25. ほしかった言葉
前話のあらすじ:
くま耳少女リリィさん、ふぁいやー
25
「偵察、ですか?」
わたしが尋ねると、ベッド脇の椅子に座った真菜殿は頷いた。
「はい。今朝から、先輩とリリィさんが向かっていました」
「リリィ殿はともかく、孝弘殿まで斥候を務めたのですか? それは少し、危険なように思えますが」
「そうでもありませんよ。確かに、ノー・リスクというわけにはいきませんけど、真島先輩には広域の認識能力がありますし、リリィさんは狼の嗅覚を擬態できます。このふたりが森に隠れているのを、先に見付け出して攻撃するのは困難です。また、見付かったところで、リリィさんは足が速いですから、逃げることはそう難しくありません」
「……そう言われてみれば」
簡単には見付からず、捕まえられる前に逃げることができる。
斥候としての能力は十分だ。
というより、かなり凶悪な組み合わせと言えるだろう。
「さいわい、聖堂騎士団の警戒は、それほど厳重ではなかったみたいですしね」
「彼らは完全に攻める側のつもりだったでしょうから、そのあたりが多少疎かになるのも無理はありません。というより、そこまで織り込み済みで偵察に出たのでしょう?」
「はい。もっとも、警戒をしていたところで、あのふたりを見つけ出すのが困難なことに変わりありませんけれど。余程の相手……たとえば、精霊使いでもいれば話は別だったでしょうが、まさかトラヴィスの配下にいるはずありませんからね」
言いながら、真菜殿はわたしの傍で浮いている精霊に目をやった。
「特に、先輩の得た『霧』の魔法のことは、騎士団には知られていないはずです。霧がかかっていたところで、それがなにを意味するのか理解することはできません。そもそも、いつでも薄暗い樹海のなかで、限界ぎりぎりまで薄めた霧がかかっていたところで、それに気付くことさえできないでしょう」
「……この作戦、発案者は真菜殿ですか?」
「そうですけど、よくわかりましたね」
「それはまあ」
隙がなさ過ぎる。
無論、孝弘殿たちの能力あってのことではあるが、その利点を最大限に生かした作戦だった。
見れば、真菜殿の顔には隠しきれない疲労があった。
座っている上体が、たまに少しふらついている。
昨日から寝ていないのだろう。
自分自身は戦いでは役に立てないから寝ずにいても問題ないと割り切って、村のみんなを救助して駆け回ったあとも、一晩中、対策を練っていたに違いなかった。
「先輩の魔法『霧の仮宿』は、効果範囲の状況を把握できます。リリィさんの五感は、嗅覚以外も野生動物のものを凌ぎます。部隊の位置も、指揮官の指示も、絶対に見つからないような遠方から、すべて見えるし聞こえる状況でした」
「作戦行動が筒抜けではありませんか」
これは酷い。
もともと、聖堂騎士団は孝弘殿たちの力量を見誤っていた。
わたしの目から見て、聖堂騎士団と孝弘殿たちの間に、さほど明瞭な戦力差は存在しないと思う。
正面からぶつかり合えば、お互いに大きな被害を出したことだろう。
固定砲台と化したローズ殿の初撃が使えないことを考えれば、聖堂騎士団が有利なくらいかもしれない。
しかし、聖堂騎士団は孝弘殿たちを逃がさないために、戦力をふたつに分けた。
その作戦自体は、決して的外れというわけではなかった。
孝弘殿が村でただ待ち構えていただけだったなら、大きな被害を与えることが可能だったかもしれない。
けれど、事前にトラヴィスの作戦を知っていた孝弘殿は、それを逆手に取った。
この時点で、両者には明確な優劣の差が出てきてしまっている。
「そういうわけですから、シランさんは安心して寝ていてください」
「……わかりました」
真菜殿の言葉に、わたしは頷いた。
真菜殿がこの部屋にいるのは、わたしの様子を見るためだ。
現在は席を外しているが、先程まではケイもいた。
おおかた、孝弘殿が手を回したのだろう。
「心配せずとも、わたしは無理に戦いに出たりはいたしませんよ」
「そうですか。それなら良いんですけど」
澄まし顔で返す真菜殿から、わたしは視線を外した。
ふと、壁面に立てかけてある剣に視線が吸い寄せられた。
わたしの剣だった。
真菜殿に頼み込んで、これだけは目の届くところに持ってきてもらったのだ。
剣はわたしの一部のようなもので、これがないと落ち着かない。
腕が動かなくなったからと言って、切り落とすような人間はそうそういないだろう。
それと同じことだ。
騎士としてのわたしが死んだ以上、この剣も死んだも同然だけれど、だとしてもわたしの一部であることには変わりなかった。
「……てっきり、断られるかと思っていましたが」
「え? ああ、剣を持ってきてほしいって話のことですか?」
真菜殿は苦笑を零した。
「先輩に知られたら、怒られちゃうかもしれませんけど……まあ、大丈夫でしょう」
真菜殿がこちらに目を向けた。
そこには、見る者の内面を見通すような色があった。
「いまのシランさんを見る限り、無茶をするとは思えませんので」
わたしが暴走するようなことはないと、真菜殿は判断しているらしい。
どこかに確信を宿した口調で言って、視線を壁の剣に向けた。
思案げに、その目が細められる。
「ただ……『いまのシラン』さんでなければ、どうかはわかりませんけれど」
ぽつりと、付け加えるような言葉が耳朶を打った。
「そのときこそ、あれは必要になるのではないかと、わたしは思ったりしているんですけどね」
「それは、どういう……?」
「さあ。どうなんでしょうね。わたしには騎士というものがよくわかりませんから」
戸惑う私に、真菜殿はかぶりを振ってみせた。
「ただ、そんな気がするというだけの話です」
返ってきた理由は、わたしには理解できないものだった。
というより、真菜殿自体にもよくわかってもいないのかもしれない。
理屈ではなくて。
みんなのことをよく見ている真菜殿の感性が言わせた言葉だったのかもしれない。
「もちろん、向こう見ずに戦いに向かうというのなら、そのときはとめますけどね」
「……わかっております」
素直に頷いて、わたしは目を閉じた。
先程、真菜殿にも言ったが、孝弘殿の言いつけを破って、無理に戦いに出るつもりはなかった。
孝弘殿は言ってくれた。
戦う力を失ったわたしはただの女の子で、もう戦う必要はないのだと。
幸運なこと、なのだと思う。
騎士の行き着く先は、大抵の場合、悲惨な死だ。
もちろん、なかにはディオスピロの街にいるアドルフのように、騎士として死んだあと、余生を送る者はいないでもない。
だが、そうした例は珍しい。
わたしの目の前で、兄は死んだ。
何十人もの仲間たちが命を落としていくのを、目の当たりにしてきた。
わたしも、同じような末路を辿るのだろうと思っていた。
実際に、そうなった。
本性を現した十文字達也に立ち向かったわたしは、腕を切り落とされ、片方の目を潰されて、腹を裂かれて、最後には心臓を穿たれた。
ずっとずっと、わたしは命懸けで戦ってきた。
厳しい鍛錬に歯を喰いしばり、過酷な戦場での痛みに堪え、肩を並べて戦った仲間の死に涙して、それでも守りたいものがあるのだと剣を振るって、最後は無残に殺された。
けれど、孝弘殿のお陰で、思いがけずにその先を与えられた。
ひとりの女の子としての余生を得ることのできたわたしは、きっと幸せなのだろう。
けれど……。
「……」
わたしは、目を開けた。
自然と、視線は壁に立てかけられた剣に吸い寄せられていた。
脳裏には、今朝の孝弘殿との会話があった。
――どうして孝弘殿は、そうまでしてくれるのですか?
――わたしが犠牲になれば、孝弘殿が危険を冒す心配は少なくなります。なのに、どうして?
馬鹿なことを聞いたものだと思う。
信頼できる仲間だから。
孝弘殿は仲間を見捨てられるような人ではないから。
だから、孝弘殿はわたしが捨て石になるのをよしとはしなかった。
そんな当たり前のこと、わざわざ訊くようなことでもない。
本当に、馬鹿だ。
……けれど、こうも思うのだ。
訊くまでもないようなことを尋ねたということは、わたしはもっと別の言葉が訊きたかったのではないだろうか、と。
だとすれば、わたしはあのとき、本当はどんな言葉を期待していたのだろうか?
壁に立てかけられた剣を眺めていると、そんな取り留めのない思いが膨らんでいって……。
「――ッ!?」
そのときだ。
物思いに耽っていたわたしの視界で、精霊がびくりと動いた。
「これは……!?」
精霊の索敵能力。
そこに、悪意ある何者かが引っ掛かった。
真菜殿が尋ねてくる。
「……敵ですか?」
「はい。しかも、非常に近いです」
ほとんど魔力を与える余裕がないため、現在、わたしの精霊による索敵範囲は狭い。
これで引っ掛かったということは、恐らく敵は村のなかに入り込んでいる。
「しかし、この村は現在、広域をリア伯母様の精霊探知で囲っているはずです。こんなところまで攻め込まれているというのは、どういう……?」
「なにか不測の事態が起こったようですね」
真菜殿が表情を引き締めた。
「どこまでもこちらの思い通りとはいきませんか」
わたしに気を遣っているのか、落ち着き払った声色だった。
かっちりと揃えられた膝の上で握り締められた拳だけが、少女の内心をわずかに表していた。
「大丈夫です。これは争いなのですから、不測の事態はありうることです。だから、そのくらいは予想して、真島先輩は対策を取ってあります」
不安がないわけではない。
それでも少女は、少年を信じていた。
「ここが正念場です。……無事に帰ってきてくださいね、先輩」
◆もう一回更新です。