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6. 最後の日

(注意)本日2回目の投稿です。(7/20)














   6



 眠るたびに訪れることになる世界。

 ここ数日というもの、約束通りおれはサルビアに学校を案内していた。


 まったく知識がない彼女からすれば、話を聞きたいことはいくらでもあるらしい。

 興味いっぱいの彼女の質問に答えているうちに、時間は過ぎていった。


「これで大体回ったかな」


 教室に戻ってきたところで、肩を並べた彼女に言う。


「楽しんでもらえたらいいんだが」

「ふふ。それはもちろん。目新しいことばかりで面白かったわ」


 そういうと、サルビアは教室のうしろのほうに歩いて行った。

 おれは教室のなかほどにある自分の席についた。


 椅子に横座りになって目をやると、教室のうしろの黒板の前でくるりと回ったサルビアが、こちらを向いた。


 まとめた濃い金褐色の髪がふわりと揺れて、胸に落ちる。

 穏やかな笑顔があった。


「ありがとう、旦那様。案内をしてくれて」

「どういたしまして」


 おれも笑みを返した。


「こちらこそ、ありがとう」


 案内をしたほうが礼を言うのは、変な話ではあったかもしれない。

 だが、これは心の底からの言葉だった。


「付き合ってくれて……助かったよ」


 そう。彼女には助けられている。


 それが証拠に――話をしている間にも、教室の風景が『ぶれた』のだ。


「……」


 ――景色のすべてを、無残な亀裂が覆い尽くす。

 ――なにもかもが砕けて、崩れてしまいそうになる。


 壊れる。壊れる。壊れていく。


 錯覚ではない。

 むしろこれが、この世界の真実の姿なのだ。


 だから、おれは奥歯を噛み締める。


 ともすればバラバラに砕けてしまいそうなものを、いまは無理矢理に繋ぎとめる。

 表面上だけでも元に戻す。


 まだ駄目だ。

 ここだけは死守しなければ、と。


 中嶋小次郎に対抗するために、否応なしに、この世界は潜行を続けている。

 本来であれば、まだ自分には早過ぎる領域に突入して久しい。


 結果『真島孝弘』は壊れていく。

 いまこのときも。


 すでに状態は末期的だった。


 教室の扉の外には、もうなにもない。


 見えないのではない。ないのだ。

 窓の外には、薄ら寒い虚無だけが広がっている。


 世界には、この教室以外残っていない。


 他はもう覚えていない。

 なにもかも失ってしまった。


 当然、こんな状況で精神面に影響が出ないはずがない。


 ともすると、自分が何者であるのかわからなくなる一瞬があって、ぞっとする。

 根っこのところを削られた人格が、連続性を失いかけているのだ。


 覚悟はしていたが、頭がおかしくなりそうだった。


 まだしも睡眠を摂ることができれば、恐怖を忘れることもできただろう。

 だが、意識を失うことを許されていないいま、それすらもままならない。


 ひとりでいたら、本当にどうにかなってしまったかもしれない。


 サルビアが一緒にいてくれたから、気を紛らわせることができたのだ。


 それに……おれが忘れてしまっても、案内をした世界をサルビアは覚えていてくれるだろう。

 そんなふうに考えられることは慰めであり、救いだった。


 お陰で、今日まで堪えられた。


 自分がなくなってしまうことは怖い。

 怖くて、怖くて、堪らない。


 だけど、おれは大丈夫。

 大丈夫だと――。


 けれど、そうした時間も今日までだった。


「旦那様」


 サルビアは教室の後方から、静かな微笑みでこちらを見守っていた。

 その光景は、ある種の学校行事を思わせた。


 そんな発想をしてしまったことを少し気恥ずかしく思いつつ、おれは尋ねた。


「なんだ」

「本当にね、ここ数日は楽しかったわ。わたしたちだけで独占してしまうのが、なんだか申し訳ないくらい。ねえ、アサリナちゃん?」

「サァーマ!」


 元気よく鳴いたアサリナに微笑んでみせてから、彼女は改めてこちらを向いた。


「今度は、みんなも一緒にね」

「……ああ。そうだな」


 もちろん、彼女はおれの状態をわかっている。


 わかっていて、おれが望むようにしてくれている。

 悲しげな顔をするよりも、気を紛らわせてくれているのだ。


 とはいえ、それもそろそろ終わりだ。


「悪いな、甘えさせてもらった」

「いいのよ」


 こうしたところ、サルビアは『年長者』だ。

 人には想像も付かないような年月、世界をさすらい続けてきた彼女は、他の眷属たちとも少し違った立ち位置で、おれたちのことを見守ってくれている。


「旦那様のことは、絶対に守るわね」


 穏やかな笑みは揺るぎない。


 ありがたく思う。


 それだけに、申し訳なくもあった。


 絶対に全員で生き残る。

 世界を滅ぼさせなんてしない。


 そう強く思う一方で、おれの冷静な部分は『万が一のときのこと』を考えてしまっている。


 考えずにいられるわけがない。

 そのときには――。


「ああ。おれも、みんなを守るよ」


 そうして、目が覚めた。


   ***


 目が覚めて、最初に感じたのは悪寒だった。


 気分が悪い。

 まるで泥の詰まった肉袋にでもなったようだ。


 触れてはいけない世界の最奥に繋がり続けている代償。

 状態は確実に悪くなっている。

 肉体的な変調から逃れられない現実の世界も、これはこれできつい。


 もっとも、健康状態としてはまったく問題がないので、最悪な気分であることを無視すれば活動に支障はない。


 自分は問題なく戦える。

 みんなと一緒に、みんなを守るために。


 ならいい。


 なんの問題も、ない。


「……ん?」


 そこで、部屋に気配を感じた。


 もっとも、これは当然のことだった。


 現状、世界を繋ぎとめているおれがやられた時点で終わりだ。

 警戒のために、寝ているときには常に、誰かが護衛に付いてくれているのだ。


「リリィ?」


 身を起こすと、ベッドの端に腰掛ける少女の姿があった。


 部屋にいたのは、彼女だけだった。


 横顔をこちらに向けた彼女と、視線は合わなかった。

 ぶらぶらと足を揺らしている。


「どうかしたか?」


 どこか様子がおかしかった。

 具合でも悪いのかと思ったが、昨日の時点で傷は快癒していたはずだ。


 実際、リリィは首を横に振った。


「ううん。別になにがあったってわけじゃないんだけど」

「だったら……」

「あはは。ちょっとね。ずいぶん、遠くまで来たなって思って」


 どこかぼんやりとしたふうに言う。


 確かに、彼女と出会った樹海深部からここ帝都までは遠い。


 だが、そうした距離のことだけを言っているわけではないのはすぐわかった。


「出会ったばかりの頃のこと、思い出してた。覚えてる?」

「当然だろ。忘れるわけない」

「大変だったよねえ。わたしも弱かったし。ご主人様を守るだけで精一杯だった」

「おれは、まともに戦う力もなかったからな」

「うん」


 懐かしそうにリリィは笑った。


「だけどね、いまから考えてみれば、わたしはそれだけでよかったんだよ」

「……リリィ?」


 意図を取れない発言におれが疑問の声をあげると、やっとリリィは顔をこちらに向けた。


 大きな目が潤んでいた。


「ご主人様は、強くなったよね」

「リリィ、お前……」

「とっても、強く」


 ぽろぽろと両目から涙がこぼれた。


「ごめん。ごめんね。困らせるつもりはないの。ただ……」


 言葉を探すように、唇がわなないた。


「ごめんなさい」

「……いや」


 寝台から出て、泣きながら謝る彼女の隣に腰を落とすと、その体を抱き寄せた。


「こっちこそ、ごめんな」


 ……きっと、彼女は気付いている。


 いや。他のみんなもだ。


 彼女たちは気付いている。

 気付かないはずがないのだ。


 考えずにはいられない『万が一のときのこと』。

 本当にもうどうしようもなくなってしまったときに、おれがどうすべきと考えているのかを……。


   ***


 真島孝弘という存在は、壊れかけている。


 限界のぎりぎりにいる。


 しかし、これは単純に弱っていることを意味しない。


 むしろ能力という観点でみれば、これまでになく研ぎ澄まされていると言える。


 なぜなら中嶋小次郎との綱引きの結果、おれはどんどん深いところへ引きずり込まれているからだ。

 ごぼごぼと無様に溺れながらも手を放すことなく、あの男の他はこれまで誰も至れなかった深みへと辿り着きつつある。


 接続者として、これから先、何十年もかけて一段昇れるかどうかというところだった階段を、このたったの五日間で二段も三段も昇ったはずだ。


 もっとも、対する『災厄の王』のいる領域は、もっと何段も高みにある。


 対抗するためには、もっとおれも階段を昇らなければいけない。

 多分、それ自体は不可能ではないはずだ。


 アプローチは違うとはいえ、自分も『災厄の王』と同タイプの能力であることには違いないのだ。

 この能力には、さらに先がある。


 ただし、可能かどうかと実現できるかどうかは別だ。


 なにせ現時点でも限界ぎりぎりなのだ。

 これ以上に達するためには、自分を保てる限界を超える必要がある。


 そのときこそ、おれはおれ自身をなくしてしまうだろう。


 そうして、ただ『みんなを守るだけの現象』に成り果てるのだ。


 ……もちろん、軽々にそんな選択肢を取るつもりはない。

 おれはみんなと一緒に生きていきたいのだから。


 けれど、もしも本当にどうしようもなくなれば……躊躇わないだろう。


「ごめんな、リリィ」


 腕に抱き締めた体温が愛おしい。


 みんなを守れたらいいと思っていた。

 なんの力もないときから、ずっとだ。


 なにひとつ取りこぼしたくないと願った。


 だから、もしも全滅が必至の状況で、自分ひとり破滅することで対抗できるのであれば、迷うことはないだろう。


 それがわかっているから、リリィは泣いている。

 そんな手段なんてなければよかったのに、と。


 無論、最後の手段がなければ、単に全滅して終わりになるだけなのだが……こういうことは理屈ではないだろう。


 おれだって、逆の立場であれば同じことを思うはずだ。


「ごめん。ごめんね。つらいのは、ご主人様なのに」

「そんなこと気にするな」


 涙する彼女を抱き締める。


「おれは、大丈夫だから」


 どれだけつらくても、どれだけ恐ろしくても。

 泣いている恋人の前でくらい、格好を付けるべきだ。


 あの世界で甘えさせてくれたサルビアには、感謝しなければいけないだろう。

 お陰で怯えを噛み殺して、こうしてリリィに声をかけることができるのだから。


「大丈夫だ。みんなで準備を整えた。そう簡単にやられたりしない」

「ご主人様……」


 少しでも、慰めることができただろうか。


 背中に回された腕に、力が込められた。


「……そうだね」


 リリィはおれの胸に押し当てていた顔を上げた。


 不安がなくなったわけではない。

 けれど、立ち向かう力は戻っているように見えた。


「わたしたちで、ご主人様を守るよ」

「……おれは結局、守られるんだな」


 苦笑をこぼすと、リリィもやっと小さく笑ってくれた。


 それから、おれたちはしばらく抱き合っていた。

 最後の一日、戦いまでの時間を惜しむようにして、互いの存在を感じ合った。


   ***


 おれたちが異界から戻ってきて、五日後。

 時間は淡々と過ぎていった。


 ここ最近の帝都を襲った異変はあまりにも大きなものだ。

 昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続いていくのかどうか、不安に思っていることだろう。


 だが、それでもまさか明日が来ないかもしれないとは思っていないはずだ。


 思っていれば、平静ではいられない。


「真島様。本当に、中嶋小次郎は攻めてくるのでしょうか」


 大聖堂の一角で、主だった面々が顔を合わせるなか、エラさんが不安そうに問い掛けてきたのも無理なかった。


 絶望的な力を持つ敵の襲来を待ち望んでいるというのも奇妙な話ではあるのだが、実際、攻めてこなければ、このまま世界は『災厄の王』の手に堕ちる。


 そうわかっているからこそ、慌ててはいけない。


「来ます」


 おれは短く答えた。


 五日もあれば、作戦を練るだけの時間は十分にあった。

 準備もしている。


 すでに戦いは始まっているのだ。

 ここで下手に右往左往して準備を台なしにしては、ただでさえ小さな勝機の火は消し飛んでしまうだろう。


 だから、待つ。


 おれの隣では、リリィもすまし顔をしていた。


「真島様が、そうおっしゃるのでしたら……」


 まったく動揺していないおれたちの姿を見て、エラさんも少し気持ちが楽になったようだ。


 リリィに感謝の目くばせをすると、にっこり笑顔が返ってきた。


「ご報告です!」


 そのとき、部屋に騎士が飛び込んできた。


 即座に空気が引き締まる。


「ひ、東の空に異変あり!」


 ついに戦いが始まりを告げたのだ。


「『城』が……『城』が飛んできます!」

◆戦いの準備が終わり、最後の戦いが始まります。

次回更新をお待ちください。


◆コミカライズ版「モンスターのご主人様」ウェブ連載20話が更新されました(7/20 現在 ↓リンク)。


書籍だと3巻ラストのローズと加藤さんのふたりの友情話ですね。ぜひどうぞ。

コミックス4巻発売は10日後です。こちらもよろしくお願いします!

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