08. 日暮れ
前話のあらすじ:
ローズはもっとがーっと行くべき(リリィ談)。
8
村の周辺地域のモンスター討伐から帰り、汚れを落としたあとで、おれは外の空気を吸いに家を出た。
空は綺麗なオレンジ色に染まり、夕日は半分沈みかけている。
「お、主殿」
丁度、帰ってきたところだったガーベラに声をかけられた。
真っ白い体が、夕焼け色に染まっていた。
「そろそろ夕飯であろ。どこかに行くのかの」
「いや。ちょっと外の空気を吸いに出てきただけだ。ガーベラはどうした?」
「妾は村の警備が終わったところだ。シランと交代して戻ってきた」
「そうか。お疲れ様」
「うむ」
ガーベラが近付いてくる。
手が伸びてきた。
「……なんだ?」
頭を触られた。
撫でるとかではなく、子供が玩具に触れるようにぺたぺた触れられる。
「湿っておるな」
「風呂に入ったからな」
正確に言えば、大きな桶に溜めたお湯に浸かったのだ。
模造魔石を利用したもので、ひとつ村にも提供したところ、とても喜ばれている。
「むぅ。そうか、風呂に」
ガーベラが唇を尖らせた。
「だったら、もう少し早く帰ってくればよかったかの」
「どういう意味だ」
「そういう意味だ」
蜘蛛脚がきちりと鳴った。
「体を洗うのを、主殿に手伝ってほしかったのだがの」
「……いや。お前の体洗うの、けっこう大変だからな?」
おれは半眼になった。
蜘蛛の体には汗を掻くわけでもないので、たいていガーベラは上半身を拭うだけで済ませている。
ただ、少しずつ汚れるので、たまには風呂に入る。
ガーベラの蜘蛛の体は、人に比べて大きい。
そのうえ、長い毛が生えている。
大型犬のシャンプーの何倍も大変だと言えばわかるだろうか。
乾かすところまで入れれば何時間もかかる。
「下が面倒なら、上だけでも良いぞ」
「おれが上を洗う意味はあんまりないだろ……」
「あるぞ。妾が嬉しい」
むふふ、とガーベラはにやけた笑みを浮かべた。
「主殿は嬉しくないのかの」
「……ノー・コメントで」
「主殿は奥ゆかしいな」
話をしている間もぺたぺた触れていた手が、頬にまで降りてくる。
その手が不意に引っ込められた。
「む?」
ガーベラがこうべを巡らせた。
そこに、通りがかったふたり組の村人の姿があった。
「あ! おかえりなさい、孝弘様!」
「討伐お疲れ様です」
一方は村のエルフで、もう一方は隣村からの出向組だった。
ふたりでひとつの大きな木箱を運んでいる。
「それに、ガーベラさんも。村の周囲の見張り、お疲れ様です」
「うむ」
特に怯えた様子もなく、ガーベラにも声をかけてくる。
ガーベラが鷹揚に頷くのに続けて、おれは尋ねた。
「お疲れ様です。なにを運んでいるんですか」
「隣の村からの物資です!」
なにやら気合いの入った返答があった。
答えたのは、この村に元から住んでいるエルフのほうだ。嬉しそうに報告してくれる。
「孝弘様たちがお帰りになる前に届きましたので、その運搬をしております!」
「ああ……」
そういえば、村に帰ってきたときにそんな報告を受けたことを思い出した。
この間の会合で、フィリップさんからは、物資の支援の約束を取り付けてある。
現状で足りない分については、隣村から借りておいて、支援が出た時点で返す予定にしていた。
「確かケイが、隣村から借りた物資のリストを作っていましたっけ。そちらは終わったんですね」
「あ、いえ。それはまだです」
引き続き、村のエルフが答えてくれた。
「ただ、もう暗くなってきましたので、記録が終わったものから運ぼうという話になりまして」
「そうでしたか。お疲れ様です。おれになにか手伝えることはありますか?」
「え? いえ! そんな! 孝弘様に手伝っていただくなんて!」
とんでもないとばかりに、首を横に振られた。
「孝弘様は樹海に出ていらしたのです、お疲れでしょう。体を休めていただかなければ……おっと!?」
答えていたエルフが慌てた声を出した。
しゃちほこばった様子で答えた拍子に、木箱を持っていたバランスを崩したのだ。
「危ないな。気を付けよ」
おれが手を出す前に、ひょいっと飛び込んだガーベラが蜘蛛脚を突き出していた。
長く伸びた蜘蛛脚が、倒れ込んできた木箱を器用に支える。
その間に、ふたりはバランスを取り直した。
「あ、ありがとうございます」
「ったく、お前は」
もうひとりのエルフが呆れたように言って、蜘蛛脚を引っ込めるガーベラに礼を言った。
「ありがとうございます、ガーベラさん」
おれに向かっても、頭を下げる。
「孝弘様も。お見苦しいところをお見せしました」
相方ほど大袈裟ではないものの、親しみと敬意のこもった態度だった。
「それでは失礼します」
今度こそ慎重に箱を抱え直して、ふたりは去っていく。
見送ったガーベラが、ふむと鼻を鳴らした。
「なにか変な気分だの」
子供のように首を傾げる。
「妾がこのように、人の集落で普通に接される日が来ようとは」
「そうだな。おれもちょっと変な感じがするよ」
人の世界に足を踏み入れてから、ガーベラはずっと人目を避けてきた。
おれも彼女や他の眷属が見付からないように、注意を払ってきた。
こうして受け入れられた事実は嬉しいが、同時に違和感も覚えてしまう。
「しかし、きっとこれが普通になるのであろうな」
強い言葉に視線を向ければ、ガーベラもまたこちらを見詰めていた。
「否。これを普通にするために努めるのだ。であろ?」
「……そうだな」
おれも笑みを返した。
そこで、ふとガーベラがおれの背後に視線を向けた。
背後で扉が開く音がした。
振り返ると、扉を押し開けたローズと目が合った。
「ぁ……」
ローズは小さな声あげた。
どきりとした。
そのせいで、声をかけるタイミングを失ってしまう。
ローズは扉を中途半端に開いたまま、動きを停めていた。
そんなおれたちの様子を見て、ガーベラがきょとんとした。
「ふむ?」
おれとローズとを見比べる。
「……ふむ」
鼻を鳴らしたガーベラが、なにやら頷いた。
こちらに視線を向けてくる。
「さてと。妾はそろそろ戻ろうかの。主殿はまだ残るのだろ」
ガーベラの行動は素早かった。
ローズと入れ替わりに家のなかに入ると、扉を閉めてしまう。
「ガーベラ……」
「ではの。ご飯までには戻ってくるのだぞ」
ぱたりと扉が鳴って、ふたりだけが残された。
気を遣われたのだということは、すぐにわかった。
おれはローズと顔を見合わせた。
途端に落ち着かない気持ちになり、視線を逸らした。
「えっと……ローズはどうしたんだ」
「その、ご主人様が……いえ。散歩でもしようかと思いまして」
「そうか」
「はい」
……どうしたものかな、とおれは眉を下げた。
なんともぎこちないやりとりだった。
どうしてこんなふうになっているのか。
なにか明確な切っ掛けがあったわけではなかった。
この村に落ち着いてから、ローズと一緒にいる時間をよく取れるようになり、気が付けばこんなふうになっていた。
おかしな話だった。
むしろ、これまでおれは、ローズと一緒にいると、いつだって穏やかで落ち着いた気持ちになっていた。
それは、半ば刷り込みめいたものだったかもしれない。
生きるか死ぬか。明日のことさえわからなかった樹海での生活のなか、おれを守るとローズは言ってくれた。
その献身が、どれだけ救いだったことか。
たとえば、いつかローズを抱き締めて眠った夜。
あの穏やかさを、おれは生涯忘れることはないだろう。
彼女が一緒にいてくれるだけで、おれは安心できたのだ。
いまだって、それは変わらない。
ただ、それだけでは済まなくなったというだけのことで。
出会った頃から時は流れて、ローズは変わった。
女の子になった。
可憐で、健気で、一途で。
ふとした瞬間に、あれ? と思う。
眼差しとか。
態度とか。
なんとなく伝わってくるものがあったからだ。
もっとも、リリィやガーベラとは違い、ローズはなにも言ってこない。
態度から推し量ろうにも、もともと、ローズはおれにとても好意的で、判別が付けがたい。
確かなことは、そうしたローズの態度に、女の子として意識させられてしまう自分がいることだけ。
ローズといると、どきどきする。
この感情はなんなのか。
もうほとんど答えは出ているようなものだ。
……けれど、そこでブレーキがかかる。
元の世界での常識が邪魔をする――というのもあるが、それだけではない。
それだけならば、まだ良かった。
もうひとつ、大きな原因があった。
それは、これまでのおれとローズの関係性だ。
ローズは忠誠心が高く、奉仕することに喜びを感じる性分だ。
仮にそういった関係をおれが求めれば、ローズはきっと受け入れてしまうだろう。
たとえ、彼女がおれにそうした感情を抱いていなかったとしてもだ。
それは駄目だ。
そう思うから、おれはどうしても踏み出すことを躊躇してしまう。
ある意味、これまで大事にしてきた主従としての関係性が、ここにきて邪魔をしていた。
結果、ぎこちなくなってしまったこの空気に、ローズが気付いていないはずもない。
「その……ご主人様。わたしはなにかしてしまいましたでしょうか」
不安そうな声で尋ねてくる。
白い長手袋に包まれた手が、エプロンの裾を握っていた。
「そうじゃないよ」
おれはかぶりを振った。
「ですが……」
「違うんだ、ローズ。これはおれの側の問題というか……うまく言えないんだが、とにかく、不快とかじゃない」
これだけじゃ足りないかなと思って、付け足した。
「ローズと一緒にいられるのは嬉しいよ」
「ご主人様……」
ローズが目を丸くする。
気恥ずかしさを覚えたが、目を逸らさないように努めた。
「本当ですか」
「ああ、本当だ」
「そう……ですか」
おれが強く言い切ると、ローズは信じてくれたようだった。
心の底から、ほっとした様子を見せる。
「それなら良かったです」
曇り空から晴れ間が覗くように、たちまち明るい表情になった。
こんなちょっとしたことでも、胸のなかで動くものがあることを自覚する。
これはもう確定だなと、内心で苦笑いをするほかなかった。
「ローズは散歩に出てきたんだったか。夕飯まではまだ少しあるだろう。ちょっと歩くか」
「はい。ご主人様」
おれが歩き出すと、半歩うしろをローズが付いてくる。
足取りは軽く、嬉しそうに口元をほころばせて。
話をしているうちに日は暮れていた。
夕日は姿を消し、空は墨を流したように暗くなりつつある。
へばりついたような残照が村の景色を黒ずんだ朱色に染めて――行く先の道に、一匹の鬼の姿を照らし出した。
「……え?」
逢魔が時という言葉がある。
日が沈み、昼と夜が移り変わり、人は魔物に出会う。
暗がりに溶け込む黒い肌。不吉な赤い髪。
見る者を頭から喰らい尽くすような凶悪な笑みには、殺意と敵意が込められている。
「よぉ、真島」
聖堂騎士団のひとり、『戦鬼』エドガール=ギヴァルシュがそこにいた。
「借りを返しにきたぜ」
◆ガーベラ回&じれじれローズ回でした。
それと、不意打ち。
◆業務報告です。
書籍版『モンスターのご主人様』の8巻は、12月末に発売の予定です。
あと1ヶ月ほどですね。
また、活動報告等で報告はしていく予定です。お楽しみに!






