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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
6章.人形少女の恋路
197/321

35. 行き付く先の片鱗

(注意)本日3回目の投稿です。(5/28)














   35



 ――時間は少し遡る。


 おれはいまだに、灯火の世界に囚われていた。


「あ、ぐ……」


 苦しい抵抗は続いていた。


 おれのなかに侵入したトラヴィスが、のしかかるようにして、首を絞めてきていたのだ。


「はっ、ははは。いいザマですね、真島孝弘」


 いまのこいつは、ほとんど怨霊そのものだ。

 そんなありように相応しく、歪んだ口元からは悪意に満ちた呪詛が吐き出される。


「苦しみなさい。ふ、ふふ。はは、はははははっ」


 首筋にめり込む指をどうにかして引き剥がそうとするが、全身に力が入らない。

 それでも無理に力を入れようとすると、全身からピシピシ嫌な音がした。


 この世界で、灯火と二重映しにあるおれの体には、細かい罅割れが存在する。

 グールに堕ちたシランの意識を呼び戻したとき、リリィを高屋純から取り戻したとき、生じた罅だった。


 おれの魂に生じた、消えない傷と言い換えてもいい。


 ピシピシという音は、これが限界だという魂の悲鳴だった。


 ぎりぎりのところで、抵抗は続いていた。


 おれだけの力ではない。

 暗闇のなかからは無数の蔓が伸びて、トラヴィスをとめようとしてくれていた。


 サルビアとアサリナの助力だった。


 しかし、彼女たちの助けを得てなお、この状況を打破するには足りなかった。


 一度はトラヴィス相手に優位を取ってもいたのだが、現実の世界で『霧の仮宿』の魔法を使う無理をしたせいで、この世界における抵抗力は大きく失われていた。


 もはやどれだけの時間、こうして堪えているのかもわからなかった。

 時間の感覚もなく、延々と苦痛だけが続いていた。


 苦しむおれを見て、トラヴィスが嗤った。


「あなたがたも、しつこいですね」


 二つ名の所以であったはずの目は失われ、火に炙られた蝋のように成り果てた体は、すでにまともな形を保っていない。

 そんな状態でも、苦しむおれを見て笑っていられるのだから、おぞましい逆恨みとしか言いようがなかった。


「もう諦めたらいかがですか」

「……馬鹿を言え」


 粘着質な言葉をかけてくるトラヴィスに、言い返した。


 諦めるつもりなんて、毛頭なかった。


「大丈夫か。サルビア、アサリナ」

「……ええ。まだやれるわ」

「サマー……」


 呼び掛ければ、応えてくれる声がある。


 酷く疲弊しているが、ふたりとも抗う意思は捨てていない。


「ありがとう」


 その事実に後押しされて、目の前の醜悪な顔を睨み付けた。


「おれたちは負けない。トラヴィス。お前こそ諦めたらどうだ。もう体が保てなくなってきているんだろう?」


 勇者の遺産である『霊薬』は、確かに恐るべき効果を発揮した。

 魂だけになって侵入してきたトラヴィスは、おれの内部を思うがまま痛めつけた。


 けれど、それも永遠ではない。


 いまのトラヴィスは火の点いた蝋燭と同じだ。

 いつかは燃え尽きて消える。


 事実、初めて現れたときに比べれば、トラヴィスの体は崩れていた。

 出来の悪い粘土細工じみた印象はますます強まって、人の形を失いつつある。


 自覚はあったのか、トラヴィスの顔が引き攣った。

 けれど、すぐにその口元は元の通りに歪んだ。


「……ええ。そうですね。確かに、あとは時間の問題です」


 こちらの言い分を認めるようなことを言う。


 けれど、こいつは素直に自分の負けを認めるような人間ではない。


 実際、口元はにやにやと嫌な笑みを浮かべていた。


「わたしは消える。あなたは生き延びる。この手であなたの魂を握り潰したかったのですが、そこは残念でなりません」


 警戒を強めるおれに対して、トラヴィスは笑みを深めてみせた。

 嗜虐に満ちた、狂った笑みだった。


「しかし、だからといって、それがそのままわたしの敗北とは限らない。ええ。これは決して、敗北などではありません」


 執着心の塊のような口調で告げる。


「むしろ、あなたには生き延びてもらったほうが面白い」

「トラヴィス。お前……」


 なにが言いたいのか。

 詰問するより前に、変化は起きたのだ。


「え?」


 暗闇のなか、おれのもの以外に、ひとつの灯火が生まれた。


 いいや。正確に言えば、灯火は生まれたのではなく、輝きを強めたのだった。


 もともと、この世界はおれと眷属たちのものであり、眷属たちの灯火は常に近くに存在している。

 当然、これまでもだ。


 それが感じ取れなかったのは、恐らく、『霊薬』の力を借りたトラヴィスが邪魔をしていたためだろう。

 男の妄念と執念が、おれの周りを黒く閉ざしていたのだった。


 けれど、不意に燃え上がった赤く美しいその灯火は、黒い帳を貫いて、ここまでその光を届かせるだけの、特別な熱量を持っていた。


 その燃焼は力強く、それでいて、どこか儚い。


 直感した。

 これはきっと、燃え尽きることを覚悟した輝きなのだと。


「……ローズ?」


 パスのお陰だろう、相手の正体を察するのは難しいことではなかった。

 灯火と二重映しになって、見慣れた少女の姿が現れた。


 突然の事態におれは戸惑い、ついで目を奪われた。


 暗闇のなかに現れたローズが、とても嬉しそうに笑っていたからだ。


 これまで見たこともないくらい、雰囲気が華やいでいた。

 きっとなにか大事な宝物を得たのだろうと、察するのに十分な表情をしていた。


 見る者すべてを恋に落としてしまうほど、魅力的な笑顔だった。

 年頃の少女の持てる輝きのすべてがあった。


 そして、決定的なことに、彼女の笑顔はこちらに向けられていた。

 ひたむきな眼差しは、おれだけを映し出していた。


 その意味を薄らと理解して――胸のときめきより、全身を襲う悪寒が先に立ったのは、ローズの笑顔が『覚悟した者』のそれと感じられたからだった。


 不吉な予感がした。

 もう二度と、ローズの顔を見ることはできない気がした。


 そして、そんな予感を裏付けるように、ローズは告げたのだ。


 ――さようなら、ご主人様。


 口にされたのは、別離の言葉だった。

 胸を締め付けるような、切なげな眼差しをしていた。


「……待て、ローズ。待つんだ」


 なにがあったのか、理解できたわけではなかった。


 けれど、喪失の予感はもはや確信にも近かった。

 胸を錐で突かれ、抉られるような感覚がした。


 ただ、恐ろしかった。

 この瞬間だけは、痛みも、苦しみも、他のなにもかもを忘れた。


「待ってくれ」


 おれは必死に声をあげた。

 思いとどまらせようとした。


 けれど、言葉は届かない。


 おれたちの間にあるものは、本来、双方向の繋がりだ。

 しかし、いまのおれは毒に蝕まれていて、こちらから気持ちを届ける余力がなかった。


 だから、決定的な言葉をとめられなかった。


 ――お慕いしております。たとえ、この身が朽ちようとも。


 それは疑いようのない愛の告白だった。

 しかし、自らの破滅を覚悟した誓いの文句でもあった。


 きっとローズは、胸に花開いたその想いを届けたいと、強く強く願ったのだろう。


 これはその結果だった。

 想いの為した奇跡と言ってもいいかもしれない。


 思わぬ形で、彼女の願いは叶えられた。


 ただ、それはむしろ、ある一面では残酷なことだった。


「待っ……」


 伸ばした手は届かない。


 とめる言葉がかけられない。

 告げられた想いに応えるすべすらない。


 おれは無力で、なにをすることもできなかった。


 ――どうか健やかに。


 その言葉を最後に、ローズの姿は掻き消えた。


 あとには、ただ暗闇だけが残された。


「ああ……」


 おれはもう、なにを考えることもできずに、暗闇を見詰めることしかできなかった。


「健気なことですね」


 呆然としたおれの耳に、滴る毒のような声が届いた。


「追い詰められて、行く先を失って、これからあの娘は死にに行くのですよ」


 トラヴィスが芝居がかった口調で、認めたくない事実を突き付けてくる。


「足止めのための捨て駒です。ああ。なんという悲劇なのでしょうかねえ。淡い想いは叶うことはなく、戦場に果てて……ゴミのように朽ちていくわけです」


 丹念に傷口に塗り込むように、言葉を重ねる。


「そんな彼女の犠牲のすえに、あなたは生きていかねばならない。喪失の痛みに打ちのめされて、癒えない悲しみは心を膿ませ、あなたを長く苦しめるでしょう」


 ああ、確かにその通りだ。


 喪失の予感は、ただそれだけで胸に穴を開けていた。

 この予感が現実になったとき、きっと、それは二度と埋まることのない大きな穴になるのだろう。


 トラヴィスの言うことは全面的に正しかった。

 反論の余地もない。


 ……だから、疑問があるとしたらひとつだけだ。


「ふふ。薄汚い化け物には似合いの末路ですねえ。あなたにとっては、受け入れがたい悪夢でしょう。せいぜい、苦しみなさい。魂が腐り落ちるその日までね。ふふ、ははっ。ははははは!」


 トラヴィスは楽しげに笑い続ける。


 おれは首を絞められながら、その苦痛はもはや意識になく、歪んだ男の笑みに無感情な視線を向けた。

 純粋に、不思議に思ったのだ。



 どうしてこいつは、おれが事態をただ見ているだけと思っているのだろうか?



 ……まあ、どうでもいいか。


 こんなやつのこと、どうだっていい。


 それきり、おれはトラヴィスから興味の一切を失った。


 これはただの障害物だ。

 邪魔で目障りな異物だった。


 除かなければならないと思った。


 だから、そうした。


「あなたが苦しむ様を思うと、わたしはもう笑いが……ぁあ、あああ!?」


 楽しそうに喋っていたトラヴィスの声が、突然、悲鳴に変わった。


「なっ、なん、なぁあああ!?」


 信じられない様子でわめく。


 それも当然のことだっただろう。

 トラヴィスの両腕は、手首のところで砕けていたのだから。


「……うるさいな」


 舌打ちが漏れた。

 先程までもぐだぐだとわずらわしかったのだが、これはこれで耳障りだった。


「少し黙れ」


 トラヴィスだったモノの欠片を握り潰して放り捨てると、その手で顔面を鷲掴みにした。


「ひ……っ」


 ようやく状況が呑み込めたのか、トラヴィスの顔が恐怖で歪んだ。


「き、貴様、なぜ……!?」


 トラヴィスの顔いっぱいに、驚愕が広がっていた。

 理解の及ばない事態に対する恐慌の色があった。


 それらを無感動に眺めてから、素っ気なく言った。


「別に。そんなの、聞くまでもないことだろう」


 特別なことをしたわけじゃない。


 必要なのは、ただ決意だった。


 もっとも、その決意というのは――たとえるなら、目もくらむような断崖絶壁から、身を投げ出すようなものだったけれど。


「……馬鹿な」


 トラヴィスが信じられないといったふうにつぶやいたのは、ようやく気付いたからだろう。


 灯火の世界に、破滅の音が響いていた。

 おれの全身に走る細かい罅が、バキバキ音を立てながら、深い亀裂へと変わっているのだ。


 自分自身が損なわれる感覚が、はっきりと感じられた。


 わかっていたことだった。


 得られた力と引き換えに、おれはすでに多くを失っているのだと、以前に水島さんから指摘を受けていた。

 このままではまた失うことになると、加藤さんには泣かれてしまった。


 逆に言えば、代償さえ許容すれば、まだおれの能力には先があるということだ。


「こ、怖くはないのですか」


 トラヴィスがわめいた。


「あなたは……あなたは、狂っている!」


 まったく、的外れなことを言っている。

 おれは目を細めた。


「なにを言ってる。怖くないわけないだろう」


 壊れていく一秒一秒は、震え上がるほどに恐ろしい。

 自分が喪われる薄ら寒い感覚は、いっそ狂ってしまえればと思うくらいだった。


 おれは別に、そんな強い人間ではないのだ。


 これが普段の出来事であれば、震えあがってしまっていたはずだ。


 けれど、いまこのときは、躊躇も後悔もしなかった。


「だ、だったら、どうして……!?」

「決まっている。そんなことより、もっと怖いことがあるからだ」


 おれはもうなにも失いたくないのだ。

 もう二度と、みんなと会う前の孤独な自分に戻りたくない。


 それが、真島孝弘の願いの原点だ。


 だったら、どれだけ怖くても、躊躇うことはありえなかった。


「消えろ、トラヴィス」


 目の前の邪魔者を排除するために、おれは全身に力を込めた。

 そのたびに、容赦なく全身から破壊の音がした。


 自分自身が砕けていく。


 ただし、それは単なる喪失ではなかった。


 この世界における自身の像の破損は、あくまで人間としての真島孝弘のものだ。


 能力を深めることによる『魂の変質』。

 その本質は喪失ではなく、変容にある。


 割れて、砕けて、壊れて、変わる。


 ひなが卵の殻を割るように。

 さなぎが裂けて羽化するように。


 トラヴィスは両目を失っていたが、それでもなにか感じ取るものがあったのだろう。

 あるいは、そこにあったのは、おれという存在がいずれ行き付く先だったのかもしれない。


 わななく唇が、怯え切った様子で声を紡いだ。



「……化け物め」



 見えない目は、最期の瞬間になにを見たのか。

 感じる絶望と恐怖のほどは、どれだけのものだったのか。


 興味はないし、知るつもりもないが、それはトラヴィスがこれまで犯してきた悪行に相応しい最大の悪夢だったはずだ。


 おれは手のなかにあるものを握り潰した。


◆状況を知り、主である少年が動き出しました。

愛を告げて去っていった少女のもとに急ぎます。


というところで、次回更新をお待ちください。

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