24. 隠し事
前話のあらすじ:
Ωの怒り。
(※違います)
24
砦の鉄門前で繰り広げられた吐き気をもよおす光景から視線を引き剥がしたおれの目に飛び込んできたのは、こちらに突撃してくる巨大カブトムシの群れだった。
「――っ!」
その光景を目の当たりにした瞬間、おれは窓から身を引いていた。
咄嗟の反応力は、樹海での長い生活の間に自然と身についていたものだ。迎撃の暇はなく、それが可能な数でもない。そう判断したときには、体内の魔力を駆動することで身体能力を向上させて、おれは背後に思いっきり飛びすさっていた。
それと同時に、幹彦の着ている学生服の首根っこを引っ掴み、近くにいたケイの体を抱え込んだ。
これがおれの精一杯だった。
あとはもう、手が届かない。
阿吽の呼吸で動き出していたリリィが、おれのことを抱きかかえて跳躍する。目指すのは、螺旋階段へと続く扉。生きた砲弾が見張り塔の最上階を蹂躙したのは、その一瞬あとのことだった。
「あぁあああっ!?」
門前の出来事に視線が釘付けになっていた兵士が、窓から飛びこんできたスタブ・ビートルの角に貫かれて絶叫した。兵士の体を引っ掛けたままカブトムシは向かいの壁に激突し、兵士は腹のなかのモノを全て吐き出して絶命した。
窓からだけではない。激突音とともに壁に亀裂が走り、破砕され、次から次に虫の弾丸が部屋を横断していった。
通り過ぎた羽音の近さに、おれはぞっと肌を粟立たせた。運が悪ければ、おれたちも強烈な体当たりを喰らっていただろう。実際、数人の兵士たちが薙ぎ倒されて、断末魔の悲鳴をあげていた。
「うく……っ!?」
生きた心地さえしない数秒ののちに、おれは背中で扉を破っていた。
背負っていた盾越しに受けた衝撃に息が詰まるが、魔力を巡らせ身体強度を上げていたため、意識を失うことはない。
……そのために、おれは阿鼻叫喚の行き着く終末を見届けることにもなったのだ。
たった数秒のうちに、スタブ・ビートルが襲いかかってきた方角にある壁は崩壊していた。のみならず、部屋に飛び込んできた巨大昆虫の群れは、その向かいの壁にも間断なく激突を繰り返した。
それは、砦の正門にある鉄扉の前で繰り広げられたのとまったく同じ、己の身をかえりみない神風特攻だった。壁がひび割れ、亀裂が走り、ついには砕け散る。残された壁面が天井を支え切れなくなり、軋み、たわみ、歪んでひしゃげた。
あとはもう重力に引かれるまま、人とモンスターの命を閉じ込めて、見張り塔の最上階は崩落した。
***
螺旋階段を転がり落ちる。二度、三度と引っ繰り返って、湾曲した壁にぶつかってとまる。おれはくぐもった悲鳴をあげた。
結構な勢いで落ちたので、体中のあちこちが痛い。リリィが頭を抱きかかえるようにして庇ってくれなければ、頭を打って怪我のひとつでも負っていたかもしれなかった。
「……無事か、ケイ」
「は、はい」
おれは身を起して、胸のなかに抱きしめていた少女の無事を確認する。
見たところ、怪我はない。ほっと胸を撫で下ろしたおれは、次に転がり落ちてきた階段を見上げた。
「……駄目か」
最上階へと続く扉は、瓦礫で埋まってしまっていた。
もうどうしようもないのだと悟るのに、それは十分な光景だった。
「幹彦はどうだ」
おれはケイを立たせてやってから、もうひとりだけ助けられた友人に声をかけた。
「……擦り傷、打ち身のオンパレードって感じ。マジ痛い。涙出そう。要するに、生きてるって素晴らしいってことなんだけど」
打ちつけたらしい右肩を押さえながら、幹彦が立ち上がった。
軽口とは裏腹に、塞がれた階段の先を見上げる表情は悲痛だ。おれは目を伏せた。
「悪い、幹彦。他は助けられなかった」
「……いんや。一瞬のことで、なにがなんだかわからなかったけど、おれがこうして生きてるのは、孝弘のお陰なんでしょ? ありがとね。おれ、団長のこと口説き落とすまでは死ねないからさぁ」
緊急脱出を成し遂げたのがリリィであることには、幹彦は気付かなかったようだ。咄嗟のことだったし、首根っこを引っ掴まれて強引に移動させられたからだろう。
リリィに向き直って、幹彦は強がりが残った笑みを見せた。
「水島さんも無事だったようでなにより」
「うん。だけど、どうしよう? このままでいるわけにもいかないでしょう」
携帯していた木槍と盾を装着して、リリィがこちらに視線を向けた。
「……とりあえず、ここを移動しよう。この塔もいつ崩れるかわからない」
おれも背負っていた丸盾を片手に持って、腰にさげていた木剣を抜いた。
武装解除されていなかったのは、本当に幸運だった。ここからは、なにがあるかわからない。
そんなおれたちの様子を見て、幹彦も覚悟を決めた様子で短剣を引き抜いて、そのうちの一本をケイに渡した。
「よし。行こう」
おれたちは階段を降り始めた。
さりげなく半歩前を走るリリィが、おれのことを横目で見て尋ねてくる。
「このあとはどうするの? あてもなく逃げるわけにいかないよね」
「それは……」
答えようとしたそのとき、ふとおれは顔に風を感じて言葉をとめた。
目を細めて見てみれば、どうやら先程のスタブ・ビートルの『流れ弾』が激突したらしく、螺旋階段の途中で破損した壁の穴から外の風が吹き込んできていた。
そこから砦の様子が見下ろせて、おれたちは揃って息を呑んだ。
本来なら城壁に迫るモンスターを迎撃するための第一防衛ラインである城壁は、混沌の極みにあった。
ファイア・ファングの炎に巻かれて、数人の兵士が城壁の上から地面に落ちる。
ラフ・ラビットの剛腕が、兵士の防具ごと全身の骨を砕く。
グリーン・キャタピラが負傷者を死者と一緒くたに轢殺し、スライムは触手で捕まえた哀れな犠牲者を窒息死させる。他にもおれが見たことのない多種多様なモンスターが兵士に襲い掛かっていた。
どうやらグリーン・キャタピラが突破した門から、それらのモンスターは砦に侵入してしまったらしい。この砦に押し寄せてきたのがグリーン・キャタピラだけではなかったことを、おれたちはここで初めて知ったのだった。
トレントなどの一部の大型モンスターは砦に入ることなく城壁の外をうろついているが、大部分は既に砦の内部に侵入しているらしく、城壁の上へ繋がる出入り口からは、いまもモンスターが飛び出してきていた。
兵士たちは力と速度で勝るモンスターを囲んで崩そうとしているようだが、そのためには、既にその場にいる敵の数が多過ぎた。ちりぢりになれば各個撃破され、集団で固まって攻撃を仕掛けようとすれば、今度はその体勢を整える前に飛び込まれて、まとめて蹴散らされてしまう。
チリア砦は扁平な多角柱を重ねたようなかたちをしている。外壁の内側には更に壁が張り巡らされて、より高い内壁を形成しており、たとえ外壁に侵入を許したところで、内壁の上から攻撃を仕掛けられるようになっている。
しかし、どうやら戦力の大半は外壁に取り残されてしまっているうえ、内壁の上にいる限られた数の兵士たちは、スタブ・ビートルをはじめとした飛行可能なモンスターに襲われており、有効な反撃は行えていないようだった。
対応の遅れは練度の低さが原因ではなく、あまりにも敵の数が多過ぎたことと、侵攻が早過ぎたことが理由だろう。想定された最悪を現状が大きく上回っているのだ。
「う、嘘っ。ひょっとして、あれって深部のモンスターなんじゃ……?」
この光景を見たケイは震える両手で口元を覆い、いまにも卒倒してしまいそうなくらいに顔色を真っ青にしていた。
「そ、それに、こんなたくさんのモンスターが同時に襲い掛かってくるなんて……っ!?」
「こういう事態に、なにか心当たりはないのか?」
おれが尋ねると、ケイは強くかぶりを振った。
「あ、ありません。こんなにたくさんのモンスターが押し寄せるなんて! こ、これじゃあ、まるで、勇者様の樹海遠征みたいじゃないですか……っ!?」
確かに目の前の光景は、シランから聞いた勇者の伝説の一節に酷似していた。あれは、樹海に軍を率いて侵入した勇者が、大量のモンスターに追い立てられて潰走したのだったか。
「……まさか救援に向かった奴らが下手打ったんじゃないよね?」
幹彦が眼鏡の下の目を細めて、低い声でつぶやいた。
探索隊の『韋駄天』飯野優奈が帝国騎士の一団を引き連れて樹海深部のコロニー周辺へと生存者の救出へ向かったのは、昨日のことだ。それが原因である可能性は、否定できるものではないが……。
「……どうだろうな」
なにか違和感があった。目の前の光景と、いまの幹彦の推測との間には齟齬があるように思えたのだ。
しかし、それがなんなのかすぐにはわからない。
結局、おれはかぶりを振った。
「ここで考えて、わかることじゃないだろう。いまはそれより、安全な場所まで逃げることのほうが先決だ……」
自分でそう言いながらも、おれは心のなかにしこりのようなものを感じていた。
事態を把握しないままに動かなければいけないことに対する不安があった。状況に流されている自覚があった。
このままで本当にいいのだろうか。……しかし、いまはあまりにも時間がない。
「安全な場所に逃げようにも、おれたちはまだこの砦のことには疎い。幹彦はどこに逃げればいいと思う?」
思考を切り替えておれが尋ねると、幹彦は片目を閉じて低く唸った。
「……おれたちが寝泊まりしていたあたりがいいんじゃないかな。あそこは、この砦の最奥に当たるから。ねえ、ケイちゃん?」
「は、はい。勇者様方が逗留されてた居住区はこの砦で守りが一番厚い場所にあります。城壁が破られたからといって、そうそう侵入を許しはしないはずです」
ケイも多少は落ち着きを取り戻したらしい。あるいは、おれたち勇者を守らなければいけないという、ある種の職業意識が、彼女を落ち着かせたのかもしれない。
「なにより、あそこには探索隊のおふたりがいらっしゃいますから」
「ああ。そういや、あいつらもいたっけ。いけ好かないけど、戦闘能力だけはぴかイチだもんね。確かに、それ以上に安全な場所はなさそうだ」
幹彦がこちらに視線をくれる。おれは頷いて、ケイに目をやった。
「それじゃあ、先導を頼む。ケイが一番、この砦のことには詳しいだろうからな」
「は、はいっ。任せて下さい!」
ぐっと拳を握ってはりきるケイを先頭にして、おれたちは駆け出した。
その直前、おれはちらりと壁にあいた穴の外へと目をやった。城壁の向こう側をうろつくたくさんのモンスターが見えて、おれは溜め息をついた。
……可能であるのなら、砦の外に出てローズやガーベラたちと合流したかった。
しかし、砦の外をモンスターに囲まれているこの状況では、それも難しい。
残念だが、他に選択肢はない。未練を振り切り、おれはケイを追って走り出した。
***
「きゃっ! こ、こっちは駄目です!」
「畜生! また迂回かよっ!」
走り始めてどれだけ経っただろうか。
おれたちは何度目かわからない進路変更を余議なくされていた。
角を曲がった先は、怒号と悲鳴が交錯する戦場だったからだ。
既に何戦も繰り返したあとらしく槍を体から生やして突進するグリーン・キャタピラを、隊列を整えた兵士たちが待ち構える。
無数の槍が繰り出され、そのうちの何本かが緑色の表皮を突き破る。しかし、それに構わず大芋虫は戦列に突っ込んで、兵を跳ね飛ばし、押し潰していく。
徐々に突進の勢いを失う芋虫を兵士は取り囲んで、仲間の仇とばかりに、更に槍を突き入れる。ダメージを与えられた芋虫が激しく身をよじると、兵士が床に、壁に叩きつけられ、死傷者が量産されていく。そんな戦場の向こうには、新たな敵影が早くも姿を現していて……。
「こっちです!」
そんな光景を背後に残して、ケイの先導でおれたちは廊下を駆け抜けた。
城壁では人間たちを蹂躙していたモンスターたちだが、砦のなかに入ってからはその勢いを削がれているらしい。入り組んだ砦の構造によって分散したモンスターに対して、集団で狭い通路を守る砦の防衛戦力が、辛うじて本来の戦い方で立ち向かえているからだろう。
とはいえ、押されているのは否定できない事実だった。ところによっては防御を突破されてしまっているらしく、だいぶ奥のほうまで攻め込まれてしまっているようだ。逃げようとする先で戦いが起きていることもあり、そのせいでなかなか目的地に辿り着けない。
それに、いまはまだ最初に突入したグリーン・キャタピラが主な相手だからいいものの、所詮、あれは樹海表層部のモンスターだ。城壁の上にいたモンスターのなかには、より強力な樹海深部のモンスターも多くいた。あれが本格的に砦の奥へと侵攻を始めれば、被害はいまの比では済まないだろう。
追いつかれれば終わりだった。たとえば、ここにあの白いアラクネ・ガーベラがいたところで、一斉に襲い掛かられれば押し潰されてしまうだけの物量が押し寄せてきているのだ。
いまはとにかく逃げ続けるしかない……。
……いや。本当にそれでいいのだろうか?
そもそも、現状がこの砦の戦力で対応可能なものなのかどうかが疑問だった。
おれたちはひょっとして、どん詰まりの袋小路に逃げ込もうとしているのではないだろうか。そんな不吉な予感が、ひたひたと胸のなかで水位を増しつつあった。
「ねえ、孝弘」
「なんだ」
並走する幹彦が声をかけてきた。横目で見たその顔は、わずかに強張っていた。
「ここまで諦め悪く命を繋いできたけどさ、ひょっとしてこれは、そろそろ年貢の納め時ってやつかな?」
「……変なこと言うな」
「孝弘だってわかってるでしょ。この空気。コロニーの最後の日と一緒だよ」
「……」
なにも言い返すことはできなかった。嫌な予感はおれも共有しているものだったからだ。
この通路は破滅の未来へと続いている。そんな気がしてならない。おれたちにとってそれは、一度通った道でもあった。
似たような酷い体験を経て、この砦に辿り着いたおれたちだ。この場で感じ取るものも自然と似通ってしまうのかもしれなかった。
「もしものことがあるかもしれない」
駆け足で荒くなった息に差し込むように、幹彦が言った。
「いざというときは、まずはおれが行く。孝弘が次ね。女の子は守らないと」
「……それなら、おれが」
「駄目だよ。孝弘には、水島さんがいるんだから。順番は、あとだ」
あまり聞いたことのない、強い口調だった。
鼻白むおれに対して、打って変わってやわらかな声色で幹彦は言った。
「孝弘さ、自分で気付いてなかったかもだけど、あっちの世界にいたとき、水島さんに憧れてたでしょ」
「――」
「まあ、かくいうおれもそうだったんだけどさ。……あ。これ、団長には内緒ね。いまではおれ、団長一筋だし、それに、あれはあくまで淡い憧れだったしね。このあたりは、孝弘も同じだっただろうけど」
「――」
「折角、憧れの女の子の恋人になれたんだからさ、大事にしてあげないとね」
にかっと幹彦は笑った。
それは、こんな残酷な世界にやってくる前、教室で見せていたのと変わらない、あけすけで気のいい少年の笑顔だった。
「だ、駄目です。ここも……!?」
そのとき、おれたちを先導していたケイが悲鳴をあげた。
角を曲がったおれたちが目の当たりにしたのは、穂先を揃えた兵士の戦列を蹂躙する体長二メートル近い枯れ草色のカマキリのモンスター、『テトラ・シックル』だった。
生息域は樹海深部。その特徴は、左右二対の鎌状の前肢だ。
透き通るほどに薄い死神の鎌が振り払われると、通路を固めていた兵士たちが冗談のように倒れた。
生き残りの兵士たちは決死の様子で槍を繰り出すが、その穂先は届かない。絶望に凍りついた兵士の顔面が斜めに斬り落とされて、腕が飛び、腸がぶちまけられた。
「くそっ、あともうちょっとだっていうのに! ここは通れない。戻ろう!」
舌打ちをして幹彦が言い、おれたちはやってきた角を折れる。
そして、すぐに足をとめた。
通路の先に、手負いの獣がいたからだ。
「ファイア・ファング……」
樹海を彷徨っている頃、何度遭遇したかわからない灰色の狼が、おれたちが駆け抜けてきた通路に姿を現していた。
片目を潰され、腹には騎士団のものと思しき二本の剣が刺さっていたが、この程度ではこの獰猛な獣を仕留めることはできなかったらしい。噛み裂かれて引きずられているのは、同盟騎士のものと思われる男の亡骸だった。
「……た、たはは。冗談だろ」
前方にはテトラ・シックル、後方にはファイア・ファング。
おれたちは樹海深部の強力なモンスターに挟まれてしまっていた。
「そ、そんな……」
ケイが絶望の呻き声をあげる。それも道理だった。
おれたちがこの危機を脱するためには、最低でも正面か後方、どちらかのモンスターを倒すか、やり過ごすかしなければいけないのだ。
だが、あまりにも相手が悪過ぎる。それはただの人間にできることではなかった。
……そう。ただの人間には。
けれど、人間ではないのなら話は別だった。
たとえば同じモンスターなら……。
あるいは、彼女たちを従える存在であるのなら……。
「……」
手段はあった。
しかし、そのためには、これまでおれが隠してきた事実を明らかにしなければならない。それはおれの立場を著しく悪くする。このような状況では、尚更だった。
いまこの砦は、モンスターの大規模な襲撃を受けている。そこに、モンスターを操る人間が現れるのだ。下手をすると、おれがこのような事態を手引きしたのではないかと疑われてしまいかねなかった。
しかもタチの悪いことに、それはまるっきり的を外した疑いというわけでもない……こうして逃げ始める前の会話で覚えた違和感の正体に、おれは既に辿り着いていた。
ケイは現状を、まるで勇者の樹海遠征のようだと言っていた。
しかし、ただこの砦に押し寄せただけにしては、モンスターの動きは整然とし過ぎているように思えたのだ。
特に、自分の身を捨てた特攻。あれはおかしい。ある種の興奮状態であれば、ああした行為に走ることもありえるのかもしれないが、おれの見た限り、迫りくる蟲の大群に狂乱の気配はひと欠けらもなかった。
あれでは、まるで機械だ。生物としての熱が感じられない。
それに、砦の周りを囲んでいるモンスター。あれだって妙だ。
ああしてうろついているモンスターがいるせいで、おれは外にいるガーベラたちと合流することを断念したわけだが……あれではまるで、『砦のなかにいる人間を外に逃がさないように待ち構えている』ように見える。
どうにもこの状況は不自然で、人の悪意を感じずにはいられない。『モンスターたちを操っている存在がいるのではないか』という考えは、それほど突飛なものとも思えなかった。
同じようなことを考える人間は、きっとおれの他にもいるだろう。モンスターを率いる主としてのおれの存在を知れば、同じ結論に達する者はもっともっと増えるはずだった。しかし……
「……迷っている暇はない、か」
逡巡は、ほんの一瞬のことだった。
おれもリリィもこんなところで死ぬわけにはいかない。
それに、ここには幹彦やケイもいる。
おれとリリィだけなら、あるいは先程の緊急回避のようにして、隠し事を守り続けたままこの場を切り抜けることができるかもしれない。けれど、他のふたりを守りながらというのは、どう考えても不可能だった。
おれは昨晩リリィに後押しされて、この世界に来てから植え付けられたトラウマを乗り越えると誓った。幹彦もケイも信頼に値する人間だとおれは思う。彼らを信じてみたいと思う。それこそが、リリィが言っていたおれのなかの真実だと思うのだ。
だから、彼らを死なせるわけにはいかなかった。
おれは覚悟を決めて、幹彦を横目で見て――
「……え?」
――同じように、おれのほうを見ている幹彦と目が合った。
幹彦はおれを見て、次にリリィに目を向けた。ふっと口元に笑みが浮かぶ。肩の荷が下りたような、それはどこか清々しい笑顔だった。
「ケイちゃん。悪いけど、武器返して」
絶望に立ち尽くしているケイにそう言うと、幹彦は彼女に貸していた自分の短剣をひょいと取り上げた。
「さっき言った通りにしよう、孝弘」
煉瓦造りの通路を、幹彦はファイア・ファングのいるほうへ歩き出す。こちらに向けられた背中には、静かな覚悟が宿っていた。
「おれがあのクソ狼の気を引くからさ、水島さんとケイちゃんを連れて逃げてよ」
「む、無茶です、幹彦さん!」
はっと我に返ったケイが、その背中へ悲鳴じみた声で言った。
「騎士でもない幹彦さんが、ひとりで深部のモンスターに立ち向かうなんて無謀です! 死んじゃいます!」
「たはは。確かにおれは弱っちぃし、騎士でもないし、ましてや勇者なんかじゃ絶対にないけど、それはちょっと傷つくなぁ」
幹彦は苦笑混じりの声で返した。
「こういうときくらい、格好つけさせてよ」
「幹彦さん……」
「大丈夫。おれだって、なにも考えなしに戦いを挑もうってわけじゃない……」
振り返ることなく、幹彦は肩をすくめた。
そして、両手に持った双剣を――両方とも、天井に向けて放り投げたのだ。
「――」
ふた振りの短剣は、ゆるやかに縦に回転しながら空中に放物線を描いた。
そうして頂点にまで達すると、今度は重力に引かれてゆっくり落ちてくる。
くるりくるりと回って回って……その途中で、ぴたりと停まった。
剣先をファイア・ファングに向けて、短剣は虚空に静止していた。
なんの支えもなく、重力のくびきから解放されて。
「……なっ!?」
「これが、おれのチート能力――『エアリアル・ナイト』だよ」
改めて短剣を抜いて都合四本の短剣を構えると、幹彦は肩越しに振り返った。
「どう? カッコイイっしょ?」
◆エアリアルとか、エアロビックとか、英語で見るたびに思ってました。
これ、アエリアルだろ、と。(Aerial, Aerobic)
身近なとこだと、チョコレートのエアロもそーですね。
というネタについて書こうと思って調べたら……これ、ギリシャ語由来だそうですね。初めて知りました。
◆もうひとつ投稿します。