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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
3章.ありのままの彼女を愛して
70/321

16. 疾走する少女

前話のあらすじ:

韋駄天現る。

   16



「真島。あなたは、自分の操るモンスターに、水島さんのことを食べさせたの?」


 投げつけられた言葉は、まるで直接心臓を叩くかのようだった。


 いつか、どこかで、誰かに、問われることもあるかもしれない。

 そんなふうに考えたことくらいはあった。


 罵倒されるかもしれない。軽蔑されるかもしれない。糾弾されるかもしれない。

 そう思っていたし、それが当然だという自覚もあった。


 だから、覚悟はしていた。

 けれど、その問い掛けはあまりにも唐突過ぎて、心を鎧う暇さえなかった。


 どうすればよいと考える時間もない。誤魔化そうという発想が追いつかない。結果、その反応こそが、返答になってしまう。


「図星、ってところね」


 息を呑んだおれの顔を見咎めて、飯野の眼光が鋭利な刃物の輝きを宿した。


「この、悪党が」

「……っ」


 どっと冷や汗が噴き出した。


 どうしてお前がこんなところにいるのかと、なにを理由におれを追ってきたのかと、問い質そうとしていた口が凍り付く。


 呼吸すら許されないほどの恐怖が湧き上がり、顔面から血の気が引き、冷たくなった手足が痺れる。

 放たれる敵意に、まるで心臓を握りこまれたかのようにさえ感じた。


 それくらいに、目の前の少女は圧倒的だった。


 飯野はただ、おれを敵性認定しただけだ。剣すら抜いていない。それなのに、生物の最も根幹にあるものが、迫る危険を大声で喚きたてていた。


 鼠が獅子に前肢で踏みつけられて、牙を剥かれて吠えたてられたなら、きっと、こんな気持ちにもなるかもしれない。

 そんな喩えを思いついたということは、おれは目の前の少女からはどう考えても逃げられないと、本能的に悟ったということだった。


「主殿!」


 無論、そんな絶体絶命の危機を、おれの眷属たちが黙って見ているはずもない。

 危険を排除するために、全員が殺気立って動き出した。


 それを過敏な反応だと言うのは、少し酷だろう。


 なんの前触れもなく唐突に現れた人間が、主人であるおれに敵意を向けてきたのだ。

 肌で感じられる彼我の実力差からすれば、それは、マシンガンの銃口を突きつけられた主人の姿を見せつけられたにも等しい。


 考えている暇なんてない。

 次の瞬間には、おれは蜂の巣にされてしまっているかもしれないのだ。


 それを冗談だと笑えないほどに、相手は圧倒的な存在だった。


 ゆえに、反撃はほとんど反射的なものとなった。

 パスを通じて、眷属全員が同時に迎撃のために動き出したのを感じた。


「シャアァア!」


 各々の速度と役割の関係上、最初に飯野に襲いかかったのは、眷属最強の白い蜘蛛だった。


 牽いていた車を放り出したガーベラは、爆発的な勢いで突進する。

 彼女得意の、跳躍の勢いを乗せた蜘蛛脚のひと突きが、飯野の喉元を掻き切った。


 ……と、見えた。


 そんな簡単にいくはずがないことは、頭のどこかでわかっていた。


 ガーベラの一撃は、当たっていない。

 攻撃が当たったと錯覚するくらいに、飯野の速度は圧倒的なものだったのだ。


 本当に攻撃を喰らう寸前、飯野は動いていた。

 スイッチのように、静が動に切り替わる。その細身の体は、一瞬のうちにトップスピードに乗っていた。


「はあぁ!」


 身をずらして蜘蛛脚を躱す。目の前に突き出されたかたちになった脚を、いつの前にか抜いていた細剣で、側面から切り落とす。

 踏み込んだ左足は軸足となり、繰り出された回し蹴りがガーベラの後頭部を直撃した。


「がっ!?」


 突進の勢いがついていたところに、後頭部を痛撃されたガーベラはとまれない。

 地面に突っ伏すかたちで倒れ込んだ彼女をやり過ごして、飯野がこちらを見やった。


「抵抗するんだ?」

「……っ!?」

「まあ、別にわたしはかまわないよ。叩きのめしてやればいいだけのことだからね」


 言いたいことはいくらでもあるが、口を差し挟む暇さえない。

 飯野が、こちらに突っ込んで来た。


 以前、おれは飯野の戦いを見たことがある。

 彼女の動きはあまりにも速過ぎて、当時のおれの認識速度を遥かに超えていた。


 いまのおれは、あの頃よりも更に魔力の扱いがうまくなっている。魔力による身体能力強化の腕前も上昇し、強化前のスペック自体も、シランに稽古を付けてもらっていることで向上している。


 そのお陰か、『韋駄天』の速度も見えないということはなかった。


 ……ただ、それは単に見えたというだけのことだった。


 駆け抜ける少女の姿。剣を握ったまま、振りかぶられる拳。隣にいたはずのリリィでさえ反応が追いつかず、おれとの間に立ち塞がることもできなかった。


 衝撃とともに、おれは背後に吹き飛ばされた。

 一瞬、意識が飛びかける。


「ご、ご主人様っ」

「先輩!」


 ローズと加藤さんの声が、すぐ傍で聞こえた。

 硬い感触。どうやら、うしろにいたローズに受け止めてもらったらしい。


 どろりとしたものが、鼻孔から流れ出した。

 それでようやく、飯野に顔面の中心を殴りつけられたことに気付いた。


「……あれ? おかしいな。帝国騎士でも昏倒確実なくらいの一発だったはずなんだけど。妙に頑丈ね、あなた」


 飯野がおれを殴りつけた右手に握る剣を揺らしながら、首を傾げた。


「ま。いっか。これで駄目なら、もうちょっと強くすればいいし。なんなら、何度でも殴りつければいいだけのことだもんね」

「お前、飯野……」


 それ以上、言葉が続かない。

 ぐらぐらと脳が揺れていて、思考を纏めることができなかった。


 辛うじて歯を喰いしばって顔をあげたおれが見たのは、呻き声をあげるリリィの姿だった。


「……くっ、うぐ」

「あ。そうそう。一応、言っておくけど、いくら頑張っても無駄だからね?」


 飯野の左手は、リリィが繰り出した黒槍を無造作に握っていた。

 リリィの槍を握る手が、全力を振り絞って細かく震えている。だが、穂先はびくともしていない。


「探索隊メンバーのなかでは、そりゃ、平均レベルの腕力でしかなかったけどさ。それでも、わたしはチート持ちなんだから」


 あくまでもおれに目をやって、言い聞かせるような口調で飯野は言った。


 飯野は見るからにスピード重視の戦闘スタイルを取っている。

 だが、だからといって非力というわけでもないのだ。


 いいや。非力ではあるのだろうが、それはあくまでも圧倒的な脚力に比べたときの話であって、そもそもの基準がおかしい。


「きゃっ!?」


 槍を引かれて体勢が崩れたところで、リリィが足を払われる。


 軽くリリィをいなしておいて、奪った槍を無造作に放り棄てた飯野が、こちらを振り向いた。


 このままでは、為す術もなく蹂躙されてしまう。

 どうにか……どうにか、しなければならない。


 ふらつきながらも、おれは乱暴に鼻血を拭って、飯野を睨みつけた。


「へえ、諦めないんだ」

「……当たり前だ」


 目を細める飯野に対して、おれは右手で腰の剣を抜き放ち、左手を突き出した。


 まだ頭が揺れているし、いまひとつ思考が定まっていないが、やるしかない。

 攻撃には反撃を。いきなりわけもわからないまま、問答無用で敵対されて、そのまま殺されてなんて堪るものか。


「ゴシュ、サマッ!」

「ぎゃおっ!」


 手の甲から勢いよくアサリナが飛び出し、おれの足元に駆け寄ってきたあやめは、火球を吐き出してこれに加勢した。


「邪魔」


 あやめの火球も、アサリナの蔓の刺突も、あっさりと細剣に切り払われる。

 問題ない。本命は、ここからだ。


「やれ!」


 おれの脇を駆け抜けたローズが、正面から飯野に襲いかかった。

 バルディッシュを両腕で振るい、飯野の腰を両断しようとする。


 それと同時に、ガーベラがタイミングを合わせて、飯野の背後から襲いかかった。

 ローズの攻撃を受けるにせよ、避けるにせよ、そこに生じる隙を狙うつもりなのだ。


 更に、駄目押し。

 飯野の足元に倒れていたリリィが、立ち上がる時間も惜しいとばかりに地面に手を突き、逆立ちの要領で勢いよく踵を蹴り上げた。


 眷属たちの総攻撃。

 並の者なら、このなかのひとりだけでも、致命傷を与えるに十分な攻撃だ。


 これならば……と、思ったおれは、それから目にした光景に愕然とする羽目になった。


 位置的に、最初に攻撃が届いたのはリリィだった。

 跳ね上がった踵が、ぱしんと音をたてて、いとも容易く飯野の掌に受け止められる。


「きゃっ!?」


 伸び切った体が、無造作に放り投げられた。


 最短でリリィを戦線離脱させた飯野は、迫るローズとガーベラの挟撃を、大人しく待ち受けていたりはしなかった。


 信じられないことに、飯野は思い切りよく前に出たのだ。


 ローズの振るう刃にあえて身を晒すかのように前進した飯野は、左方向から迫るバルディッシュの薙ぎ払いから逃れるかたちで、右に深く踏み込むことで、ほんの一瞬、両断にされるまでの時間を稼いだ。


 踏み込みと同時に捻られていた体が、開放される。


「ギィ!?」


 ローズの脇腹に、強烈なボディ・ブローが炸裂した。

 ばきばきと硬いものが拉げて砕ける音が響き、ローズの体が崖面に叩きつけられる。その衝撃に、ぼろぼろといまにも崩れそうに土くれが落ちてきた。


 主の手を離れたバルディッシュが、地面に突き刺さる。


 あっという間に、ローズを下した飯野。

 そこに、背後から最後のひとり、ガーベラが襲いかかった。


 これこそが本命。避けられるはずのない攻撃だ。

 しかし、飯野が一歩前に出てローズを撃退したことで、緊密だったはずの連携に、わずかな狂いが生じていた。


 たった一歩分だが、ガーベラとの間に開いた距離。その一歩をガーベラが埋めるうちに、韋駄天の神懸かり的な速度は、ガーベラに向き直ることを可能にしていた。


「シャアァア!」


 アドバンテージのほとんどは失われた。しかし、それで臆すガーベラではない

 振り返ったばかりの飯野の体勢は、万全ではない。ならば、ここで畳みかける以外に方法はなかった。


 蜘蛛脚の先の鉤爪で、飯野を引き裂こうとするガーベラ。

 相対する少女は一歩もひくことなく、細剣を片手に正面からこれに応じた。


「はあぁああっ!」


 裂帛の気合いが迸る。飯野の目には力があり、彼女が胸に抱く強い意志を表して、顔は厳しく引き締められていた。


 繊細な手に刃を携え、勇敢に戦う乙女は……なるほど、勇者というに相応しい輝きを持っていた。


 おれにしてみれば、それは悪夢でしかなかったが。


 ガーベラは強い。そのはずなのだ。

 八本の蜘蛛脚は一本一本が豪槍のひと振りに等しく、モンスターの特性として、蜘蛛糸を自在に操り、敵を拘束する術を身に付けている。


 その戦闘能力は、以前、あの十文字にさえ喰らいついてみせたほどだった。

 その彼女が、まったく、飯野には追いつけていなかった。


「やぁあああ!」


 これこそが、『韋駄天』の速度域。

 並み居るチート持ちのなかで、特別に二つ名をつけられる。それがどういうことなのか、この光景こそが、その答えだ。


 飯野の右手から、無数の銀の煌めきが迸る。

 ガーベラの表情が引き攣った。


 どのような攻防が行われているのか、目の前で起きていることなのに、おれにはほとんど目で追うことができなかった。

 わかることは、ガーベラの刺突はことごとく弾かれているということ。

 銀の細剣の切っ先が、白い毛の生えた外殻を瞬く間に傷つけているという結果だけだ。


「悪党に操られるモンスターなんかに、このわたしが負けるもんか!」

「この、小娘が……!」


 何度も何度も傷つけられることで、ガーベラの頑強な白い脚は、みるみるうちに、ぼろぼろになっていった。


「くそっ」


 形勢不利は明らかだ。

 おれは咄嗟に援護のため、アサリナを飯野の側面から突っ込ませた。


 しかし、これも片手間に切り刻まれてしまい、時間稼ぎにもならない。

 そうこうするうち、一本、二本と、蜘蛛脚が落とされる。


「……あ、ぐ」


 五秒と経たず、ガーベラがバランスを失った。

 先に失った左脚一本に加えて、左二本、右一本の蜘蛛脚を斬り飛ばされ、立っていられなくなったのだ。飯野がこちらを振り返る。


「これで、終わり……」

「まだだっ!」


 言いかけた飯野が、軽く目を瞠った。

 倒れ込むかと思われたガーベラが、倒れざまに飯野に掴みかかる執念を見せたのだ。


「主殿には、触れさせぬ!」


 ガーベラは以前に十文字と真っ向打ち合ったことがある。

 速度ではまるで敵わないが、恐らく膂力なら『韋駄天』にも対抗可能なはずだった。


「おおぉおお!」


 最後のチャンスと、ガーベラは必死の形相で食らいつく。


「うわっ!?」


 ……しかし、それさえも飯野の速度を捉え切れない。


 小さく悲鳴をあげた飯野は、まるで魔法のようにガーベラの脇をすり抜けていた。

 恐るべき膂力を誇る少女の両腕は、ただ無為に宙を掻くだけに終わった。


「ぐがっ!?」


 慌てて振り返ったガーベラの顎を、飯野の繰り出したアッパー・カットが弾き上げた。

 クリーン・ヒット。ガーベラの体は、高く宙に弧を描いた。


 脚の多くを失った白い蜘蛛は、並んで立つシランとケイの背後に墜落すると、そこに放置されていた車にぶつかって、ようやく停まった。


 眷族中で最強を誇るガーベラが、まるで子供扱いだった。


 もちろん、飯野たちチート持ちがそういう存在であることは知っていた。

 知っているつもりだった。だが……それにしたって、これは酷い。これでは、こちらには対抗の術がないではないか。


「ガーベラさんっ!」


 悲鳴をあげて、加藤さんが駆け出した。

 彼女が脅威ではないことは、ひと目見てわかったらしい。一瞥しただけで彼女を見送った飯野は、胸に手を当てると小さく吐息をついた。


「……ちょっと、いまのは、びっくりした」


 ガーベラの乾坤一擲が、たったそれで終わってしまうのか。

 その化け物ぶりに、おれは愕然とした。


 傷ついて呻き声をあげるガーベラ。二度攻撃を仕掛けながら、まったく歯が立たなかったリリィ。罅が入って、軋む体をよろめかせるローズ……。


 一矢報いるどころではない。このままでは、全滅だ。

 なにか、なにかないだろうか。現状を打破できるようななにかが。


 おれは必死になって考える。

 しかし、そんな都合の良いものがあるはずもなく……。


「……?」


 さっき喰らった一撃で揺れていた頭が、少し回復してきたからだろうか。

 必死に打開策を探る脳味噌に、そのとき、なにかが引っかかった。


 目の前にある現状に、なにか違和感があった。

 ただ、それがなんなのかまでは、即座にはわからない。


 考えを深める時間もなかった。


「というか、いまのって、まるで本気で……」


 と、つぶやいた飯野が、そこで言葉を呑んで振り返る。


「やあああぁあ!」


 そこに、徒手空拳のリリィが突っ込んでいった。

◆一時間後に、もう一回更新します。

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[気になる点] 何で高速移動する敵に蜘蛛の糸を使わないんだろう?
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