26. 村落での攻防
(注意)本日2回目の投稿です。(8/7)
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いつの間にか、村には異物が混入していた。
聖堂騎士団、第四部隊が二十名。
率いるのは、『聖眼』のトラヴィス=モーティマー。
彼らは、隊長直卒の精鋭中の精鋭だった。
実のところ、トラヴィスはエルフの村を襲撃するに際して、精霊による索敵が行われる可能性を認識していた。
別動隊を編成する一方で、彼らの不意打ちが利かない可能性を考えていたのだ。
だから、その索敵網を掻い潜る手段も準備していた。
それを可能とする力が、転移者の末裔たる彼らにはあったからだ。
そうして乗り込んだのが、隊長であるトラヴィス自身が率いるこの一団。
本隊でも、別動隊でもない、彼らこそが本当の意味での本命だった。
しかし、彼らは戸惑いのなかにあった。
「……おかしくはありませんか」
村に侵入して数分、騎士のひとりが声をあげた。
「予定では、そろそろ別動隊が村に雪崩れ込んでいる手筈でしたが……」
周囲に人の姿はない。
同僚たちの姿どころか、村人たちもおらず、村は閑散としていた。
あたりには薄らとした霧がかかっており、そのせいもあって、人気のない村は少し不気味な雰囲気さえあった。
「おおかた、襲撃に気付かれて、足留めを喰らっているのでしょう」
トラヴィスが答えた。
落ち着いた口調ではあったが、目尻がたまにぴくりと震えていた。
「そういう可能性も考えていたからこその、この作戦でした。正面から防がれて、不意打ちも防がれて……護衛のモンスターがほとんど出払ったところを見計らって、わたしたちが刺す。今頃、別動隊は村に入るために必死に戦ってるところでしょう」
ここまでは予定通りなのだと、トラヴィスはうそぶいてみせる。
しかし、今度はまた別の騎士が口を開いた。
「それにしては、戦いの喧騒が聞こえませんが」
がり、とトラヴィスの奥歯が音を立てた。
「……それでは、なんですか。村を襲撃して防がれたわけではないということですか。その前段階……森のなかで戦いになったと?」
優美なトラヴィスの顔に、はっきりと苛立ちが浮かんだ。
「悪あがきを……しかし、どうして別動隊の存在に気付いたのでしょうか。情報でも漏れていたというのですか」
「そうすると、別動隊は逆に森のなかで襲撃を受けている可能性すらありますが」
「わかっています、そのようなことは。森のなかで奇襲を受けて、足留めを喰らっているとしたら、ますます別動隊の到着は遅れるでしょう」
トラヴィスは決して、無能というわけではない。
この状況を見れば、自分の計略がうまく働いていないことくらい理解できた。
……実際には、足留めを喰らっているどころか全滅寸前なのだが、そこまではさすがに想像できるはずもない。
「まったく、使えませんね」
「どうしますか」
「……予定は変わりません。ここまで来れば、もはや彼らは必要ない。わたしたちで真島孝弘を殺します。それで終わりです」
彼らが足留めを喰らっているなら、敵戦力のほとんどが出払っていると考えていい。
少なくとも、樹海の大蜘蛛はどちらかに出向いているはずだ。
ならば、現状の戦力でも十分に真島孝弘を殺すことは可能だとトラヴィスは判断した。
自分の計画は間違っていない。
最終目標である真島孝弘の首さえ取れば、どれだけの犠牲を払おうとかまわないのだ。
この冷徹さこそが、トラヴィス最大の武器だったかもしれない。
「……ありましたね」
真島孝弘が立てこもっていると目される建物を、立地などから騎士団はいくつか絞り込んでいた。
そのひとつに、トラヴィスに率いられた一団は忍び寄った。
この場所が当たりだと確信したのは、明らかにその家屋が手を加えられていたからだった。
これみよがしに、黒色の金属板のようなもので、家屋の壁に補強がなされている。
魔法で吹き飛ばすことは難しそうだと、トラヴィスは判断した。
たった一晩で、よくここまで防備を固めたものだ。
とはいえ、この場所を守る者はほとんどいないはずである。
あとは、ここに真島孝弘がいるかどうかだが……。
「あ」
騎士のひとりが声をあげた。
「いま、窓のところに少年の姿が見えました」
見れば、確かに窓が開いている。
「確かですか」
「はい。黒髪の少年でした」
「ふむ。真島孝弘と見て、間違いないでしょうね」
優男風の顔立ちに、トラヴィスは歪んだ笑みを浮かべた。
「……突入の準備を。ひとり残らず皆殺しです」
***
ぱちぱちと火の粉が舞い上がる。
ゾルターンは、冷めた目で燃えあがる建物を眺めていた。
ここで、どのような営みが行われていたのだろうか。
そんなことをちらりと思って、あまりの不毛さに吐き気がした。
「……次に行きましょう」
「おう」
答えたのは、エドガールだった。
ふたりで、火のついた家から足早に離れる。
トラヴィスと一緒に村に突入したふたりは、一時的に彼のもとを離れていた。
ふたりに下された命令は、伏兵がいないかどうかを調べること。
そのついでに、村の家屋に火を放つことだった。
村に侵入した以上、すでに自分たちの存在は知られている。
ならば、隠れる必要もない。
守るべき村から火が上がれば敵は動揺するし、逆に、攻め手である本隊や別動隊の士気は上がる。
作戦行動の有効性については、ゾルターンも認めるところだった。
ただ、その作戦にエドガールがついてきたことは意外だった。
「どうして、トラヴィス隊長と一緒に行かなかったのですか」
「あん? 別に。勘だよ」
「勘?」
ゾルターンは、エドガールとの付き合いはそれなりに長い。
だが、彼の言葉には首を傾げることがたまにあった。
「こっちについて行ったほうが面白い気がする。それだけだ」
面白い気がする。
要は、戦闘の臭いを感じ取ったということだろうか。
血に飢えた狼が人の姿を取ったら、こんな顔をするのではないか、というような恐ろしい笑顔をエドガールは浮かべていた。
前回のように、萎える虐殺のあととは違う。
本物の殺し合いを前に、『戦鬼』エドガールは昂っている。
トラヴィスでさえ、この状態の彼を御すのは難しい。
普通の団員たちは近付きさえしない。
ゾルターンだけは、特になんの感慨もなく彼と肩を並べて走っていた。
「それに、おれ以外にお前と行動できる奴はいねえだろ」
「……それもそうですね」
すぐに合流するとはいえ、単独行動をさせるほどトラヴィスは迂闊ではない。
しかし、残念ながら、先祖から受け継いだ『心を読む能力』のため、隊のなかにも『見通す瞳』のゾルターンを避ける者は多い。
後ろ暗いところのある彼らは、ゾルターンの存在を忌避する傾向が特に強かった。
しかし、エドガールは違う。
彼には戦いしかないからだ。
それを隠すつもりもなかった。
「しかし、静かですね」
移動しつつ、ゾルターンはつぶやいた。
トラヴィスと同様に、彼らも別動隊がこの場に現れていないことを不審に思っていた。
むしろ村を歩き回っている彼らのほうが、状況を正確に把握していたかもしれない。
「村の入り口側からも争いの気配が感じられねえな。そっちでも、なにかあったんじゃねえか」
ここからは防壁と家々に邪魔されて見えないが、戦いになっていればその喧噪が聞こえてもおかしくない距離である。
戦いになっていないのなら、とっくに村に侵入して、ここまで来ていなければおかしい。
「少し嫌な予感がしますね……」
「おれとしちゃあ、少しは歯ごたえがあるってのは楽しみだがね」
「……だから嫌なんですよ」
ゾルターンは本気の声で言った。
これに、エドガールはほんのわずかに不審そうな顔になった。
「珍しいな。お前がそこまで嫌がるなんて」
エドガールの知るゾルターンは、なにもかもに倦み疲れたような男だった。
人生になんの楽しみもなく、任務をただ淡々とこなすだけ。
モンスターを倒して感謝を受けるときも、トラヴィスの命令に従って悪事に手を染めるときも感情を動かすことはない。
そんな男が、真島孝弘という転移者に、なにを感じたというのか。
「わたしは……」
言いかけたゾルターンが、そのとき、不意に口を噤んだ。
なにかに気付いたように、眉が顰められる。
「これは……なぜ?」
困惑した声は、一軒の家屋を見詰めていた。
***
部下を家屋に突入させながら、トラヴィスは不審を抱いていた。
真島孝弘は村人たちを一箇所に纏めて、守りを固めている可能性が高いものと、トラヴィスは考えていた。
とすれば、戦闘に村人たちを巻き込まないために、突入のタイミングで反撃に出るだろうと予想していた。
しかし、予想された反撃はなく、部下たちはあっさりと屋内に侵入した。
いったい、どういうことかとトラヴィスは考え――ばっと振り返った。
「あ、くそ。気付かれたか」
そこに、悪態をつく赤毛の少女がいた。
どうやら別の建物の陰にでも隠れて、こちらの様子をうかがっていたらしい。
飛び出してきたところを、トラヴィスに見付かったのだ。
まだ屋内に侵入していない他の騎士たちも、それで彼女の存在に気付いた。
「お前は……」
村の住人だろうかと思ったトラヴィスだが、すぐにそうではないことに気付いた。
耳が短い。
少女はエルフではなかった。
とすれば、なんなのか。
いや待て。その前に、どうして彼女はこちらに飛び出してきた?
「まあいっか。この距離なら十分だ」
独り言をこぼす少女に、武装した騎士たちを恐れる様子はない。
「孝弘の敵なら、おれの敵だ。お前ら、覚悟しろ」
目つきの悪い顔立ちにも恐怖はなく。
剣呑な口調で宣言して、少女――ロビビアの手が、着ている服をとめる腰帯を掴んだ。
しゅるりと帯が解かれて、一重の衣服の前が緩む。
袖から腕を抜いて、ロビビアは敵を見据えた。
ただでさえ悪い目つきは、敵を前にして凶悪なものになり――その瞳孔が、トカゲに似たものに変わる。
「全員、かまえなさい!」
家屋の外にまだ残っていた騎士たちが、指示に従って盾をかまえた。
警戒する彼らの前で、小柄な少女の体が膨れ上がり、単衣の服が舞い上がる。
鱗が浮き出て、甲殻が身を覆い、皮膜の破れた翼が広がった。
「グルゥァアアアァアッ!」
地を震わせる咆哮が、牙の並んだ口から迸る。
「ドッ、ドラゴン!?」
鎧姿の男たちを、高いところにある竜の瞳が睨み付けた。
「ひ、人に化けてやがったのか……!?」
騎士たちの動揺は、なにも少女がドラゴンに化けたことばかりではない。
ドラゴンというモンスターそのものに問題があった。
ドラゴンがこの世界で最強クラスのモンスターとされていることには、いくつか理由がある。
そのひとつが、魔法耐性だ。
ほとんどすべての魔法に対して高い耐性を持つことが知られるモンスターがこの世界には何種類か存在するが、そのなかで最も有名なのがドラゴンだった。
リリィほど致命的ではないが、聖堂騎士団にとってはやりづらい相手であることは間違いない。
最後の防衛線にロビビアが配置されていたことには、それなりの意味があった。
「グルゥ……」
この場は、慕う少年に託された戦場だ。
素直ではない少女は、口ではあれこれ素っ気ないことを言ってしまっていたが、心のなかでは喜びと戦意の炎が燃えていた。
その熱量が、現実のものとして口腔から零れ出す。
「グラァアァアア!」
騎士たちの驚愕の叫びを掻き消して、ロビビアが炎を吐き出した。
騎士たちは即座に盾を体の前にかざして、これを防御する。
「ぐぅうう……! 堪えなさい!」
さすがに、対応が早い。
しかし、この程度は予想の範疇だった。
「ガァアアア!」
足をとめた騎士たちへと、咆哮をあげてロビビアが突進した。
これにも対応しようと騎士たちは身構える。
後衛が身体能力強化の魔法を使い、前衛が剣を握り――
「な!?」
――次の瞬間、その場の全員の視界を深い霧が覆い尽くした。
攻撃のタイミングを失って困惑する騎士に対して、ロビビアは迷わない。
これが、手筈通りの状況だったからだ。
また、相手の正確な位置がわからなくなったのはロビビアも同じだったが、彼女の場合、それでもさして困らない。
難しい技術もなにもない。
質量と速度は、ただそれだけでも武器なのだから。
「ごはっ!?」
身を低くした、体当たり。
まともに喰らった三人の騎士たちが、展開した霧の天井を突き抜けて宙を舞った。
アケル北域で『大地の怒り』の名で知られる森の主、甲殻竜マルヴィナの末の娘は、母親譲りの硬く分厚い甲殻に身を守られている。
そんなものに、無防備なまま激突されたのだから、ひとたまりもない。
金属の鎧が拉げて、骨が砕けて肉が潰れた。
「くっ、面倒な真似を!」
そうした状況のなか、トラヴィスは無事でいた。
彼は『聖眼』という強力な固有能力を先祖から受け継いでいるが、それ以外の面においても、第四部隊で屈指の戦闘力を有している。
突進してくるドラゴンの進行方向から飛び退き、霧のなかからも最初に飛び出していた。
怜悧な頭脳、優れた戦闘能力、切り札の『聖眼』の力。
間違いなく聖堂騎士団でもトップクラスのエリートである彼は、この状況を冷静に判断できていた。
確かにドラゴンの力は驚異的だ。
正体不明の霧の補助には不意を突かれた。
しかし、いまだにこちらが圧倒的に有利。
やられたのはまだ三名。残りは自分も含めて十五名。
その全員が聖堂騎士団でも上位の実力の持ち主だ。
家屋に突入した騎士たちを呼び戻せば、こちらの勝利だ――と、考えたトラヴィスの目が見開かれた。
「ガアァア!」
ロビビアが巨体の生み出す勢いそのままに、トラヴィスたちが背にしていた家屋に突っ込んでいったからだ。
家屋は半分ほどしか霧に包まれておらず、その光景はよく見えた。
「なぁ!?」
優美な外見に似合いもしない驚愕の声が、トラヴィスの喉から飛び出た。
黒い金属板のようなもので要塞化されていると思われた家屋が、ロビビアの体当たりの一発で崩れ落ちたからだ。
それは、まるでそうなることがあらかじめ定められていたかの如く。
突入したトラヴィスの部下を閉じ込めたまま、綺麗にぐしゃりと潰れた。
家屋の倒壊に巻き込まれたのだ。
さすがの精鋭も大怪我を免れない惨状だった。
下手をすれば、死者さえ出ているかもしれない。
ましてや、すぐに飛び出してくることなどできるはずもなかった。
「馬鹿な……!」
トラヴィスはもう、体面を保つこともできずに叫んだ。
あの建物のなかには、真島孝弘がいたはずだ。
それは、部下のひとりが確認した。
自分の予想が正しければ、村人たちもいるはずだ。
それなのに、ドラゴンは家屋を破壊した。
ならば、事故か。
勢いがつき過ぎて、停まり切れなかったのか。
いいや違う。
それが証拠に、突進から体勢を整えたロビビアは、大きく息を吸っていた。
炎の吐息を吹き付ける、準備動作……。
「待……っ!」
さすがのトラヴィスも血相を変えた。
だが、なにもできなかった。
「グゴォォオオ!」
容赦なく吐きつけられた炎が、家屋を燃え上がらせた。
凶悪なまでの爆炎が、一瞬で立ち上がった。
火の回りが早い。不自然なまでに、早過ぎた。
「こんな……こんなことが……」
「グガァアァアアア!」
突入した戦力の大半を失い、愕然としたトラヴィスとその部下数名に振り返り、ロビビアは戦意の咆哮をあげた。
***
「どうしたんだ、ゾルターン」
「……怯えを感じる」
ゾルターンの意味不明な言葉に、エドガールは目をすがめた。
「なんだ、そりゃ」
「か弱き者の恐れを感じます。あの建物です」
すっと指先が上がって、一軒の建物を示した。
その家屋を見詰めるゾルターンの目は、微妙に焦点が合っていない。
ここではない、なにかを捉えるかのような目――彼の異名であり、呪いでもある『見通す瞳』の力。
状況を把握して、エドガールが頷いた。
「なるほど。村のエルフをあそこに隠れさせているってわけか」
「恐らくは……どうしますか」
「どうもこうも、放っておくわけにはいかねえだろ」
彼らに下されている命令のなかには、目撃者の排除も含まれている。
「あまり気分の良い仕事じゃねえけど、仕事は仕事だ。やらねえわけにもいかねえ」
面倒くさそうな様子を隠さず、エドガールは剣を抜いた。
「ちっ、勘が外れたな。こっちは外れだったか」
「……」
無言のまま、ゾルターンも剣を抜いた。
しかし、彼らがそこから歩み出すことはなかった。
「……それは困るな」
家屋の扉を開けて、ひとりの少年が騎士たちの前に姿を現したからだ。
エドガールが目を見開いた。
「まさかお前は……」
そこにいたのは、真島孝弘。
彼らの標的だった。
◆お待たせしました。
2回目更新です。
あと一回、更新します。