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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
3章.ありのままの彼女を愛して
55/321

01. 東の地に吹く風

お待たせしました。


第3章スタートです。

   1



 大地を蹴って、己の体を前に押し出す。

 障害物の多い森のなかを、立ち並ぶ木々を右に左に避けて走り抜ける。


 風を感じる。疾走によって生まれた偽りの風を。

 それは、この世界で自分だけが感じている風だ。

 前に進んでいるのにうしろに吹き飛ばされてしまいそうな錯覚を起こす空気の圧力は、駆ける速度の異常さを物語っている。


 その異常さを、わたしは肯定する。

 そうでなければ守れないものがある。だから駆ける。駆け続ける。胸の熱が燃料となって、わたしの体を飛ばしていく。


 そうして辿り着いたのは、巨大な砦だった。

 その名を、エベヌス砦。濃密な魔力を帯びた森――樹海の北域に生息するモンスターを押さえるための人間世界の橋頭保のひとつは、出発したときと同じ佇まいでわたしを出迎えてくれた。


 それが嬉しく、ほっとして……だからこそ、許せないと感じている。

 わたしは胸のなかの憤りを宥めながら、砦までの最後の道程を消化した。


   ***


「あ、あれ? ひょっとして、お前、飯野か……? 帰ってたのか!?」


 砦に迎え入れられて数分、砦の通路をずんずんと歩いているわたしを見掛けて、何人かの顔見知りが声を掛けてきた。

 その誰もがわたしの仲間たち――探索隊のメンバーだ。


 もう四ヶ月以上前に、わたしたちはこのわけのわからないふざけた世界に転移させられた。

 人間社会と隔離された深い森のなか、常識ではありえないモンスターがわたしたちに牙を剥いた。そんな目に見える危機に立ち向かい、みんなが安心して生きられる場所を探すために結成されたのが探索隊だ。


 どういうわけか、この世界に転移させられた際に、わたしたち転移者のなかには常識外れた力を手に入れた者たちがいた。

 わたしたちは、モンスターに対抗するためのこの力を『チート能力』と名付けた。そして、一緒に異世界に飛ばされた無力な仲間たちを守るために立ち上がり、探索隊を結成したのだった。


 そのなかでも、わたしには特に強力な力が備わっていた。

 圧倒的な身体能力を誇る探索隊での最速。『韋駄天』の飯野優奈。それが、いまのわたしだ。


「なあ、おい。どうなってるんだよ」

「渡辺の馬鹿は? 十文字はどうした?」

「お前が向かったチリア砦から連絡がないってんで、こっちじゃ心配して……」

「ごめん。その件で、ちょっと部長……じゃなかった、リーダーに話があるんだ。詳しい話はあとでそっちからあると思うから」


 話しかけてきた何人かの知り合いをやりすごしつつ、とにかくいまは目的地へと急ぐ。

 わたしたち探索隊は、エベヌス砦でいくつかの部屋を間借りさせてもらっている。わたしが向かっているのは、リーダーの部屋だ。駆け出したいのを我慢して、わたしはつかつか廊下を歩いた。


「ま、待てよ。飯野! リーダーんとこには、いま、客が来てるんだよ」

「来客?」


 そんなわたしに追いすがってきた男子生徒、河津朝日の言葉に、わたしは眉を顰めた。


「悪いけどね、河津くん。そのお客さんっていうのは、どうせ帝国のなんとか伯爵とか、どこそこ子爵の使いが挨拶をどうのこうのって話でしょ。いまはそんなこと言ってる場合じゃないんだってば」

「い、いや。そうじゃなくてだな……」


 なんてやり取りをしている間に、部屋についた。

 軍事施設とは思えないくらいに高級そうな扉は、わたしたちのリーダーがこの砦において、下にも置かぬ丁重な扱いを受けていることの証拠だった。


 その扉の向こうに気配を感じた。

 わたしがノブに手を伸ばす前に、扉がひらく。

 その向こう側にいたのは、二メートル近い長身の男性だった。


 わたしが求めていた人物ではない。さっき河津くんが言っていた客人というのは、多分、この男のことだ。


 まるでこの砦そのもののように、重厚な雰囲気の男だった。

 年は三十を越えたくらいだろうか。肩幅が広く、良く鍛えられている体は分厚い。重厚な鎧は、エベリア砦に駐留している帝国騎士のものとも帝国軍のものとも違っていた。


 少し驚いたのは、どことなく、その男性の顔立ちがわたしたちのものと似ていたからだ。

 この世界には、人種はひとつきり――わたしたちの世界でいうところの白人しかいないと、以前にどこかで聞いている。


 しかし、目の前の男性の顔立ちは、彫りこそ深いものの、わたしたち日本人のものに似ていた。ハーフっぽい顔と言えば、わかりやすいかもしれない。ヘイゼルの瞳だが、短く刈りそろえられた髪の色は見慣れた黒だった。

 そのうしろに随伴している、これまた大柄な禿頭の男性の肌の色は浅黒い。わたしたちの世界の黒人よりかなり薄いが、この世界の人間としては珍しい。少なくともわたしはエベヌス、チリアどちらの砦でも、彼らのような人間は見たことがなかった。

 もっとも、日本人でも彫りの深いひとはいるし、個人差と言えばそれだけのことかもしれないが……。


 そうしてわたしが男性ふたりのことを観察することができたのは、向こうもわたしのことを見ていたからだ。

 太い眉の下から、ヘイゼルの瞳がわたしのことを見詰めている。

 それは決して、男性が女性に向ける下劣なものを含んだ視線ではなかった。……というか、もしもそうなら、わたしはその岩のような顔に拳骨を叩き込んでいる。


 そうではなくて……それはまるで、わたしという存在を見定めようとでもいうような視線だったのだ。

 なんとなくだが、わたしは警察官の父のことを思い出した。

 尊敬する父が、悪さをしたまだ幼かったわたしに向けた眼差し。どこか懐かしい厳格さが、自然とわたしの身をすくませる。


「失礼した、お嬢さん」


 たじろいで道を譲ったわたしに、男は胸に手を当てて丁寧な礼をした。

 視線が切れて、わたしは無意識に詰めていた息を吐いた。

 恐ろしく重厚な気配を漂わせたその男性は、そのまま廊下を去っていく。その背中を見送っていたわたしは、傍らから掛けられた声で我に返った。


「……なぜ、あなたがここにいるのですか、飯野さん」


 部屋の入口に立っていたのは、制服姿の背の高い少女だった。


「……栗山さん」


 栗山萌子。探索隊でリーダーの護衛をしている、わたしよりひとつ年上の三年生だった。ノンフレームの眼鏡の下の怜悧な目が、わたしと傍にいた河津くんを順番に見る。


「それに、河津さんはなぜここに? あなたには仕事を任せていたはずですが?」

「あ、え。その……」

「なんですか」

「……すんません。すぐに戻ります」


 わたしについてきていた河津くんを冷たい視線で追い払って、栗山さんがこちらを向いた。うわ、とわたしは内心で声をあげた。


「飯野さん。あなたはコロニー生き残りの救出のために、チリア砦にいたはずでは? 別命があるまでは、救出任務に携わることになっていたように記憶していますが?」

「は、はい。いま、帰ってきたところです。リーダーに話があるんだけど、とりついでもらえますか?」


 ひとつ年上のこの先輩のことが、わたしは少し苦手だった。

 わたしたちの元いた世界では成績優秀で、家業を継ぐために医学部を目指していた才媛だとか聞いている。実際にとても頭がいいし、リーダーをサポートしてはいる……のだけれど、どうにも暗くて冷たいものを感じるのだ。

 どうして彼女を重用して近くにおいているのか、この点に関してだけはリーダーの判断に納得がいかないくらいに。


 ……と、そんなことを考えている自分がいることに気付いて、わたしは自分を嗜めた。

 こんなことではいけない。彼女は信頼できる探索隊の仲間のひとりだ。学校の皆を守るために遠い東の地に向かうことを決めた、勇気ある同胞たちのひとりなのだ。

 それに、あのリーダーが彼女を認めて近くに置いている。あのリーダーが、だ。その時点で、彼女がもっとも信頼できる人間のひとりであることは疑いようがない。


 リーダーにはきっと、わたしには見えない彼女の美点が見えているのだろう。


 ……まあ、そうであったところで、彼女に対するわたしの苦手意識が消えるわけではないのだけれど。


「その声、飯野か?」


 だから、部屋のなかから少年の声が届いたとき、わたしはちょっとほっとしてしまった。


「通してくれよ、萌子。飯野には色々と聞きたいことがある」

「……わかりました。どうぞ、お入りください。飯野さん」


 栗山さんがわきに道を譲り、わたしは部屋に通された。

 背後の栗山さんを気にしつつ、部屋の奥に進む。

 広い部屋の隅にある、足の短いテーブルと向かい合ったソファ。先程まで、そこで客人を迎えていたのだろう。わたしたちのリーダー、中嶋小次郎がそこにいた。


 見慣れたわたしの目から見ても、整った容姿の少年だった。

 アイドル・グループのなかにいてもおかしくないような甘いマスク。意思の強い眉。引き締まってすらりとした長身は、こちらの世界の服に包まれている。

 探索隊では、この世界の衣服に袖を通した者とそうでない者がいる。わたしなんかは、極々単純に元の世界の服のほうが快適だからという理由で制服を着用し続けているが、それとは逆に、リーダーはこの世界の衣服に真っ先に袖を通し、なんと制服他の物品については処分してしまった。


 それは、彼なりの意思表明なのだと思う。特に彼は、その立場上、異世界人の要人や、その使いと接する機会も多い。

 ここエベヌス砦に滞在している探索隊メンバーには、そんな彼に倣った男子生徒が三十名ほどいた。男なんて馬鹿ばっかりだと女友達と笑い合ったのは、チリア砦に救援に赴く前の出来事だったか。


「よく帰ったな、飯野。みんな心配してたぞ」


 立ち上がったリーダーが、わたしのもとに歩み寄ってくる。

 それだけで空気が変わる。ただ話しかけられただけで安心感を覚える。


 これがつまるところ、カリスマというものなのだろうと思う。

 わたしは気の緩みを自覚して、だからこそ、それではいけないと自分を叱咤した。


「連絡ができなくて、ごめんなさい。部長……じゃなかった、リーダー」

「部長でも別にかまわないけどな」


 こんなやりとりも、ずいぶんと久しぶりだった。

 わたしたちは、元の世界にいた頃は同じ剣道部に所属していた。もちろん、活動自体は男子と女子に分かれていたが、先輩後輩の関係で交流はあった。

 思えば、その頃から彼はどこか他の生徒とは違っていたかもしれない。


 彼がいなければ、わたしたちは恐らくこの異世界で数日ともたなかっただろう。たとえば、わたし自身のことを思い返してみるだけでも、それはよくわかる。


 この世界にやってきて、わたしは尋常ならざる力を手に入れた。

 けれど、力はただ力だけでは意味がない。わたしは襲いかかってくるモンスターからみんなを守ろうとしたけれど、それだけでは駄目だった。守ろうという意思を、きちんと現実にしてくれたのが彼だったのだ。


 いまでも鮮明に思い出せる。あれは転移二日目のことだ。

 のちにコロニーと呼ぶようになる仮設集落の建造さえ、まだ始めていなかった頃のわたしたちは、勇気を振り絞って周辺地域の探索を始めた。


 自覚のあったチート持ちは、まだ百名程度。めいめい勝手に周辺を探索するうち、何度もモンスターと遭遇していた。


 戦いの喧騒はモンスターの気を引いた。近付いてきたモンスターとの戦闘は、さらにモンスターを引き寄せた。


 気付いたときには、もうどうしようもない状況になっていた。なにしろ、平和な日本から転移してきたばかりのわたしたちには、ろくな戦闘経験すらなかったのだ。

 わたしたちは、もう少し慎重にならなければいけなかった。けれど、組織立って動けていなかった当時のわたしたちには、そんなこと不可能だった。


 当時ですでに誰よりも速く走る異能を持ち、多少なり剣を振るうことに慣れていたわたしでさえ、絶望に目の前が真っ暗になった。


 たとえば、わたしひとりが生き残ることならできただろう。

 だが、なにも知らない数百名の無力な学生たちのもとにモンスターが押し寄せたら? ……その全員を守りきれるはずがない。


 わかりきった絶望的な未来を思って、わたしは自分の無力さに打ちひしがれた。

 わたしがなにをどう思ったところで、なにもできないのだと理解した。

 それでも戦わなきゃいけないと思って、萎えそうな足をモンスターの大群に向けた。


 けれど、そこで他のチート持ちを掻き集めて、彼が来た。

 押し寄せた樹海深部のモンスターを前に、己の能力である光り輝く黄金の剣を携えて、惨劇の未来を思って震えるわたしの肩を叩いて、彼は言ったのだ。


 ――胸を張れ。飯野優奈。他の誰が否定しようが、たとえお前自身が認めなかろうが、おれだけはお前の意思を価値あるものと認めてやる。

 ――飯野だけじゃない。お前たちの価値はこんなものか? ここで終わりだとでも?

 ――おれは認めない。こんなところで、こんなかたちで、ゲーム・オーバーなんて認められるか。絶対に諦めるな。おれに続け!


 ただでさえ注目を集める光り輝く剣を振り回し、わざと目立つように振る舞った彼は、背後にいる守るべき無力な学生たちから離れた場所に、まずはモンスターを誘き寄せた。

 そこから先は、獅子奮迅の大活躍だ。強大な力と怖じぬ心で誰よりも多くのモンスターを屠りつつも、戦闘経験の浅さから別の生徒が致命的な場面に陥れば、そのフォローさえしてみせた。そのときに戦闘に参加したのは五十人に満たなかったけれど、たったひとりの活躍によりその力は何倍にも膨れ上がった。


 戦いが終わったあと、自然とわたしたちの中心は彼になっていた。

 彼の提案によって探索隊が結成された。最初は五十名程だったのが、徐々にメンバーが増えていった。他にも組織を作ろうという動きがなかったわけではないが、彼の精力的な活動が生徒たちをひとつに纏めていった。


 力こそ持てど、ただの烏合の衆だった学生たちをまとめあげた、わたしたちの英雄。それが、『光の剣』中嶋小次郎だった。


   ***


「正直なところ、助かった」


 わたしと向かい合って接客用のソファに座ったリーダーが言った。


「チリア砦から連絡がなくなって、もうずいぶん経つ。魔法技術を使った連絡手段が機能しない以上、この世界の情報伝達は遅すぎる。かといって、『韋駄天』を出している以上、下手な人間を寄越しても意味がない。よっぽど、おれが自分で行こうかと思ったんだがな」

「それは困りますね、隊長?」


 リーダーのうしろに立つ栗山さんが、口を差し挟んだ。


「隊長には、この世界でのわたしたち転移者の地盤を固めていただかなければ」

「……この通り、萌子がうるさくてな。こっちが動けない以上、そっちから戻ってきてくれて助かった」

「そういう意味でなくても、いま、彼女が帰ってきたことは幸運だったのでは?」

「あー、そうだな。それもあるか。間に合ってよかった」

「ちょっと待って。待って下さい。それはいったい、どういうことですか?」


 ふたりのやりとりにわたしは割り込んだ。


「あっ。そうだ。そういえば、さっきちょっと見たときに、妙にメンバーが少ないように感じました。ひょっとして、みんな、なにか用事があって外に出てるんですか? 大規模な掃討作戦でもあるとか?」


 間に合って良かった、という台詞からわたしはそう推測した。

 わたしがここにいたときから、リーダーがここエベヌス砦に駐留する騎士団に掛け合うことで、探索隊は周辺地域のモンスターの討伐を請け負っていた。


 慣例では、この世界にやってきた転移者は、帝国内にあるという聖堂教会に勇者として招かれる。けれど、わたしたち探索隊は召集の求めに応えなかった。なぜなら、コロニーに残っているはずの他の生徒たちを救出しなければならなかったからだ。

 樹海深部にあるコロニーに最寄りのチリア砦から連絡を受け取るのには、遠距離通信手段を備えたエベヌス砦が最適だった。帝都などに行ったら、樹海の奥で怯えている仲間たちを見捨てることになってしまう。探索隊内にも異論がなかったわけではないが、リーダーの意向によってわたしたちはエベヌス砦に留まることになったのだ。


 周辺地域のモンスターの討伐については、滞在させてもらっている間、なにもせずにいるわけにもいかないとリーダーが申し出たかたちだった。


 そちらの関連で、たとえば大規模な作戦があるとするのなら、わたし――『韋駄天』が間に合ってよかったという話にも頷ける。


「さっきの二人連れも、その関係ですか? なんというか、只者じゃない雰囲気でしたけど」

「『韋駄天』にそう言われるなら、あいつらも喜ぶだろうな。ともあれ、飯野の推測は半分正解ってところだ。あいつらが関係してはいるが、別になにかしら作戦がどうこうって話じゃない」

「それじゃあ……?」

「彼らは聖堂騎士団だ。飯野も聞いたことくらいはあるだろ?」

「聖堂騎士団……っていうと、この世界で勇者と一緒に戦う最大戦力だっていう……?」

「ああ。しびれを切らして、ついにおれたちのことを直接見定めに来たってわけだ。それも、団長自ら直々にな」

「見定める?」

「あいつらの仕事のひとつだと。現れた勇者が本物かどうかを見定める」


 わたしは先程の男の目を思い出した。

 あれはそういう意味合いだったのか。……愉快ではないが、この世界の住人にしてみれば異世界からの転移者は世界の命綱に等しい。本物かどうかを見定めることは必要なことなのかもしれない。


「とはいえ、確認みたいなもんだって言ってたけどな」

「そこで、肩を竦めて軽くそんなふうに言ってしまえるリーダーは、やっぱすごいですね」

「そうか? 確かに、あのおっさんの顔は怖かったけどな。それでも、モンスターほどじゃない。それで、その面接がさっき終わったってわけだ。結果は合格。異世界からやってきたのは嘘じゃないから、当然だけどな」

「良かったじゃないですか」

「そうだな。……ただ、これ以上ここにいるのは難しくなった」

「誘いを受けるってことですか?」

「ああ。向こうもどうも困っているらしくてな。政治の領分の話らしいが、そのあたりはよくわからん。……わからんが、おれたちとしても、こうして世話になっている以上、いつまでも無視してばかりもいられない。探索隊はエベヌスを出る」


 決定事項を告げる口調で言ったリーダーは、少し眉を寄せて難しげな顔をした。


「ただまあ、向こうとしては半分思惑を外されたみたいだったけどな。あいつらは少しばかり、ここに来るのが遅かった」

「遅かった?」


 首を傾げたわたしの疑問に答えたのは、栗山さんだった。


「いまここにいる探索隊は六十三名。おおよそ半分ほどです。いまは砦を出る準備をしています。残りの生徒たちは、既に砦を離れました」

「砦を離れた……? どこに?」

「さあ? 帝都かもしれませんし、そうではないかもしれません」


 興味の薄い声で告げられた事実にわたしは凍りつく。わざわざ『残りの生徒たち』と言い換えたことも含めると、なにが起こったのかはわかり切っていた。


「まさか離反者が出たんですか!?」

「その言い方は間違っているぞ、飯野。彼らは自分の意思で旅立ったんだ」


 リーダーはかぶりを振った。


「おれたちは別に、強制されて一緒にいたわけじゃない。この異世界に飛ばされて、目の前の危機を打開するために己の意思で集ったんだ。そうだろう? お前の言い分は、あのときのおれたちの想いを無為にするものだ」

「で、ですけど……」

「苦労して、やっとここまで来れたんだ。ここから先は好きに生きたいと思うのも、当然じゃないか? おれは黙って見送るし、あいつらの前途を祝福もしてやるさ。そもそも、コロニーに残っている奴らを助けたいっていうのは、おれの我が侭みたいなものだしな。おれが自分の意志でこうしているように、あいつらはあいつらで、この異世界での生活を楽しめばいい。おれに気兼ねする必要なんかないさ」


 それは、リーダーらしい台詞だった。

 彼はみんなの意志を大事にしている。そうした彼だからこそ、先の見えない旅を経て、百人以上の学生たちを率いてここまで来れたとも言えるのだ。

 わたしはもうなにも言えなくなってしまった。


「考え方を変えるなら――」


 そこで、栗山さんが口を差し挟んだ。


「――これで不純物が消えたとも言えますね?」


 睨みつけるわたしの視線にも構わず、栗山さんは続けた。


「ここにいるのは、隊長の理想に共感し、ともにいようとする者だけです。そして、それはあなたも同じだと考えていますが、どうですか、飯野さん?」

「そうだな。飯野には一緒に帝都まで来てもらいたい。もちろん、強制はできないが、来てくれたなら嬉しい」

「わたしは……」


 ふたりを前にして、わたしは一拍、答えることを躊躇った。

 けれど、既に心は決まっていた。ここに来る前から、そうしようと思っていたことがあったからだ。


「ごめんなさい、リーダー。わたしは一緒には行けません」

「そうか。どうしてなのか、聞いてもいいか? ……いや。そういえば、まだお前からチリアでなにがあったのか、報告を聞いてなかったか」

「はい。詳しいことはいまから話しますけど、わたしには、とっ捕まえなくちゃいけない奴がいるんです」


 わたしはぎゅっと拳を握りしめた。


「わたしが樹海深部まで、帝国騎士とともに生存者を助けに行っている間に、チリア砦はモンスターに襲われました。たくさんのひとが死にました。それがわたしたちと一緒にこの世界にやってきた人間のしたことだっていうんです。許されることじゃない。必ず、法の裁きを受けさせます」

「……そう、か。やはりチリア砦は」


 わたしの話に耳を傾けていたリーダーが、わずかに目を見開いた。

 けれど、チリア砦から連絡がつかないという時点で、こういう事態も想定はしていたのだろう。反応はそれだけにとどめて、目でわたしに話の先を促した。


「わたしは、これからすぐに砦を出ます。犯人を追うために」

「犯人……犯人か。誰がやったのか、わかっているのか?」

「情報が錯綜しているみたいで、核心を知っている同盟騎士の人間に会うこともできませんでした。……だけど、確実な容疑者のふたりの名前は聞けました。そのひとり工藤陸については、残念ですけど居場所がわかりません。どうやら樹海に潜伏しているみたいなんですけど」

「樹海は広い。そっちは後回しだな。ということは、追うのはもうひとりの容疑者ってことか」

「はい」


 わたしは頷いた。

 胸の憤りを押さえこみつつ、噛むようにその名を告げる。


「そいつの名前は真島孝弘。わたしはこれから、彼を追おうと思います」


◆プロローグです。

韋駄天さんがえらい勘違いをしている理由については追々。

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