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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
5章.騎士と勇者の物語
157/321

30. 騎士の救済

(注意)本日3回目の投稿です。(8/21)














   30   ~シラン視点~



 空気が変わったことに気付けたのは、数多の戦闘経験の賜物だった。


「これは……?」


 わたしは萎え切った体を起こした。


 それは、なにか恐ろしいものが解き放たれる予兆。

 背筋が粟立った。


 この家のすぐ外で、なにかが起ころうとしている。


 そこで誰が戦っているのかを思った途端、無意識のうちに体が動いていた。


「孝弘殿……!」

「シランさん!?」


 驚いたように、ベッド脇の椅子に座っていた真菜殿が声をあげた。


 突然、飛び起きたわたしがベッドから転がり落ちたのだから、それも無理ないことだろう。


 けれど、わたしには、そんな彼女の驚きに頓着していられる余裕はなかった。


「うっ、く!」


 這うように床を進む。


 体に力が入らない。

 床に突いた腕が震える。


 自分がなにをしようとしているのか、頭はまだ状況に追い付いていない。


 それでも、体は目指すものに向かっていた。


「な、なにをしているんですか!?」


 慌てた様子で、真菜殿が椅子を立った。


 肩を掴まれる。

 むずがるように体を揺らして、わたしは抵抗した。


「……ないと」

「え……?」

「行かないと」


 無意識のうちに、喉から声が零れていた。


 震える手が伸びる。

 思考を置き去りにして、心が求めるままに。


 その手の伸ばされる先――壁に立てかけられた剣があったのだ。


 ……いったい、わたしはなにをしようとしているのだろうか?


 頭のなかの冷静な部分が、疑問の声をあげた。


 もうわたしは戦えない。

 戦う必要もない。


 デミ・リッチになったわたしは、自分が騎士に相応しい人間ではないことを思い知らされた。


 ぎりぎりまで追い詰められてしまって、その結果、精神に引き摺られるアンデッド・モンスターの体のバランスを崩した。

 血生臭い悪循環に、擦り切れていく自分を感じた。


 ――なあ、シラン。たとえシランが騎士でなくても、おれはお前にここにいてほしいよ。


 そんなわたしに、孝弘殿はこう言ってくれた。

 騎士でなくても、ただの女の子でしかなくなっても、わたしにここにいてほしいのだと言って、温かみを失ったこの体を抱き締めてくれた。


 ――戦えなくてもいいんだ。シランはもう騎士じゃない。ただの女の子なんだから。


 嬉しかった。

 心が震えた。


 本当に、救われたのだ。


 ……それなのに。

 どうしてこの手は、再び剣を取ろうとしているのだろうか?


 頭は疑問する。

 体は迷わない。


「シランさん……」


 真菜殿がつぶやき、わたしは顔を上げた。


 彼女の瞳のなかに、わたしの顔が映り込んだ。


 必死の表情だった。

 けれど、そこに表れているものは、怒りに身を任せた暴走でもなければ、破滅を前にした自己犠牲の発露でもなかった。


 そうではない、なにか。

 譲れないもの。


 聡明な真菜殿には、それだけで十分だったのかもしれない。


「……わかりました」


 戸惑うようだった表情が、確信を得たものに変わった。


 それからの真菜殿の動きは素早かった。

 ぱっと剣を取ってくると、こちらに戻ってくる。


 立ち上がるのを手伝ってくれた真菜殿が、わたしに剣を託した。


「先輩をお願いします、シランさん」

「感謝します……!」


 わたしは倒れ込むようにして、部屋の扉を開けた。


   ***


 扉を後ろ手に閉じて、廊下に出た。


「うっ、く……」


 途端に足がもつれて、廊下の壁にぶつかった。


 思うように手足が動いてくれない。

 いまにも膝が崩れてしまいそうだ。


 それでも、先程までの寝たきりの状態に比べれば、ずいぶんとマシだった。


 アンデッド・モンスターの体は、精神面に大きく左右される。

 ということは……。


「安定してきている、と……?」


 この土壇場で……いいや。土壇場だからこそ、だろうか。


 そういう場面でこそ、見えてくるものもある。

 あるいは、真菜殿の鋭い感性が感じ取ったのは、そうした雰囲気だったのかもしれない。


 確信にも似た予感があった。

 思考は追い付かずとも、心と体は知っていた。


 こんな体になってしまってから、悩み、苦しみ、迷ってばかりだった。

 けれど、答えはもう、すぐ近くにあるのだと。


 その確信に背を押されて、わたしは歯を食いしばって歩を進めた。


 用意された部屋は二階にあり、よろめきながらも階段に辿り着く。


「あ……!?」


 多少持ち直したとはいえ、かろうじて歩ける程度。

 階段なんてまともに使えるはずもない。


 足を踏み外した。


 小さな悲鳴を残して、一階に転がり落ちる。


「う……ぅう……」


 目が回る。

 酷い虚脱感に襲われ、悪酔いをしたときのように吐き気がした。


 そのときだ。

 この家のすぐ外で、ついに禍々しい気配が膨れ上がった。


 続いて、破砕音がした。


 部屋に匿っている村のみんなが悲鳴をあげるなか、廊下をなにかが転がる音がした。


 ……孝弘殿だ。


 そう直感したのは、たとえ弱くとも、わたしにもパスが通っているためかもしれない。


 間もなく、外で爆音があがり始め、押し寄せてきた霧が白く視界を塞いだ。


 次の攻撃に備えるために、孝弘殿が打った時間稼ぎの一手だろう。


 それはすなわち、初撃を凌いだということでもある。

 素直にわたしは讃嘆の想いを抱いた。


 先程感じた禍々しい気配は、ガーベラ殿の本気にすら匹敵しかねない雰囲気があった。

 それを凌いだのだとしたら、驚嘆すべきことだ。


 本当に、強くなったものだと思う。


 戦闘に関する孝弘殿自身の資質は、せいぜい平凡どまりといったところだ。

 他の多くの転移者に備わっているような強大な恩寵もない。


 それなのに、出会いを重ね、幾度もの死線をくぐり抜け、常に厳しい鍛錬を自身に課すことで、孝弘殿はここまでの力を手に入れた。


 わたしはそんな彼を、剣の師として、また、精霊使いの師としての立場から見てきた。


 それは、普通なら折れてしまってもおかしくない険しい道のりだった。

 けれど、孝弘殿は折れなかった。


 ――自分は、眷属たちを率いる主だから。


 その自負が、孝弘殿を支えているのだ。


 それこそが、孝弘殿と彼の眷属との間にある関係が生み出す彼らの強さの本質なのだと、わたしは思う。


 リリィ殿たちの寄せる想いが孝弘殿に堅固な自負を与え、それが彼に力を与える。

 それは逆に、リリィ殿たち眷属にも言えることだ。


 お互いに向ける想いに応えるために、主人として、眷属として、彼らはどこまでも強くあれる。


 わたしには、彼らのそうした関係が、ひとつの理想のカタチのように思えていた。


 ……羨ましいと感じていたのだ。


「行か、ないと……」


 わたしは行動を再開した。


 さいわい、階段から落ちたことによる怪我はなかった。

 痛みもない。


 アンデッド・モンスターの体に初めて感謝しつつ、上体を起こした。


 手足の動かし方を忘れてしまったみたいに、その動きはぎこちない。

 膝立ちになるだけでも眩暈がする。


 そのくせして、あれだけ派手に階段を転がり落ちておきながら、この手はしっかりと剣を握り締めていたのだった。


 今度こそ、絶対に手放さないとでもいうかのように。



 ……ああ、結局はそういうこと。



 かちりと、パズルのはまる音が聞こえた気がした。

 ようやく思考が心に追い付いたのは、まさにその瞬間だったのだ。


 にぶいわたしはやっとのこと理解して、少し笑った。


「まったく……どうしようも、ない……」


 同盟騎士団はなくなってしまって、すでにわたしは騎士ではない。

 それになにより、自分という存在が騎士に相応しくないと思い知らされている。


 けれど……それでもわたしは、騎士でありたいのだ。


 本当にどうしようもないと思う。

 そんな思いとは裏腹に、剣を握る手にはますます力がこもった。


 ああ、そうだ。

 わたしは騎士として、みんなを守るものでありたいのだ。


 それがわたしの真実だ。


 だから、自分が孝弘殿のどんな言葉を欲していたのかも、いまならわかった。


 ――それはつまり、わたしにとって彼がどういう存在なのかということで。

 ――そんな彼にとって、自分がどのような存在であってほしいのかということで。


 絶対にその願いが叶えられることはないことも、わたしは悟っていたのだ。


「……あ」


 這うようにして廊下の角を曲がったところで、わたしは声をあげた。


 そこに、求める人物がいたからだ。

 白い霧で視界は悪いが、この距離で彼のことを見間違えるはずもなかった。


「……孝弘殿?」


 少年がこちらを向いた。


 生々しいくらいの戦いのにおいがした。


 彼の白い衣服には、そこかしこに血が滲んでいた。

 特に左腕の損傷具合は酷く、ぽたぽたと指先から血が滴り落ちていた。


 それでも、その目は力を失ってはいなかった。


「……シラン?」


 わたしがこんなところにいることに、孝弘殿は驚いた様子だった。

 けれど、すぐにそれは腑に落ちたというふうな表情に変わった。


「……そうか」


 わたしの握る剣にちらりと目をやってから、納得したようにつぶやく。


 孝弘殿は立ち上がると、わたしのもとに歩み寄ってきた。


「戦いに来たのか?」

「……申し訳ありません」


 わたしは目を伏せて、謝罪の言葉を口にした。

 部屋で大人しくしているようにという、孝弘殿の気遣いを無為にしてしまった。


 どんな想いを抱いていたとしても、それは事実だったからだ。


 けれど、孝弘殿は怒るでもなく、ただ苦笑した。


「咎めるつもりはないよ。むしろ、おれが間違っていたのかもしれない」

「孝弘殿……?」


 不思議な言葉に、わたしは顔を上げた。


 とても真摯で温かな瞳が、わたしを見詰めていた。


「あ……」


 吸い込まれるように、わたしは彼の瞳に釘付けになった。

 こちらに向けられたその視線は、わたしの芯のところを捉えているように感じられたからだ。


「なあ、シラン」

「……はい」


 倦怠感も吐き気もすべてを忘れて、わたしは子供のように返事をしていた。


 とっくに動きを停めたはずの心臓が高鳴る錯覚がした。


 予感があった。

 あるいは、期待か。


 さっきまでよりもずっと強く、気持ちが溢れ出すのを感じた。


 もう他のなにも見えない。

 白い霧に覆われた世界にいるのは、わたしと孝弘殿だけだった。


「ひょっとすると、おれは酷いことをしようとしているのかもしれない」


 そんなふたりだけの白い世界で、孝弘殿が言う。

 いつも通りの生真面目な声色でさえ、心を痺れさせる魔法のようだった。


「だけど、もしもシランがそれを望んでくれるなら」


 血に濡れた手が差し出される。

 それはまるで、物語の一幕のように。



「おれと一緒に戦ってくれないか」



 彼はそう告げたのだ。


「騎士として、一緒にみんなを守ってほしい」

「孝、弘殿……」


 さざなみのような震えが、全身に走った。

 奔流のような感情が体を満たした。


 堪えようがなく、感情は涙となって双眸から流れ落ちる。


 この言葉こそが、彼からほしかったもの。

 諦めていたものだったからだ。


「わ、わたしは……でも、もう騎士では……」


 言葉を返そうとして、唇の震えが邪魔をする。


「そうだな。騎士団はなくなった。そういう意味では、シランは騎士ではないんだろう」


 対照的に、孝弘殿は落ち着いていた。


「だけど、それはたいした問題じゃない」


 この人は、いつだって、こうなのだ。

 一見すると取り立てて特徴のない少年に見えるし、実際に少年の脆さを抱えてもいるのに……いざというときの覚悟は揺るぎない。


「団長さんが、前に言っていたよ。騎士が自分の剣を捧げるのは、ただ正義の理念と弱者の救済に対してだけ。それはつまり、この世界では救世の勇者という存在に集約される……要するに、騎士に必要なのは勇者だけだ。その他の事情なんて、すべて不純物でしかない」

「だけど、孝弘殿は……!」

「ああ、そうだな。おれは勇者じゃない」


 孝弘殿は頷く。


 そう。

 これこそが、わたしが諦めていた理由だった。


 真島孝弘という人物は、わたしにとって特別だった。


 あのチリア砦で、誰かを守るために戦いたいというわたしの願いを拾い上げてくれた。

 あの場で朽ち果てるはずだったわたし自身と、わたしの願いを、暗闇の底から引き揚げてくれた。


 彼は煌びやかな物語の英雄などではなかったけれど、そんな彼こそがわたしにとって、肩を並べて戦うべき勇者なのだと思えた。


 けれど、その孝弘殿は、自分は勇者などではないと常々言っていた。

 むしろ彼は、勇者という存在を嫌っているようでさえあった。


 だから、わたしがその想いを彼に伝えることはなかったのだ。


 実際、この場においても彼の意見は変わらなかった。


「世界が求める勇者になんて、おれはなれないよ」


 微苦笑をこぼして、孝弘殿は言った。


「自分の分くらいは知ってる。おれは、自分の大事な人が幸せでいてくれればいいだけの小さな男だ」


 それは、ある種の諦めを含んだ台詞だった。

 けれど同時に、それはそんな自分を良しとする自負に裏打ちされた言葉でもあったのだ。


「だけど、だからこそおれは、大事な人たちの想いに応えたいって思う」


 そう言った孝弘殿の顔に浮かんでいたのは、強い笑みだった。

 自分の信じるものにすべてを賭けて、後悔しない者だけが浮かべられる笑みだった。


「おれはシランが大事だよ」


 そんな顔で、こんなことをさらりというものだから、わたしはなにも言えなくなってしまう。


「シランがおれを必要としてくれるなら、おれもそれに応えたい。世界にとって、勇者がどうとか、騎士がどうとか、そんなのはどうでもいいんだ。シランが騎士であるために、おれを求めてくれるのなら――」


 孝弘殿は誠実に言葉を紡いだ。


「――おれは、騎士シランにとっての勇者になろう」


 その言葉は、いったい、どんな気持ちで口にされたものだっただろうか。

 真面目な彼のことだから、生半可な気持ちではありえない。


 だからこそ、こんなにも、わたしの魂の奥底まで染み通るのかもしれなかった。


「わたしが騎士で良いのですか?」

「おれにとっては、シランこそが騎士だ」


 最後の確認に、孝弘殿は即答で返した。


「あのチリア砦で戦うシランを見たときから、その想いは変わらない。正直、ああ、憧れたよ」


 照れくさそうに、けれど、まっすぐに伝えてくれる。


「おれもシランには騎士であってほしいと願っている。だから、シランがおれに望んでくれるのは、嬉しいことだよ」


 望まれて嬉しいのは、こちらのほうだ。

 きっと、わたしのほうが何倍も、何十倍も嬉しい。


 揺らいでいたわたしというものの核が、急速に形を取り戻していくのを感じた。


 それは、ある種の新生でもあったかもしれない。


 一度壊れて、今度はより強固に作り直される。

 その過程には、純粋無垢な喜びだけがあって、それを与えてくれた彼に応える方法は、ひとつしか思い付かなかった。


「孝弘殿」


 ――誓いを。

 永遠に破られることのない誓いを、いまここに打ち立てよう。


 衰えた手足にできる限りに流麗に、わたしは居住まいを正した。


「我が剣のすべて、我が身のすべて、我が魂のすべてを、御身に捧げます」


 跪き、恭しくこうべを垂れる。


「我が身は剣。御身が守るべき者を脅かす敵があれば、それがなんであろうと退けましょう」


 思えば、奇妙なものだ。

 まず勇者がいて、騎士が剣を捧げるのが、この世界でのあるべき形だ。


 わたしたちは、まったくそうではない。

 なにしろ、お互いに求め合うことで、初めて勇者と騎士になるというのだから。


 けれど、誰かにとっての普通なんて、どうでも良いのだろうといまは思えた。


 わたしは騎士で、孝弘殿は勇者。

 お互いがお互いにそう求めるのなら、その他の一切になんの意味があるだろうか。


 もはや迷いも憂いもない。

 差し出された手を取り、わたしは誓いの言葉を結ぶ。


「ここに誓います。この身は永劫、御身とともにあらんことを」


 わたしだけの勇者様の血に濡れた手の甲に、そっと誓いのキスを落とした。

◆本日の更新はここまでになります。


次回、シラン新生です。


◆ご報告です。

書籍版『モンスターのご主人様』の7巻が、9月30日発売となります。

書き下ろし番外編、大ボリュームの30ページでお送りします。


予約も始まってますので、お楽しみに!

いつもの通り、順次情報は報告しますね。

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