13. 旅路のなかの小さな刺
前話のあらすじ:
幹彦との別れ
13
幹彦と別れたおれたちは、セラッタまでやってきた街道を逆走するかたちで南下した。
何事もなく順調な行程だった。
北上したときには大人数だったため、どうしても行軍速度に影響が出たし、モンスターに見つかることも多かったが、今回はそういうこともない。
物資の補給以外では集落に立ち寄ることもしなかったため、所要時間は行きの三分の二程度で済んだ。
騎士団解散にショックを受けていたシランに関しては、心配している部分もあったのだが、これはおれの気の回し過ぎというか、杞憂だったらしい。
幹彦や他の騎士たちと別れたその日のうちには、彼女は元の落ち着きを取り戻していた。
というか、おれを開拓村に連れていくのが自分の使命なのだと、発奮しているくらいだった。
一度だけ遠目にモンスターを見つけたときには、真っ先に飛び出して行って、あっという間に倒してしまった。
騎士シランの剣に、いまだ曇りはない。
その事実に安堵すると同時に、そうした彼女の在りようを頼もしくも思った。
セラッタほどの都市ではないが、街道が東西南北に交わる大きな宿場町に辿り着いたおれたちは、そこで物資を購入したうえで西に進路を切った。
ローレンス伯爵領の南西には、北域五国のひとつケドルスが接している。
帝国のローレンス伯爵領と北域五国ケドルスの国境線上には、峻嶮なキトルス山脈が走っているが、山道はいくつか通っている。
古い山道だ。
かつて行われた帝国と同盟の戦役では、この地を通ろうとする両軍が激突し合い、戦場となったこともあったらしいが、いまではほとんど使われていない。
樹海にほど近い立地は、モンスターに遭遇する危険が大きい。わざわざ険しい山越えをしてまで、辺鄙な小国に向かう商人もいない。
その必要がないのだから、モンスターの討伐もまず行われない。
結果、キトルス山脈は、多くのモンスターが生息する危険地帯となってしまったのだという。
とはいえ、それはモンスターを率いるおれにとっては、ある意味で気の休まる話でもある。
危険な土地ということは、それだけ人の目が少ないということでもあるのだから。
おれは御者台の上で、今日もゆっくりと車を走らせていた。
木々の間を縫うように走る道は細い。
車の揺れが少しうるさいのは、路面の状態があまり良くないためだ。
チリア砦までの街道が軍用道としての性格を持っているのに対して、そこから分かれた道々は、人間世界の末端に位置する開拓村にまで足りない物資を運ぶために敷かれたものだ。
主要な街道に比べて多少見劣りしてしまうのは、仕方のないことなのだろう。
がたごとと車輪が鳴る音を聞いていると、自然と意識の一部が思考に流れた。
思い浮かんだのは、十日前に別れた友人の顔だった。
……別れた幹彦たちはどうしているだろうか。
セラッタには、きちんと辿り着けたはずだ。
別れた場所から、宿場町まで半日、そこから都市までが更に半日。よほど運が悪ければモンスターに襲われることもあるかもしれないが、同盟騎士がふたり付いていて、いまは幹彦自身もそれなりに戦える。心配は要らないはずだった。
きちんと団長さんと合流できたなら、今頃は、セラッタから帝都へと護送されている最中かもしれない。
目端が利く幹彦のことだ。可能であるのなら、宿場町ではおれたちと別の場所に逗留していた三好太一たち他の転移者も、味方につけているかもしれない。
「あ、ご主人様。そこがそうじゃないかな」
御者台の隣に座るリリィが、目敏く分かれ道を見付けて、おれに注意を促した。
どうやら目的地に着いたらしかった。
***
おれはキトルス山脈に足を踏み入れる前に、とある開拓村を訪れることにした。
チリア砦とセラッタを繋ぐ街道沿いにあった開拓村とは違い、軍も駐留していない小さな村だ。
前に立ち寄った村で聞いたところによれば、そこが山道に最も近い集落らしい。
ここから先に、村はない。
これが最後の補給というわけだ。山越えは時間がかかるだろうから、なるべくなら食糧を確保しておきたいところだった。
「うまく売ってもらえればいいんですけど。前のところじゃ、お金はあっても売ってもらえなかったですし……」
「向こうにも事情があるからね。駄目でも落ち込むことはないよ。いざとなったら、一日あればわたしが適当に狩ってくるから」
「ファイア・ファングの干し肉ばっかりの生活に戻るのは勘弁なんだが……」
物資の補給には、おれとリリィ、ケイの三人が、他のみんなを残した車を離れて、集落まで徒歩で向かうことにしていた。
おれたちの一行で戦闘力が高い者を並べると、ガーベラ、シラン、リリィ、ローズの順番になる。
そのなかで人目についても問題ないのは、シランとリリィだけだ。
このふたりをそれぞれのグループに分けることで、モンスターに襲われたとしても人目を気にせずに撃退できる、というわけだった。
ケイを伴っているのは、翻訳の魔石を使えるのがシランのほかには彼女しかいないからだ。
外套についたフードを深くかぶった彼女は、おれたちのうしろについてきている。
そろそろおれも、翻訳の魔石の扱いかたを習得したいところなのだが、習得には時間がかかるということもあり、現状、切羽詰まっているわけでもないので、ずるずると後回しになっていた。
「あれ? ご主人様、誰かこっちに走ってくるよ」
事件は、道沿いの森のなかに車を隠して居残り組と別れ、村に続く隘路に足を踏み入れた直後に起きた。
こちらに向かって必死の形相で走ってくる男を見付けたのだ。
「お、おお。その姿、旅人のかたですか。こんなときにいらっしゃるなんて……!」
開拓村の村人だという彼は、聞けば、樹海の木々を切り倒すために仲間とともに村を出たところでモンスターに遭遇して、命からがらここまで逃げてきたのだという。
このあたりの森は、魔力を持たないただの森である。
とはいえ、一時間ほども歩けば樹海に辿り着くところにあるため、モンスターに遭遇することは、そう珍しいことではない。
逃げろ逃げろとわめく男を説得して、急いで開拓村に向かったおれたちが見たのは、背丈が三メートルを越える巨人『ワイルド・オーガ』の姿だった。
脚部が小さく腕が長くたくましいゴリラのような体型をしているが、筋骨隆々の体は体毛に乏しく緑色の肌を露出しており、下半身には、獣の毛皮を巻きつけてあった。
体格と比して小さい禿頭は、人間のものに近い。耳は尖っており、大きな下顎に生えた下の犬歯だけが、口から外に突出していた。
防備の隙を窺うように村のまわりを徘徊するワイルド・オーガは、たまに村の防壁に突進をかけようとしていた。
そのたびに、石造りの防壁の上から、集中して魔法が浴びせかけられる。
一発一発は第二階梯の、言ってしまえば並みの魔法だが、集まればワイルド・オーガを傷つけて、怯ませるには十分な威力になる。
村を囲む防壁からは、ひっきりなしに矢が放たれていた。
これも、ちまちまとワイルド・オーガにダメージを与えている。
だが、決定打には足りていない。
グリーン・キャタピラなどと比べて、ワイルド・オーガはかなり強力なモンスターだ。
樹海表層では上位クラスのモンスターと言っていい。
このまま襲撃を諦めてどこかへ去ってくれれば良いのだが、怪我の怒りに我を忘れて村に突撃するようなことがあれば、いずれは倒せるにしても、白兵戦で何人もの犠牲者が出る可能性が高い。
そうでなくても、強靭な腕でへし折った木々を投げつけるたびに、村の生命線である防壁が傷んでいるし、怪我人も出ているようだ。
なんの縁もない村だが、このまま放っておくというのはないだろう。
「リリィ。少し距離があるが、いけるか?」
おれが言外に示したのは、『距離を詰めるな』ということだ。
ワイルド・オーガのまわりに降り注ぐ矢のなかに飛び込んでも、リリィが大きな傷を負うことはないだろう。だが、それでは少し目立ち過ぎる。
「うん。やってみる」
おれが言葉にしなかった部分まで汲み取ったうえで、力強く頷いたリリィは、手にした槍をくるりと回した。
「な、なにをするおつもりで……?」
ここまでおれたちを案内した村人は、黒槍を逆手にかまえたリリィの姿を見て、不思議そうな顔をした。
「と、とにかく、逃げたほうがいいんじゃあ……」
「大丈夫だよ。心配は要らないから」
男を宥めるリリィの右手に、魔法陣が浮かび上がった。
――第二階梯の風魔法。
第三階梯ではないのは、この世界の人間が使える最高クラスの魔法が第三階梯であることを考慮して、目を引かないように人前では押さえておこうと決めていたからだ。
もちろん、非常時ともなれば、その限りではない。
逆に言えば、この場はこれで十分だと、リリィは判断したということでもある。
リリィは一歩二歩と助走をつけると、最後に思い切り踏み込んだ。
「やあぁあっ!」
手にした槍を投擲する。
もとより十分な威力が乗った槍が、風に導かれて目標向けて突き進む。
風を巻きつけた槍は、矢を弾き飛ばしながら一直線に飛んで、見事、ワイルド・オーガの顔面に直撃した。
耳をつんざく悲鳴が響いた。
鋭利な穂先が眼球を突き破り、柄を取り巻いていた鋭い風の刃が、更に顔を引き裂いたのだ。
青い血が噴水のように噴き出した。
視界を失い、深刻なダメージを受けたワイルド・オーガの巨体がよろめく。
突然の攻撃に唖然としていた村人たちも、これが好機であることにすぐ気付いた。
鬨の声を上げて、武装した男たちが飛び出してくる。
最初から最後まで、おれたちのすぐ傍で、起きた出来事を見ていた村人は、腰を抜かしていた。
彼が見上げる先で、リリィはおれにピースを向けると、にっこりと笑みを作ってみせた。
***
村を襲うモンスターとの戦いに手を貸したおれたちに、村人たちは好意的だった。
結果、おれたちは無事に物資を手に入れることができた。
購入したのは、芋や干し肉の類だ。少しでも食糧が補給できたのはありがたい。
「本当にありがとうございました」
「いえ。こちらとしても助かりましたから」
村長をしている年嵩の男性は、おれたちがすぐに村を出ると言うと、村の入り口まで見送ってくれた。
「しかし、まさかあの強烈な一撃が、このように可憐なお嬢さんのものだとは」
歳の割に皺の多い顔に人の好い笑みを浮かべた村長は、リリィの腕を何度も褒めたたえた。
村人たちのなかで、最も好意的だったのが彼だった。
話が長いのは、愛嬌というものだろう。なんだかんだと、予定より滞在時間が延びてしまった。その分だけ、手に入れたものも多いが。
補給もそうだが、なにより情報が大きい。
聞いたところによると、村長は若い時分に、おれたちがこれから向かおうとしている山道を利用したことがあるらしい。
道筋の目印になるようなものを教えてもらうことができた。
何十年も前のことだから、いまでも残っているとは限らないが、なにもないよりマシだろう。
それと、山道には、たまに特別濃い霧がかかるらしい。
村長本人は山道を利用したときに霧が出ることはなかったそうだが、先人から警告されたと言っていた。
曰く、山道に霧が出たときは気を付けろ、と。
……まあ、これは言われてみれば、当たり前だが。先の見えない状態で、細い山道を進むのは危険だ。
無論、そうした場所だということを、事前に教えてもらえたことは有益だ。
だから、その対価として、少しくらいは彼の好奇心を満たすのは、ある意味で仕方のないことなのかもしれない。
「失礼ですが、ひょっとして、あなたがたは北方の……帝都あたりの出身では?」
村長はやや大仰に声量を抑えて尋ねてきた。
いかにも、秘密話をしていますといった風情だ。
どうしてそんなことを訊くのか、とは尋ね返さない。
転移者という身分を隠して人間世界を旅し始めてから、こういうことを聞かれたのは、これが初めてではなかったからだ。
「……まあ、そんなところです」
おれがそう返すと、得心がいったとばかりに村長は深く頷いた。
「そうではないかと思っていたのです。やはり『恩寵の血族』の方々でしたか」
おれたちはそんなものではない、と言わずに、おれが愛想笑いと苦笑いの間くらいの表情になっているのにはわけがあった。
彼が口にした『恩寵の血族』というのは、転移者の子孫のことなのだ。
転移者に備わる固有の力を、おれたち自身はチート能力と呼んでいるが、この世界では、『恩寵』という昔から使われていた呼び名がある。
恩寵の血族は、ここから転じた呼び名だった。
この世界には、昔から百年周期で転移者が現れる。
彼らのうちの何割かは、子供を残すことなく戦いのなかで倒れていったが、天寿を全うした者もいる。当然、彼らの子孫は、いまでもこの地で暮らしており、特に、帝都周辺に多い。
知っての通り、おれたちの顔立ちは、この世界にもともといた人間と違う。
けれど、歴代の勇者のなかには東洋系の人間もいた。そのお陰で、おれたちが旅をしている間、顔立ちで身分が露見することがなかった、というわけだった。
それに、きっと、まだこんな辺境までは、今代の勇者が現れたという情報自体伝わっていないというのもあるのだろう。
彼らにしてみれば、自分たちの勇者が大勢のお供も連れることなく、少人数で旅をしているなんて、思いもしないに違いなかった。
「しかし、わざわざこんな辺境に来られるとは。いったい、どうして……」
言いかけた村長は、はっとなにかに勘付いたふうに言葉を呑んだ。
「……いえ。なんでもありません。旅のご無事をお祈りしています」
「ありがとうございます」
これはなにか勘違いをされているらしい。おれは苦笑いをした。
恩寵の血族には、爵位を持つ貴族も少なくない。
勇者自身は無位無官だが、身分の高い者と接する機会も多く、帝国貴族のほうもその血筋を取り込むことに積極的だったという経緯もあり、勇者の子孫も貴族の割合が高くなっているのだ。
実際は、そうでない者も相当数いるらしいが、このような辺境の地では恩寵の血族に会うこと自体が稀だ。
恩寵の血族イコール、貴族様……くらいの認識でいても、おかしくない。
おれたちの場合についても、『やんごとなき身分の人間が、わけあって旅人に身をやつしている』とでも思われたのかもしれない。
幼少期から高度な戦闘訓練を受けることのできる貴族であれば、あるいは、そんな貴族を守る護衛であれば、ワイルド・オーガに一撃加えた技量も当然だ、などと勝手に納得してくれる分には、こちらとしても嘘をつかずに済むのでありがたい。
貴族と勘違いされること自体は決して楽しいものではないが、勇者様と持てはやされるのに比べたら、これでもまだ気は楽だった。
「さて。そろそろ、おれたちは行きますので」
頃合いと見て、おれはそこで話を切り上げた。
あまり待たせると、ガーベラあたりがうるさい。文句を言われるくらいならともかく、拗ねられると困ってしまう。
「それじゃあ、行こうか。……ん?」
同行するふたりに声をかけたおれは、ふとケイがおれの呼び掛けに反応していないことに気付いた。
「……」
フードをかぶって横を向いているので表情は見えないが、彼女はなにかを眺めているようだった。
彼女の見ているほうに目をやると、そこには、村のなかまで運ばれたワイルド・オーガの屍があった。
村人たちは、穴を掘って半分埋めたワイルド・オーガの屍の脇に、藁を積んでいるところだった。
悪しきものは、燃やして浄化しなければならない。
そうした考えのもと、モンスターの屍は儀式に則って、すみやかに処分される。
細かい作法の違いはあるにせよ、これはこの世界の集落ではよく見られる風習だそうだ。
実際には、毛皮が利用できたり、肉が食える場合はその限りではないのだが、少なくともワイルド・オーガはそうした対象ではない。
ケイにとって、これはさほど珍しい光景ではないはずだった。
「……ケイ?」
「あ、はい」
もう一度、今度は名前を呼ぶと、やっと気付いたケイはおれのほうを向いた。
「す、すみません。ちょっとぼうっとしてました」
ちょっと焦った表情を見せたのは、失敗したと思ったからか。
幼い顔立ちに、取り繕うような笑みが浮かぶ。
そんな彼女の顔に、ちょっとした驚きの色が宿った。
なんの前触れもなく、小さな男の子が、おれたちのいるほうに走ってきたのだ。
年の頃は、五、六歳くらいだろうか。
面倒を見るべき両親は、ワイルド・オーガの死体の処理に忙しくしていたのかもしれない。きらきらとした目で、おれとリリィを見ながら走ってくる。
足元がおろそかで危なっかしい。
と、思った矢先に案の定だ。
「あっ」
危ないと警告をする暇もなかった。
男の子は途中でなにかに足を引っかけて転んでしまった。
「だ、大丈夫?」
位置的に、一番近かったケイが彼に駆け寄った。
膝をついたケイは、男の子の小さな体を抱き上げるようにして立ち上がらせてやった。
泣くかなと思ったが、男の子は泣かなかった。
根本的に、おれの知っている五歳児と、こうした集落の子供は違うのかもしれない。
とはいえ、子供は子供だ。
「ありがと、お姉ちゃん」
フードをかぶったケイを見上げて、にっこりと礼を言うあどけない態度は、見ていてこちらの気持ちを和ませるもので――
「あれ?」
――その目が、不意に丸くなった。
きょとんとした彼が振り返った先にあるのは、ワイルド・オーガの屍だ。
「あれ?」
疑問の声を出しつつ顔を前に戻した少年は、至近距離にあるケイの、フードのなかに隠された顔を覗き込んだ。
「お姉ちゃんの耳、変なの。まるでモンスターみたいだね」
投げかけられた純粋な言葉に、ケイの笑顔が凍りついた。
***
村を出たおれたちは、すぐに旅路を再開した。
その日のうちには山道まで辿り付けなかったため、日が暮れる前に野宿の準備を始める。
「……申し訳ありません、孝弘殿。少しお時間よろしいでしょうか」
そのさなか、シランが声をかけてきた。表情は少し険しい。
彼女に促されて、おれは他のみんなから距離を取った。
リリィがちらりとこちらを確認してきたので、気にすることはないと手を振っておく。
声の聞こえないくらいのところに離れると、シランは口を開いた。
「ケイの様子がおかしいのですが、村でなにかありましたか?」
「あー……ちょっとな」
ちらりと確認してみれば、鍋を火にかける準備をしているケイの表情は、明らかに精彩を欠いている。
村から帰ってきてからというもの、誰の目から見ても彼女は落ち込んだ様子でいた。
そんな彼女を見て、保護者であるシランが気にするのは当然のことだ。
おれは手短に、村であった出来事を説明した。
「そう、でしたか。そんなことが」
話を聞いたシランは、納得の吐息をついた。
「悪意はなかったんだろうけどな」
村の少年は、おれたちに礼を言って戻っていった。
そのために来たのだ。良い子だったのだと思う。
彼はケイを見て、思ったことをそのまま、子供らしい純粋さで口にしたに過ぎない。
これを気遣いが足りないと責めるのは酷だろう。
あえていうなら、相手とタイミングが悪かった。それだけのことだ。
「ただ、正直なところ、ケイがあそこまでショックを受けるとは思わなかったな」
逆に言えば、ケイにしてみれば、それだけあれは気にしているところだった、ということだ。
空回ることこそあれ、いつも元気な彼女がぼうっとしていたのも、丁度、ワイルド・オーガの耳を見ていたせいかもしれない。
もしもそうだとすれば、本当にタイミングが悪いとしか言いようがないが。
「この世界には、『人間によく似た容姿をしたモンスター』が多数存在します」
物憂げな表情のシランが口を開いた。
「その大半が、我らエルフと似た耳のかたちをしているのです」
シランがそっと触れた彼女の耳は尖っている。
エルフの証。彼女が人間ではない証だ。
「そうした事実を以って、我らを中傷する者もおりますから」
「ああ、なるほど。それで、ケイはああも過敏な反応を見せたわけか」
「そういうことになります。極一部の者にしてみれば、我らエルフは、『言葉を喋る珍しい化け物』なのですよ」
そこまで言ったところで、はっとシランは目を見開いた。
「これは失言でした。申し訳ありません」
言葉を喋る珍しい化け物。それは、おれの眷族である彼女たちのことだ。
それを罵詈雑言の類だと言ってしまったことに関して律義に頭を下げるシランに、おれは手を振った。シランには、ちょっと気を回し過ぎるところがある。
「気にするな。シランがそういう意図で言ったわけではないのはわかるし、そういう目でエルフのことを見ているのはシランじゃない」
そういった輩がおれの眷族のことを知っているはずもなく、それは単に『人類に仇為す敵』をわかりやすく表現した罵倒でしかない。
なんにせよ、理不尽な話だった。
人種差別主義者なんて、そんなものと言ってしまえばおしまいだが。
そもそも、『人間によく似た姿のモンスター』には、耳が丸い者もいる。
いまも、あやめの相手をしているガーベラだってそうだ。
アラクネとして例外的な彼女を基準にするのもなんだが、他にも似たような身体的特徴を持ったモンスターは、少数ながら存在する。
エルフに対して心ない言葉を投げつける人間は、そうした自分の主張にとって都合の悪い部分には、目を向けようともしないのだろう。
というか、多分、理由なんて、なんでも良いのだ。
自分を含めた多くと違う存在は、不気味に感じられるものだ。
エルフだけに限った話ではない。
たとえば、ローレンス伯爵領南部を放浪する牛飼いたち。彼らだって、賤民としての目を向けられていると聞く。
根っこが自分と違うものに対する拒絶感という、極めて生理的なものだから、その主張が理性的でなくても不思議ではない。
彼らにしてみれば、難癖をつけられれば、それでかまわないのだろう。
結果として、ケイは自分のそうした身体的特徴に、非常に過敏になってしまった。
問題の本質は、少年の無邪気な指摘そのものにはない、ということだ。
それがわかって、眉に皺を寄せる羽目になったおれだったが、一方のシランはあっさりしていた。
「なんにせよ、そういうことでしたら、気にする必要はなさそうですね」
「……いいのか? ケイは落ち込んでいるようだが」
ある種、突き放したとも見えるシランの態度を、おれは意外に思った。
厳しいことを言いながらも、なんだかんだとシランはケイに甘い印象があった。落ち込んでいるケイを見れば、なにかしら声をかけるものと思っていた。
けれど、シランはおれの問い掛けに、首を横に振った。
「エルフとして生を受けた以上、この程度でいちいち落ち込んでいては、外の世界ではやっていけませんから」
その言葉には実感がこもっていたから、おれは一瞬口ごもってしまう。
「……やっぱり、シランもそういうのを乗り越えてきたのか?」
「わたしの場合は、ちょっと特殊ですが」
なにかを思い出したようで、シランは苦笑した。
「わたしがあの子くらいの繊細な年頃のときというと、騎士団の入団や、兄が亡くなった頃のことです。兄に追いつこうともがいている間、周囲の視線なんて気にしている余裕はありませんでした。いまから考えてみると、団長には心配をかけたことでしょうね……」
兄というと、ケイの父親のことか。
確かチリア砦で戦って亡くなったのだったか。詳しく聞いたことはなかったが、シランの人格形成に多大な影響を与えた人物だということは、これまでの彼女の態度からも読み取れた。
「村で一生を終えるならともかくとして、あの子が騎士として生きていくのなら、これは必要なことです」
「声をかけてやるくらいはいいんじゃないか?」
と、おれが喰い下がったのは、別にシランの言い分が間違っていると思ったからではない。
彼女の意見は正しい。間違っていない。
けれど、正しいことは、ときに難しい。
たったひとりで強くあり続ける。
それが平凡な人間にとって、いかに難しいことなのか、おれはよく知っている。
おれ自身、弱い人間だからだ。
リリィたちの存在があるからこそ、おれは強くあろうと歯を喰いしばることができる。
シランはそうではないのかもしれないが、少なくとも、まだ幼いケイには他者が必要だろう。
支えてやるのは、シランが一番適任だ。
おれはそう思ったのだが、シランの意見は違っていた。
「いつまでも、わたしが一緒にいてあげられるわけではありませんから」
そう言うシランの声には、北風の気配があった。
冷たく吹きすさぶ風は、ケイではなく、むしろシラン本人のほうを向いているように思えた。
「……とはいえ、恐らく、それほど心配することはないでしょう」
しかし、そこで一転して、シランは笑みを浮かべる。
温かく、嬉しげな、陽だまりの微笑みだ。
なにがそんなに嬉しいのかと、戸惑うおれにシランが言った。
「そもそも、今日の一件については、不意打ちだったことと、孝弘殿にああした場面を見られたことがショックだったのでしょうし」
「おれに?」
「あの子は孝弘殿に、特に信頼を寄せているようですから。あまり、ああした嫌な場面を見られたくはなかったのでしょう」
そんなもの、なのだろうか。
いまひとつ、ぴんとこないが。
おれの目から見ると、ケイは加藤さんに懐いている印象が強いし、友人としてはガーベラと仲の良い印象がある。
おれが納得できずにいると、シランは笑みを大きくした。
「それに、わたしが動く必要もなさそうです」
「……どういうことだ?」
「気を遣っていただけているのは、どうやら孝弘殿だけではないようですから」
答えるシランの視線の先には、鍋を前にしてケイと一緒に調理を始めているリリィの姿があったのだった。
***
あやめやアサリナを除けば最年少である少女が落ち込んでいることには、おれ以外の同行者も、当然、気付いていたらしい。
夕食の準備をしている間は、リリィがなにくれと声をかけていた。
水島美穂がそうだったのか、リリィの家事一般の能力はそこそこ高い。
野宿のような所謂アウトドア関連の仕事になると、必要となる技術はまた別なように思うのだが、そこもきちんと対応している。というか、そうした仕事を楽しむ素地もあったようで、最近は人手が足りているのに率先して食事を作っていた。
ていよく追い払われたおれは、リリィと、それに加藤さんも加わって、一緒に料理をするケイを気にしつつも、ローズと模擬戦を行うことになった。
以前に武器を選定した際に、ローズは武器を替えている。
以前よりも斧が大型になり、片手斧から両手斧になった。
バルディッシュという、ポール・アクスの一種である。
長い柄の先に、柄の三分の一以上に渡る異様に大きな湾曲した刃が付いているが、おれとの模擬戦では、刃引きをしたうえで布が巻きつけてある。
さすがにガーベラほどはおれとの実力差が離れていないことに加えて、馴らしつつある武器を使っているために、万が一の事故に備えた処理だった。
豪快に叩きつけられる刃を盾でぎりぎり受け流し、槍のように突き出された刃先を危うく避ける。
これでローズは、教えられた型をひとつひとつおさらいするために、力をセーブして武器を振るっているというのだから、おれはまだまだだ。
そうしたおれたちの攻防を、シランが傍で腕組みをして観察している。
彼女はおれと直接剣を交えることなく、気付いたことを指導するかたちだ。
とはいえ、今日は少し気がそぞろのようだった。
その理由についてはわかっているので、責める気持ちはない。なんだかんだ言って、口ほどには厳しく徹し切れないのだろう。
ちなみに、おれはシランとの鍛錬に加えて、ガーベラとの実戦訓練も引き続き行っているのだが、それは早朝に回している。
そのため、夕方のこの時間は、ガーベラはあやめの相手をするのが常のことだった。
これは余談だが、ガーベラは料理ができない。
縫製関連を除いては、あまり器用なほうではないというのもあるが、根本的に調理の必要性がわからないため、興味を惹かれないというのが大きいのだろう。
考えてみれば当たり前のことだが、いざとなれば彼女は、生で獲物を食べられる。
このへんは、あやめも同じだ。さすがに、おれたち人間組の食欲がなくなるので、普段はおれたちに合わせてもらっているが。
夕食の準備が済んだところで、おれは訓練を切り上げた。
みんなで揃って食事を摂ったあとは、お勉強だ。
シランからこの世界の魔法に関する講義を受ける。これは、加藤さんも一緒に参加しているかたちだった。
しばらくすると、なにやら少し離れた場所で、黄色い歓声があがった。
なにかと見てみれば、どうやらローズが例の試行錯誤の一環で作った代物を持ち出してきたらしい。
それは、簡素な望遠鏡だった。
「望遠鏡って作れるんだな」
「倍率は大したことないみたいですけどね」
月を観察しているリリィの姿を眺めつつおれがつぶやくと、事前にローズから聞いていたらしく、隣に座る加藤さんが答えた。
これにシランが付け加える。
「ちなみに使われているレンズは、染料を買いに行ったついでに、幹彦殿に頼まれてわたしが購入しておいたものですね」
「さすがに、そこは手作りじゃないんだな」
「ええ。とはいえ、孝弘殿がいたところほどレンズの質は良くありませんから、成功して良かったです」
「この世界にも望遠鏡ってあるのか?」
「あります。性能の良いものは、軍用品として使われていますね。見晴らしの悪い樹海では無用の長物ですから、チリア砦ではあまり使われませんでしたが。わたしも手に取ったことはありません」
「だったら、シランもあれに参加してきたらどうだ?」
例によって、一番盛り上がっているのはガーベラだったが、ケイも十分に楽しそうにしている。
保護者の顔でケイの横顔を見ているシランに、おれは提案した。
「一日講義が抜けるくらい気にしなくてもかまわないぞ」
「そうですね」
加藤さんもおれに同意した。
「……いえ。いまはやめておきましょう」
シランはかぶりを振った。
「孝弘殿の眷族と過ごすこの時間は、きっとあの子の糧になります。そこに、多分、わたしはいないほうが良い」
「……そうか」
なんとなくだが、シランの言い分はわかる気がした。
幼いケイにとっては、自分よりも『他と違った存在』との交流は、これまでの価値観、凝り固まった劣等感を変えうるものだろう。
そして、おれの眷族である彼女たちにとっても、ケイという年少者と交流することは、良い経験になるはずだった。
そこに、おれやシランのような存在はいないほうがいい。
少し寂しいような気がするが、これも成長を見守るということなのだろう。
そう思ったおれは、ふとあるものに気を取られた。
「……」
それは、加藤さんの視線だった。
おれとシランがケイたちを見ているなか、彼女はシランをじっと見詰めていた。
「どうしたんだ、加藤さん?」
「……いえ。なんでもありません」
気になっておれが尋ねると、加藤さんはシランから視線を外して、かぶりを振った。
「わたしの勘違いだと思います……」
***
翌日の昼頃に、おれたちは山道に足を踏み入れた。
ここまでくれば、さすがに帝国の追っ手は来ないだろう。
セラッタから追っ手が差し向けられたのなら、もっと早く追いついてくるだろうからだ。
今更、その可能性は低い。
そうした判断は妥当なものだった。
……帝国の追っ手に限るなら、それは事実だったのだ。
◆想定していたのより、ちょっと長めになりました。
切るのもなんなので、このままで。
◆次回更新は、できれば1/24付近。
今回ちょっと長かったのと手こずったのとで、二週間後あたりに多目に更新(1/31)というかたちになるかもしれません。そのあたりは流動的で。
前話の感想返しについては、今日明日中に。






