12. 薄氷の善戦
(注意)本日3回目の投稿です。(9/21)
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「な……なんてこと」
墜ちた天空城の最奥部で、栗山萌子は愕然と立ち尽くしていた。
現在、彼女の『天からの声』は、真島孝弘により制限をかけられている。
ただ、受信機能だけは残っているため、指示を求める転移者たちの心の声は届いており、状況だけは伝わっていた。
「……迎撃に出た全員が飛ばされてしまうなんて」
「やるじゃねえか」
膝を立てて座る中嶋小次郎が、感心したように言った。
彼は彼で、異界を把握する『接続者』としての力で、この城のなかで起きたことは把握していた。
「島津のやつがね。あいつは見込みがないと思っていたんだけどな。変えたのはやっぱり真島か? それとも……」
先程の転移の一幕も目撃している。
意識は古城を進む真島孝弘一行を追っていた。
「でもって、真島はこちらに来ていると。はは。怖いな。気を付けないと、喉に刃を突き立てられちまうかもしれねえ」
意外なことに、中嶋小次郎が口にした言葉には、本気の色があった。
彼は自分の力に確信を抱いている。
しかし、同時に、真島孝弘の刃が自分の首に届く可能性を、実現しうるものと見做してもいる。
その強さを知っているから。
ずっと、遠くから見てきたからだ。
それを、先程、確かに感じられた。
――これからおれがお前を倒しに行く。城の奥で、首を洗って待っていろ。
大事なものを守るために、己のすべてを尽くす覚悟。
自分がずっと、焦がれてきた輝き。
手の届かないもの。
彼とともに戦う眷属たち、力を貸す勢力も、輝いて見えて……。
「とはいえ、まだ障害は厚いか」
中嶋小次郎は独語する。
「さあ。お前たちに越えられるか?」
***
荒野に張られた結界のなか。
帝都に残った二十名の転移者たちは、中嶋小次郎についた四十名を迎え撃っていた。
ここで彼らを逃がしてしまえば、城に突入した部隊は挟み撃ちに遭う。
絶対に逃がすわけにはいかなかった。
とはいえ、ひとりひとりの戦闘能力が互角である以上、数が少ない帝都防衛側が不利だ。
そのはずだった。
見ている者がいたら、驚いたかもしれない。
「うっ、おおおおお!?」
「押せ! 押せぇ!」
激突した結果が、ほぼ互角――いや、やや防衛側が押しているくらいだったからだ。
もちろん、これには理由がある。
ひとつには、士気の差だ。
飯野優奈の再起によって立ち上がった帝都防衛側の士気は高い。
逆に敵は、島津結衣の決死の転移を喰らったことで、大きく動揺している。
加えて、フォローの差がある。
後方には聖堂騎士団が展開して、援護の魔法を放っていた。
そして、もうひとつ状況を拮抗させる大きな要素があった。
「……飯野さんには感謝しなければいけませんね」
戦況を見据えつつ、加藤真菜がつぶやいた。
「探索隊の助けがなければ、恐ろしい被害が出ていたことでしょうから」
ここで探索隊を投入できるのには、単純な戦力以上の強みがあった。
それは、戦っている彼らが『仲間同士』だということだ。
中嶋小次郎の側についたメンバーは、これが真島孝弘と眷属のモンスター相手なら、事前に覚悟もしていたし、割り切って剣を血で汚せただろう。
あるいは、もともと、ここを受け持つ予定だった聖堂騎士団が相手なら、実力差があるだけに騎士たちを殺してしまったかもしれない。
だが、これが探索隊同士の戦いとなると、状況が違う。
なにしろ、仲間なのだ。
本気では殺し合えない。
本気で殺すつもりでなければ、尋常ではない戦闘能力を持つ彼らは、互いに互いを殺せない。
どうしても刃はにぶり、腰は引けて、代わりに身を守ることを優先してしまう。
結果として、この戦場では死者が出ていなかった。
そして、実のところ、これが一番大事なことだった。
なぜなら探索隊メンバーの価値観は、転移前のままとまっているからだ。
それは、中嶋小次郎に騙されて世界の敵に回ったところで変わっていない。
モンスター相手では戦えても、人間を殺せと言われれば強い抵抗がある。
ましてや相手は仲間なのだ。
力を出し切ることなんてできるはずがない。
栗山萌子からは、帝都に残った探索隊メンバーは味方に引き入れたと聞いていたのだから、戦うような場面を想定していないし、心構えもない。
そこがつけ入る隙だった。
ひるがえって帝都防衛側は、もともと、ここで仲間を相手にする心構えをしている。
制圧するつもりで武器も選んでいるため、気兼ねなくやれるわけだった。
ただし、この戦いは紙一重の均衡の上に成り立っている。
一度でも手を血で染めてしまえば、敵の箍は外れてしまうからだ。
そうなれば、数で劣るこちらが不利になるし、雪だるまのように血が血を呼ぶ惨劇が起こるだろう。
だから、極力、箍を外れさせるようなことはさせない。
殺さないし、殺させない。
これが、帝都側で立てた転移者封じの方針だった。
実際のところ、このような方針だったからこそ、島津結衣は命懸けの転移を敢行したとも言える。
騙されて敵味方に分かれてしまったとはいえ、元々は探索隊の所属だった仲間たちを死なせないために、少女は恐怖を押し殺して飛んだのだ。
結果、その作戦は成功している。
ただ、もちろん、このまま完封できると考えるのは、楽観的過ぎるが。
「馬鹿! 優先するのはあの女だ!」
敵のなかに、叫ぶ者があったのだ。
結界の起点を持つローズを倒せば、戦う必要はない。
頭に血が上っていた彼らのなかにも、さすがに気付く者が出てくる。
「……まあ、そうきますよね」
物理的に手が足りないことばかりは、いかんともしがたい。
突破を優先されると、とめきれない。
「ふたり、抜けましたか」
冷静な口調で、ローズの隣に立つ加藤真菜がつぶやいた。
迫る転移者たちを見ても、落ち着きを失うことはない。
予想できたことだったからだ。
対策もしていた。
すぐそばで、少年の声があがったのだ。
「はは。させねーよ」
その次の瞬間だった。
迫る敵に『武器の群れ』が襲い掛かったのである。
「な、なんだこれ!? どうなってる!?」
武器が宙に浮いていた。
それも、まるでそこに誰かいるかのように、巧みに攻撃を仕掛けてみせる。
「くそ!」
姿の見えない敵がいるのかと考えた転移者たちが咄嗟に反撃を繰り出す。
だが、すべて虚しく宙を斬った。
そうして混乱しているうちに、彼らは帝都防衛側の転移者に攻撃を受けて、乱戦に引き戻されていった。
もちろん、このような能力を持つ者が他にいるはずがなかった。
「たはは。驚いてる驚いてる。タネも仕掛けもねーよ」
「ありがとうございます、鐘木先輩」
加藤真菜の言葉に、鐘木幹彦は手を振ってみせた。
「気にしなくていいって、そんなの。孝弘に頼まれてっからね。親友の彼女さんたちをやらせるわけにはいかないっしょ」
「でも、そんな怪我をしているのに」
彼女が言う通り、鐘木幹彦は満身創痍だった。
体中に包帯を巻いて、車椅子に座っている。
先日の異界での戦いの傷が、癒えていないのだ。
まだ顔色は悪かったが、一方で表情は明るかった。
「いいんだよ。多少の無理は望むところってね。……ああ。本当に、こういう戦いを望んでたからさ」
「鐘木先輩……」
望まず親友との戦いを強制された彼にとっては、なにもうしろめたいことなく、仲間のひとりとして戦える機会は感慨を抱かずにはいられないだろう。
とはいえ、あまり湿っぽくなるのは、鐘木幹彦の流儀ではない。
すぐに軽く笑い飛ばしてみせた。
「たはは。それに、おれの力は怪我してても関係ないしね」
まだ直接戦うことはできない体だが、能力の『エアリアル・ナイツ』であれば、問題なく戦うことができる。
「むしろ、これはおれの得意な状況だ」
ときに戦場に剣を放り込み、ときにローズを狙いに走ろうとする者の出鼻を挫く。
介入するそのタイミングは的確だ。
戦況全体を把握している。
それだけに、自分の限界もよくわかるのだろう。
操作に集中しながら、彼は言った。
「ただ、『エアリアル・ナイツ』は妨害と攪乱の役には立っても、脳筋ウォーリア相手に壁になるには出力が足りてない。このままおれひとりだけでどうにかなるかっつーと、きついと思うけど、そこんとこは本当に大丈夫?」
「はい。考えがあります」
「というと?」
「ローズさんに魔法道具を持ってもらっているのは、うまく使えるというのもありますが、万が一、攻撃を受けてしまうことがあっても、リカバリが即座に効くからです」
「ああ。戦装『マトリョーシカ』の換装か」
「そうです。それでもリカバリが利かない状況になれば、本当に最後の手段として、控えている聖堂騎士団に盾になってもらう手筈にもなっています。ただ、そこまでいくこともないと思いますけど」
言っているうちにも『エアリアル・ナイツ』をひとりが強引に抜けた。
「もらったぁ!」
一直線に突っ込んでくる。
しかし、そんな光景を見続けながらも、加藤真菜は淡々と続けた。
「これだけこちらに有利な状況で、鐘木先輩の『エアリアル・ナイト』をどうにかひとり抜けてきたくらいなら……なんとでもなりますから」
言いながら、すっと手を伸ばす。
その手は、指先までが真っ黒い。
――人の手ではない。
襲撃をかけようとした少年がそれを認識したときには、すさまじい勢いで伸びた鞭のようなものが、彼を打ちのめしていた。
「おおおおぉおおおおお――っ!?」
かろうじて防御はしたようだが、踏ん張ることまではできない。
少年は来た方向へと逆向きに吹き飛ばされて、乱戦状態の探索隊メンバーがぎょっとするなかを、弾丸のように転がっていった。
戦場に一瞬の沈黙が生まれるほどの一撃だった。
間違いなく、探索隊でも二つ名持ちクラスの。
「お、おおー……それが話に聞く『醜い怪物』か。マジすごいね?」
「すごくはないです」
若干引き気味に鐘木幹彦が言うと、加藤真菜は淡々と答えた。
「これ、全然制御できないんです。暴走させて周り全部を破壊しつくすならともかくとして……いまはローズさんを守らなければいけませんから。ふたり以上かかってこられると自信ありません」
「ああ、そうなんだ。ちょっと安心。おれ、ここにいる意味ないかもって」
「そんなことありません。実際、かなり負担がかかってもいますから……鐘木先輩が頼りです」
「おっけ。そういうことなら、マジ頑張る」
加藤真菜の能力『醜い怪物』は、まともに制御が利かない。
大きなリスクがあるのだ。
わざと暴走させておいて押さえ付けているようなものなので、負担は大きい。
そもそも、もう一度、完全な暴走状態に陥ってしまえば、元に戻れる保証もない。
だが、切り札を出しただけの甲斐はあった。
すべての障害を乗り越えた最後に待ち受けているものを知って、中嶋小次郎についた探索隊メンバーたちの勢いが明らかに鈍ったのだ。
この機会を逃してはならない。
完全無力化を目指して、少年少女は奮闘する。
***
古城の奥では、『多重存在』窪田陽介と、河津朝日たち聖堂教会勢力の転移者の戦いが繰り広げられていた。
「おおおおおお!」
河津朝日が繰り出した剣が、窪田陽介に襲い掛かる。
現状は、五対五。
聖堂教会所属の転移者たちは、ひとりを遊撃に残して一対一の勝負を仕掛けていた。
二つ名を持たないウォーリアとはいえ、この状況であれば戦力は互角である。
そのうえ、彼らには支援があった。
「ぐ……っ」
窪田陽介も必死で剣を操るが、聖堂騎士たちがまとめがけした強化魔法の恩恵を受けた河津朝日のほうが速い。
弱体化魔法のほうは引き千切るだけの力量差があったので影響はなかったのだが、代わりにより恐ろしい干渉を受けていた。
「これは、真島か……」
本来なら触れることのできないはずの霧が、重く手足にまとわりつく。
ただまとわりつかれているだけであれば、力づくで引き千切れた。
だが、これは違った。
厳密にいえば、まとわりついているのは霧そのものではない。
世界そのものだ。
「本当に、リーダーと同タイプの……」
埒外の力を持つ転移者のなかでさえ、あまりに異質な力。
世界そのものに干渉する『接続者』としての力だった。
無力だった少年が幾度もの死地をくぐり抜け、絆と想いを重ねることで辿り着いた境地である。
窪田陽介が呆然とつぶやき、つい視線を巡らせてしまったのも無理はない。
真っ直ぐに見据える目が、そこにあった。
「……真島」
交差した視線は揺るがない。
彼が気圧されたのと同時、隙を見逃すことなく距離を詰めた河津朝日が叫んだ。
「もらったぁ!」
振るわれた剣が、見事に窪田陽介の首を掻き切る。
苦悶の表情を浮かべた青年の姿は、次の瞬間には姿を消した。
発動していた『多重存在』の力だ。
同時に攻撃を喰らわない限り、たとえ倒されても新たな分身を作り出せる。
他に戦っていた四人の分身のひとりが、ふたりに分かれる。
これで振り出しに戻ったことになる。
さらには、一時的に二対一になってしまう。
だが、そこは折り込み済みだった。
「フォロー頼んだ、蛇岩!」
「了解です!」
遊撃に回っていたひとりが応援に走り、即座に二対二に持ち込む。
再び戦況は拮抗する。
しかし、消耗という点で見ると少し違っていた。
「……くそ」
窪田陽介の顔色は、確実に悪くなっていたのである。
これが、対『多重存在』に立てていた戦術だった。
能力の性質上、彼に攻撃を通すには同一箇所にダメージを与えるほかない。
もっとも効率がいいのは、分身を全員まとめて大規模の攻撃に巻き込むことだが、現状、帝都戦力にそのような大火力を備えた個人戦力はない。
かといって、無理をして同一箇所を攻撃するような真似をすれば、むしろそこに気を取られてしまい、戦いが不利になる可能性すらある。
だから、無理はしない。
窪田陽介の『多重存在』は、分身を作る力だ。
消された分身を作り直すためには、それなりの消耗がある。
確実に力を削いでいき、そのうえで、自分たちの消耗は押さえる。
たまに距離を取って、一息入れることも忘れない。
その間には、後方からリリィが魔法を放ち、ガーベラが蜘蛛糸を投げつけ、ロビビアとあやめが炎を吐きかけて、敵を休ませない。
たとえ数秒であっても、超人的な力を持つ彼らにしてみれば大きな違いだ。
窪田陽介は追い詰められていく。
古城の通路の一方では、聖堂騎士団と『守護の巨人』の群れの戦いが行われていたが、こちらも殲滅されつつある。
戦いの終わりは近いように思われた。
***
「……勝てるぞ」
帝都近郊の荒野で戦う二十名の転移者のうち、誰かがつぶやいた。
「勝てるぞ!」
半分は仲間を鼓舞するために、半分は本心から河津朝日が叫んだ。
実際、彼らはよくやっていた。
全力を尽くして、ただでさえ不利な状況を、綱渡りで互角にまで持っていったのだ。
とはいえ、それは裏を返せば、薄氷の上で歩き続けているということでもあって……。
ひとつ踏み外せば奈落の底に落ちかねない危険な状況は、いまだに変わらない。
そのことに意識的でい続けている者は、決して気を緩めてはいなかった。
「妙だな。どういうことだ……」
つぶやいた真島孝弘は、周囲に視線を向けた。
「こちらは、どうにかなりそうですが、しかし……」
加藤真菜は誰かを案じるように視線を遠くに向けた。
彼らは気を緩めてはいなかった。
薄氷の上にいることを、自覚していた。
なにか起こるのではないかと気を張り巡らせていて――それでも、どうしようもないことはある。
「……まだです」
異界の最奥で、栗山萌子がつぶやいた。
追い詰められつつあるはずの女の顔には、確信めいたものが浮かんでいた。
――薄氷にひびの入る音がした。
◆一進一退の攻防。
さらに更新します。






