22. 断絶の向こう側
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窪田さんの体が消えていく。
半透明になった姿には、すでにおれに害を与えられるだけの力はない。
こうして敵にはなってしまったけれど、振り回されてここまできてしまった彼には、少し思うところもあった。
だが、感傷に浸っているような余裕はなかった。
「ご主人様」
リリィが駆け寄ってきた。
「これを」
その手には、おれの剣が握られていた。
拾ってきてくれたらしい。
頷きを返した。
危機を乗り越えたものの、気持ちはむしろ張り詰めていた。
すさまじい勢いで、最大の脅威がこちらに近付いてきているのを感じ取っていたからだ。
戦いはすでに終わりが近い。
この城に入ってからは、彼はこちらの様子を把握していたはずだから――恐らく、もう我慢をする必要がないと見て、自分から動き出したのだろう。
リリィから剣を受け取ったところで、着地の足音が響いた。
ただ、現れたその男は、いまだけはこちらを向いていなかった。
「ありがとう、陽介」
強い意志と自信を感じさせる青年の声が、消えゆく窪田さんにかけられた。
「お陰で、おれの願いは叶う」
その言葉に込められた感謝は本物だった。
そこで、窪田さんの体は完全に消え去った。
気のせいかもしれないが、その口元には笑みがあるように見えた。
彼には彼なりにこの世界で過ごした時間があり、抱いた想いがあったはずだ。
人の価値観はそれぞれだ。
彼はそれだけの価値を見いだしていたのだろう。
いまや世界を脅かす災厄そのものと化した、目の前の青年に。
「……中嶋小次郎」
「嬉しいぜ、真島。お前こそが、やっぱりおれのヒーローだった」
世界を滅ぼさんとする『災厄の王』が、親しげに笑いかけてきた。
***
これが最後の機会だからだろう。
中嶋小次郎は会話を求めているようだった。
朗らかに話し掛けてくる。
「実際のところ、不幸だとは思ってるんだぜ」
「なにがだ?」
「おれも――世界もさ」
親しい後輩にでも話し掛けるような、気さくな物腰だった。
「前に言ったよな。おれはただ、全力を出したかっただけなんだって」
「……ああ。そう言っていたな」
「別に贅沢を言うつもりはなかったんだ。全力を出せるなら、たった一度だけで良かったんだ。……なのに、奇跡のように訪れたこの世界には、おれが乗り越えるほどの障害がなかった。困難がなかった。邪悪がなかった。もしもあってくれたなら、おれは全力でみんなのために戦えたのにな」
実際、それは事実だろう。
強烈な意思力と、逸脱した才能を武器に、この青年はきっと、どんな障害だろうと乗り越える。
物語の英雄そのままに。
そんな彼だったから、窪田さんたちだって強烈に惹きつけられもしたのだった。
実際、もしもおれたちがこの世界に転移させられたのが、人類にはどうしようもない災厄から世界を守るために召喚されたのだったら、中嶋小次郎は救世の英雄になっていただろう。
誰にも絶対に乗り越えられない残酷な災厄を、全力を以て打開して、万民を救ったはずなのだ。
そうなれば、彼は満足できただろう。
だが、そうはならなかった。
おれたちの身に降りかかったのは、単なる不幸、単なる事故だった。
打ち倒すべき強大な障害も、困難も、邪悪もなかった。
ただそれだけで、災厄を祓う英雄となれたはずの青年は、災厄そのものに変貌した。
「全力を振り絞って打倒すべき災厄が現れなかった以上、おれ自身が災厄になって、全力で対抗してくれる英雄を待つしかなかった。だから、お前が立ち塞がってくれたことが嬉しい。お前こそが英雄だ。ずっと運がなかったおれにとってはさ」
「運がなかった、か」
それは、一面の真実ではあるのだろう。
どれだけ優秀であったとしても、求めるものが得られなければ、ただ虚しいだけだ。
こうでもしなければ報われなかったという点で、まったく彼には運がなかった。
とはいえ、それは免罪符にはならないが。
「だから、自分は悪くないっていうのか」
「まさか!」
尋ねてみると、即座に否定が返ってきた。
「いくら運がなかったとしても、この選択をしたのはおれ自身だ。悪くないわけがないだろ」
自覚はきちんとあったらしく、彼自身が断言する。
ただ、言葉はこうも続いた。
「もっとも、おれも悪人になりたかったわけじゃない。正直、真島のことは羨ましくもあるんだぜ。叶うなら、おれはお前のように生きたかった」
「……」
これも、本音だろう。
こちらを見る目には、この期に及んで憧れと羨望の色があった。
ファンだと言っていたことに、ひとかけらの嘘もないのだ。
ただ、同時にそれは一方的な見方に過ぎない。
理解はできても、共感はできなかった。
なぜならば。
「おれは、あんたのことが羨ましいよ」
「……なに?」
「おれにあんたほどの力があるなら、一度だってリリィたちを危険に晒すようなことはなかったはずなんだから」
自分の力不足を呪ったことが、何回あったかわからない。
仲間全員を守れるだけの絶大な力がほしかった。
いつだって余裕があり、なにひとつ思い悩むようなことはなく、問題をなんでも解決できて、目に映るすべてを救えるリーダーとして彼女たちを率いたかった。
中嶋小次郎が忌み嫌ったものこそ、おれが喉から手が出るほどほしかったものだったのだ。
なんとも皮肉な鏡合わせだ。
おれたちは互いに互いを理解はできても、共感はできない。
絶対に。
この点、ただ生き方が相いれないだけで、理解も共感もできた工藤とは明確に違っていた。
「あんたの気持ちはわからない」
「……そうか」
言い切ると、中嶋小次郎は少しだけ表情を歪めた。
「残念だ。本当に」
心底、悔しそうに彼は溜め息をついた。
「お前にはわかってほしかったんだけどな。だけど、そうか。お前はそうだったな。そういう軸で動いているんだった」
悲しそうでさえあった。
本心からの言葉だろう。
そんな表情で、彼は言うのだった。
「だとすると……もしもお前が負けたら、眷属だけ皆殺しにして復讐に立ち向かってくるのを待つのもありかと考えてたんだが、この分だと無理そうだな」
断絶。
お互いに絶対にわかりあえない次元の。
「いや。そんなふうに保険をかけること自体が、覚悟を決めてここに立っているお前に失礼だったな。悪かった」
整った顔立ちに浮かんでいるものは、純粋な好意と敬意だけだ。
おぞましいことを口にしながら。
これは本気でわかっていない。
共感性の欠如……ではない。
これはもっともっと、おぞましいものだ。
言葉にするのなら、やはり断絶というべきなのだろう。
共感する力がないというよりは、これはもう住んでいる次元が違い過ぎて、共感のしようがないというほうが正しいようにさえ感じられる。
二階から見下ろした地面を這う蟻の生き死にに、涙を流すことがないように。
共感能力があったところで、同じ人と感じられる相手が世界にいなければ、誰にも共感できないのは道理だろう。
だからこそ、逸脱しきった青年にとっては、自分のいるところに到達できるかどうかがすべてなのだ。
障害を乗り越えて辿り着いてくれる可能性があるものすべてを、彼は心から応援している。
好意と敬意を抱いている。
けれど、その過程で自分の元に辿り着けずに喪われる者を悼むことはない。
ただ、自分のいるところに到達する可能性が喪われたことを嘆いている。
だから『眷属を皆殺しにすればおれを復讐心で強くしてあげられるかもしれない』なんて『善意の発想』に至ってしまう。
コロニー崩壊の際も、こうだったのかもしれない。
ようやく、本当の意味でおれはその本質を理解した。
これこそが『災厄の王』。
単体で世界を滅ぼしえる――孤高で孤独な断絶の向こうに棲む、真性の怪物だ。
「さて。残念だけど、結論は出た。名残惜しいが、そろそろ始めるか」
おれとリリィが身構えるのを見て、いかにも嬉しそうに青年は両手に魔力を集中させた。
そうして生まれるのは、すべてを白く塗り潰す光と、奈落に突き落とす闇の剣だ。
おぞましいまでに膨れ上がった魔力は、胸に宿った妄念の表れに違いなかった。
「行くぞ、おれの英雄!」
純粋な好意に満ちた笑顔と、背筋が凍り付くような殺意が吹き付ける。
「全力で殺してやるから、どうかおれを救ってくれ!」
独自の価値観にのみ従う在り方は、傍目には狂っているようにさえ見えるだろう。
だが、違う。
正気でこれだからこそ『災厄の王』は恐ろしいのだ。
相手のペースに乗ってしまえば呑まれる。
呑まれれば敗北する。
重要なのは自分を強く持つことだ。
「おれはあんたの英雄じゃない。みんなを守るために戦うだけだ」
こちらからは、あくまで静かに告げた。
気持ちは負けない。
いささかも揺るがない。
彼に執着する目的があるように、おれにだって絶対に譲れないものがある。
相手の望みに取り合ってやる義理はない。
自分の望みを押し通すだけだ。
「ははは! そうつれないことを言うなよ! 楽しませてくれ!」
「……勝手に言ってろ。おれたちは負けない」
鏡合わせの存在同士、最後まで噛み合うことはなく、戦端の幕は切って落とされた。
◆ラスボスとの問答回でした。
今作では世界の半分をくれてやるとは言いませんが……。
いろんな意味で逸脱しているというか、アレなところが描けていたらいいなと思います。
主人公が看破しているように共感能力はあるのですが。いかんせん、彼の世界には人がいません。






