33. 決着
(注意)本日2回目の投稿です。
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深い傷からおびただしい量の鮮血を撒き散らしながら、十文字はゆっくりと背後に倒れていく。その前には、血に濡れた剣を杖にして、辛うじて自分の体を支えるシランの姿があった。
倒れた十文字はぴくりとも動かない。通路の床に、赤い血溜まりが広がっていく。その光景を見て、おれの隣にいたリリィがつぶやいた。
「勝った……んだよね、ご主人様」
「ああ」
おれは短く応えて、長く伸ばしていたアサリナを引き戻した。
絡め取った十文字の長剣が、からんと床に跳ねて転がった。
勝った。確かに勝ったのだろう。だが、勝利の感慨よりも、単純に事件が終息した安堵感のほうが大きかった。
勝利に浸るには、あまりに犠牲が大きすぎたというのもある。砦に詰めていた大勢の騎士や兵士、九名の転移者たち。亡くなった者たちは、もう帰ってこない。
それでも、ここで十文字達也をとめられたことは、意味のあることだったと思いたかった。
この世界は『強い者が好き勝手に振る舞える』ものだという、諦めに満ちた工藤の言葉を、いまなら否定してやれるだろうか? この結末を以って、哀れなあの少年と、亡くなったすべての犠牲者への手向けにしてやりたかった。
「ご主人様」
リリィに声を掛けられて、気付いたおれは視線を巡らせた。
蜘蛛脚を二本失ってやや歩きづらそうにしたガーベラが近づいてきていた。そのうしろには、吐血に口元を汚したシランが続いている。
「負担を掛けたな、ガーベラ。それに、シランも」
「いやなに。たいしたことではない。妾たちは、妾たちの敵を倒した。それだけのことであろ」
「これはもとよりチリア砦を預かる我らの戦いです。孝弘殿が気に病むことはありません」
とはいうものの、ボロボロになった彼女たちの姿を見るのは忍びない。残務処理とでもいうべき仕事がまだ残っていることを考えれば、尚更だった。
「十文字は倒したが、砦にはまだモンスターが残っている。あともう少しだ。力を貸してくれ」
おれがいうと、気にするなとばかりに、少女たちの顔に笑顔が咲いた。
「了解だよ、ご主人様」
「無論です」
「うむ。妾が軽く蹴散らしてくれよう」
仲間たちの頼もしい返答におれも少しだけ笑って、今後の行動について思考を巡らせた。
いまのチリア砦には、侵入したモンスターを排除するだけの戦力はおれたち以外に残っていまい。モンスターの掃討と、生き残りの保護をしてやらなければならなかった。
ただ、モンスターであることを隠せないガーベラを連れている以上、おれたちが味方であることを誰の目にもわかりやすく示す必要があった。エルフであるシランひとりでは、そのあたりの説得力はやや弱いから、まずは少し離れたところで待機している同盟騎士団と合流するべきだろう。
方針が決まったところで、おれはリリィに声をかけた。
「リリィはガーベラを回復させてくれ。それが終わり次第、騎士団と合流しよう」
ガーベラはおれの眷属における最高戦力だ。たとえ掃討戦といえども、不測の事態を考慮すれば、回復させておいたほうが無難だろう。
もともとガーベラの自然治癒能力は高い。リリィの回復魔法でそれを促進すれば、数分以内に治療は終わるはずだった。
その短い間に、おれは後始末をしてしまうことにした。
アンデッド・モンスターであるため回復魔法の恩恵に預かれないシランも、これに付き合ってくれた。ありがたいことだった。これはあまり、気分のいい仕事ではないから。
「あ……あ。い……ぁ、だ……」
驚いたことに、十文字はまだ生きていた。
シランに斬り捨てられたときには、深い傷によって意識不明に陥っていたはずだが、そのあと、すぐに意識を取り戻していたのだ。
ウォーリアとしての強靭な生命力が、彼の命をこの世界に繋ぎとめていた。
しかし、それもそう長くは続かない。シランの与えた傷は、明らかな致命傷だった。探索隊メンバーでも特に回復に特化した者なら、ここからでも彼の容体を回復させることが可能かもしれないが、そんな使い手はこの砦にはいない。
いまの彼には、もはや絶望と苦痛しか残されていなかった。
彼に救いがあるとすれば、それはもうひとつだけだ。
「……介錯を、孝弘殿」
眉を寄せたシランが言った。
「たとえ千を超える命を奪った悪人と言えど、無為に苦しませるべきではありません」
「ああ」
言葉少なにおれは頷き、剣を片手に十文字に近づいた。
ごぼごぼと濁音混じりの声が聞こえた。
「おれは……ぇる。帰る、んだ……ひと、りでも……」
ずるずると這って移動した一メートルほどを、血の跡が汚している。
そこにいるのは、ただ生にしがみつく少年だった。
「……」
十文字に手を下したのはおれだ。
実際に斬ったのはシランだが、そんなのは関係ない。彼はおれが殺したのだ。
だから、その姿に憐れみを覚えるのは酷い偽善だと弁えている。
彼のやったことを考えれば、同情の余地はない。
けれど、この光景を見てなにも感じないようにもなれそうにない。
このあたりは、かつてローズ相手に語った通りだった。少しくらい戦えるようになったところで、おれは結局のところ、英雄にも怪物にもなれないままだ。
多分、それでいいのだと思う。他人の死に対してなにも感じなくなればどうなるのかは、十文字を見ていて嫌というほどわからされていた。
「孝弘殿。あなたに難しいのなら、介錯はわたしが……」
「いや」
気遣わしげなシランの申し出に、おれは首を横に振った。
責任逃れのようなことをするのに抵抗があったというのもあるが、あとあとのことを考えると、シランがとどめを刺すのは面倒事の種になる可能性があった。ただでさえ、いまの彼女はアンデッド・モンスターになってしまっている。先行きが不透明ないま、『英雄殺し』のレッテルまで彼女に背負わせるわけにはいかなかった。
「これは、おれの仕事だ」
おれは剣を振りかぶった。
……この剣が重く感じられるのは、目の前にいるのが人間だからだ。
徹頭徹尾、十文字はおれたちのことを人間として見ていなかった。けれど、おれが彼をどう見るのかは、それとは別の話だろう。
おれは十文字を殺す。
その事実を背負って、この世界をこれからも生きていく。
鋭い刃が肉を貫き、どぷりと血液が噴き出す。
命を断ち切る鈍い音が、通路に低く響き渡った。






