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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
2章.モンスターを率いる者
20/321

02. 疑念と信頼

前話のあらすじ:

~もしも第2章1話に加藤さんがいなかったら~

   (中略)


 自分だけ花の名前ではないというのを、名前を付けられる当人が嫌がったのだ。

 仲間はずれは嫌なのだと。


 あんな出会いだったにもかかわらず……いいや。あんな出会いだったからこそか、彼女はとても仲間を大事に思ってくれているようだった。

 良い傾向だ。おれは彼女の態度を好ましく思いながら口を開いた。


「そうだ、チューリップ。以前に言っておいたものだが、準備はできたか?」

「……」

「どうした、変な顔をして。どこか調子でも悪いのか、チューリップ?」

「う……うわぁああああああんっ!」

「ど、何処へ行くんだ。おい。チューリップ――ッ!?」


 * 前話参照。割と冗談にならない結果に。

   2



 明けて翌日。


「悪いな、急がせて」

「いえ……」


 おれはローズから新しい装備を受け取っていた。


 いつもの胸当と下半身を守るプロテクター、そして、大盾だ。

 ただ、色合いが少し黒みがかっているのが、以前とは違っているところだった。


 同じくローズが作製した疑似ダマスカス鋼の剣ほどではないが、これも以前より強度が上がっているらしい。全員に配備することが出来れば、戦力は何割か増すことだろう。


 ローズは相変わらず良い仕事をしてくれる。


 おれは手早く準備を整えた。


「さて。準備は出来た。そろそろ行くことにしよう」


 おれはローズと加藤さんに声をかけてから、置物のようにじっとしている透明なゼリー質なモンスターの表面を指先で撫でた。


「リリィも。行ってくるから」


 返事はない。


「……」


 リリィは回復のために意識を落としていた。これは人間でいうところの睡眠のようなもので、そうしている間、彼女は擬態を保てない。昨日の朝のように一日に何度か『目を覚ます』のだが、具合が悪そうな彼女の姿は、見ていると少し辛い。


 命に別状があるわけではなく、強靭な生命力を持つスライムだけに、あと数日以内には回復するそうだが、それまではそっとしておくべきだろう。


「じゃあ、あとのことは頼んだから」

「了解しました」

「……はい」


 挨拶を交わして、おれはアラクネの巣を出ようとする。


「ご主人様」


 巣を出る直前に、先程別れを交わしたばかりのローズが追ってきて、おれのことを呼びとめた。


 おれはローズへと振り返る。

 何か忘れ物でもあっただろうか。


「ご主人様。本当に行かれるのですか」

「またその話か?」


 昨日からローズはずっと、おれが森の探索に出ることに反対していた。


 白いアラクネとの死闘はまだ三日前のことだ。

 あのようなことがあったばかりなのだから、彼女が心配をするのはもっともだと言える。


 ただ、少し心配が行き過ぎている感があった。


「これはもう何度も話をしただろう。おれはもう完全に復調している。安心して良い。突然倒れたりはしない」

「それは承知しておりますが……」


 ローズはわずかに言葉に詰まる様子を見せた。


「他にも、そう、たとえば、安全面での問題もあるでしょう?」

「というと、なんだ、このアラクネの巣の安全のことか?」


 安全面での問題……なるほど、そういう意味でも反対していたわけか。

 だけど、それも考え過ぎというものだった。


「大丈夫だ。いざとなれば、リリィを起こせばいい。いまのお前たち二人なら、どんなモンスターが来ようとも、そうそう遅れは取らないだろう」


 元々はリリィとローズの二人きりの戦力だったのだ。

 以前に洞窟で暮らしていた時には、食料を確保するためにリリィを出して、ローズだけが残って護衛についていた。それに比べれば、いまは巣にリリィとローズの両名が揃っているのだから、安全性は増している。


 現在、リリィは不調だが、それだって一度や二度の戦闘に耐えないほどではない。


「それに、そもそも、このアラクネの巣には、あまりモンスターは寄って来ないという話だろう」


 ハイ・モンスターである白いアラクネの巣には、あまりモンスターが寄りつかない。というか、寄りつくようなモンスターは、長い年月の間に全て排除されているのだ。

 ある意味で、これは進化における淘汰の仕組みだった。


「わたしたちのことはどうだって構わないのです」


 ローズはそれでも食い下がった。


「わたしが心配しているのはご主人様のことです」

「……それこそ、心配するようなことじゃないだろう。おれの護衛はハイ・モンスター。あの白いアラクネだ。彼女に敵うモンスターなんて、そうそういるものじゃない」


 言いながら、おれは少し不審を抱いていた。

 いくらなんでもローズの心配は行き過ぎだろうと思われたのだ。


 そもそもローズがおれの方針に異を唱えることが珍しい。彼女はどちらかといえば、異論があっても胸の裡に抱え込んで、黙々と下された指令をこなすタイプだ。


 それなのにどうして……

 ……いや、それとも。


 ひょっとして、いまのローズは本音を抱え込んでいて、『これ』なのだろうか。


「どうしてそうもおれが森に出ることに反対するんだ。ローズ。お前、何か隠していないか」

「……それは」

「お前のことだ。『おれの意に沿わないことだから』とか考えているんじゃないか。変な遠慮はよせ。不満に思っていることがあるのなら、全部言っていい。お前はおれの眷族で、大切な仲間なんだから」


 おれがそう促しても、ローズは迷っている様子だった。


 それでもおれが我慢強く待っていると、彼女は突然、跪いて頭を下げた。


「申し訳ありません。ご主人様」

「なんだ。どうした」

「ご主人様の眷族に対する思い入れは知っております。ありがたいことだと思いますし、それを無為にすることはわたしの望むところではありません」


 ローズは頭を下げたままで、自分の心の中を吐き出し始めた。


 それと同時に、彼女の心の中にある申し訳なさ……そして羞恥心のようなものも、パスを通じて同時におれに流れ込んできた。


 だけど、一体、何に対して?


 おれの抱いた疑問に答えるように、ローズは続けた。


「しかし、わたしはどうしても……あのガーベラのことが、姉様ほど信頼出来ないのです」

「……なんだと?」


 これはおれにとって予想外の告白だった。

 おれが何も言えずにいるうちに、ローズは更に言葉を連ねた。


「せめてわたしか姉様、どちらかが自由に動けるようになるまでお待ちいただけませんか」


 彼女が言っていることは、つまり、『ガーベラのことが信用出来ないから、自分かリリィのどちらかを護衛につけろ』ということだ。


 おれは少し眩暈がした。

 ローズがどれだけ本気なのか、わかってしまったからだった。


「それが、おれが森に出ることに反対していた本当の理由か?」

「申し訳ありません」


 おれが尋ねると、ローズは更に深く頭を下げた。


「あいつのことが許せないか」

「……はい」

「そうか」


 ああ、くそ。

 これはおれが迂闊だった。


 むしろこれは予測していて然るべき事柄だった。

 あっさりとリリィが受け入れてくれたから、すっかりその可能性を失念していたのだ。


 ローズはリリィとは違う。

 彼女の担う役割はおれの身の安全の確保でり、その本質は守護者だ。


 主人であるおれのことを傷つけるものを許さない。

 それが彼女の在り方なのだ。


 ――わたしはご主人様をお守りするために存在します。そのためになら、この体など木屑になってしまっても構わない。


 これは、ローズがかつておれに告げた言葉だ。

 おれを守ることこそが、彼女にとっての存在意義なのだ。


 そんな彼女が、おれを傷つけたガーベラのことを許せなくても、それは自然なことだといえる。むしろそのあたりはおれがうまく調整してやらなければいけないことだったのだ。


「申し訳ありません」

「そう何度も謝る必要はない。許せないという気持ちは、どうしようもないことだからな……」


 おれだって、コロニーでおれのことを痛めつけた学生たちのことを許せと言われても無理だ。


 考えようによっては……彼らはパニックに陥っていたのだ、非常事態だったのだ、普段は彼らも善良な市民だったのだ、状況が悪かったのであって彼らは何も悪くなかったのだ……などと考えることは可能だ。

 考えることだけなら。

 本気でそう思うことは出来そうにないが。


 彼らはみんな死んでしまったが、『死ねばみな仏様だ』などと彼らの死を憐れむような気持ちは、おれにはまったくなかった。


 人の心というものは、理性ではどうしようもない部分が存在するものなのだ。


 もう一人の眷族であるリリィはガーベラのことを許したが、だからといって、ローズが彼女より狭量だという話でもない。

 リリィはおれの心を優先するのに対して、ローズはより実際的な意味でおれの安全を大事にしているというだけのことなのだから。


 これは彼女たちの個性であり、否定するべきではない彼女の人格の表れだ。少なくとも、おれはそれを無下に否定したくはない。


 加えて言うのなら……残酷なことを言うようだが、この一件に関しては完全にガーベラが悪い。

 暴虐の化身であった白いアラクネがおれたちを傷つけたことは事実なのだ。

 そして、改心したからと言って、彼女の蜘蛛としての性質が変わるわけでもない。


 一度やってしまったことは覆らない。

 どれだけ後悔したところで、過去が変わることはない。


 勿論、おれはガーベラを信じている。

 眷族たちにも彼女のことを信じてほしいと思っている。


 だが、だからといっておれが命令してローズにガーベラを信用させるというのも違うだろう。それは本当の意味での信頼関係ではないし、そうして築かれるものは、おれが彼女たちに望んでいる関係とはまったくの別物となってしまうはずだった。


 ガーベラはこれから、初対面で失ってしまった信頼を勝ち得ていかなければならないのだった。


 とはいえ、これはそれほど心配することではないだろう。


 こつこつと信頼を築いていく。

 人間関係の構築ということなら、むしろこちらの方が本道といえるのではないだろうか。


 おれ自身のことはわきに置くとしても……たとえば、リリィがああもあっさりと、一度は敵対した白いアラクネのことを受け入れてくれたことの方が、例外的な出来事なのだ。


 ――ローズの信頼を勝ち得ること。

 そのための早道は、やはり『おれの役に立っているところをローズに見せる』ということになるのだろう。


 そういう意味では、結果的にではあるが、おれがガーベラを護衛として森に出ようとしているのは正解だった。


 いまのガーベラに必要なのは、信頼に足るだけの実績だ。

 実績があれば、いずれローズも彼女のことを認めてくれる。幸いなことに、ローズは理性的な性格をしている。既に反省を見せているガーベラが認められることは、そう難しくはないはずだった。


 それに、現状はローズにとっても辛いはずだった。

 ローズだって出来ることなら、同じ眷属であるガーベラのことを疑いたくなんてないはずなのだ。

 そうでなければ、おれがローズの告白から『恥』の感情を受け取ることはなかっただろう。


 どちらにも歩み寄る気持ちがあるのだから、彼女たちは大丈夫だ。


 何一つとして問題がないなんてことは、生きている限りあるはずがない。小さな問題はその都度解決していくしかないのだ。


 そのために彼女たちを手助けをするのが、主であるおれの責務というものだろう。


 ローズとの会話を切り上げて、おれはアラクネの巣の外に出た。


 そこでは、ガーベラが待っていた。

 ガーベラは蜘蛛脚を折りたたんで、ぼんやりと空を見上げていた。


 ローズと話をしていたせいで少し時間が経ってしまっていた。彼女には待ちぼうけを食らわせてしまったようだ。悪いことをした。


「待たせたな」

「いや。待ってなどおらぬ」


 空に向けていた視線を落としたガーベラは、やや硬い表情をしていた。


 おれは首を傾げた。


「何かあったのか?」

「う、うむ。何の話だ?」


 ガーベラはそそくさと立ち上がると、おれに背を向けた。


「ほら、早く行かねば日が暮れてしまう。今日は日暮れまでに帰ってくるのであろ」


 彼女の言うことも、もっともだった。

 少し疑問はあったものの、おれはアラクネの巣を出発した。


   ***


 森を進んでいたおれたちは、スタブ・ビートルと呼ばれる虫型のモンスターと遭遇していた。


 スタブ・ビートルは、大きさは七十センチくらいの、見た目は巨大なカブトムシだ。

 体中を分厚い外殻が覆っており、その堅牢さは恐らくこの森でも有数のものだろう。


 ランスを思わせる円錐形をした巨大な角は頑強で、ちょっとやそっとの衝撃で砕けることはない。


 得意なのは空中からの突進攻撃。


 これはシンプルでありながら強力な攻撃であり、コロニーでは最初期に一名だけだが探索隊に死者を出している。


 おれたちが遭遇したスタブ・ビートルは、こちらより前に接敵に気付いていたらしい。ぶぅんという羽音をおれたちが聞いた時には、既に空高く舞い上がってしまっていた。


 この時点で、おれがこいつを眷属に出来る可能性はなかった

 明らかにスタブ・ビートルはおれたちに対して攻撃の意思を示しており、何より互いの間を繋ぐパスの存在を感じ取れなかったからだ。


 スタブ・ビートルはおれ目掛けて飛んできた。

 高さ数メートルの位置エネルギーを速度に変え、頑強な外殻を武器とした弾丸のような体当たりだ。

 避けようにも、生きた弾丸であるスタブ・ビートルは、こちらを視認した上で方向転換をしてくる。このままだとおれは胴体を貫かれて、ひょっとすると上半身と下半身が泣き別れになってしまう可能性さえあった。


「任せよ」


 目にもとまらぬスピードで飛んでくるスタブ・ビートルだが、その進路を妨害するように、おれの傍らにいたガーベラが糸を投げつけた。


 べちゃっとガムのようにくっついた糸に構わず、巨大カブトムシは当初の目標であるおれに突っ込んでこようとする。

 だが、それを許すガーベラではなかった。


「むんっ」


 八本の脚をふんばり、一見ほっそりとした腕で糸を引けば、パワー・タイプのモンスターであるはずのスタブ・ビートルは、一瞬のうちにバランスを崩した。


 進路が逸れて、制御を失った飛行は墜落に転じる。

 スタブ・ビートルの丸い体は、引っ張られた勢いも加わって、地面を不規則に飛び跳ねながら、ガーベラへと突っ込んでいった。


「これで仕舞いじゃ」


 あわや激突というところで、ガーベラは蜘蛛脚の一本を突き出した。

 達人の槍の一撃を思わせる一突きは、頑強なはずのスタブ・ビートルの外殻をあっさりと貫いて地面に縫いつけた。


 びくびくと足を震わせて、スタブ・ビートルは沈黙した。


「終わり……だな」

「だの」


 恐る恐る確認すると、おれは詰めていた息を吐き出した。


 ガーベラの実力は知っているが、やはり戦闘ともなると緊張する。


 命のやり取りというのはどうにも慣れない。


「少し休憩してはどうかの、主殿」


 顔に気疲れが出ていたのかもしれない。ガーベラが気遣わしげな表情で提案してきた。


「そうだな」


 おれはありがたくガーベラの申し出を受け入れることにした。


 その場に腰を降ろす。

 持ってきていた木製の水筒から水分を摂取すると、小さく溜め息をついた。精神的なことだけでなく、少し体に疲労感があった。


 自分でも気付かないうちに、気を張っていたのかもしれない。もう少しこまめに休憩を取った方がよさそうだった。


 そうしておれが自分の状態をチェックしていると、ガーベラが声をかけてきた。


「主殿」

「うん?」

「『荷造り」が出来たのだがの」

「早いな」


 話しかけてきたガーベラの手には、蜘蛛糸でぐるぐる巻きにされたスタブ・ビートルの死骸があった。


 彼女が言った『荷造り』というのはそのままの意味で、持ち運びに便利なように、また、そのままで運ぶと色々と中身が『零れて』きかねない、という理由で、モンスターの死骸を蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにしているのだった。


 ではどうして、モンスターの死骸をわざわざ持って帰ろうとしているかというと、これは、いまはアラクネの巣で体を休めているはずのリリィへのお土産なのだった。


 彼女には捕食した生き物に変化する擬態能力がある。

 まだおれたちが出遭ったことのない、すなわち、リリィが捕食したことのないモンスターは、喰わせれば彼女の戦力になる。


 本来の目的とは違っているが、これも一つの成果だろう。

 悪くはない。これで新たな眷属を連れて帰ることが出来れば、万々歳というものなのだが。


「よし。それじゃあ、出ようか」

「待て待て、主殿よ」


 勇んで立ち上がったおれだったが、ガーベラはこれを諌めた。


「まだ座ったばかりであろ。もう少し休んでいてもいいのではないかの。主殿はあまり体力がないのだし」

「……それはまあ、お前たちモンスターに比べれば貧弱かもしれないが」


 虚弱体質みたいな言われ方をすると、男としては少し引っ掛かるものを感じるのだが、相手は白いアラクネだ。彼女の目から見れば、おれなんて赤ん坊より頼りなく見えていてもおかしくなかった。


「わかった。もう少し休もう」

「うむ」


 おれはその場にあぐらをかいて再び座り込んだ。

 それを見て、満足そうに頷くと、ガーベラは八本の足を折って座った。


「……」


 おれから、三メートルほど離れて。


「……遠くないか」


 二人でいて、この距離感はないだろう。

 話しづらいこと、この上なかった。

 普通なら嫌われていることを疑うレベルだった。


「そ、そうかの?」


 ガーベラは不器用に視線を逸らした。

 あからさまに怪しかった。


 何かあったとしか思えなかった。


「ガーベラ?」


 おれが名前を呼ぶと、びくりと細い肩が跳ねた。


「な、なにかの?」

「……」

「ううう……」


 おれがじっと見つめていると、まるで白百合がしおれるように、少女の上半身がうなだれた。


 どうやら観念したらしい。素直なのはいいことだ。


「何があった?」


 おれが尋ねると、ガーベラはおずおずと口をひらいたのだった。


「……主殿はいいのかの?」

「何の話だ?」


 おれが不理解を示すと、彼女は気まずげな口調で言った。


「妾は……つい昨晩、主殿を襲ったばかりであろ。そんな妾と二人きりというのは、少し無用心なのではないかのう」


 おれが一言告げれば、いまにもこの場から消えてなくなってしまいそうな物腰だった。


「ガーベラ。お前……」


 そこで、おれはぴんときた。


「おれとローズの会話を聞いていたな?」

「な、なんのことかのっ!?」


 声は上擦っているし、赤い目は視線が泳ぎまくっていた。

 いくらなんでもうろたえ過ぎだった。


 これでは認めてしまっているのと変わらない。


「聞いていたんだな」


 おれはひとつ溜め息をついて、目を逸らしている彼女のもとへと歩み寄った。


 ぴくんと肩を震えさせた彼女だったが、逃げ出しはしなかった。

 ただ、観念したように俯くだけだ。


「それでお前、様子がおかしかったのか」

「……うむ」


 おれがガーベラと森の探索に出ることにローズは反対していた。

 あれを聞いてしまったガーベラは、ローズが自分のことを疑っていると知って、おれと距離を取っていたらしい。


 二人きりで森に出ている時点で、多少距離を取ったところで何の意味もないのだが……いや。もう何も言うまい。彼女が不器用であることは知っていたことだ。そうでなければ、あの夜のような失敗は犯すまい。


 問題はガーベラがそれを重く受け止めているということだ。

 此処まで落ち込んでいるということは、もともと彼女の中に、自分を責める気持ちがあったということだろう。


 どうやらおれたちに一度は敵対したことが、いまはガーベラと呼ばれるようになった彼女にとっては大きな負い目になっているらしかった。


 少し考え、おれは尋ねた。


「無用心か。なんだ、ガーベラはおれたちをまた傷つけるつもりなのか?」

「まさか! そんなことはない! 妾は本当に主殿たちには感謝しておるのだ!」


 喰い気味にまくしたててから、はっと気づいたようにガーベラは、その場で脚を折りたたんで肩を落とした。


「だが、ローズ殿の言うことにも一理あると、妾自身も思ってしまったのだ」


 しゅんとしたその姿は、華やかな美人であるだけに、大輪の花が閉じてしまったようでさえあった。


「妾は危険だ。主殿たちを害してしまいかねん。それは事実なのだ……」


 これはどうやら、だいぶ重傷らしい。

 おれはそう確認して、内心、眉をひそめた。


 おれたちは少人数のチームだ。

 それ故に、力を合わせてこの世界を生き残らなければならない。

 あまり負い目が大きすぎると、それが不和を生むこともあるかもしれない。


 眷属のケアは主人であるおれの責務だ。

 加えていうなら、彼女を味方に引き入れたのはおれなのだから、きちんと面倒は見てやらねければいけない。


 というのは半分は建前で、こうして落ち込んでいる彼女のことを放っておけないというのが、おれの本音なのだが。


 しかし、どうやって元気付けたものだろうか。

 思案するおれの前で、ガーベラが俯き加減で口を開いた。


「主殿たちは妾を受け入れてくれた。妾はそんな主殿たちの役に立ちたいと思っておる。これは本心なのだ」


 両手の指を合わせて、ガーベラはおれを上目遣いで見ると、赤い目をやや逸らし気味にした。


「し、しかしだ。持って生まれた性質は変わらぬ。妾はいまでも主殿のことを独占したいし、捕らえてしまいたい。……いいや。昨日出逢った時よりもいっそう、そう感じる心は強くなっておるかもしれん」


 そう言って、ちらちらとこちらをうかがってくる瞳には、透き通る赤色の下に、燻る慕情が透けて見えていた。


「妾のことを許し、受け入れてくれたみなのことを、妾はいずれ傷つけてしまうやもしれぬ。それが妾は怖いのだ」


 ガーベラと名付けられた白いアラクネは、蜘蛛である。

 獲物を捕らえて、縛り付けてしまうことは、彼女にとって本能的な行いだ。

 そうしたいと思ってしまうのは自然なことで、彼女が彼女である以上、これはもう変えられるようなものではない。


 ……だけれども。

 そう思ってしまうことと、実際に行動に移すかどうかということは、当然のことながらイコールではない。

 おれはそう思うし、そう信じている。


「安心しろ、ガーベラ」


 結局、おれは自分が思ったことを素直に伝えることにした。


「お前はおれを……おれたちを、もう二度と傷つけたりはしないよ」


 どうせおれたちの間にはパスが繋がっていて、嘘や誤魔化しを口にしたところでバレる可能性が高い。だったら、そのままの心を伝えた方がいい。

 そう判断してのことだった。


「主殿は、どうしてそう思うのだ?」


 おれが断言したことが意外だったのか、ガーベラは蜘蛛の下半身をきちきちと鳴らして、身じろぎをした。


「ローズ殿の言い分は正しい。妾自身、妾のことを信用してはおらぬのだ。なのに、主殿はどうしてそのように思える?」

「どうしてって……それは、あの夜のお前の姿を見ているからだよ」


 ガーベラはあの夜、たった独りでこれから先の生涯を過ごす自分を想像したはずだ。

 ほんの短い時間ではあったものの、孤独に震える時間は、これまで彼女が生きてきた時間の何倍にも感じられたはずだった。


 おれも同じ経験をしたからわかるのだ。


 だからこそ思う。

 あれを何よりも辛いと感じられるなら、彼女は大丈夫だろう、と。


「『おれたちを傷つけることが怖い』って言ったな。そう感じているなら、お前は大丈夫だ。お前はおれたちの信頼を裏切ったりはしない。だって、そうだろう。おれたちを傷つける未来に恐怖を覚えているってことは、それだけ、おれたちのことを真剣に考えてくれているってことなんだから」


 だから、心配することなんて何もない。

 ガーベラは自分の欲求に負けて、おれたちを害為すことなんてない。


 彼女にはそんなものより大事なものがあるのだから。


「おれはお前を信じているよ」


 おれはガーベラの蜘蛛の体の前に垂れた彼女のほっそりとした手を握った。此処からおれの信頼が伝わればいい。それが彼女の力になればいい。


「だから、お前もお前自身をもうちょっと信じてやれ」

「主殿……」


 ガーベラはおれのことを身じろぎひとつせずに見つめていた。


 かと思うと、突然、がばっと顔を伏せた。

 おれは手を振り払われて、びっくりして固まった。


「ガ、ガーベラ?」

「あ、主殿……」


 呻くような声。

 ガーベラは両手を顔にあてて、長い髪で顔を隠すように俯いていた。

 ただ、あまり顔を隠している意味はなかった。のぞいている耳は真っ赤だし、俯いたことで露になったうなじまでが朱に染まっていたからだ。


「ガーベラ? お前、一体どう……」

「あ、主殿よ。わかった。主殿が眷族である妾のことを、心の底から信じてくれていることは、よくよくわかった」


 ガーベラは片手を挙げて、心配するおれの言葉を遮った。


「だから、そのくらいにしておくれ」


 わけもわからず戸惑うおれに、ガーベラは小さな声で告白した。


「……そろそろ押し倒してしまいそうだ」

「成る程」


 納得した。

 さっきから、きちきちきちきちきちきちきちきち、蜘蛛脚がうるさいとは思っていたのだ。


 どうやら我慢しているらしい。


 有言実行は偉いが、これ以上、彼女の自制心を徒に試すこともないだろう。


 おれは大人しく、彼女が落ち着くまで待っていることにした。


「……悪かった。待たせたの、主殿」


 やがてガーベラはやや赤らんだ顔を上げた。

 表情に暗いものはなく、おれはまずそのことにほっとした。


「とにかく、主殿が妾のことを信じてくれておることはわかった」

「おれだけじゃない。リリィだってそうだろう」

「うむ。しかし、ローズ殿はそうではなかろ」

「まあ、それは確かに、そうだが」

「主殿よ。妾はどうするべきなのだろうか」


 それは単なる嘆きではなかった。

 ガーベラの口にした言葉には、この状況をどうにかしたいという、前向きな決意がこもっていた。


「ガーベラはローズに信頼してほしいと思ってくれているのか」

「無論だ」

「そうか」


 迷いのない返答が嬉しくて、おれはついガーベラの白い頭を撫でていた。


「なら、そのために努力しないとな」

「あ……」


 ガーベラは透き通るような白い頬を朱に染めると、嬉しそうな顔をした。


「誰かに信じてほしいと思うのなら、それだけのものを積み上げないといけない」

「……うむ。そう、じゃな」


 ガーベラはやや顔を赤らめたまま頷いた。


「まずはこの探索を上首尾に終わらせることじゃな。あいわかった。妾は全力をもって、主殿を助けようぞ」

「ああ。頼りにしてるよ」


 ガーベラの表情にはもはや弱々しいものはなかった。

 どうやら彼女の中の不安は払拭されたらしい。自然とおれの口元にも笑みが浮かんでいた。


「よし。それじゃあ、今度こそ行こうか」

「うむ。道中の安全については任せておくれ」


 足取りも軽く、おれたちは探索を再開したのだった。

◆久しぶりの更新ですね。

いや。お話自体ではなくて、前話のあらすじのことなんですけど。

二回ぶりですね。

まあ、前回のは実は割烹に載せてたりするんですが。


◆ガーベラ回です。

きちきちきちきち。


◆次回更新は2/8(土曜日)となります。

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