39. 黒幕
(注意)本日2回目の投稿です。(7/29)
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断末魔の叫びをあげて、霧状の体を持つモンスターが掻き消えていく。
モンスターを撃破した戦闘用ナイフだけが、突き刺さった空間にそのまま浮かんでいた。
当人の存在なしに武器を振るうことのできる、鐘木幹彦の固有能力『エアリアル・ナイト』だった。
霧のモンスターは毒を持っていたが、遠隔攻撃相手ではまったくその真価を発揮することができず、虚しく消えていった。
邪魔者を排除すると、鐘木幹彦は再び移動を開始した。
気を失った真菜は肩に担いだまま。
周囲には、奇襲のあとすぐに合流したオットマーの部下たちが一緒だった。
彼らは無駄口ひとつもなく移動を続けていった。
迷いのない足取りからは、明確な目的地があることがうかがえた。
そうして、またモンスターと遭遇した。
「今度はドラゴンか」
「グルゥルルル……」
小型のドラゴンは羽を広げて、威嚇の声をあげていた。
鐘木幹彦は油断なく身構えた。
しかし、戦端が切って落とされる前に、甲高い悲鳴が通路にこだました。
「……邪魔だ、死んでろ」
うしろから不意打ちに背中に飛び乗って、ドラゴンの眼窩に騎士剣を突き入れた者がいたのだ。
ドラゴンは脳髄を破壊されて、どうと地面に倒れ伏した。
その背中から鐘木幹彦と騎士たちの姿を見下ろしたのは、聖堂騎士の鎧を身に着けた暴力的な雰囲気の男だった。
「よぉ。戻ったみたいだな」
「ああ。これはこれは……エドガールさんじゃないですか」
聖堂騎士団第四部隊の『戦鬼』エドガール=ギヴァルシュが、倒れ伏したドラゴンの体から飛び降りた。
以前、真島孝弘を奇襲した際に酷い怪我を負っていたはずだが、全快したのか自然な動きだった。
鐘木幹彦はただちに戦闘態勢を解いた。
眼鏡をかけた顔に、へらっとした笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます。助かりました」
わかりやすく、へりくだった表情だった。
そんな少年につまらないものを見る目を向けるエドガールのうしろから、数名の騎士が歩み出た。
先頭に立っているのは、平坦な目をした男、オットマーだった。
「おや。オットマーさんまで。リリィさんとガーベラさんを追ってたんじゃ?」
「……あとは任せて戻ってきた」
「ああ。それで」
任せたという言葉の通りに、不気味な剣を持った仮面の男も含めて、リリィとガーベラを追跡していたうち、半分ほどはこの場にいなかった。
「対象眷属たちはまだ逃亡を続けていたが、あれは、協力者に任せておけば十分だ。わたしが一緒に追っていても無意味と判断して、戻ってきた」
語られる理由は明快で、理路整然としていた。
無駄のない行動に、疑問を差し挟む余地はなく――だからこそ、もしもこの光景を見ていたならば、真島孝弘たちは違和感を覚えたかもしれない。
オットマーは、私怨から今回の一件を企てた首謀者だと思われていた。
しかし、彼の行動には、真島孝弘に対する執着心がまるでなかった。
態度や表情は表に出なかっただけという可能性もあるが、行動自体が私怨と無縁となれば、話は変わってくるだろう。
なにを考えているのか。
と、疑問を抱くことができたなら、もうひとつの違和感にも気付けたかもしれない。
それは『鐘木幹彦がここにいる』という事実だ。
真島孝弘殺害を企てた『敵』は、神宮司智也を仲間に引き込んでいた。
ただそれだけなら、恋人を失った彼がまともな判断力を失っていたとも取れるだろう。
だが、『敵』はさらに、鐘木幹彦も尖兵として引き入れていた。
彼は真島孝弘と非常に親しい間柄にある。
まともに面識がない神宮司智也が敵に回るのとは、わけが違った。
そして、極め付きが鐘木幹彦が口にした言葉だった。
彼は『優先順位』と口にした。
彼の優先順位の一番上に誰がいるのか、あえて言うまでもないだろう。
その人物が、いったい、どこにいるのかも。
――ゆえに、ここにひとつの前提が崩れる。
オットマーは、決定的な言葉を口にしたのだ。
「報告を。わたしが、あのお方にお伝えしよう」
彼が首謀者であるなら、出るはずのない言葉だった。
***
「……この場所が、魔法でできた異界ですか?」
と、シランは戸惑いを隠せないままに尋ねた。
彼女もまた、この場所の真実を明かされていた。
「どういうことでしょうか」
それを彼女に伝えたのは、ゴードンだった。
彼は一瞬、苦しみに堪えかねたかのように視線を逸らした。
けれど、彼自身の誠実さが、ここで黙り込むことを許さなかった。
「そうした魔法道具があるのです。いえ。わたしも実際に見たことはなかったのですが……少なくとも、このような使途が不明な建造物を、わたしは知りません。部下たちもそうでしょう。移動するうちに、異常に広い構造についても明らかになりました。そこで気付いたのです」
「この場所が異界だということに、ですか?」
「ええ。この広大な通路は、現実には存在しておらんのです。別の世界というのは、そういうことです」
「魔法道具……」
信じられない想いでシランは呻いたが、同時に思い出したものもあった。
仲間である『霧の仮宿』サルビアの『霧の異界』だった。
数日間のこととはいえ、あれは確かに別の世界を作り出していた。
同じようなものだと思えば――規模の異常さに目を瞑れば――受け入れることもできなくはない。
とはいえ、疑問は残った。
「だとすれば、ここにいるモンスターはどうなるのですか。外から持ち込まれたということでしょうか」
可能性を挙げてみるが、しっくりとはこなかった。
「いえ。この場所にはそれなりの数のモンスターがいます。外から持ち込むなんてあまりにも大変過ぎますし、多大な危険を伴うでしょう。そんなことは……」
「ええ。違います」
ゴードンはシランの意見を肯定した。
もっとも、そうして彼が伝えた真実は『霧の仮宿』を知っているシランでさえ信じがたいものだった。
「あれらのモンスターもまた、魔法道具によって創られたものなのです」
「モンスターを、創り出した……?」
シランは唖然として目を見開いた。
魔法道具でひとつの異界を創り出したように。
そこに住まうモンスターをも創り出したのだと言うのだ。
「ここにいるモンスターは、恐らく、わたしたちがこの場に転移してくる前に生み出されたものでしょう」
にわかには受け入れがたい話ではあったが、ゴードンの表情に冗談の色はかけらもなかった。
そして、シランも彼の話を聞いて、ふと思い当たることがあった。
「……まさか、自分たちが倒したもの以外、モンスターの死骸が見付からなかったのはそのためだというのですか」
別の場所で加藤真菜も言及していた疑問点に、人生の大半をモンスター討伐に費やしてきた彼女は、早い段階で気付いていた。
この場所のモンスターが、この異界に生み出されて間もなかったというのなら、これまでの生活の痕跡がないことも頷けた。
サルビアの『霧の異界』が対象の望みを現実化させ、認識を幻惑する場所であったように、この場所にはモンスターを生み出す力があるというのだ。
「そんなことが……」
この時点で、呑み込むのが難しいくらいに、知らされた事実は大きかった。
けれど、シランは停止しそうになる思考を無理矢理に動かした。
そうしなければならない理由があったからだ。
「ゴードン様。お尋ねさせてください。どうしてあなたは、それを黙っていらしたのですか?」
シランが問い質すまで、ゴードンは気付いた事実について語らなかった。
あえてそうする理由があったということだった。
「いまもどうして、そのように苦しげにしていらっしゃるのですか」
明らかに、ゴードンは自身が気付いてしまった事実に関して負担を覚えている様子でいた。
彼を苦しめる事実が、そこにあるということだった。
「まだ話していらっしゃらないことがあるのではありませんか。そう。たとえば……『この場所に出てくるモンスターがなぜか孝弘殿の眷属と同じ種類のものばかり』であることとか」
スライム、パペット、アラクネ、食人蔓、妖狐、ゾンビ、毒の霧、ドラゴン。
明確に違っているが、どこかの誰かを思わせるモンスターたち。
シランが遭遇したのはこのなかの一部だったが、それでも薄々変だとは思っていた。
こうなっては、そこに意味があるのではないかと思わずにはいられなかったのだ。
「ゴードン様」
名前を呼ぶと、ゴードンは観念したように瞑目した。
あるいは、それは自分でも受け入れがたい事実を認める仕草でもあったのかもしれない。
真一文字に引き結ばれていた唇が開いた。
「……異世界を構築できるこの魔法道具は、モンスターを創生することができます。しかし、それは主に、帝都の人間の恐れを反映したものになるのです」
「帝都の……?」
奇妙な条件に、シランは眉を顰めた。
けれど、ここでゴードンが嘘を付く理由もないし、そんな人物でもなかった。
それに、その条件はどことなく『霧の異界』の性質と通じるものがあるようにも感じられた。
あれは『迷い込んだ者の望みを実現する』ものであり、こちらは『帝都の人間の恐れを反映したモンスターを現実化する』わけだ。
ひょっとすると、異界には共通して、そのような性質があるのかもしれなかった。
そして、その話が事実なのだとしたら、生み出されたモンスターの種類が馴染みのあるものになるのも納得できた。
「これが別の機会であれば『魔軍の王』の配下のモンスターと同種が生み出されることもあったのかもしれませんが、いまは帝都に真島様が訪れております。和平会談のために訪れていると知ってはいても、大なり小なり不安を覚えている者が多くいるはずです」
「それが色濃く反映された、と?」
「ええ。生み出されたモンスターの能力や見た目が、元とは似ても似つかないものなのは、実際の姿を知らないからでしょうな」
「……」
ゴードンの語った話は、納得のいくものだった。
だが、同時に、シランは背筋に冷たいものを感じていた。
やはり、ゴードンは知っていた。
このように奇妙な性質についてさえ、熟知していた。
その時点でシランは、なぜゴードンが話すことをここまで躊躇したのか、ほぼ確信できていた。
……できてしまっていた。
目眩のような感覚を覚えて、ふらりとシランは後退った。
実際のところ、ゴードンから異界の話を聞かされた時点で、薄々勘付いてはいたのだった。
敵はオットマーたち元聖堂騎士と、せいぜいトラヴィスの部下くらいで、『万能の器』岡崎琢磨が最大の脅威であるはずだった。
しかし、だとすると、この場所はあまりに特異に過ぎた。
異界を構築するなんて出鱈目過ぎる。
それも、規模はあの『霧の仮宿』さえも上回っているというのだ。
そんな出鱈目を可能にする奇跡の魔法道具を、元聖堂騎士程度が所有しているなんて考えられない。
なによりシランは『異界を創り出す魔法道具とその所在に心当たりがあった』のだ。
そして、その最悪の推測は的中する。
ゴードンが重い口を開いた。
「異界を創り出す、あまりにも特異なこの魔法道具は、はるか昔から受け継がれ、厳重に秘匿されてきました。ごく一部の者しか、存在は知りません。その名を――」
鉛でも呑み込んだような声で告げる。
「――『世界の礎石』。聖堂教会が管理する魔法道具です」
***
魔法道具『世界の礎石』。
それは、竜淵の里を隠していた『霧の結界』の維持のため、使われていた魔法道具の名前だった。
本来は『霧の仮宿』固有のものである異界を、限定的ではあるものの固定する力を持つその魔法道具の来歴は、以前にサルビアの口から語られていた。
――『世界の礎石』ね。あれは、遠い昔に古い知人からもらったの。聖堂教会が抱え込んでいる魔法道具で、帝都には、同じものがいくつかあるらしいのだけれど……いったいどうやったのか、拝借してきたと言っていたわね。
どのような手段を用いたのかは不明だが、サルビアのもとに運び込まれた『世界の礎石』はふたつ。
ひとつは『霧の結界』の維持に、もうひとつは『探し人』であるサディアスが所有していた。
当然だが、持ち出されなかった残りは、まだ聖堂教会に保管されていることになる。
今回使われていたのは、そのうちのひとつだった。
そうして構築された異界の中心に、幹彦から話を聞いたオットマーは訪れていた。
祭壇を備えた、大部屋だった。
そこには、ふたつの集団が待機していた。
一方の集団は、三十人ほどで構成されていた。
騎士の鎧を身に付けており、いずれも隙がなく、手練れであることがうかがえた。
しかし同時に、この世界の精鋭の代名詞たる騎士たちがごく自然と纏っている、自信や自負といったものは感じられなかった。
男たちは揃って平坦な目をしており、覇気というものと無縁だった。
奇妙なことに、そうした雰囲気はオットマーと共通したものだった。
それに対して、もう一方の集団は二十名ほどで構成されていた。
こちらは、聖堂騎士の装いをしていた。
オットマーのような、元聖堂騎士ではない。
精鋭中の精鋭たる第一部隊。
約六百名いるうちのごく一部ではあるものの、真正の聖堂騎士だ。
率いているのは、彼しかありえなかった。
「……戻ったか」
聖堂騎士団団長ハリスン=アディントン。
騎士のなかの騎士と謳われる人物が、オットマーを迎えていた。
ありえないはずのことだった。
いまの聖堂教会にとって、真島孝弘と敵対するデメリットがあまりに大き過ぎることは、何度となく検討されたことだ。
それがわからないような相手ではない。
加えて、彼らは自身の職務に忠実であり、十分に誠実だった。
そのはずだったのだ。
……しかし、事実は事実だった。
たとえ、どれだけ受け入れがたいものであろうとも。
――探索隊の『万能の器』岡崎琢磨を唆し、必殺の状況を作り上げて、強制転移を仕掛けた。
――それが失敗すれば、オットマーに追撃を命じた。
――怪物と化したトラヴィスを解き放ち、協力者である『竜人』に助力を取り付けた。
――そして、幹彦に奇襲を命じた。
なにもかもが、この場にいる者たちの手によるものだった。
しかし、それらの行為に手を染めておきながら、ハリスンという男から受ける印象には、なにひとつとして変化はなかった。
驕らず高ぶらず、己の使命を見失うことなく、常に泰然としてかまえる騎士の鑑。
そのように見えた。
あるいは、その揺るぎなさこそが、もっとも恐るべきことなのかもしれない。
「報告を」
「はっ」
オットマーは一礼すると、幹彦からの報告を主に伝え始めた。
◆さらに更新します。次も一時間後です。
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