30. 暴走
前話のあらすじ
人形少女は恋をする。
30
基本的に、この世界の軍隊は各地の領主お抱えの常備軍として成立している。
モンスターの脅威に常に晒されているために、そうでなければ生活を維持できないのだ。
一般の民衆にもある程度は戦える者がいるが、基本的に彼らは自警団などに属している。
村や町の住人からなる自警団と、町に常駐する軍とは協同して人々を守っているし、自警団から軍隊に進むものもいるが、両者は別々の組織である。
マクロ―リン辺境伯領軍も例外ではない。
兵士たちは辺境伯家に仕えており、その忠誠心は非常に高い。
現辺境伯であるグラントリー=マクローリンは、自領の民を守るために軍備に投資を惜しまず、兵士の待遇は他の領地に比べて良質なものだ。
ルイスのような男が責任ある立場にあることからもわかるように、組織自体も健全なもので、特別、末端の兵士たちが不平不満を募らせるような要因もない。
普段は領地をモンスターから守るために働いている領軍が、アケルのような辺鄙な他国に遣わされるのは異例なことだが、それでも士気が落ちていない理由はそのあたりにあった。
むしろ『人々に害をなす偽勇者を討伐するため』に、このような場所にわざわざ軍を遣わせた辺境伯のことを、なんて立派なご領主様なのだろうと思っているくらいだった。
いいや。実際、辺境伯は立派な領主なのだ。
少なくとも、そこに住まう人間にとっては。
だからこそ、兵士たちの間に疑問が生まれる余地はない。
エルフの開拓村を攻撃したことに関しても、彼らはなにも感じていない。
エルフ蔑視は、辺境伯領での常識だ。
辺境伯領にはエルフが少なく、『他の領内や国々で人間社会に紛れ込んでいるよくわからない生き物』という認識の者も少なくない。
無論、領民の全員が同じ価値観を共有しているわけではないが、そこに疑問を持つ者が少数派であることは間違いないし、そうした人間はルイスがトップを務める領軍からは離れる傾向にある。
加えて、エルフたちには『偽勇者の片棒を担いでいる』という罪状がある。
猟犬のごとく追い立てることにも躊躇はなかった。
「……あと少しですね」
馬上でルイス=バードはつぶやいた。
彼は樹海を進む本隊を率いていた。
別動隊には二千を割いたが、本隊はまだ三千以上の兵力を残している。
今日か、遅くとも明日のうちには決着が着くだろう。
長い遠征に従事した兵士たちには、褒章が与えられることになる。
ルイス自身には、偽勇者討伐の功を以って、辺境伯の娘のひとりと婚姻を結ぶ話が内々に進められていた。
他の貴族の目もあって、辺境伯家の継承権の低い娘が選ばれてはいるものの、それがグラントリー=マクローリンがルイスに向ける信頼の証であることは明らかだ。
辺境伯領でのルイスの立場は盤石なものとなるだろう。
もっとも、ルイスはさほど自身の栄達には興味がない。
喜びがあるとすれば、これで自分の能力を辺境伯領のためにより良く使えるようになることであり、辺境伯からそれだけの信頼を向けられているという事実であり、親のように慕う人物を義理の父にできることだった。
その信頼に応えるためにも、この戦いを終わらせなければならない。
決意を新たにしたルイスのもとに、伝令の兵士が駆けてきた。
「ルイス様。ご報告があります」
「どうした」
「前方に妙なものを見付けたとのことです。どのように対処すべきかと指示を仰いでおります」
「妙なもの?」
ルイスは眉を寄せた。
馬をとめて、腰に下げてあった望遠鏡を覗き込む。
なるほど、確かに妙なものがあった。
一言でいえば、艶のない黒い箱である。
素材は金属だろうか。角に丸みのある平べったい直方体を重ねたような形をしている。
近くにある木との比較から、高さは人間の身長くらいはあるだろう。
あからさまに、不審だった。
まだかなり距離があって詳細は見て取れないが、少なくとも、自然にある物体ではない。
一見して、なにをするものなのかはわからない。
とはいえ、この状況に、この位置だ。
恐らくは、逃げている真島孝弘一行の反撃の一手だということは察することができた。
人が入るのに十分な大きさがあるから、なかに何者かが潜んでいるのかもしれない。
あるいは、なにかの罠か。
もっとも、どちらであってもかまわなかった。
あんな不審物に迂闊に近付く理由なんてないのだから。
「遠間からの攻撃で吹き飛ばしてしまえば、なんの問題もない」
ルイスはつぶやくと、伝令の男に指示を出そうとした。
そのときだった。
「なんだ……?」
ルイスの喉の奥から、怪訝な呻き声が漏れた。
望遠鏡越しの視界のなかで、正体不明の箱が動き出したのだ。
滑るような動きだった。
思わぬ光景に息を呑んだものの、ルイスは優れた指揮官だ。
即座に我に返って、目を凝らした。
そうして数秒。
その箱のようなものに車輪が付いていることに気付いた。
「まさか、あれは……物資搬送の魔法道具か!」
魔石を動力源とした車両だった。
主に樹海周辺で活動をする軍で用いられており、市井にも軍の中古品が払い下げられて流通しているものだ。
今回の辺境伯領軍の遠征でも、荷車として使用されている。
すぐに気付かなかったのは、車輪を保護するように側面に板が取り付けられていたために、車輪が見えなかったためだった。
通常は見ないような奇抜な形をしていたのも、見誤った原因となった。
そして、奇妙なのはそれだけではなかった。
「速い……?」
最初は人間の歩く程度の速さだった。
しかし、徐々に駆け足くらいの速度になり、常人では追い付けない領域へと達していく。
「いや……しかし、そんなまさか」
魔石を動力とした車は、あまり速度が出ない。
それが常識であり、ルイスが驚くのは当然のことだった。
あれは、この世界の住人では、誰も見たことがないものなのだ。
もっとも、別の世界からの漂流者であれば、その限りではないが。
きっと、ここに転移者がいれば『自動車みたいだ』と思ったことだろう。
その印象は、おおむね正しい。
この奇怪な魔法道具の製作者は、忠義を捧げる主から元いた世界の話を聞かされて、自動車という存在に憧れを抱いていたからだ。
ルイスは舌打ちを漏らした。
「くっ……魔法攻撃で打ち壊せ!」
あのなかに敵がいるとすれば、近付かれるわけにはいかない。
あまりにも意味不明な状況に対応が遅れたが、まだ巻き返せる範疇だ。
辺境伯領軍は優秀だ。
事前に、もしも敵襲があったときの方針については通達してもいる。
ルイスが伝令を走らせるまでもなく、大隊長の命令により前衛が隊列を組み始めた。
同時に、並んだ盾のうしろから、後衛が敵を迎撃する。
主に放たれたのは魔法の弾丸だった。
車両は金属板のようなものに覆われていることから、矢では効果が薄いと判断したのだ。
雨あられと炎の弾丸が降り注いだ。
思わぬ車の速度のせいで、全弾命中とはいかない。
だが、あれだけの数があれば下手でもあたる。
何度も車体の表面で火柱があがった。
「よし」
望遠鏡を覗いて、ルイスが頷いた。
しかし、その数秒後に、眉間に深い皺が生まれた。
「……なんだと?」
魔法攻撃を受けながらも、奇怪な車はびくともしなかったのだ。
「そんな馬鹿な……」
ルイスが愕然とするのも無理はない。
実のところ、黒い車体の外装はすべて、リリィの黒槍と同じ素材でできていた。
概念としては、すでに装甲車に近い。
あんなものが出てくるとは、たとえ辺境伯領軍でなくても考えはしない。
用意周到と褒め称えるより前に、なんでそんなものを準備していたのか疑問に思うレベルだが、真実はもっと突飛である。
なぜならば、この車の開発コンセプトは、『ガーベラが振り回しても壊れない』なのだから。
どちらかといえば、鈍器寄りの代物である。
かつて『韋駄天』飯野優奈を撃退する策の一環として、ガーベラが車を振り回して粉々にした出来事から生まれた、突飛な発想の産物だった。
真面目でしっかりしているのでわかりづらいが、あれで開発者の少女は天然なのだ。
大抵は誰かがどこかでとめるのだが、この件については、「いずれ自動車を作ってみせる」と意気込む眷属の姿に和んだ彼女の主が、うっかり『車は鈍器じゃないぞ』と訂正しそびれてしまい、気付いたときには手遅れだった。
無論、それをこの場でいちから作ったわけではない。
部品については、ディオスピロに初めて訪れた頃に作り過ぎてしまった余りが、魔法の道具袋のなかに何台分もあった。
また、動力源である魔石は、予備に購入していたものを使用した。
要するに、異常に硬い外装以外は通常の部品を使っている。
それではルイスを驚愕させた速度はどこから来たのかと言えば、他の技術の流用だった。
すでに一度、使われてもいる。
以前に聖堂騎士団との防衛戦で使用された、戦装『ファイアワークス』――あれは、魔石を使い潰すことで高出力を実現する魔法道具だった。
それを、この場面でも使ったのだ。
というより、もともと、戦装『ファイアワークス』のほうが、この特製の車を製造する過程で生まれた副産物なので、厳密には技術の再輸入というのが正しい。
問題点があるとすれば、まだこの魔石は模造品が作れていないので購入の必要があることで、金額を考えれば日常生活で使う機会はなく、製作者はしょんぼりしていた。
まさかそれが、こんなところで役に立つとは当人も考えていなかったのだ。
「とまらない……!」
片道切符の暴走車は、どんどんと距離を詰めていった。
さすがにいくらか損傷もし始めたが、速度は落ちない。
むしろ、さらに速くなっていた。
「……おい。待て」
ルイスの顔面から血の気がひいた。
敵がなにを考えているのか、予想ができてしまったからだ。
「待て。待て。まさか……」
その予想は外れない。
どころか、人形少女の暴走は、それを遥かに超えてくる。
突然、車の後部が爆発したのだ。
こうしているいまもぶつけられている魔法攻撃の成果ではない。
車自体に仕込まれた模造魔石によるものだった。
目的は推進力を得ることだ。
最後の距離を、文字通りの爆発的な速度で吹っ飛んでいく。
――ご主人様、どうでしょうか、この設計。ロケットは浪漫なのですよね。
――誰から聞いた、そんな話。ああいや、いい。また幹彦だな。
この魔法道具を紹介されたとき、主である少年は頭を抱えていたりした。
親指を立てる親友の姿を思い浮かべて、深い溜め息をついた。
そのあとで、眷属の少女の様子を見て、ふっと肩の力を抜いて笑った。
――……まあいいか。
――ええっと。どうかなさいましたか、ご主人様。
――なんでもないよ。お前が楽しそうなら、おれはそれでいいんだ。
普段の落ち着きを忘れてうきうきしていた少女は首を傾げて、少年はいっそう嬉しそうに微笑んだ。
優しく温かいひとときだった。
……ルイスと彼が率いる辺境伯領軍にとっては、その結果はたまったものではなかったが。
「うわぁああああ!」
兵士たちの悲鳴があがった。
モンスターに襲撃されることなら、覚悟していた。
しかし、こんなわけのわからないものが突っ込んでくるとは思ってもいなかった。
逃げる暇はなかった。
すでに自動車からかけ離れたナニカは、正面から辺境伯領軍の前衛に突っ込んでいった。
盾を構えていた最前列が、一瞬も堪えられずに吹き飛んだ。
そのうしろにいた兵士たちは、なにが起こったかもわからずに拉げた。
車体の前面が潰れ、つんのめるように後輪が跳ね上がった。
何度も跳ねるようにして転がっていく。
その進路にいた兵士たちは圧し潰され、跳ね飛ばされ、悲鳴をあげた。
そうして最後に、引っ繰り返って車はとまった。
大惨事だった。
方々から傷付いた兵士たちの呻き声があがり、無事な兵士は理解しがたい現状を目の当たりにして言葉を失っていた。
十秒ほどして、車の扉が蹴り開けられた。
兵士の何人かが、ひっと声を漏らした。
これだけのことをしでかしたのだ。きっと、とんでもない化け物に違いない。
そう考えれば、いくら勇敢な兵士といえども、凍り付くしかなかったのだ。
そんなふうに身構えていたからこそ、現れた人物を認識したときの兵士たちの衝撃は、特攻をかけられたときと同じくらいに大きかったかもしれない。
「……さて。作戦は成功ですね」
地面を踏んだのは、美しい少女だった。
みつあみにした髪が風に揺れ、繊細に整った顔立ちが周囲を見回す。
身に纏うのは、場違いな侍女服。
王宮の奥で、貴人に仕えているのがしっくりくる人物だった。
「初めまして、皆様」
すっと少女は一礼した。
洗練された仕草だった。
主に恥をかかせないように。
人間社会に紛れて、大事な主の傍にいるために。
違和感がないように練習した仕草は優美で、とてもではないが、車両で戦列に突っ込むなんて大胆なことをしでかした人物には見えない。
そのギャップが、兵士たちの思考を硬直させた。
「わたしはローズと申します」
頭を上げたローズは、堂々と名乗った。
「我が主、真島孝弘の第二の眷属にして、その身を守る盾」
それこそが、誇りの拠り所なのだと示すように、強く笑う。
「愛しいあの方を守るために参りました」
かつての木製人形は主を想って、ここに大輪の花のように咲き誇った。
無論、それはただ綺麗なだけの花ではない。
大事なものを守るための棘を備えている。
長手袋を付けたローズの手が、エプロンのポケットに差し込まれると、繊細な容姿に不似合いな巨大な戦斧を引きずり出した。
どんと石突が地面を打った。
「あらかじめ、申し上げておきます」
良く通る声で宣言する。
「戦意を失った方は、武器を捨ててお逃げください。その背を追うつもりはありません」
武器を持ちこそすれ、己の役割は盾である。
それ以上でも、それ以下でもない。
ローズはそう弁えている。
いいや。
そうあることを望んでいるのだ。
敵を許すとか許さないとかは、主が考えることだ。
自分はただ彼を守ることだけを考えればよい。
ただ、彼を想っていればいい。
「参ります」
忠義と慕情を胸に燃やして、人形少女は戦場に飛び込んだ。
◆『モンスターのご主人様 ⑨』は、今度の金曜日、4月28日の発売です。
読んでくださる方が多いようで、お陰様で巻数を伸ばせています。
9巻もよろしくお願いします。
◆この状況が始まってから初めての反撃ですね。
とりあえずは良いスタート。
最初にかまさないと、まともに戦いにすらならないというのもありますが。
それはそれとして、サブタイトルの暴走ですが、辺境伯領軍側ではありませんでした。
このシリーズで一番、暴走すると大変なのはローズですね。
やりたい放題ですが、当人にはあんまり自覚がありません。天然。






