30. ご主人様の選択
(注意)本日2回目の投稿です。
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動けるはずのない死に絶えた体だったはずだ。おれはそれを確認した。
呼吸はなく、鼓動はとまり、血液は大方流れ出して、なにより剣に貫かれた心臓は、とっくに破裂してしまっている。誰がどう見てもそれは惨殺死体以外の何物でもなく、故に騎士シランが立ち上がることは二度とない。
……そのはずだったのだ。だが、事実としてシランは立ち上がっている。
それだけではない。魂消る叫び声をあげたシランの体に、おぞましい変化が起こりつつあった。
まるでパテで埋めたかのように紫色の肉が盛り上がって、深い傷が塞がった。
脇腹から垂れ下がっていた臓物が、ずるずると音を立てて体内に引きずり込まれていった。
失った左腕の断面からどす黒く変色した血液が噴き出すと、転がっていた腕に蛇のように喰らいついた。まるで逆回しにしたフィルムでも見ているかのように繋がった血液が本体に戻ると、それに引きずられて左腕も元の位置に収まった。
紫の肉が盛り上がり、左腕は接続される。
途端に、左手の指に嵌っていた指輪の色が、青から黄色へと変わった。
それはシグナルだ。
人界を守るエルフの少女が、人に仇為すモンスター……意思なき亡者であるグールへと変貌した証だった。
そう。条件は整っていたのだ。
グールの発生条件は、空間に満ちる魔力の濃度に関係がある。もともと魔力に溢れた樹海という土地に建つチリア砦は、千を超える人間と数百に及ぶモンスターの命が散華した死地となっている。グール発生に関して、これほどの好条件はそうそうないだろう。
おれのまだ拙い感知能力でさえ、この砦中に漂っていた魔力が、凄まじい勢いで目の前の少女の躰に吸い込まれていくのが感じられた。
「こ、の……貴様ァ、よくも」
痛みに頬を引き攣らせた十文字が立ち上がった。
それと同時に、シランの胸の真ん中に刺さっていた剣が、内側から盛り上がった肉に押されて抜ける。
転がった剣を拾い上げたシランは、痛みによろめく十文字に猛然と襲い掛かった。
「がぁあっ、あああぁあ!」
雄叫びとともに、袈裟がけに走る大振りの一撃。これを十文字は直剣で受け止めた。
「う、お!?」
重い斬撃を受け止めて、十文字の足が床にめり込んだ。
「がぁあ!」
切り返して、シランは逆袈裟に剣を打ち据えた。ぎしぎしと剣身が軋み、受け止めた十文字の体が大きく揺さぶられる。
そこから怒涛の如き攻勢が開始された。
繰り出されるシランの剣に、生前の繊細さなど欠片も残っていない。それはただ叩きつけるだけの乱暴な剣だ。
だが、その勢いもまた生前にはないものだった。
それも当然だっただろうか。彼女は既にモンスターだ。人間とは存在するステージが違っている。そのうえ、培われた繊細な剣技は失われているものの、生前に体に叩きこまれたものはいくらか残っているらしい。理性なき亡者が振るっているとは思えないくらい、剣筋は激しくも鋭いものだった。
鋼が唸る。風が鳴く。生者は呻き、死者が叫ぶ。
無論、十文字も黙ってやられはしない。
反撃の刃がシランの頬を掠め、肩を斬り抜き、太腿を裂いた。
「がぁあぁああ!」
しかし、シランはそんな傷には頓着しない。
もう終わってしまっている命は、己が傷つくことになど興味がないとでもいうのか。
そこにいるのは、紛れもなく一匹のグールだった。
「これは……さすがに割り込めんのう」
呆然として目の前の戦いを見ていたおれに話しかけたのは、先程まで十文字と戦っていたガーベラだった。顔面を修復したリリィも一緒にいる。
「すまんな。妾のミスで主殿を危険に晒した」
「いや。それはいい。そんなことより、シランの援護に向かってもらえないのか」
「それはちと難しい。無論、妾とて、こんな好機を逃したくはないが……」
ふたりの戦いを見て、ガーベラは優美な眉を顰めた。
「あれは、どう見ても敵味方の区別がついておらんぞ。肩を並べて戦ったなら、その肩を噛み切られるのが関の山だ」
「……」
反論しようのない正論だった。
「がぁ、ぁあ、あぁぁあアアアアッ!」
いまのシランに理性はない。
ひとたび彼女の剣の届く範囲に入れば、敵味方の区別なく肉片にされて貪られるだろう。これでは共闘などできようはずもなかった。
「孝弘殿!」
「団長さん」
いまが機と見たのか、団長が騎士を引き連れて駆け寄ってきた。
彼女はガーベラに目をやって一瞬だけ警戒する素振りを見せたものの、いまは気にしている場合ではないと気持ちを切り替えたらしい。視線を外しておれに話しかけた。
「いまのうちに撤退いたしましょう」
「ですが、シランが……」
「あれはシランではありません。勘違いしてはなりません。あれは、ただのアンデッド・モンスターです」
樹海で長年戦い続けているだけあって、団長の意見はドライだった。
きっと、こうしたことは過去にも経験済みなのだろう。
そうだ。あそこにいるのはシランではない。
シランの死体に宿ったモンスターだ。
シランは死んだ。死んでしまったら、それで終わりだ。死んでしまった少女のためにできることなど、なにもない。たとえ彼女が立って、歩いていようとも。それが、アンデッド・モンスターなんてモノが存在する、この世界の常識なのだ。
「どうする、主殿? そこの女が言う通り、いまなら妾たちも逃げられるがの」
ガーベラが尋ねてきた。
「それとも、あやつの仇が討ちたいというのなら、あのグールがぎりぎりまであの男を消耗させるまで待ってもよいぞ? 奴とて手負いだ。連戦すれば疲労も溜まろう。それなら妾でも倒せる可能性は十分にある」
ガーベラの言葉通り、十文字は怪我を増やしていた。
最初の噛み付きを利き腕で受け止めてしまったのが痛恨のミスだったのだろう。加えて、確かに殺したはずの亡者が起き上がって襲い掛かってくるというシチュエーションは人間にとって根源的な恐怖を呼び起こす。明らかに十文字の剣筋は鈍っていた。
そのうえ、グールとなったシランは、アンデッド・モンスターとしての存続に致命的な攻撃以外、無視して剣を振るっている。結果として、相打ちとなる場面が幾度となくあり、いくらチート持ちといえど無傷ではいられない様子だった。
シランも傷ついてはいるのだが、血液の零れ落ちることさえない『損壊箇所』は、例の肉が盛り上がってすぐに修復されるようだった。生前に負っていた怪我が修復された場所はそのままだが、それ以外の箇所は、しばらくすると元の通りの滑らかさを取り戻していた。
修復再生というアンデッド・モンスターとしての彼女の特性は、当然、魔力によって成立している。燃料切れになるまで、まだしばらくの間は抗戦可能だろう。おれたちが逃げ出すだけの時間を稼いでくれるだろうし、反撃のために十文字を弱らせてもくれるはずだった。
「どうする?」
ガーベラは問い掛ける。
シランを置いてこのまま逃げるか、彼女の仇を討つか。それとも……。
「……」
ほんのひととき、おれは目を閉じた。
瞼の裏には少女の笑顔。耳朶を叩くのは亡者の叫び。――心を決めて瞼を持ちあげる。
決意は定まった。あとは迷わず進むだけだ。……たとえ、そうした結果、なにがどうなろうとも。
「団長さん。ひとつ質問があるんですが、いいですか?」
「は? 質問……ですか?」
おれの口にした言葉に、団長は戸惑った様子だった。
「シランの様子が普通のグールとは違うように思えるんですが、心当たりはありませんか?」
おれは構わず問いかけた。
「おれは以前にグールと遭遇したことがあります。そのとき、あんなふうに傷ついた体の修復は行われていませんでした。グールになった騎士たちは、剣を使うことさえなかった。けれど、シランは違います」
「それがどうしたと……」
「いいから、答えてください。大事なことです」
有無を言わさぬ口調でおれが言うと、団長は不心得顔ながらも答えてくれた。
「……稀にですが、グールのなかにはああした変貌を遂げる者もいることは知られています」
「稀に、ですか。それはひょっとして、有名な騎士や戦士、魔法使いに多いということはありませんか? たとえば……そう、不死王カールのような」
それは、ケイから聞いた伝説上の人物だ。
魔道に優れた魔法国家の王が、恋人の死を切っ掛けとして、アンデッド・モンスターであるリッチに姿を変じた。彼は強靭な意志力によって、知性を残していたという。
「あれはお伽噺です」
「ええ。知っています。この世界では、それがお伽噺だと思われていることは」
アンデッド・モンスターが生前の意識を持つことはない。なぜなら、彼らはモンスターとなってしまい、そのモンスターが人のように意志を持つことなど有り得ないからだ。
それが常識だ。故に、不死王カールの伝説はただのお伽噺。そう思われている。
けれど、おれは知っている。意思あるモンスターというのが存在し得るということを。だとしたら、アンデッド・モンスターとて意志を残す可能性はある。もしも不死王カールの伝説が、過去に本当にあったことだったとするならば……。
「それで、どうなんですか? 団長さんの言うところの、『稀に見られる特殊なアンデッド・モンスター』になる人間には、なんらかの傾向のようなものはないんですか?」
「……そもそも、例が少ないですから傾向と言えるかどうかは疑問ですが」
そう言い置いたうえで、団長は思い返すように視線を天井に向けた。
「過去、優れた騎士が亡くなったとき、数例が知られているのは確かです。騎士団でのグール発生は醜聞の類ですので、公式な記録には残っておりませんが」
「なるほど。ありがとうございます」
おれは頷いて、いまも続くシランと十文字の戦いに目をやった。
「……ひょっとして、ご主人様」
察したのか、リリィがおれに声を掛けてくる。
「可能なの?」
「ああ」
おれは頷きを返した。
これはおれの力なのだ。できることとできないことくらいは、本能的に把握できている。
なんの話かわかっていない様子の団長たちに改めて目をやって、おれは端的に告げた。
「シランを取り戻せる可能性があります」
「な……っ!?」
「本当!?」
団長が絶句し、大きくケイが反応した。
「本当なんですか、孝弘さんっ! 姉様を生き返らせることができるの!?」
「……残念だが、生き返らせることはできない。だけど、アンデッド・モンスターの彼女に、心を取り戻させることはできるかもしれない」
飛びついて来たケイを受け止めてやり言うと、彼女は目を白黒させた。
「ど、どういうことですか?」
「そういえば、おれの能力の詳細までは、まだ話をしてなかったか。あのな、ケイ。おれの能力は単にモンスターを従えるだけじゃない。モンスターと心を繋げて、彼女たちに意志を与えることができるんだ」
いまのシランはモンスターだ。
なら、おれの能力の範疇内だ。心を繋げることはできるはずだった。
「もっとも、それも制限がないわけじゃないが」
おれの能力でも、無から有を生み出すことはできない。
心が萌芽する素養がなければ、モンスターに心を与えることはできないのだ。
だから重要なのは、アンデッド・モンスターとなったシランのなかに、彼女の意志が欠片でも残っているのかということ。けれど、そのあたりの心配は要らない。おれには確信があった。
「シランがアンデッド・モンスターとして目覚めたお陰で、おれもケイも死なずに済んだ。あれは、決して偶然なんかじゃない」
彼女がアンデッドとして目覚めたのは、おれとケイが危機に陥ったその瞬間だった。そんな都合のいい偶然が、この不条理な世界にあるはずがない。
「誰かを守りたいっていうシランの願いが、彼女の屍を動かしたんだ。たとえ、理性を失ってしまったところで、彼女の心は失われていない」
不死王カールの伝説に曰く、彼は強靭な意思力を持った優れた魔法使いだった。
これが仮に『意思持つアンデッド』の条件であるのなら、優れた精霊使いであり、強い願いを抱いて戦い続けてきたシランは、これらの条件を満たしている。
あそこで戦っているのは、無名のアンデッド・モンスターなどではない。シランだ。自分の死を覚悟して勇敢に戦った彼女は、死して尚、戦い続けている。
誰かを守りたい。ただ、その一心で。
それに、おれにはもうひとつ、彼女の心が残っていることを確信する理由があった。
アサリナを焼き切られ、緊急回避の手段を失い、十文字に斬られる未来を思い浮かべたあの瞬間のことだ。おれは確かに、その声を聞いたのだ。
――なんとしてでも、守らないと。
あのとき聞こえた声は、間違いなくシランのものだった。
十文字という共通の脅威に対する想いがシンクロし、ほんの一瞬だけ彼女との間にパスが繋がったのかもしれない。やはりアンデッド・モンスターは普段とは勝手が違うのか、いまはパスは切れてしまっているが、もう一度繋ぎ直せば声は届くはずだ。彼女の心はまだ失われていないのだから。
「だけど、そのためには彼女に触れる必要がある」
おれのチート能力の本質であるパスは、対象との距離が近ければ近い程、強く相手と結びつくことが出来る。直接、肌を触れ合わせることができたなら、彼女の心に触れることもできるだろう。
ただし、それはシランと十文字とのあの戦いに横槍を入れるということでもあった。
「つまり、わたしたちの出番ってわけだね」
くるりと槍を振り回して、リリィがガーベラに目配せした。
「良かろう。その間、あの男は妾が押さえよう。先程のような失敗はせぬ」
きゅっと唇の端を吊り上げたガーベラが、きちきち蜘蛛脚を鳴らした。
雪辱戦を期してのことか、好戦的な笑みが彼女の美貌を彩っていた。
頼り甲斐のある反応に小さく微笑んで、おれは抱きつくケイの体を引き離した。
「あの……孝弘さん」
わずかな抵抗があった。ケイの手がおれの服の裾を握っていた。
「うん?」
「姉様のこと、よろしくお願いします」
笑っておれはケイの頭を撫でた。
「任せろ」
『モンスターのご主人様』書籍版、本日より発売です。
リリィ視点書下ろし番外編も収録しましたので、お読みいただけると嬉しいです。
こうして本のかたちになりましたのは、これまで応援いただいた皆様のお陰です。ありがとうございました。
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