8. 精神感応
前話のあらすじ
まずは前哨戦。
大掛かりな中嶋小次郎の攻撃に対し、帝都最大の反撃が放たれる。
8
中央部を撃ち抜かれた雄大な城が、ゆっくりと高度を落としていく。
「お……落ちるぞ!」
大勢に見守られるなか、天空城は大地に落ちた。
落下地点は、帝都近くの荒野だった。
これでもうあの巨大な構造物が帝都に突っ込んでくることはない。
「や……やった!」
口々に声をあげたのは、竜淵の里のドラゴンたちだった。
「勝った! わたしたちの勝ちよ!」
いまは人の姿をした彼女たちは、目にした光景に歓声をあげた。
しかし、同じ部屋に待機していたガーベラの反応は違っていた。
じっと映像を眺める。
しばらくして、口を挟んだ。
「いいや。まだだの」
喜びに水を差したくはなかったが、状況は正確に把握しなければならなかった。
「さっきの攻撃、本来であれば天空城を爆散させるほどの威力があったはずだ。さすがはローズ殿の作。いや、人を守る聖堂教会の祈りの結晶というべきかの」
「だ、だけど、城は形を保って……?」
「ああ。『対処』されたのだ。『光の剣』と『闇の剣』での」
攻防の瞬間を、ガーベラは把握していた。
実際、観察したところ、城の落ちるスピードは自由落下ではなかった。
高度から墜落したにしては、城の破壊も限定的だ。
航空能力は失ったものの、最低限のダメージコントロールは行われていたのだ。
「あれで中嶋小次郎を倒せたと思うのは、早計であろうよ」
「危険を感知してきっちりと防いできやがったのか」
一緒にいたロビビアが舌打ちをした。
「あれで終わってりゃいいのに!」
「だが、これで向こうの攻撃手段をひとつ潰すことができたのも事実だ。天空城はもう飛べぬ。恐らくだが、中嶋小次郎の『大剣』も『光』はこれで打ち止めのはずだの」
今回の戦いにおいては、いくつかの条件をクリアしなければならない。
そのひとつ目が『持ち出してくるだろう大規模攻撃手段』――天空城の破壊。
ふたつ目が『大剣』を消耗させることだ。
ここまでは、順調と言っていい。
――よかった、のだが。
「よし。ロビビアよ、次は……」
≪期待以上だ≫
言いかけたところで響いた男の声に、ガーベラはびくりとした。
声は鼓膜を震わせない。
直接、頭に届けられた。
「これは……?」
「まさか、中嶋小次郎!?」
同時にロビビアも血相を変えた。
「この能力……『天からの声』か!」
***
時間は墜落の直前に遡る。
「ですから、なんの問題もありません」
栗山萌子は、慌てふためいて集まってきた探索隊メンバーに告げた。
場所は天空城の中枢部。
浮遊力を与えている動力の魔石が浮かぶホールだ。
墜落する城の落下スピードを抑えるために中嶋小次郎は制御を行っている。
その間に彼女は指示を出していた。
「天空城など、お遊びに過ぎません。うろたえる必要はありません」
断言してのける。
必要なことだった。
探索隊メンバーは、誰もが一騎当千の力を持っている。
唯一の弱点が心理面だ。
モンスター討伐での多少の戦闘経験はあるとはいえ、基本的には元の世界にいたときのままの精神性の彼らは、攻めている間は強いが、逆境には弱い。
その点、中嶋小次郎の腹心はマシだったが、それも工藤陸の異常性によって心を折られてしまっている。
城が墜ちたことで、彼らはかなり浮足立っていた。
よって、栗山萌子は徹底的にそこをフォローする。
天空城を墜落させるために、帝都側も切り札を切ったはずだった。
でなければ、先程の攻撃で追撃をかけないはずがないからだ。
いまのところは、お互いにひとつ攻め手を失っただけ。
さいわい、こちらに死者は出ていない。
中嶋小次郎の腹心十名、追跡部隊参加者四十名あまり、ひとりも欠けてはいないのだ。
さっきの攻撃にはこちらを動揺させる意図もあったはずで、そこをフォローしてしまえば、効果は半減する。
「大丈夫です。この世界に、わたしたちを超える戦力はありえません」
事実だった。
たとえ真島孝弘と聖堂教会が手を組んだところで、五十名以上もの転移者を相手取るのはあまりにも分が悪い。
そのうえ、栗山萌子には必勝の策があった。
「安心してください。敵には勝ち目はありません。絶対に」
「どうしてそう言い切れるんだ」
「帝都に残っている探索隊メンバーが呼応して味方に付く手筈になっていますから」
疑問を呈するメンバーに、さらりと言う。
だが、その内容はあまりにも容赦がない。
帝都には二十名ほどの探索隊メンバーが残っている。
栗山萌子は『天からの声』の能力で、彼らを仲間に引き入れるべく動いていた。
絶対の自信を持っているのも当然だった。
「落ち着いて、迎撃を」
かつてはあの工藤をして『唆す蛇』ともたとえられた彼女の本領発揮というべきだろう。
天空城はやられてしまったが、儚い抵抗に過ぎないのだ。
「おい、萌子」
迎撃に向かったメンバーを見送ってすぐに城は落ち、制御を終えた中嶋小次郎がやってきた。
「声を届けてくれ」
「わかりました」
勝利は揺るがない。
世界に破滅を。
自分の望みを叶えるために。
***
「中嶋小次郎が、呼び掛けてきただと……?」
ガーベラは額を押さえつつ、状況の理解に努めた。
精神感応能力である『天からの声』は、接触した他者を繋いで声を届けることができる。
一緒にいる竜淵の里のドラゴンのなかには、動揺している者が何人かいた。
能力の使い手である栗山萌子は、帝都に滞在中に探索隊リーダーの秘書的な立ち位置で動いていた。
その間に繋がりを作った相手に、片っ端から中嶋小次郎の声を届けているのだろう。
しかし、なんのために?
その疑問に答えるように、中嶋小次郎は言った。
≪素直に認めるぜ。ここまで綺麗に、初撃がとめられるとは思ってなかった≫
声から伝わってくるのは、ただ称賛の意思だけだ。
戦っている相手だというのに、敵意の類は感じられない。
それで、気付いた。
「まさかこやつ……これを伝えるためだけに?」
馬鹿げた話だ。
だが、間違いなかった。
中嶋小次郎は、ただ称賛の意思を伝えるためだけに声を届けてきている。
やっていることに害意はない。
「いや。しかし、これはむしろまずいぞ……」
こちらがこれほど必死になっているというのに、城ひとつ落とされて焦りもない。
鷹揚としていて、楽しむだけの余裕さえある。
先程の壮絶な攻防は、まるで痛痒を与えていなかったのではないか……という思いが湧いて当然だ。
実際、力量差は歴然としていた。
≪思う存分、やり合おう。世界の命運を賭けた戦いだ≫
はるか高いところから、声をかけられているような感覚。
なにをしても無駄なのではないのかと疑問が生まれれば、もう駄目だ。
生物としての本能が恐怖にすくむ。
抵抗してはならないものだとわかってしまい、否応なしに萎縮する。
「これは、ちとまずいか」
ガーベラは呻いて、視線を巡らせた。
竜淵の里出身の者たちの顔が、青くなっていた。
自分が小人になって、はるかに大きな巨人の前にある箱庭でもがいていることに気付いてしまったような気持ちなのだろう。
彼らだけではない。
今頃、他のすべての場所で同じ状況になっているはずだった。
「……士気がガタ落ちだ。これでは戦いにならぬ」
場が呑まれていく。
とんでもない手を打ってきた。
いや、栗山萌子はともかくとして、中嶋小次郎のほうは策を弄したという意識さえないだろう。
それで、これだ。
格が違う。
このままでは、まともに抵抗さえできないまま敗北する羽目にもなりかねず――。
≪勝手なことを言うのもそれくらいにしろ≫
――不意に、伝わる声が切り替わった。
***
怖じることなく言い返す。
芯の強いその声を、聞き違えることなどありえなかった。
「あ、主殿?」
ガーベラは呆気に取られた。
だが、驚きは敵のほうが大きかったに違いない。
栗山萌子と思しき声が伝わってきた。
≪なっ、なぜ、あなたが……!?≫
ここで中嶋小次郎以外の声を伝える意味はない。
当然、この展開は彼女の意図したところではなかったのだ。
≪ま、まさか介入されて!?≫
≪驚くようなことでもないだろう≫
慌てふためく彼女に対して、応じる声は落ち着いていた。
≪もともと、おれはお前と同じ精神感応能力者だ≫
≪だからといって、介入なんてそう簡単にできるはずがないでしょう……!≫
彼女の言葉は間違っていない。
同種の能力が干渉し合うことを考えれば、理屈のうえでは介入は可能だろう。
だが、実際には非常な困難が伴う。
相当の力量差があったとしても、他人の能力を利用するようなことはできない。
それは事実だった。
とはいえ、逆に言えば――相手をはるかに上回ってなおあまりあるだけの力があれば、制御を完全に奪い取ることさえ可能ではある。
≪……あなたは≫
栗山萌子が声を失った。
状況に気付いたのだった。
中嶋小次郎と真島孝弘は同じ『接続者』だが、その成り立ちは異なる。
初代勇者をはじめ精神感応能力によって『接続者』になった者は、人の認識によって成り立っているこの世界を、集合的無意識にアクセスすることで変える。
深く、深く、精神の領域のどこまで辿り着けるか。
この到達深度こそが、精神感応能力者としてのレベルを反映するのだ。
そして、その終着点が集合的無意識の領域である。
ただし、正確には初代勇者は最深部たる無意識領域に届くレベルに達してはいない。
もっと浅い領域までしか到達できないのに、無理をして手を伸ばした結果として、命を落としてしまっている。
だが、真島孝弘は違う。
深みに引きずり込まれて壊れかけながらも、最深部領域の近くまで生きたまま至った。
すなわち、精神感応能力者としての彼のレベルは、過去、他の誰も至ったことのない領域にある。
史上最高の精神感応能力者。
それが、いまの真島孝弘である。
もっとも、戦闘特化の能力とは違って、そのレベルがそのまま戦いで力になるわけではないのだが……はるかにレベルの低い同系統の能力に干渉して、乗っ取るくらいのことは十分にやってのける領域に達してはいた。
「くくっ、残念ながら役者が違うな、『天からの声』よ」
チリア砦からこの方、散々に『天からの声』には翻弄されてきただけに、ガーベラにとってこれは痛快だった。
くぐってきた修羅場の数が違う。
守るべきものにかける想いのたけが違う。
相手が繋いだ回線を逆手にとって、真島孝弘は呼び掛ける。
≪中嶋小次郎≫
静かな闘志を感じさせる口調で告げたのだ。
≪これからお前を倒しに行く。城の奥で、首を洗って待っていろ≫
≪……!≫
繋がった能力の向こうで、中嶋小次郎が息を呑んだのを確かに感じ取る。
堂々たる宣戦布告だった。
***
「主殿……!」
きちきちと蜘蛛の脚が鳴く。
ガーベラは、全身にぞくぞくと鳥肌が立つのを感じた。
気持ちで負けていては、絶対に勝てない。
相手から一本取ったうえで啖呵を切ってみせた、このタイミングは完璧だった。
周りで呑まれていた者たちの士気が、目に見えて回復する。
生気が戻り、戦意が燃える。
同時にそれは、敵対する者にとっても求めるものだったのだ。
≪は、はは。はははははは! いいぜ、真島! お前は本当にいい!≫
心底愉快そうに笑って、中嶋小次郎は吠えた。
≪そこまで言うならやってこいよ。おれは天空城でお前を待つ!≫
***
「完璧です、孝弘殿」
剣を捧げた勇者の振る舞いに、シランは声を震わせた。
彼女はいまの一幕の意味を理解していた。
――これからお前を倒しに行く。城の奥で、首を洗って待っていろ。
非常に挑戦的な言葉だった。
士気の落ちた味方を鼓舞するためとはいえ、あまり彼らしくない。
あえて、ああ言ったのだった。
中嶋小次郎は異常な行動原理によって動いている。
利害はもちろん、理非善悪にもとらわれない。
それを誰もとめられないし、変えられない――中嶋小次郎本人でさえも。
そもそも、もしもその衝動が理性や計算でコントロールできるようなものだったなら、彼が世界を破滅させるような行動に走ることはなかっただろう。
それはこちらにとって最大最悪の事実であると同時に、唯一付け入る隙でもある。
あえてその価値観に沿うかたちで動いてやれば、中嶋小次郎は嬉々として乗ってくる。
そうせざるをえない。
やりようによっては――行動をコントロールもできるということだった。
もちろん、言葉ほどには簡単ではない。
そのためには、彼の琴線に触れるだけのものがなければならないからだ。
その点、先程の宣戦布告は完璧だった。
敵の交信手段を逆手に取って、宣戦布告を叩き付けた。
聞いていたシランでさえ、心臓がまだ動いていれば胸が高鳴る想いがしたのだ。
結果、中嶋小次郎は応じた。
今頃、彼は敵が障害を乗り越えて、自分のもとまで辿り着くのを待ち構えているだろう。
見方を変えれば、その間、絶大な力を持つ『災厄の王』は動かない。
もちろん、こちらが攻め込む様子がなければ動き出してしまうだろうから、こちらも行動が制限されたことにはなる。
しかし、戦場を中嶋小次郎に好き勝手動かれることを考えれば、おつりがくる。
「ここまでは計画通り。ですから、あとは――」
***
「――そんな馬鹿な」
栗山萌子は愕然と立ち尽くしていた。
「『天からの声』が、乗っ取られた……?」
「こいつはやられたな」
いかにも愉しげな笑い声が聞こえて、彼女はそちらをキッと睨み付ける。
「笑っている場合ですか」
「これを笑わずにどうするんだよ」
一方の中嶋小次郎は変わらない。
変わる理由がない。
抵抗はあればあるほどよいのだ。
だが、栗山萌子にとってはそうではない。
大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
「……いえ。いえ。そうですね。この程度、笑ってすませてしまえばいい」
「ん?」
「わたしの能力を逆手に取ったところで、状況はなにも変わりません」
真島孝弘は確かに『天からの声』を翻弄してみせた。
その結果として、士気を回復することには成功した。
だが、それは中嶋小次郎の接触による動揺を抑えただけ。
マイナスをゼロにしただけだ。
「結局のところ、絶望的な戦力差は変わっていませんから」
こちらの探索隊メンバーは総勢五十名。
帝都に残った探索隊が二十名。
これに対抗できる戦力など、この世界にあるはずがなく――
「――いいや。それはどうかな」
だが、そこで中嶋小次郎は口を挟んだ。
ますます楽しそうに、その口角が吊り上がっている。
それはむしろ、味方にとって不吉に感じられる笑みだった。
「どういうことです?」
硬い声で尋ねる女に、彼は上機嫌に答えた。
「真島のやつは『天からの声』に干渉できたわけだろう。お前は制御を完全に乗っ取られた」
「ええ。ですが、それがなんだというのです?」
「いつからだ?」
「……え?」
「いつから『天からの声』は乗っ取られていた? あれが初めてだった保証はどこにある?」
尋ねられた栗山萌子は、眼鏡の下の目を見開いた。
「つまり、わたしに気付かれないうちに、これ以前にも……?」
「可能性はあるだろ」
あれだけ簡単に干渉して、支配権を奪ってみせたのだ。
それくらいのことはできてもおかしくない。
だとすれば……。
「……ああっ」
短い悲鳴が口から漏れる。
落雷でも落ちたかのように、栗山萌子は体を強張らせた。
「まさか、そんな……」
自分が『天からの声』の能力を使って、ここ数日なにをしてきたのか、思い出したのだ。
愕然とした彼女に、中嶋小次郎は問い掛けた。
「帝都に残った二十人、『天からの声』で味方に付けたって言ってたよな。それ、本当に説得できてんのか?」






