34. 行き遭った残骸
(注意)本日3回目の投稿です。(5/26)
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「王よ。お気をつけください。何者かが倒れております」
ドーラの警告によって、おれたちは足をとめた。
目を細めて通路の先を見てみると、ぼんやりとした壁面からの明かりのなかに、なにかが落ちているのが見えた。
まだ少し距離があるので、おれの視力では黒い塊にしか見えない。
「あれは人……なのか?」
「そうだ」
ドーラにはこの光量と距離でも見えているらしい。
「多分男だな。俯せになっているからはっきりとは言えないが」
そういうと、彼女は工藤のほうに向き直った。
「王よ。いかがいたしましょうか」
「……怪しいですね」
工藤は目を細めた。
「なにかの罠という可能性もある。ドーラ、あなたが様子を見てきなさい」
「あ。いや。工藤。それはこっちでやろう」
おれがとめると、工藤は怪訝そうな顔をした。
「先輩? かまいませんが、なにか考えでも?」
「ああ。ここは慎重にいくほうがいいだろう」
おれは一度加藤さんを降ろすと、左腕を伸ばした。
「見てきてくれ、アサリナ」
「サーマッ!」
左手の甲からアサリナが伸びていく。
「なるほど、彼女であれば、攻撃を受けたところでダメージはないというわけですか」
工藤が感心したような声をあげた。
「便利ですね」
「助けてもらいっぱなしだよ」
「ですが、彼女が行っても詳しい報告を伝えることができないのではありませんか?」
「大丈夫だ。アサリナの場合、おれとある程度、感覚も共有してるからな。意図も大体伝わる」
「本当に便利ですね」
話している間に、アサリナは人影を引っ繰り返していた。
それから少し周りを見て回って、アサリナは戻ってきた。
「サーマー」
「……うん。危険はなさそうだ。ただ、念のために警戒はしておいてくれ」
「ふん。貴様に言われるまでもない」
ドーラが両手を剣に変えた。
むすっとしているのは、出番を取られたとでも思ったからかもしれない。
黒い目がこちらに向けられた。
「それで、あれは生きているのか」
「……いや。死んでいるみたいだ」
「死体か。ならば突然攻撃される危険性はないな」
人が死んでいるという事実には特になにも感じた様子もなく、ドーラが先頭に立って歩き出した。
おれはアサリナをしまうと、加藤さんを横抱きにし直してから、そのあとを追った。
隣を歩く工藤が声をかけてくる。
「一応、訊いておきますが、あの死体、先輩の眷属のものではないのですよね」
「違う。それなら事前にパスでわかるからな」
「そうですか。とすれば、何者でしょうか」
工藤は思案する様子を見せた。
「ぼくのように巻き込まれた誰か、という線はあるかもしれませんね。警護の騎士が巻き込まれていたというのはありそうです。あるいは、先輩の眷属が倒した敵という可能性もありますが。ああいや。今回の件にはまったく関係なく、この場所にかつて迷い込んだ人間ということもありえますか」
「そんなところだろうな。なんにしろ、確認すればわかることもあるだろう」
やりとりをしつつ、おれたちは歩を進める。
そのとき、不意に「あ」という加藤さんの小さな声が耳に届いた。
抱えているおれにしか聞こえないような小さな声だ。
なにかに気付いたような響きがあった。
少し気になったが、そのときには先頭のドーラが人影のもとに辿り着いていた。
「……これは」
工藤のつぶやきが耳に届いた。
そこには、かすかな驚きが含まれていた。
おれもまた、一瞬逸れた注意を前方に向け直した。
そして、目の当たりにした光景に硬直した。
腕のなかの加藤さんも、同じものを見て体を強張らせるのがわかった。
なにせそこに転がっていたのは……。
「ほう。これは予想外でしたね」
死体に歩み寄った工藤がしゃがみ込み、興味深そうな口調で言った。
その死体は、大量の血液と臓物をぶちまけて転がっていた。
死んでから少し時間が経っているのか、血なまぐささはあるものの、血液自体は凝固して黒くなっている。
仰向けになった顔は、恐怖と怒りに大きく醜く歪んでいた。
怖気の走る形相だったが、工藤がうすら笑いを崩すことはなかった。
これくらいでは、魔王の心にさざ波ひとつ立てることはできないのだろう。
血液に触れて、その凝固具合を調べつつ工藤は言った。
「驚きました。まさか『ぼくたちと同じ転移者』とは」
そう。
転がっていた死体は、転移者のものだったのだ。
ただ、おれを驚かせたのは、それだけではなかった。
「ひょっとして、お知り合いですか?」
なにか感じたのか、工藤がこちらを振り返った。
「……ああ」
一瞬、返す言葉が遅れたのは、ただ困惑していたからだけではなく、どういった感情を抱けばいいのかわからなかったからだ。
だが、いつまでも戸惑ってばかりもいられない。
おれは溜め息とともに、胸のなかの複雑な想いを吐き捨てた。
「……こいつは、岡崎琢磨だよ」
「岡崎?」
さすがの工藤の表情も、驚きに染まった。
「ではこれが『万能の器』だというんですか?」
「そうだ」
信じられないことだが、目の前の現実を否定することはできない。
今回の事件を引き起こした元凶。
おれたちを転移でこの場に連れてきた岡崎は、無残な死体になって通路に転がっていたのだった。
「だけど、これはどういうことだ」
最大の警戒を向けるべき相手として考えていただけに、湧き上がる困惑は大きかった。
敵が減ったことは安心材料のはずなのに、気持ち悪さのほうが先に立ってしまう。
「どうしてこいつが、ここで死んでいる……?」
「ローズさんたちが戦ったということはありませんか」
加藤さんが問い掛けてきたので、おれは首を横に振った。
「絶対にないとは言い切れないが、多分、まだここまでは来てないよ」
「だとすれば、協力者との間になにかトラブルでもあったとか」
続けて次の可能性が提示される。
おれは軽く眉を寄せた。
「それは……ないとは言えないな」
岡崎の性格を考えれば、ありえないことではなかった。
とはいえ、せっかくの協力者を殺してしまうというのも違和感がある。
それだけのことがあったのかもしれないが……。
「もっと単純なことかもしれませんよ」
と、おれが考えていたところで、工藤が口を挟んだ。
「不用意に『妖精の輪』を使ったために、恐らく『万能の器』は弱体化していたはずです。おまけに、ぼくたちと同じように、岡崎自身も目的地以外の場所に放り出されていたとしたらどうでしょうか?」
工藤は肩をすくめた。
「周りに仲間はおらず、自分は戦える状態ではない。とすれば、この場所はあまりに都合が悪いんじゃありませんか」
「……まさか」
なにが言いたいのかはすぐわかった。
おれが頬を引き攣らせると、工藤は頷いた。
「岡崎琢磨は戦えないほどに弱体化してしまい、ここのモンスターにやられたのではありませんか」
「それは……」
絶句する。
墓穴というか、自業自得というべきか。
ただ、十分にありうる展開ではあった。
「いや。それにしても、モンスターと戦えないほどとは……」
「チート持ちでも、下手に単独でモンスターの大群と戦えば死にます。そんな人間を、ぼくは何人も見てきましたよ」
説得力があることを言って、工藤は岡崎の遺体にぞんざいに手をかけた。
「なんにしても、もう少し調べてみましょう。なにかわかるかもしれません」
無造作に服を剥ぎ始める。
遺体に対して気遣いのかけらもないが、工藤にそんなことを言ってもどうしようもないだろう。
それに、検死は必要なことだった。
そう思っておれは見守ることに決めたが、思わぬところから工藤の行動に待ったがかかった。
「……王よ。お待ちください」
ドーラが声をあげたのだ。
最初、おれは彼女が行為を咎めたのかと思った。
だが、違った。
彼女の目は通路の先を見据えて、すでに両腕は影絵の剣に変わっていたからだ。
「なにかが来ます」
ここまで来る間にも、何度か聞いた警告だった。
考えてみれば、ここに岡崎の遺体が転がっていた以上、それを為した何者かが――それが人にせよ、モンスターにせよ、まだ近くにいる可能性はあった。
だから、ここでドーラが敵の接近を察知することは、おかしいことではなかった。
ただ、今度ばかりは少し状況が違っていた。
ドーラの声には、これまでなかった警戒の色があったのだ。
表情はひどく険しく、張り詰めていた。
なにが彼女をそうさせたのか。
疑問の答えはすぐに得られた。
「……なんだ、あれは」
通路をこちらに向かってくる影があったのだ。
大きい。
高い通路の天井をまるめた背中がこすっていた。
体躯は肥え過ぎた豚のように、ぱんぱんに膨れている。
そんな肉塊めいた巨体が、何本もの針金のような脚によって支えられていた。
生理的嫌悪感を覚えて、鳥肌が立った。
まだシルエットを見ただけだが、それだけでも吐き気を催すような異質感があった。
あれは違う。
なにか外れているモノだ。
この場の全員が同じものを感じていたはずだ。
その点、ドーラは果断だった。
「……参ります」
恐れで動きをとめることなく、彼女はこれまで通りに動いた。
すなわち、高い近接戦闘能力を持つ彼女がまず斬り込んだのだ。
その間に工藤が魔法を準備し、おれが後衛の防御に回る。
もっとも、最初にドーラが攻撃を仕掛けた時点で終わってしまうことも多かった。
だが、今回ばかりはそうはいかなかった。
「んなっ!?」
通路を駆け抜け、反応すらできていないものと思われる巨体にドーラが切り付けた――その瞬間に、長い腕の一本が薙ぎ払われたのだ。
「おご……っ!」
巨体からは思いもよらないスピードの攻撃が、ドーラの体を弾き飛ばした。
速度自体は反応できるレベルだったのかもしれないが、予備動作がまったくない、非生物じみた気持ち悪い動きだった。
ドーラの体が叩き付けられた壁が崩れる。
そうして邪魔者をどけておいて、敵はさらにこちらに歩を進めた。
「……ぁ、アァ」
鳴き声、だろうか。
ぞっと背筋が粟立ったのは、それが人の呻き声のようにも聞こえたからだ。
だが、まさかそんな。
そんなことがありえるはずが。
「ま……ぃ、ろぉ……」
恨みがましいような響き。
人の目でも姿が確認できるところまで、その巨体が近付く。
「じ……まぁ……」
唖然として、おれは怪物を見上げた。
そこに、巨体に比べると滑稽に感じられるくらいに小さな頭部が付いていた。
――人間の頭部が。
振り乱された金髪は、ひどく汚れている。
本来なら端正だった顔立ちは、憎悪に歪みきってしまった結果、人の領域を外れていた。
横断する深い裂傷によって両目を潰されているのが、いっそう無残だった。
「まじ……まぁ……」
声は――それがもう人の声であることは疑いようがなく――その頭部が発しているものだった。
喉奥に感じる吐き気は、もはや堪えがたいほどだった。
「まさかお前は」
ありえない。
あってはならない。
だが、その顔はまさしく――
「――トラヴィス=モーティマー!?」
「まじまぁ……ああぁ、あぁああああああ!」
かつての聖堂騎士団第四部隊を率いる隊長だった男が、変わり切った姿で咆哮をあげた。
◆本日の更新はここまでになります。
因縁の男が不死鳥のごとく再登場いたしました。次回をお楽しみに!
また、コミカライズ版8話が更新されています。↓
後半のガーベラが可愛いのでぜひ見ていただきたいです。






