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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
6章.人形少女の恋路
189/321

27. あの夜の夢

(注意)本日3回目の投稿です。(4/16)














   27   ~ローズ視点~



「大変です!」


 わたしは声をあげて、車に飛び込んだ。


 ご主人様に回復魔法をかけていたリリィ姉様が、一拍遅れで顔を上げた。


「……ローズ?」


 動作は緩慢で、表情には力がなかった。


 疲れているのだ。

 もう何日も断続的に回復魔法を使っており、肉体的にも精神的にも、ろくに休まる暇もないせいだった。


「戻ってきたんだね。どうなったの? 『霧の結界』がなくなっていて、ロビビアが飛び出していったって聞いたけど……」


 気遣わしげに尋ねてくる。


「ロビビアには追い付きました」


 わたしは姉様のすぐ近くに腰を下ろした。

 早口で告げる。


「いまは、キャスさんと一緒にいます」

「え? キャスさんと……?」

「ええ。ロビビアが見付けたのです。キャスさんは大きな怪我を負っていました。放っておけば、強靭な肉体を持つドラゴンであろうと、命にかかわりかねない重傷です」

「それって……」


 リリィ姉様は蒼褪めた。


 胸が痛んだが、ここで伝えないわけにはいかなかった。


「あまり激しく動かすのは良くないと思われたので、こちらには連れてきていません。残したロビビアには、止血はしておくように言っておきました。しかし、あれでは気休めがせいぜいでしょう。姉様の回復魔法でないと対処できそうにありません。わたしはこのことを伝えるために戻ってきました」

「い、言いたいことはわかるけど」


 リリィ姉様の顔に、苦渋の表情が浮かんだ。


「いま、わたしは……」


 その目が、横になったご主人様に向けられた。


 状況を打破するためにご主人様が使った魔法は、諸刃の剣だった。

 抵抗力を失った体を、ここぞとばかりに『霊毒』は蝕んでいた。


 姉様がキャスさんを治療するためにこの場を任せようにも、いまは真菜もケイも消耗し切っていて、まともに回復魔法を使える状態ではない。

 無理をさせれば、倒れてしまうだろう。


 キャスさんのところに行くためには、ご主人様を放っていくしかないということだ。

 姉様は愛する人を苦しめることになる。


 かといって、ここでご主人様を優先するのは、キャスさんを見捨てることに等しい。


 残酷な決断を迫られて、リリィ姉様が唇を噛む。

 そんな姉様を救ったのは、横になっていたご主人様だった。


「……行ってやれ、リリィ」

「ご主人様。起きてたの?」

「いま、目が覚めた」


 とはいえ、別に回復したというわけではないのだろう。


 呼吸は浅く、口を利くことさえつらそうだった。


 それでも、ご主人様は迷うことなく言った。


「行ってやってくれ」


 断固とした意志の感じられる言葉だった。

 リリィ姉様が瞳を揺らした。


「だ、だけど」

「『霊毒』の進行にも、多少は慣れてきたからな。ちょっとくらいなら堪えられる」


 ご主人様は憔悴し切った顔に、気遣いの笑みを浮かべてみせた。


「おれなら大丈夫だ。ロビビアが待ってる。頼むよ」

「ご主人様……」


 リリィ姉様は、きゅっと唇を引き結んだ。


 胸のなかには、様々な想いが駆け巡っているのだろう。

 そのすべてを飲み込んだ表情で、姉様は頷いた。


「……わかった」


 回復魔法が解除される。


 リリィ姉様は身を屈めると、ご主人様の頬に唇を寄せた。


「すぐに帰ってくるから」


 切なそうに言って、立ち上がった。


「ローズ。ご主人様の護衛、お願いね」


 すれ違いざまに、肩に触れられた。


「わかりました」

「……ごめんね」


 酷く申し訳なさそうに告げて、リリィ姉様は出て行った。


 もちろん、わたしはその言葉の意味を誤解しなかった。


 リリィ姉様がいなくなってしまえば、ご主人様は蝕まれるばかりとなる。

 ひどく苦しむことになるだろう。


 この場に残されるということは、そのすべてを見届けるということだった。


   ***


 さっきご主人様は「ちょっとくらいなら堪えられる」と言っていた。


 その言葉はただの強がりというわけではなかった。


 実際、回復魔法が途切れてからも、『霊毒』の浸食はさほど大きくは進まなかった。

 けれど、だからといって苦しまないわけではなかった。


 むしろ浸食に抵抗しているからこそ、苦痛は増していたのかもしれない。


「う……う……」


 ご主人様の呼吸は荒く、かさついた唇からは、苦しげな呻き声が断続的に漏れていた。

 薄らと目は開かれているものの、どこにも焦点が合っていない。


 はっきりと意識があるのかどうかも怪しかった。


 わたしはその傍らに正座をして、急変があればすぐにでも姉様や真菜を呼べるように様子を見守った。


 こうしていると、まるで世界にこの狭い空間だけしかないように感じられた。


 もちろん、そんなはずはなかった。


 いまも敵は動いている。

 下手をすれば、この瞬間にも攻撃を仕掛けてくるかもしれない。


 キャスさんの容態を落ち着かせるだけの当面の治療を終えて、姉様が帰ってくるまでの短い時間が過ぎれば、こちらもすぐ動き出さなければならないだろう。


 さいわいと言ってもいいものか、どうせエルフたちを休ませなければならなかったので、この時間は無駄というわけではない。

 むしろ休息のための時間としては、短過ぎるくらいだった。


 果たして、まともに動けるかどうか……。


 そんなふうに、胸のなかの不安を持て余していたときのことだった。


「……ローズ?」


 うわ言のように、ご主人様がわたしの名前を呼んだ。


 掠れて小さな声だったけれど、聞き逃しはしなかった。


「なにか御用でしょうか」


 いたずらな思考を中断して、わたしはご主人様の顔を覗き込んだ。


「お水ですか。それとも、着替えですか。なんでもお言いつけください」

「ああいや。そういうのじゃない。いてくれるのかどうかと思っただけだ」


 なるほど。

 わたしが無言でいたので、いるかどうかがわからなかったらしかった。


 ……それくらい、弱っているということだった。


 少し迷ってから、わたしはご主人様の手を握った。


 すぐに握り返された。

 その指先の力なさが悲しかった。


 苦しんでいるご主人様を見ると、わたしも苦しく感じた。


 そしてなにより、なにもできないことがつらかった。


「ご安心ください。リリィ姉様が帰ってくるまで、傍におりますので」


 口にした言葉が、皮肉なものに感じられた。


 なにが『傍にいる』だろうか。

 わたしには、それくらいしかできないのだ。


 その事実がもどかしかった。


「わたしにはなにもできませんから、せめて姉様の代わりをするくらいのことは、務めさせていただきます」


 わたしにもできること。


 護衛として控えること。急変がないか見守ること。

 あとは、細々としたお世話。


 それくらいしかできなかった。


 わたしは水桶に浸してあったタオルを手に取った。

 身を乗り出して、ご主人様の額の汗を拭った。


 その手首を握られた。


「それは違う」

「……あ」


 朦朧としていたはずのご主人様と、目が合った。

 いつもわたしたちに向けられている、優しい目だった。


「代わりなんかじゃない。ローズが傍にいてくれると、おれは安心できるんだから」


 ご主人様は、わたしが落ち込んでいることを敏感に察したに違いなかった。


 毒に侵されて、苦しみに喘ぎながら、それでも声をかけてくれた。


 そして、その言葉はただ気遣いから出ただけのものではなかった。

 本心からご主人様は、わたしがここにいることを喜んでくれていた。


 その事実を感じられたことこそが、わたしにとって救いだった。


「落ち込む必要なんてない」


 震える手が、わたしを引き寄せた。


 子供でも振り払えそうな弱々しい力だ。

 けれど、抗うことなんてありえなかった。


「ただ傍にいてくれるだけでいいんだ」 


 誘われるがままに、わたしはご主人様の胸に身を寄せた。


 腕のなかに囲われた。


 こんなときだというのに、幸福感が頭のてっぺんから足の爪先までを満たした。


 この感覚に覚えがあった。


 時間が遡るような錯覚があった。

 同じものを、ご主人様も感じていたのかもしれない。


「懐かしいな」


 掠れた声で、ご主人様が笑った。


「前にも、こんなことがあった。覚えてるか」

「無論です」


 答えた声は、胸に押し付けられてくぐもった。


「忘れたことなんてありません」


 かつて樹海の奥地で、洞窟で寝泊りをしていた頃にあった一夜の出来事だ。


 ずっと、わたしが追い求めていたものだった。

 このまま時間が停まってほしいと、本気で願った。



 リリィ姉様が帰ってくるまで、わたしたちはずっとそうしていた。


◆ちなみに、思い出しているのは、第1章の11話『人形の抱擁』です。


書いたのは3年以上前ですね。とても懐かしいです。


まだ更新します。

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