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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
2章.モンスターを率いる者
19/321

01. 新しい眷族

新章開始です。


よろしくお願いいたします。

   1



 ふと目が覚めた。まだ薄暗い、明け方のことだ。

 もやがかかったような意識の中、おれはぶるりとひとつ震えた。


 普段は感じない肌寒さがあった。


「……リリィ?」


 いつも抱きついてきているリリィが傍にいなかった。


 いや。違う。

 リリィはいる。

 寝転がっているおれの体を、ベッドとして支えてくれている。


 ただ、少女の姿の彼女がいない。


「何処だ……?」


 おれはまだぼんやりとしていた。

 リリィにも指摘されたことだが、おれにとって睡眠関連はひとつの鬼門といえる。

 頭は完全にぼけていて、働いている思考回路は普段の十分の一以下だ。


 寝る前の出来事とか、今日までに起きた諸々の整合性だとか、そうしたものはいまのおれには存在しない。


 とりあえず、『リリィがいない』というただ一つの出来事を考えるだけで精いっぱいで、だからおれは彼女を求めた。

 そして、彼女はおれに応えてくれた。


 背中にあるゼリー質な体が蠢く気配があった。


 寝転がっているおれの左右から、するすると触手が伸びてきて、腹のあたりに回された。

 いまのおれのことを何も知らない人間が見たら、『不定形な生命体に捕食される寸前の哀れな犠牲者』と勘違いされかねない有様だった。


 おれはもちろん、取り乱したりはしなかった。


 何故なら、おれの寝そべっているスライムは、おれの眷族であるモンスターの一体であり。

 このおれこそが、分不相応にも彼女たちを率いる『モンスターのご主人様』であるからだ。


 おれの腹に回された透明な触手は大雑把な腕の形を作り、一度波打つと、徐々に少女の腕を形作っていった。

 指先から、手首。そこから遡って下腕、肘、二の腕から肩へと、滑らかで柔らかい肌色が広がっていく。


 おれはその光景を見ながら、ちかちかと視界が瞬くのを感じた。

 寝ぼけていたせいかもしれない。その輝きはとても美しいもので、おれはしばしスライムから少女への変態に見惚れていた。


 ふんわりとやわらかい感触が二つ、ジャージの生地越しに、おれの背中に押し付けられた。


 とくん、とくん、と命のリズムが響いてくる。

 耳元に少女の甘い吐息を感じる。


 それらすべてが擬態された偽物だ。

 だけど、おれにとっては本物と同じ価値を持つ命の証だった。


「おはよう、ご主人様」


 体半分振り返ったおれと目と目を合わせるのは、耳から後ろ側の体の背面がまだスライムと結合したままの少女だった。


「ああ。リリィ、おは……」


 言いかけたおれは、あっさりと唇を塞がれた。


「ん……っ?」


 正面に体を回されて、かぶりつくように情熱的な口づけを捧げられる。

 それはどちらかといえば、『むさぼられる』と言った方がいいくらいの貪欲さだ。

 軟体動物のように舌が蠢き、まだ半分寝ぼけているおれの舌に絡みついてくる。


 ――リリィはどうやらキスが好きらしい。


 それは、彼女と結ばれたあの夜からわかっていたことだった。


 これが彼女の性癖なのだろうか。

 ことあるごとにせがんでくる。

 そして、一度始めると、なかなかやめようとしない。


 それはいい。おれだって男だ。まさか文句などあるわけがない。


 ただ、たまに不安になるのだが……それなりに呑んでしまっているはずのこの唾液だが、実はリリィのスライムとしての体液だったりしないだろうか。

 まあ、唾液だって体液といえば体液なのだが、スライムの体液となると、ちょっと何というか……生々しさが違っている。


 キスが好き、好き好き大好き! ……くらいなら可愛らしいと思える範疇だが、『愛する人の一部になることに快楽を覚える』という類の性癖だったりすると、いかに彼女の主を自認しているとはいえ、応えてやれる自信がない。


「――ぷはっ」


 なんてことをつらつら考えているうちに、リリィは満足したらしい。

 たっぷりと口付けを交わしたあとで、彼女はおれを解放した。


 その頃には、おれも目が覚めていた。……頭を抱えたくなった。朝っぱらから何をしているのか。寝ぼけていたせいで自制がきいていなかった。しかし、過ぎた時間は戻って来ない。


 リリィも何やらとろんとした目をしていて、気配が危うい。

 彼女が肉食系女子に分類されることを、おれは経験上理解している。


 切り替えが必要だった。


「……。おはよう、リリィ」

「うん。ごちそうさま」

「お粗末さまでした。……いや。この返答はおかしいだろう」

「あはは。おはよう、ご主人様」


 改めて挨拶を交わして、おれはリリィが提供してくれている寝床から立ち上がった。

 あたりにふりまかれていた桃色の空気を振り払うつもりで軽く頭を振る。朝ということもあり昂りかけていた邪な感情を余所にやって、おれはリリィに向き直った。


「ところで、体調はもう大丈夫なのか?」


 白いアラクネとの死闘から今日で二日が経っている。

 今日までおれたちはアラクネの巣に逗留して、傷ついた体を休めていた。


 特に眷族であるリリィとローズの負った怪我は深刻なものがあった。

 リリィは彼女自身の三階梯の回復魔法では完全に治癒できない大怪我を負っていたので療養が必要であり、ローズはといえば、こちらも大破したパーツを作成しなければまともに動くことが出来なかった。


 おれが寝ている間、リリィが少女の姿をとっていなかったのも、そうするだけの余裕がなかったからだった。

 いまもよく見れば、いつも浮かべている笑顔に力がないように思えた。


 スライムから少女へと姿を変えたばかりのため、胸を隠して裸の上半身をさらしているリリィだったが、流石にこんな体調の悪そうな彼女の顔を見ては欲情しない。


「あは。まだちょっと辛いかなあ」

「だったら寝てろ」


 亜麻色の頭をなでてやると、リリィは嬉しそうに目を細めた。


「うん。そうする……」


 ずるずると、少女の上半身がスライムの体へと沈み込んでいく。

 頭の先まで沈みこんでしまうまで彼女の頭を撫でてやっていたおれは、最後にスライムのひらべったく広がった体に一度触れてから振り返った。


 おれたちのやりとりを見ているのっぺらぼうな顔があった。

 ……見られてしまっていたらしい。


 湧きあがって来た羞恥心を押さえこんで、おれは彼女に歩み寄った。


「おはよう、ローズ」

「おはようございます、ご主人様」


 いつものごとく加工用のナイフを片手に仕事に精を出すローズに、小声でおれは挨拶をした。

 声をひそめたのは、まだシーツにくるまった加藤さんが眠っていたからだ。


 おれが距離を詰めると、ローズは立ちあがっておれを出迎えた。


「今日は随分とお早いのですね」

「目が覚めたんだ。そのあと、起こされた」

「姉様ですか。仕方ありません。昨日は甘えられませんでしたから」

「その言い分だと、リリィが甘えるのが当然みたいだな」


 確かに昨日、リリィは一日中意識を落として回復に専念していたため、甘えようにも甘えられなかっただろうが。


「一昨日の晩に姉様は少し加藤さんに『いじめられ』ましたからね。理性では自分が悪いとわかっていても、感情の方がご主人様に甘えたいと思ってしまったのでしょう」

「昨日一日無理だったから、今朝一番ってことか。……そういえば、まだ一昨日の晩におれがいない間にあった出来事について、詳しく聞いていなかったな」


 リリィと加藤さんとの間にあった出来事を聞くのには、ローズから聞くのが一番客観的だろうとおれは考えていた。いまならリリィは意識を落としているし、加藤さんは夢の中だ。これも丁度いい機会だろう。


 おれはそれから三十分ほど時間をかけて、あの日、おれのいなかった数時間の出来事をローズから聞きだした。


「随分と加藤さんには世話になってしまったみたいだな」


 聞き終わったおれは、思わずため息をついていた。


 加藤さんには、今回はおれの尻拭いをさせてしまったようなものだった。

 眷属たちの危うさについては、薄々とでもおれは察していた。今回の一件は、有効な手立てを打っていなかったおれの落ち度だ。それがなかったとしても、おれの眷属が世話になったのだからその恩はおれが返さなければならないものだろう。

 彼女を信頼の出来る者たちに確実に保護してもらう。それくらいしか出来ることがないのが心苦しいところだ。


 更におれはローズに、彼女自身の仕事の進行状況について尋ねた。


「わたしの体のパーツについては、全て昨日のうちに換装済みです」


 その言葉の通り、ローズの体にはもはや痛々しいひび割れは見て取れない。

 彼女の体は初めて会ったときとは違って、木の質感そのものが剥きだしではなく、やや白みがかったマネキン人形のような見た目になっていた。


 おれはいまも自分の腰に吊り下がっている剣のことを思い出した。

 あれもただの木材を削り出したものであるのに、『ダマスカス鋼』とリリィが評したような金属の質感になっていた。ローズの人形の体も、彼女自身の手によって造り直されたものだ。ローズの魔力によって木材とは若干異なる性質を与えられていたとしても、おかしなことはなかった。


「わたしの腕も上がりましたから、以前よりも多少なり強度は増しております。ご主人様のお役に立てることと思います」

「そうか。期待していよう」

「問題は武具です。二日前の戦いでかなりの数の武具が使用不可能になってしまいました。これを全て直すためには、四日ほどのお時間をいただきたいところです」

「わかった」


 これは悪い話ではない。いまのローズは腕を上げている。武具を一新することは、そのまま戦力アップにつながるものと考えられた。


 しかし、そうすると、あと四日はローズは動かせないか。

 リリィもまだまだ療養が必要だろう。


 それは別に問題ではない。彼女たちは実によく働いてくれた。休息は必要な時間だろう。

 問題は、おれ自身だ。


 おれ自身も昨日は、倦怠感と幻痛に悩まされた。

 命に別状はなかったとはいえ、おれの負った怪我はかなりの重傷だった。回復魔法の恩恵によって傷が癒えたところで、失われた体力は戻ってこない。これが倦怠感の原因であり、幻痛の方はといえば、人間の脆弱な肉体がショックを引きずっているものと思われた。


 しかし、今日起きてみれば、ほとんど体は復調していた。

 これなら十分に動ける。動けるのに働かないのは怠惰というものだった。


「ローズにひとつ、頼みがあるんだが」

「ご主人様の望みは全てに優先されます。何なりとお申し付けください」

「そこまでかしこまる必要はないんだが……まあいい」


 片膝をついて頭を下げるローズに、おれは苦笑をこぼした。


「頼みというのは、おれの装備を優先してほしいということだ」

「それは勿論、可能です。元々そのつもりでした」

「どれくらいに出来上がる?」

「今日の昼までには作製できるでしょう」

「そうか。なら、今日の昼からは森の探索を開始できるということだな」

「もう探索を開始されるおつもりなのですか」


 やや驚き加減での問いかけに、おれは頷いて答えた。


「ああ。おれはもう動けるからな」

「それは構いませんが、姉様は見ての通り動けません。わたしの仕事を夜に回しますか? そうすると、更に装備の充実に時間がかかってしまいますが」

「いや。ローズはいまのままでいい。リリィとローズがいなくても、いまのおれには頼れる戦力がもう一つあるだろう?」


 おれがほのめかすと、ローズも理解したらしい。


「彼女一人を伴って探索をされるということですか」

「なんだ、ローズは反対なのか」

「ご主人様はまだ病み上がりです。無理はするべきではないと判断致します」

「そう心配しなくとも、無理をするつもりはないさ。本当にもう体の方は問題なく動くんだ」


 体を捻ってみるが、痛むようなところはない。

 間違いなくおれは健康体だった。


「ただ……確かにそうだな。病み上がりに無理をするべきではないというのも、ローズの言う通りかもしれない」


 白いアラクネの襲撃で彼女には心配をかけたばかりだ。特にいまは心が敏感になっていても仕方がない。

 あまり心配を掛け続けるのも申し訳がない。ここは少し譲歩すべきだろう。


「わかった。それじゃあ、今日は大人しくして、きちんと体が治りきっているか様子を見よう。出発は明日の朝にする。それでいいな?」

「……。はい」


 ローズはまだ何か言いたげだったが、此処は引き下がってくれた。

 今日一日、静かにしていて何もなければ、彼女もそう口うるさいことは言わずにいてくれることだろう。


 そう思って、おれはローズの作業を眺めつつ大人しくしていることにしたのだが……やがて加藤さんが目を覚まして、朝食を食べ終わり、昼を過ぎたあたりで時間を持て余した。


 これまでは自覚のないことだったが、どうやらおれには『何かをしなければいけない』という強迫観念めいたものが存在するようだ。

 念のためにとった休息は、おれにとって苦痛の時間でしかなかった。


「……」


 今更やっぱり今日外に出るともいえないし、休息をとるとローズに言ってしまった以上、素振りでもして体を鍛えるというわけにもいかない。


「何処へ行かれるのですか、ご主人様」


 おれが立ちあがると、ローズが目ざとく声をかけてきた。彼女はひょっとすると、リリィの分までおれのことを見ていようとしてくれているのかもしれない。


「ちょっと外に空気を吸いに行ってくる」

「然様ですか。行ってらっしゃいませ」


 おれが時間を持て余していることに気づいたのか、ローズからは呆れたような諦めたような思念がパス越しに伝わってきていた。


 おれはそそくさとその場を立ち去ったのだった。


   ***


 丸太を蜘蛛の糸で張り合わせただけのアラクネの巣は、二日前の晩の戦闘でかなりぼろぼろになってしまっていたが、ローズが軽く手直しをすると、驚く程に居住性が高くなった。


 人間だと歩くのに少し苦労するくらいだったのが、いまは靴を引っ掛けて転ばないように気を付ける程度でいい。


 おれはアラクネの巣の外に出た。

 すると、白い色彩が目に飛び込んできた。


「ガーベラ」

「おう、主殿」


 アラクネの巣の外に出たおれが名前を呼ぶと、白いアラクネ――もといガーベラは、ややくすぐったそうに少女のものである容貌をほころばせた。


 この『ガーベラ』というのは、あの死闘の翌日に、彼女に乞われてつけた名前だった。


 これが、なかなかに苦労した。

 そろそろおれの中の花の名前のストックにも限界がきていたため、結局、加藤さんにも手伝ってもらって付けることになった。


 ――ガーベラなんてどうですか。

 ――スパイダー咲きって呼ばれる咲き方をするものもあるんですよ。

 ――やった。決まりですね。


 他人の名前をつけるという行為が物珍しかったのか、表情は乏しいながらも加藤さんは終始楽しげだった。

 とはいえ、手間をかけさせてしまったことに変わりはない。

 申し訳なくもあり、ありがたくもあった。彼女がいなかったら、白いアラクネの名前は冗談抜きにチューリップになっていた可能性すらあったのだ。


 勿論、花の名前にこだわる必要はなかった。そもそも、最初の一体であるリリィにしたところで、元々は花の名前から取ったわけではないのだから。


 ただ、そうする必要はないが、そうするに足る理由ならあった。

 自分だけ花の名前ではないというのを、名前を付けられる当人が嫌がったのだ。


 仲間はずれは嫌なのだと。


 あんな出会いだったにもかかわらず……いいや。あんな出会いだったからこそか、彼女はとても仲間を大事に思ってくれているようだった。

 良い傾向だ。おれは彼女の態度を好ましく思いながら口を開いた。


「そうだ、ガーベラ。以前に言っておいたものだが、準備はできたか?」

「うむ」


 おれの問い掛けに、ガーベラは頷きを返した。

 おれは一つ、彼女に頼みごとをしていたのだ。


「いま出来たところでな。この通りだが、どうかの?」


 ガーベラが突き出したのは、滑らかな光沢を放つ白い布だった。


 正確には、白い布で作られた服だった。

 前合わせの着物のような簡素なつくりをしている。


 これは、アラクネのモンスターとしての特殊能力である蜘蛛糸で作られたものだった。

 昨日、ちらっと見せてもらったのだが、木の棒数本を使うだけで、彼女は実に器用に布を織ってみせたのだ。

 水島美穂の記憶を持つリリィによると、腰機と言われるものらしい。ガーベラのは少し道具に彼女なりのアレンジが入っているようだが、基本は同じだ。


 たとえば、モンスターである彼女が少女のものである上半身に薄布を羽織っていたのも、この能力によるものだ。

 勿論、おれが依頼していたのは、あれよりもしっかりとした作りのものだが。


 当たり前だ。あれではベビードールくらいにしかならない。いまはそうした彩りを楽しんでいる場合ではない。おれがほしいのはもっとちゃんとした衣服だった。


 おれは手の中の衣服を確かめた。

 蜘蛛の糸というと、イメージとしてはべたべたしていそうだが、そんなことはなく、触れた感触は絹のように滑らかだった。

 蜘蛛の糸は縦糸と横糸で性質が違っているという雑学を何処かで聞いたことがあるが、この布に関しては縦も横も同じく粘着力のない糸で出来ているらしい。


「どうだ。なかなかのものであろ?」


 これについては自信があるのか、ガーベラは身を乗り出してきた。

 こういうところは少しだけローズとも似ている。彼女も自分の造ったモノをおれに見てもらう時には、いつも何処か誇らしげに嬉しそうにしているものだから。


 ガーベラの場合は、ローズほど落ち着いた性格をしていないせいか、ほとんど抱きつかんばかりに迫ってきている。

 というより、これは、他人との距離の取り方がわかっていないだけか。距離が近い。やろうと思えば、簡単に唇を奪えてしまうくらいに。


「おれもここまでのものが作れるとは思っていなかったよ」

「であろ。であろ」

「うん。そうだな。……それはわかったから、もうちょっと離れてくれ」


 おれは彼女の肩に手をやって距離をとった。

 直接掌に触れる華奢な少女の感触に鼓動が跳ねたが、顔には出さない。


 ……どうせパスで知られてしまっているのだから、あまり意味はないが。


「そして、早く着てくれ。お前のその格好は、何と言うか、目に毒だ」


 今更言うまでもないことだが、ガーベラの格好はかなり扇情的だ。


 さっきからずっと気になっていたのだが、昼の太陽の下だと、薄布も同然の透けた上着では、ほとんど肌が隠せていない。

 それでいて彼女が、たとえば胸を隠すような素振りは一切ないのだ。

 理性の足りていない男なら、相手の下半身が蜘蛛であることなんて忘れて襲い掛かってしまいかねない無防備さだった。


 まあ、その場合、普通に返り討ちにされて終わりだろうが。

 襲わなくても、普通出会った時点で殺されて終わりという話もあるが。


 そんな強大なモンスターが仲間になってくれたことを、おれは天に感謝すべきなのだろう。


「早くしてくれ」


 ただし、それとこれとは話が別だ。


 まだもう少し褒めてほしそうだったガーベラだが、強く言われれば、あえて反抗する気はないようで、素直に指示に従ってくれた。


「わかった。わかった。だからそう怒らないでおくれ。……しかし、おかしいのう。主殿とて満更でもないと思ったのだが。先程からじっと妾の体を見ておったことだしの」

「……」


 どうやらおれも少し理性が足りないところがあったようだった。


 言い訳をさせてもらうなら、わざとではなかった。

 完全に無意識だった。

 本当だ。


 いや。この場合は無意識の方がまずい気もするが。


 ……ひょっとして、欲求不満なのだろうか。

 リリィとはずっと寝床を一緒にしている……というか、寝床になってもらっているが、初夜以来、関係を持ってはいない。

 生き抜くのに必死でそれどころではなかったし、こんな状況でそうした行為に身を委ねるのは不誠実なように感じていたからだ。


 何より近くで加藤さんが寝ている上にローズが起きているのだ。オープン・スペースでそうした行為に走るほど、おれは欲望に忠実ではなかった。


 それがこうした場面で欲求不満として現れているのだとしたら……これからは、ちょっと気をつけなければいけない。

 ……頭の片隅では『男なんだから仕方がないだろ』という囁きが聞こえないではなかったが、悪魔の囁きに素直になってしまっては、何処かの加賀某と同じである。

 それはいけない。


「着替えたぞ、主殿」


 益体のない考えから復帰して、おれは視線を戻した。先程見せてもらった透けない着物の上から、以前から着ている薄布の服を羽織ったガーベラの姿があった。


「……」


 胸元が少し開きすぎているような気がするが、女性の服飾に関してはおれが口出しを出来る範囲ではない。この異世界に来る前におれがいた現代日本でも、休日ともなれば、おれと同い年の女子がもっと過激な格好をしていることもあった。


 それに実際、とても似合ってはいるのだった。

 幻想的なくらいに真っ白いストレートの長髪に、非常に繊細な顔立ち、神秘的な赤い瞳を持つガーベラは、腰から上だけならほとんど妖精の領域だ。

 そんな彼女がふわふわとした服を着ているのだから、それはもう似合わない方がおかしい。


 今度は肌も透けていないので妖艶な雰囲気も大分薄れていて、素直に可愛らしかった。


「どうかの、主殿。似合うか?」

「ああ。可愛いよ」

「お、おう? か、かわいいとな……」


 何気なくおれが答えると、ガーベラは白すぎる肌を瞬く間に赤く染めた。

 肌が白いから、それこそ胸元まで赤くなっているのがよくわかる。


 こんなに美人なのに、彼女は褒められなれていない。嬉しげに、にまにま口元がゆるんでいた。ずっと独りだったせいだろう。これが人間の少女だったら、悪い男に騙されないかどうか心配するところだ。


 ガーベラが冷静さを取り戻すのを待ってから、おれは口を開いた。


「本当にたいしたものだ。それで、これからはおれたちの服も作ってくれ」


 ちなみに、おれはいま上下共にジャージ姿だ。

 動きやすくはあるし、ファッションに気を配っていられるような状況でもない。気を配ったところでおれの顔ではたかが知れている。だからこれでも構わないのだが、リリィもジャージを一着駄目にしてしまっているので、単純に服のストックがもうなかった。


 着たきりすずめは流石に勘弁してほしかった。衛生面からもそうだが、精神的に。


「強度も期待出来るんだろう?」

「うむ。妾の蜘蛛糸を使っておるからな。そう簡単には破けんし、貫けぬ」

「それは頼もしいな」

「たとえファイア・ファングに喰らいつかれようとも破けぬ品を作ってみせよう」

「期待してるよ」


 その場合、多分、中身のおれの体の方が顎の力に耐え切れない気がするが、あえて彼女のやる気を削ぐようなことを言うことはないだろう。それに、森を進むのだから、丈夫な方がいいに決まっている。


「ああ。そうだ」

「うむ?」

「いま頼みごとをしたばかりで悪いんだが、もうひとつ頼みごとがあってな」

「気にするでない。妾に出来ることがあるのなら、喜んで何でもやろうぞ」


 そういうガーベラの表情は楽しげだった。

 おれたちの――初めて出来た仲間のために出来ることがあるのが、嬉しくてたまらないといった雰囲気だ。


 本当に、良い傾向だった。

 彼女はやる気に満ち溢れている。これならおれたちに馴染むのもそう時間は掛からないだろう。


「明日なんだが、おれと一緒に森に入ってもらえないか」

「主殿と? 勿論、それは構わんが、何かほしいものがあるのなら、わざわざ主殿が行かずとも妾が取ってくるぞ。たとえ、ファイア・ファングの肉百匹分であろうとも、お安い御用だ」

「あんなマズい肉はそんなに要らない。……そうじゃなくて、おれがその場に出る必要があるんだよ。おれのモンスター・テイムには、おれがモンスターの近くにいる必要があってな……」


 仲間に加わったばかりのガーベラの知識の差を埋めながら、おれはこの異世界にやってきて初めてといえる手ごたえのようなものを感じていた。


 みんな揃って大きな困難を乗り越え、新たな戦力が加わった。

 きっとこれからは、全てが上手くいく。おれはそう信じていた。



◆第二章、開始しました!


◆第一章終了に際しまして、たくさんの感想ありがとうございます。

これからも拙作をよろしくお願い致します。


◆次回更新は、2/5(水曜日)となります。

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