40. そして檻は閉じられる
(注意)本日3回目の投稿です。(7/29)
40
敵として現れた『竜人』神宮司智也を目の前にして、飯野優奈は動揺の極致にあった。
かまえた剣の切っ先は情けなくもガタガタ震え、ナイフが刺さりっぱなしの脚が訴えかける激痛は堪えがたいものになりつつあった。
さいわいだったのは、神宮司智也がすぐに攻撃を仕掛けてこなかったことだった。
彼女を見詰める顔は、申し訳なさそうなものだった。
眼差しには、以前と変わらない親しみがあった。
……こんな状況になっても、少年は少女のことを敵だとは考えていなかったのだった。
「なあ、飯野。剣を捨ててくれないか。これ以上はもう、苦しむだけだ」
投降を呼び掛ける言葉には、仲間に対する気遣いさえ込められていた。
「協力してくれとは言わない。ここで起きることに、目を瞑ってくれるだけでもいいんだ」
「……そんなこと!」
勢いよく、飯野優奈は首を横に振った。
何度も、何度も。
そのたびに、目の端からこぼれるものがあった。
少女もまだ、少年のことを仲間だと思っていた。
元の世界にみんなを戻せるのなら、そのためになりたいという気持ちだってあった。
それでも、彼のようにそれ以外をどうでもいいと考えることはできなかった。
だから、これで話は終わりだった。
「ねえ。もういいでしょう」
仮面の四人のひとりが声をあげた。
四人のなかで、唯一の女性だった。
「まったく。いつまで話をしているんですか」
神宮司智也に対して投げ付けられたのは、ひどく尖った言葉だった。
唯一、仮面から覗いている女の目は、智也を睨み付けてさえいたのだ。
他の三人も、声には出さないものの彼女に同意する雰囲気があった。
「って言われてもな」
神宮司智也のほうはといえば、やや辟易した様子を見せていた。
それは、どこか違和感のあるやりとりだった。
神宮司智也は、あくまで冷静に会話を進めていたが、他の四人にそうした空気は皆無だった。
彼らは仲間であるはずなのに、物腰にはひどく温度差があった。
単に仲違いをしているだけなのか。
それとも……。
「神宮司さん。どうやらあなたは、この状況を理解していないようですね」
仮面の女が苛々と続けた。
「わたしたちには使命があります。可能な限りすみやかに果たさなければいけません。わたしたちは『あの方』に真島の眷属を殺すようにと言われているのですから」
まるでそれは、この世の真理を告げるような口調だった。
使命という単語選びからも、彼女がこの出来事をどう捉えているのかがうかがえた。
ローズとロビビアは体を硬くした。
彼女たちに向けられた女の視線には、智也にはなかった狂信的な熱情が宿っていたからだ。
ふたりには、名前が伏せられた『あの方』が誰であるのかはわからない。
だが、女が自分たちに対して、嬉々として剣を振るう未来だけは克明に予想ができた。
「さあ、己の使命を果たすときです!」
ローズたちだけでは仮面の集団に対抗できない現状からすれば、それは絶望の宣言に他ならない。
「ロビビア……!」
「くそ!」
庇い合うふたりに対して、殺意が大きく膨れ上がった。
仮面の女が歩を踏み出し、無造作に剣を向けた。
対抗して斧を振るうローズは、力及ばず正面から粉々になるまで打ち砕かれる。
仲間の死を目の当たりにして狂乱したロビビアは、ドラゴンに変成した首を落とされる。
それはもう、彼女たちにはどうしようもない未来で――
「させるかぁああああッ!」
――そんな絶望の未来を引き裂いたのは、手痛く傷付けられていたはずの少女の叫びだった。
「なっ!?」
叫び声をあげて一歩踏み出した飯野優奈の細剣が、女の剣の切っ先に激しく叩き付けられた。
まさかこの深手で動くとは思っていなかったのか、唖然とした女の剣を、細剣の一撃はしたたかに弾き飛ばしていた。
「っ、ぐぅ!?」
同時に、飯野優奈は盛大に顔を引き攣らせた。
踏み締めた脚に走った激痛のためだった。
「飯野さん!?」
うしろからローズが心配そうな声をかけたが、彼女に応える余裕はなかった。
痛みと混乱で頭がずきずきして、呼吸なんて滅茶苦茶だった。
それでも顔を上げて、慌てて引き下がる相手を睨み付けた。
これだけの負傷と劣勢なのだから――と、諦めてしまえば楽になれる。
けれど、もしもそうしてしまえば、これまで大事にしてきたものはへし折れて二度と元には戻らないだろう。
無意識のうちに、そう悟っていた。
それに、彼女には約束があった。
真島孝弘の仲間を守る、という約束が。
なにがあろうと、その約束だけは違えるわけにはいかなかった。
神宮司智也の行いを知ってしまい、どうしようもなく揺らいでいる飯野優奈の世界のなかで、それだけは確かな指針だった。
だから、退かない。
「ひっ」
女が仮面の奥で息を呑んだ。
優位にあるはずの女を怯ませるだけのものが、いまの飯野優奈には備わっていた。
そんな光景を見て、神宮司智也は呻いた。
「……ああ。こうなっちまったか」
そこには、やっぱりとでも言いたそうなふうがあった。
この場で彼だけは知っていた。
これこそが、探索隊白兵戦最強を誇る『韋駄天』なのだと。
かつて転移直後にあった、モンスターの大量襲撃の際のことだ。
壊乱するチート持ちを統率して危機を撃破したのは『光の剣』の圧倒的な戦闘能力とカリスマだったが、それまで戦線をかろうじて維持していたのは、前線で戦い続けた『韋駄天』の折れない心と意地と度胸だった。
それがどれだけの偉業なのか――考えようによっては異常で異様でさえあるのか――少し想像してみればわかるだろう。
平和な日本から異世界に飛ばされてすぐ、初めての実戦。
迫りくる怪物の大群との絶望的な戦いのなか、恐怖を麻痺させるわけでもなく、歯を喰いしばって踏みとどまって戦い続けた。
そんなことができたのは、樹海に出ていた転移者のなかでは『韋駄天』と『闇の獣』のふたりだけだ。
その本質は、脚が動かなくなったことくらいで変わらない。
もしも飯野優奈が屈することがあるとすれば、それは彼女のなかにある正義がへし折れたときだけだろう。
神宮司智也は溜め息をつくと、気圧されて引き下がった女の肩を掴んだ。
「おい、ここは退くぞ」
その言葉に、残りの四人が目を剥いた。
「な、なにを……!」
「やめとけって言ってんだ」
反論しようとする仮面の女に、首を横に振ってみせる。
「もちろん、気持ちはわかるぜ。お前たちは『おれと違って単なる利害関係の協力者じゃない』からな。だけど、こうなったら飯野は死に物狂いで抵抗するだろう。本気の『韋駄天』は、手加減をしていてとめられるもんじゃねえ」
先程まで、彼らの戦いにはある程度の節度があった。
飯野優奈はあくまで守るために、相手の攻撃を防いで制圧するように立ち回っていたし、神宮司智也は仲間相手の戦いと考えていた。
だが、いざ死に物狂いの抵抗をするとなれば、手加減は利かない。
一歩間違えれば、殺し合いになるだろう。
それを、神宮司智也は看過できない。
「おれにこいつは殺せねえ。つーか、お前たちが殺そうとするなら、とめなくっちゃならねえ」
神宮司智也の目的は『生き残った転移者全員が無事に元の世界に戻ること』だ。
そのなかには当然のように、剣を交える優奈の存在も含まれる。
大事なもの以外どうでもいいと切り捨てる価値観の、裏表とでも言うべきか。
たとえ、どれだけ不利になろうとも、彼はその信念を変えられない。
いまの言動は、そういうことだった。
そして、もうひとつ。
いまのやりとりで明らかにされたことがあった。
それは『仮面の集団の他の四人と神宮司智也は別の思惑で動いている』ということだ。
以前に神宮司智也は『元の世界に戻るために探索隊離脱組から仲間を集めている』と、再会した飯野優奈に打ち明けたことがあった。
しかし、この場にいる仮面の四人は、話に出ていた仲間たちではない。
だとすれば、何者なのか。
そうした疑問が生まれるのは当然のことだろう。
だが、疑問が投げ掛けられる前に、神宮司智也は説得を進めてしまっていた。
「今回の計画は、転移の失敗からこっち、イレギュラーばっかりだ。なかでも、飯野の存在は極め付きだ。本来なら切り札だったおれたちが、釘付けにされちまった。こいつだけは、ここにいちゃあいけなかった。そういう相手なんだよ」
「それは……」
「ここは退いたほうがいい。なに。『手筈は整っている』んだ。飯野が守っているあいつらは、全部終わったあとに、みんなで力を合わせて片付けりゃあいいだろ?」
「……わかりました」
神宮司智也の説得の言葉に、仮面の女はしぶしぶながら頷いた。
不穏過ぎる会話は、到底、聞き流せる類のものではなかった。
「ま、待って。それって、どういう……」
しかし、飯野優奈が尋ねかけたそのときに、異変は起きたのだ。
「な、なに?」
通路が大きく揺れ動いた。
かなり近いところから、地響きの音が聞こえ始める。
「なにが起きてるの……?」
「だから、終わりだよ」
警戒する飯野優奈に、神宮司智也が答えた。
「『真島のいる区画を封鎖した』んだ。残念だけど、これでもう援軍にはいけねえよ」
「な……!?」
それが、この振動の正体だった。
奇襲を掛けた鐘木幹彦の逃走ルートが作られたときとは逆。
この瞬間、合流の道は閉ざされたのだ。
「おい。神宮司」
飯野優奈が愕然としていると、先程の女とはまた別の仮面の男が割り込んだ。
「必要ないことをあまり喋るべきじゃない」
神宮司智也や仮面の女とは違い、彼は声を低く抑えていた。
とはいえ、作られた声でも、いまは敵対する人物を相手に対する口の軽さを咎める調子は伝わった。
「悪い」
言われて自覚したのか、素直に神宮司智也は謝罪を口にした。
「ただ、飯野には苦しんでほしくなくてな。諦めるなら早いほうがいい」
本気の気遣いがそこにはあった。
「これで檻は閉じられたんだ。あとは、誰より忠実なあいつが終わらせてくれるだろう」
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まだまだ行きます。
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