21. 追いかける/追いつめられる
(注意)本日二回目の投稿です。
21
「ガーベラ!」
飛び込んできた白い影を見て、おれは声を弾ませた。
「来てくれたのか!」
「ふむ。無事なようだな、主殿。まずは重畳」
その場の全員を見回して、ガーベラが赤い目を細めた。
「……しかし、その分だと、どうやらなにかあったようだの」
ガーベラがこちらに視線を向けてくる。おれは頷きを返した。
「ああ。お前の力が必要だ」
絶望的な状況に、かすかな希望が差し込んでいた。
ガーベラのことだ、大人しく待ってはいないだろうとは踏んでいたが、この分だと、彼女はあの崖崩れのあと、すぐにおれたちを追ってきたらしかった。
追いついてくるのに時間が掛かったのは、怪我のせいだろう。
ガーベラは、飯野との戦闘で負った傷がまだ癒えていなかった。
本来八本の蜘蛛足は、左一本、右三本しか残っておらず、鉤爪を地面に突き刺して体を固定してはいるものの、着地したときによろけていた。
まったく動けないわけではないだけマシだが、自慢の機動力は形無しだろう。
しかし、それでも彼女がおれの仲間内で、最も強力な眷族であることには違いない。
少なくとも、おれだけでリリィの奪還を試みるより、余程、成功する確率は高いはずだった。
欲を言うなら、シランも来てくれれば良かったのだが、残念ながら彼女の姿はなかった。彼女は崖上の山道で、ケイと一緒におれたちが戻ってくるのを待っているのだろう。
残念ながら、シランを呼びに行って、戻ってくるだけの余裕はない。
いまでもリリィがどんどん遠ざかっているのが、パスを通じて感じられるのだ。彼女の存在が遠くなる。そのうち、感じ取れなくなってしまうかもしれない。
まさか高屋の襲撃があると予想ができるわけもなし。ここは、ガーベラだけでも駆けつけてくれたことを幸運に思うべきだろう。
「なにが起こったのかは、道々話す。行くぞ」
「う、うむ。あいわかった」
可能性の芽が出てきた以上、こうしてはいられない。おれは戸惑うガーベラに声をかけて、走り出した。
「ご、ご主人様!?」
驚いたようなローズの声が、うしろから追いかけてくる。
「安心しろ!」
おれは振り返ることなく、声だけを返した。
「リリィは必ず連れて帰る!」
自分で言いながら、それが難しいことはわかっていた。
それでも、諦めるという選択肢がない以上、ベストを尽くすしかない。
ここは無理を押し通さなければならない場面だ。
おれは拳を握りしめた。
***
リリィを浚った高屋の目的地は、帝国領方面らしい。パスを通じて感じられるリリィの気配は、キトルス山脈を南東に直進していた。
どうやら高屋は蛇行する山道を利用せず、チート持ちとしての身体能力任せに山中を踏破しているようだ。恐らく、追手がかかるのを嫌っているのだろう。
ずいぶんと慎重なことだ。
おれはリリィとの間にパスがあるから、彼女の位置がなんとなくでもわかるが、そうでなければ追跡は困難だっただろう。
逆に言えば、図らずして、おれたちは高屋の狙いを外したことになる。
リリィというお荷物を抱えた高屋は、山道より山中を歩くほうが手こずるはずだ。
勝負はキトルス山脈を抜けるまでの間だ。
どうにかして、追いつかなければならなかった。
「おい。主殿。そろそろ説明してくれんか」
そのとき、隣を跳躍するようにして移動するガーベラが、しびれを切らしたように声をあげた。
それで、おれは彼女にまだ説明をしていなかったことを思い出した。
「あ、ああ。悪い。いま説明する。実は、あの崖崩れのあとなんだが――」
おれはガーベラに、彼女と離れている間になにがあったのか、手短に話した。
「なるほどの。リリィ殿が……」
話を聞き終えると、ガーベラは唸り声をあげた。
「必ず取り返す。そのために、力を貸してくれ」
「無論だ」
ガーベラは、力強く頷いてくれた。
「妾にできることがあるのなら、なんでも協力しよう」
「そう言ってもらえると、ありがたい」
「とはいえ、妾もこんな状態だ。どこまで役に立てるか保証はできんが……」
「それについては、大丈夫だ」
ともすると強張りそうになる顔を笑いの形にして、おれは並走するガーベラに向けた。
「飯野によれば、高屋は魔法を使えないらしい。ウォーリアとしても、それほど強いほうじゃないって話だ。付け込む隙くらいはあるはずだ」
なるべく落ち着いて、状況を見定めようとおれは努めた。
こうしている間にも、叫び出したくなるような不安が胸中を焼いていたが、焦っても状況が好転することはない。
必要なのは冷静さだ。平常心を見失えば、できることもできなくなる。
「魔法道具で武装しているのは厄介だが、それさえどうにかすれば、勝機はある。いや。おれひとりだったら、それすら覚束なかっただろうが、いまはガーベラがいてくれる。いくらでもやりようはあるはずだ」
「……そう言ってもらえるのは、嬉しいのだがの」
言葉とは裏腹に、ガーベラは難しそうな顔を見せた。
どこか不審そうに、赤い瞳がおれのことを窺っている。
「なんだ?」
「いや。妾の気のせいかもしれぬ」
かぶりを振ってから、ガーベラは改めておれを横目で見た。
「しかし、その高屋とやらの目的はなんなのだろうな」
「それは……当然、水島美穂を取り戻すため、だろう?」
当たり前のことを訊かれたので、おれは少し戸惑ってしまった。
「高屋は水島美穂の幼馴染だ。彼女のために、たったひとりで樹海を抜けたくらいに、彼女のことを大事に思っていた。だったら、目的は水島美穂以外にないだろう」
「おい。主殿よ。本気で言っておるのか」
跳ねるように走りながら、ガーベラが言った。
「ならば、どうしてその大事な水島美穂を、高屋は攻撃した?」
「それは……」
おれは虚を突かれた気持ちになった。
「……確かに。妙だな」
高屋はリリィの頭部を剣で貫いた。
相手がリリィでなければ、最初の一撃で死んでいる。
水島美穂から抵抗力を奪うなら、もっと他にやり方があったはずで……。
いや。これもおかしい。
そもそも、どうして高屋は水島美穂が抵抗すると考えた?
高屋にしてみれば、水島美穂は幼馴染。不意打ちをする理由がない。
普通に話しかけてくればいいのだ。それなのに、高屋は背後から不意打ち。それも、頭部を剣で突き刺すという、あまりにも過激な手段を取った。
「いったい、どうして……」
「あのな、主殿」
隣を並走するガーベラが、横目でこちらを見た。
細い眉が寄っている。妙に深刻そうな表情だった。
「さっきの小娘、確かイデテンとか言ったかの」
「『韋駄天』な。名前は飯野優奈」
「それだ。あの小娘が現れたときに、口にした言葉を覚えておるか?」
衝撃的な出来事が続いているとはいえ、つい先程のことだ。もちろん、覚えていた。
「『自分の操るモンスターに、水島さんのことを食べさせたのか』って詰問してきたな」
「そうだ」
ガーベラが頷いた。
「あの小娘は、リリィ殿の正体を知っておった。リリィ殿を浚った高屋とやらは、あの小娘と一緒にいたのであろ?」
「……」
「高屋もまた、リリィ殿の正体を知っておって当然ではないか」
言われてみれば、その通りだった。
事前にリリィの正体を知っていたのなら、高屋の行動は非常に納得のいくものとなる。
高屋の持っていた『罪科の縛鎖』は、抵抗の意思があると発動しない。
水島美穂が相手ならともかく、モンスターであるリリィの意識を奪うには、大きなダメージを与える必要がある。
別に体を両断するでもいいが、擬態した頭部を一撃するのが最もスマートだ。これ以上に効率のよい方法はない。
「だが、これだとおかしなことがひとつある」
ガーベラが続けた。
「高屋は、水島美穂の姿を借りたモンスターだとわかっていながら、リリィ殿を浚っていったということになる。そこが、解せぬのだ」
「……それどころか、あいつ、リリィのことを『美穂姉ちゃん』と呼んでいたぞ。『これからは、ちゃんとおれが守るから』って。あれは、演技には見えなかった」
……どういうことだ?
手に入れたのが水島美穂でないのなら、あの台詞は出てこない。
だが、水島美穂であるのなら、あのように乱暴極まりない方法で身柄を確保するはずがない。
「まさか……」
ふと思いついたことがあって、おれは眉をひそめた。
――やっと取り戻したよ。美穂姉ちゃん。
純朴そのものといった調子の声が、耳の奥で蘇った。
態度とは裏腹の、容赦のない攻撃。
常軌を逸した眼光と、怨念めいたものを感じさせる佇まい。
「高屋は、どこかおかしくなってしまっているのかもしれない」
今更ながら、おれはその可能性に思い至った。
「おかしく、とな?」
尋ねてきたガーベラに、おれは頷いた。
「ああ。高屋純は、幼馴染である水島美穂に惚れていた。だからこそ、自分の身さえかえりみずに、水島美穂のことを案じていたんだ。そんな彼女が失われてしまったんだ。おかしくなってしまっても無理はない……」
喋っているうち、おれの背筋に、不意にぞわりと悪寒が走った。
考えてはならないことを、頭に思い浮かべてしまったからだった。
自分の身より大事な人。大切で愛おしい女の子。
高屋にとって水島美穂がそれなら、おれにとってはリリィがそうだ。
だから、思ってしまった。
……たとえば、おれがリリィを失ったとして。
おかしくならずにいられるだろうか?
おれは慌てて、それ以上考えるのをやめた。
こんな状況で考えるようなことではなかった。あまりにも不吉過ぎる……。
「なるほどの。高屋とやらは、もはや水島美穂とリリィ殿の区別もつかぬのやもしれぬな。だが、それは我らにとっては、安心材料でもあるのではないか?」
「……え?」
ガーベラが話しかけてきたことで、おれは我に返った。
「えっと」
一拍、反応が遅れた。
「……安心材料っていうのは?」
「主殿が恐れておったのは、リリィ殿が水島美穂ではないことが高屋に露呈して、危害が加えられることであろ?」
励ますような口調で、ガーベラが言った。
「だが、その可能性はなくなったではないか。もともと高屋は、それと知っていて、リリィ殿を誘拐したわけだからの」
「あ、ああ……」
言われてみれば、これも確かにそうかもしれない。
ガーベラの言っていることは正しかった。
ただ、それで安心できるかというと、そうではなかった。こうしたことは、理屈ではないからだ。
おれは曖昧に頷いた。
「そうだな」
「……」
そんなやりとりを最後に、おれたちは無言で先を急いだ。
視界の端に、太陽がちらついた。
日が少し傾きかけている。うなじのあたりで、じりじりとした感覚がした。リリィが浚われてから、どれだけ時間が経っただろうか? どれだけ距離を詰められただろうか? まさか引き離されているのではないか?
考えても仕方のないことが、頭のなかをぐるぐると巡っていた。
「……?」
ガーベラがおれのことを窺うように見ているのに気付いたのは、沈黙の時間が数分経ったあとのことだった。
不審に思って、おれは口を開いた。
「どうかしたか、ガーベラ?」
「……なあ、主殿よ」
ずがん、と大きな音がした。
突然、ガーベラが鉤爪をブレーキにして、急制動をかけたのだ。
おれも慌てて足をとめた。
「っと」
その拍子に、バランスを崩した。
つんのめって、地面に片手を突く。
「……?」
気付けば、息があがっていた。どくどくと動悸がする。
立ち上がると、小さな眩暈。振り払って、うしろを振り返った。
「どうした、ガーベラ?」
そこには、足をとめたガーベラの姿があった。
蜘蛛脚を突き刺した地面から、土煙が立ち昇っている。
脚をとめた拍子に前傾になった彼女の俯いた顔は、長い髪に隠れて見えない。
「前言を撤回する」
ぽつりと、ガーベラが言った。
「やはり、これは妾の気のせいではなさそうだ」
◆更に一時間後に、また更新です。






