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18. いつかまた

前話のあらすじ


アサリナの危機に、ついに限界を迎えた孝弘。

現れた『霧の怪物』を前にして、霧の女が動く。



   18



 気付くと、おれは崩壊する教室にいた。


 目に見えるものすべてに亀裂が走り、細かい破片を落としている。


 もうそれをとどめるだけの力もない。


 なすがまま、ひとりで机に腰掛けている。

 左腕がなくなってしまっているので、いつも一緒のアサリナもおらず、本当にひとりだった。


 けれど、これが自分の選んだことだった。


「できることは、やったよな」


 本当に他に手がなくなってしまったときの、最後の手段。


 初代勇者は、世界に取り込まれてしまい、存在そのものが消えてしまった。

 限界に達した以上、おれも同じ道を歩むしかない。

 実際、いまこのときも、この世界は沈下を続けており、ついに『無意識の海』に呑み込まれようとしていた。


 しかし、ただ消えるわけにはいかない。


 おれがいなくなってしまえば、『災厄の王』に対抗する力を持つ者はいなくなる。


 みんな、まともな抵抗もできずに殺されてしまうだろう。

 それだけは駄目だ。


 存在を保つ必要がある。


 そのためには、真島孝弘という存在の限界以上の強度が必要だ。

 すなわち、能力の暴走が。


 願いに呑み込まれ自我を失ってでも、せめてみんなを守るための力は残す。


 これが、考えていた最終手段だった。


 さいわい、無意識の海に呑み込まれるということは、『接続者』としての能力が極限に至ることを意味している。


 そうした結果、生まれたのが『霧の怪物』だ。

 あれなら、きっと『災厄の王』にだって通用する。


 あとは、ここにいる自分を暴走の糧として捧げてしまえば、それで完成だった。


「これしかなかったんだ」


 つぶやく。


 ただ、これは独り言ではなかった。


 おれは教室のうしろのほうを振り返った。


 そこに、サルビアが立っていた。


「……旦那様」

「来ると思っていた」


 消滅の危機にあるアサリナと違って、サルビアがここにいない理由はない。


 加えて、おれが『絶対切断』相手に深手を負ったあと、姿を見せないことは気になっていた。


「ありがとう。ここで、おれの世界の崩壊を喰い止めてくれたんだな」


 彼女には霧の魔法で、おれの世界を修復することができた。

 その力で、致命的なダメージを受けた世界が壊れるのをぎりぎりまで遅れさせていたのだろう。


 彼女がいなければ、おれはとっくに限界を迎えていたに違いない。


 だが、それもここまでだった。


 あくまで、彼女ができるのは応急処置だけだ。


 これ以上、できることはない。


 だけど、それでもかまわなかった。

 ここにいてくれるだけで。


 最期の瞬間、ひとりでないだけでも、サルビアには感謝の気持ちしかなかったから。


「頼みがあるんだ」


 寂しさと恐怖を呑み込んで、せめて穏やかに告げた。


「リリィたちに伝えてくれ。愛しているって。おれは消えてしまうけど、ずっとみんなを守り続けるって」


 こうして、言葉を遺すことだってできた。


 だから、自分は満足なのだと伝えて――



「――駄目よ、旦那様」



 返ってきたのは、断りの言葉だった。


「……え?」

「あなたは消えてはいけないわ」


 呆気に取られたおれに、サルビアが言う。

 思わず息を呑むほどに、穏やかで覚悟に満ちた眼差しだった。


「みんなを守るのでしょう。だったら、消えては駄目よ」

「サルビア……?」


 戸惑いが声に出る。


 そう言われても、この状況はどうしようもない。

 そのはずなのに。


 サルビアはにっこり笑ってみせたのだ。


 穏やかなのに、とても強い微笑み。


「大丈夫よ。言ったでしょう。『旦那様のことは、絶対に守る』って」


 確かに、それは今朝、彼女から聞いた言葉だった。


 決意の言葉。

 あるいは、誓いの。


 もう一度、ここでそれを口にした彼女は、すっと掌をこちらに向ける。


 その指先が透けていることに気付いた。

 なにが起きようとしているのか、理解するより前にサルビアが口を開いた。


「きっと、わたしはそのために、ここにいたのよ」


 その瞬間、崩壊していた教室を魔法の霧が満たした。


   ***


 この世界に奇跡はない。


 それが、おれがこの世界に飛ばされてから思い知らされてきた事実だった。


 けれど、ひょっとすると、この瞬間だけは違っていたのかもしれない。


「これ、は……?」


 多分、おれは奇跡を目撃した。

 そうとしか思えないくらい、ありえないことが起きていた。


 生み出された霧が、目に映る景色を覆っていく。


 すると、教室が元の通りに修復されていくのだ。

 まるで魔法みたいに。


「な……っ」


 現象はそれだけでは終わらなかった。


 誰も触れていないのに扉が開き、そこに勢いよく霧が溢れ出していく。


 途端に、失われてしまっていた虚無の空間に床が伸びた。


 天井が覆い、窓が張られて、廊下が生まれた。

 すさまじい勢いで、世界が再生していく。


 まさかと思って席を立って振り返れば、教室の窓の外には、霧に包まれた隣の棟が見えた。


 この世界は、おれの内的状態を表している。

 端的に言えば、記憶を。


 つまり、目の前の光景は失われた記憶が再生されたということを意味していた。


「……嘘だろう」


 思い出せる。

 思い出せるのだ。


 この学校がどんなふうだったのか。

 教室、廊下、吹き抜けの階段に踊り場、体育館にプール、特別棟の教室。


 玄関ホールを抜けて、自転車置き場を横手に運動場を回り込む。

 門を通れば、馴染みの通学路に出る。


 そのすべてを思い出せる。


 その先も、すべて。


 町が広がる。

 世界が広がる。


 失われたものが、取り戻される。


 魔法『霧の仮宿』には、ありえない夢を現実にする力がある。


 だとすれば、これこそがその本領か。


 けれど、こんな奇跡はありえない。

 ありえないはずなのだ。


 たとえ『霧の仮宿』の権能を以てしても。


 そうでなければ、彼女はとっくにこうしていたはずだった。


「なにをしたんだ、サルビア」


 呆然として尋ねるおれに、彼女は微笑んだ。


「ねえ。旦那様たち人間は、自分が生まれたときのことを覚えていないのよね?」

「……なに?」

「わたしも同じなの。それが、当たり前のことだと思っていたわ。だけど、違ったみたい。思い出したの、生まれたときのことを。少し時間はかかったけれどね」


 それは、見当違いの返答と思えた。


 だが、そうではなかった。

 実際、彼女の顔には冗談を言っているふうもなければ、煙に巻こうとしているふしもなかった。


「以前に、初代勇者と話す機会があったでしょう? あのとき、彼が言っていたことを、覚えているかしら。『世界の礎石』による世界の管理に関して、無意識の海に取り込まれてしまった彼は、そのせいで『計画が狂った』と言っていたのよ」

「……ああ。そんなことも、言っていたか」

「そのときにね、彼はこうも言っていたの。『いくつか保険は用意していた』って。『世界の礎石』を扱うための、言い換えれば、『接続者』に関わる保険。だけど『ほとんどが機能しなかった』とも言っていた。……それじゃあ、その『保険』はどこに行ってしまったのかしら」


 彼女がなにを言わんとしているのか。


 なんとなくわかりかけてきた頭で、思い出したことがあった。


 そういえば、初代勇者に対する彼女の態度は少しおかしかった。

 あれが『生まれたときのことを思い出した』切っ掛けになっていたのだとすれば……。


「わたしたちは最初から相性が良かった。本当に、不思議なくらいに。それにも、理由があったのだとしたら?」

「それじゃあ、サルビアは……?」

「ええ。初代勇者が遺した『保険』。『接続者』を生むために用意され、創造主の喪失とともに目的を失い、世界を彷徨った魔法。それがわたし」


 問い掛けると、彼女は頷いて認めた。

 しかし、続けて首を横に振りもしたのだった。


「だけど、そんなのはどうでもいいことだわ。わたしがこうするのは、それが使命だったからじゃない。頑張っているあなたたちを見ていて、守りたいと思ったから」

「サルビア……」

「いじらしい、愛おしい子たち。わたしはあなたたちを守る。これから先も、ずっと」


 そう言って、サルビアは本当に満足そうに微笑むと両手を広げた。


 魔法の霧がうねり、ますます世界に染み渡る。


 世界がより強固になる。


 もう失われないように。

 壊れないように。


「これは、伝承に語られる『霧の仮宿』そのものを費やした大魔法。わたしはこれから、あなたのなかで魔法を展開し続けましょう。あなたにまだ足りない『接続者』の力の一端として」


 そういう彼女の姿が、急速に薄れていく。


 それも当然だ。

 いまやこの世界を満たし、優しい再生の力を発揮している霧は彼女自身なのだ。


 満たしているということは、拡散しているということでもある。

 これまで通りではいられない。


「ま、待て! 待ってくれ!」


 状況を理解して、おれは彼女に駆け寄った。


 その肩を掴もうとする。

 けれど、手は肩をすり抜けた。


「これは……違う。まだだ。まだなにか、やりようが」


 言い募るおれに、サルビアが首を横に振る。


 穏やかで、満ち足りた、覚悟と慈愛のこもった眼差し。


 それで、本当にもう手遅れなのだとわかってしまった。


「サルビア……」


 愕然と立ち尽くした。

 自分のために、大事なものが失われる。


 その事実に打ちのめされる。


 けれど、彼女は言うのだ。


「大丈夫。わたしは消えてしまうわけじゃない。ずっと、あなたのなかにいるわ」


 そう言う間にも、どんどん薄れていく。


「だから、どうかあなたの大事なものを守って――」


 声さえも届かなくなる。


 もう目を凝らさないと見えない。


 そんな彼女に、なにを言えるのか。


 目頭が熱くなる。

 嗚咽の気配で喉が苦い。

 身も世もなく泣き叫びたい気持ちが膨れ上がって――


「……わかったよ」


 けれど、おれはそのすべてを呑み込んで、目の前の彼女を見詰めた。


「――」


 少しだけ、サルビアは驚いた顔をした。


 実際、いつ気持ちが決壊してもおかしくなかった。


 おれはもうなにも失いたくなかった。

 だから、頑張ってきたのだ。


 こんな現実は認められないし、泣き叫んででも否定したい。

 そんな気持ちを持たないでいられるほど、おれという人間は強くない。


 だけど、だけどだ。


 彼女が望んでいることは別にあるのだ。

 そうわかってしまったら、応えるほかないではないか。


 それに……彼女は『ずっと、あなたのなかにいる』と言った。


 だったら、これはお別れではない。

 決して。


 だから。


「ありがとう、サルビア。おれは、みんなを守るよ」

「――」

「守って、生き抜く。これまで通りに、一歩ずつ進んでいく」


 これは誓いだ。


「そして、いつかサルビアを迎えにくるよ」


 いまのおれには無理だ。

 けれど、サルビアが繋いでくれた未来のおれにはきっとできる。


 もうなにも失わないために生きてきたおれが守り抜けなかった唯一の彼女は、目を丸くすると、心底嬉しそうに笑って――


◆もう一度、更新します。


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