14. 揺るがない心
前話のあらすじ
飯野さん、真実に辿り着く。
……本当に?
14 ~リリィ視点~
「偽勇者の討伐……?」
部屋に飛び込んできたリアさんの言葉を、わたしは呆然と繰り返した。
ご主人様にかけている回復魔法を、危うく途切れさせてしまいそうになるくらい、衝撃を受けていた。
わたし自身、偽勇者の噂話は以前に聞いていたし、いくつかの村が壊滅したことも知っていた。
けれど、それがご主人様と結びつけて語られるのは、意味がわからなかった。
なにかの冗談だと思いたいくらいだったけれど、リアさんの表情にそんな余裕はなかった。
「先程、ディオスピロからの伝令が到着しました。確かな情報です」
「伝令……?」
「失礼します」
と、リアさんのうしろから男性が部屋に入ってきた。
アケルの王国軍の兵士の装いに身を包んだ、隻腕の男性だった。
シランさんが虚を突かれた表情を浮かべた。
「……アドルフ?」
「シランか。こんなところで、こんなふうに顔を合わせることになるとはな」
部屋に入ってきたのは、近隣の町ディオスピロに駐留しているアケルの軍人、アドルフさんだったのだ。
過去にはチリア砦で騎士のひとりとして戦いに身を投じ、腕を失って故郷のアケルに戻ってからは、軍の指南役として働いている人物だった。
シランさんにとっては元同僚であり、戦友ということになる。
わたしたちは以前、シランさんの知り合いである彼を通して、魔石を融通してもらったことがあった。
「それでは、アドルフさん。わたしは失礼しますので、あとはよろしくお願いします……」
そう言って、蒼褪めた顔のリアさんが部屋を出ていく。
見送ったアドルフさんが、シランさんに向き直った。
「大変だったな。お前の体のことも含めて、フィリップ様から話は聞いた。話をしてくれなかったのは残念だが」
「……すみません」
「冗談だ。孝弘様の事情もある。そうそう吹聴できるようなものではなかったことは知っているさ」
浮かべた笑みには、戦友への気遣いがあった。
けれど、笑顔はすぐに引っ込められた。
ベッドに横になるご主人様に、アドルフさんは視線を移した。
「急いで事情を知らせなければと、ディオスピロから休む間も惜しんでやってきたのだが……まさか孝弘様がお倒れになっていたとはな」
「アドルフ。マクロ―リン辺境伯が兵を差し向けてきたというのは、確かな情報なのですか?」
シランさんが質問を投げ掛けると、アドルフさんは神妙な顔で頷いた。
「ああ。軍が掴んだ情報だ。辺境伯が差し向けた兵士は、わたしがディオスピロを出た時点で、すでにすぐ近くにまで迫っていた。率いているのは、ルイス=バードという名の男だ。名目はチリア砦襲撃に関わる偽勇者、『邪悪なモンスター使い』真島孝弘の討伐。およそ五千ほどの軍勢が確認されている」
「ご、五千!?」
わたしは小さく叫んでしまった。
「ご主人様ひとりを殺すために、五千人も兵士を送ってきたっていうの!?」
「というより、リリィ殿たち眷属も含めた一党を、纏めて相手にするための戦力でしょうね」
わたしのつぶやきを、シランさんが修正した。
その表情は厳しい。
「別に常識のない数というわけではありません。仮に……仮にですが、わたしが同じ立場にあれば、同様の判断をするでしょう。これは孝弘殿に限りませんが、勇者様は一騎当千の力をお持ちです。中途半端な数を差し向けても意味がありませんので」
勇者に剣を向けると言うのが仮定の話にしても不愉快なのか、硬い声だった。
「ウォーリアクラスの転移者を相手にして、単独でも食い下がれるガーベラ殿やリリィ殿、そして、僭越ながら、このわたし……他にもローズ殿たちをはじめ眷属全員の力を合わせれば、孝弘殿の率いる戦力は、すでに平均的な転移者のものを上回っています。だからこそ……」
「……大軍ですり潰す必要がある?」
「そういうことです」
認めたくはないが、納得のいく理屈だった。
先程、転移者の力を『一騎当千』とシランさんは評したが、これは別の見方もできる。
すなわち、千人いれば殺せるのだと。
もちろん、現実の世界はそんな単純なものではないが、どんな超人にも限界はある。
数が増えれば対処が難しくなるし、疲労は溜まり、傷も蓄積する。
数の暴力とはそうしたものだ。
「マクロ―リン辺境伯は帝国南部貴族の元締め。保有する領土はアケル一国をはるかに凌駕し、豊かさでは比較にならない大貴族です。抱える兵力は一万をゆうに超えると聞いたことがあります。本気で孝弘殿とことを構えるつもりなら、それくらいの軍勢は差し向けてくるでしょう」
そこまで語って、シランさんは眉間の皺を深くした。
「ただ、わからないことがひとつあります」
「わからないこと?」
「マクロ―リン辺境伯の軍が、どうしてアケルの国境を越えられたのかということです」
わたしが首を傾げると、シランさんは丁寧に説明をしてくれた。
「当たり前のことですが、軍隊が勝手に他国の領土に入り込むことはできません。無論、時と場合によっては、他国の軍隊を招くこともありますが……ご存知の通り、我らアケルとマクロ―リン辺境伯領は、非常に仲の悪い間柄になります。相当のことがなければ、軍隊が国境を越えることを許したりはしないはずなのです」
「……たとえ事情があったとしても、許可など出るはずもない。なにをされるかわかったものではないからな」
アドルフさんは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
国防に携わる軍属というのも大きいのかもしれないが、仲が悪いというのは本当らしい。
「でしたら、どうして?」
シランさんが疑問の表情を見せた。
「そもそも、辺境伯軍が越境することは、もっと前に打診があったのではないのですか」
「それがなかったのだ。やつらめ、事前通達もなしに、いきなり国境に現れたのだからな」
「……馬鹿な。それでは、ほとんど侵攻してきたようなものではないですか」
シランさんは信じられないといった顔をした。
「軍はなにをしていたのです」
そう言われるのは予想していたのだろう。
無念の滲んだ声でアドルフさんは答えた。
「なにもできなかったのだ。聖堂騎士団の方々が、同行していたからな」
「……なんですって?」
シランさんの顔が強張った。
おおよその経緯が予想できてしまったからだろう。
低い声で問い掛けた。
「いま、聖堂騎士団と言いましたか?」
「ああ、辺境伯領軍には、聖堂騎士団のお方々が同行しているのだと聞いた。そうなれば、あれは正義の遠征だ。末端の兵士ではなにも言えん。それどころか……こともあろうに、辺境伯軍め、壊滅した聖堂騎士団第四部隊の敵討ちを謳う始末だ」
「そんな……」
シランさんが言葉を失った。
わたしはふと思い当たることがあって、唇を噛んだ。
「……そっか、やられた。エドガールがこのタイミングで襲撃してきたのは、そういうことだったんだ」
ご主人様が伏しているのは、聖堂騎士エドガールの襲撃を受けたためだ。
まさか偶然ということはないだろう。
「トラヴィスと辺境伯は共謀してたんだね」
辺境伯領軍を率いているルイス=バードという人物の名前にも聞き覚えがあった。
飯野さんがセラッタでわたしたちについての間違った情報を得たときに、トラヴィスと同席をしていた人物だったはずだ。
そのときから彼らは結託していたに違いない。
そして、ご主人様を陥れたのだ。
「こんなの、酷い」
状況の悪さを認識せずにはいられなかった。
五千の兵士は、わたしたちを潰すために用意されたものだ。
ましてや、現状、わたしたちの戦力は激減している。
シランさんは著しく弱体化し、わたしはご主人様の治療のために手を取られて動けない。
なにより、ご主人様の意識がないのがまずかった。
ちらりと視線を巡らせた先、ロビビアは幼い顔を不安でいっぱいにしていた。
小さな手が、ご主人様の眠るベッドの布地を掴んでいる。
わたし自身、取り乱さずにはいられているものの、完全に平静でいられているとは言い難かった。
不安な気持ちは伝染する。
際限なく広がる。
黒々と心を染め上げる。
部屋に重い空気が立ち込めて――
「リリィ姉様」
――ローズが口を開いた。
「少しよろしいでしょうか」
平静な物腰。
一瞬、わたしは呆気に取られてしまう。
それくらい、いつも通りのローズだった。
「……あ、うん。なに?」
「わたしたちはこれからどう動きましょうか」
わたしが促すと、当たり前のことのようにローズは言った。
もともと表情が薄いのもあるにせよ、その態度に動揺の色は見られない。
ただ、必要なことを語っているだけ。
そんな自然な物腰だった。
「状況の悪さに思い巡らせていても、なにが変わるわけでもありません。状況がどうあれ、わたしたちがやるべきことは決まっています。ご主人様を守るのです。そのために動かなければ。違いますか」
現実的な方向に、すでにローズは思考の舵を切っているようだった。
いや。というより、これはいつも通りにしているというだけのことなのかもしれない。
ご主人様を守る盾。
ローズが考えることは常にひとつで、そこが揺らぐことはない。
そして、その在り方こそが、この場では覿面な効果を及ぼしたのだ。
「……そうね。確かに、そうだ」
不安な気持ちは伝染する。
であれば、その逆もまた然りだ。
目的を共有していれば、尚更のこと。
確かな指針を与えられたことで、その場の空気がはっきりと変わった。
もちろん、わたしも例外ではなかった。
「……ふふっ」
なんとなく、まだ名もなかった白いアラクネにご主人様を攫われたときのことを思い出した。
あのときもローズの冷静さには助けられた。
大事で可愛い自慢の妹。
いざというときに頼りになるのは昔からだ。
わたしはローズに笑顔を向けた。
「よし。それじゃあ、これからどうするのか考えよっか」
「はい」
ローズが頷くと、すかさず傍らの加藤さんが口を開いた。
「おおまかには、迎え撃つのか、逃げるのか、あるいは、交渉を試みるのかですね」
立て板に水を流すかのように、これから取りうる方針を並べてみせる。
まるでこうなることがわかっていたかのようだった。
あるいは、信じていたのかもしれない。
「加藤さんはどう思うの?」
わたしが意見を求めると、加藤さんはすぐに答えた。
「まず迎え撃つのは難しいでしょう」
「やっぱ、そうだよね」
魔法のように戦力を増やす手段なんてない。
対抗する力がない以上、戦いを避ける方向で考えるしかないだろう。
「だとすれば、逃げるか交渉するかだね。話し合いでわかってもらえればいいんだけど……」
わたしは眉を顰めた。
「あれだけ無茶苦茶吹っかけてきたトラヴィスと共謀している以上、それも無理だよね」
「いえ。それはどうでしょうか」
意外なことに、加藤さんはここで疑問を差し挟んだ。
「トラヴィスと共謀しているという表現は正しくないかもしれません」
「どういうこと?」
「トラヴィスの目的は、『邪悪なモンスター使い』を倒し、名誉と手柄を手に入れることでしょう。ですけど、辺境伯はどうでしょうか。わたしには、どうにも割に合わないように思えるんです」
おさげにした髪を指先でいじりつつ、考えを口にする
「真島先輩を討伐するために、五千の兵士が必要だというのはわかります。ですが、そのための遠征のコストはどうでしょうか。自分の所属する組織の騎士を好き勝手に動かしていたトラヴィスとは違って、遠征の費用は辺境伯自身に返ってくるわけでしょう。いくら辺境伯領が豊かとはいえ、ぽんと出せるような額ではないように思うんです」
確認するような視線を向けられて、シランさんが頷いた。
「それは……確かに、真菜殿の言う通りです。軍隊というのは金食い虫ですから。遠征ともなれば尚更です。無論、たとえば、これが自分の領土のことなら話はまた違います。噂によれば、偽勇者というのは不利益をもたらす存在のようですし、それを排除するために動くのは当然のことです。ですが、ここはアケルです。利益だけを考えていたら、不仲な辺境伯が動く理由はないでしょう」
だから、割に合わない。
利益のことを考えていない。
だとすれば……。
「……辺境伯軍は本当に、偽勇者討伐のために動いている正義の軍隊だってこと?」
そういえば、辺境伯本人についてはよくわからないけれど、領軍を率いているルイス=バードについては、『正義感の強い人物』だと飯野さんが言っていたことがあった。
その見立てが信用できるかといえば、多少首を傾げるところもあるけれど、あれだけ言っていたということは、少なくとも、同類としてなにか感じ取れるものがあったのだろう。
飯野さんがわたしたちを襲撃してきたときのように、ルイス=バードは間違った情報に踊らされているのかもしれない。
ありそうな話だった。
迷惑な話でもある。
ただ、そうだとすれば、希望の光も見えてくる。
「辺境伯領軍が単にトラヴィスの口車に踊らされているだけだとすれば、誤解を解くことで戦いを回避できるかもしれないね。とりあえずは逃げて、この場を切り抜けて、その間に……」
「フィリップ様のお力を借りましょう」
わたしの言葉を、シランさんが引き取った。
「予定とは違うかたちになりましたが、やることは同じです。王族の言葉となれば、辺境伯領軍も無視はできないでしょう。アドルフ。フィリップ様はいま、どうしていらっしゃいますか?」
「フィリップ様なら、孝弘様との協力関係について詳しい話をするために、陛下のもとへ発たれた。ただ、道中で辺境伯領軍の話は聞いているはずだ。フィリップ様のことだ。すでに動いてくださっているかもしれない」
「それでは、わたしたちが逃げて時間を稼いでいる間に、辺境伯領軍の誤解を解いていただくようにと、フィリップ様にお伝えしてもらうことは可能ですか?」
「無論だ」
アドルフさんは力強く頷いた。
「偽勇者がなんなのかはわからないが、孝弘殿が勇者であることは事実なのだ。偽勇者などという誹謗中傷は恐れるに足りない。聖堂騎士団第四部隊とのことについても、フィリップ様は協力を約束されている。必ずやお伝えしよう」
これで当面の方針は立った。
もちろん、辺境伯になにか別の思惑がある可能性も否定はできないが、その場合も、とにかく時間を稼ぐことは有効だ。
とにかく、この場さえどうにか切り抜けられれば、なんとかなる。
いいや。切り抜けるのだ、なんとしても。
わたしはベッドで眠るご主人様に視線を落とした。
回復魔法の白い光に照らされた顔を見詰めた。
絶対に守ってみせる。
みんなで力を合わせて、この難局を乗り越えるのだ。
方針が固まり、わたしたちは頷き合った。
心を一つに。
動き出す。
その直前のことだった。
「待て、スライム」
扉の開く音がして、低い女の声が響いた。
灰色の巨体が、するりと部屋に入ってくる。
ぎょっとして、わたしはそちらに目をやった。
「ベ、ベルタ!?」
そう。
そこにいたのは、双頭の灰色狼ベルタだったのだ。
付いてきたらしく、傍にはあやめの姿もあった。
「お、驚いた。戻ってきたんだね」
一時期はわたしたちと同行していたベルタは、主である工藤陸のところに戻っていた。
もう一度、こちらに来るようなことは言っていたけれど、このタイミングで顔を見せるとは思っていなかった。
村には、見張りをしてくれているガーベラが通したのだろう。
「ちょ、丁度良かった」
頭が驚きから再起動した。
「聞いて、ベルタ。いま、大変なことになっていてね」
立場上難しいところはあるが、ベルタの人格については信頼できる。
どれだけの力を持っているのかも知っている。
手を貸してくれれば、力強かった。
「実は……」
「知っている」
話をしようとしたわたしを遮って、ベルタは腰から生える触手で器用に扉を閉めた。
「マクロ―リン辺境伯軍が迫っているのだろう?」
部屋の真ん中まで歩を進める。
ご主人様に目をやり、小さく唸った。
そこにわたしは、無念そうな響きを聞き取った。
「……これはまた、ずいぶんと面倒なことになっているな」
「う、うん」
「お前たちの先程の話。最後のところだけだが、聞かせてもらった」
ベルタは狼の鼻面をわたしに向けた。
「お前たちの予想は正しい」
二対の目がわたしを見詰めた。
「辺境伯領軍は、正義のために動いている。それは間違いない」
「ど、どうしてそんなこと、知っているの……?」
「見てきたからだ」
見てきた?
いったい、なにを見てきたというのだろうか?
「話がある」
どうやらベルタは、ただ戻ってきたわけではないらしかった。
よく考えてみれば、この場に現れたこともおかしかった。
ご主人様と工藤陸との関係は、伏されているべきものだ。
ベルタとこうして話をしているのも、なるべくなら第三者の目には触れないほうが望ましい。
それなのに、こうも堂々と姿を現した。
そうする必要があった、ということだろう。
疑問の視線の集まるなか、ベルタが口を開いた。
「辺境伯軍について。そして、偽勇者についてだ」
◆新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
……ずいぶん、遅くなってしまった。
悩ましいところだったのと、ちょっとキリの良いところがなかったのとで、更新が遅くなりました。
3話更新です。






