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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
2章.モンスターを率いる者
25/321

07. 再びの暴虐

前話のあらすじ:

魔法が使えるようになりました。


――もう何も恐くな(ry

   7



 風船狐の逃げ足は、昨日追跡したファイア・ファングよりも若干だが速いように思えた。

 それとも、これはすばしこいというべきだろうか。

 体格が小さな分、風船狐は小回りがきいた。直線ではファイア・ファングが勝つかもしれないが、障害物の多い森の中なら風船狐に軍配があがるだろう。


 とはいえ、それも五十歩百歩だ。ガーベラから逃れられるほどではない。


「……仲間に合流せんな」


 追走すること数分、ガーベラがぽつりとつぶやいた。


「『はぐれ』か?」


 おれは舌を噛まないように十分に注意しながら、文字通りに目と鼻の先にあるガーベラの美貌に囁きかけた。


「やもしれぬな」


 更に三センチ顔を寄せて、ガーベラが囁き返した。


「だとしたら、これ以上、追跡する意味もないがの」

「そうだな。そろそろ頃合かもしれない。次に機会があったら、仕掛けてくれるか」

「あいわかった。……とはいえ、茂みの中を進んでおるから、蜘蛛糸で捕らえることは難しそうだがの。主殿を抱えていては、あまりスピードも出せんし。……む?」


 おれの要請に頷いたガーベラが、ふと片眉をあげた。


「しめた」


 赤い目が細められる。


「奴め。失敗しおった。ひらいた場所に出たぞ」


 ガーベラの言葉通り、おれにも数十メートル先で、森が途切れている場所が見えた。


 森を探索していると、たまにこういう場所に行き当たることがある。

 広さはおおよそ直径十メートルくらいだろうか。いびつな円形に、ぽっかりと森がひらけていた。


 わずかな下生えの間に、赤茶けた地面が垣間見えた。

 ひょっとすると最近、森林火災でもあったのかもしれない。


 おれがそんなことを思う一秒の間に、ガーベラはその場に到着していた。

 ガーベラが森を抜けるのとほぼ同時に、風船狐が向かい側の茂みへと再び入り込む。


「逃がさぬ!」


 おれを抱えたガーベラが、そんなハンディ・キャップなど欠片もうかがわせない機敏な跳躍を見せて、森の中の小さな広場に着地した。



 そして、それが危難の引き金となった。


   ***


 ……此処で一つ、仮定の話をしよう。


 モンスターと遭遇する効率をあげるために、おれたちが行っていた、『群れを相手にする』という、この方法。

 これについて他の誰かに話をしていたなら、どうなっていただろうか?


 リリィに話をしていたなら、きっと心配する彼女が此処にいただろう。

 ローズに話をしていたなら、反対されてしまって、そもそも此処には来なかったはずだ。


 そして、加藤さんに相談が出来ていたのなら、おれが気付けなかった大きな陥穽にも、きっと気付いてくれていた。


 そうすれば、少なくとも、これから起きる災難は回避されていたはずだった。

 おれを危険に突き落とす落とし穴は、おれ自身の認識にあったのだから。


 おれは以前にこう考えたことがあった。

 ――通常のモンスターならガーベラの敵ではない。レア・モンスター以上なら、おれの能力の対象内だ。もしも脅威があるとすれば、それはハイ・モンスターのみであり、これはそうそう簡単に出会えるようなものではない……


 これは間違いではない。

 だが、おれは一つの要素を計算に入れ忘れていた。


 それは、おれ自身が抱える脆弱性という、致命的な要素だった。


 それこそがおれのチート能力最大の弱点なのだと、おれ自身認識していたつもりだった。

 だが、その認識は甘かった。

 忘れていたわけではないが、検討がまるで足りていなかった。考えが足りなかった。


 ……いいや。考えるだけの余裕がなかったのだ。


 ガーベラとローズとの間にあるわだかまりの解決。

 加藤さんに対するおれ自身の負い目。

 その他諸々の、わかったことと、わからないこと。


 考えなければならないことはいくらでもあり、どれも一朝一夕で解決するようなことではなかった。


 そのため、どうしてもいくつかの見落としが出てきてしまっていた。

 たとえば、昨晩に加藤さんがバラバラ死体について指摘した件について、おれがまったく気付けていなかったことだって、その一つの例だろう。


 この時のおれは、戦闘面でガーベラを超える存在など有り得ないと判断していた。

 事実それは間違いではなかったが、考えをそこでストップさせてしまったのは失敗だった。


 確かに白いアラクネは圧倒的な強さを誇っている。

 正面からぶつかり合えば、この森にいるどんなモンスターであっても彼女に勝つことは難しい。


 けれど、『だから何があっても大丈夫』とはならないのだ。


 何故なら、あくまで彼女は『一人』だからだ。

 当たり前のことではあるが、おれたち人間はこの二本の腕に抱え込み、二本の足で支えることのできるものしか抱えることは出来ない。

 ガーベラの場合は脚が八本あるが、それでも限界があることには変わりない。


 ありきたりな言い方をするならば、それは、『一人で出来ることには限りがある』ということだった。


「……なっ!?」


 おれは目を見開いた。


 これまでおれたちが追ってきた風船狐が茂みに突入するのと入れ替わりに、既に大きく体を膨れ上がらせた別の個体の風船狐が、茂みから身を起こしたのだ。


 いまおれたちが到着したばかりの広場を囲むその数は、ゆうに三十体を超えていた。


 そうして、おれは思い知る。


 おれが真実警戒するべきは、遭遇するかどうかもわからないようなハイ・モンスターの存在ではなかったということを。

 真実おれが警戒しなければならなかったのは、『ガーベラでさえ対処し切れないような数の通常モンスターに襲われる』という数の暴力による蹂躙だったということを。


 ――その瞬間、狩人と獲物の関係が逆転した。

 おれが自分の浅はかさを後悔した時には、既に引き金は引き絞られていたのだ。


「うぁあぁああ!?」


 百を超える数の火球が、おれたち目掛けて殺到した。


 それはほとんど押し寄せる壁に等しかった。

 360度、全周を囲まれては逃げ場がない。

 赤い炎に照らされた景色が、絶望で真っ暗になった。


 迂闊としか言いようがなかった。

 モンスターには人間のような情緒や意志はないが、動物程度の知性はある。

 狼、ライオン、ハイエナなど、おれがかつていた地球では、群れで戦略的に狩りをする野生動物が数多く知られていた。


 だったらモンスターにだって、そうした方法を用いるものがいてもおかしくはない。

 このひらけた森の広場は彼らの狩場であり、誘い込まれたおれたちにとっての処刑場に他ならなかった。


 ……これはもう、どうしようもない。

 本気でおれはそう思ったし、走馬灯さえ頭によぎった。


 だが、その時だった。

 おれのことを抱えているガーベラが、抗いの叫び声をあげたのだ。


「させるかあっ!」


 ガーベラは片手を振り抜き、射出した十数本の蜘蛛糸を鞭のように振り回した。

 ほとんど無意識のうちにおれは、ガーベラの手が振り切られた方向を目で追っていた。


 そこには迫り来る火球があった。

 鞭のようにしなって踊る蜘蛛糸が、飛来する火球の幾つかに激突した。


 おれは先程見たばかりの、風船狐の火球によって爆破炎上する木々を思い出していた。

 ある程度の硬度のものにぶつかれば、風船狐の火球は弾ける。

 それは勿論、ハイ・モンスターの筋力で力任せに振り下ろされた蜘蛛糸であっても同様だ。


 ――どうせ避けられないのなら、その前に爆破してしまえばいい。

 ガーベラの思いついたことは、このようなことに違いなかった。


 蜘蛛糸に打ち据えられた火球が、空中で次々と爆発していった。


 それは乱暴極まりない決断であり、同時に、これ以外にない最短の回避だった。

 爆発はたかだか数メートルの距離で起こった。爆風に直接巻き込まれるよりマシとはいえ、熱風が押し寄せてくるのは当然のことだ。


 ガーベラはぎゅっとおれを胸に抱きこみ、その体を盾にして庇ってくれたが、それでも熱波は容赦なくおれの肌を焼いた。


 目を閉じて耐えるだけのことしか、おれには許されていなかった。

 あげたはずの悲鳴は爆音の中に消えて、おれ自身の耳にさえ届かない。


 耐える。耐える。

 一陣の風が通り過ぎる瞬間が、数分にも感じられた。


 そうして爆風は肌を通り過ぎていった。

 半分気を失いかけていたおれの耳に、辛うじてガーベラの声が届いた。


「済まぬ、主殿!」


 何のことだ――と思うより早く、状況が動いた。


「うっ、ぁあぁあぁぁあっ!?」


 わけもわからないうちに、おれは燃え上がるような熱の中にあった。

 蜘蛛糸によっていくつかの火球が破裂させられ、密度が低くなった領域へと、おれを抱えたガーベラは思い切りよく突っ込んでいったのだ。


 圧縮された火球が弾けたあとの地面は熱されて、空気はまだ高熱を帯びていた。

 幸いだったのは、ガーベラの跳躍力をもってすれば、突入と離脱は一瞬だったということだろう。


 気付けばおれは、森の湿った空気の中にいた。


 ほぼ同時に、背後で大爆発が起きた。


 おれは閉じていた目をひらけて、立ち昇る赤い炎を目の当たりにした。

 風船狐が吐き出した数多の火球が、おれたちがほんの一瞬前までいた場所に着弾し、一斉に爆発したのだった。


 ぞっとした。

 ガーベラの決断が一瞬でも遅ければ、おれたちはあの爆発の中に取り残されていたに違いない。


 恐らくガーベラ一人だけなら生き残ることは出来た。

 だが、一緒にいるおれはただでは済まなかったはずだ。

 死体が原型をとどめていられたかどうかさえ怪しい。


 いまの離脱の際でさえ、おれは剥き出しの顔面や手足に、かなりひどい火傷を負っていた。

 出発前にガーベラの蜘蛛糸で織られた衣服を渡されていなかったら、ひょっとすると全身に負った大火傷によってショック死していたかもしれない。


「離脱するぞ!」


 ガーベラは必死の様子で叫ぶと、更に跳躍を繰り返した。


 二度、三度。

 跳躍し、風船狐の群れから逃れようとする。


 三度目の跳躍のために身を低くかがめたガーベラは……しかし、蜘蛛脚の先にある鉤爪を地面に突き立て、急制動をかけて停まった。


 そうせざるを得なかったのだ。


「まさか……有り得ぬっ」


 血を吐くような呻き声は、彼女に似つかわしくないものだった。


 おれもやや怪しくなりつつある視界の中に、彼女を絶句させたものを捉えていた。


 無数の巨大な百合の花が、木々から垂れ下がって咲いていた。

 それが蔓植物のような姿をしたモンスターであることを、おれは知っていた。


 昨日、リリィへのお土産として狩ったのが、このモンスター……鉄砲蔓であったからだ。

 鉄砲蔓は木々に寄生し養分を奪いつつ、積極的に動物を襲うモンスターだ。


 そんな鉄砲蔓が見渡す限りの木々に取り付いている群生地へと、おれを抱えて逃亡するガーベラは足を踏み入れてしまったのだ。


 反応は激烈だった。

 鉄砲蔓の攻撃手段――その名前の由来でもある、百合のような花から打ち出される無数の種の弾丸が、空間を蹂躙した。


 最初の一発が左手の甲に撃ちこまれたのだけは知覚出来た。

 あとはもう、衝撃だけだ。


「がっ、あ! ぁあ!」


 肩に喰らって、腹にめり込み、腿から血が噴き出した。

 先程の焼き打ちで半ば麻痺した体が痛みを満足に感じられなかったのは、おれにとって幸運だったかもしれない。

 最悪の不幸の中にいるということを差し引けば、だが。


 いいや、それとも、これを『運が悪い』と表現するのは不適切だろうか。

 何故なら、『逃走中に鉄砲蔓の群生地を通りかかるなんて運のない』などと考えるのは、問題を取り違えているからだ。


 いくらおれが運の悪い男だとしても、流石にそんな偶然があるはずない。

 これも含めて、風船狐の必殺の罠の一部だと考える方が、自然というものだった。


 ガーベラが鉄砲蔓の群生地があったこの方向を選んだのは、適当な選択の結果というわけではないだろう。恐らく、彼女はもっとも逃走確率の高い方向――すなわち、風船狐の囲いの薄い箇所を突破したはずなのだ。


 そこに罠が張られていた。


 風船狐は鉄砲蔓を利用した、ということだ。

 この異世界のモンスターはコンピュータRPGの戦闘シーンのように、肩を並べて襲いかかってきたりしない。

 けれど、どちらかがどちらかを利用するかたちでの『共闘』なら有り得る。

 そういうことだ。


 あれだけの必殺の状況を作り上げた上で、それでも網を食い破ってくるものには、更に確実な死を与える。

 ひょっとするとそれは、モンスターとしては脆弱な身体能力しか持たない風船狐が、この森の中で生き残るためにつけた知恵だったのかもしれない。


 ガーベラが何発を捌き、何発を代わりにその身に受け止めたのかはわからない。

 おれが頭部などの致命的な位置に攻撃を受けなかったということは、彼女は必死でおれのことを守ろうとしたということなのだろう。


 けれど、それも虚しい抵抗だと思えた。


 周囲には、再度充填される鉄砲蔓。

 背後には、迫りくる風船狐の大群。


 辛うじて攻撃をしのぎ続けておれを守り抜いてきたガーベラだが、それも此処までだ。

 というより、ここまでしのぎ続けただけでも賞賛されるべき奮戦で、これ以上を望むのはいくらなんでも求め過ぎというものだった。


 朦朧とした意識で、おれは自分の死を覚悟した。


 しかし。


「ふざ……けるな」


 まだガーベラは諦めていなかった。

 あるいは、そうした諦めの悪さ……ある種の生き汚さこそが、彼女をして長い年月を生き延びさせ、ハイ・モンスターへの道を切り開いてきたものなのかもしれない。


 彼女を諦めさせるには、それこそ加藤さんがそうしたように、まだ幼いその心をずたずたに引き裂く以外にない。

 彼女はそういう類の怪物であり、野生動物レベルの知性しか持たない風船狐には、流石にそこまでの高度な攻撃を用意することは出来なかった。


「ふざけるな!」


 目に見えた未来を全力で否定するかの如く絶叫したガーベラが、此処までずっと抱えていたもの……すなわち、おれの体から手を離した。


 自由になった彼女は、すぐさま地面に転がったおれのことを、下半身の蜘蛛の体の下に匿った。


「……」


 おれは地面にあおむけになって狭い空を見上げることになった。

 おれの視界に映っていたのは――ハイ・モンスターである白いアラクネ、その本来の姿だった。


 彼女は気の遠くなるほどの時間を独りぼっちで過ごしてきた。

 独りで戦い抜いてきた。

 誰かを守るための戦いには慣れていない。


 彼女の真価は単独での戦闘にこそ表れる。

 そして、おれという足枷を失って、いまや彼女は自由だった。


 鉄砲蔓が斉射から次弾を装填する間、そして風船狐が追いつくまでのほんの一秒程度の時間を見逃さず、ガーベラは攻勢に出た。


「もう二度と! 妾のせいで! 主殿を死なせかけて堪るものかぁあッ!」


 ガーベラは自由になった両腕を振るった。

 一度に操れる限界いっぱいの蜘蛛糸が、周囲一帯に無差別にばら撒かれた。


 木々も、モンスターも、何もかも関係ない。

 狙いをつけたわけではないので取りこぼしも多かったが、そうした細かいことを彼女は気にしない。


 その必要がなかった。


 彼女が蜘蛛の下半身で隠したおれ以外の全てのものに無差別にまとわりついた蜘蛛の糸は、いまや彼女の手に握られていた。


「あぁあぁぁぁあああああ!」


 血を吐くような少女の叫びが、森の空気を震わせた。


 ガーベラの八本の脚が地面を噛んだ。

 鉤爪が地面に深く突き刺さって、ガーベラの体をその場に固定した。



 そうして、暴虐の化身である白い怪物は再臨した。



 ガーベラがしたことは、『蜘蛛糸をただ全力で引っ張る』という、ひどくシンプルな行為だった。


 しかし、そのシンプルな行為を、桁外れの力を持つ怪物の中の怪物が行えば、どうなるか。


 ――世界が彼女に向けて収斂した。

 そのように見えるくらいに、目の前の光景は劇的だった。


 目に映る全てが、凄まじい勢いで白い蜘蛛へと引き寄せられていった。

 土壌ごと木が根っこからひっこ抜ける。飛んできた木々同士が轟音をたててぶつかり合い、へし折れる。巻きついていた鉄砲蔓は為すすべもなく引き千切られ押し潰され、あわや巻き込まれるところだった風船狐は、泡を喰ってその場を逃げ出した。


 彼女の蜘蛛糸に捕まったものも、そうでないものも、この流れに巻き込まれてしまえば同じことだ。

 ぶつかり合って、押し潰されて、引っ掛かって、持ちあげられる。


 引っ張り上げられたすべてのものは、最後に上空で激突して砕け散った。


 破片と断片と残骸とが、上空から牡丹雪のようにボタボタと降り注いできた。

 原形を保っているものは、何一つとして残っていない。

 こんな場合だというのに、おれは笑ってしまいそうになった。


 まったく、なんて出鱈目だ。

 ……これだけの戦力を擁しておきながら、おれは今回の失態を晒したのだ。


 なんてザマだ。

 これでは彼女たちのご主人様失格じゃないか。


 いっそ死んでしまいたいくらい情けない。

 放っておいたら死んでしまいそうな状況で、何を馬鹿なことを言っているのかという話だが。


「主殿っ!」


 それでも、おれは死ぬわけにはいかないのだ。

 この命はかつてリリィとローズが、いまはガーベラが必死になって守ってくれたものなのだから。


 おれには生き延びる義務があった。


「すぐにリリィ殿のところに連れて行く! 気を強く持て!」


 全身から血液が抜けていっている。

 肌は焼けて、赤かったり黒かったり派手派手しい。

 体は満身創痍の言葉をそのまま表す見本標本だ。


 だけど……死んでたまるか。

 いつか独りで死にそうになっていた時よりも強く、おれはそう思った。


 ガーベラに抱えられて森の中を運ばれながら、おれはただただ必死で生にしがみついた。


◆予告より一日遅れました。

年度末にかけてちょっと忙しくなっていまして、申し訳ない。


◆次回更新予定は、3/1(土曜日)となります。

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