2. 不在の間の出来事
前話のあらすじ
中嶋小次郎の手を逃れた主人公たち。
帝都に残った仲間たちにもなにかあったようで……?
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一瞬、なにが起きたのかわからなかった。
そのとき、ローズたちと一緒に事態の疑問点を探っていた加藤真菜は、ハリスンとともに訪れたゲルトの隠し書庫で資料を当たっていた。
そこで得られた知識――『接続者』の存在を真島孝弘に急ぎ伝えようとしたところで、通信道具の向こうで異変が起きた。
呼びかけても反応がなく、そうこうするうちに通信が切れてしまったのだ。
もちろん、再度の接続を試みた。
その最中に、ことは起こったのだ。
世界が引っ繰り返るほどの衝撃があって、体が投げ出される感覚があった。
気付けば、加藤真菜は瓦礫のなかでローズに抱かれていた。
状況の前後が繋がらない。
ただ、自分が守られたらしいことは理解できた。
「真菜。無事ですか」
「え、ええ……」
混乱しながらも、ローズの助けを借りて瓦礫の外へと這い出た。
そこは、崩壊したゲルトの私室だった。
先に抜け出していたらしいガーベラが視線を向けてきた。
「な、なにが……?」
「話はあとだ。ここは危険だ、外に出るぞ」
硬い声でガーベラが言い、ローズもそれに応じて動いた。
守られながらも加藤真菜は、彼女たちの手を借りて窓から外に出た。
「飯野さんは? それに、ハリスンとゴードンさんも……」
「安心せよ、先に出ておる」
確かにその言葉の通り、窓の外にある広い中庭には、三人の姿があった。
ほっとする。
崩壊した書庫から逃げ出したのは、自分たちが最後のようだった。
「あやつらは、隠し書庫が崩壊させられたときに、瓦礫に埋まらずに済んだからの」
「そうですか。……いえ。待ってください。崩壊させられた?」
言い回しに引っ掛かった。
それは、隠し書庫を崩壊させた何者かの存在を示唆するものだったからだ。
実際、ガーベラは威嚇をするように、きちきちと蜘蛛の脚を鳴らしていた。
「妾たちが書庫にこもっている外から攻撃を受けたのだ。あやつが下手人のようだの」
彼女が睨み付ける先で、中庭に面した部屋の窓から少女が現れた。
どうやらゲルトの私室近くの部屋に潜んでいたらしい。
眼鏡の下の怜悧な瞳が、淡々とこちらに向けられていた。
加藤真菜が驚いたのは、それが知った顔だったからだ。
ただ、もっと衝撃を受けている者がいた。
引き攣った声をあげたのは、飯野優奈だった。
「く、栗山さん……? ど、どうしてこんなところに」
そう。そこにいたのは、探索隊でリーダー補佐をしている栗山萌子だったのだ。
冷たく見返す彼女はなにも言わず、代わりにガーベラが口を開いた。
「どうもこうもなかろう。我らに攻撃を仕掛けてきたのがこやつだ。なにを考えておるのかはわからんがの」
「そ、そんな……なにかの間違いよ」
言い返す飯野優奈の声は、弱々しいものだった。
彼女だってガーベラと同格以上の戦闘能力の持ち主だ。
状況を把握しているはずだった。
しかし、それでも仲間だと思っていた人間から卑劣な不意打ちを受けたことは、信じることができないのだろう。
あるいは、信じたくないのかもしれない。
それは探索隊の一員として、世界を走り続けた『韋駄天』の根本を揺るがす事実だろうから。
「な、なんとか言ってください、栗山さん」
震える声で求められても、栗山萌子は顔色ひとつ変えなかった。
ただ、普段の通りに淡々と返した。
「誤解があるようですね。わたしはあなたの敵ではありません」
「それじゃあ……」
その言葉を聞いて、わずかに飯野優奈の顔に血色が戻った。
だが、そのような反応を見せるのは早過ぎる。
それはむしろ、彼女をさらなる絶望に突き落とす言葉だった。
「なぜなら、わたしはリーダーのためにこうしたからです。あなたはきっとこちらについてくれる。ならわたしはあなたの敵ではない。そう思いますが、いかがでしょうか?」
「……え?」
小さくこぼれた声は、ただ虚ろだった。
聞いていられないくらいに。
「リーダーが……なに?」
「どうやらあちらで下手を打ったようで。なにもかもバレてしまったようでして。ええ。ですから、遊びは終わりだということです。ちょうどいいので、聖堂騎士団の団長と副長、あとは真島孝弘の眷属残党を殺しておこうかと思った次第なのですが、協力してくださいますよね?」
「……嘘。嘘よ」
「嘘ではありません。先程、真島孝弘との連絡が途切れたでしょう。今頃、リーダーが始末をつけているはずです」
飯野優奈の膝が折れた。
あるいは、その瞬間に折れたのは心のほうだったかもしれない。
「嘘……」
つぶやいた声には、まったく生気がなかった。
その目はなにも見ていない。
信じるべきものを失った無残な少女の姿がそこにあった。
だが、傍らでそれを見ていた自分たちには、彼女を心配している余裕がなかった。
「先輩が……?」
一瞬で血の気がひいた。
いまの話が本当だとすれば、彼は未曽有の危機に晒されている。
同じことを考えているらしく、仲間たちも浮き足立っていた。
主導権を握られてしまっている。
非常に悪い状況だとわかってはいたが、どうにもできない。
それくらいに、真島孝弘の絶体絶命の危機というのは致命的なもので。
「ちょっと待ったぁ――ッ!」
だから、この状況で第三者が乱入してくれたのは、まさに不幸中の幸いだった。
***
中庭に面した窓を突き破って、小さな人影が中庭に飛び込んでくる。
頭のうしろで短いポニーテールが揺れる。
屋敷の外で警護をしていたはずの、探索隊の『剛腕白雪』御手洗葵だった。
「これがリーダーの仕業だとしても、ここで真菜ちゃんたちをやらせるわけにはいかないっすよ!」
「葵ちゃん!」
啖呵を切る少女の姿を見て、加藤真菜は思わず声をあげた。
異変に気付いて急行してきてくれたらしい。
力強い救援だった。
立ちはだかる二つ名持ちの登場に、栗山萌子が眉をぴくりと震えさせた。
「……御手洗さん。あなたは敵に回るのですか?」
「当たり前っす」
返答に迷いはない。
彼女は、がつりと音を立てて拳を打ち合わせてみせた。
「生憎、わたしは優奈先輩ほど、帰属意識が強いタイプじゃないっすからね」
「薄情ですね。リーダーのこともどうでもいいと?」
「リーダーのことは、信頼してましたよ。ショックではあります。でも、この場では友達を守るのが優先っすから」
実際、その姿は、少なくとも戦闘が可能な程度には落ち着いているように見えた。
「リーダーがみんなを裏切ってて、あんたはその協力者だった。だから、真菜ちゃんたちを攻撃した。それはわかったすけど、ここからどうするんですか? ここでは絶望的なのはそっちのほうですけど」
油断なく身構えながら、威嚇するように言う。
「まさかそのちんけなナイフを創る能力で、このわたしとやり合おうとでも?」
周知の事実として、栗山萌子の戦闘能力は高くない。
探索隊という枠でいえば、最下位クラスだ。
闇で構成されるナイフを創る固有能力はあっても、二つ名持ちと比べられるものではない。
だとすれば、勝てるかどうかではなく、どのようにして身柄を押さえるかという話になる。
そのはずだが……。
「気を付けてください、葵ちゃん」
加藤真菜が疑問に思ったのは、そのような状況で敵が落ち着き払って見えたことだった。
なにか手があるのかもしれない。
そう思ったが、具体的なところまでは辿り着くことができなかった。
これがすでに中嶋小次郎と交戦した真島孝弘やリリィたちであれば違っただろう。
彼らは知っているからだ。
栗山萌子が保有している、闇から武器を創り出す能力。
その力が、中嶋小次郎が隠していた能力の片割れと酷似しているということに。
「ちんけなナイフを創る能力ね。それは、ひょっとして、これのことかしら?」
「……なっ!?」
栗山萌子が振り上げた手から、強大な魔力とともに闇が噴き出した。
ちんけなナイフを創る能力なんてとんでもない。
恐るべき魔力によって創り出されたのは『片手剣』だった。
それはまさしく、異界で中嶋小次郎が見せた闇の剣に他ならなかったのだ。
「な、なんすかそれ!? いつもと全然違っ……!?」
直感的にその脅威を感じ取ったのだろう御手洗葵に対して、栗山萌子は出し惜しみなどしなかった。
「死になさい」
「……!」
闇の剣がほどけて、奔流と化して迸った。
片手剣でもその威力は、巨大な屋敷ひとつ吹き飛ばして余りある。
破滅をもたらす闇の奔流が、加藤真菜の視界を埋め尽くし――
「まっず……!」
――その一撃を前にして、前に出る御手洗葵の背中を見た。
破れかぶれになって、錯乱したのかと咄嗟に思った。
迫る闇の奔流に対して、彼女が拳を振りかぶったからだ。
だが、そうではなかった。
「そぃやあ!」
闇の奔流を前にして物理的に殴り掛かるなんて狂気の沙汰だと――そんな常識をこそぶん殴るかのように、拳と激突した闇の奔流が弾け飛んだのである。
その光景を目の当たりにして、思い出した。
――殴れるものならなんでも叩きのめす。
――殴れないものであっても関係なく叩きのめす。
それが『剛腕白雪』の固有能力なのだ。
能力としては『絶対切断』の『なんでも斬る』という概念的な攻撃に近い。
物理的だろうが魔法的だろうが、そんなことは関知しないし気にしない。
屋敷ひとつ吹き飛ばせる攻撃の一部を『剛腕白雪』は見事叩き潰すことに成功したのだった。
さすがだと思った。
だが、その彼女は直後に慌てた顔で振り返った。
「真菜ちゃんっ」
「――!」
繰り出された攻撃は、広範囲にわたるものだった。
一番威力の高い正面の一点は『剛腕白雪』によって潰されたが、範囲攻撃のすべてを防ぎきることはできていなかったのだ。
戦闘力の高い者はともかくとして、非戦闘員であれば殺傷しうる威力があった。
咄嗟の反応で『醜い怪物』を制御するほど、自分はまだこの能力を使いこなしていない。
これは、まずい――
「――させぬ!」
直後、地面から飛び出してきたものが眼前を覆った。
大量の岩の柱が屹立して、壁となって立ち塞がったのだ。
間一髪、『剛腕白雪』の一撃で減衰した攻撃を防ぎとめる。
本当に、ぎりぎりのところだった。
「ふむ。危なかったの」
「ガーベラさん。ありがとうございます」
ほっと息をついたガーベラが笑いかけてくる。
いまのは彼女の仕業だった。
その手には、腕ほどの長さの黒い棒が握られていた。
「ふむ。さっそく、役に立ったのはよかったのやら」
「魔法の杖……っすか?」
初めてそれを見る御手洗葵の質問に、ガーベラはふふんと胸を張って応えた。
「妾の新たな魔法道具だ。ローズ殿に作ってもらった」
玩具を見せびらかすかのごとくだったが、実際、その性能は大したものだ。
これは以前、高屋純が持っていた地属性魔法を使えるようになる宝剣の魔法道具を参考にして、ローズがガーベラ専用の武器として作ったものだ。
性能自体はオリジナルを超えている。
「大規模攻撃を仕掛けてくる敵を想定して、防御手段のひとつも持っておくのは悪くないということでな。まあ、この魔法道具の機能はそれだけでもないのだが……」
「ガーベラさん」
得意げに話をしていたガーベラを、加藤真菜は制止した。
ローズの作った魔法道具の話なら、むしろ自分がしたいくらいだったが、いまはそのような状況ではない。
「栗山さんが……」
「ああ。逃げ足は速いようだの」
敵に回った彼女の姿は消えていた。
この場でこちらを殺害することはできないと判断したのだろう。
素早い判断だった。
厄介な敵だということでもある。
「葵ちゃん、追いかけて捕まえることは可能ですか?」
「ごめん。真菜ちゃん。いまからだとちょっと。あれでも探索隊メンバーだし、ここから追いつくのは難しいよ」
話を振るが、申し訳なさそうな顔をされてしまった。
「そうですか……」
「優奈先輩の脚が無事だったら一瞬だったけど……ああいや」
ひどく気まずそうに言葉を濁したのは、その飯野優奈が膝を屈してうなだれていたからだろう。
とてもではないが、声をかけられるような雰囲気ではない。
誰も口をきけないような空気が流れたが、その沈黙を悲鳴が破った。
「ハリスン様! お気を確かに!」
見れば、ゴードンに背を支えられたハリスンがぐったりと座り込んでいた。
瞼は落ちて、息は細い。
巻かれた包帯に血が滲んでいた。
もともと、普通であれば絶対安静のところを無理をして病室を出てきたのだ。
襲撃を受けたこと、そこから逃げ出す負担が、怪我に障ったに違いなかった。
「加藤様は回復魔法が使えましたな。どうかわたしとともに魔法を……!」
「わかりました!」
帝都に『竜人』神宮司智也の残した傷跡は深い。
大神官ゲルト=キューゲラーを失ってまだ間もないいまハリスンを欠けば、聖堂教会は機能不全を起こすだろう。
因縁のある相手がどうこうと言っている場合ではなかった。
遅れて駆け付けた警備の騎士に治療の手配を整えるよう指示を出すとともに、一行はハリスンを連れて聖堂教会に急ぎ戻ったのだった。
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