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25. 最終決戦

前話のあらすじ


災厄の王との戦闘は続く。

仲間たちが駆け付け、戦いは最終決戦へ。

   25



 霧の魔法の効果はふたつ。


 ひとつは自身の感覚器である霧内部の掌握。

 もうひとつが、幻惑の力だ。


 かつてはマクローリン辺境伯領軍の精兵を千人以上呑み込んだ実績がある。


 いまのおれが使えば、さらに効果は強力だ。


 ただし、さすがに中嶋小次郎の生み出した『災厄の王の騎士』は強力で、呑み込むには集中が必要だった。

 十分な時間を確保できたのは、仲間たちのお陰だ。


「おお。これは、全員を……?」


 ガーベラがつぶやく前で、騎士たちはひとり、またひとりと倒れていく。


 まだ油断を切らすことなく、ロビビアがちらりとこちらに一瞥をくれた。


「こいつら、元に戻ったのか」

「いや。眠らせただけだ」


 存在のレベルまでは半ば侵食しているのでただの眠りというわけではないが、さすがに元に戻すことはできなかった。


 眷属以外へのおれの干渉力が、霧の魔法の助けを借りてもそう高くないというのもあるが、そもそも、無茶苦茶に書き換えられた彼らを元に戻すのは非常に繊細な作業だ。

 昏倒した彼らは『災厄の王の騎士』のままだ。


 いまはまだ。


「だけど、他人をどうこうするのは不得意とはいえ、おれだって『接続者』だからな。時間さえかければ……」

「どうにかできる?」

「ああ。だから……いまは眠っていてくれ」


 霧に包まれた騎士たちは、全員が地に臥した。


 これで、ようやく露払いが済んだわけだ。


「……あとは、ひとりだけだ」


 そう言って視線を向ける先、シランたちと対峙する『災厄の王』の姿があった。


 いまは手をとめて、こちらに視線を向けてきていた。


「全員やられちまったか」


 倒れる騎士たちを見て、彼は肩をすくめてみせた。


「それなりに強力な攻撃手段だと自負していたんだが、やっぱり紛い物の絆じゃ敵わねえか」


 語る間にも、先程までの戦闘で彼が傷付けたシランの体が修復されていく。

 手を停めている時間は、こちらの味方なのだ。


 しかし、そうした状況を気にした様子もなく、中嶋小次郎はただおれを見詰めていた。


「だが、それでいい。いいや、それでこそだと言うべきだ。紛い物じゃ敵わない、お前はやっぱり本物だ。確信できたぜ。この場所こそが、おれが望み続けたものだ」


 そう語る口調には、感慨深いものがこもっていた。


 実際、思うところはあるのだろう。


 この世界にやってきてから、およそ一年。

 いいや、それ以前の人生のすべて。


 待ち望んでいたときが来たのだと、猛々しい笑みを浮かべてみせた。


「もうこの異界も要らねえな」


 相応しい舞台を求めて、その力は行使される。


「……なっ」


 次の瞬間、これまで立っていた地面が消え去る。


 おれたちは荒野に移動していた。


 遠くに見える帝都との位置関係から、天空城が転がっていた場所だとわかる。


「異界を解除したのか」


 なんのつもりだと思った、その瞬間にぞっとした。


 危機感が告げるまま、振り返った。

 起伏の緩い荒野と、その向こうに遠く見える黒々とした森がある。


 その上に、どす黒い赤に染まった空が広がっていた。


 まるで固まりかけた血のような。

 見ているだけで正気が削られるような、おぞましい空だ。


 そんな不吉な空が――いまにも大地に『墜落』しようとしていた。


「……なんだ、あれは」


 赤い天蓋の一部が、大地に向かって盛り上がっている。


 おれがまだ正気であるのなら――それは、大地に手を伸ばす巨人の姿のように見えた。


「嘘。なにあれ」

「あんなもの、妾も見たことがないぞ」


 リリィとガーベラが呆然として言うのも無理はない。


 見ているだけでも現実感が喪われるスケールは、世界最大の都市である帝都よりも大きい。


 造形は赤ん坊のように頭ばかりが大きく、体は細い。

 のっぺりとした巨人の顔には、目鼻はなく、口だけがぽっかりと開いていた。


 それは『接続者』としての力を得たいまのおれにとってさえ、ひどく恐ろしく感じられる光景だった。


 いや。むしろ『接続者』としての力を得たからこそ、恐ろしさが正確に理解できもしたのだ。


「あれは……恐怖と不安、か?」


 そもそも、この世界の人間たちが抱く恐怖や不安といった感情が生み出したのが、樹海であり、モンスターだった。


 世界の根源と繋がる『接続者』としての感覚は、あの巨人の発生にも同じ原理が働いていることを感じ取った。


 思い当たるふしもあった。


「『大破局』……」


 それは、聖堂教会によって隠匿された歴史での出来事だ。


 本来、揺らぎやすいこの世界の安定は、初代勇者の定めた『世界観』によって維持されている。


 そのために『これが世界だ』という常識から外れた『ありえないようなイレギュラーな事態』に脆い。


 以前はエルフの存在が引き金になった。

 現在は、より複合的な原因が考えられる。


 そもそも、昨今の世情は、おれやマクローリン辺境伯に関わる問題で不安定になっていた。

 結果、長らく絶対の存在であった勇者と聖堂教会の正義に、大きな揺らぎが生じていた。


 さらに、神宮司智也の起こした事件があった。

 世界で最も安全なはずの帝都の、世界の安寧を守る象徴たる大聖堂が崩れたことは、人心に大きな影響を与えたはずだ。


 最後のとどめが、今日の天空城の襲来だ。

 あんなことは、過去一度だってなかったはずだ。


 これらすべてが合わさって、世界最大の人口を誇る帝都の人々の不安は最大級に達していた。


 以前の『大破局』と同じく、世界を揺るがす条件は揃っていたのだ。


「『大破局』の再来……いや。それよりも悪い」


 少なくとも、ハリスンが語っていた『大破局』には、あんな奇怪な巨人の存在は出てこなかった。


 考えてもみれば、以前の『大破局』は長い時間をかけて事態が進んだ。

 それに、エルフたちの働きにより途中で収められもした。


 当時の状況といまとでは、いまのほうが変化は急激であり、状況自体も悪い。


 むしろ、あれこそが真性の『大破局』。

 この世界の不安定化が行き着く先だ。


「良い光景だろ?」


 話し掛けられて、おれは改めて向き直った。


 赤い終末の世界に、『災厄の王』の底抜けに楽しげな笑みはよく映えた。


「終末の光景――っていっても、別に狙ったわけじゃねえんだけどな。けど、お前らとしては気合いが入るだろ」

「……だから、こうして見せたのか?」


 なんで異界を解除したのか、それで理解できた。


 この期に及んで、考えることが、より相手が全力を出せる条件を整えることとは。

 まったく、筋金入りというほかなかった。


「はは。大したもんだな、ありゃ。帝都の近くに現れたのは、帝都の人間の不安と恐怖が生み出したものだからだろう。だが、それだけじゃねえ。このままあいつが解き放たれれば、あいつは帝都を呑み込んで勢力を増す。雪崩みたいなもんだ。誰にもとめられねえ。あいつをとめたければ……」

「お前を倒せ、ってことだな」


 長々と脅威について話をするのを、おれは引き取って答えた。


 なにを見たところで、やるべきことは変わらないのだ。


「行くぞ、みんな」


 これが最後の戦いだ。


   ***


 終末間際の真っ赤な空の下、戦意が大きく膨れ上がる。


 最初に動いたのは、距離の近かったシランだった。


「参ります!」


 騎士の誇りたる剣を掲げて、地面を蹴る。


 だが、斬りかかったのは最初ではなかった。


「やあぁあああ!」


 あとから動き始めた飯野が、すでに斬り掛かっていたからだ。


 シランが遅いわけでは決してない。

 むしろ彼女の速度は、すでにウォーリアよりも速い。


 ただ、あまりにも『韋駄天』は速過ぎた。


 これまで飯野はシランのフォローに回っていたのだが、『災厄の王の騎士』の対応に回っていた面々も全員、中嶋小次郎との戦闘に参加したことで、より自由に動けるようになっていた。


 脚を引きずり四肢を突いた不自然な体勢から、誰よりも、なによりも速い先制の一撃が放たれる。


「っとぉ!」


 そうして放たれた最初の一太刀を避けたのは、さすが『災厄の王』というべきだろう。


「まだです!」


 そこに、シランが突っ込んだ。


 これまでの彼女は、ひたすらに光の剣を掻い潜り、敵を封殺することに徹していた。


 だから、これが初めての攻勢だった。


「はあぁあああ!」


 騎士として培った、卓抜した剣術。

 デミ・リッチとしての身体能力。

 精霊魔法によるフル・ブースト。


 すべてを練り上げて放たれるのは、まさに剣撃の嵐だ。


 樹海最高の騎士の戦闘能力は、すでに探索隊の二つ名持ちにも匹敵する。


「ぐ……っ! こいつは、なかなか……」


 体勢の整わないまま、下手に光の剣を振るっていれば斬り捨てられていただろう。

 中嶋小次郎は選択を誤らなかった。


「だが! まだだ!」


 斬撃を躱すことに専念したのだ。


 直撃を喰らうことだけは避けて、やや体勢を崩しながらも背後に逃げる。


 切り裂かれた全身の傷から血がこぼれるが、致命傷はない。


 だが、それがどうした。

 足りないのなら畳みかけるだけだ。


「シャアァアア――ッ!」


 次の瞬間、飛び込んだガーベラが、手にした土くれの大剣を叩き付けた。


 十分に溜めた蜘蛛の跳躍は、おれの眷属のなかでも瞬間速度は随一だ。

 やっていることは飯野の強襲と同じで、単純な一撃の重みは上回る。


「ぬ!?」


 だが、これを『光の剣』が受け止めていた。


 荒野の岩盤を材料にした大剣が、エネルギーを受け止めきれずに爆散する。


 中嶋小次郎のほうも攻撃の重みを殺しきれずに、思い切り地面に叩き付けられたが、すかさず土煙に紛れて離脱を図った。


 すさまじい反射神経と判断力だ。


 しかし、その足は直後にとめられた。


 いつの間にか進路にあった蜘蛛の巣に突っ込んでしまったからだ。


「なん……!?」

「かかったな!」


 ガーベラの攻撃は、このための布石だった。


「逃がさぬ!」


 蜘蛛の糸は、ガーベラの馬鹿力で握られている。

 これは逃げられない。


「よし、おれが行く!」


 これが好機とばかりに、河津が斬り掛かった。


「おおおお!」

「……こいつは」


 迫る剣を前にして、動けない中嶋小次郎の喉から低い呻き声が漏れた。


 この男がここまで追い詰められたことは、これまでなかったはずだ。

 整った顔に、このとき、初めて緊張の色が走った。


 背中に忍び寄る死の感触を覚えたのかもしれない。


 いくら全力を尽くしてみたいと言って、困難を乗り越えることに憧れていても、実際に死線に放り込まれれば同じことを言えるものではない。

 それに、どんなことであれ、初めてというのは戸惑うものだ。


 ……普通であれば。


 中嶋小次郎という男は、普通ではなかった。


「ハッ!」


 笑ったのだ。


「ハハハハハ! そうか! こいつが、そうか!」


 人生できっと初めての逆境を、いかにも嬉しそうに。


 直後、その手に握られた『光の剣』が爆発した。


「んなっ!?」


 自爆である。


 ガーベラが驚きの声をあげたのは、突然のことに驚いたからだけではない。

 手元の糸が焼き切られて、張力を失ったからだ。


「ぐぶっ」

「河津様!」


 斬り掛かろうとしていた河津がくぐもった呻き声をあげ、支援をしていたゴードンが悲鳴をあげた。


 河津の腹に、突き出された長い脚が突き刺さっていた。


 自爆することで、拘束する蜘蛛の糸から逃れた中嶋小次郎が、一瞬の隙を突いて反撃に転じたのだ。


「ごぁあ!?」


 痛烈な一撃だった。

 くの字に折れ曲がった河津の体が、弾丸のように吹き飛ばされる。


 同時に即座に生成された『小剣』がガーベラを狙っていたが、こちらはぎりぎりのところで回避に成功する。


「……ぐぬ。ひとり離脱か」


 ガーベラが呻いた通り、河津のダメージは大きい。


 即座の戦線復帰は不可能だろう。

 ここまで畳みかけていた攻撃のテンポは、必然、崩れる。


 いや、そんなことは許さない。


「やああぁあ――ッ!」


 響き渡ったのは、少女の咆哮だった。


 風の魔法を込められた黒槍が、蹴りを放った直後の中嶋小次郎に襲い掛かったのだ。

 狙いを見計らっていたリリィの、投槍の一撃だった。


 絶妙なタイミングで放たれた槍は、掘削機のように渦巻く風を引き連れている。


 回避は不可能。

 すでに中嶋小次郎の右手には『片手剣』があったが、それで槍を払えば、その隙にシランとガーベラが襲い掛かる。


 そう判断したのだろう青年の行動は果断だった。


「らぁああ!」


 素手で槍を払いのけたのだ。


 当然、払いのけた左手はダメージを負うが、片手剣は温存される。


 攻撃を仕掛けようとするシランとガーベラを、解放する闇の奔流で薙ぎ払おうと剣を振りかぶる。

 その長身を、吐きつけられた炎が巻き込んだ。


「ぐぉ!?」


 黄金の竜の俊敏さで回り込んでいたロビビアが、炎を喰らわせたのだ。


「こ……れは」

「ぎゃおっ!」


 なにか言おうとした顔面に、あやめの放った火球が突き刺さる。


 いや、かろうじて避けて、当たったのは肩の辺りだ。


 だが、普段よりも一撃が強い。

 相当の衝撃を受けてよろめいたところで、とてつもない勢いで伸びた黒い触手がその体を上から下に叩き付けた。


「良い調子です、真菜」

「はい!」


 加藤さんの『醜い怪物』の力だ。


 扱いが非常に難しいが、こちらの陣営では最強の破壊力を持つ一撃である。

 地面が揺れるほどの威力に、中嶋小次郎は血を吐いた。


 初めてのクリーン・ヒットだ。


 かなりのダメージがあったはずだ。


 ここで畳みかける。


「おおおおおおっ!」


 おれは膨れ上がった左の凶腕を振り上げる。

 自分の意思では動かせないが、アサリナが意図を汲み取って動かしてくれる。


 タイミングは完璧だった。


 捻じれて尖った爪の先が、青年の胸を裂いて衝撃で吹き飛ばした。


「……! 仕留め損ねたか!」


 だが、すぐに手応えから致命傷には至っていないことに気付いた。


 戦いはまだ終わらない。


「ここはわたしが!」


 入れ違いで、シランが飛び込んだ。


 しかし、そこで中嶋小次郎がつぶやいたのだ。


「間、違い……ねえ。さっきから、違和感はあったが」


 肉薄するシランに対応を余儀なくされながらも、その目がこちらを向いた。


 血に濡れた口許が笑みを作った。


「連携がスムーズ過ぎる。真島がなにかしてんだろ?」

「……ッ」


 見抜かれた。


 実際、現状の戦いの起点はおれが握っていた。


 サルビアのお陰で得られた力は主に三つ。


 完成された『接続者』の力。

 唯一の魔法である『霧の仮宿』を含めた自身の強化。


 そして、最後のひとつが本来のおれの固有能力であるパスの変容だった。


 本来であれば、パスはお互いの位置や感情を伝える程度だが、いまは任意で情報の共有を行えるほどになっている。


 強化された『霧の仮宿』で把握した空間情報は全員に共有され、誰がどこでなにをしようとしているかも互いに把握できているのだ。


 ガーベラやシラン、ロビビアの乱入、ローズや加藤さん、あやめが転移の魔石でやってくるタイミングが掴めたのも、この力のお陰だった。


 そして、いまもまた。

 実質、おれと眷属たちは文字通りに一体となって戦っているに等しい。


「ハハッ! つまりこれは、眷属と一体になった真島と、壁を破った飯野のふたりとの戦いなわけだ!」


 なにが起こっているのかを正確に看破して、『災厄の王』は叫んだ。


「嬉しいぜ。おれのところに来れるとしたら、極限まで己の望みと力を高めたやつだけだ。可能性があったのは何人かいたぜ。『魔軍の王』工藤陸、『竜人』神宮司智也、『絶対切断』日比谷浩二……だが、最有力なのは、お前たちふたりのどちらかだと考えてた。どちらもっていうのは、嬉しい誤算だ」


 猛々しい笑みが、端正な顔立ちを彩る。


 それはまるで、世界を呑み込む狼のような笑みだった。


「これでおれは全力のその先へ行ける!」


 爆ぜるように戦意が高まる。

 溢れ出す魔力が勢いを増す。


 なにもかもを吹き飛ばし、押し流してしまうような。


「これは……」

「やばっ」


 正面でやり合うシランが呻き声をあげ、河津の代わりに間合いに入りかけていたリリィが危機感に足をとめた。


 一撃離脱を繰り返す飯野と、中距離から蜘蛛糸と大剣を繰り出すガーベラは、顔を強張らせて状況の変化を目の当たりにする。


「さらに、力が……」

「上がりおっただと!?」


 次の瞬間、シランの右腕が光に包まれて蒸発した。


   ***


 予想はできていたことだった。


 中嶋小次郎という怪物の本当に恐ろしいところは、絶対的な強者であることではない。


 全力を尽くして、困難を打ち破って先へ進む只人の姿に憧れた彼は、本質的には挑むものだ。


 ただスペックが高いだけではない。

 逆境に立たされたときこそ、その真価は発揮される。


「ははははははは!」


 哄笑が赤い空に響き渡った。


「これが全力を振り絞る感覚か!」


 足は強く大地を蹴り、振るわれる剣は鋭く空間を斬る。


 受けた傷口が煙をあげて治癒され、ほとばしる魔力は肌を直接炙るようだ。


 腕力も、速力も、魔力も、知覚も、自然治癒力も、思考力さえも。

 すべてが限界を超えて捻り出されている。


「認めよう、お前たちは強い! 全力を尽くす必要のある相手だ! だからこそ……乗り越えることに! 意味がある!」


 一瞬でも臆せば、呑み込まれる。


「シラン!」

「……まだ戦えます!」


 おれが呼びかければ、即座に答えが返ってきた。


 腕一本まるまる失っては、さすがのデミ・リッチでも修復には時間がかかる。

 そのままシランは戦線を支えることを選択した。


「フォローはわたしが!」

「リリィ殿、頼みました!」


 腕を失って体のバランスが崩れれば回避にも影響するものだが、極まった武練はシランに変わらない立ち回りを可能とさせている。


 とはいえ、腕一本失ったことにより攻撃性能は落ちている。

 そのぶんのフォローを、なにかあったときのために控えていたリリィが務めた。


 余裕はなくなるが、いまは前線が崩れることのほうがまずい。


「たたみかけろ!」


 言いながら、おれ自身もアサリナの左腕を振るった。


 近接から繰り出されるシランの騎士剣。

 フォローに回ったリリィの魔法と黒槍。

 中距離からのガーベラの大剣と蜘蛛糸、ロビビアとあやめの竜のブレス。


 致命的な瞬間を、ローズに守られた加藤さんの『醜い怪物』が狙う。


 ただの転移者であれば秒殺可能な布陣だ。


 しかし、これでもなお致命的な一撃を喰らわせられない。

 傷は与えられても、浅い。


「ハハハハハハハハハハ――ッ!」


 どころか、さらに『災厄の王』は力を増していくように感じられた。


 シランの腕が再生するよりも、力を増すほうが早い。


 勝負の天秤は瞬く間に傾きかけて――。


「このぉ……!」


 天秤の皿を踏みつけにするかのごとく、ひときわ強く飯野が地面を蹴った。


「まだよ!」


 信じられないことに、さらに速度が一段上がる。


 これが『韋駄天』。

 驚くべきことに、世界最速の能力者はまだ伸びしろを残していた。


「はあぁあああ!」


 片足が動かないために単純な跳躍しかできないのを、短い跳躍を繰り返してジグザグに移動することでカバーする。

 その動きは、ひとりだけ存在する時間軸が違うかのようだ。


「やあぁああ!」


 すれ違いざまに剣を振るい、避け損ねた青年の肩から血飛沫があがる。


 哄笑が響いた。


「ハハハハハハ! こっちもまだいけるぞ!」


 傷付けられた『災厄の王』は、むしろ昂った。


 飯野が与えた裂傷自体も、そう深くはない。


 この青年も戦いの間に強くなっている。

 肉体自体が強化されているうえ、『接続者』の力で作り出した干渉場で防御しているのだ。


 倒しきれない。


 戦況は拮抗し、戦場の熱はじりじりと高まり合っていく。


 高揚による意識の先鋭化。

 極限の集中による戦闘の最適化。

 死線でのみ発揮しうる身体能力の覚醒。


 誰もが自分の実力以上の領域に足を踏み入れる。


 そして、ついに限界が訪れた。


「ぐ……っ」


 駄目だ。

 場を満たした『霧の仮宿』による認識が、戦闘の展開に徐々に追いつけなくなっている。


 もちろん、必死で追いすがる。

 だが、少しずつほころびていく。


 わかっていた。


 中嶋小次郎は、世界を呑み込もうとする真正の怪物だ。

 飯野優奈もまた、正義を為して世界を救おうと本気で願うような本物の英雄だ。


 おれは違う。


 そもそも、手の届く範囲のものだけをせめて守ろうとしたのは、力が足りなかったからだ。


 器の違い。

 才能の差。


 言葉はなんだっていい。


 死力を尽くして一歩進む間に、相手は二歩も三歩も先にいる。


 ただ『霧の仮宿』だけで、認識した情報を仲間たちと共有していては、戦いに影響が出るのも時間の問題だろう。

 それは、対峙している相手にも伝わったようだった。


「そろそろ、限界みたいだな!」


 傷だらけの顔を、痛みなんて感じてもいない様子で紅潮させて、中嶋小次郎が叫んだ。


「だが、お前はよくやった! 本当によくやってくれた! 感謝するぜ、真島。お陰でおれは、望んだ困難を乗り越えられる――ッ!」


 伸びしろが足りていない以上、もう彼には追いつけない。

 全力を尽くせる相手を作り出して、そのうえで乗り越えたいという中嶋小次郎の願いは成就する。


 勝利のロジックは単純でいて明快だ。


 否定なんてしようがない。


「……認めよう。おれはお前に追いつけない」


 おれは応じた。


 否定のしようのない事実を、ただ静かに。


「だが、それがどうした」

「……なに?」


 災厄そのものの青年は、怪訝そうな顔をする。


 それはまったく、理解できていない表情で――。


 次の瞬間、中嶋小次郎の頬を、リリィの黒槍の穂先が深々とえぐり抜いた。


◆先週更新予定だったんですが、体調崩してて遅れました。ご報告です。


① コミックス『モンスターのご主人様』の6巻が、7/30 発売となります。

コミックス版は、チリア砦編も佳境。シランの救済と十文字との決戦になります。


② 書籍『モンスターのご主人様』の16巻が、8/30 発売予定です。

いよいよ来ました、異界攻略編です。

工藤とベルタの物語の終着になります。書き下ろしも大ボリュームですので、お楽しみに!


③ 英語版の『モンスターのご主人様』(英題『Monster Tamer』) が、8/26 から電子書籍として配信されます。グローバルな感じですね。



今後とも『モンスターのご主人様』をよろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
[良い点] コミカライズでは十文字がイキッてるけど、やっぱ中嶋の格が違うわなぁ。 こんだけ強いのにチャレンジャーなのは強すぎる。
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