16. 白い蜘蛛の束縛
前話のあらすじ:
加藤さん視点から見るとむしろ中ボスはリリィ。
順当に下してから仲間(仮)にして、ボスに挑みます。
16
「眷属だって……?」
おれたちを襲い、おれを拐かした上にローズを蹴散らし、まんまとリリィからも逃げおおせてみせた白いアラクネは、おれの眷属だった。
「まさか、そんな……」
おれはまず自分の感覚を疑ったが、どうしたって、おれの本能的な部分はこいつがおれの眷族であることを否定してはくれなかった。
おれは次に自分の頭を疑ったが、どうやら絶望のあまり幻を見ているわけでもなさそうだ。
「おれの眷族であるモンスターが……どうして、おれのことを襲うんだ?」
おれの眷族はみな、おれのことを思ってくれている。
おれもその想いに応えようと思っている。
お互いの間にあるのは、確かな信頼であり愛情だ。
そんなおれたちの関係は、ひょっとしたら他人の目から見れば歪つに思えるかもしれない。
だが、おれたちにとってそれは何より大事なものだし、だから、他人からの評価なんてものはどうだっていいと思っていた。
おれは、リリィとローズを愛している。
主人として。
それこそ家族のように。
だから、これから新しく出来る眷族のことも、きっと大事に出来るだろうと思っていた。
無条件に、あるいは無邪気に。
そう思い込んでいたのだ。
「どうして……」
「意外と物わかりが悪いな、主殿」
弄うような口調で、白いアラクネが言った。
「さっき言ったであろうに。『妾がお主のことをほしいと思った』から。それ以外の理由など存在せぬ」
「おれのことが……ほしい?」
何だ、それは。
おれにどんな価値があるというのだ。
やはり、わからない。
だが、考えてもみれば、こいつはおれのことを殺すのではなく、わざわざ自分の巣まで連れてきた。
それは、目の前の白い蜘蛛の目的が、おれの命そのものではなく、この身柄にあったことを意味している。
この分だと殺されることだけはなさそうだ。
それはひとまずの安心材料だといえるが……
「主殿は、己の価値を全く理解しておらぬのだな」
くくく、と喉で笑う白い少女。
その表情を見て、おれは一つの光景を想起した。
――籠の中の虫を観察する、子供。
蜘蛛と人との配役が逆だが、これはまったくそれと同質の光景だった。
嫌な汗が頬を伝った。
この分だと殺されることだけはない。
それが安心材料だって?
おれは馬鹿か。死ぬまで彼女の蜘蛛の糸に囚われて過ごす。そんな暗黒の未来が、救いであるわけがない。
おれはどうにかして、この場を逃げ出さなければならない。
しかし、どうやって?
一番現実的な路線はリリィたちの助けを待つことだ。だが、それはもっとも非現実的な方策でもある。
彼女たちは恐らく、いや、間違いなくおれのことを助けにくる。来てしまう。だが、その結果は残酷なものになるだろう。彼女たちでは白いアラクネには敵わない。
おれは彼女たちが来るより前に、独力でこの白いアラクネの手から逃れなければいけないのだ。
そうしなければ、終わりだ。全てが終わってしまう。
だが、どうすれば彼女から逃げられるのか、良い考えなどそう簡単に思い浮かぶものでもなかった。
焦るおれの内心など知らないアラクネは、蜘蛛の八つの脚を蠢かせて、おれのもとへと近づいてくる。
そして、妖花のほころぶような笑みを浮かべた。
「己の持つ価値というものについて……主殿には少しばかり教導が必要なようだな」
そう言って娘が首をかすかに傾げると、細く白い髪がさらさらと肩口を滑り落ちた。
興が乗ったように体を乗り出せば、シフォン生地のように透けた薄布の下で、ふたつのふくらみがやわらかく潰れるのが見える。
魔性という言葉をおれは思い出していた。彼女の一つ一つの仕草が、ぞっとするほど淫靡なものに感じられた。
妖しくも美しい少女の全てが蜘蛛という醜悪な怪物の上に乗っていることは、本来なら目を背けたくなるほどの残酷な事実のはずだ。
だというのに、むしろ彼女に限っては、そうした造形でさえ彼女の少女としての美しさ艶やかさを際立たせるために存在するかのように思えた。
状況の異常さと少女の媚態とに頭がくらくらする感覚を覚えながらも、おれは意識を正常に保つように努めなければならなかった。
少しでも気を抜けば、『呑まれて』しまう。そんな確信があった。
「教導だって?」
いまはとにかく彼女の機嫌を損ねてはいけない。時間を稼いで、隙を探すのだ。……そんなものがあるのかどうかはわからないが、あると信じて待つしかない。
「一体、おれに何を教えてくれるっていうんだ?」
「そうだな。まず主殿がモンスターと呼んでいる妾たちが何なのかということを、主殿は知っておるかの」
「モンスターが……一体何なのか?」
「そうだ」
「それは、魔力を持つ生物のこと、だろう?」
この問答がどのような意図を持っているのか吟味しつつ、おれは答えを口にした。
「魔力を持つからこそ、モンスターは異常な力を発揮できる。ファイア・ファングが炎を吐けるのも、マジカル・パペットが人形の体を動かせるのも、スライムが半液体状の体を維持できるのも、トレントが植物でありながらまるで動物のように動けるのも、全部が全部、モンスターの持つ魔力によるものだ」
「その通り。では何故、モンスターには魔力が宿っているのか知っているかのう?」
「それは……確か、世界に巡っている魔力を、体の中に蓄積するから、だとか」
以前にリリィが語っていたことだ。重金属のたとえも同時に思い出したが、このアラクネには通用しないだろうから口にしない。
白いアラクネはほんの少しつまらなそうな顔をした。
「よく知っておるの。……そういえば、主殿とともに木っ端がおったの。アレから聞いたか?」
木っ端というのはローズのことだろう。そういえば、彼女は無事だろうか。手酷くやられていたようだから心配だった。
「では、妾たちモンスターが己の意思というものを持たないということは知っておるかの」
「以前に、それも少しだけ聞いたことがあるが……」
リリィから寝物語に聞いた話だ。
彼女たち眷属はおれに会うより以前には意思を持たず、ただ森をさまようだけの存在だったのだという。
「おれの仲間たちからは、おれの眷属になった時に、初めて自我と呼べるものを手に入れたと聞いているが」
「おお。おお。やはりそうか!」
興奮した様子で少女が歓声をあげた。
すると、同調して下半身の蜘蛛が肢を踏み鳴らし始める。
ぎしぎしと床が壊れそうに軋んだ。
蜘蛛の糸で繋がっている柱代わりの木々や天井までもが同調して、揃って壊れそうな音を立てる。
「では、わからぬか? わからぬものかな。主殿の価値というものが!」
おれはいま、この蜘蛛に囚われている。
それを強く実感させられて、おれは軽く唇を噛んだ。
熱狂が去り、やがて白いアラクネは足踏みをやめた。
しかし、まだ興奮は残っているのか、少女の滑らかな白い頬は扇情的に赤らんでいた。
「わからぬのだろうな。その不理解ですら愛おしいよ」
更に距離を詰めて、アラクネが脚を折った。
既に彼女はおれと肌の触れ合う距離にいた。意外と滑らかな感触の蜘蛛の白い毛が腕に触れている。
少女が手を伸ばし、おれの肩の辺りを撫でる。――びりびりと音がして、シャツの残骸が取り払われる。
ほっそりとしたアラクネの指が、おれの上半身に触れた。ゆっくりと撫でさすりあげられる。
ゆるやかな快感に鳥肌をたてたおれのことを、少女の赤い目が見上げた。
「先の言葉とは矛盾するようだがのう、主殿の眷属となる前から、実は妾には意思らしきものがあったよ」
「……なに?」
アラクネの言葉に、おれは眉をひそめた。
それでは、聞いていた話と違う。
「とはいえ、薄っすらとだがな。お主からすれば、それは自我とも呼べぬ儚いものだっただろうよ」
白いアラクネは自嘲めいた台詞を口にした。
もっとも、そうした台詞とは裏腹に、白い蜘蛛の上で少女は恍惚とした吐息をついている。彼女の機嫌がよいことの証拠だった。
それは、おれにとっては都合がいいことのはずだった。
おれの胸に円を書くように触れているこの手が指を突き立てるだけで、おれは心臓を抜き出されてしまいかねないのだから。
なのに、おれは素直に彼女の上機嫌を喜べなかった。
むしろうすら寒い気持ちさえしていた。彼女が喜べば喜ぶほど、何処か暗いところに沈み込んでいってしまうような錯覚さえあった。
「長い長い年月を経て、妾は妾としての自我を獲得した。しかし、それはあまりにも薄く儚いものだった。妾はのう、ずっと、ずぅっと、長い永い時間を、まどろみの底で生きておったよ。そして、今夜、初めて『目が覚めた』。主殿には、この歓喜が理解できぬやもしれぬがの」
「お前の『目が覚めた』切っ掛けが、おれか?」
正確には『おれのチート能力が』というべきだろうが。
おれのチート能力であるモンスター・テイムは、眷族を量産する能力だ。
だが、それは決して、操り人形や道具としての戦力を揃える力ではない。
おれの眷族になったモンスターは、リリィもローズも確固たる自我を持っている。
そして、感情も……一方は愛情や恋心、もう一方は忠誠心に寄っているが、どちらもおれに強い想いを寄せてくれている。
自我。
感情。
これらはきっと、この白い蜘蛛がずっと長い間、欲してやまなかったものなのだ。
「恐らくだが、貴様の侍らせておった木っ端も、うっすらとではあるが自我を持っているか……あるいは、自我の萌芽する余地を持っておった『特別なモンスター』だったのだろうよ」
「特別な……」
言われてみて思い出したのは、リリィはユニーク・モンスターであり、ローズはレア個体であるという事実だ。
それを知った時から、うすうすとそれが眷属の条件に関わっているのではないかと考えてはいた。
ただ、サンプル数が少なすぎるので判断はつかないというのが本音のところだった。
しかし、いま目の前にいる白いアラクネは、ハイ・モンスター。やはり特別なモンスターだった。
そうした『モンスターの特別さ』とは、この場合、『保有可能な魔力量』と言い換えるべきものだ。
その一方で、おれの眷属であったモンスターには、もともと自我が芽生える可能性があったとアラクネはいう。
そうすると、ひょっとして保有する魔力の過多が、自我の発生に影響しているのだろうか。
自分でも突飛な発想とも思えたが、少し考えてみれば、そうでもないようにも思える。
たとえば、マジカル・パペットのようなモンスターは、魔力なしでは動くことさえ出来ないただの人形だ。もう生物として終わってしまっている死体だって、魔力を帯びればアンデッド・モンスターとして動き出す。
彼らには人間のような明確な意思こそないものの、他の生物を見かければ襲い掛かってくる程度のささやかな知能は持ち合わせている。そこに操り手の存在はなく、おれの目からは、彼らは自律して行動しているように見える。
魔力というおれにとって馴染みのない不可思議な力には、元来そうした性質があるのかもしれない。
そうすると、おれたち転移してきた学生たちがモンスターと呼んでいる存在は、むしろ日本でいうところの妖怪に近い。
長い年月をかけて、意思を持つようになった化け狐や古い道具。
それは、長い年月の間に魔力を蓄積するモンスターに良く似ている。
リリィ、ローズ、そして、目の前の白いアラクネに至るまで、おれの眷属が全員、雌に分類されることも、これで説明がつけられる。
モンスターが魔力を蓄積させることで意思を持つとすると、例外なく眷族モンスターはある一定以上の魔力を持つことになる。そして、モンスターの中で大きな魔力を持つ個体というのは、生殖活動を行い、子供を産む個体――すなわち、雌なのだ。
「妾たちは主殿と繋がっているであろう?」
触れる手を少しずつ下へと落としつつ、アラクネが尋ねた。おれは咄嗟に彼女の手をとめようとした。しかし、出来なかった。いつのまにか、おれの怪我をしていない側の腕は、蜘蛛の糸でべっとりと床に接着されていた。
「……。パスのことか?」
「ああ。それこそが、主殿の力の本質だ」
おれの儚い抵抗を知って、息のかかる距離で少女が笑い――ぐしゃり、と異音。
ひしゃげて壊れたベルトのバックルを、アラクネが床に落として、ぺろりと真っ赤な唇を舐めた。そして、改めて手を伸ばす。
「パスを通じて妾たちは主殿の心に触れる。そうすることで、心の在り様を学ぶのだ。もとより心が育つだけの土壌がなくば、たとえ主殿の心に触れたところで、それが何なのかすら解すまいよ」
主であるおれと眷属であるモンスターたちは心が繋がっている。
おれはそれを単に便利な力だとしか考えていなかった。だが、それこそがおれの力の源泉だとアラクネは言う。
たとえば、あの洞窟でリリィはおれとパスで繋がり、おれの望みに触れた。言い換えるなら、心に触れた。それがリリィの人格を形成する切っ掛けとなった。
こうして生まれた眷属モンスターは、当然、一般的なイメージでのモンスター・テイムとは違って、『飼いならされている』わけではない。あくまで自我を与えたおれのことを、主として、親のように、純真に慕ってくれて、善意から助けてくれているだけなのだ。
構造上、おれは彼女たちを縛るどのような強権も持ち得ない。
そうしたおれの能力の特性が、最悪のかたちで露呈したのが、いまのこの状況なのだった。
「ふふふ」
愛しげな――籠の中の生き物を愛でる目をした蜘蛛が笑う。
「つい先程、主殿のことを見付けた瞬間に妾の受けた衝撃は、主殿には決して理解出来ないものであろうな」
蜘蛛に生えた白い少女は、両手を大きく広げた。
「世界が色鮮やかに色づいた! 妾は妾として、確かに此処に在る!」
彼女の声に表れているのは、向けられているこちらの気が遠くなるような、重く粘つく蜘蛛の糸のような執着心だった。
それを向けられて初めておれは、リリィやローズと比べてかなり歪んだかたちにせよ、この白いアラクネがおれに並々ならない想いを傾けていることに気が付いた。
彼女もまた、おれの眷属なのだ。
「妾には力がある。他の何者にも負けぬ力が。この力で妾は妾の思うがままを為すのだ! 手に入れた自我が望むままに!」
おれの眷属には、何処か子供っぽいところというか、純真だったり純朴だったりする部分がある。
それは、彼女たちが自我を持ってまだ日が浅いために起きる、ある種の必然だ。
この白いアラクネの場合は、そこに、更に長い年月をかけて積もり積もってきた執念ともいうべきものが加わっている。
そうした全てが――気に入ったものを捕らえておきたい、しばりつけてしまいたい、独占していたいという、蜘蛛としての本能を後押ししているのだから、もはや手のつけようがなかった。
「わかってくれたか、主殿」
「いぎ……!?」
おれのことを撫でさすっていた手が、同じたおやかさでもって、おれの喉もとを締め付けた。
「妾にとっての主殿の価値というものが」
「ぁ、か、……は」
はあ、と悩ましげに吐き出される呼気が甘い。
捕らわれたおれが苦しむ様子を、少女は頬を赤くして、とろんとした目で見つめていた。
「妾に妾をくれたのは、主殿だ。故に妾はお主が愛おしくて仕方がない」
視界がちかちかと明滅する。
脳味噌に酸素が足りていない。意識が朦朧とし始める。
「主殿の全てがほしい」
そうして弱った意識に、パスを通じて、膨大な白い感情の濁流が流れ込んできた。
暴力的なまでの意思の奔流に、頭の中が漂白されていく。
白く塗り潰されてしまって、元々あった色をすべて失っていく。
「妾のものとなれ、主殿。長く飼ってやろうぞ」
孤独を強く感じる。
心が折れてしまいそうになる。
堪え切れない。
おれは弱い。
心が弱い。
おれが一人だけだったなら、この白い暴力には到底堪え切れなかったことだろう。
「……来たか」
白いアラクネが、小さくつぶやいた。
かすむ視界の中で彼女の眉が寄っていた。
アラクネのその発言をおれがいぶかしく思うのと、凛とした声が白い蜘蛛の向こう側から響いてきたのは、ほとんど同時のことだった。
「それが、あなたがご主人様をさらった理由?」
濁流のような蜘蛛の意思にさらされていたおれの心に、優しく温かな感情が流れ込んでくる。
おれにもわかった。
彼女たちがやってきたのだ。
「その手を離しなさい」
振り返るアラクネの向こうに、月明かりに照らされた二つの影があった。
「リリィ。それに、ローズ……」
おれの心強い仲間たちが、そこにいた。
◆もうちょっとリリィたちが来るのが遅かったらノクタでした。
危ないところでしたね!
◆次回更新は1/22(水曜日)になります。