯びていた。
その熱は、価値観を反転させた狂人らしい執着だろうか。それとも、共感なんていう、まともな人間らしい感性の最後の残滓だっただろうか。
熱心な口調で工藤は続けた。
「あなたは素晴らしい。掛け値なしに。こんなところで殺されてしまうなんて、あってはならない。だから、手を貸すのは、ぼくにとって当然のことなんですよ」
「……なあ、主殿」
最後まで聞き終えたガーベラが、ぼそりと言った。
「ひょっとして、こやつ、良い奴なのではないか?」
「……それは、いくらなんでもちょっと単純過ぎるな」
ただ、ガーベラがそんなことを言い出すのも、無理のないところもあった。
それくらい、おれに対する工藤の好意は、あけすけなものだったのだ。
もちろん、工藤は絶対に善人などではない。
けれど、おれに手を貸そうという、彼の善意は本物だった。
思い返してみれば、以前にチリア砦で正体を現したときも、そうだった。
おれの知らなかった情報を提供して、手を組まないかと持ちかけてきた。提案を断られたところで、逆上して襲い掛かってくるようなこともなく、大人しく引き下がった。
そうした工藤の態度は、理性的で誠実なものだった。
そこに裏はない。
邪な企みなんてものはありえない。
理非善悪も、損得勘定も、工藤陸には存在しない。
世界でたったひとりの同類に対する共感と、それが生み出した底知れない執着があるだけだ。
工藤は本気で、おれの手助けをするつもりなのだ。
そして、リリィを助け出すためには、戦力はあればあるほどいい。
おれはガーベラに目配せをした。
彼女は首を縦に振った。
おれは頷き返して、工藤に向き直った。
「……わかった。お前の提案を受けよう」
***
そのとき、内心に一抹の希望が紛れ込んだことを、おれは否定できない。
同じ場所、同じ時間、同じ境遇で、同じ力に目覚めた、おれにもあったかもしれない、もうひとつの可能性。
工藤がおれに共感を覚えているのなら、逆もまた然りだ。
心のどこかで、おれは多分、道を踏み外したこの少年と、殺し合いたくないと感じているのだろう。
けれど、おれと工藤の生き方は相容れない。
このままでは、いずれどこかで激突する。そんな予感がある。
そうなれば、起こるのは血みどろの生存競争だ。
おれは眷属を率いて、工藤と殺し合うことになる。
それが回避できるとしたら、どちらかが生き方を変えるしかない。
すなわち、おれが工藤のいるところまで堕ちるか、工藤がここまで戻ってくるかだ。
もしも工藤を引き上げられる可能性があるとしたら、それはおれくらいのものだろう。それくらい、工藤はおれに執着している。
期せずして得ることになったこの接触が、ひょっとしたら、そのための細い糸となってくれるかもしれない。そんなふうに、おれは思ったのだ。
……もちろん、わかっている。
こんなのは、儚い希望だ。
可能性があるというだけで、実現なんてしないだろう未来だ。
そうとわかっていても、こんなことを考えてしまうあたりが、おれの弱さだった。そして、それこそが『魔王』であることを選んだ工藤との違いなのだろう。
***
「主殿よ」
ガーベラが話しかけてきた。
工藤たちに対する警戒心は幾分残しているようだが、臨戦態勢は解いている。
「決まったのなら、すぐに出るべきなのではないか」
「……そうだな」
だいぶ時間が経ってしまった。
工藤と戦いにならずに済んだのは良いことだし、それどころか彼の手助けが得られることになったとはいえ、追い付けなければどうしようもない。
「あ。それなら大丈夫ですよ」
工藤が口を開いた。内面を読みづらい彼だが、いまははっきりと上機嫌なのがわかった。
「こちらでひとつ、手を打ってありますから」
指を一本立てる工藤に、おれは首を傾げた。
「どういうことだ? 詳しく話してくれ」
「実は高屋のところに、連れてきたぼくの手勢のうち、ここにいない残りを向かわせています」
「ああ。それでお前、連れているモンスターが少なかったのか」
「ぼくも戦力の補充が終わっていませんし、全部をここまで連れてきたわけではないので、高屋を追いかけさせたのは三十体ほどですけど。襲撃がうまくいけば、追い付く必要さえないかもしれませんね」
「襲撃って……リリィは大丈夫なんだろうな」
「そこはぬかりありません。最低でも、足止め程度はできているはずです」
ノーマル・モンスターが三十体か。
魔法道具持ちのウォーリアでも、やりようによっては十分に戦いになるレベルの戦力だ。足止めに徹するならそれなりの時間が稼げるし、消耗を強いることもできるだろう。
「それに、追いかけるならベルタに乗ってもらえば速いですよ」
「ベルタに?」
おれは双頭の狼に目をやった。
あやめなどと違って、ベルタの体は立派だ。十分に乗れるだろう。
「いいのか?」
「……我らが王の命令だ。わたしはかまわない」
ベルタは尻尾と五本ある触手をゆったりと振った。見た目のインパクトが大きいが、こうして見てみると、可愛いところもあるのかもしれない。
「あ。でもその場合は、ぼくとタンデムで乗ってもらうことになりますね」
「……む」
工藤の言葉に、なぜかガーベラが面白くなさそうな顔をしていた。
おれがベルタに乗るのが気に入らないのか、工藤が一緒に乗るのが嫌なのか。どちらもかもしれない。
ガーベラには悪いが、リリィを奪還できる可能性を少しでもあげるために、使えるものは全部使うべきだろう……。
「……使えるものは、か」
おれがつぶやくと、工藤が首を傾げた。
「どうしました、先輩?」
「いや。ちょっと思い付いたことがあってな」
おれはその場で、軽く作戦会議をすることにした。
おれが立案した作戦を聞いて、工藤は不満そうにしていた。ガーベラもいい顔はしていなかった。
けれど、説得するとふたりとも最後には承諾してくれた。
準備を整えて、おれは高屋を追いかけ始める。
さあ、リリィを取り戻しにいこう。
◆今月末、4/30(木)に『モンスターのご主人様③』が発売となります。
収録されています書き下ろし番外は、加藤さん視点になります。
活動報告のほうで、表紙、キャラデザ等公開しておりますので、興味がおありのかたは、どうぞご覧になってください。






