17. 霧の怪物
(注意)本日2回目の投稿です。(11/15)
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ガーベラとシランは、『絶対切断』相手に奮闘を続けていた。
「シャアァアアアア!」
瓦礫の大剣をガーベラが振り下ろせば、頑丈な古城の床が揺れる。
八本の蜘蛛脚で床をがっちりと掴んで振り回される剣は、もはや暴風の域にある。
武術などではなく、ただ野生の本能と勘による力任せの運用。
だが、樹海最強の白い蜘蛛の手に掛かれば、それこそが恐ろしい。
壊れることを前提に振り回される剣はとてつもない破壊を撒き散らし、壊れる端から修復していく。
もちろん、製作者であるローズの貢献も大きいことは言うまでもない。
「はあぁあああ!」
そんな暴力の嵐のなかを、シランはきっちりと合わせて動いていた。
下手をすれば味方に当たってしまいそうな荒っぽい攻撃にときに合わせ、ときに掻い潜って攻撃を仕掛ける。
気が遠くなるほどの訓練で培った術理に従うその動きは、ガーベラとは対極だ。
しかし、だからこそ、補い合うこともできる。
奇跡としか言えない攻防を繰り広げるふたりは、一手間違えれば死の場面をくぐり抜けて、チャンスを狙う。
しかし、そのときだった。
「これは、主殿!?」
「孝弘殿が……!?」
パスがふたりに、最悪の事態を伝えたのだ。
その瞬間、生まれたほころびを日比谷浩二は見逃さなかった。
「しまっ……」
気付いたシランが呻き声をあげるが、遅い。
日比谷浩二は猛烈な勢いで踏み込んで、絶望的な力を宿した剣を振りかぶった。
***
「グルゥアァアアア!」
通路が崩れてできた広い空間を、竜の咆哮が震えさせる。
竜淵の里のドラゴンたち。
彼らは甲殻竜マルヴィナの子供だ。
五十メートルの巨体を誇った彼女ほどではないものの、巨大な体は頑丈な甲殻を備えている。
しかし、そんな彼らが赤子のように吹き飛ばされる。
「ガアァアァアアアア――ッ!」
暴走状態にある『竜人』の成れの果て、理性を失った悪竜は、深く傷付いた状態でありながらも恐るべき力でドラゴンたちを薙ぎ払う。
さいわいなことは、ブレスや牙による噛み付きが、甲殻を備えた竜淵の里のドラゴンには効果が薄いことだ。
お陰で攻撃は打撃に限られており、どうにか喰らい付いていけている。
振り払われ、地面に叩き付けられ、尻尾で殴りつけられて、それでも喰い下がる。
だが、だんだんダメージは溜まっていく。
いずれ堪え切れなくなることは目に見えていた。
もはや希望は、傷付いた悪竜の体力が先に切れることくらいしかない。
だが、この暴れようを見る限り、それも望み薄だった。
「グルゥ……」
そこで、ロビビアは目を覚ました。
痛みに低く呻き声をあげて、他のドラゴンたちよりもやや小柄な体を身じろぎさせる。
先程、彼女は真島孝弘を庇うために悪竜の突進を受けとめた。
直撃した体の右側の破損が酷い。
甲殻はほぼ砕かれて、亀裂から血液がだくだくと流れていた。
「ルウゥゥ……」
だが、寝転がってはいられない。
兄姉たちは必死に戦っているのだ。
慕う少年を助けるためには、兄姉たちとともに戦い、里の仇でもある『竜人』を倒さなければならない。
そう思い、身を起こしたそのときだった。
彼女もまた、それを感じ取っていた。
「――ッ!?」
パスを介して、少年の身に起きた異変が伝わってくる。
特大の危機は、パスを鋭敏化させていた。
なにが起こったのか、正しく理解して背筋が凍えた。
このままでは……彼が手の届かない場所にいってしまう。
「クルルルル……」
それは駄目だと漏らした悲痛な鳴き声は、限界を迎えつつあるドラゴンたちの悲鳴に掻き消された。
***
そして、主を助けるために駆け付けたリリィは、その光景を目の当たりにすることになった。
彼女は間に合わなかったのだ。
悪竜の足留めさえなければ、話は違っただろう。
胸を掻き毟られるような真島孝弘の叫び声を聞いて、リリィは自分が間に合わなかったことを知った。
「ご主人、様……?」
血塗れの彼が立っている。
片腕を失った姿は痛ましいが、苦痛を感じている様子はない。
リリィの呼び掛けにも応えることなく、ただ立っている。
無防備なようにも見えるのとは裏腹に、気配は恐ろしく強大で、危うい。
見ているだけで底冷えをするような、異様な雰囲気。
その原因は、彼を中心にして半径二メートルほどを覆っている白い霧にあった。
危険なものを感じ取ったのだろう。
我に返った窪田陽介が殺気を向けた。
「真島ァ!」
叫び声は、むしろ怯えを誤魔化すためのものだったかもしれない。
展開されたのは、第三階梯の大魔法だった。
「……」
攻撃に気付いたのか、霧の中心で真島孝弘がぼんやりと視線を向ける。
だが、そんなにぶい反応を敵が頓着してくれるはずもない。
容赦なく、一撃の威力を重視した巨大な火球が発射されて――
「なっ」
――濃い霧に触れた瞬間、消失した。
防いだとか、弾いたとかではない。
文字通りに消えたのだ。
なにもなかったかのように。
窪田陽介は唖然とした顔を見せた。
なにが起こったのか理解できないのも無理なかった。
「このっ」
空白の一呼吸を経て、彼は腰に吊っていた副武装のナイフを取った。
「なにをした!」
直接、斬り掛からなかったのは、無意識のうちに予感していたからかもしれない。
転移者の膂力で振りかぶると、彼は思いきりそれを真島孝弘に向けて投げ付けた。
魔法での攻撃が通じないなら、今度は物理で。
その判断は妥当だ。
もっとも、結果が変わるかどうかは別の話だが。
転移者の膂力で投擲されたナイフが、濃い霧のなかに突っ込んだ。
すると、すぐにナイフは速度を失い、宙で停止した。
それだけではない。
徐々にナイフが目に見えなくなった。
霧で見えづらくなったのかといえば、そうではない。
最後には、存在そのものが消えてしまったからだ。
最初からなかったみたいに。
「これは……まさか、世界への干渉能力か?」
状況を理解した窪田陽介が、顔面を痙攣させた。
そんな反応も当然と思えるくらい、その力は凶悪過ぎた。
真島孝弘を中心として、半径二メートルほど。
狭い範囲ではあるが、『接続者』としての強力な干渉場が形成されているのだ。
かつて霧の異界がありえない現実を創り出したのとは、まったくの逆。
この霧は現実を幻にすることで、なにもかもをゼロにする。
敵対者にしてみれば、これほど恐ろしいものもない。
触れるだけで、存在を抹消されるのだから。
「……」
しかし、それを為した当人はただ虚ろだった。
意識があるのかどうかさえ疑わしい。
「ご主人様……」
リリィの呼び掛けにも視線を向けるだけ。
そこには人格がなかった。
ただ、目的だけがあって。
ゆっくりと歩き出す。
まずは、眷属たちを危うくしている敵対者たちを消すために。
***
異界の最奥。
そこで、中嶋小次郎はひとつの誕生を感じ取っていた。
「……」
唇を引き結んだまま、すらりとした長身が震える。
声を出せずにいたのは、求めるものがついに手の届く場所にある事実に感極まっていたからだ。
「素晴らしい。素晴らしいぞ、真島」
そう告げる声には、混じりけのない賞賛の響きがあった。
「想いがあるからそこまで至った。その想いを火にくべたからこそ、そこまで極まった。おれはお前の在り方に、最大の敬意を示そう」
この異界のなかのことなら、中嶋小次郎は把握できている。
熱く吐息を漏らす彼は、いまの真島孝弘の状態を正しく把握していた。
見た目こそ霧の魔法を踏襲しているが、あれはもはや別物だ。
触れた敵の存在に干渉し、抹消する『霧の怪物』とでもいうべきか。
干渉の規模こそ『災厄の王』には敵わないが、強度自体は匹敵する。
なにより『接続者』としての力の在り方が彼らしい。
あの霧は敵を排除するものであって、眷属たちにはなんの害もないはずだ。
つまりは、あの小さな領域はただ凶悪なだけではなく、むしろ大事な仲間を守るためにこそ存在する。
大事なものを奪おうとする敵を排除し、守るべきものを守り抜くための力。
代償は、真島孝弘の存在のすべて。
いまや彼は、眷属たちを守るためだけの装置に成り果てた。
だからこそ――『災厄の王』にとっては喜ばしい。
誰より強い想いを抱いた者が、魂まで燃やし尽くして変生した『霧の怪物』は、これ以上を望むべくもない最大の敵だ。
この敵とぶつかるときこそ、自分は生まれて初めて全力を尽くすことができる。
これが願いの成就。
多大な犠牲を出してでも、得たかったもの。
「来い、真島……!」
昂りのおもむくがままに、彼はこの結末を受け入れる。
当然、勝敗のいかんにかかわらず、真島孝弘は破滅するだろう。
しかし、それがどうした。
大きな犠牲があるからこそ、自分が得られるものがあるのだと『災厄の王』は狂喜して。
――けれど、そんな結末は、到底、『彼女』にとって受け入れられるものではなかったのだ。
ずっと見守ってきた。
彼らの幸福を祈ってきた。
だから、彼女は宣言する。
「させないわ」
破綻した少年の内面世界に、いま、霧の女が舞い降りる。
◆本日はここまでです。窮地に陥りましたが反撃開始です。
ちなみに、今回の『霧の怪物』。
真島孝弘という存在が到達できる単体戦力としての極限です。
単独で敵対者を問答無用で消滅させる力は、本来は単独戦闘をせず、割と敵対者に対しても認めるべきは認めるところのある彼らしくない力ですが、それはこれまでの彼自身を代償に発現した力である反映であり――だからこそ、彼女が動きました。
というところで、次話に続きます。






