5. 災厄の男
前話のあらすじ
へし折れた飯野、再起動。
5
深い森のなか、絶望に暮れる人影がふたつ。
無気力に立ち尽くす青年は、膝を抱えた女の怨嗟の声を聞いた。
「誰も彼も死ねばいい。なにもかも滅茶苦茶になってしまえばいいのよ……!」
他人のことをまるで考えていない、あまりにも自分勝手な言葉だ。
自分自身をも含めて、なにもかもの破滅を願っている。
このような身勝手な悪意を聞かされては、胸が悪くなるのが当然のこと。
けれど、青年は違っていた。
「ああ。それでいいのか」
小さくつぶやいたのは『気付き』を得たからだ。
そうして、すべては動き出した。
これこそ、すべての始まり。
異世界転移、二日目の出来事だった。
***
カツカツと硬い靴音を聞いて、中嶋小次郎は目を開けた。
彼がいるのは、第三の異界、天空に浮かぶ古城の一室だった。
すでに四日間をここで過ごしていた。
仲間たちも含めて、別に数日程度の野営をしたところで調子を崩すような体はしていないが、あえて雨風に晒される生活を好むわけではない。
不快なのはよろしくないという軽い理由で、本来は危険であるはずの異界を完全に掌握し、以降、ホテル代わりに使っている。
居心地は悪くない。
少なくとも、決戦までの間、ゆったりとした時間を過ごすのには十分だった。
「口うるさいのがなければ、もっといいんだけどな」
「誰が、口うるさいのですか」
靴音をたててやってきたのは、栗山萌子だった。
「よう。萌子。ノックくらいしろよ」
「この城、部屋に扉がない造りでしょう」
「冗談だ。カリカリするなって。どうかしたか」
「わかりきっていることを尋ねないでください」
ぴしゃりという。
そうした態度は、探索隊にいた頃から変わっていなかった。
協力者である探索隊メンバーのなかでも、彼女や日比谷浩二も含めた腹心は、中嶋小次郎の本性を正しく理解している。
目の前の存在の本性を知っていながらこの態度を取れるというのは、度胸があるとも見えるし、実際に日比谷浩二はそちらのタイプだが、栗山萌子の場合は少し違う。
――誰も彼も死ねばいい。なにもかも滅茶苦茶になってしまえばいいのよ……!
あの日から、なにも変わらない。
度胸があるのではなく、彼女は捨て鉢なだけなのだ。
そうした性質は、『破滅を求める快楽主義者』と評された『天からの声』の在り方にも現れている。
より正確にいえば、『天からの声』の能力は彼女のものだが、『天からの声』を名乗る人物のキャラクターは中嶋小次郎との共作だ。
快楽主義者の一面は、中嶋小次郎の指示が大きく反映されている。
だが、彼には破滅を求める趣味はない。
そちらは栗山萌子の性質だった。
「どうして帝都を攻めてしまわないのですか? それとも、このまま時間切れを狙うわたしの作戦に乗ってくださるつもりになりましたか?」
「いや。前にも話した通り、そのつもりはねえよ」
「でしたら、さっさと終わらせてしまえばいいでしょう」
「なに言ってんだ。さっさと終わらせるなんて『もったいない』だろう」
責める彼女に、中嶋小次郎は肩をすくめた。
「そもそも、焦ることはないだろ。これが最後なんだぜ。きっちり楽しまなきゃな。それともお前、おれがやられるとでも思ってんのか?」
「それは……」
探索隊では事務面での片腕として、裏では共犯者として、その力を一番よく知っているのは彼女だ。
「……それは、ありえませんけれど」
「だったら、過程がどうあってもいいだろ。結果は変わらないんだから」
「そんなことを言って、やられてしまいたいと思ってるのではないでしょうね」
調子を取り戻して白い目をする少女に、中嶋小次郎は肩をすくめてみせた。
「それは誤解だ。負けて喜ぶ趣味はねえよ。おれはただ、自分を負かせるような存在に会いたいだけだ。そのうえで、全力を出してそいつを凌駕したいんだよ」
「悪質なマッチポンプですね」
「悪質なのは理解してるよ。だが、それ以外に意味を見出せないんだから仕方ない」
「そんな人間のなにを信じろと言うのですか」
「はは。きついこと言ってくれるなぁ。だから好きだぜ」
快活に笑ってみせてから、中嶋小次郎は表情を改めた。
「だけど、信じてくれよ。マジできっちりとやり遂げるつもりではあるんだぜ」
真剣な顔つきだった。
その口調に嘘はない。
むしろ誓いにも似た真摯さがあったのだ。
「お前には、感謝してるんだ。なにせ、おれを絶望から救ってくれたのは、お前なんだから」
***
中嶋小次郎は、栗山萌子に救われた。
探索隊のリーダーとしての颯爽とした姿しか知らない者にとっては、意外な言葉かもしれない。
だが、事実だった。
実際、転移直後の不用意な探索によって、モンスターの大群が押し寄せた際に、最初は『韋駄天』飯野優奈と『闇の獣』轟美弥のふたりしかまともに対抗できていなかったのは、中嶋小次郎がまともに動けるような状態ではなかったからである。
それどころではなかったのだ。
中嶋小次郎にとって、この異世界にやってきたことは、絶望そのものだった。
とはいえ、それは他の転移者たちが抱いた絶望とは、少しニュアンスが違っている。
そのあたりを語るためには、まず彼のルーツに触れなければならないだろう。
元の世界での話だ。
中嶋小次郎は、ごくごくありふれた一般家庭に生まれ育った。
両親も、ひとりいた兄も、それなりに優秀だったが、別段、異常ではなかった。
彼ひとりだけが違っていた。
自分は世界の異物だという、不可思議な確信があった。
その感覚を、そうでない人間に説明するのはひどく難しい。
たとえるのなら――それは、ひとりぼっちの部屋だ。
ひとり世界から半歩ずれた場所にある部屋にいて、目の前にはひとつの手押しのボタンが用意されている。
本来であれば、きっと自分という存在を動かすコントローラを操って、うまくいったり失敗したりしながらもデコボコの道を進んでいく。
それが人生というものだと理解している。
けれど、自分だけは不具合があって、コントローラにはひとつのボタンしか付いていない。
どんな状況も、どんな場面でも、そのボタンを押すだけでクリアできる。
苦労はなく、苦悩もない。
ただ、作業的にボタンを押す。
ボタンを押す。ボタンを押す。ボタンを押す。
押す。押す。押す。
押す。押す。押す。押す。押す。押す。
押す。押す。押す。押す。押す。押す。押す。押す。押す。押す。押す。押す。
人生が終わるまで、ただその繰り返し。
……それが単に彼の天才性による錯覚なのか、それとも、もっとおぞましい呪いにも似たなにかのせいなのかはわからない。
いずれにせよ、中嶋小次郎は、極力ボタンを押すことをやめた。
弟の異常性に気付いた兄が精神的に病んでしまったのと、ほぼ同時期のことだった。
神童と話題になっていた少年は、周囲がその異常性に気付く寸前で、ただの人になった。
少なくとも、外面上は。
それは自分の人生を諦めるのと同じことだった。
ただ、それでも彼は諦めきってはいなかった。
自分の人生に絶望するには、彼はまだ若過ぎたのだ。
いつかなにかが変わるのではないかと期待した。
夢想した。
変わるわけなんてないとわかっていても。
心から願った。
それだけに、異世界転移という本来ありえるはずのない出来事は、彼の心をこれ以上なく湧き立たせた。
絶対に叶わないと思っていた夢のような出来事が、現実のものとなったのだ。
常に見えていたボタンが消えた。
解放されたのだと感じられた。
これが嬉しくないはずがない。
意味もなく大声をあげて、走り回りたい衝動が込み上げて――その矢先に、それがむしろ絶望を重ねて塗り固めるようなシロモノだと気付いた。
まさか予想できるはずもなかった。
誰よりも強くこの世界を望み続けていたことこそが、望みが力になる世界で自分にまた万能性を与えてしまうなんて。
***
気付けば、中嶋小次郎は樹海をひとりさまよっていた。
生まれて初めて、彼は希望に胸を躍らせたのだ。
それだけに、落胆は大きかった。
なにもかもがどうでもよくなった。
絶望の沼に、心はずぶずぶと沈んでいった。
ここまでお膳立てされて、それでも現実は変わらないのであれば……もう自分の人生はどうしようもない。
できることなんてない。
そう思っていた。
だから『まだできることがあると気付かせてもらった』ときには、脳味噌が焼き切れてしまいそうなくらいの興奮を覚えたのだ。
それこそが、あの出会い。
彼にとっての奇跡だった。
***
「……わたしはなにもしていませんが」
「だとしてもだ、おれは救われたんだよ」
栗山萌子の言葉に、中嶋小次郎は首を横に振った。
あのときのことは、克明に思い出すことができた。
――なんでこんなことになるのよ!
あるはずだった自分の人生を唐突に失った女がいた。
湿っぽい樹海の地面を叩き付けて、絶望のままに八つ当たりをする姿は醜い夜叉のようでさえあった。
だが、絶望の底にいた自分は、その出会いにこそ救われたのだ。
――これまで頑張らなくちゃいけなかったのはなんだったの!
――誰も彼も死ねばいい。なにもかも、滅茶苦茶になってしまえばいいのよ……!
その叫びを聞いて、気付いたのだ。
彼女の言う通りだと。
どうせどうしようもない世界なら、なにもかも滅茶苦茶になってしまえばいい。
そして、滅茶苦茶にしてもいいのなら――手段を選ばないのであれば、まだ『やりよう』はある。
「お前がおれに教えてくれたんだ。どうすればいいのかを」
常識に囚われていた選択肢は、飛躍的に数を増やした。
爆発的に可能性は広がった。
そうすることで、長年求め続けたものに手を届かせる方法を見付けたのだ。
自分がどうしようもないのなら――誰かに自分のところまできてもらえばいい。
様々な障害を越えて、過酷を生き抜いて、誰にも届かないような高みへと。
もちろん、多大な犠牲は出るだろう。
だが、手段は選ばない。
そういう道を教えてもらったから。
目の前の恩人を見詰めながら、中嶋小次郎は思う。
あの出会いがなければ、自分は樹海の奥地で野垂れ死んでいたかもしれない。
なにもかもを諦めたまま終わっていたかもしれない。
そう思えばこそ、目的を果たすまでもう二度と諦めない。
絶対に。
凄絶な笑みを浮かべて、災厄の王は誓う。
「だから、おれは本当に感謝してるんだぜ」
「……そうですか」
「はは。素っ気ねえな」
中嶋小次郎は肩をすくめた。
恩人はつれない態度だが、気にならない。
そんな些細なことは、この昂りの前ではなんてことなかった。
「まあ見てろ。ちゃんと『戦いの準備』だってしてる。おれは勝つ。そして、お前の望みも絶対に叶えてやるよ」
自分の望みが叶うだけではなく、同時に恩人である彼女の願いも叶えられる。
自分のためだけではなく、誰かのためにも戦える。
なんて素晴らしい日々。
あれほどつまらなかった人生が、いまはこんなにも充実している。
必ず自分は――世界を滅ぼしてみせよう。
「待ち遠しいな」
すべてが成就する日は近い。
自分が見込んだヒーローは、きっと素晴らしいモノを見せてくれるだろう。
信じている。応援している。
全力を以て、誰にも辿り着けない領域まで到達してくれるはずだと。
そのうえで、自分はそれを全力を以て凌駕するのだ。
災厄の王は、期待に胸を含まらせる。
運命の日は翌日に迫っていた。
◆出会いは運命を変えます。良くも悪くも。
真島孝弘はリリィと出会いました。
工藤陸はベルタと出会いそこねましたが、最後の瞬間は一緒に。
そして、中嶋小次郎は栗山萌子と。
これもまたひとつの出会い。物語は動き始め、いまに至ります。
◆もう一度、更新します。






