5. 勇気のない少女
(注意)本日2回目の投稿です。(8/27)
5 ~加藤真菜視点~
唐突な飯野さんの訪問から一夜が明けた朝。
わたしはローズさんと一緒に、朝食の席に向かっていた。
「寝不足ですか」
わたしがあくびを噛み殺していると、ローズさんが声をかけてきた。
「昨日は少し寝つきが悪かったようですが」
「はい。少しだけ……帝都に向かうに当たって、提示する条件に見落としがないかどうか、考えてたら寝付けなくて」
昨日は一日かけて、みんなで十分に話し合った。
聖堂教会に提示する条件は揃えてある。
あとはこれを飯野さんに伝えて、聖堂教会側の対応を待つだけだ。
「あ」
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、ばったり飯野さんに会った。
どうやら朝から話し合いにやってきたらしい。
「……加藤さん」
わたしの顔を見た瞬間、微妙に飯野さんの歩調が崩れた。
「お、おはよう」
「おはようございます」
ぎこちなさには気付かなかったことにして、こちらも挨拶を返した。
「会談の条件について聞きに来たんですか」
「ええ、そう。ひょっとして、まだ固まってない? だったら、出直すけれど」
「大丈夫だと思いますよ。昨日のうちに話し合ってありますので」
「あ。そうなんだ」
「飯野さんが来たら、真島先輩から話すことになっています。これくらいの時間だと、真島先輩は訓練を終えて、朝食に向かっている頃ですね。わたしたちも行くところなんですけど、ご一緒しますか」
「そうね」
やりとりをする飯野さんの表情は、少し硬いものだった。
前から感じていたことではあるが、どうも彼女はわたしが苦手らしい。
一度はナイフを足に突き立てたことがあるので、当然といえば当然だった。
こちらとしても、そうした相手にあえて立ち話をする趣味はなかった。
「それでは行きましょうか」
「あっ。ちょっと待って」
さっさと移動しまおうとしたのだが、そこで飯野さんに呼びとめられた。
意外に思いつつ、わたしは振り返った。
「なんですか」
「あ、あのね。訊きたいことがあるんだけど」
「わたしにですか?」
珍しいこともあったものだった。
これまでほとんど、わたしと飯野さんとの間にやりとりはない。
せいぜい、高屋くんを攻略しようとしたときの作戦会議と、足をナイフでザクリといったことくらいだ。
そのわたしに質問なんて、どうした風の吹き回しだろうか。
訝しく思って見返すわたしに、飯野さんは切り出した。
「真島のことなんだけど」
「……真島先輩の、ですか?」
思わず、わたしは目を細めた。
胸のなかで警戒心が頭をもたげた。
わざわざ、ほとんど関わりのないわたしに声をかけて、真島先輩についての質問をする――なにか探りを入れようとしているのではないかと思ったのだ。
昨日の感じだと、飯野さんは聖堂教会に頼まれて動いているものの、第三者的にわたしたちとの橋渡しをしようとしているようだった。
聖堂教会がマクロ―リン辺境伯と手を組んでよからぬことを考えていて、飯野さんも加担しているという感じではなかった。
とはいえ、絶対にそういうことがないという保証はない。
「……なんですか」
とりあえず、ここは相手の出方を見るのがよいだろう。
そう考えて、細心の注意を払いつつ応じる。
すると、なぜか飯野さんは視線を逸らした。
はきはきと喋る普段とは打って変わって、たどたどしくも早口に尋ねてきた。
「その、昨日、あいつに抱き着いてた女の子がいたでしょう。真島とどういう関係なのかなって思って」
「……はい?」
予想の斜め上の質問内容に、思いっきり怪訝な声が出てしまった。
そんなこちらの反応を気にすることもなく、飯野さんは続けた。
「ずいぶんと親密そうだったから。ほら、そんなことはないとわたしも思うんだけど、ひょっとしてって思ってね」
「良からぬ関係にあるんじゃないかと?」
「そ、そう!」
飯野さんが勢い込む。
このあたりで、わたしにも事情が呑み込めてきた。
どうやらこれは、懸念していたようなことではないらしい。
……ないらしいが、しかし、これはなんというか。
「そんなわけないでしょう」
溜め息混じりに、わたしは答えた。
真面目に身構えていたぶん、脱力してしまっていた。
「羽と尻尾は隠れてなかったので察しはついていると思いますが、ロビビアちゃんは真島先輩の眷属です。詳しいことは省きますが、半分は人間でもあります。先輩は保護者みたいな立場で、よく懐かれてます。それだけです」
「それだけ?」
「はい。そうです」
「……そっか。ならいいんだけど」
胸を撫で下ろした様子の飯野さんに、わたしはつい胡乱な目を向けてしまった。
「なんでちょっと、ほっとした感じなんですか」
「べ、別に、ほっとしてなんてないけど」
つっこむと、飯野さんはぎくりとした。
わかりやすい。
「本当よ。もしもそんなふうに見えたとしたら、それは……そう。きっと、あいつが小さな子に手を出していないことがわかったからね」
取り繕うように言う。
しかし、そこは実際に気にしていたポイントだとは思えなかった。
「……」
胸の奥に、ちりちりとしたものを感じた。
普段なら抱くことのない稚拙な感情だった。
もちろん、表には出さない。
そうしてわたしが自分を制御していると、隣でローズさんがこくりと首を傾げた。
「真菜の言う通り、ご主人様と結ばれたのはロビビアではありませんよ。ガーベラやシランさんです」
まったくわかっていない様子で、善意百パーセントの返答をする。
そんなローズさんも可愛らしい。
それはそれとして、飯野さんは固まっていた。
「……え?」
ぽかんと開いた口から、間の抜けた声が零れ落ちる。
確認を求めて、こちらに視線が向いた。
「え?」
「本当ですよ」
わたしも頷いた。
この期に及んで隠せることでもなかった。
「ここにいるローズさんもそうです」
「そ、そうして他人の口から聞かされると、なにやら面映ゆいものがありますが」
ローズさんが恥じらい目を伏せる。
そんな姿もキュートだけれど、これは一種のとどめだったのかもしれない。
「ローズさんも……」
よろよろと飯野さんがよろめいた。
かと思うと、こちらをばっと振り返った。
文字通りの目にもとまらぬ速度だった。
「ひょ、ひょっとして、加藤さんも……!?」
「飯野さん、飯野さん。振り返る動作に巻き込まれるだけで、弾け飛びそうな感じになってます。そういうの、一般人的に怖いのでやめてください」
「どうなの!?」
「違いますよ」
「……あ。そうなんだ」
答えると、あからさまに飯野さんは安堵した顔になった。
「そっか。だけど、ローズさんのほうは……それに、ほかにも」
視線が床に落ちた。
ひょっとすると、不潔だのなんだのと怒り出すかもしれないと思ったけれど、そんなことはなかった。
それどころではなかったというべきかもしれない。
半ば呆けた様子で、ふらふらと飯野さんは歩き出した。
「飯野さん? どこ行くんですか」
「ごめん。ちょっと用事を思い出したわ。あとでもう一回来る……」
そう言い残して、行ってしまう。
こちらの様子なんて、もう気にもしていないようだった。
「真菜。あれはとめなくてよいのですか」
「放っておいて問題ないですよ」
ローズさんの問いに、わたしは溜め息混じりに答えた。
これはもう、確定だろう。
前々からそうなんじゃないかとは思っていたけれど、飯野さんは真島先輩が気になっているらしかった。
もっとも、彼女自身はそれを認めないだろうけれど。
まあ、自分がここにいる理由を忘れるほどではないだろうし、それほど無責任な性質でもない。
条件については明日までに伝えればよいし、いまは落ち着くのを待つのでかまわなかった。
「真菜がそういうならよいですが」
状況についていけなかったのか、ローズさんは不思議そうな顔をしていた。
「しかし、飯野さんはどうしてしまったのでしょうか。それほど、転移者にとって、さっきの会話は衝撃的なものだったのですか」
「いえ。そういうわけでは……」
転移者が云々というより、飯野さんが個人的にショックを受けていただけだ。
そう否定しかけて、ふと気付いた。
「……言われてみれば、飯野さんは違ったようですけれど、他の転移者はよく思わないかもしれませんね」
「そうなのですか」
「はい。帝都に行くときには、探索隊の転移者とも会うでしょう。わざわざ恋仲にあると言いふらすことはないにしても、女性の同行者が多いというだけで印象は悪いかもしれません。ほら、以前に深津くんのことがあったでしょう」
「ああ。そういえば」
探索隊の転移者は、すなわち、全員がチート持ちだ。
ひとりひとりが恐るべき力を持っている。
飯野さんの話では、リーダーは真島先輩に対して好意的らしいが、彼以外はどうかわからない。
そういう状況では、少しでもトラブルの種は減らしておいたほうがよかった。
「面倒事はなるべく避けるべきです。同行するメンバーの男女比を調整したほうがいいかもしれませんね。真島先輩たちとも、あとで相談しましょうか」
「真菜」
そうして今後の予定を決めていると、ローズさんが声をかけてきた。
「なんですか」
なにげなく応じて、視線を向ける。
思いのほか、ローズさんは真剣な顔をしていた。
「飯野さんとなにかあったのですか」
「――」
唐突な問い掛けに、わたしは思考を中断した。
まじまじとローズさんの顔を見てしまう。
「どうして、そう思うんですか」
「さっき、飯野さんがご主人様についての質問をしている間に、一瞬、眉を顰めかけていたように見えたので」
……よく見ている。
表面に出したつもりはなかったのだけれど、気付かれてしまったらしかった。
ローズさんはちょっと心配そうな顔をしていた。
どうやら気を回させてしまったようだと察して、わたしは小さく笑ってみせた。
「飯野さんとなにかあったわけではありませんよ。これは、わたし自身の問題ですから」
「真菜の?」
「飯野さんには、なんというか、少しばかり思うところがありまして」
言いながら、ちょっと頬が熱くなる。
誰だって、自分の至らなさを口にするのは恥ずかしいものだろう。
これはそういう話だった。
「前に真島先輩と、飯野さんについて話したことがあります。先輩は言ってました。飯野さんは、自分が諦めてしまったものを持っている人間なんだって」
高屋くんからリリィさんを取り戻したあと、成り行きで共闘した飯野さんと別れる直前の出来事だった。
――自分が諦めたなにもかもを持っている人間を見てしまうと、やっぱり、なにも思わないってわけにはいかないもんだよな。
――だから、あいつのことは嫌いなんだけど。
――だけど同時に、自分が諦めたものだからこそ……続いてほしい、その道を貫いてほしいって気持ちも、どこかにあるんだと思う。
「眷属であるローズさんたちとはまったく別の意味で、真島先輩にとって、飯野さんは特別なんだと思います。だから……」
「真菜は彼女を意識してしまっている、ということですか?」
「……子供っぽい、稚拙な感情だとは思うんですけれど」
そうとわかっていても、どうにもならないものはある。
それが自分にとって大事なことに関わっていれば、尚更だった。
「恥ずかしいですね」
わたしは熱くなった頬をぱたぱたと手で叩いた。
そんなわたしのことを、ローズさんはじっと見詰めた。
わたしという存在を見通すように、じっと。
「ご主人様にとって特別な人を意識してしまっている、ですか」
ローズさんは納得したようにひとつ頷いた。
こくりと首を傾げる。
「それは、真菜がご主人様のことを好きだからですか」
「――」
ストレートな言葉に、息が詰まった。
ローズさんはひどく真剣な表情をこちらに向けていた。
その表情は、いつかチリア砦を見下ろす崖上で交わした会話を思い出させた。
あの時と真摯さは変わらず、はるかに成長したローズさんが、そこにいた。
「真菜はわたしと同じ想いをご主人様に抱いている。そう話したことが前にありましたね。そして、いま、わたしは自分の想いがなんと呼ぶべきものであるのか知っています」
「……ローズさん」
「真菜はご主人様に恋をしているのですよね」
ローズさんの口調には、確信めいたものがあった。
人の心がわからないと言っていた頃からしてみれば、ずいぶんな進歩だった。
ずっと見守っていた身としては、なんだか感慨深くさえあった。
ある面では、すでに追い抜かれてしまってもいるのだろうと感じた。
そう感じても清々しいのは、相手がローズさんだからだろうか。
不思議と抵抗なく、わたしは頷いていた。
「ええ。ローズさんの考えている通りです。わたしは真島先輩のことが――」
とはいえ、自分の口から言うのは恥ずかしい。
「――まあ、そういうことです」
「以前のわたしと違って、真菜は自覚があるのですよね。それなのに、伝えないのですか」
「ガーベラさんにも以前に同じようなことを言われましたね」
正確には、あのときは『どうして押し倒さないのか』と言われたのだったか。
まったく、とんでもないことを言ってくれるものだった。
だけど、それは本質を突いた言い分でもあった。
ガーベラさんには、たまにそうしたところがあるのだ。
実際、真島先輩はわたしに男性を感じさせないようにしている。
男性恐怖症の抜け切らないわたしを、異性として見ないように努めている。
である以上、好意は口にしなければ伝わらない。
それは、わかっているのだった。
それでも動けないのは、怖いからだった。
「ローズさん。わたしは伝えないんじゃないんです。伝えられないんです」
「伝えられない、ですか?」
「以前のわたしはなにもかもを諦めていました。だけど、ローズさんは諦めちゃいけないと言ってくれました。わたしは少しだけ変われて、お陰で真島先輩と別れることなく、いまは仲間のひとりとして信頼してもらっています」
わたしは胸を押さえた。
そこに確かにある温かなものを感じつつ、続きを口にする。
「幸せだと思います。それだけに、この幸せが壊れてしまうのが怖いんです」
なにもかもを諦めていたぶんだけ、いっそう、手に入れたものは愛おしくて。
けれど、告白をしてしまえば、せっかく手に入れたものは壊れてしまうかもしれない。
「そうなるくらいなら、いっそ、この気持ちに蓋をしたままでもいいんじゃないかって思うんです」
「……手に入れたものを失いたくないという、真菜の気持ちはわかります」
ローズさんは理解を示した。
「手に入れたものを大事に思う気持ちもわかります。真菜が小さな幸せを誰より愛おしむことのできる人だということも、わたしはよく知っています」
そのうえで、尋ねてきた。
「だけど、それで真菜はよいのですか」
「……」
ここで『それでもいい』と答えられたのなら、人生は簡単だっただろう。
けれど、そうはいかなかった。
このままずっと想いを伝えられないでいるのだと思えば、胸がひどく苦しくなった。
どうしようもないくらいに悲しく、つらい。
この苦しさが、ローズさんの問い掛けに対する答えだった。
そもそも、そうでなければ、飯野さんを意識するようなことだってなかっただろう。
「……そうですね。わたしには、それでもいいとは言えません」
重い溜め息がこぼれた。
「この想いを伝えないでいるのは堪えられない。そのくせ、伝えるだけの勇気もない」
どっちつかずの、中途半端。
それがわたしの真実だ。
情けなくて、自嘲の笑みが出てしまう。
「わたしは弱いですね」
「……そんな顔をしないでください、真菜」
声とともに、手を取られた。
「ローズさん……」
両手で包み込むようにされる。
その感触は優しかった。
真っ直ぐにわたしを見て、ローズさんは言った。
「真菜にとってどうするのが一番良いのか、わたしにはわかりません。どうしたほうがいいとか、言えるはずもありません。ですが、これだけは覚えていてください」
もう誰も人形のものとは思わない、自然な笑顔で告げる。
「わたしは真菜の味方です。力になれることがあれば、なんでもします。したいんです。真菜が幸せになることが、わたしにとっても幸福なのですから」
かつて、かけてもらった言葉を思い出した。
――生きてください。幸せになってください。……真菜が幸せになれないのに、わたしの物語がハッピー・エンドになるはずないではありませんか。
――わたしに友人の幸福を祈らせてください。幸せになった真菜を見せてください。真菜のいうハッピー・エンドには、真菜も一緒にいないとわたしは嫌です。
わたしが幸せになることが、自分が幸せになるために必要なのだとローズさんは言ってくれたのだ。
それでわたしは諦めないでいようと決めた。
そして、いまもまた。
「大丈夫です。わたしの大好きな真菜は、怖くても前に進むことができる人ですから」
それは買いかぶりだった。
わたしは強くなんてない。
けれど、ローズさんがそう信じてくれているのなら、少しは強くあれるような気がした。
「……そうですね」
気付けば、わたしは頷いていた。
「少しだけ、頑張ってみようと思います」
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