表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
3章.ありのままの彼女を愛して
56/321

02. 夢の彼女、ここにいる君

(注意)本日2回目の投稿です。













   2



 ――星を見に行かないかと言い始めたのは、中学校の頃から付き合いがある友人の鐘木幹彦だった。


 高校生になったばかりの四月下旬、地域の科学館が催した星空の観察会は夜の学校で行われた。


 これは新しい学校での交流を深めることを目的とした行事の一環で、夜空の観察をする都合上、土曜を利用して泊り込みで行われた。参加者は三十名プラス、引率の教師が二名。幸いなことに、おれも幹彦も抽選に漏れることなく参加できた。


 当日の夜、参加者は学校の屋上に集められた。そこで、まずは星空のお勉強だ。

 誘われて参加したという経緯からも、おれはもともとさほど星に興味があるわけではなかった……というより、参加者の大半はおれと似たり寄ったりのものだったが、そのあたりは先方も承知しているらしく、学校に派遣されてきた学芸員の男性の説明は工夫されていて、なかなか面白かった。


 そのあとは実際に天体望遠鏡で月や惑星を観察したり、課題として出された天体を探したりした。デジカメのセルフ・タイマーで星を撮影していると、ふざけて撮影の邪魔をする生徒が現れて、お目付役の教師の注意が飛んだ。


 そんな非日常的な――けれど、日々の当たり前な営みのなかにある光景。

 なぜだろうか、それを見ていて、胸にこみ上げるものがあった。


 夜の学校の屋上なんて初めて見るはずなのに、懐かしくって仕方ない。

 ここにあるのはおれたちの生きる世界だ。わざわざ確認するまでもなく、そのはずだ。……そのはずなのに、それが酷く遠いものに感じられてならなかった。


 思い出さないようにしていたなにもかもが、うっかり溢れ出しそうになる。

 蓋をして押し込めていた想いが溢れ出してしまいそうになる。


 ……涙を流したらいけない。

 以前にはなかったことをした時点でこの夢は簡単に瓦解してしまうと、おれの深いところが理解していた。

 そして、そんなことをしなかったとしても、そろそろこの夢は終わりに近づいていた。視界の端のほうから、世界が少しずつ失われていっている。

 もう星も見えない。


 そのとき、夜の屋上に佇むひとりの女子生徒が、こちらを振り向いた。

 整った顔立ちの女の子だった。さすがは高校。こんな可愛い子もいるのかと、参加者が集まったときにちょっと変な驚き方をした覚えがあった。彼女は別のクラスだし、特に接点もないので、これから先も交流はないだろうけれど……。


 と、目が合ったその女の子が、にこりと笑った。

 月明かりの下では白っぽく見える色素の薄い髪がなびいて――おれの視界は、そこで真っ暗に暗転した。


   ***


「あ、ご主人様。目が覚めた?」


 目覚めて最初に見たのは、おれが仰向けに寝ているベッドに腰掛けてこちらを振り返る制服姿のリリィだった。

 木枠の嵌った窓は開け放たれていて、そこから差し込む朝日によって、少女の全身は暗い部屋のなかに浮かび上がっていた。色素の薄い亜麻色の髪が透き通って輝いている。それはまるで一幅の絵画のような光景だった。


「おはよ、ご主人様」


 目が合ったリリィが、にっこり親しみのこもった微笑みを浮かべた。

 その笑顔が一瞬、いつかどこかで見た光景と重なって見えた。


「ん? どしたの?」

「いや。なにか……」


 眉間を押さえつつ、おれはベッドに身を起こした。


「なにか懐かしい夢を見ていた……ような気がした、んだが」


 夢特有の曖昧な感触は、既に遠ざかってしまっている。寝起きの重い頭に残ったのは、奇妙な既視感だけだった。


「夢? なんの夢を見ていたの?」


 リリィが目を瞬かせる。


「悪い夢?」


 気遣わしげに言って身を乗り出す彼女が伸ばした指先が、おれの額に触れた。

 少しだけ低い体温。慣れた彼女の体のぬくもり。……ここにいるのはリリィなのだと、そんな当たり前のことを思って、おれは小さく苦笑した。


「……いや。たいしたことじゃない。それより、帰ってきてたんだな」

「あ、うん。ついさっきね。いまは小休止ってところ」


 おれの額から手を離して、リリィはこくりと頷いた。


「他のみんなは?」

「ローズはさっきまでここにいたんだけど、わたしが帰ってきたのと入れ替わりで、いまは加藤さんの顔を見に行くって出て行った。ガーベラはわたしのほうを手伝ってもらったあと、ここで寝てたんだけど、やっぱりさっき行っちゃった。あやめと一緒にお散歩してくるって言ってたよ」

「出歩いてるのか……大丈夫か?」

「相変わらず心配性だねえ」


 リリィが少し呆れ気味に、同時に微笑ましげに口元を緩める。

 無意識のうちに眉を寄せていたことを自覚して、おれは少しだけ気恥しくなった。


「大丈夫だよ。あやめがちょっと心配だけど、ガーベラにはきちんと見ているように言っておいたから」

「そうか。いや、わかった。ありがとう」

「ご主人様も出るんでしょ? じゃあ、着替えてて。わたしは朝食を頼んでくるから」


 そう言って、リリィは部屋を出ていった。その間におれは着替えてしまうことにする。

 寝巻を脱いでから、畳んで置いてあったガーベラ作の衣服に手を伸ばそうとすると、それに先んじて、にょきにょきとおれの左手の甲から伸びた寄生蔓・アサリナが、服を引き寄せてくれた。

 礼を言って受け取って、おれは服に腕を通す。

 着替え終わって朝食を摂ったら、今日はシランに会う予定だ。彼女からは、砦の現状について色々と話を聞くつもりだった。


「……」


 おれを含んだ転移者たち十名余が滞在していたここチリア砦が、もうひとりのモンスター・テイマー、工藤が操るモンスターの大群に襲撃されたのは、もう二日前の出来事になる。


 あの事件のあと、おれは砦の居住区のワンフロアを借り受けて、ローズやガーベラも含めた眷族全員と揃ってチリア砦に滞在していた。

 先日の襲撃によって死者が多数出たため、砦の内部で利用不可能なまでに破壊された区画を差し引いても部屋は余り気味だ。おれたちが余分に部屋を使っていても問題はなかった。


 もともと、チリア砦には帝国南方方面軍、帝国第二騎士団、同盟第三騎士団のみっつの軍事組織が駐留していた。

 現在、砦の生き残りは、帝国南方方面軍が約三百名、同盟第三騎士団が約五十名、非戦闘員が約百名程だ。転移者の生き残りを救出するために飯野優奈とともに樹海深部へ向かった人員を除けば、帝国第二騎士団は十文字の裏切りの際に全滅している。


 元々、チリア砦には二千人以上の人員が詰めていたといえば、これがいかに壊滅的な損害であるのかがわかるだろう。


 人間相手の戦争であったなら、ここまでの被害が出る前に降伏することもあったかもしれない。それが期待できないモンスター相手の、それも逃げ場のない戦いであったからこそ、被害は甚大なものとなったのだ。


 その一方で、砦に滞在していた転移者に関しては、今回の事件の主犯だった十文字達也が死亡。共犯者であった坂上を含めると九名のコロニー残留組の生徒と、探索隊では渡辺芳樹が亡くなっている。

 生き残ったのは、おれの他には幹彦、三好太一とその同行者が三人。まだしばらく樹海から帰ることのない飯野優奈。そして、工藤陸だけだった。


 ――ねえ、先輩。ぼくと手を組みませんか?


 あの日、おれは同類である工藤の差し出した手に応じなかった。

 その手を握るということは、これまでおれが大事に抱えてきたあらゆるものを捨て去り、彼と同じ怪物になることだと理解していたからだ。


 けれど、本人も言っていたことだが、彼がおれのことを諦めることはあるまい。

 いずれもう一度あいまみえることになるはずだった。


 姿を消した彼がどのようなかたちで再びおれの前に現れるのか、そして、そのときにおれはどうなっているのか。それはいまのおれには想像もつかないことだった。


「どうしたの、ご主人様?」


 ふと気付いたときには、リリィが部屋に戻ってきていた。

 手にしたお盆には、炊き出しされたものなのだろう、煮崩れた根菜と干し肉がごろごろ入った粥らしきものが乗っている。

 リリィはそれを窓際に置かれた丸テーブルの上に置くと、不思議そうな目をこちらに向けた。それで、おれは自分の手が停まっていることに気が付いた。


「あ、ああ。ちょっとぼうっとしてた」


 誤魔化し笑って、おれは未来に対する漠然とした不安を胸の奥に沈めた。

 手早く服を着替えると、おれはリリィと向かい合って椅子に掛けた。


 目の前には一人分の朝食。首を傾げる。


「リリィは食べないのか?」

「もう。寝ぼけてるの、ご主人様? わたしはもうたくさん食べてるでしょ。小休止で戻ってきたって言ったじゃない」


 ぽんと軽くリリィは自分のお腹を叩いた。

 おれは思わず視線を下げて、すぐに逸らした。親密な仲とはいえ、相手は女性だ。あまりじろじろと見るものではない。


「そういえば、そうだったな。……処理のほうの進捗具合はどうだ?」

「うーん。昨日から今日に掛けてで、おおよそ三割くらいかなぁ」


 昨夜から今朝にかけて、おれの護衛についてはローズに任せて、リリィはおれのもとを離れていた。

 おれが彼女にしかできない仕事を任せたためだった。


 未曽有の危機を乗り越えたチリア砦だが、生き残りは休む暇もなく事後処理に追われている。

 砦を預かっていた軍の上層部は、功に逸って参加した例の反攻作戦のおりに、本性を現した十文字の魔法で吹き飛ばされてしまい、まとめて鬼籍に入っている。なし崩し的にいまは同盟騎士団の団長が生き残りの指揮を執って後処理を進めているが、そのなかで最大の問題が、おびただしい数の戦死者だった。


 魔力が豊富な樹海という土地柄、放っておけばこの膨大な戦死者はグールとしてモンスター化してしまう。数日以内に早急に対処しなければ、せっかく危機を乗り切ったチリア砦は内側から亡者に喰い破られてしまう可能性さえあった。

 もちろん、そうでなくても放置された遺体は腐り、疫病の原因になる。そこで、まずはそちらの処理が優先されたのだが、残された遺体というのは人間ばかりではない。砦に押し寄せてきていた大量のモンスターもまた、砦のそこかしこに屍を晒していた。


 こちらに関して、おれは騎士団に協力を申し出ていた。


 おれたちがこちらの作業を担当した理由は色々あるのだが、そのひとつには、工藤が言っていたことがあった。

 この世界では、モンスターに限らず魔力を持つモノを倒せば魔力を得ることができる。工藤が言うには、ただ殺すだけではなくその肉を食べたほうが、より効率よく多くの魔力を得られるということだった。

 実際、そのために工藤は、膨大な魔力を秘めた転移者の遺体を回収していた。


 それは当然、ただのモンスターに関しても当て嵌まる法則だ。

 そういう意味では、砦に転がるモンスターの屍を処理することは、おれたちにも十分なメリットがあった。


 その点、最大の適性を持つのがリリィであることは論を待たない。

 彼女はスライムだ。その特性は捕食にある。さっきはポーズでお腹をさすっていたが、不定形生物である彼女の食事量には胃袋という制限がない。ついでに言えば、彼女はミミック・スライム。捕食したモンスターに擬態して能力を得ることができる。


 そういうわけで、おれはリリィにモンスターの処理をお願いしていたのだった。

 ちなみに、ガーベラにはモンスターの屍をリリィのいる部屋まで運搬するように頼んでおいた。その彼女が朝の散歩に出掛けたということは、彼女の作業のほうはひと段落ついたのだろう。


「しかし、三割か。思ったよりも良いペースだな」

「時間が経つと腐るのを優先しているから、消化が早いっていうのもあるけどね」

「なるほど」


 昨日はおれもリリィの作業に途中まで付き合った。その間に見た様々なモンスターを脳裏に思い浮かべて、おれは頷いた。

 二日前はチート持ちの十文字の対処を優先して、なるべくモンスターとの戦闘は避けたので交戦はしなかったが、無生物系のモンスターだと身長一メートルほどの泥人形のマッド・ゴーレムや、暗赤色の多面体の集合体ファイア・エレメンタル、他にも、金属質の外殻を持つ大蟻のスチール・アント、巨大な陸亀アーマード・トータスなどがいた。


 スライムの消化・吸収能力は、言ってしまえば、魔力を用いたモンスターとしての特性のひとつだ。大抵のものは消化できる。しかし、どうしても相性というものはあるし、ものによってはそれなりに時間がかかってしまう。


「ま、それでも数日以内には処理できるよ」

「そうか。なら、しばらくはそちらに集中していてくれ。数があるから大変だろうが……」

「ううん。別に大変じゃないよ。わたしとしても、これだけいっぱい食べられるなんて生まれて初めての経験だもの。というより、むしろ……」


 ぺろりとリリィは唇を舐めた。赤い舌が艶めかしい。

 おれは思わず粥を口に運んだスプーンを咥えて硬直した。


「……あのね、ご主人様」


 呼びかけとともにリリィが浮かべた微笑みには、どこか艶があった。


「わたしって、ほら、スライムじゃない? スライムは食べて大きくなって分裂するのが本分よね」

「ああ。そうだな。……だけど、それがどうしたんだ? というか、リリィ。お前、どうかしたのか? なにか様子が……」


 いまのリリィは、なんだか妙に色っぽい。

 たじろぐおれに、かぶりを振ってリリィは言った。


「ううん、別にどうとも。わたしは普通だよ。そう、これが普通……だって、食べることは、増えること。増えることは、殖えることだもの」

「……」


 それはつまり、リリィのスライムとしての生態が、擬態によって獲得した少女の性質にも影響を及ぼしているということだろうか。


 腰を浮かせたリリィが、身を乗り出してくる。

 赤らんだ可憐な顔立ちが近付いた。

 伸ばされた指先が頬に触れる。少女の甘い匂いが鼻先に薫る。パーソナル・スペースの甘やかな越境は、特別なふたりだけに許されたものだった。


「ねえ、ご主人様……」


 至近距離でとろけた笑みを浮かべたリリィに、おれは息を呑んで――


「……朝からなにをするつもりだ」


 ――左手の指で、リリィの額を弾いた。


「やんっ」


 身を乗り出していたリリィが、額を押さえて席に戻る。

 おれはそんな彼女を半眼で見詰めた。


「今日はこれからシランのところに行くんだ。もたもたしてる時間はないだろ」

「はーい……」


 額を押さえたまま、お行儀悪くテーブルに突っ伏したリリィが返事をする。

 彼女のそんな無防備な仕草を見下ろしつつ、内心おれは胸を撫で下ろしていた。


 ……危なかった。もう少しで流されるところだった。

 なにが怖いって、流されてしまわなかったことを残念に思う自分が、心のどこかにいるのが恐ろしい。


 このままこうしていると、ひょんなことから再び胸の火種が燃え上がってしまうかもしれない。

 おれはもう残りわずかだった朝食を掻き込んで、席を立った。


「ほら、行くぞ」

「ん、了解。……ねえ、ご主人様?」


 意外と素直に聞きわけたリリィは、けれど立ち上がることはなくテーブルに上半身を預けたまま、目だけを動かしておれのことを見上げた。

 またなにを言い出すのかと身構えたおれに、彼女は言った。


「不安なことがあったら、いつだって寄りかかってくれていいんだからね?」

「……」


 そこで、おれはふと気付いた。

 リリィと他愛のないやり取りをしているうちに、工藤のことを思い出して不安に思っていた気持ちが薄れているということに。


「リリィ、お前……」


 硬直したおれを見て、リリィはふわりと微笑した。

 敵わないなと、素直にそう思わせる笑顔だった。おれは頭を掻いた。


「……わかったよ」


 座るリリィに手を差し出す。

 にこりと笑みを深めたリリィが手を取って立ち上がった。


 けれど、そこでとめてやらない。いつまでもやられっぱなしでは、バランスが悪いだろうと思うから。

 おれは彼女を更に強く引き寄せた。


「わっ」


 これは予想していなかったらしく、思いのほか簡単にリリィを捕まえることができた。


 そのまま愛しい彼女を、ぎゅっと抱きしめる。

 甘い体温と心地よいやわらかさに意識を浸す。


 ほんの二秒だけ甘えさせてもらって、おれは彼女を解放した。

 たったそれだけのことで心が軽くなっていた。単純なものだと思いはするが、それは決して悪いことではないようにも思える。


「さて。そろそろ行くか」

「うん」


 微笑み合い、おれたちは連れ立って部屋を出た。


◆まとめて今週更新したので、次回の更新は再来週(11/8)あたりを予定しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ