11. 帝都への旅路
前話のあらすじ
デバガメ少女は探索隊の二つ名持ち!
11
「初めまして! わたしは、御手洗葵。探索隊では『剛腕白雪』とか呼ばれてます。どうぞよろしく!」
にっこりと笑顔の少女が、おどけた仕草で敬礼をしてみせる。
明るい性格の女の子らしい。
小さな体に元気いっぱいといった雰囲気だった。
「あ、葵ちゃん? 本当に……?」
抱き着かれた加藤さんが、驚きに満ちた声をあげた。
目を丸くして、頬を擦り付けんばかりにする少女の顔を見返している。
「どうしてここにいるんですか?」
「そんなの決まってるじゃん。真菜ちゃんに会いに来たんだよ!」
御手洗さんは元気よく答えると、きゃーっとかしましい歓声をあげた。
加藤さんに抱き着いたまま、その場でぴょんぴょん飛び跳ねている。
嬉しいのはよく伝わってくるが、それ以外がいまひとつ要領を得ない。
おれが改めて視線を向けると、飯野が説明をしてくれた。
「転移前から、葵ちゃんは加藤さんと仲の良い友人同士だったらしくてね。わたしは前に、加藤さんがアケルにいることを葵ちゃんに伝えていたんだけど、それからずっと気にかけていたのよ」
「ということっす!」
ようやく興奮が収まってきたのか、こちらのやりとりに反応して、御手洗さんが手を挙げる。
もう一方の手は、加藤さんの手を握ったままだった。
「ずっと気にしてたんですけど、アケルは遠いですし、なかなか来れなかったんですよね。そんなときに、世界中を駆け回ってた優奈先輩が戻ってきたっす」
「真島とマクロ―リン辺境伯軍との間にあった争いについて、探索隊に情報を持って帰ったときのことね」
飯野が捕捉する。
「わたしが真島の件について報告して、リーダーが辺境伯に抗議することを決めて……葵ちゃんはその判断に誰より強く賛成したひとりだったのよ。それで、今回もね」
「無理を言って、連れてきてもらったっす!」
「無理を言われて、連れてきたよ」
移動を『妖精の輪』の力で請け負っている島津さんが、深々と溜め息をついた。
「負担が増えるっていうのに。まったくもう」
そんなことを言いつつも、連れてきてあげているあたり、仲は良いのだろう。
……正直なところ、予定になかった人員はあまり好ましいものではないが、あくまで善意の協力者である島津さんに、あまり強いことは言えない。
まあ、加藤さんの知人ということでもあるし、細かい文句を付けることもないだろう。
状況は理解できた。
となれば、次は、本来の予定を済ませなければならない。
おれは飯野と島津さんとに頼んで、彼女たちが帝都から持ち帰った話を聞かせてもらうことにした。
もっとも、状況が捗々しくないのなら、飯野たちは相応の言動なり態度なりを見せているはずだ。
そう悪いことにはなっていないのは予想できた。
立ち話もなんなので、おれたちは部屋に移って、ゆっくりと話を聞くことにした。
移動している間、御手洗さんはずっと加藤さんに楽しげに話しかけていた。
久しぶりに会えた友人との会話に、はしゃいでいる様子だった。
加藤さんのほうも、当初は面食らっていたものの、いまは嬉しそうな顔を見せていた。
おれとしても、そうした姿が見られるのは嬉しいことだった。
仲間だからというのが、そう感じる理由のすべてではないことは自覚していた。
探索隊との合流に関しては考えるべきことも多いが、こうして親しい友人と再会できることは、手放しで良い出来事と言えるだろう。
もっとも、これはおれ自身にも言えることでもある。
ふと脳裏に、眼鏡をかけた親友の姿が浮かんだ。
鐘木幹彦。
セラッタ近郊の町で別れたあいつは、チリア砦陥落の件で査問を受ける団長さんと一緒に帝都に向かった。
タイミングにもよるが、ひょっとすると、いまも帝都に滞在している可能性はあった。
帝都に行けば、会う機会があるかもしれない。
そう考えれば、気を引き締めることばかりの帝都行きも、少し楽しみに感じられた。
会話をするふたりの少女を見ながら、おれはそのときを思って、小さく笑みをこぼしたのだった。
***
次の日。
飯野たちから話を聞いたおれたちは、帝都に向けて出発することになった。
さいわい、こちらが聖堂教会側に提示した条件は、ほぼ満たされていたからだ。
提出された移動計画にも不備はなかった。
また、島津さんたちもこちらに来るに当たって、移動の際に転移する先の現地を確認しており、問題はなさそうだと言っていた。
とすれば、帝都に向かわない理由はない。
おれたちは『妖精の輪』による旅路についた。
それは、そろそろ旅慣れてきたおれたちにとっても、奇妙に感じられる旅路となった。
「それじゃあ、行くよ」
島津さんが言い、独特のステップを踏んだ。
途端、その身に宿る膨大な魔力が解放される。
世界が冗談のように捻じ曲がった。
確かに転移者という存在には、世界を左右する力があるのだと――何度体験しても、そんなことを感じずにはいられない。
浮遊感が生まれ、世界がずれる感覚のあと、景色が一瞬で切り替わる。
とある教会の聖堂から、別の教会の聖堂へと。
聖堂教会が準備したということもあり、『妖精の輪』による瞬間移動先として準備されているのは、大抵の場合は教会だった。
ある程度の規模の村や町には、まず教会が置かれているため、そういう意味でも都合がよかった。
教会の建物は基本的に同じ建造方式のため、転移しても景色はあまり変わり映えはしない。
だが、確かに別の場所に移動したのだとわかった。
ちなみに、移動を始めてから、もう五日目になる。
今日のうちには、帝都の置かれている皇族の直轄領に辿り着く予定だった。
普通に旅をしていれば、急いだとしても三ヶ月はかかる道のりだ。
まったく、実感がない。
どこか空恐ろしいものを感じるほどだった。
「……とんでもない力だな」
ぽつりと言葉が漏れてしまったが、これは無理のないことだと思う。
飯野もそうだが、探索隊の二つ名持ちの異能は、あまりにも常識を外れ過ぎている。
これぞ、条理を覆す超越者の力と言ったところだろう。
そんなことを考えていると、島津さんが口を開いた。
「そうでもないよ」
さっきのは独り言のつもりだったのだが、聞こえていたらしい。
つまらなそうな口調だった。
「勇者として重要な戦闘面では、それほど役には立たない能力だからね」
「役に立たない、ですか?」
おれは眉を顰めた。
思わぬ言葉だったからだ。
飯野の『韋駄天』が誰よりも早く敵との距離を詰めるなら、島津さんの『妖精の輪』は距離という概念をなくしてしまう。
考えようによっては、それは飯野の完全上位互換とも思える。
しかし、当人の自己評価は違うらしかった。
「リーダーは言うにおよばず、他のメンバーに比べたらわたしのは大したことないよ。自分のことだから、そのあたりのことはよくわかってる。便利なのは認めるけどね」
肩をすくめてみせる。
魔力を消費したせいか、どことなく気怠そうだった。
クールな印象のある年上のこの少女は、そうした仕草がよく似合った。
流し見るように、こちらに視線が向いた。
「そういう意味では、そうね、あなたのほうが余程すごい能力を持っていると思うけれど」
「……どうでしょうか」
おれは曖昧な言葉を返した。
たったいま、世界の条理を捻じ曲げてみせた相手にそんなことを言われても始末に困る、というのが本音のところだった。
「そんなことはないと思いますが――」
謙遜ではなく言ったところで、傍らのリリィと目が合った。
ふっと笑みが出た。
「――いえ。おれにとっては、これ以上なく素晴らしい力であることは認めますが」
「あら。のろけてくれるね」
冗談めかしておれが言うと、島津さんは肩をすくめた。
からかうような目で、おれとリリィとを見比べてくる。
口元には、好意的な笑みが浮かんでいた。
さいわいなことに、この旅の間、島津さんとはそれなりに良い関係を築けていた。
こんな情勢だ。
合流するかどうかは別にしても、同郷であり力を持つ探索隊とは、ある程度は協力体制を築いておいたほうがいい。
島津さんと良い関係を築けているのは、心強いことだった。
おれのことを高く評価してくれており、探索隊への合流を提案してくれた彼女への返答も、この会談が終わるまでに考えなければいけないだろう。
そうして益体もない話をしている間に、少し離れた場所にいた人々が近付いてきていた。
「お待ちしておりました」
恭しく頭を下げた彼らは、この場所を用意してくれた神官や騎士たちだ。
島津さんに声をかけたのは、そのうちのひとりで、聖堂騎士の装備に身を包んでいた。
現地の教会と協力して、おれたちを受け入れる準備を行っていた騎士だろう。
実は今回、帝都からアケルまでやってきたときに、島津さんは聖堂騎士団第二部隊の騎士を一緒に連れてきていた。
彼らは途中で残り、現地で準備を整えてくれていた。
今回の旅路における、影の功労者と言ってもいい。
聖堂騎士と聞かされると、どうしても身構えてしまうところはあるのだが、以前に遭遇した第四部隊のトラヴィスたちとは違って、嫌なものは感じない。
このあたりは、きちんと人選がされているということなのだろう。
「出迎えどうもありがとうございます」
おれとの会話を切り上げて、島津さんが言葉を返した。
「ちょっと疲れたので、部屋で休ませてもらえますか?」
進み出た聖堂騎士に、彼女は部屋への案内を頼んだ。
ゆっくり休んで、移動によって消耗した魔力を回復させるためだった。
「もちろんです。部屋は用意してありますので」
「ありがとうございます。それじゃあ、使わせてもらいますね」
「大変っすねー」
しみじみとした声があがった。
島津さんが振り返り、わずかに眉を立てた。
その視線の先に、声の主である御手洗さんの姿があった。
「……あなたね。予定よりひとり増えてることを忘れてないでしょうね」
「わわっ、やぶへび! 優奈先輩助けてっ」
「わたしに頼るんじゃないの」
飯野のうしろに逃げようとした御手洗さんだが、『韋駄天』の背中が取れるはずもない。
同じ探索隊の二つ名持ちでも、速度において『韋駄天』に並ぶものなどいないのだ。
「いひゃいです、いひゃいですー」
あっさりと突き出された御手洗さんが、島津さんに頬をぐりぐりされて悲鳴をあげた。
罰を与えているのか、じゃれているのか、黄色い声がきゃいきゃいとあがった。
十秒ほど、後輩の頬を思うがままもてあそんだあとで、島津さんはどこかすっきりした様子で御手洗さんを解放した。
そこで、こちらの視線に気付いて、島津さんが首を傾げた。
「なに?」
「いえ。仲が良いんだなと」
「そう?」
島津さんは肩をすくめた。
「それじゃあ、わたしはちょっと休んでくるから」
「はい。お疲れ様です」
神官と騎士数人に連れられて、島津さんが歩き出した。
残った神官たちがこちらを振り返った。
「皆様はどうなさいますか」
誰にというわけではなく、その場にいる全員に問い掛ける言葉だった。
当然、そのなかには、見た目ですぐにモンスターとわかるガーベラなども含まれていた。
島津さんに話しかけていたときよりも、神官の表情は明らかに硬い。
声をかけてきた以外の神官や、騎士たちも、おれと眷属たちに注意を向けているのが感じられた。
怖がられているのだろう。
仕方のないことだった。
アケルでは前提として、歴史的に仲の悪いマクローリン辺境伯領軍の蹂躙から開拓村のエルフたちを守り抜いたという評判があった。
そのうえで慎重に交流を進め、状況を整えた。
しかし、この土地で移動の途中ですれ違うだけの神官たちには、前評判の助けもなければ、交流を深める時間もないのだ。
そのあたりを考えてみれば、むしろよく統制が取れていると評価すべきだろう。
硬い表情ながらも、あくまで神官は丁寧な口調で申し出た。
「部屋をご用意しておりますので、必要があればお申し付けください。無論、ここで時がくるまでお待ちいただいてもかまいません」
この旅では、『妖精の輪』による瞬間移動は、早朝、昼過ぎ、夕方の三回に分けて行われている。
魔力回復のためのインターバルが、どうしても必要だからだ。
そうなると当然、移動のために必要な実質の時間は、待ち時間よりも著しく長くなる。
具体的には、朝、昼、夕方のそれぞれで、瞬間移動はおよそ四回ずつ。
大人数での転移のため、能力の発動には魔力の集中が数分間必要になるのだが、それでも三十分もかからない。
いまは早朝だから、島津さんが休憩を終える昼過ぎまで時間があった。
かといって、この教会から外に出るわけにもいかない。
一応、敷地内は人払いをされているから出歩いても問題ないはずだが、万が一にも人目につくことを考えれば、ガーベラたちは出られない。
せいぜい、中庭くらいのものだろう。
また、おれやリリィなら教会の敷地から外に出ても見咎められることはないだろうが、それでも、現在の情勢を考えれば、なにかあったときのことを考えずにはいられない。
仲間たちと離れる気にはならなかった。
さいわい、教会というのはある程度の人間を収容できるように設計されている。
アケルまで旅をしていた頃のように、窮屈な思いをするわけでもない。
ただ退屈なだけだ。
おとなしくしていればいい。
こうした事情は、竜淵の里のドラゴンたちも立場は同じだった。
アケルの文官たちはちょっと違うが、彼らは仕事で来ているし、今後の交渉について打ち合わせることもある。
そのため、それぞれが思い思いの時間を教会のなかで過ごしていた。
しかし、特に仕事があるわけでもなく、退屈を受け入れる理由のない者にとっては、話は別だった。
「わたしは町に出てこよっかな」
各人が好きに時間を過ごし始めたところで、わくわくとした表情で御手洗さんが声をあげたのだ。
彼女には、教会に閉じこもっている理由はない。
ここにいる面々のなかで、彼女だけは少し立場が違っていた。
だから、ちょっとした問題が起きたのは、この際、必然でもあったのかもしれなかった。
「前に来たときに、美味しい出店を見付けたんだよね」
にっこりと笑顔で言って、御手洗さんはポニーテールを揺らして振り返った。
「真菜ちゃん! 今日こそ一緒に行こ!」
誘われたのは加藤さんだった。
この旅の間、御手洗さんはなにかと加藤さんに声をかけていた。
そうして行われるふたりのやりとりは、基本的には和気藹々としたものだ。
学校に通っていた頃には親しくしていたということだし、やはり気が合うのだろう。
ただ、この一件に関してだけは、話が別だった。
「……いえ。わたしはやめておきます」
視線を向けられた加藤さんが、困った顔をした。
「やることもありますから」
やんわりと断る。
途端、不満の声があがった。
「えー。そんなのつまんない。真菜ちゃんも一緒に行こうよー」
御手洗さんはマイペースに言って、加藤さんの腕を引いた。
「あ」
簡単にその体が引き寄せられた。
見た目だけなら両方とも小柄な女の子だが、御手洗さんは『剛腕白雪』の二つ名持ちだ。
幼い子供と大人よりも力の差があるのだから当然だった。
いや。そうでなくても、これだけ楽しそうにする友達の誘いを、強くは拒絶できなかったかもしれない。
そのまま御手洗さんは、加藤さんを連れて行こうとした。
「さ、行こ!」
笑顔の彼女に悪意はない。
少し強引なふうはあるものの、彼女はただ親しい友達を誘っているだけだ。
そこには、彼女たちの『普段通り』があった。
見知らぬ土地の珍しいものを見て回る――たとえば、ふたりがあのまま高校生活を送り、進級し、修学旅行にでも行ったなら、これとまったく同じやりとりが見られたかもしれない。
面倒見の良い加藤さんのことだ。
そうなったのなら、仕方ないですねと微笑んで、一緒に見知らぬ街を見て歩いただろう。
そして、彼女自身もなんだかんだと気の合う友達との時間を楽しんだに違いない。
けれど、そうはならなかった。
彼女たちの『普段通り』は、すでに過去のものだったからだ。
「……っ!」
腕を引かれる加藤さんの顔が、かすかに引き攣った。
取り繕ってはいたが、近しい人間だけが気付けるような微妙な変化があった。
基本的に、加藤さんはおれかローズがすぐ近くにいないと外を出歩けない。
いや。外に限らずとも、この場にはアケルの使節団の男性もいれば、竜淵の里の生き残りのドラゴンの男性もいるのだ。
引かれて歩き出した加藤さんは、すぐ傍にいたローズから離れるかたちになっていた。
それだけで、もう駄目なのだ。
これでは、教会から外に出た瞬間に倒れてしまうだろう。
「待った」
そうとわかったから、おれは御手洗さんに声をかけた。
「悪いが、加藤さんにはやってもらうことがあるんだ」
御手洗さんのうしろで、加藤さんがほっとした顔をした。
対照的に、御手洗さんの顔はたちまちに曇った。
「ええええ……またっすか。ずっとそうじゃないですかぁ」
不満いっぱいに言って、唇を尖らせる。
素直な性格なのだろう。
どうしたものかと思ったところで、思わぬところから援護射撃がきた。
「こらこら。遊びじゃないのよ」
飯野が口を挟んだのだ。
どうやら助け舟を出してくれたらしい。
窘める口調になっていた。
「加藤さんにだってやることがあるんでしょ。邪魔したら駄目よ」
「そりゃそうっすけど……」
援護射撃を受けて、御手洗さんの勢いが目に見えて落ちた。
同じ探索隊の二つ名持ち同士であり、慕っている先輩の言葉は大きかったらしい。
御手洗さんは振り返り、目が合った加藤さんが済まさなそうに目を伏せた。
「ごめんなさい、葵ちゃん」
「あー。いや。こっちこそごめんね。忙しいのに」
御手洗さんは加藤さんの手を離すと、ぱんと音を立てて手を合わせた。
少し気ままなところはあるが、我が侭を通すほどに自分勝手でもないのだろう。
彼女は素直に踵を返した。
「それじゃ、わたしは行ってくるね」
ただ、そう告げた声は、やや残念そうなものだった。
ちょっと気の毒ではあった。
彼女に悪気はないのだ。
出店を見付けたと言っていたが、ひょっとすると、加藤さんと一緒に行くのを無邪気に楽しみにしていたのかもしれない。
もっとも、だからといって、いまのを放っておいたら大変なことになっていたので、とめないという選択肢はなかった。
どうしようもないことだった。
「平気か」
御手洗さんを見送ってから、おれは加藤さんに声をかけた。
「あ、はい。大丈夫です。ちょっとびっくりしましたけど」
そうは言うものの、あまり大丈夫ではなさそうだった。
表情は硬く、体に少し力が入っている。
無理もない。
御手洗さんの行動は悪気がないだけに躊躇いがなく、あのままなら本当に外に連れ出されかねなかったのだから。
心配になっておれが歩み寄ると、加藤さんのほうからも近付いてきた。
親しい知人の距離から、さらに一歩。
触れるほどに近くに身を寄せられて、少しどきりとさせられた。
もっとも、そうした振る舞いは安心を求める無意識のものだったらしい。
ようやく加藤さんは一息つけたのか、強張っていた体から力を抜いた。
「……ありがとうございました」
緊張していた反動なのか、近い距離でこちらを見上げた顔には、いつもより気の抜けた笑みが浮かんでいた。
心の底からほっとしたような、無防備な微笑みだった。
気を許してくれていることが伝わってきて、自分の気持ちを自覚したおれとしては、どうにも目のやりどころに困ってしまう。
「ああ、いや。気にしなくても……」
そうして視線を彷徨わせたところで――目が合った。
「……」
飯野がこちらを見ていた。
なんだかすごい目をしている。
なにかと思っていると、無言のまま顎でこちらに来いと示してくる。
どうやら話があるらしい。
「それじゃあ、加藤さん。またあとで」
さっきのこともあるし、加藤さんには他に男性のいる聖堂よりは、個室で過ごしてもらったほうがよいだろう。
そう判断して、おれは神官に話を付けると、あとはローズに任せて飯野のところに向かった。
***
「なんだ」
尋ねると、飯野はおれの腕を掴んだ。
掴んだ腕を引っ張って、歩き出す。
「お、おい」
「いいから」
うしろにはリリィが付いてきていたが、飯野はちらっとそちらを向いただけだった。
おれたちはそのまま、壁際のみんなから少し離れた場所に移動した。
聞かせたくない話があるということか。
もっとも、この程度離れたくらいでは感覚の鋭いガーベラには聞こえてしまうし、リリィが付いてきてもいる。
となると、聞かせたくないのは、特定の誰かだということだろうか。
飯野は足を止めると、ぱっと乱暴におれの腕を離した。
振り返った顔は、いかにも不満そうだった。
「ねえ。ちょっと真島。あんた、どうにかしなさいよ」
「……藪から棒だな。なんの話だ」
「葵ちゃんと加藤さんのことに決まってるでしょ」
言いながら、飯野は視線を聖堂内に走らせた。
丁度、加藤さんがローズと一緒に、教会の奥に向かっているところだった。
「あの子、男性恐怖症のこと、葵ちゃんに話してないんじゃないの?」
「……みたいだな」
「やっぱり。さっきのだって、そのせいよね」
御手洗さんがおれやローズの存在なしに加藤さんを町に連れ出そうとしたのは、そもそも、それがどれだけ加藤さんにとって負担になるか知らないからだ。
事情を伝えていれば、さすがに御手洗さんだって誘いはしなかっただろう。
確かにそれは飯野の言う通りだった。
もっとも、そもそも、事情を伝えることができるかどうかは、また話が別だったが。
「だけど、それは仕方ないよ」
リリィが口を挟んだ。
「友達だからって、話せないことってあるもの」
加藤さんの身に起きたことは、できるだけ他人には知られたくないことだろう。
たとえ親しい友達であっても……いいや、むしろ以前の自分を知っている友達だからこそ、知られたくないと感じるところもあるのかもしれない。
男性が怖いと伝えてしまえば、なにかあったとわかってしまう。
だから言えない。
それでも加藤さんならどうにかしてしまいそうな印象もあるが、あれで彼女は自分自身のことに限っては不器用なところがある。
さっきの出来事はそのひとつの表れだろう。
しかし、ふんと飯野は鼻を鳴らした。
「そんなことはわかっているわよ。そのうえで、なんとかしろって言ってるの」
言葉をかけたリリィではなく、飯野はなぜかおれを睨み付けてきた。
「まさか『自分には関係ない』とか言わないでしょうね。あんた、男でしょ」
割と滅茶苦茶なことを言われていた。
男だからなんだというのか。
だが、その一方で、なにか手を打つ必要はあるというのは飯野の言う通りだった。
島津さんもそうだが、やはり探索隊の人間とはできるだけ良い関係を築いておきたい。
御手洗さんは探索隊の幹部格であり、下手に加藤さんとの関係がこじれてしまうのは好ましいことではなかった。
また、そうした利害関係を無視しても、この件を見て見ぬふりはできない。
飯野の言う通り、加藤さんのことについて、関係ないなんていうつもりはなかった。
「なにかしら用事を先に作っておくか」
もっとも、この状況で大したことができるわけでもなく、その必要もない。
誘われて断るより、誘われないようにしておくほうが、まだしも波風は立たないだろう。
この程度で十分だった。
「御手洗さんには、あらかじめ伝えておかないといけないな」
「仕方がないから、それはわたしがやるわよ」
すぐさま、飯野が応じた。
「さりげなく伝えておくわ。そのほうが角が立たないでしょ」
いかにも不本意そうな顔をしていた。
しかし、その割に言動は協力的だった。
意外だった。
「……最初からそのつもりだったのか?」
「そうだけど、変な勘違いはしないでよ」
飯野の不機嫌顔が、ますますひどいものになった。
ある意味、こんな顔を見せるのはおれだけなのではないだろうかと思わせる表情だ。
嬉しくはない。
「葵ちゃんは大事な仲間だもの。これくらい当然でしょ」
「そうか」
思い返してみれば、飯野は仲間を助けるために、わざわざ崩壊後のコロニーまで戻ったり、世界を走り回ったりしていたのだ。
より近い仲間である御手洗さんのことを気に掛けるのは、当然のことだった。
「まあ、なんにしてもありがたいよ」
「ふん。礼を言われる筋合いなんてないから。言いたいのはそれだけ。じゃあね」
話が終わると、さっさと飯野は離れていった。
相変わらず素っ気ない。
もっとも、いまとなってはこうしたやりとりが自然なので、特に腹を立てたりはしないが。
むしろ、なぜかリリィが「うわあ」みたいな顔で、その背中を見送っているのが気になった。
「リリィ? どうした?」
「……あー、うん。別に。なんでも」
リリィは首を横に振った。
飯野を追っていた目が、気を取り直したようにこちらに向けられた。
「それより、ご主人様、気付いた?」
「なにをだ?」
「飯野さん、多分、ご主人様と加藤さんが恋仲だって思ってるよ」
「……なんだと」
思わぬ言葉だった。
だが、思い返してみれば、確かに飯野の言い分にはそんなふしもあった。
「ああ、だから男がどうのと言っていたのか」
あの言葉にはやや唐突な感があった。
そうした誤解があったのなら納得がいく。
「いつにも増して不機嫌だったのも、そのあたりが理由か。潔癖な飯野にしては、抑制が効いていたほうなのかもしれないな」
「いや、どうだろ。それだけでもないんじゃないかなあ」
「ん? なんだそれは」
「ううん。なーんでも。あれは多分、どうしようもないし」
リリィはかぶりを振ると、おれの手を引いた。
「それより、加藤さんのところに行かない? ご主人様が顔を出してあげたほうが、安心するだろうしさ」
「そうだな」
加藤さんのことが気になっていたのも確かだったので、おれは頷く。
リリィに引かれるがまま、歩き出した。
こうして、多少のトラブルはありつつも対処して、『妖精の輪』による移動は順調に進んでいく。
そして、その日の夕方のこと。
夜を過ごすことになった教会で、おれは聖堂騎士団副長のゴードン=カヴィルと顔を合わせることになった。
***
「あなたがゴードンさんですか」
聖堂騎士団副長であるゴードン=カヴィルとは、皇帝直轄領のとある街で合流した。
「今回の旅の手配をしていただいたと聞いています」
第二部隊の隊長でもある彼は、部下に指示を与えて今回の旅の準備を整えてくれた人物だった。
彼の助けなしには、『妖精の輪』による高速移動にしたところで、安全面の確保は難しかっただろう。
「お世話になりました」
おれたちは握手を交わし合った。
ごつごつとした黒い大きな手だった。
「いえ、真島様。こちらこそ、ご足労いただきありがとうございました」
落ち着いた調子で、ゴードンさんは返した。
さすがは聖堂騎士団副長ということか。おれの連れている眷属たちを見ても、動じた姿は一切見せなかった。
むしろ、おれに向けられる表情には、敬意のようなものも感じられた。
飯野の話では、ゴードンさんはトラヴィスがアケルの開拓村に行った蛮行に、胸を痛めていたらしい。
エルフたちを守ったおれのことは、ある程度、認めてくれるところがあるのかもしれなかった。
「現在の混乱した情勢は、真島様の協力なしには解決することができません。わざわざこのような遠い土地までご足労いただくのですから、道中の安全を守るのは当然のことです。帝都での滞在中も、聖堂騎士団の名誉にかけて、このわたしが全力で真島様の身辺を守らせていただきます」
「よろしくお願いします」
挨拶を交わし合ったあとで、おれたちは席についた。
「早速なんですが、ひとつ、お話を聞かせてもらってもいいでしょうか」
こちらから話を切り出した。
まだ帝都に着いていないうちに、ゴードンさんとこうして接触したのは、なるべく早くに話を聞いておかなければならないことがあったからだった。
「調べてもらっていた件についてなんですが」
「承知しております」
こちらがこう言い出すのは予想ができていたのか、すぐにゴードンさんは応じた。
「『天使人形』オットマー=ヴァラハなる人物のことですな」
「はい。飯野からは、ゴードンさんが調べてくださっていると聞いています」
こちらから聖堂教会に提示した条件は、ほぼ満たされていた。
言い換えれば、それは『完全ではなかった』ということでもある。
それが、オットマー=ヴァラハについての調査だった。
無論、これはゴードンさんの怠慢によるものではない。
オットマーの件に限らず、彼は十分に仕事を果たしてくれていた。
たとえば、第四部隊の残党に関しては、過去に隊長から下された命令の撤回、および任務の無期限停止に加えて、可能な限り早急な帰還命令が出ており、逆らう者は厳罰に処されることになっている。
だが、オットマーと彼が率いていた騎士たちについては、そうはいかない理由があった。
「真島様には、飯野様と島津様からお伝えされていることと思いますが、聖堂騎士団にはオットマー=ヴァラハなる人物は所属しておりませんでした」
もともと、おれはオットマーの所属を明らかにするように条件を出していた。
おれに敵対するように指示を下した人間がいるのであれば突き止めて、とめてもらうためだった。
しかし、その人物が騎士団に所属していないとなれば、どうしようもない。
おれにとって思わぬ展開だったが、聖堂騎士団側にとっては、さらに衝撃は大きかったようだ。
なにせ会談の成立のために、こちらが提示した条件が満たせないのだから。
この事実が判明したときには、騎士団内には憤慨する者が多く出たらしい。
――いもしない人間について、無理難題を押し付けてきたのではないか。
――だとすれば、現状の解決に動くつもりなど最初からなかったのではないか。
――こちらが条件を満たせなかったという大義名分を得るためのポーズだったのではないか。
そんな疑惑が噴出したのだ。
こちらとしてはそんな馬鹿なという話だが、立場を変えてみれば、そう疑われるのも無理ない状況ではあった。
そうした意見を押さえつけたのがゴードンさんであり、おれにそんなつもりはないことを主張してくれたのが、話を持ち帰った探索隊のふたりだった。
特に、飯野はすでに第二部隊に知り合いが何人もいたため、その発言には影響力があったのだそうだ。
これは島津さんが教えてくれた。
なんでも、聖堂騎士団と協力して偽勇者の件で精力的に働いていた飯野は、それなりの信頼を得ているらしい。
こうしたところは、世界中を駆け回っていた『韋駄天』の面目躍如と言えるかもしれない。
こちらとしては、提示した条件はあくまで会談が成立することを前提としたもののつもりだった。
まさかそんな状況になっているとは夢にも思っていなかったので『こちらの吹っ掛けた無理難題であわや和平会談の段取りが崩れる寸前だった』と聞かされたときには、背筋に冷たいものが走ったものだった。
ともあれ、すれ違いになるところを危うく回避して、ゴードンさんはおれがこちらにやってくるために必要な様々な手配りをする傍らで、調査のために動き出した。
該当する能力を持つ勇者の伝説を調べ上げ、その末裔についての情報を集め、どうにかしてオットマー=ヴァラハに繋がる手掛かりがないものか探したのだ。
その結果として、ある程度の成果があがっていた。
「『天使人形』に該当する能力を持つ勇者、および、その血を引く家系を発見したという話は聞いています。ゴードンさんの精力的な活動のお陰だと」
「滅相もございません。わたしは自分のなすべきことをなしただけですので」
「ゴードンさんの尽力には感謝しています。その後、調査に進展はありましたか」
「はい。わたし自ら、その家に赴いて、家人から話を聞いてまいりました」
とてつもなく忙しいだろうに、ゴードンさんは自分の足で情報を集めたらしい。
そういう性格だというのもあるし、飯野から信頼されている自分が動かなければならないという自覚もあったのだろう。
「結論から申し上げますと、オットマーらしき人物の存在は確認できました。名前は違いましたが、年齢や風貌からして間違いないでしょう。十年ほど前に、聖堂騎士団に籍を置いていたそうです」
「十年前……過去形ですか?」
「そうです。改めて調べたところ、確認も取れました。とあるモンスターの討伐の際に、班ごと全滅した騎士のひとりとして記録が残っておりました。我々は当初から、騎士団に現在所属している者について、偽名の可能性も含めて調査を行っておりました。しかし、十年前に死亡した騎士の記録までは当たっておらず、見落としたようです」
これは仕方のないことだろう。
パソコンでデータ管理をしているわけでもなし、検索能力には限界がある。
ちゃんと記録が残っていただけ、管理は行き届いているというべきだった。
「ここからは推測になってしまうのですが、オットマーはモンスターの討伐任務の際に、逃亡したのではないかと思われます。モンスター討伐の際には遺体が回収できないことも多く、基本的に未帰還者は死亡扱いとなりますので。そこをトラヴィスに拾われでもしたのではないか、というのが現状での見解になります」
「拾われた?」
「ええ。聖堂騎士でありながらモンスターを前に逃亡したとなれば、それは非常に不名誉なことです。オットマー=ヴァラハと思しき人物の生家は、小なりとはいえ貴族でありまして、逃亡の不名誉は家に大きな迷惑をかけることになります。そのあたりをトラヴィスに突かれて、良いように使われていたというのはおおいにありえる話です。そうした弱みを握ることに、トラヴィスという男は長けておりましたので」
最後だけ、忌々しそうな口調だった。
聖堂騎士団内でもいろいろとあるのだろう。
そのあたりは置いておくとして、おれはいまの話について考える。
「……つまり、オットマーとその一党は、元聖堂騎士ということですか」
「無論、経緯についてはこの限りではないかもしれませんが……なんにせよ、なにかしら弱みを握ることで、トラヴィスが私兵じみた部下を抱えていたことが最近になってわかっています。元聖堂騎士がいてもおかしくはありません。勇者様由来の貴重な魔法道具も、そうした人間に持ち出させていたのかもしれません」
そうなると、確かにトラヴィスの第四部隊の所属ではないことになる。
発言のつじつまは合う、が……。
「先輩」
そこで、加藤さんが口を挟んだ。
すでに昼の出来事からは復調しており、冷静にやりとりに参加していた。
「なんだかちょっと、先輩やローズさんから聞いていた話とずれがありませんか」
「ああ。おれもそう思っていた」
頷きを返すおれを見て、ゴードンさんが怪訝そうな顔をした。
「どういうことですかな」
「おれたちが遭遇したオットマーという男には、いかにも軍人めいた印象がありました」
それこそ自分自身が人形めいた、無感情な男の顔を思い出す。
「脅されて動かされているといういまの話が、少し合わないような気がしまして」
「むう……」
「もちろん、これはおれたちの印象でしかありませんが」
一応、付け加えておく。
「なにかの証拠があるわけではありません」
「……いえ。先程のわたしの話も、あくまで推測でしかありません。真島様のおっしゃりたいのは、様々な可能性を考えておくべきということでしょう」
この件に関しては、ここで答えが出せる類の話ではない。
対策を取るという意味でも、確定した情報がなければ可能性を狭めないほうがよいだろう。
もっとも、オットマーが正規の聖堂騎士でないことを知れたのは収穫だった。
正規の騎士でなければ、できることには限りがある。
万が一にもまだ命を狙われるようなことがあるにしても、こちらは正規の聖堂騎士団が護衛についている。
組織力では比べものにならない。
あとは、護衛に就いている聖堂騎士が信頼できるかどうかだったが、そこも問題はなさそうだとおれは判断していた。
「いまの真島様からの指摘も含めて、部下たちにはよく言い含めたうえで、護衛に就かせることにいたします」
ゴードンさんはテーブルの上で、ごつごつとした指を組み合わせた。
そこに力が込められる。
「かくいうわたしも守りに付きましょう。聖堂騎士団の『輝く翼』が、騎士の誇りにかけて皆様をお守りいたします」
そう告げた言葉からは、彼の職務にかける意気込みが感じられた。
騎士として振舞うシランにも共通したものだ。
聖堂騎士もトラヴィスのような者ばかりではない。
現状を憂い、どうにかしようと奔走している者もいるのだ。
これならば、帝都での警護にはそれなりに期待が持てるだろう。
***
護衛を加えて、帝都への旅は順調に続いた。
目的地まで、あともう少し。
しかし、そこでおれたちは思わぬものを目の当たりにすることになる。
帝都を目前にした町で見かけたのは、マクローリン辺境伯に直率された二千人もの軍勢だった。
◆切りどころが難しくて普段より長めの更新です。
一話で一万六千文字近くは、本当に見直しが終わらない終わらない。
後半のゴードンの話と、次の話を繋げたほうが良かったかもしれませんが、きりがないので今回はここまでです。






