9. 魔王の傷
前話のあらすじ
~こんなだった、かも~
触れ合うふたりの手。
高鳴る胸の鼓動。
そんなおり、『魔軍の王』工藤陸が突然の訪問をする――!
ローズ「申し訳ありません。いまいいところなので後にしてくださいますか」
工藤「!?」
主人公&加藤さん「!?!?」
9
「突然、訪問してしまって申し訳ありません」
談話スペースにあるソファのひとつに、工藤は腰を下ろしていた。
「なにせ、事前にアポイントメントを取ることも難しい立場ですので」
こちらに向けられた笑顔は、彼が魔王としてこの世界の人々に知られつつあることが信じられないくらいに穏やかなものだ。
どこか浮世離れして見える。
もともと線が細かったが、さらに痩せたことで現実感が希薄な印象さえあった。
それでいて、弱々しい印象はなかった。
泰然とした態度には、ある種の風格があった。
「……別にそれはかまわないが」
おれもまたソファに座って、工藤に対面していた。
油断はしていないが、かといって、敵対的な態度を取るつもりもない。
ローズたちに作業の荷物を片付けてもらったうえで、客人として応対していた。
「ただ、確かに驚きはしたな。おれはてっきり、お前は人目を避けているものと思っていた」
「別にぼくも、常に人里離れた場所にいるというわけではありませんよ。必要があれば、こうして足も運びます。無論、護衛は連れていますけれどね」
そう言う工藤のうしろには、十文字達也の姿を模した『ドッペル・クイーン』アントンの分体の姿があった。
工藤の影から出てきた『ナイトメア・ストーカー』ドーラと並んで、こちらのガーベラとやや険しい視線を交わし合っている。
服の下には『ダーティ・スラッジ』ツェーザーも潜んでいるのだろうし、これまで護衛をしてくれていたベルタも向こう側だ。
加えて、工藤は五人ほどの兵士と思しい人間も連れていた。
これはアントンの分体だろう。
よく見れば、顔に見覚えがあった。
「……アントンの分体を王宮の兵士に化けさせて、ここまで手引きさせたのか」
「その通りです」
頷いた工藤が、掌をこちらに向けた。
「一応、言っておきますけど、化けた当人に危害は加えていませんよ。先輩には嫌われたくありませんからね。ちょっと眠ってもらっているだけです」
ある程度は穏当な手段を選んではいるらしい。
奇襲じみた来訪は、本人の言葉通り、その必要があったからしただけのことなのだろう。
「ぼくが帰ればすぐにでも解放します。無論、ぼくの身になにかあればその限りではありませんけどね。あとは、街の外に待機させている配下を、いつでも動かせるようにもしてありますので、そのおつもりで」
「……そんなふうに脅さなくても、お前に危害を加えるつもりはないよ」
「でしょうね。そこは信頼しています。なにせ以前に、まだぼくのことを諦めていないと伝えられていますからね」
工藤は肩を揺らした。
本心から楽しそうな様子だった。
そうしていると、ただの年下の少年にしか見えない。
そんな工藤の姿を、床に伏せたベルタが見上げていることに、おれは気付いた。
こちらの視線に気付くこともなく、じっと主人に視線を注いでいる。
嬉しそうな、それでいて切なそうな眼差しだった。
主である工藤に幸せになってほしいと、ベルタが願っていることは知っている。
楽しげな主の様子は、彼女にとって嬉しいものなのだろう。
同時に、それがこのひと時だけのものだと知っているだけに、無力感を覚えもするのかもしれない。
もっとも、それは一方通行の感情だ。
工藤はそちらに注意を向けることもなく話を続けた。
「だけど、形式というのは必要なものですからね。先輩は脅されていた。ここは、そういうことにしておきましょう」
「……脅されていたから仕方がなかった、と?」
「そういうことです」
確かに工藤の言う通り、この状況はあまりおれにとって都合の良いものとは言えない。
たとえば、世界を脅かす『魔軍の王』と結託していると見られたら、おれの立場はかなり悪いものになってしまうだろう。
下手をすれば、現在の情勢そのものが打撃を受けかねない。
だから『脅されていた』という言い訳は、この場を成立させるために必要なものだった。
もっとも、配下が町の外で控えているというのも嘘ではないのだろうが……。
おれは疑問の視線を工藤に向けた。
「そこまでして、工藤はなにをしに来たんだ」
「もちろん、先輩からお話をうかがいにきたんですよ」
「……話を?」
「聖堂騎士団の助けを借りたマクロ―リン辺境伯領軍を、先輩が退けたという話を聞いたときには驚きました。先輩の危機と聞いて急いで駆け付けたのですが、ぼくが来るまでもありませんでしたね」
どうやら工藤は、辺境伯領軍がおれの命を狙っていると聞いて、わざわざやってきたらしい。
ふと気付いたことがあって、おれは眉を寄せた。
「そういえば、工藤はいつこの国に来たんだ?」
この口ぶりだと、辺境伯軍を撃退したときからそう時を置かずにやってきたのだろうと思えた。
ということは――。
「再編中の辺境伯領軍が、モンスターの大群に襲われて壊滅した件。あれはお前の仕業か?」
「ええ。まあ、そうですね」
工藤は肩をすくめてみせた。
「決定的な場面には間に合いませんでしたから、せめてもの点数稼ぎのようなものですが」
どうということのない口調だったが、言っていることはすさまじい。
「辺境伯領軍には、まだ何千もの兵力があったはずなんだが……」
「と言っても、やつらは先輩との戦いで疲弊していましたからね。そう大したものではありませんよ」
とはいうものの、同じ芸当がおれにできるかと言われば無理だろう。
恐らく、探索隊の転移者たちのなかでも、単独でできるものは少ないはずだ。
だが、工藤自身の意見は違うようだった。
「本当にすごいのは先輩のほうでしょう」
「……なに?」
「ぼくたち転移者に与えられた力は、願いに起因したものですからね」
戸惑うおれに、工藤は告げた。
「あの日、あの時、あの場所で、ぼくは『こんな世界なんて滅びてしまえ』と願いました。言い換えれば、戦う力を望んだわけです。探索隊の転移者たちも、ベクトルは違いますが、本質は同じです。強くあることを望んだ者が強いのは、当然の理屈でしょう。ですが、先輩は違います」
語る口調は軽やかで、好意的なものだ。
本気で言っていることが察せられた。
「先輩は強くなりました。ですが、それ以上に大きくなったことを自覚すべきですよ。その結果として、先輩が世界に与える影響力もまた大きなものとなったのですから。いまや先輩は、この世界の台風の目です。あなたが動けば世界も動く。聖堂教会も、大貴族も、勇者でさえもね」
「……お前自身もか?」
「そうですね。否定はしません」
穏やかな笑顔のなかに、工藤は真意を隠した。
けれど、ここに来たということは、そういうことなのだろう。
工藤は今後のおれの動向を探りにきたのだ。
そうすることで、これから先、なにが起こりうるのかを把握しようとしている。
その結果、工藤が動くのかどうか、動くとしてなにをするのかはわからないが……。
「ベルタから聞きましたよ。辺境伯との会談を行うために、帝都に向かうことになっているのだとか」
あくまで朗らかに、工藤は話し掛けてくる。
事情を話してもよいものか、一瞬、迷った。
けれど、大体のところは、すでにベルタから聞いているだろう。
隠す意味はなかった。
「ああ。聖堂教会や探索隊と協力して、辺境伯を押さえる手筈になっている」
「そうなれば、およそ懸案事項はなくなるわけですね。アケルには地盤ができつつありますし、いよいよ先輩の目的が達成されるまであと一歩ですか」
「首尾よくいけばの話だけどな」
とはいえ、目的に着実に近付いているのは間違いない。
今日の凱旋の手応えが、そう確信させてくれていた。
以前に工藤と遭遇したときには、まだ腰を落ち着ける先さえ曖昧だったことを考えれば、状況はずいぶんと変わったと言えるだろう。
であれば、それは目の前の少年にとっても同じであって――。
「お前はどうなんだ、工藤」
おれは踏み込む言葉を口にした。
考えようによっては、これは良い機会かもしれないと思ったのだ。
なにせ、どこにいるかもわからない、普段接触もできない工藤がこうして向こうから来てくれたのだ。
おれはまだ工藤のことを諦めていない。
これは彼を説得する千載一遇の好機とも思えた。
「これまでなにをしていた?」
工藤の目を見据えて、質問を投げ掛ける。
返ってきたのは、韜晦する微笑みだった。
「先輩と同じですよ。目的のために動いていました」
そう簡単には、話をするつもりはないらしい。
もっとも、それくらいはわかっていた。
だから、さらに踏み込む。
「『偽勇者』狩りもそのひとつか?」
工藤の笑みが、わずかに薄いものになった。
「……それは」
一瞬、言いよどみ、腑に落ちた顔になる。
「なるほど。飯野優奈ですか。そういえば、来ていたのでしたね」
「ああ。話を聞いておいた」
東の地で起きた『偽勇者』に関わる出来事、そこで自分が見たものを、飯野は伝えてくれていたのだった。
そのなかには、村を危機に陥れた探索隊離脱組の浅はかな失敗と、彼らを容赦なく殺した工藤の行いについても含まれていた。
「お前が『狂獣』高屋純を配下にしていることも聞いている」
「……そこまでご存知でしたか。でしたら、ここに連れてこなかった意味はありませんでしたね」
淡々と工藤が答える傍らで、ベルタが居心地悪そうに耳を下げていた。
ある時期、彼女がたまにおれたち――特にリリィを避けるような態度を取っていたことがあったが、その理由がこれだった。
立場的に話すこともできないし、かといって、平気な顔で接することもあの性格ではできなかったのだろう。
その主はといえば、短い間で調子を取り戻していた。
「釈明しておきますが、彼には同意のうえで配下に加わってもらっていますよ」
「同意か。それが、お前が『狂獣』を従えられる理由というわけか?」
「そういうことです」
能力の性質上、工藤の『魔軍の王』では、本来『狂獣』を押さえきれない。
同意があったというのは本当のことなのだろう。
「もっとも、いまとなっては『狂獣』に人格はありませんけどね。あれはただの獣です」
「……そうなんだろうな」
おれは溜め息を呑み込んだ。
工藤の言い分は、口から出まかせとも思えなかった。
去り際に『狂獣』が見せた水島さんへの態度は、高屋純という少年の最後のひとかけらだった。
それはすでに失われて、残っているのは怪物だけ。
元はなんであろうと、いまの怪物には関係ない。
このあたりは、高屋純ともっとも縁の深かった水島さんとの共通認識であり、彼女は「仕方のないことだよ」と、陰のある表情で言っていた。
言葉ほどに割り切れてはいない様子だったが、事実を呑み込むしかないと考えているようだった。
恐らくだが、工藤が従属の同意を得たというのは、狂獣のなかから高屋純が失われきる直前のことなのだろう。
それまで工藤と高屋との間に接点はなかったはずだから、どのように同意を得たかは不明だが……想像できることとしては、水島さんへの執着に付け込んだといったところだろうか。
もっとも、これは証拠のない推測でしかないが……。
なんにしても、あの『狂獣』を従えた工藤の戦力はますます強大なものになっている。
だからこそ、不思議にも思った。
「お前は世界を滅ぼすと言っていたな。魔王として人間を殺すと。だが、おれにはお前が、そこまで無差別なようには見えない」
おれは素直な意見を投げ掛けた。
「実際、お前が見境なく配下のモンスターを動かしていれば、今頃、貴族領のひとつやふたつ皆殺しにされているだろう。だが、そうはなっていない。離脱組のチート持ちを殺せるだけの力があり、あの『狂獣』を従えもしながらだ」
正直なところ、おれが一番危惧していたのは、チリア砦から逃げ出した工藤が力を回復させたあと、人々を襲い始めることだった。
けれど、辺境伯領軍を壊滅させるだけの力を蓄えながら、工藤がそうした行動に出ることはなかった。
飯野から聞いた話では、離脱組の行動によって危機に陥った村の人々に対して、工藤は無関心だったらしい。
少なくとも、憎悪に駆られた様子ではなかったのだと言っていた。
だとすれば、可能性はあるように思えた。
「なあ、工藤。お前には、どこかに迷いがあるんじゃないのか」
迷いがあるから、躊躇っている。
工藤だって人の子だ。
そういうことだってありえるのではないだろうか。
「だとすれば、それは否定するようなものじゃない。人は変わる……いや。変われるものなんだから」
おれ自身、これまでみんなの助けを借りて、少しずつ前に進んできた。
たとえば、あれだけ猜疑の目でしか見られなかった探索隊との合流について、考慮しようと思えるようになったことだって、そうした変化のひとつだろう。
だったら、工藤だって同じであってはならない道理はない。
少なくとも、彼にだってその幸せを願う存在がいるのだから。
「迷いがあるのなら、一度、立ちどまるべきだ。自分のなかの憎悪に折り合いを付けられるかどうか、考え直してもいいんじゃないか」
「……」
工藤はすぐに返事をしなかった。
笑みを薄くして、おれのことを見返してきた。
視界の端では、ベルタが息を詰めて主を見詰めていた。
しばらくして、工藤は言った。
「……ああ。先輩は強いですね」
わずかに、浮かべている笑みの質が変わったように見えた。
「出会った頃から、変わらずに強い。だからこそ、先輩は変われるのでしょうね」
それは無意識の変化だったのかもしれない。
少し羨ましそうな顔をしていた。
「コロニーを破壊しつくした人獣たちは、たとえどれだけ強大な力を持とうとも、どうしようもなく弱い存在でした。先輩はその逆です。たとえ戦う力で劣ろうとも、あなたは強かった。いまの先輩は相応の力を手に入れて……けれど、その本質は変わらずに強くあるのでしょう。だからこそ、自分の弱さを見詰め、変わっていける」
「工藤……」
「ですが、誰もがそう強いわけではありません」
工藤は力なくかぶりを振った。
疲れて倦んだ老人のような仕草だった。
「人間なんていうものは、およそ、ただ弱いだけの存在です。それをぼくは、あのコロニーで思い知らされました。かつてのぼくも、そのひとりでした。いまのぼくは強くなりましたが、だからといって、先輩のような強さを手に入れたわけではありません」
「そんなことはないだろう。お前だって……」
「駄目なんですよ。無理なんです」
おれの言葉を遮って、工藤は言った。
ぞっとするほど乾いた声だった。
「憎しみは消えない。恨みは拭えない。どうしても許せない。……許せるはずがない」
おれの問い掛けは、彼の心の柔らかいところを突いてしまったのかもしれない。
底なし沼のように暗い声が響いた。
内心を覆い隠す工藤の穏やかな笑顔は、一見すると世捨て人のようにさえ見えるが、それは単に表面だけのことに過ぎなかった。
取り繕っていた薄皮一枚が、剥がれ落ちる。
「ああ、そうだ。立ち止まることなんて、できるはずがない。そんなことは許されない」
自分に言い聞かせるような言葉には、強迫観念めいたものがあった。
かすかに見開かれ、不安定に揺れる工藤の目を見て、おれは言葉をかけることができなくなる。
そこにあるのは、世界を塗り潰すほどに、どす黒い怒りと絶望だった。
前に会ったときから、なにひとつ変わってなんていなかった。
工藤はきっと、過去にあった『なにか』を見ている。
あるいは、いつだって見続けているのかもしれない。
だからとまれない。
具体的になにがあったのかおれは知らないが、その出来事はずっと彼を苛んでいるのだろう。
どんなときも忘れられないのだとすれば、それはきっと地獄だ。
普段、曲がりなりにも理性的に振る舞えていることが奇跡に思えるほどの。
だが、そのバランスは崩れてしまった。
そうなれば、壊れた少年はただ無残で、危うい。
額を押さえて、工藤はなにかに憑りつかれたようにつぶやいた。
「ぼくは世界を滅ぼす魔王で、悪だ。最期の瞬間まで世界を呪い続ける。あのとき、ぼくはそう誓って……だから……」
見開かれた目が、ぎょろりと動いた。
その先に、ベルタの姿があった。
「……そういえば、用はもうひとつあったんでしたね」
いまのやりとりが、なにかを思い出させたのかもしれない。
感情の抜け落ちた声で工藤は言った。
嫌な予感がした。
制止は間に合わなかった。
「ッ、ぎぃ……!?」
突然、伏せていたベルタの体が、びくりと跳ねたのだ。
「がぁ!? ぐっ、うぅ……」
あっという間に呼吸は乱れ、苦悶の声が漏れた。
伏せていた体を丸くして、ベルタは悶絶する。
手足が床の上を引っ掻いた。
「ごふっ、がぁあ……お、王」
絞り出される声を聞きながら、工藤は冷えた目を配下に向けていた。
説明をされずとも『魔軍の王』の力を行使していることは明らかだった。
「工藤!? いったい、なにを……」
状況はわからなかったが、とにかく、とめなければならない。
そう思った。
だが、おれがなにかする前に動く者があった。
あやめが怒りに毛を逆立てて、敵意のこもった吠え声をあげたのだ。
「ぎゃおっ!」
話し合いの最中に起こった出来事に面食らって、おれたちはまずなにが起きたか把握しようとしていた。
その一方で、話がわからなかったあやめは、単に『仲の良いベルタが攻撃を受けた』とだけ認識したのだろう。
おれが座っているソファの隣で丸まっていたあやめは、最小限の動作で火球を吐き出していた。
狙いはピンポイント。工藤の顔面だ。
当たれば大怪我は免れない。
しかし、飛来した火球は届かなかった。
割り込んだ触手によって受け止められていたからだ。
「くぅ!?」
あやめが驚きの声をあげる。
工藤を庇うように触手を伸ばしたのは、苦しんでいたはずのベルタだったのだ。
「……やめろ、あやめ」
震える体で身じろぎして、ベルタはよろよろと立ち上がった。
「余計な……真似を、するな」
苦痛を与えられたのは、ほんの一瞬だったらしい。
それでも声には、相当な苦痛が滲んでいた。
そんな状態にありながら、はっきりとベルタは言った。
「これは、我らの問題だ」
「……くぅー」
あやめが耳を下げた。
つぶらな瞳が悲しげな光を宿していた。
拒絶されたと感じられたのかもしれない。
おれはあやめの背中に手を伸ばした。
ぽんぽんとなだめてやってから、視線を工藤に向けた。
「できれば説明をしてもらえるか」
なるべく落ち着いた調子を心掛けた。
ただ、口調が硬くなるのはどうしようもなかった。
「これはそちらの問題だと言われてしまえばそれまでだが――」
ベルタが言ったことに配慮はしつつ、こちらにも言い分はあった。
「――それでも、ベルタには世話になっているからな。いきなり痛めつけられるのを見せられれば、平然としてもいられない」
あやめのように爆発ことしなかったものの、ローズも手をエプロンのポケットに突っ込んで武器を握りかけていた。
ガーベラもかなり攻撃的な気配を発している。
おれ自身、険しい顔をしている自覚はあった。
工藤はこちらに視線を向けた。
普段の穏やかな笑みはなく、能面のような顔をしていた。
「ベルタはぼくの命令を破りました。その罰を与えたまでのことです」
「その命令というのは、ベルタの本当の姿に関わることか?」
辺境伯領軍との戦いで、ベルタは人目に晒すことのなかった本来の姿を現して戦った。
どうもわけありらしいその姿は、工藤の命令で秘されていたらしい。
主に忠実なベルタが犯した命令違反となると、それくらいしか思いつかない。
案の定、工藤は「そうです」と頷いた。
なぜ工藤がそれを知っているのかわからないが、恐らく、ベルタ自身がこれまでの出来事を報告する際に自分から申告したのだろう。
黙っていればわからなかっただろうに、本当に律儀な性格だ。
それはつまり、こうして罰を受けることも覚悟のうえだったということだ。
さっきの様子を見る限りでも、おれたちが工藤を咎めることを本人は望んでいないだろう。
とはいえ、ベルタが本当の姿を大勢の人間の目に晒すことになったのは、おれにも責任のあることだ。
口添えくらいはしてやりたかった。
「言っていることはわかるが、おれのためにやってくれたことだ。いまので終わりにしてやってくれないか」
頼むと、工藤は少し目を細めた。
おれたちに順繰りに目を向けてくる。
その視線は、どこかこちらの様子を観察しているようでもあった。
最後にもう一度、おれに目を合わせてから、工藤は口を開いた。
「……そうですね。こちらとしても、少し配慮が足りなかったかもしれません。ここは、これくらいにしておきましょうか」
そう言うと、工藤はソファから立ち上がった。
「行くのか?」
「人払いはしておきましたが、いまの騒音で誰か来るかもしれませんから」
「……そうか」
本当はもう少し説得を続けたかったし、可能であれば轟美弥との関係についても尋ねておきたいところだった。
しかし、こうなっては仕方がなかった。
「それでは、ぼくは行きますが、くれぐれも身辺には気を付けてください。この世界は激動のなかにあります。こんな状況では、動き出すのは探索隊や聖堂教会だけとも限らないでしょう。最近は大人しくしている『天からの声』も動くかもしれません。また、これは未確認の情報ですが、各地に散らばった転移者にもなにか動きがあるようです。また無事で会えることを祈ります」
最後まで工藤はおれのことを気にする言葉を口にした。
ただ、それはあくまでもおれだけに対する気遣いでしかなかった。
工藤は配下を引き連れて歩き出し、ベルタひとりだけが残された。
「お、王よ。わたしは……」
思わずと言った様子で、ベルタが腰を浮かせた。
改めて謝罪でもしようとしたのかもしれない。
その横を、工藤は通り過ぎた。
一瞥すら与えることはなかった。
「命令を守れない手駒など、ぼくには必要ありません」
ただ冷たい声がかけられた。
ベルタは硬直して、言葉を失った。
そんな彼女の様子をやはり気に掛けることなく、工藤は足をとめた。
振り返って、声をかけてくる。
「ああ、そうだ。先輩が帝都に行くときには、ベルタもお連れください。転移者たちになにか言われるかもしれませんが、そのときには、ぼくが捨てた配下を見かねて拾ったと言ってしまえばいいでしょう。あながち嘘でもありませんしね」
心ない言いようだった。
もともと、使い潰してもかまわないとは言っていたものの、これはもう『不必要なベルタを捨てた』と言っているのと大差ない。
罰を下すことはやめても、決して許したわけではないのだろう。
かといって、とりなす余地はこれ以上なかった。
「それでは、お元気で」
そう言い残して、工藤は去っていった。
最後まで、その目がベルタを見ることはなかった。
***
「……悪かった」
数秒の沈黙のあと、おれはベルタに声をかけた。
「妙なことになってしまった」
「……気にするな」
ベルタは淡々と返した。
「別に、お前のせいではない。わたしが命令を守らなかったのは事実で、咎められるのは早いか遅いかの話だった。それに……こういうのは慣れているからな」
口にしたことは事実ではあるのだろう。
だが、かといって、つらくないわけでもないはずだ。
意気消沈しているのは明らかだったし、傷付いているのだろうと感じられた。
「……少し出てくる」
ベルタはそう言うと、部屋を出て行った。
ひとりになりたいのだろう。
溜め息をついたところで、ふとおれは声をあげた。
「どうした、加藤さん?」
加藤さんが少し考え込むような顔をしていたのだ。
「……いえ。珍しいなと思いまして」
「珍しい? なにが?」
「あれだけ先輩に気を遣っている工藤くんが、先輩を不愉快にするようなことをしたので」
おさげを撫でつつ、加藤さんは首を傾げた。
「ベルタも言ってましたけど、早かれ遅かれというなら、それこそ話を聞いたその場で罰を与えてしまえばよかったじゃないですか。それを、あんな見せしめみたいなことをして」
「それほど、ベルタの命令違反が許せなかったってことか。あの姿を晒すことが」
「かもしれません。あるいは、他になにか思惑でもあったという可能性もありますけど」
「ベルタを同行させて、なにか悪だくみをさせようとしているっていうのか」
おれは眉を顰めた。
「さすがにそれは……」
「そうですね。工藤くんは悪だくみに先輩を巻き込むようなことだけはしないでしょうし」
このあたりは考えていたことだったのか、あっさりと加藤さんも認めた。
「そもそも、ベルタにはその手の行動はできませんものね。それくらいは、工藤くんもわかっているでしょう。そうなると、いまのはむしろそういう悪だくみではなくて……」
考える様子を見せた加藤さんが、かぶりを振った。
「いえ。これ以上は想像が過ぎますね。無理矢理、納得しようとして深読みするのもよくありません。そんなことを考えるくらいなら、いまは目の前のことをやるべきでしょうね」
「目の前のこと?」
尋ねると、加藤さんはおれの隣を指差した。
その先では、あやめが見るからにしょげた様子で、ぺたりとソファに横になっていた。
どうやらベルタに拒まれたことが堪えているらしい。
自慢の尻尾も萎れていた。
「おいで、あやめちゃん。ベルタと仲直りしに行きましょう」
歩み寄りながら加藤さんが呼ぶと、あやめが頭を上げた。
いつものように飛びついたりする元気はないらしい。
加藤さんが抱き上げる間もなすがままだった。
「くー……」
「大丈夫ですよ、ちゃんと仲直りできます。ふたりは仲良しさんですものね」
言いながら目配せをされたので、おれも立ち上がった。
いまは目の前のことをやる。
確かに、その通りだ。
「おれも行くよ。ローズも付いてきてくれるか」
「承知しました」
「あ。でもその前に、アントンの分体と入れ替わりになっている兵士のことについて報告しないといけないな。もう解放はされているだろうから、すぐにでも戻ってくるはずだけど」
「だったら、先輩。先にフィリップさんのところですね」
「そうだな。話をしている間に、ベルタもある程度は落ち着いているだろう」
簡単に打ち合わせをしてから、改めてあやめに向き直った。
「というわけで、あやめは心配するな。ベルタもひとりで落ち込んでるかもしれないしな。みんなで行こう」
加藤さんの胸に抱えられたあやめと視線を合わせて、頭を撫でてやる。
「くー」
あやめは甘えるように鼻を鳴らした。
近付けた顔をぺろりと舐めてくる。
下がっていた尻尾がひょこっと上がった。
元気になったらしい。
くすりと笑う声が耳朶をくすぐった。
視線を上げると、思いのほか近くで加藤さんと目が合った。
それで、無遠慮に距離を詰めていたことに気付いたが、加藤さんは特に気にした様子もなかった。
ただ、少し気恥ずかしげな表情で微笑んだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
「ああ」
加藤さんの言葉に頷き、おれはみんなを連れて歩き出した。
◆前になろう小説投稿のトラブルで更新が早まったとき、
漫画版告知ができずに『次回更新時にも同様の内容を告知します』って言っていてしていないことに気付きました。
◆改めて。
書籍版『モンスターのご主人様⑩』が発売されました。
店頭にて並んでおりますので、よろしくお願いいたします。
また、書籍版をご覧になった方はご存知の情報と思いますが、
コミカライズ版の情報を活動報告(2017.8.31)にて載せておりますので、ぜひご覧ください。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/316835/blogkey/1819392/
◆今回更新は長めでした。一万文字超えると終わらない終わらない。
二話に分けても良かったかもしれないけど、そうすると中途半端だったので一気に更新です。






