02. 狼と影の問答
(注意)本日2回目の投稿です。(9/25)
2 ~ベルタ視点~
わたしが王に合流できたのは、竜の里に向かうという真島孝弘のもとを離れて、しばらく経ってからのことだった。
王は姿を隠して世界を移動して回っているため、離れて活動をするわたしが連絡を取るのは難しい。
人間の町に入れるのなら、様々な町に配置されているアントンの分体と接触することも可能なのだが、生憎、どう頑張っても半身は狼のままの身だ。
そのため、王はわたしのために連絡手段を用意していた。
人が足を踏み入れぬ地に配置されたモンスターという形でだ。
王の能力は『モンスターに命令を出して自在に操る』というものだ。
配下のモンスターは、わたしやアントンなどの例外を除けば、命じられたことをそのまま行うことしかできない。
そのため、王から離れた場所で独自の判断を下す、といったことは不可能だ。
しかし、だからといって、近場での運用しかできないのかといえば、そんなことはない。
そのあたりは創意工夫。
人間の得意分野だ。
あらかじめ、どんな条件でなにをするのか命じておけば、遠隔での運用も可能だった。
わたしが現れた時点で、王にそれを知らせるように、あらかじめ彼らは命令を受けている。
会ってくれるかどうかは王の胸先三寸だが。
幸いなことに、接触をして数日待っていると、モンスターが戻ってきた。
こうして、わたしは久しぶりに王のもとに戻ったのだった。
***
案内されたのは、アケルからずいぶんと遠く離れた場所だった。
人間たちの言うところの、帝国南部の小貴族たちの領地とやらだ。
こんなところで、王はなにをしようとしているのか。
少し気になった。
「ベルタ」
案内役に連れられて、深い森のなかを歩いていると、行く手にアントンの分体が現れた。
チリア砦で死亡した十文字達也の姿をしている。
周囲には、かなりの数のモンスターを連れていた。
道先案内人……というよりも、わたしが敵を連れてきてしまった場合を警戒してのことだろう。
周辺をモンスターの大群がうろつき回る気配があった。
どうやら我らが王の戦力の拡充は順調らしい。
その事実に安堵しつつ、わたしは声を返した。
「久しいな、アントン」
「……王のもとに案内する。ついてくるがいい」
挨拶に対して、返ってきたのは極めて事務的な言葉だった。
あとはもう、振り返りもせずにアントンは踵を返してしまう。
その背中を追いながら、わたしは内心で苦い笑みを零した。
アントンはわたしと同じ意志持つモンスターでありながら、他の王の駒と同じく感情を持たない。
なにを目にしても、どんなことをしても、いかなる想いも抱かない。
ゆえにただ忠実に王の命令に従うことができる。
その在り方は、我らの王が配下として理想とするものだろう。
正直なところ、羨ましいと思う。
そんな感情こそが、邪魔なものなのだが。
ともあれ、無感情なアントンは、基本的に必要なことだけしかしない。
それは知っていたはずなのに、挨拶なんて人がましいことをしてしまったのは……『あちら』の環境に多少なり影響を受けているということだろうか。
同じことをアントンも考えたのかもしれない。
「もうひとりの王との生活はどのようなものだった?」
「……」
必要なことしかアントンはしない。
ならば、この雑談もまた必要と判断されたものだということだ。
ならば、その意図はなにか。
……あまりいい予感はしなかった
わたしはもともと、王の配下としては『出来損ない』の部類だ。
戦闘力は高いが、その利点を打ち消して有り余るほどに無駄が多い。
心、感情、想い、気持ち。
王が不要と断じたものを持ち合わせてしまっている。
どれだけ凍りつかせていたところで、無駄なそれらがどこかで滲んでしまうのだ。
そんなわたしの唯一とも言える使い道が、王がご執心の真島孝弘のところへの派遣任務だった。
彼のところに寄越すのには、わたしがもっとも反感を買わずに済むと王は判断した。
それはつまり、王とまったく異なった行動原理に従っている彼を見て、わたしはそちら寄りだと考えたということだ。
そこには、派遣した先で取り込まれる危険性も加味されているのだろう。
当然、いざとなれば切り捨てることも含めた判断であるはずだった。
アントンもそのあたりは理解しているだろう。
……探りを入れられているのだろうか。
切り捨てられるのはかまわないが、それは王のために死ぬのであればの話だ。
裏切り者として粛清されるのは御免だった。
「王のもとに着いたら、見てきたものはすべて話す」
「そうか」
さいわい、アントンはすぐに引き下がった。
ただ、その代わりというわけでもないだろうが、もうひとつ尋ねてきた。
「あの白い大蜘蛛はどうしていた?」
「……なに?」
これも必要なこと……だろうか?
「特にはなにも。あえて言えば……そうだな。恋仲になった主との関係を、どうやって前に進めようかと悩んでいたくらいか」
こんなことは、あえて王にお伝えするようなことではないので、この場で話してしまっていいだろう。
「日々を楽しそうに過ごしていたよ」
「そうか」
わたしが答えると、それきりアントンは黙り込んで足を進めた。
なんなのだろうか。
「白い蜘蛛となにかあったのか?」
そういえば、前々からどうもアントンはあの樹海の白い蜘蛛を気にしているふしがあった。
前に顔を合わせたときも、少し挑発的な言葉を口にしていた記憶がある。
返答はないかもしれないと思ったが、予想に反してアントンは口を開いた。
「初めてチリア砦で遭遇したとき、おれはあいつに……」
言いかけたところで、アントンは口を噤んだ。
「そろそろ王の御前だ」
どうやら着いたらしい。
連れてこられたのは洞窟だった。
足を踏み入れる。
十文字達也の姿をコピーしたアントンの靴音が壁に反響した。
洞窟は明るかった。
壁に火のついた大きなトカゲが這っている。
照明兼、防衛線力と言ったところだろう。
奥まで進むと、王に名前を与えられたモンスターたちの姿があった。
ドッペル・クイーンのアントンの本体。
ナイトメア・ストーカーのドーラ。
そして、狂獣エミル。
彼らに囲まれて、小柄な王の姿があった。
アントンあたりに手に入れさせたのか、持ち込んだ机に着いている。
机の上には、紙束がいくつも積まれており、王はそのひとつに目を通していた。
……ああ、やっと戻ってこれた。
久しぶりに王に会えた嬉しさに、わたしは尻尾を振りそうになり、危うくその衝動を堪えた。
そうした感情の表れを王が嫌うのは知っていたからだ。
「ああ。ベルタ。帰ったのですね」
王がこちらに顔を向けた。
久しぶりに顔を合わせたというのに、興味の薄い視線だった。
この世界でたったひとりの例外を除いては、このお方は何者にもさしたる関心を向けることはない。
眷属はあくまで駒でしかなく、それ以外の者についてはいずれ殺すものと割り切っているからだ。
だが、それにしてもわたしに対して向けられる視線は、一段と冷たいものだった。
気持ちが挫けてしまいそうになる。
こういうところもまた、王の駒として余分なところだった。
「ベルタ、帰還しました」
不要な思考を切り捨てて、わたしは王の前に進み出た。
その細い顔を見上げる。
……また少し痩せた気がした。
もともと王は線が細い。
この世界にやってきたことで得た異能も、自身を強化する類のものではなかった。
あくまで常人のものでしかないその細い体の内側に、怒りと絶望の黒い炎が燃えている。
その炎は世界を燃やし、王自身をも常に焦がしているように思えた。
「先輩は強くなりましたか?」
そんな王が唯一、そうした感情を忘れた様子でいるのが、真島孝弘にかかわる話をするときだった。
そうした姿を見られるのは、わたしにとって嬉しいことだ。
たとえ、話をしているわたしの姿など、その目に入っていないとしても。
「話を聞かせなさい、ベルタ」
「はい」
***
「竜の一族の隠れ里、ですか」
真島孝弘と離れるところまで話をすると、最後のところで王は興味を惹かれた様子を見せた。
「それは少し面白いですね。詳細を知りたいところですが」
「申し訳ありません。わたしはその里を訪れる前に、別行動を取りましたので」
「そうですか。……いえ。かまいません。先輩の機嫌を損ねたくはありませんから」
竜淵の里になにか仕掛ける気かと思ってどきりとしたが、王は意外とあっさりと引き下がった。
「これからも、その方針は崩さないように」
「承知しました」
「それにしても……竜の一族ですか。そのような貴重な存在と交流を持つことができるとは、さすがは先輩ですね」
唯一対等と見做した存在と、わたしというメッセンジャー越しとはいえ、久しぶりにやりとりをしたからだろう。
機嫌良さげに王は笑った。
普段浮かべている感情のない笑みではなく、まるで普通の少年のように。
いまのわたしには、その違いがよくわかった。
これも、真島孝弘と行動をともにした経験がもたらした変化かもしれない。
だから……。
――なあ、ベルタ。もしもこっちに戻ることがあれば……。
託された言葉が脳裏に蘇り、わたしは思い切って口を開いた。
「王よ。わたしが知る真島孝弘の行動はここまでになります。最後にひとつ、伝言があるのですが、よろしいでしょうか」
「先輩から伝言? なんですか?」
「はい」
興味を惹かれた様子の王に、わたしは少なからず緊張しながら続けた。
「これまでは、あくまでわたしは護衛として派遣されているだけでした。それは、単なる戦力の貸与でしかありません。しかし、それにとどまらず、これからも連絡を取り合わないかという、申し出があったのです」
これは予想をしていなかったのか、王は意外そうな顔をした。
「先輩がそんなことを……?」
「王よ、それは危険です」
このやりとりを聞いて、王の背後で聞いていたドーラが声をあげた。
影絵のように黒い顔を歪めて、こちらを睨み付けてくる。
「ベルタ。あなたは王の情報を他所に流すつもりですか?」
母親に当たるアントンの無感情な従属とは違い、彼女は忠節を以って王に仕えている。
ときには、このように怒りを露わにすることもあった。
感情と呼べるものを持っているという意味で、ドーラはわたしと同類と言えた。
ただし、彼女の場合はやや行き過ぎたその忠節のために、王の方針に異議を唱えたりはしないので、これはこれで完成されたかたちなのだろう。
その怒りも決して理不尽なものではない。
というより、それはわたし自身も真島孝弘に話を持ち掛けられたときに懸念した事柄だった。
王の立場は非常に敵が多く、他人と繋がりを持つことは、身の危険に直結する。
もっとも、決断を下すのはわたしたちではない。
「控えなさい、ドーラ」
怒るドーラに、王が言った。
「し、しかし……」
「先輩に他意はないでしょう。考え過ぎですよ」
少し驚いた様子こそ見せたものの、王はドーラのように怒ったりはしなかった。
どちらかといえば、喜んでいるように見えた。
「ふふ、しかし、なるほど、そうきますか」
王は肩を揺らした。
「つまり、先輩はまだ、ぼくのことを諦めずにいるのですね?」
「……はい」
ますます愉快そうに、王は笑った。
「ふふ。いいでしょう。先輩を取り込みたいこちらとしても、連絡を取り合えるのは悪くありません」
「それでは……?」
「ええ。その申し出、受けましょう」
王はそう言うと、机の上の紙束のひとつを引き寄せた。
「しかし、そうなると、こちらが一方的に情報を得ている現状はフェアではありませんね。とはいえ、さすがに居場所を明かすわけにもいきません。代わりにひとつ土産を持たせましょう。少し待ちなさい」
紙束をめくりつつ、新しい紙にペンを走らせる。
しばらくなにかを書き付けたあとで、王はそれを折り畳んで革袋に入れた。
「これを持っていきなさい」
わたしは背中に生えた触手の一本を伸ばして、王から革袋を受け取った。
「アントンを使って情報を集めているうちに得られた、転移者たちの動向です」
「転移者たちの……?」
コロニー崩壊で地獄を見た王にとって、転移者の多くは憎しみの対象だ。
殺害対象とも言い換えてもいい。
同時に、彼らは王に対抗できる力の持ち主でもある。
その動向には気を配っているのだろう。
あるいは、それだけではないのかもしれないが……。
「そろそろ、先輩も竜の里から帰ってきていることでしょう。引き続き、先輩の護衛を続けなさい。連絡があれば、戻ってくるように。たまにこちらからも遣いをやりましょう」
言い終わると、王は机に向き直った。
話は終わりということらしい。
わたしは深々とこうべを下げて、王のもとを辞したのだった。
***
洞窟から外に出たところで、わたしは大きく伸びをした。
望む結果を得ることができて、ほっとする。
「……ん?」
そのときだ。
うしろから足音が聞こえてきて、わたしは振り返った。
「アントン?」
十文字達也の姿をしたアントンの分体が、洞窟から出てきていた。
どうやらわたしを追ってきたらしい。
わたしのもとまで辿り着くと、アントンの分体は口を開いた。
「お前はてっきり、王のもとに残りたいと願い出るかと思っていた」
開口一番、口にされた言葉に、わたしは少し呆れた。
「そんなことを言うためについてきたのか?」
意図が理解できないわたしの言動に王への危険性があると判断した、と言ったところだろうか。
他になにかあるのかもしれないが、わたしには判別つかなかった。
ともあれ、妙な疑りを持たれても困る。わたしは素直に答えた。
「生憎だが、それならすでに懇願した」
「……」
「あちらに派遣される前にな。一蹴されたが」
王にとって、我らは駒だ。
いくら願ったところで、聞き入れられるわけなどないのはわかっていた。
きっとアントンなら……いいや、他のどの眷属であっても、そんな無駄なことをしようなどと考えもしないだろう。
出来損ないなのは、わたしだけだ。
「だが、それで良かったのかもしれない。お陰で先のように、もうひとりのモンスター使いとの間に繋がりを作ることができたのだから」
「……おれには、お前が理解できない。お前も、もうひとりの王もそうだ」
アントンは無感情に首を振った。
「なにがあろうと王はとまらない。とまれない。今更、王がどうにかなると本気で考えているのか?」
「……本気で考えているのか、か」
わたしは苦笑した。
前に自分も似たようなことを、あのスライムに語って聞かせたことを思い出したからだ。
確かに、王は真島孝弘とは違う。
真島孝弘は王と同じ境遇でありながら、同じ道を進まなかった。
彼自身の資質もさることながら、あのスライムが現れて、彼を救った事実を無視することはできないだろう。
けれど、我らの王の前にはそんな存在は現れなかった。
王は絶望し、憤り、歩き出してしまった。
もはやとまることはできない。
いまもその考えは変わっていない。
変わったものがあるとしたら、それは心だ。
「それは違う。そうではないのだ、アントン。感情のないお前には、理解できないのかもしれないが」
「理解できない?」
「これは計算ではないのだ。駄目だとわかっていても、やらずにはいられないことはある。感情とは、そういうものだ」
真島孝弘たちと過ごすうちに、わたしは自分の願いに気付いてしまった。
どうか王には静かに生きてほしい。
せめて満足のなかで終わってほしい。
そうわたしは願っている。
……これは、きっと叶わぬ願いだとわかっていても。
「アントン。お前に言われなくても、自分でもわかっているのだ。わたしはなにも為し遂げることなく、なにも得ることなく、失意のうちに死ぬだろう」
アントンの言う通り、わたしの行為に意味はない。
無謀で、無駄で、無為。
出来損ないとは、そういうことだ。
それでも、望むことはやめられない。
「なるほど」
わたしの話を聞き終えたアントンが、かくんと首を傾げた。
「まるで理解できない」
「だろうな」
どだい、感情のないアントンに理解できるような話ではなかった。
「だが、わかったこともある」
「……なに?」
「ずっと疑問だった。どうして王が、戦力としては最高クラスのお前を、その身から遠ざけるのか。感情などあろうとなかろうと、どうでもいいだろうと思っていた」
木石よりも無機質な顔で、アントンは告げた。
「だが、いま納得した。王の判断は正しいものだと」
「……そうか」
これもまた、言われるまでもないことだった。
我らが王にとって、わたしの感情など不要なものでしかない。
だから疎んじられている。
それだけのことなのだから。
「それで、どうする?」
わたしは尋ねた。
「わたしを排除するか?」
もともと、アントンはわたしの意図が見えないのを危険視していたものと考えられる。
場合によっては、この会話は危険な結論を導きかねないが……。
「そのつもりはない」
アントンはかぶりを振った。
「お前の行動原理は理解不能なものだった。しかし、王にとってお前が危険要素となりえないことだけは明らかだ。これからも、好きなようにするがいい」
もはや聞きたいことは聞けたのか、アントンは踵を返した。
「せいぜい、身の安全には気を付けろ」
最後に、付け加えるように言う。
「すべてが徒労に終わることを覚悟していても、無駄死にをしたいわけではあるまい。転移者たちの状況も、さほど安定したものではない。……もっとも、これは我らが王や、もうひとりの王にとっては対岸の火事、関係のないことではあるが」
「……なに?」
「もうひとりの王に、我らが王の渡した情報を見せるがいい。あるいは、なにか気付くこともあるかもしれない」
そう言い残して、アントンは洞窟に戻っていった。
「……なにかあった、のか?」
わたしはひとりごちる。
携えた革袋が、少し重さを増した気がした。
以前に少しだけ言葉を交わした少女、飯野優奈の顔が思い浮かんだ。
わたしと王との関係を見て、『虐待されても飼い主に尻尾を振ってる、ペットのわんちゃん見てる気分』と言い、ペットとはなんなのかを教えてくれた。
我らが王にとっては、非常に厄介な敵ではあるものの、どうにもわたしは彼女に敵意を抱けなかった。
彼女もまた転移者だ。
なにがあったのか気になったが、王から受け取ったものを勝手に開けて見るわけにはいかない。
そもそも、わたしは文字が読めない。
読めたところで、なにができるわけでもない。
わたしはかぶりを振って、益体のない想いを振り払うと走り出した。
◆ベルタ視点。工藤やアントンとのやりとり。
ベルタの想いが語られるのは、これが初めてですね。
今回はプロローグ。
本編も少し書ければよかったのですが、時間が足りませんでした。
本編は次話から始まります。
今章もヒロインのひとりにスポットがあてられる予定ですので、お楽しみに。
◆『モンスターのご主人様⑦』は今週発売です。
書き下ろし番外編は「真菜の手料理」を収録しています。
楽しんでいただければ幸いです。
また、リアルがバタバタしていてあげるのが遅れたキャラデザ等についてですが、
今日の夜中までに活動報告のほうで公開する予定です。こちらもお楽しみに。
(20;00 アップしました。
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