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38. 手痛い裏切り

前話のあらすじ



飯野優奈と神宮司智也。ふたりの道は分かたれる。

その頃、真島孝弘は親友のナイフを己の血に濡らして……


   38



「……え?」


 小さくあがった驚きの声は、果たして誰のものだっただろうか。


 それすら咄嗟にわからないほどに、衝撃は大きく心を打ちのめしていた。


 思考の空白があった。

 多分、それは意識が現実を拒絶したために生まれた虚無だ。


 気付けば、脇腹に堪えがたい灼熱感があった。

 生理的な反応が顔を歪ませてからやっと、それが激痛の表れであることに気付いた。


「……ぁ、ぐ」


 鋭い刃が、脇腹に侵入していた。

 苦痛が息を詰まらせて、一瞬で全身から冷や汗が噴き出した。


 けれど、その一方で、意識は自分の身に起こっている現実を、どこか遠い出来事のように感じていた。


 あまりにも、この状況は想像の埒外にあったからだ。

 現実に起こっていることとは、到底思えないくらいに。


「幹、彦……?」


 震える唇が、目の前にいる親友の名前を紡いだ。


 見下ろす態勢になっているのは、幹彦が前傾になっているからだ。

 不自然に近い距離は、不意打ちに詰められたものだった。

 五本の指が強く、ナイフの柄を握り締めているのが見えた。


 そこまで認識して、ようやく脳味噌が目の前の受け入れがたい現実を咀嚼した。


 すなわち、笑顔の挨拶から凶行に転じた幹彦が、自分の脇腹に戦闘用ナイフを突き立てているのだと。


 前傾になった姿勢は、ナイフを突き出すためのものだった。

 下から覗き込むようにして、へらっと軽薄な笑みが向けられた。


「駄目だよ、孝弘。油断したらさぁ」


 ふざけ半分に窘める陽気な口調は、間違いなく親友である少年のものだった。


 ただ、その行為だけが残酷なまでに違っていた。


「幹彦、どうして……」


 呼び掛ける声が、苦痛で掠れた。


 ナイフを握る幹彦の手は、刺された直後にどうにか抑え込んでいた。

 体に染みついた無意識の防御反応が働いてくれていたのだ。


 けれど、ことが起こってからでは対応にも限界があった。

 鼓動とともに、熱くぬめる血液が手を濡らしていった。


「い……いやああぁああ!?」


 流血を目の当たりにした加藤さんが、悲鳴をあげた。


 同時に、状況が動いた。


「ドーラ! 先輩を!」

「なにをしている、貴様ァ!」


 らしくもなく狼狽した様子で工藤が叫び、それより前に動き出していたドーラが影絵の剣を振りかざして走ってきた。


 だが、この状況は想定していたらしい。

 幹彦は冷静に対応した。


「おっと、危ない」


 ドーラに斬りかかられる直前に、おれを盾にするように位置を入れ替える。

 その体捌きは、ついこの間、お互いの努力を認め合った日と同じ、鍛錬に裏打ちされた巧みなものだった。


「ほらよっと」

「ぐっ」


 腹を蹴り飛ばされて、ドーラに受けとめられた。


 その拍子に脇腹からナイフが抜けて、ますます勢いよく血が噴き出した。

 血の気が失せた体からは急速に力が抜けていく。


 おれは脇腹を押さえて出血をとめたが、視界はすでに暗くなりつつあった。


「ドーラ、先輩を確保しなさい!」

「承知しました!」


 工藤とドーラがおれの身の安全を確保する方向で動いたのは、妥当な判断だっただろう。


 ただ、幹彦の狙いは、最初から別にあった。


「ひっ!?」


 少女の悲鳴を聞いて、おれは総毛立った。


「しまっ……!?」


 気付いたときにはもう遅いし、そもそも、まともに体が動かなかった。


 それでも、苦痛に堪えながらどうにか顔を上げた。


 そこに、最悪の光景があった。


「加藤さん……」


 気を失った少女が、幹彦の肩に担ぎ上げられていた。


「こっちはひとりで、この状況だかんね。まともにやり合うつもりはないよ」

「幹彦……」


 加藤さんの首元に、幹彦がナイフの刃を押し付けていた。

 その光景は、おれにとっては自分の脇腹をナイフで刺されるよりずっと強く、この状況の残酷さを突きつけた。


「悪いけど、このまま逃げさせてもらうよ」

「……逃がすと思いますか」


 工藤が静かに言葉を返した。


 その問いかけには恫喝の響きさえあったが、幹彦はしたたかだった。


「ああ。思ってるよ。確かに、お前はこの子のことをなんとも思ってないのかもしれない。けど、孝弘はそうじゃない。孝弘がそうじゃないなら、お前は動けないだろ?」

「小賢しいことを……」


 工藤は舌打ちをしたが、動くことはなかった。


 加藤さんを巻き込むかたちで攻撃を仕掛ける様子がないのは安心したが、これで状況を変える手段はなくなったのも事実だった。


「幹彦……」


 おれは途切れそうになる意識を繋ぎながら、無理矢理に口を開いた。


「加藤さんを放せ」

「いやいや。無理だって。そんなことしたら、おれ、あのおっかないのに殺されちゃうし」


 ドーラを目で示して、幹彦はわざとらしく震えてみせた。


「それ、死ねってことだぜ? まあ、そう言われてもしゃーないとこはあるけどさ」

「……そういう話をしてるんじゃない。そもそも、どうしてお前が敵対するんだ。なにがあった」

「特になにも。敵になったってだけさ。だから、加藤さんも渡せない」


 のらりくらりと、こちらの言葉はやり過ごされる。


「ぐ……」


 問い詰めるべきことはいくつもあった。


 なのに、どうしようもなく脳に血が足りていなかった。

 ともすれば途切れそうな意識を繋げながらでは、思考がうまく働かない。


 おれはただ、幹彦の言葉を聞くことしかできなかった。


「そう不思議なことじゃないだろ? 孝弘には、この場所から脱出する手段はない。無理なんだよ。お前はもう、終わりなんだ。それでも味方に付くなんて、馬鹿のすることだとは思わない?」

「幹彦……」

「ああ、つまり、なにが言いたいかっていうとね、優先順位ってやつだよ。これは、最近できた協力者……協力者の協力者かな? の言葉だけどね。おれってば、あいつのことは気に喰わないんだけどさ、その言葉だけは正しいと思う」

「……優先順位?」

「うん。優先順位。だからさ、仕方のないことなんだよ」


 諦めたようなことを言う。


 なにがあったのかはわからないが「仕方のないこと」の一言で、おれを刺したのか――と、普通なら思うところだっただろう。


 けれど。


 けれど、おれはそう思うより前に――


「幹彦。お前は……」


 ――尋ねたいことはあった。


 けれど、そうすることは許されなかった。


 その前に、異変が起きたからだ。


「これは……!?」


 唐突に、通路の床が大きく上下した。


 相当頑丈そうに見える通路が、大きく縦揺れする。


「このタイミングで、地震ですか……? いや、これは……」

「王よ! もっと近くへ! 魔力の気配がいたします!」


 あまりにもタイミングの良い出来事に、工藤とドーラは尋常な出来事ではないとすぐに察して身構えた。


 その反応は当然のことで――幹彦とおれが違っていたのは『知っていた』からだった。


 幹彦は即座に踵を返し、おれは口を開いて言葉を絞り出した。


「ち……違う! これは攻撃じゃない……!」

「なに?」


 ドーラが怪訝そうな声をあげたときには、幹彦は通路の壁に辿り着こうとしていた。


 なにもない場所。

 と見えたのも、つかの間、耳障りな音を立てて、壁がふたつに分かれ始めた。


「なんだと……!?」


 ドーラが呆気に取られたのも当然だろう。


 頑強に思われた通路の構造が、変わっていくのだ。

 あっという間に、そこには新しい道ができていた。


 躊躇いなく、幹彦は通路に身を躍らせた。


 気を失った加藤さんを担いだままに。


「待て、幹彦……!」

「お、おい!」


 すさまじい焦燥に突き動かされて、おれはドーラの手から離れて幹彦を追おうとした。


 けれど、一歩踏み出した足は、体重を支えきれずに呆気なく崩れた。

 激痛が脊髄を駆け上がってきて、全身に指示を与える神経の働きを寸断していく。


「お前! 自分の怪我の状態がわかってるのか!?」


 膝を突いたおれの肩を、ドーラが掴んでくる。


 もちろん、そんなことはわかっていた。


「追わないと……!」


 無理を言っているのなんて、承知のうえだった。

 それでも、居ても立ってもいられなかった。


「いまなら、いまならまだ、手が届くんだ……!」

「お、お前は……」


 迷うように、ドーラが瞳を揺らした。


 その直後、彼女に向けて白刃が煌めいた。


「うっ!?」


 鋭い刺突の一撃だった。


 歴戦のドーラが虚を突かれたのは、それが誰もいないはずの場所からの攻撃だったからだ。


「この!」


 危ういところで、ドーラは反応した。


 片手を剣に変えて弾き返し、瞠目する。


「な、なんだ、これは……?」


 ドーラが凝視する先には、槍があった。

 先程、トラヴィスの頭部を貫通してとどめを刺したものだった。


 透明な誰かがかまえているかのように、槍は宙に浮かんでいた。


 それと似たような光景を、おれは以前に見たことがあった。


「『エアリアル・ナイト』! 幹彦の固有能力か!」


 自分の武器を手に触れずとも扱える、念動力にも似た力だ。


 連続する刺突が繰り出される。


「鬱陶しい……!」


 その一撃一撃を、的確にドーラは弾き返した。


 危うげのない攻防だった。

 ただ、この場面では幹彦の思惑を超えられていなかった。


「……足留めを喰らいましたか」


 工藤がつぶやき、後背の羽を輝かせた。


「どきなさい、ドーラ。潰します」


 凍った声で告げると、これまでは加藤さんを人質に取られていたために使えなかった魔法を放つ。


 ドーラが飛び退った直後、浮遊する槍は風のハンマーでへし折られた。


 武器を破壊してしまえば、さすがに能力は持続しないらしい。

 折れた槍は地面に落ちた。


 しかし、そのときには、チャンスはとっくに過ぎ去っていたのだった。


   ***


「くそ……」


 幹彦の消えた通路を見詰めながら、おれは血に濡れた拳を握り締めた。


 追い掛けるのなら、すぐでなければならなかった。

 いまからでは、追い付くにしても時間がかかるだろう。


 この怪我では、たとえドーラに抱えてもらったところで、長時間の追跡には堪えられない。


 手は届かなかった。


 そう認識した途端、我慢が利かなくなった。


「う、ぐ……」


 膝立ちでいることすらできなくなり、通路の床に手を突いた。


 掌の下で、床が揺れていた。


「お、おい。大丈夫か」


 ドーラが声を掛けてくる間も、振動は続いている。


 遠くから低い音が届いた。


 先程と同じように通路が変化しているのだろうと察することができた。


「ドーラ。先輩に、すぐに応急処置を。ぼくは片腕が使えませんから……」


 指示を出しながら、工藤が歩み寄ってきた。


 鋭くなった目元には、いまだに続く振動に対する警戒の色が強く現れていた。


「それにしても、これはいったい、なにが起こって……?」

「……魔法道具だ」


 即座に答えた。

 そうすることが、おれにはできたのだ。


「魔法道具、ですか?」


 返答があるとは思っていなかったのか、工藤は困惑気味だった。


「それは確かに、先程の魔力の発動を鑑みるに、そう考えるのが自然ではありますが……とすると、この場所は魔法道具を大量に仕込んである、なんらかの施設だということですか? 先程の隠し通路なども、その類だったと?」

「違う」


 これは、否定した。


「この場所に、魔法道具が仕込まれているわけじゃない」

「……先輩?」


 工藤の呼び掛けには、当惑がありありと表れていた。


 ひょっとすると、おれが錯乱していると思ったのかもしれない。

 気遣わしげな視線を向けられた。


 そう思われてもおかしくない状況ではあった。


 だが、おれは首を横に振った。


「大丈夫だ。正気を失っているわけじゃない。そうではなくて……おれは、サルビアが突きとめてくれた、この場所の正体を知っているんだ」

「この場所の、正体……?」


 それは、ある種の偶然だった。


 あくまでサルビアは、契約者であるおれの魔法を展開させられないかどうかを調べていただけだった。


 そして、その試みは成功した。


 それなりに時間はかかったものの、彼女は原因を突きとめることに成功したのだ。

 結果、ひどく困惑する羽目になった。


 なぜなら、魔法が発動しなかった原因は――『相互干渉』によるものだったからだ。


 ひとつの場所で同種の魔法が発動していることで、魔法同士が干渉し合っていたのだ。


 そうと知った彼女は、契約でおれに分け与えた魔法の性質を少し変化させることで、干渉を避けて魔法が発動できるようにして――それ自体、悠久のときをさすらう『霧の仮宿』の妙技ではあったのだが――それは同時に、ひとつの事実を明らかにした。


 それは『この場所と干渉したのが、魔法『霧の仮宿』のどのような一面であったのか』ということだった。


 言い換えれば『どんな魔法がこの場所で展開され続けているのか』ということでもある。


 サルビアは最初、それをなにかの間違いかと思ったらしい。


 ありえない、と。


 なぜなら干渉していたのは、彼女の『本質』とも言える部分だったからだ。


 けれど、どう確認しても答えは変わらなかった。

 この場所では常に、魔法そのものの存在である『霧の仮宿』サルビアと、同種の魔法が展開されているのだと……。


 だから、おれもさっきの工藤の言葉を否定したのだった。


 すなわち、この場所に魔法道具が仕込まれているわけではなくて――


「――この場所そのものが、魔法道具によって作られたものなんだ。ここは、一種の異界なんだよ」

◆ここまでは一気に読んでもらいたい……というのがあって書き溜めていたのですが、

ようやく辿り着きました。


連続更新です。次は、一時間後になります。


また、一気に読みたいというかたは、午後1時くらいには連続更新が終わっていると思いますので、そこでご覧ください。では。

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