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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
2章.モンスターを率いる者
29/321

11. 北への旅路

前話のあらすじ:


(子狐・あやめ視点)


がーべら! きて! きて! あそんで!

あ、ろーず、なんかしてる!

ろーず! ろーず! なにしてるの? かまって! あそんで!

あれれ、がーべらとろーず、ふたりでおしゃべり?

おしゃべり、しないの? なんで? どうして?

あ、かとーがよんでる。あそんでくれるのー?

……んーん。ねむくなっちゃった。

もうねるね。おやすみー。

   11



 おれたちの『北』への旅路は順調なものとなった。

 最大戦力として白いアラクネであるガーベラ、索敵要員としてファイア・ファングの嗅覚を擬態するリリィ、おれたち人間の壁役として堅実な戦いをしてみせるローズ――この布陣を打ち崩すことは、たまに遭遇するせいぜい数体程度のモンスターに出来ることではなかった。

 此処にどうにかして新入り二体の働きを追加したいものだが、いまのところはまだ彼女たちが活躍するような場面は出てきていない。

 勿論、そんな場面に遭遇しない方が幸運ではあるのだが、そうとばかりも言っていられないのが実情だ。いざという時のために、戦力を拡充しておくに越したことはない。


 今日も一日の道程を消化し、夕食を終えたあとで、おれはアサリナと戦闘を想定したテストを行っていた。


「……ぐ」

「ちょっと待ってね。すぐに治すから」


 おれが痛みに奥歯を噛みしめているのを見て、リリィが回復魔法の魔法陣を指先に宿した。


 患部はアサリナの宿る左腕だ。

 温かな光を浴びて、関節のずきずきとした痛みが少し緩和される。

 だが、おれが寄せた眉はそのままだった。


「……問題、だな」


 口の中が妙に苦い。知らず声色は呻くようなものになっていた。


 アラクネの巣を出て、夜毎にアサリナとの戦闘訓練を始めて、今日で三日目。

 対象を細かく指示するのはまだ難しいが、簡単な命令なら口頭でなくてもパスを介して伝えられるようになりつつあった。

 これに関しては、思っていたより順調な滑り出しと言える。

 しかし、想定していたものとはまた別の問題が浮上していた。


「弱い弱いとは思ってはいたが、此処にきて祟ってくれる」


 回復した腕を確かめるように、おれは指を開閉した。

 異世界でのサバイバル生活で細かい傷が多くついた、男の無骨な手だった。

 しかし、その見た目とは裏腹に、脆弱な肉体でもあった。


 その脆弱さが問題となっていた。


 作用には必ず反作用がある。それは魔法なんて摩訶不思議が存在するこの異世界でも変わらない世界のルール、物理法則というものだった。

 鍛えていない人間が不用意にモノを殴れば拳を痛めるし、手首を挫くこともあるだろう。それと同じことが、おれの身にも起こっていた。すなわち、アサリナの攻撃の際に生まれる衝撃に、おれの腕が耐えられなかったのだ。


 いざという時に全力が出せないようでは話にならない。

 しぶるアサリナに無理を言って、試しに全力を振るってもらった結果が、手首と肘を同時に痛めて悶絶するという醜態だった。目も当てられないとはこのことだろう。


「ゴシュ、シュ、サマ……」

「お前のせいじゃない。気にするな」


 手の甲から生える一センチほどの突起にまで縮こまったアサリナを、おれは指先で撫でてやった。


 そうすることでおれ自身も癒されはしたものの、頭痛の種は残ったままだ。

 折角アサリナがおれの剣となってくれようとしているのに、これでは十分に力を発揮してもらうことが出来ない。


「……どうしたものかな」


 座り込んで考え込んでいたおれだったが、結局、何も思いつかず、がりがりと頭を掻いて溜め息をついた。

 おれは傍らのリリィに視線をやった。彼女は指先を唇に当てて、何やら考え込んでいる様子だった。


「リリィには何かいい考えはないか?」


 おれが問いかけると、リリィは大きな黒い瞳をこちらに向けた。


「うーん。一つ考えがないでもないけど」

「本当か?」

「うまくいくかどうかはわからないけどね。やってみる価値はあると思う」


 思案げにしているということは、彼女の中でもまだ考えがまとまっていないのだろう。とはいえ、少しでも可能性があるというだけでも検討する価値はある。


「話してもらえるか」

「勿論。ただ、だったら協力を頼まないとね」

「協力……誰にだ?」

「ガーベラに。彼女の助けが必要なの。二度手間になるし、此処から先はあの子と一緒に話しましょ」


 と、リリィが言うので、おれたちはローズやガーベラたちのいる焚き火の傍へと移動することにした。

 焚き火を中心にして、おれたちは車座になった。

 位置関係は、おれの左右にリリィとガーベラ、正面にローズと加藤さん。あやめは今夜はもうおねむらしく、ガーベラの蜘蛛の腹の上でくぅくぅ寝息を立てている。


「して、用というのは何かの」


 早速尋ねてくるガーベラに、リリィはアサリナとの戦闘訓練に関して、おれがいま直面している問題を語った。


「状況はわかった。妾に何かできるとも思えぬが……」


 話を聞き終えたガーベラは難しい顔をしていた。


「リリィ殿には、何か腹案があるのだな?」

「うん。ガーベラに頼みたいことがあるの」


 ガーベラの確認の言葉に、リリィは頷きを返した。


「実はガーベラには、ご主人様の魔法の訓練に付き合ってほしいのよ」

「魔法の訓練とな?」


 これはまったくの予想外だったらしく、ガーベラは赤い目を丸くしていた。


「しかし、それはリリィ殿が先生役を務めておったのではないかの」


 ガーベラを眷族としたことで保有する魔力が増大したおれは、此処三日というもの、リリィに魔法の初歩的な手解きを受け始めていた。

 これはアサリナとの訓練のあとに行われており、今夜もその予定だった。

 リリィはその先生役をガーベラに頼みたいというのだ。


「魔法なら妾よりもリリィ殿の方が得意であろう。リリィ殿が引き続き、主殿に教えるのではいかんのか」

「単純に属性魔法を教えるだけなら、わたしが教えるのが一番いいと思うんだけどね」


 言いながらリリィはおれの体越しに手を伸ばして、おれを挟んで逆側に座るガーベラの手首を取った。


「うむ?」

「ほら。ご主人様も」

「……? ああ」


 不心得顔のガーベラと同じく、おれも首を傾げつつ腕を差し出した。


「よいしょっと」


 リリィはおれたちの手を引っ張ると、前腕同士をぴったりとくっつけた。

 少し低めのガーベラの体温が、手首から肘まで感じられる。

 ……何となく、気恥ずかしい。

 ガーベラも同じようで、少し頬を赤らめていた。


「ガーベラの腕、綺麗だよね。傷一つなくて、滑らかで、細くってやわらかくて」

「リリィ殿も同じであろ。妾よりも細いくらいではないか」

「わたしのは擬態だから。それに、ガーベラと比べられちゃうとね」


 そういって苦笑を零すリリィは、生前は文句なしの美人だった水島美穂の容姿を引き継いでいる。

 一部が違うというか、グレードアップしている部分も体幹前方部に存在するが、その他はほぼ全身が彼女の精密なコピーであり、当然、見た目は可憐な美少女だ。

 だが、ガーベラと比べられれば分が悪い。ガーベラの美貌は、桁が違っているからだ。

 それは人あらざる者の美しさであり、あくまで人間を模しているリリィとは別次元のそれだった。


 勿論、それらは元来比べられるものではないし、比べるようなものでもない。

 あくまでそういう目で彼女たちを見比べるにしても、日本人として馴染みがあるのはリリィの可憐さだろうし、そういう意味では彼女を支持する男性も多いだろう。このあたりは完全に、個人の趣味の範疇だ。


 それはそれとして……


「話が逸れていないか」

「っと、そうだね」


 リリィは小さく舌を出して、話題を軌道修正した。


「ご主人様にはね、自分の腕とガーベラの腕を見比べてみてほしいの」

「腕を?」


 言われるままに、おれはガーベラの腕を見た。

 女の子の細い腕だった。

 細かい怪我と火傷跡が残るおれの腕とは比べ物にならない、しなやかで綺麗な腕だ。


「ガーベラの腕、細いよね。アサリナの一撃に耐え切れないっていうご主人様の腕よりも、よっぽど華奢なくらい」


 それはそうだ。おれは男で、ガーベラはモンスターとはいえ女性だ。内実はどうあれ、外見はおれの方ががっしりしていて当然といえる。


「だけど、ガーベラと腕相撲したら、ご主人様は勝てないよね」

「まあ、そうだな」


 これもまた事実なので、おれは抵抗なく頷いた。


「勝ち負けがどうこうというか、腕ごと拉げて潰されるんじゃないのか」

「妾はそんなことはせぬ!」


 ガーベラが即座に主張するが、リリィが言いたいのはそういうことではないだろう。

 おれの脳裏には、記憶に新しいガーベラの勇姿――鉄砲蔓の群生地域を丸ごと引き抜いた、白い蜘蛛の暴虐の様子が思い浮かんでいた。

 あれは猛々しくも美しい光景だった。

 おれがどれだけ鍛えたところで、あんなことは出来ないだろう。


 ……いや。そうでもないのか?


 おれは何となく、リリィの言わんとすることがわかったような気がした。


「わたしたちモンスターとご主人様たち人間じゃ、筋肉の質から違っているとはいえ、いくらなんでもガーベラの細腕と怪力は釣り合っていないよね。そこには当然、この世界特有の現象が関係しているの」

「つまりは、魔力か」


 たとえ物理法則として不可能なことでも、この世界にはこの世界特有の法則がある。それに従っているのなら、おれの常識に外れた事柄でも実現は可能だ。


「そういうこと」


 おれの言葉に頷いたリリィは、おれたち二人の手を離すと、乗り出していた身をひいた。


「ミミック・スライムのわたしは、魔力でこの姿を維持している。マジカル・パペットのローズは人形の体を動かしている。寄生蔓のアサリナもこれは同じね。風船狐のあやめは、魔力で炎を生み出すことが出来る。そして、ガーベラも」

「ああ。魔力によって常時身体能力を強化しておるな。といっても、こんなものはモンスターなら例外なく、無意識のうちに行っておることではあるが」


 魔力による身体能力の強化。

 そう聞いておれが思い出すのは、この異世界に転移させられた直後に見た、ドラゴンを素手で殴り殺す学生の姿だった。

 ああしたチート能力者の出鱈目も、保有する魔力の莫大さとそれを運用する能力とが組み合わさって、生み出されたものだったらしい。

 そして、いまの話を聞く限り、どうやらそれは特別な資質を必要とするような技能ではないようだ。

 だとしたら、おれにも可能性はある。あれ程のことは出来ないにしても、少しでもこの体が頑丈になってくれるだけで、かなり状況は好転するのではないか。


 最低限、この脆弱な体が左腕に宿るアサリナの土台として働くようになってくれれば、それで構わない。問題はそれがどの程度の困難を伴うのか、ということだが。


「その分だと、リリィ殿が妾にしたい提案と言うのは、『魔力を利用した身体能力強化を主殿に教えろ』ということなのだな。だが……」


 ガーベラは困惑を眉に表した。


「それならリリィ殿が教えてもよいのではないかの。こんなものは、妾だけの技術ではないのだから」


 ガーベラの言い分はもっともだった。

 極論、これに関しては誰が教えても構わないように思える。


「無論、妾が教えるのが嫌というわけではない。しかし、もともとはリリィ殿が全て教える予定だったのであろ。……よいのか? 主殿に何かを教えられる機会を、むざむざ妾などに譲ってしまって」

「それはあんまり良くないんだけどね」


 おれからすれば何処かずれているように思えるガーベラの心配を聞いて、リリィは苦笑したものの、妹分の懸念に対して否定を返すことはなかった。

 おれに魔法の手解きをすることを、彼女も楽しんでいたらしい。そう聞かされると何処かむず痒い気持ちになる。

 そんな楽しい時間を放棄してでも、身体能力強化に関してはガーベラがおれに教えるべきだとリリィは考えたらしかった。

 その理由については彼女自身の口から語られた。


「多分、ガーベラが教えるのが一番効率がいいと思うの」

「ふむ。というのは?」

「ご主人様の中に在る魔力は、ほとんどガーベラの魔力だから。ガーベラのやるようにしてみるのが、まずは一番の近道だと思うんだよ」


 おれの魔力はガーベラを眷属にしたことで増えている。これは、パスを通じてガーベラの魔力の一部がおれの中に流れ込んできているからだ。

 アサリナを寄生させたことで常時魔力を割かれてはいるものの、それはそのうちの一部に過ぎない。

 もともとの保有魔力が微量だったため、現状のおれの魔力はほぼガーベラのものといってしまって良い状態だ。


 そうした魔力を運用するのだから、元々の持ち主であるガーベラにその使い方を教わるべきだというのが、此処でのリリィの主張だった。


「成る程の。そういうことか。だが、とするともうひとつ訊きたいことがあるのだがの」


 リリィの話に理解を示したガーベラは、新しい疑問を投げかけた。


「主殿はリリィ殿から属性魔法を教わり始めておるのだろ。それはどうする? 並行するのか? それとも属性魔法は諦めて、身体能力の強化を行うということかの?」

「そのあたりに関しては、ご主人様の選択に委ねる感じかな。わたしはただ、アサリナの攻撃の反動に耐えられるようになる良い案はないかって訊かれただけだもの」


 言葉を交わしていた二人が揃って、おれの方を向いた。


「どうするの、ご主人様?」


 代表してリリィが尋ねてくる。


「……そうだな」


 おれはしばし考え込んだ。


 属性魔法か。

 身体能力の強化か。

 あるいは両方か。


 リリィとガーベラとの会話を参考にして、これから先の方針を固めていく。

 決断までにそう時間は掛からなかった。


「ガーベラに身体強化を教わろうと思う」


 おれはリリィの案を採ることにした。


「おれにはいま、左手にアサリナが宿っている。属性魔法を覚えれば、確かに支援火力にはなるし、あるいは迎撃にも使えるだろう。だが、どうしても防御面に不安が残る。――それに対して、もしも身体能力が強化されれば、敵からの攻撃に対するおれ自身の対応力も多少なり向上するはずだ。距離をとっての戦いがしたいのなら、アサリナに任せればいいしな」


 勘違いしてはならない。おれに必要なのは戦闘の役に立つことではない。

 おれの仕事は、ただ生き残ることなのだ。そうすることで、仲間たちの足を引っ張らないことが重要だ。

 風船狐の罠に嵌まって死にかけたことで、おれはそれを十二分に思い知っていた。


「身体能力強化の方が属性魔法より早く成長を見込めるというリリィの指摘もある。それに、攻撃をアサリナに任せる分だけ形になるのも早いはずだ。属性魔法を覚えるのは、そのあとで構わないだろう」


 自分の考えを語り終えたあとで、おれは申し訳ない気持ちでリリィへと視線を向けた。


「属性魔法を教えてくれようとしていたリリィには悪いが……」

「ううん。言い出したのはわたしなんだから、そんなこと気にしなくていいんだよ」


 気を悪くした様子もなく、にこりとリリィは笑顔を見せた。

 おれも軽く笑顔を返して、今度はガーベラへと視線を巡らせる。


「あとはガーベラも。手間をかけて悪いな」

「それこそ気にすることではない。妾にとっては、主殿に何かを教えるということは、純粋に嬉しいことなのだからの」


 本当に嬉しげに、ガーベラは透き通るような白い頬を朱に染める。

 こうした子供っぽいあけすけさを見せるから、ガーベラの印象はどうしても可愛らしいものになる。

 勿論、悪いことではない。


「ありがとう」


 おれは微笑ましい気持ちで礼を言って、膝に手を置いて立ち上がろうと力を込めた。


「じゃあ、話もまとまったことだし、いまからでも……」

「あの、真島先輩」


 そうして早速、訓練を始めようとした矢先のことだった。

 おれの台詞は遮られた。

 その声は、これまでずっとおれたちの会話の聞き役になっていた少女のものだった。


「すみませんけど、少しお時間もらえませんか」


 焚き火を囲んで車座になった、おれの対面。

 揺らめく橙の炎越しに、まっすぐおれを見つめる加藤さんの姿があった。


   ***


 加藤真菜という名のひとつ年下の少女に対して、おれには負い目がある。

 白いアラクネに連れ去られたあの夜に助けてもらった恩がありながら、彼女が向けてくれているだけのものを返すことが出来ないという、大きな負い目だ。


 おれは自分の体が強張るのを感じていた。


「……。どうした、加藤さん?」


 思えば、随分と久しぶりに、加藤さんと直接言葉を交わしている。

 最近だと、彼女と話をしたのはアサリナとあやめの名付けの時くらいのものだ。しかし、あの時はきちんと議題があって、みんなで案を出し合い、話し合ったというだけで、彼女と会話を交わしたわけではなかった。


 こうして話しかけ、話しかけられするのは、本当に久しぶりのことだ。

 これはいま気付いたことだが……どうやらおれは無意識のうちに彼女と接することを避けていたものらしい。


「すみません。訓練を始めようとしていたのに、引き留めるようなかたちになってしまって」

「それは別に構わないが」

「ありがとうございます。お話したいことがあったものですから」


 そう言った加藤さんは、いつも纏っている薄汚れたシーツから抜け出すと、ローズの隣で居住まいを正した。

 どうやら真面目な話らしい。


「実は真島先輩に、ひとつお願いがあるんです」


 そうして彼女が告げた『お願い』の内容は、おれが予想もしていなかったものだった。


「リリィさんの手があくようだったら、わたしに魔法を教わる機会をもらえませんか」

「……魔法を?」

「はい。時間を掛ければ、わたしにだって魔法を習得できるんですよね」


 可能か不可能かでいえば、可能ではあるはずだった。

 コロニーでの定説では、『チート能力者ではなくても魔法は習得出来る』ということだった。実際には、おれのようにあとになってからチート能力を自覚することもあるので、正確には『自身のチート能力に気付いていない者でも』というべきなのだろうが、なんにせよ、加藤さんも転移者の一人である以上、条件は満たしている。


 可能ではあるのだ。

 しかし、おれはすぐに快い返事をしてやることが出来なかった。


「お願いできませんか」

「……」


 いまのところチート能力を自覚していない、つまりは純正の一般人でしかない加藤さんが覚えられる魔法など、たかが知れている。モンスターとの戦闘の際に、自衛のために使えるレベルのものさえ修得することは難しいはずだ。

 以前のおれと同じで、時間を掛けてまで彼女が魔法を修得する意味はない。


 彼女の魔法が通用するとすれば、それは相手が人間で、それも不意を打てた時くらいのものだろう。


 ……たとえば、おれを背後から不意打ちする、とか。

 その程度にしか使えない。


 そこまで考えて、おれは自分の頭を殴り飛ばしたくなった。

 一度は命を賭けておれのことを救うために尽力してくれた恩人に対して、なんて疑いを抱いているのだろうか。


 だが、加藤さんが魔法を覚えたところで、それくらいにしか使い途がないというのは事実だった。

 そうである以上、おれは彼女に抱いてしまった疑いを払拭することは出来なかった。


 そもそも加藤さんに『魔法を教わることを許可する』ということは、彼女に『武器を与える』ということだ。

 それが出来るのなら、そもそもおれは彼女との関係を思い悩んだりしていない。


「……」


 結果として、おれの口は糊付けでもしたかのように、彼女に許可を与える文句を拒絶してしまっていた。


 そんなおれの姿を見て、加藤さんは静かに口をひらいた。


「回復魔法」

「え?」

「回復魔法を、覚えたいんです」


 それは、おれの懸念を払拭する発言だった。


「駄目、でしょうか?」

「それは……」


 修得するのが回復魔法なら、加藤さんに武器を与えることにはならない。

 おれの中で、警戒レベルがひとつ下がるのが自覚出来た。


 ……それなら彼女に魔法を覚える機会を与えることにも問題がない、か?

 少なくとも、検討する余地はあるように思える。


 おれはそう考えを改めかけたが、それ以上、考えを進めることは出来なかった。


「その話、少し待ってくれんかの」


 ガーベラがおれたちの会話に待ったをかけたからだ。


「ガーベラ?」


 彼女は申し訳なさそうに眉尻を下げていた。

 その赤い瞳は、焚き火の炎越しに加藤さんを見つめていた。


「悪いのだがの、リリィ殿には主殿に魔力の扱いを教える妾の手助けをしてほしいと考えておるのだ」

「手助け、ですか? それはどのような?」


 加藤さんのことが苦手なガーベラは、表情を少し硬くしたものの、説明を求める彼女の視線を受け止めて答えた。


「妾はモンスターだ。人間の勝手などわからぬ。主殿にうまくコツを教授出来るかどうか正直なところ自信がないのだ。その点、モンスターであり、人間としての記憶も持つリリィ殿が力を貸してくれれば心強い」

「そうね。少なくとも最初は、念のためにわたしが付いていた方がいいと思うな」


 リリィもガーベラのこの意見に同意した。


「二人に同時に教えることは出来ないんですか?」


 加藤さんの質問に、リリィは首を横に振った。


「難しいと思う。加藤さんが魔法を使おうとすれば、まずは魔力の感触を掴むところから始めないといけないもの」


 目に見えず、手でも触れられないものを扱うことは誰にも出来ない。

 魔法を使うためには、まず魔力を感じ取れなければならないのだ。


「これはそれなりに時間が掛かる。ご主人様の訓練と同時進行は、ちょっと無理なんじゃないかな」


 リリィの指摘に、加藤さんが怪訝そうに眉を寄せた。


「魔力を感じ取れないと駄目って話はわかります。けど、それは真島先輩も同じなんじゃないですか? だったら、一緒に教えてもらうことだって……」

「残念だけど、この件に関してはご主人様は特別なの」

「特別、ですか」

「うん。例外と言っても良い」


 リリィの大仰な言いように、加藤さんが少し鼻白んだ様子を見せた。


「というと……魔力を目視出来ていたことですか」

「それは確かに、加藤さんに比べれば有利な点ではあるけれど、例外ってほどじゃないかな」


 保有魔力がある程度あれば、魔力を見ることは誰にでも出来る。

 その程度ならリリィは、特別や例外なんて単語は使わない。

 リリィが此処で言わんとしていることは、偶然の成り行きさえ絡んだ、おれならではの事情だった。


「ご主人様はついこの間、魔力不足で死に掛けたでしょう? ガーベラが魔力を分け与えることで、辛うじてご主人様は命を繋いだ。その時にね、本当に偶然、ご主人様は魔力を感知する術を身につけているのよ」


 リリィの話を聞いて、おれは自然とあの時のことを脳裏に蘇らせていた。

 蜘蛛の糸を伝わって注ぎこまれる魔力が体を満たしていくあの感覚は、意識を失う寸前の出来事だったにもかかわらず、いまでも鮮明に思い出すことが出来た。

 自分という器が満たされる感覚、とでもいえばいいのだろうか。

 枯渇していたからこそ、それが満たされる感覚を得た。あれは他に代え難い体験であり、他人と共有することがひどく難しい時間だった。


「本来なら他人への魔力の譲渡なんて、そうそう出来ることじゃない。わたしたちにしたところで、次に成功するかどうかはわからない。魔力が枯渇して死に掛けたっていう偶然のシチュエーションも込みで、これは極めて例外的なケースだって言えるわ」

「……確かに。そうすると、わたしが同じようにすることは出来そうにないですね」


 同様のショートカットを使えるのなら、加藤さんもおれに追いつける。

 だが、あれはおれだけに許された体験だ。彼女がそうそう真似することは出来ない。


「真島先輩とは違って、わたしは地道にやらないといけないわけですね」

「そういうこと。魔力を目視出来ないのは、もうどうしようもないとして……まずは、誰かが魔力を扱っているところに接触して、魔力の流れを掴むところからかな? だけど、ご主人様が会得しようとしているのは身体能力の強化だから、実際に体を動かしながらの訓練になると思う」

「そうなると、ますますわたしに付き合ってもらうのは難しいですね」

「そもそも習熟度の違う人間を同時に教えるのは効率が悪いでしょう。学校の教室に詰め込まれて、授業を受けてるんじゃないんだから」

「それもそうですね」


 流石にいまのおれたちにしたところで、そこまで余裕があるわけではない。


「残念です」


 おれたちの置かれている事情は、ここまでずっと行動をともにしてきた加藤さんも理解してくれているのだろう。彼女はあっさりとお願いを引っ込めた。


「いいの?」

「真島先輩たちに迷惑を掛けてまで、魔法を教わりたいというわけではありませんから」


 リリィの問いかけにも未練なく答える。

 さっぱりとしたものだった。


「面倒なことを言い出してすみませんでした」


 加藤さんはぺこりと頭を下げさえした。


「……」


 おれは彼女のまるい頭を眺めつつ、胸の奥にしこりのようなものを感じていた。


 ……これで本当にいいのだろうか。


 加藤さんには借りがある。恩がある。負い目がある。

 これくらいの小さなお願いなら、どうにかして叶えてやるべきなのではないか。


 おれはそんなことを思ったが、それを口に出すことは出来なかった。


「しまった」


 背後を振り返ったリリィがつぶやき、勢いよく立ち上がったからだ。


「……む」


 ほぼ同時に、ガーベラもおれの隣で蜘蛛の脚を伸ばしていた。彼女の蜘蛛の腹で寝ていたあやめが飛び起きて、ぐるるると唸り声を上げておれの背後の森の奥を見つめた。

 ローズは既に斧を引き寄せており、戦闘準備を終えている。


 そこでようやく異変に気づいたおれや加藤さんの反応が追いつく。


 仲間たちが視線を向ける方へと振り向いたおれの視界には、森の奥の暗がりからこちらへとやってくる複数の人影らしきものが映りこんでいた。

◆ばうりんがる的な何か。

前話のあらすじの話ですけど。


◆次回更新は3/28(金曜日)を予定しています。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 周りのキャラクターは魅力的なのに、主人公が台無しにしてる感が…… 同じところでグルグル回ってグダグダしてるのが当時流行りだったと言えばそんな気もするのですが…… [一言] 何度か読もう…
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