28. 奮戦
前話のあらすじ:
迎撃作戦のネタ明かしと、迎撃に出る主人公
28
三者の剣が交錯する。
剣戟が響く。
何度も、何度も。それはまるで、互いの命の削れる音のように。
けれど、均衡は長くは続かない。
早々に、天秤は一方に傾いてしまう。
十分に予想はできたことだった。
最初に剣を交えた瞬間に悟っていた。
敵対しているふたりとも、剣の腕に関しては、おれより上だということは。
「らぁああ!」
「ふぅっ!」
エドガールが暴風のように剣を振るえば、ゾルターンは堅実な剣でその隙を埋める。
意外と言ってはなんだが、このふたり、コンビネーションがしっかりしていた。
エドガールの一撃は、とにかく速くて重い。
他の騎士たちの持つものに比べて長く幅広な剣は、それに見合った重量を備えていた。
それを軽々と扱い、おまけに技量も伴っているのだから脅威としか言いようがない。
ゾルターンもまた、厄介な敵だった。
エドガールとは対照的に、手にした剣はやや細身で軽く、小器用に剣を扱った。
こちらの先読みをしているかのように、牽制の剣を弾かれる。
意識を縫うようなタイミングで、切っ先が閃いて身に掠る。
ゾルターンはエドガールのフォローをし、かといって、エドガールもまた好き勝手に暴れているわけではなく、相方の動きに合わせている。
反撃の隙がなかった。
これまで見ていた限り、他の騎士たちが相手なら、反撃のひとつ、ふたつ、そこから事態を突破する糸口くらいは掴めていたはずだ。
けれど、このふたりからは、そのような綻びひとつ見出すことはできそうになかった。
たったふたり、この場に辿り着けたのが他ならぬ彼らであったのは、おれにとって不運なことだった。
あるいは、そんなふたりだからこそ、ここまで辿り着いたと考えるべきかもしれないが。
だとすれば、この状況は当然の帰結とも言えた。
「っぐ……!」
鋼の質量を持った死が、恐ろしい勢いで首元を掠めて、流れる汗が冷たいものになる。
ひとつの失敗が死に直結することを強く認識させられる。
竦めば斬られる。
臆さず捌く。
けれど、そこまでが精いっぱい。
息はあがり、額から汗が滴り落ちる。
完全には躱しきれずに流れた血が、白い衣服をまだらな赤に染め上げる。
これが、おれという人間の現実だった。
目の前の敵を簡単に撃破できるような力は、真島孝弘という男にはない。
歴代の勇者たちや、探索隊のチート持ちとは違うのだ。
あんなふうに、ぽんと手渡された絶大な力で、どんな障害も排除する――なんてことは、おれにはできない。
それはつまり、真島孝弘は英雄ではないという当たり前の事実にほかならず。
けれど、だからといって、真島孝弘という存在になにもないのかと言えば、それは違った。
「なんだ、こりゃあ……」
「……どうして」
エドガールとゾルターンの呻き声が耳に届いた。
不思議に思っているのかもしれない。
反撃は許していない。
一方的に攻撃を繰り出しているのは自分たちのほうだ。
天秤の傾きは変わらず、圧倒的に有利な状況が続いている。
それにもかかわらず、なぜ目の前の敵は生きながらえているのかと――。
「らぁあ!」
怒号とともに、エドガールが腰だめにした剣を薙ぎ払う。
向かって右から叩き付けられる攻撃に、盾による防御は間に合わない。
空気を引き裂いて迫る刃を、おれは大きく跳躍して回避する。
その着地を、ゾルターンに狙われた。
斜め後ろからの静かな攻撃。
普通なら、気付いたときには対処不可能な状況になっている。
けれど、その初動段階でおれは身を捻って、ゾルターンに向き直っていた。
「また……!?」
ゾルターンが目を見開いた。
不意を突いた彼の攻撃に、こうして対処するのは、これが初めてのことではない。
驚く彼は、包み込んだ内部の情報をおれに伝える『霧』の魔法を知らないのだろう。
先程までのように、村の全域を越えて限りなく希薄に拡散していた霧では、精度は低い。
だが、現在の霧は半径十メートルほどを淡い乳白色に染めるものだ。
この範囲のことなら、おれには手に取るようにわかる。
死角など存在しない。
加えて、サルビアが現界しているいま、パスを通じた情報伝達の速度は、現時点での最大限にまで高められていた。
それは、文字通りの一心同体の領域と言っていい。
事実、いまのおれたちは、お互いの境界線さえ曖昧になっていた。
互いを受け入れていなければ成立しない領域にあるこの技は、この世界でおれたちが積み重ねてきたもののひとつの現れと言えるだろう。
その結果、得られたものは大きい。
戦場の全体を俯瞰した広い視界は、ある一面において、戦士としての到達点だろう。
疑似的にではあるが、おれとサルビアの連携は、それを可能にしていた。
それが、ふたりを相手におれが生き延びている理由のひとつ。
もうひとつは――。
「――サマ!」
追撃する様子を見せたエドガールに、長く伸びたアサリナが襲い掛かる。
数秒も足留めできないが、彼女の働きは世辞抜きに大きい。
エドガールの足がわずかにでもにぶったその間に、おれはゾルターンに対処することができるからだ。
ほんのわずかな連携のずれ。
それが生み出した細い活路を、全力で駆け抜ける――
「――おぉおお!」
盾の表面を滑らせるように、ゾルターンの繰り出した剣の切っ先を逸らした。
伝わる衝撃が軽い。
それでいて、こちらの命を奪うに足るだけの鋭さは備えている。
先程、手首を痛めたときのことを覚えていて、一度やられた攻撃には、きっちりと対処してきているのだ。
素早く斬り返し、ゾルターンは深く沈み込むように踏み込んでくる。
斬り上げが繰り出される。おれは後退しつつ、大きく身を逸らした。
剣先を躱すことに成功し、その代わりに体勢が崩れた。
地面を踏みしめ、その場に踏みとどまって体勢を整えようとする――のではなく、おれは咄嗟の判断で側面に身を投げ出した。
「らぁああ!」
次の瞬間、アサリナを切り裂いて突っ込んできたエドガールの一撃が、先程までおれの首のあったところを薙ぎ払った。
「ちっ、うしろに目でもあんのか……!」
エドガールの口から出た罵声は、確実に捉えたと確信を持っていたからか。
実際、剣の刃が髪に触れるほどの際どい攻防だった。
まだ終わりではない。
「逃が、すか!」
「ここです!」
地面に転がり込むおれを狙って、剛剣の振り下ろしと、閃く刺突が繰り出されようとする。
完全に体勢を崩したおれに、これを回避する手段はなく――
「サマ!」
――鞭のように地面を叩いたアサリナが、無理矢理におれの体をその場から弾き飛ばした。
普通の人間ではありえない挙動に、先読みは通じない。
繰り出された剣が宙を切った。
おれ自身も対処し切れず、地面に肩から落ちる。
「ぐうっ」
常人なら肩の骨が折れて悶絶しているような状況だ。
しかし、肉体を強化しているいまは、打撲程度で済む。
痛みは奥歯を噛み締めてやり過ごして、跳ねるように立ち上がった。
「大丈夫かしら、旦那様?」
「サマー?」
「問題ない」
気遣ってくれるふたりに返した。
乱暴な対処だったかもしれないが、そうでなければ危機を脱することはできない。
「次に備えよう」
「くく……かはっ。いまのをやりすごすかよ」
おれたちのやりとりを見ながら、爆ぜるようにエドガールが笑った。
「やるじゃあねえか」
野獣の笑みだった。
どうやら手こずらせれば手こずらせるだけ、喜ぶ気質らしい。
残念ながら『予想していたより大変だから撤退する』などという展開はなさそうだった。
この戦いは、どちらかが致命的ななにかを失うまでは終わらない。
そう理解させられた。
「おれたちを相手に、ひとりでこれだけやれるとはなぁ」
エドガールはこの時間を噛み締めるような口調で、こちらに語り掛けてきた。
「たいした奴だよ、お前は」
「……別に。おれなんかは、そうたいしたものじゃないさ」
変な謙遜などではなかった。
こんなのは、単に真島孝弘という存在が格上相手に生き残るのに特化しているというだけのことでしかない。
あのコロニー崩壊の日、おれは地獄を見た。
世界を左右しうる力を持つ逸脱者たちの暴走に巻き込まれて、危うく死にかけた。
ある意味、あれがおれの異世界生活の開始点とも言える。
だから、どこかであれが基準になっているところがある。
すなわち『ああした場面で、蹂躙されることなく生き延びる程度の力』を手に入れること。
目標がそこにある以上、いまはまだその領域には届かずとも『この程度のこと』はできなければお話にならない。
それに、エドガールは勘違いしているようだが、おれは決してひとりではなかった。
そもそも、後先考えずに全力を尽くしてこの場を凌ぐという戦術自体が、リリィたちが駆け付けてくれると信じているからこそ成立しうるものだ。
アサリナやサルビアは直接力を貸してくれているし、ローズとガーベラは武具を提供するというかたちで、おれを支えてくれている。
おれひとりなら、彼らのうちどちらかひとりを相手にするだけで、精いっぱいだっただろう。
「……お前たちこそ、たいしたものだよ」
おれがそう告げたのは、半分は時間稼ぎの言動だった。
逆に言えば、半分は本気の言葉でもあった。
「そこまでの力を持っていて、どうして村のエルフたちに剣を向けた?」
尋ねた声には、自分でも思ってもみなかったような熱がこもっていた。
聖堂騎士団が村を蹂躙する姿を見てからずっと、おれの腹のなかは煮え立っていたのだ。
自分でも驚くくらいに、強い憤りを感じていた。
その熱量が、おれにこの問いを投げ掛けさせた。
「あん?」
エドガールはうるさそうな顔をした。
「なんだ、お前。騎士なら弱きを守るために戦うべきだとでも言うつもりかよ」
「おれは……」
「やめろよ、そういう萎えるのは」
突き放すように言って、エドガールは剣をゆらゆらと揺らした。
「おれは戦いを楽しめればそれでいいんだ。騎士をしていれば、こうして戦う機会が与えられる。飯のタネにもなる。それ以外はどうでもいいし、それ以上は望まねえ」
本音を語る声だった。
ある意味、純粋な言葉でもあった。
きっとエドガールという男は、殊更に邪悪というわけではないのだろう。
誰かを虐げたり、苦しめたりすることに快楽を覚えるわけでもなければ、自分の手柄のために他者を追い落としたり、残虐な行為に手を染めることもしない。
たとえば、強敵に僚軍がやられているようなシーンに行き遭えば、真っ先に突っ込んでいくに違いない。
しかし、そこには絶望的に志というものが欠けていた。
「騎士などというものは、所詮、勇者のための露払いに必要とされる駒の名でしかありませんよ」
ゾルターンもまた、口を開いた。
「たったひとりで、正面から楽々とモンスターを殺すことができる埒外の存在。それが、あなたがた勇者です。しかし、それもひとたび多勢に無勢に陥れば、どうしようもなく命を落とす羽目になる。限られた戦力を可能な限り長く使い続けるために、代わりに削れる『消耗品』が必要なのですよ。それが、騎士と呼ばれる存在の正体です」
陰気な印象の男の目には、暗い炎が燃えていた。
ひょっとすると、おれの言葉はこの男の裡にある敏感な部分に刺さったのかもしれない。
「そういう意味では、あなたがた勇者とて単なる駒でしかない。替えの利かない駒と、替えの利く駒。どちらも駒であることに変わりなく、そこに尊いものなどなにひとつありなどしないのです」
「……珍しくよく喋るな、ゾルターン」
それは、普段はあまり見せない姿だったのか、意外そうな顔でエドガールが言う。
ゾルターンは少し動揺する素振りを見せた。
「別に……わたしは、ただ、騎士に関して幻想を抱く甘い考えが癇に障っただけです」
「はっは! 『癇に障った』か。それも珍しいじゃねえか」
揶揄するような言葉に、ゾルターンが陰鬱に黙り込む。
肩を揺らしたエドガールが、こちらに視線を向けた。
「まあ、そういうわけだ。おれらにお説教でもしたかったのなら諦めな。そんなことで、おれたちが悔い改めるとでも思ったなら甘ぇよ。……アァ、甘過ぎる」
「……っ」
その言葉を最後に、空気が変わった。
「甘いんだよ。このまま蜘蛛やスライムが来るまでの間、おれらの攻撃を凌ぎ続けようなんてのはよ」
背筋を駆け上がるものがあった。
なにかが来る。
そう確信したおれは、油断なく身構えた。
そんなおれを見て、エドガールは鼻で笑った。
「思ったより、てめぇは強かった。確かに楽しめた。これは、その礼だと思え」
言ったエドガールが、自分の額を押さえた。
節くれた指に、力が込められる。
その全身から、身が震えるような魔力が噴き上がった。
「ぬぐぅうううう!」
「な……っ!?」
エドガールの髪が赤色に染まり、肌が金属じみた黒色に変わった。
筋肉が膨れ上がる。
熱を発しているのか、皮膚から湯気があがり始めた。
「ふぅううう……」
額から手が離れると、そこには一本の輝く角があった。
ぽっかりとあいた眼窩の奥、燃えるような瞳がおれの姿を捉える。
――鬼、という単語が頭に過ぎった。
「本当なら白い蜘蛛との戦いのために温存していたかった力だ」
剣を肩に担いで、鬼が笑う。
もともと、こいつはガーベラと……伝説の白い蜘蛛と戦いたいと言っていた。
しかし、こうも長い間、おれを仕留めきれずにいる程度の力で、正面から彼女と戦うことはできない。
こいつには、ガーベラに対抗できるだけの『切り札』があったのだ。
それが、これ――『恩寵の血族』の最高峰、『恩寵の愛し子』の力。
血脈によって受け継がれた、過去の勇者の力の再現だった。
「『戦鬼』エドガール=ギヴァルシュ。お前を殺す男の名だ。覚えておけ」
次の瞬間、彼我の距離がゼロになっていた。
「死ね」
十分に警戒はしていた。
それでも、気付いたときには、目の前に剣を振りかぶる鬼の姿があった。
白い蜘蛛の跳躍にも迫る速度。
辛うじてサルビアは捕捉していたし、おれもぎりぎりで知覚していた。
しかし、肉体の反応が追いついてくれない。
鬼の剛剣が振り払われた。
◆お待たせしました。
主人公+アサリナ+サルビアの奮戦でした。
本日、また更新します。






