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10. 硝子細工

前話のあらすじ


ひょっこり魔王が会いに来た

   10



「進捗はいかがですか、孝弘殿」


 話し掛けられて、おれは魔法の道具袋のなかを確認していた手を留めた。


 振り返ると、床に膝を突いていたおれと目線を合わせるために、かがみ込むようにしたシランの姿があった。


「丁度終わったところだ。シランはどうだ?」

「こちらも終わりました」


 息がかかるくらい親しい距離で、シランが笑った。


 最近のシランは、必要のないときは騎士の鎧を脱いで、腰の剣以外は少女としての装いをしている。


 ひとつにまとめた髪が、前かがみになったことでブラウスの胸元に流れて、部屋の窓から差し込む陽光に輝いていた。


「それにしても、いよいよですね」


 思わず目を細めたおれに、シランが続けた。


「うまく話が進んでいるようなら良いのですが」

「本当にな」


 今日は島津さんと飯野が、ここ一ヶ月の成果を持ち帰る予定になっていた。


 首尾よくいったのであれば、明日にでも島津さんの『妖精の輪』の力で、帝都に向かうことになる。

 そのための準備は進めてあって、いま、おれが見ていたのもその荷物だった。


 帝都に向かうメンバーも決めてあった。


 まずはおれの眷属たち。

 また、竜淵の里からは生き残った男性とエラさん、アケルからはフィリップさんと数名の文官たちが同行することになっている。


 そして、ベルタもだ。


 彼女は工藤の訪問のあと、そう時間を置かずに立ち直っていた。


 慣れているということなのだろう。

 どちらかといえば、あやめに強く当たってしまったことを気にしていたくらいだった。


 今頃は、仲直りをしたあやめと一緒に、お気に入りの場所で日向ぼっこをしているだろう。

 それも、場合に拠っては今日が最後だ。


「そろそろ、早ければ結衣殿や優奈殿が到着していてもおかしくない時間ですね。いえ。移動速度が『妖精の輪』の力に依存する以上、魔力の消耗具合で一日、二日ほど到着が遅れるかもしれないのは、事前に聞いているのですが」


 シランが苦笑を漏らした。


「なんだか落ち着きませんね。気にしても仕方がないのはわかっていても。結果がわかるまではどうしたって……なんですか?」


 言いかけたシランが、瞬きをした。


 それでおれは、自分がぼうっとシランの顔を眺めていたことに気付いた。


 失敗だ。

 はっとして、少しバツの悪い気持ちで手を振った。


「あー、いや。悪い。なんでもない」

「誰か別の方のことを考えていましたか?」


 間髪入れずにシランが指摘して、おれはぎくりとした。


 そんなこちらの反応を見て、シランが肩を揺らした。


「ああ。当たったみたいですね」

「……なんでわかった?」

「なんとなくです。これが女の勘というやつでしょうか。ふふ。わたしも少し、女の子のことがわかってきたかもしれませんね」


 花のほころぶように笑う。

 そうした姿は、どう見ても年頃の少女そのものだった。


 エルフという種族柄もあるにせよ、以前にも増して、いまのシランは綺麗だ。

 おれが言うのもなんだが、恋する少女は可憐だった。


 その想いを向けられている事実が信じられなくなるくらいに。


「別に咎めるつもりはありませんよ」


 おれは気まずい顔をしていたのかもしれない。


 シランはさらりと告げた。


「ただ、ちょっと気になりましたので。なにかあるなら聞かせていただけませんか」

「それは……」


 促されて、おれは少し迷った。

 あまり気の進まない話だったからだ。


 だが、よく考えてみれば、これは良い機会かもしれないと思い直した。


「……そうだな。これはシランにしか相談できないか」

「わたしにしか?」

「ああ。リリィたちだとわからないから……まあ、立ったままもなんだ。座ろう」


 アンデッドの体のシランには、通常の意味での疲労はないとはいえ、立ったままでいられてはこちらが落ち着かない。

 シランを促して、おれはソファに移動した。


「実は最近、少し困っていることがあってな」


 並んで腰を下ろしてから、話を切り出す。


「わからないことがあるんだ」

「と言いますと?」

「……変なことを訊くようだけど、シランは騎士団にいた頃、仲の良いやつがいたよな」

「え? ええ。それなりには」


 虚を突かれた顔をしつつ、シランは真面目に答えてくれた。


「命を預け合う戦友ですからね。わたしは騎士団では割と古株でしたし、親しくしていた方はそれなりにおりました」

「それはもちろん、相手には男もいたわけだよな」

「はい。……あ、その。といっても、男女の仲ということではありませんが」

「それは知ってる。シランが初心なのは、おれが一番よく知ってるから」


 シランは、うっと口籠った。


「そ、そういうことを言われるのは、駄目です。その、困ります」


 抗議をするように、二の腕のあたりを掴んでくる。


 彼女らしくもなく、ちょっと乱暴な仕草だった。

 最近はたまに見せてくれる姿でもあった。


 掴んだ指先には、力はちっともこもっていない。


 ただ触れて、その分だけ互いの距離を縮めるだけの、甘えるような接触。


 恋人同士の距離だ。

 そう思う。


「もう。それで、孝弘殿。結局、なんなのですか」


 少し拗ねたような上目遣いの目が、こちらを向く。


「うん。まあ、なんだ。これはあくまで一般論なんだがな」


 おれは言葉を選んでから、口に出した。


「女の子にとって、いまのおれたちみたいな距離感は、親しい男相手であれば普通だと思うか? 恋人ではなくても、ということだが」


 シランはきょとんとした。


「真菜殿のことですか?」

「……」


 あっさりと言われてしまい、言葉を失う。


 図星だったからだ。

 言葉を選んだ意味はなかった。


「それが孝弘殿の困りごとなのですか。確かに、女の子が普通どうなのか尋ねるなら、モンスターであるリリィ殿たちには訊けませんが……いえ。わたしもあまり普通の少女の生活を送ってきたとは言えませんけれど」


 眼帯に隠されて片側だけのシランの目が、不思議そうな光を宿した。


「それにしても意外です。いつもおふたりとも楽しげで、仲睦まじいと思いながら見守っていたのですが。なにかご不快なことでも?」

「いや。不快なことはないよ」


 これはきっぱりと否定した。


「まったくない。ないから困っているんだ」

「どういうことでしょうか」


 怪訝そうな顔をされてしまった。


 少し話しづらいのだが、ここで言葉を濁しても仕方がないか。


「なんというか、おれも男だからな」

「はい」

「……無防備に近付かれると、どきりとすることがあるんだ」

「真菜殿は魅力的な方ですし、当然のことでは?」


 ますますシランは不思議そうな顔をした。


 おれは頷きを返した。


「そうだな。だけど、それは異性に対する反応だ」

「……ああ。そういうことですか」


 最後まで説明をする前に、シランの顔に納得の色が浮かんだ。


「わかりました。孝弘殿は、男性恐怖症の真菜殿に、自分が男である部分を見せたくないということですね」

「そんなところだ」


 チリア砦で出会ったシランは、それ以前に加藤さんの身に起こった出来事を詳しくは知らない。


 ただ、これまで長いこと一緒に旅をしてきたので、現状は見て知っている。

 事情もおよそ察しは付いているのだろう。


 理解は早かったが、シランは続けて疑問を口にした。


「お話はわかりました。しかし、孝弘殿なら大丈夫だと思いますが」


 心の底から不思議そうな声色だった。


「それだけのものを、おふたりは築かれているでしょう」

「そう思うか」

「はい。杞憂ですよ」


 そう答える口調には、まったく疑うところがなかった。


「そうか」


 おれとしても、それを否定する言葉は持たなかった。


 パスこそ繋がっていないとはいえ、加藤さんとの間にあるものは確かに感じていたからだ。


「多分、シランの言っていることは正しいんだろうな」

「でしたら」

「だけど、おれは万が一にも加藤さんを傷付けたくないんだよ」


 言いかけたシランの言葉を、おれは遮った。


「傷付けたくないんだ。もう二度と」


 告げる。

 この件について、本音のところを誰かに話すのは、これが初めてのことかもしれなかった。


「以前におれは、ひどく理不尽なことを加藤さんにしてしまったことがある。だから、二度と傷付けたくないんだ」


 後悔があった。

 いま加藤さんとの間に感じているものが大きければ大きいほど、深い悔恨の念があった。


「加藤さんに出会ったのは、コロニー崩壊の一件で人間不信になっていた頃だった。あの頃のおれは、どうしても彼女を信じることができなかった。きっと一番助けを必要としている時期だったのにな」

「……ですが、孝弘殿は真菜殿を助けたのでしょう。わたしはそう聞いています」

「助けた事実を否定はしない。だけど、それはそれだ。おれはもっと、力になってやれたはずなんだ。なのに、そうしてやれなかった。それもまた事実だ」


 もちろん、こんなのはいまだから考えられることだ。


 そう認識してはいても、後悔することはやめられなかった。


「加藤さんは良い子だから、あんな状況でもおれたちを助けてくれた。自分こそが大変だったはずなのにな。正直、あの状況で彼女が壊れてしまわなかったのは奇跡だと思うし……壊れてしまいかねなかった事実を思うと、心の底からぞっとする」


 あのときは、ああするほかなかったのは事実だ。


 自分以外の転移者なんて、あのときのおれにとっては、全部敵でしかなかった。

 あれが精いっぱいの便宜だった。


 だけど、それが足りていたかどうかは別の話だ。


 少なくとも、おれ自身は仕方がなかったと流すつもりにはならなかった。


「そういうことでしたか」


 話を聞き終えると、シランはひとつ頷いた。


「どうにも孝弘殿には、真菜殿に対して及び腰なところがあると思っていたのですが、これで納得しました。孝弘殿にとっては、さしづめ真菜殿は脆くて弱い硝子細工なのですね。危うく壊してしまうところだったから、殊更に大事にせずにはいられない」

「そういうところはあるかもしれないな」


 それはきっと、これまでおれたちを見てきた仲間のひとりだからこそ出てくる言葉だった。


 的を射た表現だと感じて、おれはその言葉を受け入れた。


 ただ、苦笑を漏らしたシランの次の言葉は、打って変わって曖昧なものだった。


「それにしても『良い子だから』ですか。そのように考えていらしたのですね……硝子細工の芯の部分を伝えていない結果、言わなければ絶対に伝わらない構図になってしまったと」

「シラン?」

「いえ。なんでもありません。これ以上は余計なお世話でしょうから」


 シランは首を横に振った。


 そして、ふと思い直したように口元に指を当てた。


「ただ、そうですね。せっかく、孝弘殿がわたしに相談をしてくださったのです。少しお手伝いをするくらいはよいでしょうか」


 考える様子を見せてから、ふっと笑う。


 透き通った蒼眼が、おれの目を覗き込んだ。


「孝弘殿。先程、真菜殿が親しげにしてくるのを、普通なのかと尋ねましたね」

「……ああ」

「残念ながら、わたしには確実なことは言えません。ずっと騎士団にいたわたしは、お世辞にも少女として普通に生きてきたとは言えませんし、そもそも、生まれ育った世界さえ違います。だから、これはあくまでわたしの印象になってしまうのですが――」


 前置きをしてから、シランは自分なりの意見を口にした。


「――真菜殿にとって、それはきっと普通のことではないと思いますよ」


 告げられた言葉に、おれは硬直した。


 そんな反応を予期していたように、気にせずシランは続けた。


「無論、これはあくまでわたしの印象です。ええ。過去におふたりの間にあった出来事を知らず、真菜殿とは異なった背景を持った、わたしの印象でしかありません。ですからこれは、話半分に聞いてください」


 シランと加藤さんとの間には、重なるものが少ない。

 自分の言葉の軽さを、シランは自覚していた。


 だからこそ、あえて彼女はこの話を口にしたのだとわかった。


「ただ、もしもわたしが言っていることが正しいとしたら、孝弘殿はどうしますか?」


 それは、ずっと考えないようにしていたことに、思考を向けさせる言葉だった。


 錆び付いていた歯車が動き出したイメージがあった。


「おれがどうするか……?」


 促されて、仮定する。

 考えてこなかったことを、考える。


 加藤さんが異性であるおれに対して親しげにしているのが、もしも普通のことではなかったとしたら?

 特別なことだったとしたら?


 それはつまり、おれが彼女にとって、とても特別な存在だということになる。


 そんなのはありえない。


 そう思ってきた。

 考えにのぼらせること自体、彼女を傷付けかねない行いだと思い込んでいた。


 だけど、実のところはそうではなかったとしたら?


 ずっとおれは思い込みに囚われていただけで。

 そうしたことを考えずにはいられないくらいに距離が縮まっても、そのままでいた。


 これがそういうことなのだとしたら、おれは――。


「……まいったな」


 たっぷりと十秒以上、おれは硬直していただろう。


 そんな自分に気付いて、大きく息を吐いた。

 ソファの背もたれに体を預ける。


 気付かされたことがあった。


「相談をしたら、確かにそういう答えも返ってくるか」


 そうした答えを想定していなかった。

 相談をしておきながら、そこまで考えが及んでいなかったことは迂闊だった。


「孝弘殿の性格で、先程話をされていたような事情もあったとなれば、仕方のないことでしょう」


 シランは理解を示す言葉を口にした。


「ただ、大事なのは真菜殿の気持ちだけではありません。そうなったときに、孝弘殿がどうするのか……どう思い、どう感じ、どうしたいのか。そのあたりも大事だと思います」

「そうだな。シランの言う通りだ」


 これが、たとえば、リリィやローズが口にしたのであれば、そこには事情を知る者の重みがある。

 しかし、シランが口にする限り、これはあくまで『もしも』の話だ。


 加藤さんがどうこうという話は、この際、問題ではない。

 この場合、主体はあくまでもおれ自身だ。


 もしもそうなったとき、どう決断するのか。

 いいや。もっとはっきり言えば、おれは加藤さんをどう思っているのか。


 そこのところを、シランは質問しているのだった。


「それで、どうなのですか」


 重ねてシランが尋ねてくる。


 ソファの背もたれにもたれかかったまま、おれは天井を見上げた。


 考えることもなかったから、よくわからない。


 ……なんて、これまではそれでよかった。

 けれど、すでにおれは考えることができるようになっていた。


 嬉しそうな、恥ずかしそうな少女の笑顔が、脳裏に浮かんだ。


 過酷な時間を一緒に乗り越えてきた。

 育んだ絆は強く深く、誰より近しい存在のひとりであることに疑いようはなかった。


 触れ合った手。無防備な仕草。


 あれがそういうことなのだとしたらと考えれば――


「答えは出たようですね」


 おれの横顔を見上げていたシランが言った。


 まだなにも言っていないのに。

 そんなにわかりやすかっただろうか。


 思わずおれは目元を押さえた。


「……自分がこれほど気が多い性質だとは思ってもみなかった」

「気が多い、ですか。ふふ。孝弘殿が?」


 横でシランが楽しげな声をあげた。


「それが本当だとすれば、わたしは孝弘殿の移り気なところに感謝しなければなりませんね。なにせ三人目ですから」

「シラン……」

「冗談ですよ。ええ。これは、そういうことではありません」


 シランはくすくすと笑うと、おれの手を取った。


「この世界の現実はあまりに過酷です。死はすぐ傍にあります。とりわけ、わたしたちの直面した困難は大きなものでした。それらを乗り越えることで、わたしたちは孝弘殿を中心にして、分かちがたくひとつになりました。追い詰められた者同士が傷を癒し、安心を得る拠り所として、絆を育んだ異性に愛情を求めるのは自然なことです。そして、わたしたちの在り方は、この世界で許されないことではありません」


 両手におれの手を包んで、愛おしげに撫でる。

 そこにあるものを感じ取ろうとするような仕草だった。


「孝弘殿の真菜殿に対しての想いも同じことです。ましてや、コロニーから落ち延びた当時の孝弘殿たちの状況は、あまりに酷いものだったのでしょう? でしたら、尚更です。わたし自身、たまにその頃を知らないことが悔しいくらい、特別な絆を感じるのですから」

「シラン……」

「元いた世界の価値観を捨てきれないのは理解できます。それでも孝弘殿は、リリィ殿たちは眷属だからと理由を付けることで、なんとか価値観の変化に折り合いを付けてきたのでしょう。だからこそ、眷属ではなく同じ転移者である真菜殿に対しては、特に禁忌の感覚を覚えてしまうというのもわかります。また、真菜殿の境遇や過去の出来事がやましさを覚える原因にもなってしまっているのかもしれません」


 状況を十分に把握したうえで、シランは告げた。


「ですが、たとえ見なかったことにしたところで、気持ちが消えてなくなるわけではありません」

「……そうだな。シランの言う通りだ」


 おれは頷き、目を閉じた。


 自分の胸のなかを覗き込む気持ちで、よく考える。


 正直なところ、いまになっても、おれには加藤さんが異性として自分を慕ってくれているとは思えない。


 それは、あの酷い光景とその後の死んだような彼女の姿を見ているからだ。


 加えて……そう。シランが言っていたところの、硝子細工。

 彼女の存在を、決して触れてはいけない不可侵のものとしているところもあるのかもしれない。


 ただ、そうしたすべてが思い違いで、加藤さんが求めてくれるのなら……。


 それを、彼女が転移者だからという下らない理由で拒絶してはならない。

 そう思った。


「ありがとう、シラン。整理が付いたよ」


 瞼を持ち上げて、視界に映したシランに礼を言う。

 こうして話をしなければ、そのときが来たとして、おれは戸惑ってしまっていただろう。


「いいえ。わたしにとっても真菜殿は大事な仲間ですから」


 シランはちらりと、自分の腰に下がっている剣に目をやった。


 なにかを思い出すように、その目が細められる。


「これで恩返しができていればよいのですが」

「ただ、ひとつだけ間違いがあったが」

「……え?」


 握られているのとは逆の手を、シランの頬に添える。


 聞き逃せないことがあり、こうする必要があると感じた。

 あとは行動するだけだ。


「さっき、シランに会う前のことを知らなくて、悔しいって言っていただろう。それは、間違いだ」


 驚いた様子のシランは、けれど、抵抗はしなかった。


「そんなふうに思う必要はない。おれにとっては、シランも特別だよ」

「孝弘殿……」


 頬に触れた手で、親指を伸ばして柔らかな唇に触れる。


 唇の輪郭をなぞるようにすると、ちろりと少女の舌が指先を舐めた。

 うっとりと細まったシランの目がこちらを見上げてくる。


 シランが目を閉じる。


 距離が近付いて――


「――孝弘殿!」


 ばっと離れたシランが、窓のほうを振り返った。


「ああ!」


 唐突な動きだったが、おれも遅れず動いていた。


 シランが窓に駆け寄り、外に目を凝らすのに追い付く。


「おい、シラン。いまのは……」

「見られておりましたね、いつからかはわかりませんが」

「やっぱりか」


 あの瞬間、おれも視線を感じた。


 もっと前から見られていたのかもしれない。

 気配がしたので、気付くことができた。


 すぐに動いたが、すでに不審な人影はない。

 早々に諦めて、おれより先に動いたシランに問い掛ける。


「相手を見たか?」

「……ええ。一瞬ですが、木から飛び降りるのが見えました」


 ここは二階だ。

 少し離れた場所に植えられた木々に登ることで、窓から室内をうかがっていたものらしい。


 もっとも、さして明るくもない室内だ。

 距離もあるし、まともに見えていたかどうかは疑問だが。


 ただ、この場合、そんなところからこちらをうかがっていたという行動自体が問題だった。


「ポニーテールの少女でした。顔立ちからすると、孝弘殿たちと同じ転移者です。知らない顔でした」

「……転移者」


 おれは呻き声をあげた。


 転移者といえば、飯野や島津さんだが、シランが見たのはそのどちらでもない。


 それとは別口で転移者が訪問するという話は聞いていない。

 たとえ唐突な訪問であったにせよ、この状況であれば、アケル王家はこちらに情報をすぐ回すだろう。


 それがなかったということを考えると、先程の不審者は侵入者ということになる。


「みなに伝えましょう」

「そうだな」


 状況は急を要する。


 おれとシランは連れ立って部屋を出た。


 最悪のケースを想定して動く必要があった。


 この場合の最悪とは、不審者が転移者で、チート持ちで、おれたちに敵意を持っている場合だ。


 念のために全員で行動するべきだった。


「おお、主殿。どうかしたか」

「話がある」


 とりあえず、近場にいたみんなと合流する。


 いないのは、書庫を訪れているリリィと、子供たちを見ている加藤さんにローズ、あやめとベルタだ。


 おれは手短に説明をすると、みんなで借り受けている建物の一階に降りた。


 そこで、思わぬ顔を見た。


「あ、真島」


 飯野がいたのだ。

 隣には島津さんの姿もあった。


 どうやらおれたちのところに来ようとしていたらしく、フィリップさん他数名と連れ立っていた。


 飯野がこちらに走ってくる。


「着いてたのか」

「ええ。ちょっと前に」


 言葉を交わしながら、怪訝に思う。


 飯野が困ったような、怒ったような顔をしていたからだ。


「どうかしたのか」

「ちょっとね。真島にも手伝ってほしいの」


 こちらに向けられた顔には、苦いものが見えた。


「どうしてもって言って付いてきた子が、目を離した隙にいなくなってね。いま探して――」

「あ! 優奈先輩!」


 廊下に反響する大きな声がした。


 振り向くと、そこに少女がいた。


 小柄な少女だ。

 頭のうしろで、短いポニーテールが揺れている。


「あ」


 シランが声をあげ、飯野が怒った声を出した。


「ああ! こんなところに! どこ行ってたの!」

「ごめんなさいっす!」


 大声で応えて、少女が駆けてくる。


 途中、彼女はシランに目をやった。


 にっと笑う。

 元気な表情。邪気のない顔だ。


「さっきぶりっすね」

「あなたは……」

「気付かれるとは思わなかったっす。いえ、驚かせたのがごめんなさいっすけど」


 その目がこちらに向いた。


「いやー。噂の真島先輩がどんな人なのか興味あったんで」

「ちょっと、葵ちゃん? なにかしたの?」


 飯野がじとっとした目になった。


 葵というのが少女の名前らしい。


「……って、葵?」


 おれが引っ掛かるのと、葵と呼ばれた少女が表情を明るくするのが同時だった。


「真菜ちゃん!」


 騒ぎを聞きつけたのか、加藤さんとローズが一緒にこちらにやってくるところだった。

 そちらに少女が駆けていく。


「葵ちゃん?」


 加藤さんが驚いた声をあげた。

 ローズは一瞬、警戒して立ち塞がろうとしたようだったが、加藤さんの知り合いだとわかると足をとめる。


 結果、少女を邪魔するものはなかった。


「真菜ちゃん、久しぶり!」

「きゃっ!?」


 駆け寄った少女が、そのまま加藤さんを抱き締める。


「真菜ちゃん、会いたかったよー!」


 少女が感極まった声をあげる。

 おれの隣で飯野が溜め息をついた。


「おい、飯野」

「わかっているわ。なんだか、ぐだぐだになっちゃったけど紹介する」


 飯野がこちらに視線を流してくる。


「あの子は御手洗葵。『剛腕白雪』の二つ名持ちよ」


◆シランとのいちゃいちゃ。

10巻で糖分が高いのを書き下ろしましたけど、ウェブだと久しぶりかな。


そして、久しぶりの登場の『剛腕白雪』。加藤さんのお友達です。

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