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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
2章.モンスターを率いる者
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17. エルフの事情

前話のあらすじ:

【悲報】2章の第13話のあとがきで『今度こそ、ちゃんと人です』と言ったあとで、初めて会話を交わした相手が実はエルフだったことが発覚。

   17



 翌日の朝。身支度を終えた頃にやってきた兵士に案内されて、おれはリリィと連れ立って食事の席へと向かった。

 昨日案内されたのより一回り小さな部屋に通される。既に食事を始めている何人かの学生たちと軽く挨拶を交わし、給仕を担当している年嵩の女性のもとへと向かう。

 焼いてから間もない芯に熱が残ったパンを渡され、根菜主体のサラダを皿に盛ってもらい、大鍋からごろりとした肉のスープを器によそってもらってテーブルについた。

 リリィと差し向かいで朝食を摂り始めると、そこに幹彦がやってきた。


「おっはよ、孝弘。水島さん」

「幹彦か。おはよう」

「おはよう、鐘木くん。……たくさん食べるんだねえ」


 リリィの言葉通り、おれの隣の席に掛けた幹彦が木製の盆に載せて持ってきた朝食の量は、おれたちの三倍はあった。


「頼んだら盛ってくれるよ。孝弘も頼めば?」

「おれはいい。朝からそんなに食えない。というか、お前ってそんなに大食いだったか」

「んんー。まあ、一度餓死寸前までいったからかね。どうも体質が変わったっぽい」


 傍で聞いていたらぎょっとするようなことを何でもない世間話の調子で言ってのけて、幹彦はもぎゅもぎゅとパンを口に詰め込んでいく。


「太りそうでちょっと怖いね。ちゃんと運動はしないと」


 そんなことをいう幹彦だが、おれの記憶のなかよりは大分痩せている。恐らく、本人の言うところの『餓死寸前の状態』から、まだ回復し切っていないのだろう。

 体がそれを補おうとしているのか、幹彦はがつがつと食事を掻きこんでいた。


「運動といえばさ、孝弘たちは今日どうするん? 訓練には参加する予定?」

「訓練……?」

「うん。探索隊の要請で砦の方から人員を回してもらうんだってさ。希望者に軽く訓練をつけてくれるらしいよ。剣と魔法のファンタジーなやつ。残留組がチート能力を持ってるって言っても、それがどんなものか自覚できないと宝の持ち腐れじゃん? 今日からちょっとずつ、色んなことをやってみるんだって」

「なるほど。話はわかった。……けど、おれたちはシランさんに時間をとってもらってるからな」

「あー、そういえば、話を聞くとか言ってたっけ」


 朝食を食べ終えた頃に部屋にきてもらうよう、約束を取り付けてあるのだ。もっとも、それがなかったとして参加したかどうかは疑問だが。


「そういう幹彦は参加するのか、その訓練とやらに」

「え? おれ?」


 腰にさがる片側二本の短剣を見下ろしておれが尋ねると、幹彦は横目でちらりと部屋にいる他の学生たちを見て、ふんと鼻を鳴らした。

 わかりやすい態度に、おれは小さく苦笑した。

 幹彦の態度を咎める気はない。正直なところ、おれも探索隊のやつらは好きじゃないし、他の学生たちにもあまり良い印象は抱いていないからだ。

 ただのつまらない嫉妬だ。それはわかっている。ただ、わかっていてもどうしようもないことはあるものだ。我がことながら人間が小さくて嫌になるが。


「今日は団長さんのトコに行くつもり」


 口のなかのものをごくりと呑み込んだ幹彦が口をひらいた。


「今日はっていうか、今日もだけど」

「……随分と惚れ込んでるんだな、あの人に」


 おれは昨日の夜に会った銀髪の女性を思い出す。それと、彼女に懐く幹彦の姿も。


「惚れ込んでるってのはいいね。色んな意味で的を射てる」


 幹彦は照れさえもしなかった。楽しげに肩を揺らしている。

 どうやらこれは本気らしい。


「……驚いた。お前、二次元以外に興味ないとか言ってなかったか」

「宗旨替えするくらい本気だってことだよ。まあ、なかなか難しいところもあるんだけどね。出身地、というか、世界の違いとか、歳の差はどうにかするとして、身分の差のあたりは如何ともしがたいっつーか」

「身分?」

「あの人、ああ見えて小国のお姫様だからさ」

「……なんで、そんな身分の人が騎士団で団長なんてやってるんだ」

「色々あるんだよ。色々。しがらみとか、諸々含めてね」


 聞けば、彼女が団長として率いている同盟第三騎士団が冠につける『同盟』という国家自体が、もともと樹海に面した小国の集まりであるそうだ。

 同盟第三騎士団はそのなかの一国から派兵された騎士たちで構成されており、だからそれを率いる団長は王族なのだとか。如何にも面倒そうな異世界事情という感じで、なるべくならかかわり合いになりたくないことだと思う。

 しかし、幹彦は特に気負った様子もなくこう言った。


「あの人もあの人で、色々と大変だからね。支えてあげたいって思うんだ」


 おれにしてみればただただ面倒だとしか思えないこの世界の人間たちのややこしい事情に、どうやら幹彦は真正面から取り組んでいく心づもりらしかった。

 そんな面倒なことに首を突っ込むなんて気が知れない、とは思わない。

 なんとなく、いまの幹彦の気持ちはわかるような気がしたのだ。

 おれ自身、これから先にどんな事情が明らかになろうとも、今更リリィたちと離れるなんてことは考えられない。それときっと同じことなのだ。


 仮におれが出会ったのがモンスターであるリリィではなく、この異世界の人間だったのなら。

 あるいは、その逆であったのなら。

 おれたちの立場は違っていたかもしれない。


「……がんばれよ」

「ああ」


 そんな友人におれができるのは、応援の言葉を送るくらいのものだ。幹彦は少し照れたように笑って、頷きを返した。


「……ん?」


 そんなおれたちを交互に眺めている対面のリリィに気付き、おれは首を傾げた。

 にこにこと愛想よくしている以上に、彼女の表情が妙に嬉しげに見えた。気のせいだろうか。


「どうした?」

「ううん。何でもない」


 リリィは首を横に振って食事に戻った。

 この場では言えないことなのか。本当に何でもなかったのか。……まあ、何かあるなら向こうから言うだろう。

 おれはそう判断して、食事の時間を幹彦との雑談にあてた。

 幹彦の会話は半分が団長さんの話で、もう半分はおれと『水島美穂』との仲をからかうものだった。要するに、ほぼ全てが完全な雑談で、大した情報は得られなかった。

 友人との雑談なんてのは本来そういうものだが。

 リリィはあまり積極的に会話に参加せず、会話するおれたちのことを眺めていた。

 何処となく機嫌よく、おれたちのことを見守っていた。


   ***


 朝食を終えて、おれたちは部屋を出た。

 幹彦には部屋まで連れて行こうかといわれたが、そろそろ内部の構造も把握できつつあるし、部屋まで帰るくらいなら問題ないものと思えたので遠慮した。

 リリィと肩を並べて、真っ直ぐに部屋まで戻る。

 非常に大雑把におれたちが滞在しているこの砦の外観を表現するなら、平たい多角柱を三段に重ねたようなかたちをしている。おれたちが寝起きしているのはその三段目だ。

 此処では一部の騎士たちも寝起きしているらしく、部屋に戻るまでの間にも、何度か身なりのいい騎士たちとすれ違った。そのたびに足をとめて慇懃な礼をされるので、おれは辟易としてしまった。兵士たちが寝泊りする建物はまた別にあるらしく、案内役や警護役の兵士以外と顔を合わせる機会がなかったのは救いだった。

 その喧騒が耳に届いたのは、階段をのぼって自分たちの部屋のあるフロアにやってきたときのことだった。

 なにやら揉めている気配があった。

 面倒事はごめんだが、此処を通らないとおれたちは部屋に戻れない。


「っせぇっての! うぜぇ!」


 おれたちが廊下に出ると、保護された学生たちのなかでも印象の強かった金髪の男子生徒、坂上剛太が肩を怒らせてこちらへやってくるところだった。


「どけ!」


 揉め事になっても面倒なので、おれたちは素直に道をあけた。

 坂上が目の前を通り過ぎていく。舌打ちをして、すれちがいざまにおれのことを睨みつけてきたのは、女連れだったのが気に喰わなかったのだろうか。

 絡んできてもおかしくない雰囲気だったが、坂上は何も言わずに去って行った。

 廊下には探索隊の三人がいたのだ。

 それと、尻餅をついて頬を腫らした少年が一人。

 こちらは道中坂上と一緒にいた、気弱そうな『いじめられっこ』だ。


「まったく、なんて奴だ」


 探索隊の十文字が腕組みをして憤慨した様子で言った。

 その一方で、もう一人の探索隊の男性メンバーである渡辺が、戦杖を持ったのとは逆の手で尻餅をつく男子生徒を立ち上がらせていた。


「大丈夫かい」


 思いのほかその動作は力強い。見た感じ魔法使い寄りではあるものの、身体能力と魔力に長けた『ウォーリア』である渡辺の膂力はそれなりのものなのだろう。

 渡辺は回復魔法をかけて男子生徒の怪我を治して、忠告の言葉をかけてやっていた。


「あまりあいつには近づかない方がいいよ。ぼくたちの方からも、よく言い聞かせておくからさ」

「……はい。ありがとうございます」


 渡辺の言葉に男子生徒は頭を下げて、踵を返した。

 暗い表情。おれたちとすれ違う。

 何気なく振り返って見送ると、小さな背中は坂上を追って階段へと消えていった。探索隊の言葉は彼に届かなかったらしい。


「困ったもんだ。そうは思わないか」


 振り返ると、おれたちに気付いた十文字が話しかけてくるところだった。


「いまは力を合わせていかなければいけないときだっていうのに、元いた世界のままのつもりでいてもらっては困る」


 どうやら探索隊の彼らには彼らなりの苦労があるようだ。手に入れた絶大な力がカリスマを生んでいるとはいえ、人をまとめるというのはそう簡単なことではない。


「ところであんたたちは、こんな時間から何処へ?」


 十文字はいま気付いたようにおれたちに尋ねてきた。


「食事が終わったら騎士団のみなさんが訓練をつけてくれるって話を聞いてないのか」

「おれたちは訓練に参加しない」


 おれの返答に、質問をしてきた十文字は驚いた様子だった。


「体調でも悪いのか?」

「そういうわけじゃないが」

「だったら、どうして」


 十文字の声色には非難するような響きがあった。

 なるほど。納得した。

 こんな調子で言われたから、幹彦はこの件について話をしたとき、ああも不機嫌そうにしていたというわけだ。

 なまじ善意ベースで話をしているだけに厄介だった。決して悪気があるわけではないのだろうが……

 この場はさっさと話を切り上げてしまうほうがよさそうだ。


「悪いが、ちょっと約束があるんだ。そういうわけで、おれたちは行かせてもらうよ」


 おれはリリィを連れて歩き始める。十文字が顔を顰めていたが、見えないふりをした。


「あ、ちょっと待って」


 ところが、探索隊の三人の脇を通り過ぎようとしたところで待ったがかかった。


「ごめん、十文字くん、渡辺くん。ちょっと野暮用。先に行ってもらえるかな」


 そう言ったのは、探索隊三人の紅一点、『韋駄天』の飯野優奈だった。

 これは十文字も予想外だったのか、毒気を抜かれた顔をして頷いた。


「あ、ああ。わかった。お前も遅れるなよ。飯食う時間なくなるからな」

「わたしに遅れるって言葉はないんだよ、十文字くん」


 冗談めかして言った飯野は、同行していた二人の男子を先に行かせておいて、リリィの前に立った。

 どうやら用事があるのは、リリィのほう……彼女の擬態している『水島美穂』に対してらしい。


「久しぶり、水島さん。あんまり喋ったことないけど、わたしのこと覚えてる?」

「もちろん。こっちに来てからは、話をしたことなかったよね」


 飯野は二年生なので、おれや水島美穂とは同学年だ。

 おれは飯野と言葉を交わしたことはなかったし、同級生として顔に見覚えがあっても、名前と一致してはいなかった。

 しかし、水島美穂とは女子同士、特に親しい友人というわけではなかったにせよ、言葉を交わす機会くらいはあったらしい。

 わざわざ水島美穂を呼び止めたのは顔見知りに挨拶をするためだったのかとおれは納得したのだが、それにしては様子がおかしいことにすぐ気付いた。

 飯野はむしろおれのことを気にしている様子だった。ちらりと視線を向けられる。


「うーん、不憫な」


 ……随分とご挨拶なことを言ってくれるものだ。

 喧嘩を売っているのだろうか。買う気なんて毛頭ないのだが。

 その点、さっきの坂上は立派だった。おれはとてもではないが、こいつら探索隊と喧嘩をする気にはなれない。リリィたちに手を出されない限りは、だが。


「ああ、いやいや。きみのことじゃなくってね」


 ぶんぶん飯野は手を振って、リリィへと視線を戻した。


「高屋純くんって知ってるよね。ひとつ下の」


 飯野の言葉にリリィが目を見開いた。おれも同様だった。

 それは水島美穂の幼馴染であり、探索隊の一員だった少年の名前だった。


「高屋くんは生きてるよ。一応、あなたには伝えとかなくちゃって思って」

「ってことは、やっぱり探索隊にコロニー崩壊の情報を伝えたのは……」

「うん。高屋くんだよ」


 水島美穂の幼馴染である高屋純は遠征隊に救援を求めて東へと向かったと、以前に加藤さんから聞いている。彼は目的を果たしていたらしい。

 ……いや。目的は果たせていないのか。水島美穂はもうこの世にはいないのだから。遠征隊のもとに辿り着いたとしても、今更、何の意味もない。


「わたしは水島さんの顔を知ってたからね、保護するように高屋君に頼まれていたんだ。結果的には、わたしが助けに行くまでもなかったわけだけどさ」

「……彼はいま、どうしてるの?」

「東のエベヌス砦に置いてきたよ。一人で樹海を抜けるのは、やっぱり無理があったみたいでさ。その上、強行軍で体ぼろぼろだったから。結構ごねたんだけど、わたしたちにはついてこれそうになかったし。こっちに来るのは、だからまだ少し時間がかかるかなぁ」


 言いながら、飯野はまたちらりとおれのほうを見た。


「……来たら来たでかわいそうだけど。あの子の頑張りを知ってるわたしとしては、彼のことを応援したかったんだけど、これはどうも分が悪そうね」


 おれに寄り添うように立つ『水島美穂』の姿を見て、おれたちの関係を推測したらしい。真実は少し違うのだが、いずれにしても高屋純にとっては残酷な展開に違いない。


「とまあ、わたしからの話っていうのはそれだけ。出発前に話す機会があってよかった」


 飯野は肩の荷が下りたような顔で言った。リリィは彼女に礼をいう。


「わざわざありがとう、飯野さん。ところで出発って?」

「ん? 水島さんは知らないんだ? 今日中にも第二陣の救出隊を出してくれるっていうから、それについていくことになってるんだ。山小屋巡りと、あと、余裕があればコロニーにも寄るつもり」


 それは昨日、幹彦からも聞いた話だった。

 シランが帰ってきた昨日の今日で出発とは、流石は『韋駄天』。素早いことだ。


「あ、でも安心してね。砦に残るみんなが不安になってもいけないから、十文字くんと渡辺くんには残ってもらうことになってるから」

「探索隊みんなで行くわけじゃないのね」

「わたし一人いれば、戦力的には十分だから。むしろわたし一人だけのほうが速いんだけど……樹海では何があるかわからないからって騎士団の人に反対されちゃった。十文字くんなんかも、渡辺くんも連れてけってうるさくて」


 肩をすくめる飯野の物腰には、これから危険な場所に向かうことに対する危機意識のようなものは見て取れない。

 その必要がないのだ。

 おれは昨日見た――というか、『見えなかった』グリーン・キャタピラとの戦闘を思い出す。『韋駄天』の二つ名に偽りはなく、飯野優奈の戦闘能力は、一言でいえば圧倒的だ。それでいて華がある。まさに英雄かくあるべしといったところだった。

 こうしたあたりが、残留組や異世界人たちの目には頼もしさとして映り、幹彦の目にはどうにも気に食わない余裕として映るのだろう。


「あ。いけない。ごめん、水島さん。わたし、そろそろ行かないと」


 話し込んでしまったことに気付いたのか、飯野はそう言って踵を返した。


「それじゃあ、またね」


 手を振って飯野は駆け出した。流石に目に映らないスピードではなかったが、それでも健脚といえる足取りで。

 その後ろ姿はあっという間に廊下の向こうに消えていった。


   ***


 シランが部屋にやってきたのは、おれたちが部屋に戻ってすぐのことだった。


「おはようございます。孝弘殿、美穂殿」


 かっちりと踵を揃えて頭を下げるシランをリリィが迎え入れる。このあたりは昨日幹彦を相手にしたときと同じだった。


「朝からお越しいただいて申し訳ありません。今日は鎧姿ではないんですね」


 シランは昨日のパーティのときと同じで、軍装ではあったが武具の類は腰の剣以外に身につけていなかった。なんとなく、要塞にいる兵士や騎士というのは常に完全武装しているイメージでいたのだが、そんなことはないらしい。


「我ら騎士の任務は森に分け入ってのモンスターの討伐ですので。砦の維持、管理、防衛は軍の兵士の職務となります」


 騎士団と軍団とで軍務に棲み分けがなされているらしい。おれたちの世界での縦割り行政なんかを思い出すまでもなく、組織として互いに領分を決めるのは無用な摩擦を避けるために当然のことなのだろう。


「特にわたしは長期任務明けでありますから、武装の解除が認められております」

「非番だったんですか。それは申し訳ありません」

「気になさらないでください。休暇と言っても、訓練くらいしかすることのない森のなかでありますから。それに、こうして勇者様のお役に立てるのは大変に栄誉なことです」

「……まあ、立ち話もなんですから入ってください」

「失礼します」


 そういって部屋に足を踏み入れたシランは、一人の少女を連れていた。

 シランと同じ金髪碧眼。短めに髪の間から、尖った耳が覗いている。歳はまだ十二、三歳くらいだろうか。将来はシランに似た美人になりそうだが、いまはまだ幼さが色濃い。

 身につけているのは軍装ではなく、簡素なワンピース姿だった。体の前で小さなバスケットを抱えている。


「名はケイと申します。わたしの身の回りの世話をさせている者です」

「ケ、ケイと申します。ど、どうかよろしくお願いします」


 がちがちに緊張した様子でケイが頭をさげた。透き通るように白い頬が紅潮している。


 部屋には机と椅子があるが、残念ながら椅子は二脚しかない。おれはリリィと隣り合ってベッドに座り、客人である二人に椅子を勧めた。


「シランさんたちは、どうぞ椅子に掛けてください」

「いえ。我らはこのままで」


 やや距離を置いて、シランは直立不動の体勢を取った。その後ろで、ケイという名の少女もしゃちほこばって直立する。


「……あの、シランさん」


 おれはつい眉の間に皺を寄せてしまった。


「何でしょうか」

「少し楽にしてもらえませんか」


 話をしている間、ずっと相手を立たせて平然としていられるような性質はしていないつもりだ。

 はっきり言えば、話し辛い。何の嫌がらせかというのが本音だった。


「座ってください。あと、あまり仰々しい喋り方もやめてもらえませんか。シランさんとは歳はそう変わらないはずです。どうか普段通りにしてください」

「それはできません」


 即答だった。


「孝弘殿こそ、我らのような下々の者に、あまり丁寧に接し過ぎるのはどうかと存じます」


 むしろシランとしては、おれの態度のほうに思うところがあったらしい。


「わたしのことはどうかシランとお呼び下さい。敬語も必要ありません」

「……確か幹彦は団長さんとやらに敬語を使っていたように記憶していますが」

「団長は我々よりいつつ以上も年上ですから。幹彦殿の話では、孝弘殿の世界では年上のものに敬意を払うことが尊しとされているとか。素晴らしいことかと存じます」


 どうやら幹彦は適当なことを言って団長を言いくるめたらしい。

 あいつらしい話だったが、お陰でおれがやりづらい。

 幹彦と違って、おれは自分があまり口のうまい方ではないことを自覚している。やりにくいからと説得しようにも、どうやって言い返せばいいものか。咄嗟に思いつくほど器用ではなかった。

 リリィに目配せをするものの、苦笑を返されてしまう。お手上げらしい。

 これはどうしようもないか……と諦めかけたところで、おれはシランがかたちの良い眉を寄せていることに気付いた。

 彼女の蒼い瞳がおれの目をじっと見詰めている。薄い唇が言葉をつむいだ。


「本気で嫌そうな顔をされるのですね、孝弘殿は」

「……顔に出ていましたか」


 指摘された事実におれは驚く。表情に出していたつもりはなかったのだが。


「普通は気付かないかと。我らエルフは感情の機微に敏感なところがありますから」


 シランは苦笑まじりで言った。その後ろで幼いケイがおろおろしていることからも、彼女たちにはおれの感じた不愉快さが伝わってしまったことがわかる。


「勇者様方のなかには、わたしどもにいまの孝弘殿と同じようなことをおっしゃる方もいらしたのですが、孝弘殿のように本気でご不快に思われている方というのはいらっしゃいませんでした」


 シランの口調には困惑が透けていた。

 彼女たちにしてみれば、勇者に恭しい態度で接することは当たり前のことで、それを拒絶されるとは予想もしていなかったのだろう。

 おれ自身としても、多少なり過敏だという自覚はあった。

 おれが彼女たちの恭しい態度を不愉快だと感じてしまったのは、勇者扱いされることに関する生理的な嫌悪感があるからだ。それがなければ、困りはしても不快感とまではいかなかったかもしれない。

 幹彦あたりもシランの態度を同じように感じていそうだが、あいつはおれよりも要領が良い。シランでも気付けなかったのだろうし、だからこそ、惚れ込んでいる団長の方は口八丁を駆使してでも説得してみせたに違いなかった。


「……わかりました」


 シランは少し考え込む様子を見せた後で、ひとつ頷いた。


「わたしとしても、決して孝弘殿に不快な思いをさせたいわけではございません。此処はお言葉に甘えさせていただくとしましょう」


 そう言ってシランは一礼すると、部屋を横切って椅子についた。

 その後ろを、おれたちの様子を窺いつつ、幼いケイがついていく。いまも頬を真っ赤にしている彼女は緊張のあまり目を回しそうになっていたから、ひょっとするとシランは彼女のことを慮っておれの言葉に従った部分もあるのかもしれない。

 まっすぐ背筋を伸ばして姿勢よく座るシランは、お供のケイが座るのを待って口をひらいた。


「できる限り孝弘殿の意に沿うようにしましょう。その代わりと言ってはなんですが、孝弘殿には敬語をやめていただきたい」

「わかった。シランもおれには普段通りに喋ってくれ」

「申し訳ありませんが、この口調は素です」


 と言いつつも、シランの丁寧な口調からは、無駄に仰々しいところがなくなっていた。内心を見透かされてしまったのは迂闊だったが、結果オーライといったところか。

 やりやすくなったところで、おれはシランを部屋に呼んだ目的を果たすことにした。


「それじゃあ、早速話を聞きたいんだが」

「わかりました。確か聞きたい話というのは、勇者様の伝説についてでしたか」

「ああ。話をしてもらえるか」


 正直なところ、おれのなかでこの世界の勇者伝説自体の重要性は、あまり高くない。

 興味がないとは言わないが、どちらかといえば、こちらの本当に聞きたい話のとっかかりになればという意図が強かった。


「それではお話しましょう。そもそも勇者様が初めて降臨されたのは――」


   ***


 そうしてシランが語った話は、昨日のうちに幹彦から聞いた話と大枠で変わらなかった。

 モンスターに追い詰められる異世界人たちと、そこに百年ごとに降臨する勇者たち。場合によっては五十年くらいだったり、百年以上の間があくこともあったが、途切れることだけはなく勇者はこの地を訪れ続けた。

 おれたちを除いたとしても、歴代数十人を数える勇者たちの伝説は、そのすべてがモンスターとの戦いの記録だった。

 そして、それは樹海と人類の闘争の歴史でもあった。


「アンデッド系統を別にすれば、基本的にモンスターは樹海を起源とする生物です。わたしたちが樹海と呼んでいる森は、濃密な魔力を帯びていることが知られています。最初の勇者が現れたその時には、樹海はいまわたしたちが住んでいる大地をほとんど覆い尽くさんばかりに勢力を増やしていた、と伝えられています」


 広がる樹海。襲い来るモンスターに追い立てられる人間たち。

 そこに降臨する最初の勇者。

 シランが語る伝説のなかで、勇者を旗頭とした人間たちは少しずつ樹海を削り取っていく。そのなかで集落が生まれ、やがてそれは国へと成長していった。


「各地には切り離された樹海が存在しますが、現在では樹海と言えば、特に大陸中央にある、我々がいるこの広大な森をいいます」


 シランは伝説を語る上で、現在の樹海についても触れた。


「樹海はより深い場所ほど、濃密な魔力に溢れ、強力なモンスターが生息することが知られています。結果、ただ奥地にあるということ以上に、人が足を踏み入れることが困難になっているのです。そこで、『どれだけ人間が足を踏み入れることができるか』というのを基準にして呼び名がつけられています。すなわち、『表層部』、『深部』、『最深部』と」


 樹海表層部にはいくつかの砦が建築されている。

 ここチリア砦や東のエベヌス砦がそれだ。多くのモンスターが跋扈しているものの、ここまでは辛うじて人の領域と言えるだろう。

 これに対して、樹海深部には砦が存在しない。人夫を送って砦を建造することができないくらい強力なモンスターが跋扈しているためだ。

 ここは最精鋭の騎士たちでも生きて帰ることができるかどうかわからない魔界であり、多大な犠牲を払ってモンスター避けの結界石を設置することで、辛うじて前進拠点としての山小屋が点在している。


 そして、最後に最深部。

 現在も樹海の総面積の半分以上を占めている樹海の最深部領域には、人の手がほとんど入っていない。結界石を仕込んだ山小屋も存在しないため、どのようなモンスターがいるのかもほとんどわかっていない領域をまとめて最深部と呼んでいる。


 思い返してみれば、おれたちがガーベラを仲間にしたあと、人里を求めて北へと旅している間に、遭遇するモンスターの顔ぶれは変わっていった。それとともに、徐々に戦闘が楽になっていったように記憶している。

 リリィたちの連携がよくなっていたことも理由のひとつではあるのだろうが、森の浅いところに近づいたことで生息するモンスターが弱いものに変わっていたのも大きかったのかもしれない。


 ちなみに、おれたちが転移してきてコロニーを建造した場所は、樹海北部の表層部寄りの深部領域に当たる。

 幹彦はこれを聞いたとき、「どんなクソゲーだ!」と絶叫したそうだ。

 ゲームで言えば開始直後に魔王の城の付近に飛ばされたようなものだと考えれば、あいつの言いたいことも理解できる。

 とはいえ、最深部に飛ばされなかっただけマシなのだろう。たとえ三百人規模のチート持ちがいたところで、どうなっていたかはわからない。


 実際、シランが語る勇者たちの英雄譚のなかでは、人類を守るために最深部に挑んだ勇者たちが多大な戦果と引き換えに壮絶な討ち死にをするシーンがいくつかあった。

 英雄譚がこの世界ではほぼ神話に等しいことを考慮に入れて、華々しく脚色された部分を差し引くと、どう考えてもそれは遠征の失敗であり、勇者の惨敗だった。

 それが証拠に、勇者を旗印にした軍が一気呵成に樹海を切り取るような作戦は、ここ五百年ほどは行われていないらしい。

 樹海の最深部とは勇者さえ容易には寄せつけない魔境なのだ。


 それでは樹海最深部に対して人類は打つ手を持たないのか?

 もちろん、そんなことはない。


 樹海の持つ魔力は森の深さに比例する。つまり、表層部の木々を切り倒し、樹海自体が小さくなれば、自然と最深部の面積も小さくなっていく。

 何度かの最深部遠征を除けば、歴代の勇者はその絶大な力を振るい、基本的には樹海の表層部か深部、あるいは、樹海の外に出たモンスターの討伐を行ってきた。

 そうすることで、森を切り拓くこの世界の住人たちの手助けをしてきたのだった。


   ***


 百年前に降臨し、五十年ほど前に亡くなったという勇者の話を最後に、シランは伝説を語り終えた。


「ありがとう、シラン。参考になった」


 ディテールを省いた部分もあるものの、この世界の歴史を勇者に関する部分だけは一通り知ることができた。

 この世界でどれだけ勇者の存在が大きいのかを知るという意味で、価値のある時間だった。


「しかし、シランは随分と勇者の伝承に詳しいんだな」


 一通り話を聞き終えたあとで思ったのだが、学者というわけでもないのに、シランはよく物を知っている。

 それはつまり、どんなかたちであれ教育を受けているということだ。


「この世界にも、やっぱり学校とかってあるのか」

「ありますが、わたしは通ったことはありません。ただ、どんな村にも大抵は聖堂教会の建てた教会があり、子供たちは勇者様の伝説を聞かされて育ちます」


 シランがいう聖堂教会というのは、話を聞く限り『代替わりする勇者を現人神として崇める宗教組織』らしい。

 おれが異世界人たちを見て感じていた印象は、おおかた当たっていたということになる。

 彼らは勇者降臨の際には、勇者の活動をサポートする役割を担っている。そのために聖堂騎士団という独自の戦力を抱えており、その名は何度となく伝説のなかにも登場していた。

 ふつう勇者は彼らと轡を並べて戦うものらしい。今回は探索隊が生き残りの救援を優先して樹海にいるため、遠く帝都にいる彼らとはまだ合流していないが。


 聖堂教会のもうひとつの役割が、勇者の偉業を後世に伝えることだという。

 シランの言っていることが本当なら、勇者信仰は相当に広くこの世界に浸透していることになる。教会の持つ影響力は相当なものに違いない。


「たいしたもんだな。――ケイも教会で話を聞いたりしたのか?」


 とおれが尋ねた相手は、さっきから黙りこんでいたシランのお供の少女だった。

 ふっくらとした頬を林檎のように赤くしている彼女のことが、さっきからずっと気にかかっていたのだった。

 彼女はずっと息を詰めているように見えて、いまにも倒れてしまいそうに思えた。会話を振ったのは、少しでも緊張をとければいいと思ったからだ。しかし、これは逆効果だったかもしれない。


「ふぇ!?」


 話を振られるとは思っていなかったのか、びくんとケイは座ったままで跳ね上がった。

 膝の上に置いたバスケットが大きく跳ねて、危うく落としそうになって両手で抱える。ばくばくと弾けそうになる心臓の音が聞こえるようだった。


「は、ははは、はい。あの……その……」


 しどろもどろで意味を為していない返答を聞く限り、どうも自分が何を口にしているのかさえわかっていないように思える。いくらなんでも緊張し過ぎだった。


「落ち着きなさい、ケイ」


 それを見ていたシランが溜め息をついて、額のあたりを手で押さえた。


「申し訳ありません、孝弘殿。連れが醜態を……」

「いや。おれは別に構わないが」


 下手に話しかけないほうがよかったかもしれない。おれに話を振られたケイは、パンクしそうになっていた。なんかもうここまでいくと、居心地が悪いとかそういうこと以前にただただ申し訳ない。


「……ああ、そういえば、孝弘殿は魔法技術にも興味があると言っていましたね」


 微妙な空気を払拭するためか、シランは唐突に話題を変えた。

 シランはケイに目配せをする。一瞬、意思疎通ができていないようだったが、シランが「持ってきたものを」と促すと、慌てた様子でケイは膝の上に抱えるように持っていたバスケットをひらけた。

 なかには布が敷き詰められており、その上に色も形も大きさもとりどりの石が乗っていた。


「こちらが魔石になります」

「わざわざ持ってきてくれたのか」


 確かに事前に話を聞きたいとは言っておいたが、実物を持ってきてくれていたらしい。


「手にとっても?」

「どうぞ」


 おれは掌サイズの青い石を取った。

 滑らかな表面に複雑な模様が刻んである。これが魔法を使うときの魔法陣にあたるものなのだろうか。

 ためつすがめつして見ていると、シランが説明をしてくれる。


「魔石には様々な種類があります。どれも魔力を通すことで使用可能です。孝弘殿が見ているそれは、水属性の魔法を刻みこんであるものですね。ただ魔法を再現するだけではなく、それを利用した道具もあります。ケイ、お見せして」

「は、はい」


 震える手でケイはバスケットに敷き詰められた布をテーブルへと移す。その下には、いくつかの道具が収められていた。


「この容器は?」

「水筒ですね。底に水属性の魔石が仕込んであります。魔力を流すと水が充填されます」

「こっちの袋は? ちいさな魔石がたくさんついているようだが」

「そちらは道具袋です。効果は容積の増量と物品の保全だったかと」

「……この指先サイズの筒は?」

「ライターですね。火が出ます」


 様々な便利な品が並ぶ。正直、驚いた。

 どうやらおれが思っていた以上に、異世界の技術は進んでいるらしい。

 魔法を使っているために、おれたちがいた現代日本の最新技術でさえ再現不可能な品がいくつかあった。

 考えてもみれば翻訳機なんかもあるわけで、一概にはどちらの世界の技術レベルが高いと言えないのかもしれない。


「こうした魔石を利用した品というのは普及しているものなのか」

「ものによっては庶民も利用しています。もちろん、希少で値段が張るものもありますが。単純な属性魔法をはじめとして生産ラインが確立されているものもありますが、効果が特殊なものになれば専門の細工師でないと彫れませんし、そもそも、純度の高い原石が必要になるものもあります」

「そういえば、結界石なんかは製法が失伝しているって話だったか」

「あと、専門の訓練を受けなければそもそも使えないものもあります」

「これは誰でも使えるのか?」


 おれが布の上の魔石を示して尋ねると、シランは頷いた。


「照明用や水属性の魔石でしたら誰にでも使えます。もともと、魔石は魔法が使えない者のために開発されたものですから」

「訓練しなければ使えないものもある、といったか。それはたとえば、翻訳の魔石とかのことか?」

「ご存知でしたか。ご覧になりますか?」


 そう言って、シランは首の後ろに手を回した。そうして軍服の胸元から引き出された細いチェーンの先に、指先ほどの赤い魔石が繋がれている。これが翻訳の魔石らしい。


「意外に小さいんだな」

「一定の距離にいれば効果があるとはいえ、基本的に持ち歩くことを前提にしていますから。ちなみに、小さいですがこれひとつでひと財産になります。これは勇者様がたの救出任務に就く際に貸与されたものです」


 とすると、手に入れるのは難しそうか。いや。使えなければ入手したところで意味がないのだが。


「使うためには訓練が必要だという話だったが、他の魔石とは何が違うんだ?」

「これは魔法を再現するというより、魔法の一部の制御を魔石に任せる補助具の意味合いが強いのです。だから、ほとんど魔法を習得するのと変わりません。才能と時間が必要となります」

「なるほど。そういうことか」

「基本的に勇者様方にはお付きがつくと思いますから、わざわざ覚える必要もないかと思いますが」


 ふつうなら、そうなのだろう。

 だが、別行動を取りたい人間としては、それだと非常に都合が悪い。

 頭の痛いところだったが、あまり食い下がっても不審がられるかもしれない。

 ここを出て行こうと考えていることが知られてしまい、どうして出ていくのかと尋ねられても困るのだ。ここは引き下がった方がよさそうだった。


「いや。ありがとう。少し興味があってな」


 おれが礼を言うと、シランは掌の上の魔石を胸元に戻した。

 見えてはいけないものが見えるわけではないが、あまりじろじろと見ているのも失礼だろう。おれは視線を逸らした。

 そこで、視界に黄色いものがちらついた。


「そういえば」


 もののついでに、おれはもうひとつ尋ねてみることにした。


「シランの傍に浮いてるそれも、魔法技術で造られたものなのか?」


 ずっと気になっていたことだった。

 シランの肩の上あたりには、今日も黄色く光る不可思議な球体状の物体が浮かんでいる。粘土をこねて丸めたようなそれは、いまもくるくると気ままに回転していた。

 おれたちの世界には存在しない、明らかに魔法のにおいのするものだけに、きっと異世界の魔法技術の産物だろう。そんなふうにアタリをつけて、丁度良い機会だからと聞いてみたのだ。

 しかし、これには何故かシランの隣に座るケイが、驚いたような声をあげた。


「え? 孝弘様は精霊が見えるんですか? ……あっ!」


 最後まで言ってしまってから、なにも考えずに疑問を口走った自分に気づいたらしい。

 もとから赤い顔が、これ以上ないというくらいまで紅潮する。膝の上で握った両手を見つめるようにして、ケイは顔を伏せてしまった。

 シランがそんな彼女を見て苦笑を浮かべ、戸惑うおれへと視線を向けた。


「孝弘殿にはこの子が見えるのですね」

「ケイも言っていたが、それはどういう意味だ?」

「この子は『精霊』と呼ばれている存在です」


 言いながらシランが差し伸べた手に、ぼんやり光る黄色い粘土細工――精霊はふよふよと近づいた。

 精霊の短い腕が少女の指先に触れる。

 いや。触れていないのか。おれの目には、互いの手先がわずかにめりこんでいるように見えた。精霊に実体はないようだ。


「正確には『小精霊』と言います。『精霊の目』と呼ばれる特別な感覚を持っていなければ見ることは叶いません。我らエルフは生まれ持っている感覚ですが、人間だと精霊を見ることができるのは、魔法に長けた者のなかでも極一部だけです。ひょっとして孝弘殿は、魔力の扱いに心得があるのですか」

「それは……」


 しまった、と思ったがもう遅い。

 まさかこれがふつうの人間には見えないモノだとは思わなかった。迂闊なことを訊いてしまったらしい。


「おれは……その、少しだけ」


 咄嗟に否定しようとしかけて、直前に思い直したおれは、自分が魔力が使えることを認めることにした。

 魔力の扱いが精霊の目とやらを備えている最低限の条件なのだとしたら、此処ではむしろ否定した方が問題だ。

 おれの魔力の扱いはたいしたレベルにはない。知られてもそれほど問題にはならない。むしろ下手に隠そうとしてそれを知られれば、そこからずるずるとおれがチートを隠していることに気付かれてしまうかもしれない。それはまずいと判断したのだ。


「コロニーにいたときに習って、あとは我流だが」

「なるほど。納得しました。樹海で孝弘殿が生き残ることができたのも、そのあたりに理由があるのですね」


 おれがなにも言わないうちに、シランは自分で納得してくれた。好都合なので否定はしない。


「といっても、たいしたことができるわけじゃないから勘違いはしないでくれ。おれは魔法は使えない。できるのは身体能力の強化だけだ。それもたいしたレベルじゃない」


 誤解が行き過ぎないよう補足だけはしておいて、おれはふわふわと浮かぶ精霊を見上げた。


「しかし、精霊なんてものがいるんだな」

「精霊は世界を満たす魔力がかたちをとったものといわれています。精霊たちとの契約は、わたしたちエルフだけが扱える特別な魔法です。特定の精霊と契約することで、わたしたちは彼らから力を借りることができるようになります。そうした技能を持つ者を精霊使いと呼びます。ちなみに我ら騎士団が休憩していたときに、孝弘殿が隠れているのを教えてくれたのもこの子です」

「なんだ。あれはシラン自身が気付いたわけじゃなかったんだな」

「エルフは総じて人より感覚が優れていますが、流石にあの深い森のなかに隠れられては気付けません。気配を察するにしては、距離が離れていましたから。探索隊の方ならまた違うのかもしれませんが」


 シランは口元に微苦笑を浮かべた。


「あのときはこの子がわたしに『わたしたちのことを見ている者がいる』と教えてくれたのです」


 そういえば、砦に到着する直前でのグリーン・キャタピラの襲撃前に、一瞬、シランは空を浮かぶ精霊に視線を向けていた。

 あのとき、彼女は警告を受け取っていたというわけだ。


「精霊は世界を視覚で認識しているわけではありません」


 シランは小精霊に伸ばしていた手を引っ込めた。


「一説には魔力で世界を捉えているのだとか。そんな彼らだからこそ、あの森のなかでも隠れていた孝弘殿たちのことを見付けだせたというわけです。もちろん、もともとはモンスター対策として『隠れてわたしたちのことを監視しているような存在があれば教えてくれるように』と頼んでおいたのですが」

「……。なるほど、すごいんだな」

「といっても、彼らはあくまで頼んだ通りに警告をしてくれるだけですから、その点は注意が必要なのですが。わたしたちも精霊相手に自由にお喋りをして意思疎通ができるというわけではないので、どうしても杓子定規なところがあるのは否めません。いえ。もちろん、それは精霊たちがどうこうではなく、わたしたち精霊使い側の問題で、我々にとって精霊がよき隣人であることは間違いのないことなのですが」


 精霊について何処か楽しげに語るシランに相槌を打ちながら、おれは頬が引き攣りそうになるのを我慢した。

 自分がかなり危うい橋を渡っていたことに気付いたからだ。


 精霊は視覚で世界を捉えているわけではないのだという。

 ということは、初めてシランに会ったあのとき、ローズたちがおれたちと別れて去って行ったのも、この小精霊はきちんと認識していたのではないだろうか。

 いや。それどころか、いまおれの左手にいるアサリナや、リリィの体のなかに隠れているあやめのことにも、彼らは気付いているのではないのだろうか。


 頼まれていないから、それを主であるシランに伝えていないだけのことで。


 精霊はいまもぼんやりと回っている。

 目として点をふたつ打っただけの彼らの顔からは、おれの疑いに関する応えを引き出せそうになかった。


「精霊に、精霊使いか」


 ちょっと怖いが、あまり気にし過ぎていても仕方がない。

 おれは頭を切り替えることにした。聞きたいことを尋ねるのに丁度いいタイミングでもあったからだ。


「そうだ、シラン。ちょっと気になったことがあるんだが」

「なんでしょうか」

「精霊使いが精霊を使役するように、この世界に、モンスターを使役する『モンスター使い』のような存在はいないのか?」


 これは絶対に訊かなければならないことだった。

 知っての通り、おれのチート能力は『モンスターを率いること』だ。

 もしもこの世界に『モンスター使い』と成り得るような技術体系が存在しないのなら、たとえば、食料調達のために町に入った途端にふつうのモンスターと間違えられて攻撃を受けるような事態が起こり得る。

 逆に、仮にこの世界にモンスター使いが存在するとしたら、おれが自分のチートを隠す必要性はなくなる。伏せ札として有用なリリィはともかくとして、ローズやガーベラをこの砦にまで招き寄せることも場合によっては視野に入れることができる。

 少なくとも、今日聞いた勇者の伝説のなかにはモンスターを使役する能力者の話は出てこなかった。勇者自身はもちろん、その仲間として戦った異世界人のなかにもだ。

 とはいえ、期待値は低いが、ひょっとしたらということもある。聞かないわけにはいかなかった。


「おれたちの世界では……といっても、創作物のなかでの話なんだが、『モンスターを従える力を持つ人間』というのが出てきたりするんだ」


 あくまで好奇心を装って、おれはシランへと尋ねる。


「精霊を扱う技能があって、精霊使いがいるのなら、同じようにモンスターを使役する技術があってもいいんじゃないかと……」

「違います!」


 突然、言葉を遮られて、おれは目を丸めた。

 叫んだのは、これまで緊張に縮こまっていたケイだった。

 彼女は立ち上がっていた。その拍子に、テーブルに手がぶつかり、いくつかの魔石が床に転がった。しかし、それに頓着することなく彼女は言い募った。


「精霊はモンスターなんかとは違います! 違うんです! だから、どうか勘違いしないでください!」


 これまで大人しくしていたのが嘘のような剣幕だった。

 おれはあっけにとられてしまった。なにが彼女を必死にさせているのかが、おれにはわからない。

 いまのケイの顔は、緊張とはまた別の感情で真っ赤になっていた。

 怒りではない。むしろその表情は泣き出す寸前の子供のものに見えた。


「わかってください、孝弘様! わたしたちは……わたしたちは裏切り者なんかじゃない!」

「ケイッ!」


 頬を張るような強い声で、シランがケイの名前を呼んだ。


「……あ」


 それでケイも我に返ったらしい。

 赤かった顔色が、みるみる紙のように白くなった。

 自分がおれを――勇者の一人を怒鳴りつけてしまったという事実に気付いたらしい。


「もっ……」


 ケイは体を投げ出すように床に膝をついた。


「……も、申し訳ありません!」


 深々と頭をさげて謝罪する。

 正確な歳はわからないが、見た目、十歳そこそこの女の子が目の前で土下座していた。

 これはむしろ、おれにとっての罰ゲームだった。


「……別に構わない。怒ってないから、頭をあげてくれ」


 おれが言っても、ケイは頭を床に押し付けるようにして動かない。ちいさな肩ががたがた震えていた。


「シランからもなんとか言ってやってくれ」


 おれは助けを求めてシランへと水を向けた。


「……孝弘殿がこう言ってくださっているのです。ケイ。席に着きなさい。孝弘殿を困らせてはいけません」


 シランの言葉に、おずおずとケイは頭を上げた。

 彼女はのろのろと椅子に戻る。まるで死刑判決を下された囚人のようだった。

 そんな彼女を見て、こちらも顔色の悪いシランが深々と頭をさげた。


「申し訳ありません、孝弘殿」


 ……お前もか。

 いや。この世界では、これがふつうなのだろう。おれが勇者の一員と見なされている限りは。


「処罰については、如何様にもわたしがお受けしますので、どうかケイの無礼については御寛恕くださりますよう」

「シ、シラン姉様!?」

「……だから、おれは気にしてない」


 おれはうんざりとして溜め息をついた。

 昨日の時点でわかっていたつもりだが、勇者として扱われる大仰さに嫌気が差す。まともに会話さえできないのか。


「頼むから頭をあげてくれ、シラン。それで、よければ事情を話してくれるとありがたいんだが」

「はい」


 おれが状況説明を求めると、ようやくシランは頭をあげた。

 ほっと胸を撫で下ろして、おれは重ねて尋ねた。


「それで、これはどういうことなんだ、シラン。おれにはさっぱり状況が掴めないんだが」

「それは、その……」


 シランらしくもなく歯切れが悪い。あまり話したいことではないらしい。

 しかし、ここは切り込まなければいけない場面だった。モンスター使いについて話をした途端にこれなのだ。彼女たちから詳しい話を聞かないわけにはいかない。


「『裏切り者なんかじゃない』といっていたな」


 待っていても埒が明かない。これはこちらから切り出すことにした。


「二人は裏切り者扱いされたことがある、ということか?」

「わたしたち二人が、というわけではないのですが……」


 完全に萎縮しきってしまっているケイに代わってシランが答えるが、いまひとつ要領を得ない。おれは更に記憶を遡って言った。


「『精霊はモンスターとは違う』とも言っていた。ひょっとして、『精霊がモンスターと同じものだと思われた』ことが、裏切り者扱いされた原因なのか? つまり、裏切り者とされたのは、精霊使いとそれを輩出するエルフという種族そのもの……?」


 シランは答えない。無言のまま、おれから目を逸らした。

 これで正解なのだ。


「しかし、どうしてそんなことに……?」

「……孝弘殿はモンスターの存在しないという異世界からきたためにぴんとこないかもしれませんが、我らの世界ではモンスターの脅威というのはなにより大きなものなのです」


 観念したのか、シランは逸らしていた顔をこちらに向けた。

 腹をくくったのか、彼女は普段通りの凛とした佇まいを取り戻していた。


「遠い昔の話です。我らの特性である精霊使いの使役する精霊が、モンスターと同じものだと言われていた時代がありました。さっきケイは違うと言いましたが、我らもなにが違うとは言えません。ただ、我々は精霊が我らに害を及ぼすものではないと知っているだけで……」


 実際、モンスターが魔力を持っている生き物である以上、魔力がかたちを為したという精霊との違いはないように思える。

 ひょっとすると、同じものなのかもしれない。


「モンスターを扱う者。人類の裏切り者。人類を滅ぼすためにもぐりこんだ内なる敵。……もちろん、いまはそんなことを表立って言う者はいません。ですが、我らエルフにはそうして迫害された時代があるのは史実であり、残念ながらいまでも我らの地位はあまり高いものとは言えません」


 要するに、被差別種族だったということだろうか。

 ……いや。話が過去形なのだとすれば、ケイがあれほど過敏な反応をするのはおかしい。

 いまでも有形無形を問わず、差別は残っていると考えるのが妥当なところだろう。


 事情を聞かされてみれば、思い当たる節もあった。

 たとえば、シランから説明を受けるまで、おれは精霊使いの存在を知らなかった。その直前に、歴代の勇者の伝説を一通り聞いているにもかかわらずだ。

 華々しい英雄譚に精霊使いたるエルフが一度たりとも登場していなかったからこそ、おれはその存在を知らなかったのだ。


「話はわかった」


 おれが言うと、ケイはびくりと震えた。

 隣にいるシランの瞳の奥にも、押し殺された怯えの色があった。

 おれのなかのうんざりした気分は更に重さを増していった。


 これはどうも、しっかり言ってやらないとわかりそうにない。


「重ねて言うが、おれは別に怒っていない」


 おれはシランの目をまっすぐ見詰めて言った。

 シランもおれのことを見返していた。蒼い目がおれの目の奥を探った。

 やがて、ほんの少しシランの肩の力が抜けた。

 そのあとすぐにシランの整った顔立ちに羞恥の色が浮かんだ。


 先程、シランは『エルフは他人の感情に敏感だ』と言っていた。シランはおれの態度を観察して、おれが本心から言っていることを確認して、ようやく安堵したのだ。

 そのあとの羞恥の感情は、おれの言葉を推し量ったことを恥じたのだろう。そうした彼女の潔い態度は、おれにとって好ましいものだった。

 おれは更に言葉を重ねる。


「さっきの反応についても理解した。そういう理由があるなら、ああして必死になるのも無理はない。おれのほうこそ、知らずに無神経なことを言って悪かったな」


 最後の部分は小さくなっているケイに言った。

 ケイはぶんぶん音が鳴りそうなくらい、勢いよく首を振る。


「そ、そんな。わたしが孝弘様に失礼なことを言ったのは確かですから……」

「気にしなくていい。もしも気になるようなら、むしろその『孝弘様』というのをやめてくれ。そちらのほうが、よっぽどおれは気になる」


 ケイは困ったような顔をした。おれが本気で嫌がっているのがわかったのだろう。


「そ、それじゃあ、なんとお呼びしたら?」

「ふつうに『さん付け』でいい。なんなら、呼び捨てでも構わないが」

「そ、それは流石に……た、孝弘さん?」

「それでいい」


 おれが頷いてやると、ようやくケイはぎこちないが口元をほころばせた。顔を合わせてから、これが初めて見た彼女の笑顔だった。


 とりあえず、これでシランたちのほうはいいだろう。

 問題はおれのほうだ。


 おれは頭を抱えたい気持ちになった。この砦にやってきて、何度目だという話だが。


 この世界ではモンスター使いは他にいないらしい。

 精霊がモンスター扱いされたために、精霊使いの技能を持つエルフが被差別種族になったということを考えると、モンスターを率いるおれの存在は完全にアウトだろう。

 想定していた最悪のケースだった。


 念のためにチート能力を隠していて正解だった。これはもう、絶対におれの能力を知られるわけにはいかない。

 この世界ではおれは勇者だからエルフとはまた別の扱いを受ける可能性もある。だが、希望的観測で動くわけにもいかないだろう。


「真島くん」

「うん?」


 考え込んでいたおれは、リリィに声をかけられて我に返った。

 見れば、シランたちはやや所在なげにしていた。


「ああ。悪い。ちょっとぼうっとしていた」

「お疲れのようでしたら、そろそろ我らはお暇しようかと思いますが。なにか他にお話できることがありますか?」

「別に疲れたわけじゃないから、そこは気にしなくていい。そうだな、他には……」


 聞きたいことは聞いたように思う。他になにかあっただろうか。

 考えを巡らせるおれに、そこでリリィが助け船を出してくれた。


「ほら、あの指輪。丁度良いし、シランさんに渡したらいいんじゃないかな」

「ああ、あれか。そうだな、いま渡しておこう」


 おれはベッドから立ち上がった。

 部屋の隅に置いておいたバックパックのところに行くと、なかから紐でつないでひとまとめにしておいたいくつかの指輪を取り出す。

 グールとなった騎士たちの死体から回収したものだ。

 思った以上にスムーズに異世界人たちに受け入れられてしまっていたために『ファースト・コンタクトの際の好感度をあげる』という当初の目的としては必要なくなってしまい、これまで出すのを忘れていた。

 シランも同じような指輪をつけていることは確認済みだ。ただし、色違いだったが。装備は同じだったはずだから、部隊違いかなにかだろうか。いずれにせよ、彼女なら然るべき処置をしてくれるはずだった。


 おれが指輪を手渡すと、シランはひどく驚いた様子で目を見ひらいた。


「これは我ら同盟第三騎士団のものですね。これをどこで?」

「樹海のなかをさまよっているときに遺体を見付けた。遺体は流石に持って来れないから、せめて遺品をと思ったんだが」

「……そういうことですか。どうもありがとうございます」


 シランは痛ましげに眉をひそめた。


「それは恐らく、探索隊の救援要請を受けて我らが樹海に向かった際に、勇者様方の安全を確保するために露払いとして先行していた別働隊でしょう。進路上でモンスターの掃討を行っていたのです。不運にもモンスターの群れに行き遭い、全滅したと聞いています。そのなかには、遺体を回収できなかった者たちがいたと聞いていますが……」


 やや俯き加減に掌の上の指輪を見詰めるシランは、なにやら考え込んでいる様子だった。


「孝弘殿。お願いがあります」


 数秒経って、シランは顔をあげた。


「彼らの弔いに参加してもらえませんか」

◆感想欄でつっこまれるかなと思ったけど、この小ネタに誰も気付いてくれなくて、ちょっと寂しい。

(´・ω・`)

という前話のあらすじの話でした。


◆長いので途中で切りました。

まあ、途中で切ったのに20k余裕で越えてるんですけど(白目)。

なかなか見直しが終わらない終わらない……


◆次回更新は5/10(土曜日)の予定です。そうでないなら日曜日になるかと。

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