16. 韋駄天の問い掛け
(注意)本日3回目の投稿です。(1/18)
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拍子抜けしてしまうくらいに呆気なく、戦いが終息していく。
わたしはそのすべてを見届けて、半ば朦朧としていた。
極度の疲労を覚えていたのもあったし、張り詰めていたものが切れたせいもあった。
酷い風邪をひいたときのように、頭の芯がガンガンした。
酸素が足りなくて、顔面から血の気がひいている。
胃が浮いたような感覚があって、ともすると、お腹のなかのものを逆流させてしまいそうだった。
「……飯野さん? 飯野さんじゃないですか!」
このまま気を失ってしまいたいくらいだったけれど、最後のモンスターが倒れたところで、離脱組のみんながわたしの存在に気付いた。
次々に、わたしのいる防壁へと跳躍してくる。
「おかしいと思ったんです。あんまりモンスターが侵入してこないから。まさか飯野さんが戦ってくれていたなんて!」
「ええと、きみは……蛇岩圭吾くん、だっけ?」
到底頭が回るような体調ではなかったので、思い出すのに少し時間がかかってしまった。
「そうです。覚えていてくれたんですね」
蛇岩くんは、わたしよりひとつ下の、一年生の男の子だった。
一緒にいる男の子と女の子も、同じ一年生だったはずだ。
これといって深い交流があったわけではないけれど、言葉くらいは交わしたことがあった。
三人とも純真な笑みを向けてくる。
「でも、本当に驚きました! 飯野さんが足留めをしてくれていたんですね!」
「うわ、すごっ! 村の外にモンスターがいっぱい転がってる!」
「こんなにたくさん、ひとりで……さすがは飯野さんです!」
戦いが終わってすぐなせいか、みんなテンションが高い。
口々に褒めそやしてきて、口を挟む暇もなかった。
というより、そもそも、その余裕がわたしにはなかった。
とにかく、疲弊しきっていたのだ。
すぐに聖堂騎士団の騎士たちもやってきた。
「お疲れ様でした、圭吾様。ところで、そちらの方は?」
「お疲れ様です。紹介しますね。こちらは、探索隊の幹部の飯野優奈さんです」
「おお、この方が、探索隊の名高き『韋駄天』様ですか! 前にお話を聞かせていただいたことがありましたね」
「村の外で戦っていてくれたみたいなんです。ほら、見てください」
蛇岩くんの言葉には純粋な尊敬だけが溢れていたし、対する聖堂騎士にしてもそれは同じだった。
けれど、聞いているわたしの喉は、なぜだか嫌な感じに干上がっていた。
「こ、これをたったおひとりで!?」
「驚きました。噂に違わぬ……いえ。噂以上の力量ですね」
「もちろん、圭吾様たちのご活躍もあってのことですが」
「なんにしてもめでたいことです」
「聞け、みんな! 勇者様方の奮戦により危機は去ったぞ!」
「村の者にも伝えろ!」
「勇者様万歳!」
賞賛の言葉が唱和される。
見れば、隠れていた村人たちが顔を覗かせていた。
こちらを見上げる彼らの目には、希望の光が宿っている。
「……ぅ」
喉の奥に嫌なものが込み上げてくるのを感じた。
自分の無力を痛感したのは、つい先程のことだ。
それで賞賛を受けられるほど、わたしは厚顔ではいられなかったのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください」
堪らずに声をあげた。
酷い頭痛のせいで、ただ声を出すだけでも、ナイフを突き立てたかのように頭の芯が痛んだ。
もっとも、そのお陰で靄がかかっていた思考がクリアになってくれた。
「どうしたんですか、飯野さん」
蛇岩くんが声をかけてきた。
心配そうに顔が顰められている。
「顔色が悪いですね。すみません、気付かなくて。あれだけの数のモンスターと戦ったんです。疲れてますよね。休んだほうが……」
「大丈夫よ、蛇岩くん」
差し出された手を、わたしは拒んだ。
そんなことより大事なことがあったからだ。
少し驚いた顔をする蛇岩くんに、わたしは尋ねた。
「それよりも、聞かせてほしいことがあるの。どうしてここに聖堂騎士団がいるの?」
この村に探索隊を離脱したメンバーがいるのは知っていた。
しかし、聖堂騎士団がいるなんて話は聞いていなかった。
「ああ、なんだ。そんなことですか。それはまあ、不思議ですよね」
納得した様子で、蛇岩くんはうんうんと頷いた。
「実はですね、飯野さん。おれたちは偽勇者の噂話を追ってきたんですよ」
「偽勇者の……?」
「はい。おれたちは探索隊を抜けたあと、帝都に向かったんです。他にも、そういうやつらは何人かいたんですけど、帝都では聖堂教会にお世話になっていました。そこで、ある日、おれたち勇者の偽者が現れたから調査を手伝ってくれないかって、協力を依頼されたんです」
探索隊の離脱組が全員、この地域にやってきたわけではない。
離脱組はエベヌス砦に辿り着いた探索隊メンバーのうち半数の六十人を超えた。
そのなかには、この世界の中心である帝都に向かった人も相当数いたのだろう。
単なる離脱組に対して、勇者組とでも言ったところか。
帝都に招かれて勇者として戦う。
この世界ではスタンダードな勇者の在り方だ。
「それで、蛇岩くんはここに?」
「ええ。それはもう。すぐにオッケーしましたよ」
蛇岩くんは胸を張った。
「おれたちは勇者ですからね。困っている人は見逃せません」
迷いのひとつもなく言ってみせる。
これほど正義感に溢れた子だとは知らなかったので、わたしは少し驚いてしまう。
他のふたりも頷いており、きっと気が合う三人なのだろうと感じられた。
蛇岩くんが騎士たちに目をやった。
「というわけで、おれたちは聖堂騎士団第一部隊のみなさんと一緒にここまでやってきたわけです」
「……第一部隊の。とすると、第二部隊のほうから連絡を受けて?」
「あれ? どうして、飯野さんがそれを知っているんですか」
蛇岩くんは不思議そうにしたが、わたしはこれで話が見えてきた。
「わたしは第二部隊と同行していたのよ。同じように偽勇者を追ってね」
「ああ、それで」
第一部隊は第二部隊と共同で今回の事態に当たっていた。
情報を得た第一部隊も同時に動き出していたのだろう。
今回の場合、わたしたちが動くと決めてから目的地に着くまで一日しかなかったので、互いに動いていることを知らなかったのだ。
情報伝達に時間がかかるこの世界では仕方のないことだった。
「事情はわかったわ」
わたしは頷いてみせた。
「そうすると、肝心の犯人を逃がしてしまったのは惜しかったわね」
蛇岩くんたちも偽勇者の調査のためにわざわざこの地域までやってきたのに、空振りだったというわけだ。
わたしが工藤陸を捕まえられていれば良かったのだけれど、それもできなかった。
そのあたりの事情についても話をして、情報共有をしなければならないだろう。
離脱組のふたりが殺されていたことについても伝えなければならない。
気持ちは重いけれど、これはなにもできなかったわたしの責任だった。
わたしが残酷な事実を告げようとしたとき、蛇岩くんが先んじて口を開いた。
「いえ。それが、飯野さん。違うんですよ」
混じり気のない純粋な笑顔には、どことなく誇らしげなふうがあった。
「おれたちは偽勇者を捕まえたんです」
「……え?」
わたしはぽかんとしてしまった。
「偽勇者を、捕まえた?」
意味がわからなかった。
「はい。と言っても、捕まえたのは聖堂騎士団のみなさんですけどね」
屈託ない口調だった。
嘘や冗談を言っているふうではない。
混乱した。
「ちょ、ちょっと待って。聖堂騎士団が捕まえたの?」
「ええ。おれたちはその場にいなかったので、報告を受けただけですけど。えっと、どうかしましたか?」
「その場にいなかった……?」
ますますわけがわからなかった。
「それじゃあ、聖堂騎士団が単独で、あの工藤陸を捕まえたっていうの?」
ありえない。
だって、相手はあの『魔軍の王』だ。
ついさっき、わたしが逃したばかりの相手なのだ。
しかし、蛇岩くんの返答はますますわたしを混乱させるものだった。
「工藤? 工藤がどうかしたんですか?」
きょとんとして、彼は尋ね返してきたのだ。
「だから、工藤陸が偽勇者の正体で……」
「なんですか、それ」
「え?」
疑問の視線が交錯した。
なぜだろう。
話が通じない。
なにかが、おかしかった。
状況が捻じれている。
どちらがなにかを勘違いしているのか。
わたしと蛇岩くんのどちらが間違っているのか。
「聖堂騎士団が偽勇者を捕まえていて、工藤陸は偽勇者じゃない……?」
わたしの認識とは食い違う。
けれど、蛇岩くんの言葉をまとめると、そういうことになってしまうのだった。
不意に、工藤陸とのやりとりが脳裏に蘇った。
――それはそれ、これはこれ……と言っても、聞き入れてくれそうにありませんね。
離脱組のメンバーを手に掛けたことを、工藤陸は否定しなかった。
そのうえで、村の一件を関係のないものだと言っていた。
嘘をつくなら、そんな半端をするだろうか。
本当のことだったからこそ、彼はそうしたのではないだろうか。
だとすれば……いや、違う。そんなはずがない。
わたしは脳裏に過ぎった疑念を否定した。
だって、だとすればおかしいのだ。
工藤陸がこの村になにもしていないのなら、さっきのモンスターたちはなんなのか。
理屈が合わない。
工藤は出鱈目を言っただけだ。
そうとしか考えられない。
しかし、工藤陸が偽勇者だとすると、この村で捕まったという偽勇者とはなんなのか。
考えろ。
この村にいたのは……。
「まさか」
可能性に辿り着き、わたしは呻き声をあげた。
それが正しいとすると、このままではまずい。
慌ててわたしは蛇岩くんに詰め寄った。
「蛇岩くん! その偽勇者っていうのはどこにいるの!?」
「え? な、なんですか、急に」
蛇岩くんは目を白黒させた。
「良いから! 答えて!」
「え、ええっと、おれたちが捕まえたわけじゃないので、はっきりしたことは。ただ、すぐにでも護送するとかなんとか聞いて……って、飯野さん!?」
みなまで聞かず、わたしは動いた。
村をぐるりと囲んだ防壁の上を走り始める。
小さな村だ。
すぐに防壁に一箇所設けられた門が見えた。
その近くには車が停まっており、いままさに連れられて行く人影があった。
罪人だ。
頭からすっぽりと白い布をかけられており、騎士たちに囲まれている。
「待ちなさい!」
吐き気も頭痛も抑え付けて、わたしは防壁から大きく跳躍した。
騎士たちの目と鼻の先に、ほとんど弾丸みたいに着地する。
「な、なんだ!?」
巻き起こったつむじ風が砂を巻き上げ、驚く騎士たちが顔を手で庇った。
罪人の姿を隠していた白い布もまた、はためき舞い上がった。
「……あ」
目が合った。
黒髪黒目の少年だった。
やっぱり、と思った。
「河津くん」
わたしは名前を呼び、少年は落ち窪んだ目をかすかに見開いた。
「飯野?」
河津朝日。
元探索隊のメンバーだった。
同じ二年生だったのもあり、探索隊ではそれなりに話をした間柄だった。
これが、あるはずのない偽勇者の捕縛の正体。
まさか同じ村に、本物と偽者の勇者が一緒にいるはずがない。
工藤陸ではない偽勇者が捕まったのだとすれば、ありえることは誤認だった。
村に滞在していた三人の離脱組のうち、殺されたのはふたり。
残されたひとりが、偽勇者と間違えられてしまったのだ。
「飯野様?」
そして、もうひとつの再会があった。
騎士のひとりが声をあげたのだ。
怜悧な印象の女性だった。
顔に見覚えがあった。
「ええと……確か以前に?」
「はい。エレナーと申します。過日は失礼をいたしました」
偽勇者の被害に遭って滅びた村で出会った、騎士の女性だった。
わたしのことを偽勇者と勘違いして、剣を抜きかけた出来事が印象的で、顔を覚えていた。
またこうして、わたしたち転移者を偽勇者に間違えた場面に行き遭ったのは、なんの因果だろうか。
あのときはゴードンさんがわたしのことを知っていたお陰でことなきを得た。
いまはわたしが河津くんのことを知っている。
シチュエーションも良く似ていた。
「エレナーさん、話はあとで。いまはとにかく……間に合って良かった」
わたしは河津くんに駆け寄った。
肩に手を置いて、顔を覗き込む。
疲れ切った酷い顔をしていた。
……冤罪をかけられたのだから当然か。
弱っている仲間の姿を見て、萎えていた体に少し力が戻ってきた。
わたしは周りを囲む騎士たちに目をやった。
「聞いてください。彼は偽勇者なんかじゃありません」
「本物の勇者様だというのですか」
エレナーさんが尋ねてくる。
その表情は険しい。
怯んでしまいそうになるくらい、強い圧を感じた。
わたしはその視線を正面から受け止めた。
「そうです」
仲間を守るのだ。
一歩も譲るつもりはなかった。
「彼はわたしと同じ勇者です」
もしもエレナーさんの誤解が頑ななものであったとしても、断固として抗議する。
そう心を固めていた。
その覚悟が――
「……違う」
――思わぬところから、崩された。
「え?」
突き飛ばされた。
よろける。
戦いで体が弱っていたからもあったが、それ以上に、まったく予想していなかったせいもあった。
信じられない気持ちで、自分を突き飛ばした相手をわたしは見返した。
「河津……くん?」
「違う」
掠れた声。ぞくりとした。
河津くんはまるで死体が起き上がったような虚ろな顔をしていたのだ。
「違う。違う。違う。違う。違う! 違う!」
河津くんは叫んだ。
頭を掻き毟り、何度も何度も。
ぶちぶちと髪が千切れ、皮膚が抉れ、血が滲んでも止まらない。
その狂態を前に立ち尽くすわたしに、どこか暗い底から響くような声で河津くんは言った。
「おれは勇者じゃない! 勇者なんかじゃないんだ……!」
そして、地面に崩れ落ちる。
わたしはただ、その背中を見下ろすことしかできなかった。
なにが起こっているのか理解ができない。
目の前の光景の意味がわからない。
誰か教えてほしい。
いったい、なにが起こっているの?
◆3話連続更新でした。
恐らく、次回から謎が解けていきます。
と思います。多分。
なるべく早くお届けできるように頑張りますね。






